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「『μ‘sの18人』という『永遠の伝説』に出会えた喜び、そして『μ’s Final LoveLive!』(いわゆる『ファイナルライブ』)から1年近くたったいまだからこそ、一人のラブライバーとして率直に感じること(その2)。」

 何故、自分が「μ‘sの18人のファン」「ラブライバー」になったのか。

 このことについて、自分なりに綴らせて頂きたいと思います。

 

 「流行っているらしいよ。」

 きっかけは、この一言からでした。ある友人の、Twitter上での何げない一言が、きっかけであったと記憶しています。

 

 そう。2015年2月16日。NHKEテレ(もとのNHK教育)での、「Rの法則」です。尤もこの回は、自分は所用のために観ることができませんでした。

 ですが、帰宅してツイッターを開けると、『ラブライブ』関連ワードでずらりと埋め尽くされていたのです(いまにして思えば、このときすでに『社会現象』の萌芽だったのかな、と思いますが、とにかくびっくりしたのを覚えています)。

 

 尤も、伏線は、その少し前からあったように思うのです。

 2014年11月~12月にかけて。NHKBSプレミアムでの、「Animelo Summer Live 2014」(通称「アニサマ」。会場は「さいたまスーパーアリーナ」[通称「SSA」。およそ3万人収容]。ライブ自体は、2014年8月下旬に、3日間開催されて、放送は6週連続で行われました)。

 

 「南條愛乃(個人として。1週目)」「fripSide(南條愛乃の所属グループ。2週目)」「μ‘s(6週目)」。

 

 思えば、自分の「アニメソング」への愛情は、このときからはじまったんだろうなあ、と思うんですよね。

 

 

 「アニサマ」云々のことは、後述にて追って言及しますが、何故自分が、「アニメソング」に傾倒するようになったのかを、綴らせて頂きたく思います。

 

 最初に、結論的なことから述べましょう。

 

 「既存の『J-POP』への『絶望感』、『強い違和感』。」

 

 これに尽きるのです、一言で述べれば。

 誤解のないように述べると、「歌を聴くこと(音楽を聴くこと)」は、もともと大好きなのです。いやむしろ、「大好きだからこそ」、既存の「J-POP」に対する、「強い違和感」を徐々に抱くようになっていったのです。

 

 子ども時代(2000年前後の話です。中学生~高校生くらいのとき)、自分は、

 

 「SPEED」「モーニング娘。」

 

 のファンでした。より厳密に述べれば、

 

 「島袋寛子」「安倍なつみ」

 

 のファンだったのです(この2人は、自分の中では永遠に「青春時代の象徴」です。尤も、自分自身の実感としての青春時代は、微力ながら東北の復興支援活動に関わらせて頂くようになって以後のことであり、そして、μ‘sに夢中になった時期のことになるのですが)。

 

 コンサート会場に直接参加(鑑賞)することはなかったのですけど、この2つのグループ、そしてそれよりも少し前の時期になるのですけど、(先述でも少し言及した)「ZARD」。この3つは、自分にとっては、「思い出深い存在」という感じなんですよね。

 

 

 なので、自分の中での「追い求める音楽」は、恐らく何かしらある感じなのかな、と思う感じだったのですけど、徐々に変化していったのは、2011年の「東日本大震災」(いわゆる「3.11」)以後かな、と思うのです。

 

 かつて自分自身、小学4年生のとき、「阪神・淡路大震災」(当時は西宮[兵庫県]に住んでいました)に被災した経験があることもあり、東北の震災のことは、「自分事」のように感じたんですよね。

 そう。「何かしたい、いやしなければ」と。

 それから、微力ながらですけど、東北に何回も訪れる機会を持たせて頂いたり、復興支援活動(防災云々を含めてです)を通して、いくつもの素敵な出会いをさせて頂いて、その過程で、いろいろな音楽に出会う機会を持たせて頂いて。

 

 いろいろな音楽に触れた、と述べましたが、それは、外国の音楽も含まれます。自分は語学が大の苦手ですので、どんなことを歌っているのか、あまりよくわかっていなかったりするのですけど、でも、漠然とですけど、「素敵な歌だなあ」とはイメージできる感じではあるのです。

 

 そのような中で、いつだったか、強い衝撃を覚えたニュース映像があったのです。

 

 「少女時代(韓国の音楽グループ)、パリ公演を成功させた。」

 

