2018年

5月

02日

「2018年春、Aqoursを応援し続けるからこそ自分なりに強く感じること(その4)。」

 ここまで、

 

 (その1)(一人のウィキペディアンとして、何故活動しようと思っているのか。)

 (その2)(「田所あずさ」が「マイブーム」になっている自分。また、『アイドルタイムプリパラ』に感動した自分。)

 (その3)(自分自身がいま感じている、『Aqours』のメンバー、それぞれへの解釈。) 

 

 について、言及させて頂きました。

 

 

 で、いよいよ、ラストの(その4)です。テーマとしては、

 

 「『Aqours3rdLive』、及び、その先へと向かって自分なりに感じること。」

 

 これについて、綴らせて頂きたく思います。

 

 

 ほんとうは、「Aqours」について、「2ndLive」以後の歩みをじっくり振り返った上で、今後に向けた展望、課題点を自分なりに言及しようと思っていたのですけど、時間が思ったよりもとれていないため、「今後に向けた課題点」にウェートを置く感じで、時間の許す限り綴らせて頂きたく思います。

 

 

 「よくも悪くも、『キャラハイパーインフレ』」(1stLive開幕前の、自分のAqoursに対する解釈。)

 

 これが、自分の出発点でした。温かく見守ろう、とは心に決めていたけど(そもそも1stLive開幕時点で、Aqoursの9人のメンバー全員のwikipediaは、一通り手を着けてはいたので。このときはまだ、出典数もそれほど膨大ではなかったので着手できた部分があった感じですけど)。

 だけど、「全力で応援しよう」となるかどうかは、「1stLive」を最後まで見届けないと、最終判断はできない。それが、正直なスタンスでした。

 

 「『(聴いている)人間の心に訴える』歌唱ができること。」

 

 これが、自分の「Aqours」に対する、「最大の評価基準」になる。これ自体はいまも、これからもそうですけど(まあ、歌唱と述べましたけど、全身での表現をも含めた、総合的なライブパフォーマンス、ということですかね。特に、しゅかしゅーは、この全身での表現が特に卓越している訳ですけど)。

 

 

 そのような状況で迎えた「1stLive」。しかし彼女たちは、自分が抱いていた不安を、その凄まじい「努力」と「チームワーク」でねじふせてみせた。

 ずっと応援し続けよう。そう心に決めるのに、迷いは必要なかった。

 

 そう。「μ’s」は、2015年7月からですので、「もっと早くに出会えていたらよかった」という感じだったんですよね。

 ですけど、「Aqours」は、いわば実質的には「最初から」追いかけることができている。そう、物語の1ページ目から、共に辿れている感覚って、やっぱり大きいと実感するんですよね。

 

 と申しますのも、『プリパラ』と『アイカツ』。

 『プリパラ』は、無印版のペッパー登場回からの感じでしたし、「アイドルタイム」版の、あのラスト6話、特に第50話は、何回観ても、ただ感動なのですけど、やはり、「もっと早くに出会っていたら、もっと違っていたかも」と感じるのです。

 で、『アイカツ』は、「スターズ」版のラスト5話くらいからの視聴でしたし、正直、スターズのときは、あまり話に入ってこれなかった感覚としてあって。ですけど、「フレンズ」版は、いわば第1話から追いかけられている。あいねちゃん、みおちゃんの成長を、最初から共に辿れる喜びを、観ながら実感するんですよね。

 

 

 少し話が脱線してしまったので、話を戻しましょう。

 「1stライブ」が、2017年2月でした。このときは、「9人みんなが、ほぼ横一線」の感じでした。

 

 その後、2017年8月のブログエントリーにて、自分は、下記のことを、「今後に向けての不安要素」として綴っています。

 

 

 (図解12)2017年8月のブログエントリーの(図解6)にて言及した、「Aqoursが、2ndLive、及び今後に向けてという意味での、2つの不安要素」の再掲。

 

 (1)今後(恐らく今年の年末以後)、テレビ各局の、各種音楽祭に参加する可能性は高いと思われるが(理由は後述)、1曲フルに歌わせてもらえるか、あるいは、9人の顔と名前を、どれほど覚えてもらえそうか、ということ。

