一人の若い世代として、「3・11」における復興について自分なりに考えること。

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第2回のブログエントリーの論題は、「一人の若い世代として、『3・11』における復興について自分なりに考えること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の1回目になります。今回は、「伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 で、何故、記念すべき1回目のエントリーに、「復興」をテーマにするのか。とりわけ、「愛球人サッカーブログ。」の読者や、ツイッターの読者にとっては、「え?サッカーじゃないの?」と思う読者も、少なからずいらっしゃるかもしれません。

 

 そう。今回、自分が、HPを開設するきっかけになったのが、「復興支援」に、微力ながら参加させて頂くことになったからです。そこで、自分の未熟さを実感させられることになり、未熟なりに自分がっできることは何だろう、と考えた結果、下記の考えに至った訳です。

 

 「『伝える』ことを通して、「3・11」の復興支援の一助になりたい。」

 

 自分は現在、関西在住です。9月に2週間、石巻及び南三陸に初めて参加しました。

 1月下旬には、1週間(実質的には3日間ですが)、2回目の現地参加として、気仙沼に行く予定でございます。

 

 できるだけ現地参加をしたいと思いますし、故郷(自分の場合関西)からできることも、できるだけしたいとも、強く思っております。

 しかし、一人だけでは、なかなか知恵が浮かばず、悶えている現状を、正直強く感じる。

 

 もともと、「3・11」が起こった直後から、「何かしたい、しなければ。」という思いを、自分としては、強く抱き続けてきました。ですが、なかなか一歩を踏み出せず、悶々とする日々が続くことを、余儀なくされてきた感じです。なけなしの募金や物資くらいしかできない状況でしたから。

 そのような中で、ある学生ボランティア団体との出会いが、自分の中で、大きな転機になった、という感じである訳です。

 

 そう。「Youth for 3.11」との出会い。

 尤も、団体自体は、4月下旬のNHK「おはよう日本」で、存じていました。

 ただ、諸事情で、一歩を踏み出す決心ができたのは、8月上旬までかかってしまいましたが。

 

 これから、徐々にですが、復興への思いは、自分なりに綴っていきたい、伝えたいと思っていますし、一人でも多くの読者が、自分なりの復興支援を、それぞれの思い思いの方法でよいから、たとえ微力でもよいから、中長期的スパンで持ち続けて欲しい、という思いが強くある訳です。

 

 今回は、自分が復興支援に強い思いを抱く原点としてある、「阪神淡路大震災」(1995年1月17日)の被災経験について、少し言及したいと思います。

 

 当時、自分は、10歳、小学4年生。現在は大阪に住んでいますが、当時は西宮(兵庫県。生まれ故郷であり、中学3年生まで住んでいた)に住んでいました。ですので、自分にとっては、西宮が、「心の故郷」という感じなんですよね。

 

 話すと少し長くなるので、詳述は今後、おいおい述べようかな、と思いますが、子ども心に強い恐怖でしたし、とりわけ、「1・17」の翌日、自宅から西宮北口駅まで、およそ5kmの道のりを、下痢を吐きながら(血も少し混じっていたと記憶します)、やっとの思いで、2時間以上を掛けて歩いたことは、恐らく絶対に心に焼き付き続けることでしょう。

 で、「1・17」の翌日から、およそ2か月間、自分は、八尾(大阪府。母方の実家)に疎開することになりました。でも、自分にとって、強烈な思いで、心の原点になっているのが、疎開先の学校の仲間や先生が、自分を、特別扱いせず、一人の人間として優しく接して頂いたことです。

 そう。「思いやり」。このことこそ、「1・17」が、自分の「心の原点」と強く思う、一つの大きな要因であるように思うのです。

 

 頭でイメージする言葉がなかなか思い浮かばず、今回のエントリーは、言葉足らずの感じが否めず、申し訳なく思います。今後、徐々にですが、「1・17」や[3・11]についての考察を、自分なりにしたいと思っておりますので。

 

 で、現時点で強く思うこと。そう。「1・17」でも、「3・11」でも、強く感じることとして、「スピード感の不足」を強く抱くんですよね。そこをなんとかせねばならない。

 で、自分にできることとして、「伝える」ことを通しての、中長期的復興支援を、模索していこうかな、と思う訳です。

 

 中長期的スパンとしては、自分としては、「子どもの心に親身に寄り添える『精神的支援』」に携わりたい、という思いを、強く抱いております。この思いは、日々強く抱くようになっていますし、それをどのようにして具現化するのか、ということが、目下自分自身に問われていることである、と強く思う次第です。

 ですが、そういう、心の傷に苦しむ人間にいかにして寄り添うか(勿論、がれき撤去等の「身体的支援」も必要であると思う訳ですが)、ということをも含めて、自分が強く感じること。それは何か。

 

 「若い世代だからこそできる『復興支援』。そして、復興にスピード感と深みが生み出され得るためには、『若い世代』の間で、息長い支援の輪を拡げ深め得ることのアイデア、工夫が必要ではないか。」

 

 今後のエントリーの糸口として、自分が現時点で率直に感じることを、記してみたく思う次第です。

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。