 恐らく、2012年2月の「MUSIC BANK K-POP FESTIVAL IN PARIS」のことであると思うのですけど、ニュース映像でこれを目の当たりにしたとき、自分はもう、「衝撃」であり、「ショック」だったんですよ。

 

 「悔しいけど、日本の歌手(アーティスト)で、少女時代のように『世界で通用している』存在が、思い浮かばない…。」

 

 その日はもう、悔しくて悔しくて、布団の中で泣きじゃくっていたと記憶します。そしてそのときからですかね、いわゆる「J-POP」に対する「心の遠心力」が加速度的に進んでいったのは。

 

 

 誤解のないように述べますが、少女時代は、実はむしろ好きだったりします。

 特に、メンバーの一人、「ユナ」。自分的には特に好印象なんですよね。

 

 (http://www.tv-osaka.co.jp/asiadrama/kimiboku.html)

 (http://www.cinemart.co.jp/contents_official/kimiboku/)

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%AF%E5%83%95%E3%81%AE%E9%81%8B%E5%91%BD)

 

 「君は僕の運命」。2008年に韓国KBSにて放送されたテレビドラマです。

 そのドラマの主演が、ユナだったんですよね。

 2010年~2011年に、テレビ大阪にて放送されていました。毎回ではなかったですけど、自宅にいるときは基本、楽しみに視聴していました。

 ああ、悔しいけど、かわいいしきれいだし上手いなあ、と。

 

 そう。自分の中では、この「君は僕の運命」は、「最も心に響く外国のテレビドラマ」です。

 (ちなみに、「最も心に響く外国の映画」は、「13デイズ」[ケビン・コスナー主演。いわゆる「キューバ危機」を描いた作品]です。尤も、いつだったか、『日曜洋画劇場』にて視聴した作品で、そのとき、とても感動した記憶があるのですけど、映画館でいわゆる外国映画を鑑賞したことは、未だに叶っていません[例外として、米国のアニメ映画『RWBY』がありますけど…]。)

 

 

 少し話を脱線させてしまいましたが、この、2012年の「少女時代」の衝撃からですかね、自分が既存の「J-POP」に「強い違和感」を抱き始めたのは。

 

 「ジャニーズ」「AKB(48グループ)」「EXILE(LDHグループ)」

 

 この、近年の「J-POP」における「3強システム」。いずれも、(よくも悪くもですが)いわゆる「アイドルグループ」になります(LDHグループは、逆に「あまりにも洗練されている」感じになるのですが)。

 勿論、いずれにも魅力、持ち味があるのは素直に認められて然るべきとは思います。実際、

 

 ジャニーズ(「Love so sweet」「truth」「青春アミーゴ」等、自分自身、確かに結構な頻度で聴く楽曲がいくつもある。)

 AKBグループ(「ポニーテールとシュシュ」「ヘビーローテーション」「真夏のSounds good!」等、これも確かに結構な頻度で聴く楽曲がいくつもあるし、自分が関西人であることもあってか、NMB48の関連楽曲は、正直結構好きだったりします[個人的には、「純情U-19」は特に好きです。一人カラオケで「聴くとき専用の楽曲」としてちょくちょくチョイスしたりしますし。]

 LDHグループ(よくも悪くも、「あまりにも洗練されていて」、それが魅力なんだろうなあとは頭ではわかっても、自分的には未だにどうしてもなじめない。だけどその一方で、いわゆる「ダンス・ミュージック[あるいはEDM]」の音楽的価値を高めることに大きく寄与したことは、相応に高く評価されて然るべき、とも思います。)

 

 という感じではあるのです。つまり、誤解して欲しくないのですが、「3強」それぞれに一定の音楽的意義は認めている感じではあるんですよね。

 

 ですが、日を追うごとに、「2つの強い違和感」が、加速度的に進んでいったのです。

 

 第一に、「本当に愚直に、真面目に音楽活動に一心に取り組んでいる歌手(アーティスト)が相応に評価されていないのでは?とくに、いわゆる『シンガーソングライター』の意義、評価が相対的に落ちているのはよろしくないのでは?」ということ。

 特に象徴的なのが、「いきものがかり」です。毎年のように印象的な楽曲を発表して、コンスタントに「賞取りレース」にも参加して、紅白歌合戦で赤組の「トリ」の経験まであるにもかかわらず、結局(表現が失礼で申し訳ないのですが。正直、現在の「J-POP」では好感度の高い貴重なグループですので)、事実上の「無冠の帝王」状態になってしまいました。