 (2)「観る側」(ファン)の「質」としての不安(繰り返すが、演者の「質」に関しては、全く心配していない。むしろ過小評価されないか、の心配はあるけど)。

 はっきり述べれば、コールとか、姿勢的な問題。特に、スクフェス感謝祭2017(6月10日~11日、東京・池袋)に参加した際、自分自身、楽しかった一方で、「強い危機感」を覚えました。

 

 

 この2つに加えて、「ほぼ横一線」の状態が、いつか崩れるときがくる。

 「ほぼ横一線」の状態が崩れたときに、「鉄の結束」といえる「チームワーク」を、恭子にし続けることができるのか、という不安、それが、「第3の不安要素」としてあった感じです。

 (この「第3の不安要素」は、言及しようと思っていたのですけど、時間が取れずに言及できなかった経緯があります。)

 

 結論から述べると、下記の感じになります。

 

 

 (図解13)2017年夏の時点で浮かび上がった「3つの不安要素」は、どれほど克服できているのか。

 

 (1)「各種音楽祭」に出場できたのは、それこそ数えるほど。「FNS歌謡祭」(2017年12月13日)、「SONGS OF TOKYO」(2018年1月8日)の2つのみ。後者はそれなりに大きな扱いがなされていたが、前者は「申し訳」程度(正直自分は、「数合わせ要員」としての出場であったと思っています)。

 正直、「紅白歌合戦」「ミュージックステーションスーパーライブ」「日テレベストアーティスト」のいずれか1つ以上には出場できると思っていたので(2ndライブの西武ドーム公演でのライブパフォーマンスは、既に出場に値する水準には達していると感じていたのですけど…)、ショックでした。

 

 (2)はっきり述べれば、Aqoursの最大の課題である「ファンの質的な不安」、これは改善されていない(むしろ、悪くなっているとさえいえる)。特にFMT(Aqoursファンミーティング)では、ファンの害悪行為(厄介行為)が散見されるありさまで、何回心苦しくなることやら…。

 

 (3)「9人がほぼ横一線」という状況は、「2ndライブ」の少し前くらいから崩れ始めたといえる。はっきりいえば、「BIG3」(あんちゃん、あいにゃ、りきゃこ)と「それ以外」という感じで。

 いつかはそのときは来ることは想像できていたことであり、芸能界という世界である以上、ある種必然ではあるのだけど、むしろ「9人の絆」は「より強固になっている」感じであり、それは個々の人間性もだけど、特に、あんちゃんの「卓越するリーダーシップ」(ただ単に「私についてきて」だけではなくて、メンバーのことを第一義的に考えた上で、「いま何をすべきか」の的確な判断ができている、というニュアンス)が素晴らしいと思う。

 また、「しゅかしゅー」「あいきゃん」のように、成長の目覚ましいメンバーも何人かいることも好材料。あとは、特に「すわわ」がさらなる奮起がなされれば、そして「しゅかしゅー」が2ndライブでの地震を継続性へと昇華させることができれば、「Aqours」の質的な底上げは勿論、さらに一段階、大きなステージが見えてくると思うのだが…。

 

 

 このような感じとしてあるのです。ですけど、「Aqours」のいまの「立ち位置」は、「1stライブ」を迎える前の、自分の中でのイメージに照らして考えれば、

 

 「2年連続で『西武ドーム公演』を開催することに恥じない『クオリティー』を持っていると、自信を持っていえる感じにはなっている。」

 

 そういえる感じなこと自体が、「すごいこと」であると思うんですよね。

 

 

 で、(その2)において、ころあずさん(田所あずささん)のことについて、言及しました。

 何故、あのタイミング(2018年3月下旬)で、「自身の持ち歌の、9日連続でのフルMVの公開」に踏み切ったのか、ということについて。

 「表向きの理由」は、先述にて言及しました。でも、「ほんとうの真意」は、恐らく別のところにもあるのではないか、と思っていて。

 

