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「『μ‘sの18人』という『永遠の伝説』に出会えた喜び、そして『μ’s Final LoveLive!』(いわゆる『ファイナルライブ』)から1年近くたったいまだからこそ、一人のラブライバーとして率直に感じること(その5)。」

 ここまで、

 

 (その1)(「μ‘s FinalLoveLive!」を自分なりに振り返って。)

 (その2)(何故自分が「ラブライバー」「μ‘sのファン」になったのか。)

 (その3)(何故自分が「箱推し」になったのか。)

 (その4)(「μ‘s」に出会えた喜び、「応援上映」の魅力と課題。)

 

 について、言及させて頂きました。

 

 このことを踏まえて、

 

 「日本音楽界におけるμ‘sの意義。」

 「Aqoursについて、いま自分なりに感じること。」

 

 この2つのことについて、自分なりに綴らせて頂きたいと思います。

 

 

 ここまで言及したことで、伝わっているかなと思いますが、自分は、

 

 「音楽的な強い共感で、『μ‘sのファン』になった。」

 

 これが、自分の正直な敬意なのです。勿論、「アニメソング」への共感も、影響している感じではあるのかなですけど、「アニメ」そのものが、実は理由ではなかったので、自分は、

 

 「アーティスト(歌手)としての『μ‘s』」

 

 ということに、強い「こだわり」「思い入れ」を抱いている感じなんですよね。

 なので、「アニメ」そのものについての言及は、ここでは基本的にしません。

 「音楽としての『μ‘s』」に絞って、話を進めていきます。

 

 

 「『μ‘s』は、日本音楽史でも有数の『スーパーグループ』である。

 少なくとも、『アニメソング』の枠を超越した存在であると思う。

 何よりも特筆は、一人一人それぞれが卓越した『プロ意識』の集団であること。

 個人的には、『キャンディーズの再来』と自分は思っていますし、ダンスを駆使する意味では『SPEED』に相通ずるかもしれません。」

 

 

 いま、「スーパーグループ」であると述べました。

 何故、「スーパーアイドル」じゃないの?と疑問に思われるかもしれません。

 

 確かに、「μ‘s」は、『ラブライブ!』から誕生した「声優ユニット」であり、作品上の設定は「スクールアイドル」です。

 ですが、ここで重要なのは、確かに彼女たちは、「設定上は」アイドルかもしれませんが、

 

 

 「ことりちゃんがアイドル活動をやっているのであって、私(内田彩)自身がアイドル活動をやっている訳ではないから。」

 

 

 上記の言葉は、うっちー(内田彩さん)が、2016年9月のインタビュー(『声優パラダイスR』[vol.14])にて言及した言葉です(趣旨として。ちなみに、うっちーは、他の雑誌のインタビューでも、似たようなことを言及していたかなと記憶します)。

 

 うっちーが特に象徴的なのですが、他のメンバー(担当声優)も、自分は似たような感覚を抱いていたのでは?と解釈しています(特に「ナンジョルノ」「そらまる」など)。

 

 

 「μ‘s」の魅力(素晴らしさ、すごさ)は、挙げだすと恐らくいくつもあるように映りますが、メンバーのほとんどは、本職は声優である訳ですけど、自分は、

 

 「『アーティスト』と表現しても、決して遜色はない(少なくとも『歌姫』と形容し得るメンバーを複数擁していることは大きな強みといえる)。」

 

 と、強く抱いている感じなのです。その象徴といえる歌詞があります。

 

 

 「悲しみに閉ざされて (→ナンジョルノ)

 泣くだけの君じゃない (→ぱいちゃん)

 熱い胸きっと未来を (→えみつん)

 切り開くはずさ (→えみつん)」

 

 

 これは、「START:DASH!!」の、いわゆる勝負どころに突入する部分の歌詞です。

 そう。ここを、「歌うまトリオ」(ナンジョルノ、ぱいちゃん、えみつん)が歌っているのが、特に大きな魅力なのです。

 

 「START:DASH!!」「Snow halation」「Music S.T.A.R.T!!」

 

 少なくとも、この3曲を聴いて、「アイドルのクオリティーでしかない」ということは、はるかに上回っているはずだ!

 勿論、好みの問題とかはあるかもですが、少なくとも、アイドル云々は超越していると自信を持って強く感じます。

 

 

 少なくとも、

 

 「『ジャニーズ』『AKB』『EXILE』の『3強システム』。」

 

 に、「強い違和感」を抱いていた人間の「受け皿」の役割を果たした。

 (→だって、自分自身がそうなのですから。)

 

 それだけでも、『J-POP』の領域にカウントし得る、自分はそう強く抱いています。

 (だって、Twitterのあれほどの盛り上がりは、贔屓目抜きにして、自分の記憶にはない次元ですので。)

 

 

 惜しむらくは、あれほどの「絶頂期」に、「マイクを置いた」ことです。

 

 正直、いろいろな解釈ができるかなと思いますし、自分も未だに、いろいろな感情が湧き上がってきます。

 ですが、自分は、このように解釈しているのです。

 