 今年の年始早々に、事実上の活動休止を表明しましたが、なんというか、素敵な楽曲がたくさんあるのに(「ありがとう」「YELL」「風が吹いている」等々。「風が吹いている」は、AKB48でも同じ楽曲名のシングル曲があって、これも素敵な楽曲であるので、正直ある種、ややこしく感じたりしますが)、相応の「評価」を受けなかった印象が強いんですよね。というか、オリコン1位の経験がシングル曲ではゼロであることは、正直びっくりですけど(というか、「μ‘s」に出会う以前は、「YELL」は、「負けないで」に次いで大好きな楽曲であったので、なおさらショックなのです…)。

 

 第二に、いわゆる「3強」(特に、「ジャニーズ」「AKB」)が、もはや「日本国内では無双状態」であるにもかかわらず、いわゆる「海外挑戦」「ワールドツアー」という勝負を一向にしないこと。

 既存の「J-POP」への「絶望感」「強い違和感」を、激しいほどに強く抱くようになったのは、むしろこのことが大きな要素としてあるのです。

 

 世界(海外)と勝負をして、その結果として、通用できませんでした、それであれば、「ああ、しゃあない」と、納得できるかなと思うのです。

 だけど、「ジャニーズ」(特に「嵐」)も、「AKB」も、いつまでたっても「世界と勝負をしない」、はっきり言えば「内弁慶」状態。

 それでいて、日本国内では、彼らの領域を脅かしうる存在が思い浮かばない。

 

 先述のように、2012年の少女時代のパリ公演でのニュース映像で目の当たりにした「ハイパフォーマンス」。悔しいけど、この「クオリティー」「パーソナリティー」ならば、世界に通用していると評価せざるを得ない(ユナが世界で輝いていることは、素直に嬉しいですし)。

 いわゆる「J-POP」は、「少女時代」の領域にも届かないのか…、と、悔しくてたまらなかったんですよ。だけど、それにとって替わり得る「受け皿」が思い浮かばない。

 一人の「音楽好き」として、「悶々とした」(もやもやした)日々が、しばらく続いていた感覚だったんですよね。なんというか、

 

 「これって、自分が追い求めている、出会いたいと心から思える『音楽』ではない…。」

 

 正直、そのような感覚であったのです。

 

 

 誤解のないように述べますが、「J-POP」を全否定しているのではないのです(むしろその逆。「J-POP」こそ、もっと輝いて欲しいと強く願っている)。

 実際、例えばですけど、2015年2月、映画『くちびるに歌を』(新垣結衣主演)。自分自身、人生で初めて、「同じ作品を2回鑑賞した」作品になったのですけど、この映画、アンジェラ・アキさんの「手紙」という楽曲が基軸になっているのですが(いわゆる「学園映画」でもありますが、自分はむしろ「音楽映画」と思っています。後に『リップヴァンウィンクルの花嫁』[2016年3月]という作品に出会うのですが、それと同じくらい、自分の人生で最高に心に響くと思える実写映画作品です。実際、『くちびるに歌を』は、見終えたとき、もう、「涙腺崩壊」状態でしたので)、本当は、「J-POP」だけでも、もっと評価されてよいと思う楽曲なりアーティストなりが少なからずある(いる)、そう強く抱く感じなんですよね。

 

 

 およそ、そのような感じですけど、話を「アニサマ2014」を視聴したときへと進めたいと思います。

 ちなみにこのとき、アニメソング関係での知識というのは(いまにして思えば、かなり恥ずかしい話なのですが)、

 

 水樹奈々(紅白歌合戦に何回も出場しているし、特に「ETERNAL BLAZE」は大好きな楽曲です。)

 田村ゆかり(ちょくちょく聞いたことはある。独特な歌い方をしているなあ、と。水樹奈々のライバル的な存在なのだろうか?)