 能力的には、いわゆる「声優アーティスト」、いや、「アニメソング界全体」でも、「高いレベル」にあると思うのです。

 はっきりいえば、単純な「南條愛乃」や「鈴木愛奈」と勝負しても、互角以上の水準にある、少なくとも自分は、そう解釈しています。

 

 ですけど、これは特に日本で顕著な傾向にあるかなと感じていることですけど、

 

 「『上手な歌手』と『売れる歌手』は、『全くの別物』である。」

 

 正直、現状、ころあずさんは、この「どつぼ」状態に既にあるのかな、と思っていて。

 (スタッフ運営のアカウントであることを割り引いて考えても、ツイッターのフォロワー数は「ふりりん(降幡愛)」にさえ、大きく引き離されている。というか、「10万人」にさえなっていないとは…。)

 

 今年で、「25歳」です。単純に考えれば、ピークは「これから」迎えると思う訳です。

 いまは焦る必要はない。本当はそうであるはず。だけど、やはり歌手として勝負したい以上、いま自分はどれほどの人気を獲得できそうかというのは、どうしても無視できないこととしてあるということ。

 

 これから、「Aqours」のメンバーは、順次ソロ歌手デビューを発表することになるでしょう。

 既に、「ありしゃ、あんちゃん、りきゃこ」が、単独イベントを開催済みであること。

 「あいにゃ、あいきゃん、きんちゃん」は、各種雑誌のインタビューで、歌手志望を公言していること。

 (特にあいにゃは、声優としてもこの7月クールで、『邪神ちゃん』で主演が決まっているので、そこでのソロ歌手デビューの可能性は、決して低くないと思っています。)

 「すわわ、しゅかしゅー」も、将来的な歌手挑戦の意向を示唆していること。

 

 「Aqours」のメンバーのソロ歌手デビューは、「2018年夏~2019年」の間に、恐らく次々と実現することになるでしょう。そう考えると、「タイムリミット」は、そこまでということになる。

 つまり、「いま」勝負しないと、自分(この場合、ころあずさん)は、歌手としては埋もれてしまう。

 (Aqoursのメンバーの動向を、気にしていないはずはないでしょう。レコード会社が(ランティス)ですので、そこに出入りするなかで、否が応でも、いろいろと聞かされるでしょうし。)

 

 だから、「いま」勝負に出なければいけない。逆にいえば、「Aqours」というか、『ラブライブ』のすさまじさをみせつける一つの現れともいえるのかな、と自分は感じるのです。

 

 

 尤も、「Aqours」も、やはり本当の最終目標としては、

 

 「個人として成功すること。」

 

 であると、自分は思っています。でも、そう考えると、「歌手として」「声優として」、いずれの道(その両方を含めて)で勝負するにせよ、下記のようなライバルたちと同じフィールドで勝負せねばならない、と思う訳です。

 

 

 (図解14)Aqoursが「個人として」勝負する場合に、ライバルになってくるであろう、他の女性声優。

 (年齢は2018年12月31時点として計算。☆は「声優アーティスト」、★は「声優一本」。)

 

 佐倉綾音(1994年1月29日、24歳。★)

 東山奈央(1992年3月11日、26歳。☆)

 水瀬いのり(1995年12月2日、23歳。☆)

 小倉唯(1995年8月15日、23歳。☆)

 高橋李依(1994年2月27日、24歳。★)

 悠木碧(1992年3月27日、26歳。☆)

 日高里菜(1994年6月15日、24歳。★)

 黒沢ともよ(1996年4月10日、22歳。★)

 瀬戸麻沙美(1993年4月2日、25歳。★)

 大橋彩香(1994年9月13日、24歳。☆)

 田所あずさ(1993年11月10日、25歳。☆)

 諸星すみれ(1999年4月23日、19歳。★)

 芹澤優(1994年12月3日、24歳。☆)

 豊田萌絵(1995年3月15日、23歳。☆)

 伊藤美来(1996年10月12日、22歳。☆)

 雨宮天(1993年8月28日、25歳。☆)

 麻倉もも(1994年6月25日、24歳。☆)