 「9人、いや、キャラを含めた18人が、それぞれとして納得できているならば、それでよい。そもそもこんな『かっこいい』『美しい』終わり方(引き際)は、そうできることではないから。

 そもそも、『アラサー』で『スーパーグループ』として『複数年』やり遂げただけでも、日本では恐らく前例はほとんどなかったはず。それだけでも、『ありがとう、永遠の誇りだよ』と強く抱くし、そう伝えたい。」

 

 このように、強く考えているのです。

 

 

 およそ、このような感じなのですけど、自分は、「μ‘s」の最大の魅力として、勿論、その「プロ意識」の強さも然りなのですけど、

 

 「『(聴いている)人間の心に訴える』歌唱である。

 楽曲の魅力や世界観を『全身で表現』できている。」

 

 ただ単に、「声」だけで、「技術」だけで魅せているのではない。あるいは、「曲調」云々だけの問題ではない。

 ほんの「ちょっとした違い」なのかもですけど、自分は、「μ‘s」の楽曲において、いくつもの楽曲で、

 

 「聴き終えたとき(あるいは、聴いている最中に)、強い『感動』を覚える。」

 

 そのような感じなのです。特にそれが顕著なのが、くっすん、りっぴーであり(とりわけ前者)、歌唱技術的にどうこうという意見は確かにあるのかもしれませんが、それ以上に「気持ち」が素晴らしいんですよね。

 そう。振付云々を超えて、「情感」を「全身で」表現できているのです。ちょっとした「手」「足」「表情の使い方」とかを含めて。

 

 

 ちなみに、アニメ的なことについても少し言及しますが、自分は、『ラブライブ!』(μ‘s)は、

 

 「『セーラームーン』を超える作品に、やっと出会えた!」

 

 と、自分は思っているのです。ずっと追い求めてきた、あの伝説の少女アニメを超える金字塔に、ついに出会えた!と(勿論、ジャンルが異なるので単純比較はできませんし、『セーラームーン』自体の輝きは永遠に色あせない、そう強く抱きますが)。

 

 そういえば、「μ‘s」の担当声優でいえば、『セーラームーン』にあこがれて声優を目指したメンバーが複数人いると記憶しますが(うっちー、ナンジョルノ等)、その意味でも、自分が「μ’s」のファンになったのは、「運命」であったのかもしれません。

 

 

 およそ、そのような感じですけど、ここから、自分なりに、「Aqours」について思うことを、綴らせて頂きたいと思います。

 主として、「音楽的観点から」の言及になりますことを、何卒御許し下さい。

 

 はっきり述べます。

 

 「恐らく、『Aqours』は、成功は事実上、約束されているも同然に映る。しかし、実力が伴わないで成功が約束されてしまうと、それは不安の増大になりかねないと危惧する。

 だけど、『ある一つのこと』、これを大切にし続けることができれば、自分は『Aqours』も、日本音楽史に名を残す存在になり得ると強く信じる感じでもあるのです。」

 

 そう。いま、自分が「Aqours」に対して抱いている正直な感覚は、

 

 「『期待』と『不安』が複雑に交錯している感覚。」

 

 これが、素直な感覚としてあるのです。勿論、ささやかながらですけど、「応援し続けたいが故であるからこそ」であるのですけど。

 

 

 いま、日本の音楽界の現状として、先述にて何回も言及していますが、

 

 「『ジャニーズ』『AKB』『EXILE』の『3強システム』。」

 

 と、述べてきましたし、それは、「μ‘s」が東京ドームにて「マイクを置いた」以後、「より一層加速している」感じがあるのです。

 そう。「μ‘s」が担ってきた「第4の道」といえる存在は、「現時点で不在」、少なくとも、自分はそう解釈しています。だからこそ、

 

 「『μ‘s』の遺した業績は、確かに『瞬間的な輝き』であったかもしれないけど、その中でも『鮮烈な印象及び影響力』であった。」

 

 自分は、そのように解釈しているのです。

 

 

 「BABYMETAL」

 「Little Glee Monster」

 「SILENT SILEN」

 

 自分が、この1年~1年半くらい、密かにずっと期待し続けているグループが、この3つです(「期待」ではなくて、「応援」ではない。誤解されたくないので申し添えさせて頂く感じですが)。

 

 「BABYMETAL」。海外で成功を勝ち取り、2016年9月、「東京ドーム2days」を叶えました。

 「Little Glee Monster」。個々の歌唱技術が素晴らしく、特にセンターを務めることが多い芹奈さんは、かつての「関ジャニの仕分け」から、超絶といってよい歌唱力を見せ付け続けてきました。

 「SILENT SILEN」。楽器の使い方がうまい、読者モデル出身の女性4人組グループです。

 

 他にも勿論、素敵なアーティスト、グループはたくさんあるはずですし、いま、3つのグループを挙げましたが、実はそれ以上に、いわゆるソロの「シンガーソングライター」こそ、もっと光り輝いて欲しい、もっと評価されて然るべきだ、そう強く抱いています。