 茅原実里、堀江由衣(名前は耳にしたことはある。どんな歌手かはわからないけど。)

 

 当時は、そのような認識でした。でも、「より自分が理想と思える音楽」を切実に欲していた自分にとって、「受け皿」になり得るのか、「わらにもすがる」思いだったのです。

 

 

 「南條愛乃(個人として。1週目)」

 楽曲(「君が笑む夕暮れ」)

 

 なんだか、素敵な名前を授かっているなあ。最初は実は、そのような認識でしかなかったのです。でも、瞬く間に、惹き込まれることになっていきます。

 

 「なんと透き通った歌声なんだ!そして心に『すーっと入っていく』感覚になれるのか!」

 

 自分的には、とても衝撃の感じであったのです。でもそれは、まだ序章でしかなかったことに、翌週に気付かされることになります。

 

 

 「fripSide(南條愛乃の所属グループ。2週目)」

 楽曲(「sister‘s noise」「black bullet」)

 

 2つの楽曲のいずれも、いわゆる「fwfw」楽曲です。

 もう、映像を観ていて、

 

 「なんというすさまじい盛り上がりだ!こんなの、生まれて初めてだよ!」

 

 という、激しいほどの大きな衝撃であったのです。

 もう、会場からテレビ越しに伝わる「熱量」が、既存の「J-POP」と全然異なる感覚なんですよ。だからといって、「うっとうしいなあ」という感覚に不思議とならない。

 そう。ここって、コンサート会場だよね?スポーツのスタジアムではないんだよね?と。ある種の「錯覚」が起こっていたような感覚であったのです。

 

 そしてそれに拍車を掛けたのが、恐らく歌い手が「南條愛乃」本人であることです。えっ、あの素敵な歌声の人物が、こんな楽曲も歌っているってこと?と(声質で判別できた感じでは、あるのですけど)。

 もう、「すごーい!」。ただ、この感覚であったのです。

 

 ちなみに特に、「black bullet」。実は、LIVEDAMのライブ映像で試聴することができます。もう、会場の「熱量」のすさまじさが、LIVEDAMを試聴してみると、伝わるのでは?と思う感じなのです。

 そして、この「fripSide」。自分的にはかなりの衝撃であると共に、なんだか、この楽曲なり世界観、南條愛乃のソロ楽曲と共々、自分に合うかも、と思う感じだったのですけど、この衝撃を、この熱量を上回る情景を、後に目の当たりにすることになろうとは、このときは正直、全く想像できていませんでした。

 

 

 「μ‘s(6週目)」

 楽曲(「それは僕たちの奇跡」「Snow halation」)

 

 正直に述べます。この当時、「μ‘s」とは何ぞや、ということさえ、正直、名前すら存じていませんでした。勿論、「ラブライブ!」の「ラ」の字も存じていません。というか正直、アニメ自体、今まであまり観ていなかったからなあ、の感じでしたので(これについては後述にて言及するかなですが)。

 

 ですが、もう、色とりどりのペンライト然り、それ以上に、

 

 「なんというすさまじい『熱量』なんだ!タイプは全く異なるけど、『THE ALFEE』『X JAPAN』よりも激しいんだけど!それでいて『活力』『元気』をもらえそうな感じだし!」

 

 そのような感覚だったんですよね。まあ、この6週目のときは、体調が安定していなかったこともあり、半ばもやもや状態で聴いていたのが惜しまれる感じなのですけど。

 

 「それは僕たちの奇跡」は、LIVEDAMのライブ映像で、そのすさまじい熱量を視聴することができます。

 その後の「Snow halation」。いまにして思えば、自分の「μ‘s」との関わりの歴史は、この楽曲を語らずしては説明できないんだろうなあ、そう強く感じるのです。「僕たちはひとつの光」に出会えたのも、そもそもはこの、「スノハレ」からスタートしているんだろうなあ、と。

 

 

 およそ、そのような感じなのですけど、実は自分、子ども時代から、アニメを観る頻度は特段に多い訳ではなかったんですよ。

 いや、嫌いだったという訳ではないのです。ですが、絵柄の「選り好み」は、人一倍激しい感じとしてあったんですよね。

 

 

 好んで観ていたアニメを、自分なりに挙げてみましょう。

 

 『セーラームーン』シリーズ(シーズン3、つまり「S」までは観ていたが、その後は自分の中学受験の影響もあり、フェードアウト状態に。でも、子ども心にわくわく感を抱いていたことを強く覚えています。)

 『魔女の宅急便』(『ラブライブ』に出会う以前では、「人生最高のアニメ作品」として常に挙げ続けてきた。いつ見ても、何回テレビで再放送されても、「生きる勇気」をもらえる。子ども時代、この作品の絵本を好んで読んでいた影響もあるのかもですが。)

 『きかんしゃトーマス』シリーズ(自分が「鉄道好き」になることに大きな影響を与えたかもの作品。いまでも放送されているとのことで、観る頻度は少ないですけど、ちょくちょく観ると心が温まる感覚になれます。)