 例えば、家入レオさん。ボーイッシュな雰囲気も然りですが、「まっすぐな気持ち」が、楽曲から(及び、その熱唱から)伝わってくる感じですし、特に、NHKEテレ『東北発未来塾』のテーマソングでもある、『希望の地球』(「地球」と書いて「ほし」と読ませます)は、とても素敵な楽曲だなあ、と思っているのですが、彼女もまた、先述の3つのグループと共々、「紅白歌合戦」にまだ到達できていません。

 

 そして何よりも、長年にわたり「3強」に匹敵し得るクオリティー(売上的にももっと評価されて欲しかったと自分は思っていますが)を堅持し続けてきた、「いきものがかり」の活動休止。理由はいろいろとあるのかもですが、自分は正直、とてもショックな感じでしたし、愚直に(真面目に)「自分たちの音楽」を発信し続けてきたアーティスト(あるいはシンガーソングライター)が、相応な(あるいは正当な)評価を勝ち取れなくなった象徴であるように、自分は映っているのです。

 

 その意味で、特に「絢香」は(体調を崩したりとか、浮き沈みがいろいろありましたけど)、いかにすごかったかを、一人の音楽ファンとしては、強く実感するのです(勿論、あくまでも一人の私見に過ぎないのですけど)。

 実際、例えば、『はじまりのとき』(アルバム『The beginning』にて収録)は、自分自身を奮い立たせたいときに、よく聴かせて頂いていますし、いわゆる防災、復興支援活動、そしてリアルに、社会貢献の道に携わりたいという自分の気持ちを、より前向きにさせてくれる、いわば「生きる勇気」の原動力の大きな一つとなっている楽曲としてありますし。

 それに、絢香さんの楽曲って、高い歌唱技術を求められるからか、テレビ東京『THEカラオケ★バトル』においては特に、「歌うま」であることの「スポイト」「踏み絵」「リトマス試験紙」のような役割を担っているように映ります。

 

 

 で、何が言いたいのかと申しますと、

 

 「恐らく、少なくとも、今後直近の1~2年後という意味で、『3強』に匹敵し得る存在は、『ある1つの存在』を除いて、申し訳ないけど思い浮かばない(なにかしらの突発的なブレイク出ない限りは)。故に、この「ある1つの存在」に該当し得る『Aqours』の成功は、少なくとも音楽的観点に照らせば、(よくも悪くもだが、)ほぼ高確率で約束されている。

 しかし、実力が伴いようがそうでなかろうが、置かれている状況がそのような感じとしてあるので、もしも実力が伴わないままに、少なくとも売上的な感じ、ライブ動員的な感じで成功をあっさりと勝ち取ってしまうようでは、『μ‘s』が勝ち取った『伝説的なスーパーグループ』の地位ではなくて、『一つのスーパーアイドル』として扱われて視界かねないと危惧するし、それは今後の彼女たち自身の個人活動にも影を落としかねないと感じる。」

 

 

 きついこと、えげつないことを書きたくっているのは、頭ではわかっているつもりです。

 でも、「いつまでも、日本国内ではすごいけど世界と勝負できているとはいえない『3強』への依存度が強いままでは、それって日本の音楽界にとってプラスといえるのか?」と(誤解されたくはないのですが、「3強」それぞれに魅力があることは認識した上で述べているのです。世界と勝負して欲しいという一心からなんですよね、その上で通用しなかったならば納得できるのかもですけど)。

 

 それに、「Aqours」は、大きな会場でライブをする、成功する、それをゴールとして欲しくないんですよね。もっとその先、もっと高い次元(数値的なことだけではなくて)を、自分は「要求ライン」「成功ライン」として、強く願っているのです。それは勿論、「応援しているからこそ」なのですけど。

 

 はっきり言って、現時点では「未熟」であり「未知数」と自分は解釈しています。よくも悪くも「キャラハイパーインフレ」だと。

 そうではない。個々の担当声優の魅力、及び努力を以てして、成功、評価を勝ち取って欲しいと、自分はそう強く願っているのです。

 

 

 ですが、「Aqours」には、現時点で既に、とても素敵な「魅力」「持ち味」があると思うのです。

 

 「『鉄の結束』といえる『チームワーク』」

 (9人全員がそれぞれに『同じ方向を向いている』ことが伝わる。)

 「9人それぞれの個性豊かさ」

 「既にいくつかの『百合』がある(特に「ななあいにゃ」)」

 

 個性豊かさは、「μ‘s」の持ち味でもあったと思いますけど、「チームワーク」は、「Aqours」の大きな強みであると自分は思うんですよね。そこに自分は、強い「希望」を抱いているのです。

 

 「未知数」「未熟」というのは、主として「歌唱技術」的な部分なのです。

 ですが、自分は、確かに「技術」は大切なこととは思うのですけど、それ以上に、「気持ち」、もっと言えば、

 

 

 「『(聴いている)人間の心に訴える』歌唱ができること。」

 

 

 自分は、「Aqours」に強く願うのは、「この1つに集約し得る」「この1つのことができるかどうかが最大に重要な要素である」こととしてあるのです。

 

 いま、「人間の心に訴える」ということを強調しましたが、このことについて、(その6)にて、もう少し深く言及したいと思う感じです。

 

 

 では、すみません、続きを(その6)にて綴らせて頂きたく思います。