 『ルパン三世』シリーズ(自分の中での「アニメ作品」といえば、この作品。後に言及させて頂くかもですが、山田康雄さんの声優観が、自分が抱く声優観であり続けていたんですよね。それを、『ラブライブ!』に出会って、あるいは特に「内田彩」に出会って、少なからず揺るがされた感じとしてあったのですけど。)

 

 およそ、そのような感じなんですよね。

 

 

 で、2015年2月16日。「Rの法則」。これを自分は、予定が合わずに見逃してしまいます。

 

 その後、2015年6月26日。自分は、浅草橋で、とある集まりに参加する予定が入って、そのために上京します。浅草橋は、秋葉原の「隣の駅」ですので、日程的にも秋葉原を訪れる時間が取れそうな感じであったので、集まりを終えるとすぐに、秋葉原を訪れることにしました。

 

 訪れて観たのはよいのですが、正直このときの印象は、

 

 「この街、自分には正直、合わなさそうだなあ…。」

 

 だったんですよ、申し訳ないですけど。それまででも、何回か上京させて頂く機会はあって、

 

 「銀座、新宿、池袋、有楽町、渋谷、赤坂見附、等々。」

 

 と、いくつものゾーンを訪れた経験はあったのですけど、秋葉原は実は初めてで。

 それまで訪れてきた場所と、まるで雰囲気が異なる。これ、自分が思っているような場所じゃない、仕事ではない限り、プライベートでは訪れることはなさそう…、それがその当時の感覚だったのです。

 

 「アニメの街」ということは、存じてはいて、このとき(この当時)、ある少女のキャラクターが、決行強調されているなあ、とは思っていて、いまにして思えば、それが「穂乃果ちゃん」(高坂穂乃果)であったのですけど、当時は、『ラブライブ!』の「ラ」の字も知らなくて。

 

 

 ただ、気に掛かっていない訳ではなくて、ニュースで、『ラブライブ!』の劇場版が、『海街diary』を興行収入で上回っている、着席率が高くて好感度も高いようだ、ということを伺ってはいたのです。

 『海街diary』。監督は、是枝裕和さん。現在の日本を代表する映画監督の一人です。主演クラスの4人の女優さんも、いずれも、「いまをときめく」旬の女優さんをずらりと揃えている。どれほどの作品なんだろう、と気に掛かってはいたのです、機会があれば見て観ようかな、と(ちなみに結論的に述べれば、この『海街diary』は、結局観ずじまいに終わりましたが)。

 

 『海街diary』を超える興行収入(及び好感度)。『ラブライブ!』という作品、頭に留めておこう。

 そう思った矢先に、2015年7月13日。「Rの法則」の再放送が決まったのです。半ば諦めかけていた再放送が叶う。これを観ないと、恐らく一生後悔するだろう、と。

 

 

 この、「Rの法則」。結論的に述べれば、

 

 「観てよかった。よし、劇場版、観てみよう。」

 

 そう強く抱く感じでした。特に、「Snow halation」に、強く心を揺さぶられた感じだったんですよね。

 それと、りっぴー。子役時代から、実はささやかながらですが好きであった人物ですので、「こんなにも成長しているだなんて、とても嬉しいよお…。」、それが、正直な感覚としてあったのです。

 いつだったか記憶はあいまいなのですけど、「Rの法則」の再放送回を視聴する少し前に、「プレイボーイ」という週刊誌(自分の中では、「グラビア雑誌」であり、「偉大なるネタ要員雑誌」[自分の中では、『東京スポーツ』と共に、ネタ要員として欠かせない2トップです]と思っています)にて、りっぴーがグラビアに登場していたとき、

 

 「りっぴーは、こんなところで終わるような人間ではないはずだ!もっと輝ける、いつか報われるときが絶対に来るはずだ!」

 

 そう心の中で叫びながら読んでいたんですよね(まあ、立ち読みですけど)。尤も、いまにして思えば、このときには既に、「星空凛」として、挑戦を始めていたことになる訳なのですけど。

 

 

 で、2015年7月17日。『ラブライブ!The School Idol Movie』(いわゆる「ラブライブ劇場版」)を、MOVIX八尾(自分の映画鑑賞時のホームです)にて、鑑賞することを決心したのです。期待と不安が複雑に交錯する感じを抱きながら…。

 

 

 では、すみません、続きを(その3)にて綴らせて頂きたく思います。