 夏川椎菜(1996年7月18日、22歳。☆)

 

 

 調べてみると、同年代にこんなにもライバルがいるんだと、正直びっくりします。ここに挙げただけでも、「18人」になりますし(高校野球の1チーム分がちょうど組めてしまう)。

 「世界は広い」、リアルでも実感していることですけど、ある意味、「Aqoursとして」以上に、これからの方が格段に険しい道なんだろうなあ、と強く抱く感じです。

 

 個人として云々のことは、現時点での立ち位置とかは、先述にて言及した感じですけど、「Aqoursとして」という意味でだと、「3rdライブ」に向けて、及び「それ以後」に向けて、どのような展望、課題になってくるのか。

 

 

 正直、「Aqoursとして」ということでならば、メンバー(担当声優)は、「何をするべきか」については、着実にできている感じが伝わってきますし、そのあたりは正直、心配していません。

 ふりりんのプチ騒動(FMT沼津公演、FMT福岡公演の、それぞれ前日に勃発。まあ、自分に言わせれば、「誹謗中傷」であると思っていますが)、あいにゃの足の負傷(FMT幕張公演。現在は回復して、[3rdライブの前哨戦である]函館公演は負傷前の状態に戻っていたと伺う)、といったことこそありましたけど、これらに関していえば、「全く気にする必要なし」といった感じでしょう。

 

 ですけど、「Aqours」が抱えている大きな不安要素が、現状、1つあります。というかそれは、以前から抱え続けており、しかもより悪化しているというのが、自分の解釈です。

 

 そう、いわゆる「害悪(厄介)」の問題。

 これは、「Aqours」のメンバー(担当声優)が、どれほど努力しようとも、ある種、どうしようもない(限界がある)こととしてありますし、だからこそ、「たちの悪い」問題であると思うんですよね。

 で、この「害悪(厄介)」の問題は、「一刻も早く」どうにかしないと、「Aqours」は、「ある段階」で、成長がぱたっと止まってしまいかねない、そう強く危惧しています。

 

 

 「文言に明文化されていなければ、何をしてもよい(→法に書かれていないから規範意識[倫理意識]に抵触し得ないという考え)。」

 

 そのような、「歪んだ考え」を持つファンが恐らく確実に存在している。

 しかも申し訳ないけど、少なくない一定数の比率として。

 (一部といえば一部とは思うが、少なくとも看過できない領域にはあるかと。)

 

 

 2017年8月、つまり、前回のブログ更新記事にて言及したことは、いまもそのまま引きずっている、いや、悪化してさえいる。

 

 「一言一句、いちいちきめ細かく、『やってはいけないこと』を明文化しないと、この害悪行為問題の根絶は、事実上不可能であろう。」

 

 正直自分は、そう解釈しています。御願いですから運営さん、ちゃんと動いて欲しいです、そう強く抱くのです、もう本当に、切実に。自分も既に3回、御要望メールをさせて頂いていますし(3rdライブを前に、改めて御要望メールをさせて頂くことも、真剣に検討中です)。

 

 特に、FMT上海公演。本会場でもLVでも、まあ、凄まじい荒れっぷり。

 確か、LV、4会場くらいで荒れてましたよね?(新宿バルト9、TOHOシネマズなんば、シネプレックス幕張、TOHOシネマズ岡南)。

 

 このときは、正直どうなるかと思いました。でも、その後、FMT名古屋公演を経て、FMT台北公演での、あんちゃんの「魂の挨拶」、そこからの台北公演でのパフォーマンスは秀逸でした。あのピンチから、よくここまで立て直した、それ自体がとても嬉しかったのです。

 

 

 ですけど、「Aqoursとして」という意味でならば、「3rdライブ」は、前向きな感覚で見られる感覚ではあるのです。みどころ、論点はいくつかあるかなと思いますけど、

 

 

 (図解15)「Aqours」3rdライブ、現時点で自分が考える「みどころ」。

 

 (1)「MIRACLE WAVE」で、あんちゃんは「バク転」を発動させるのか。

 (2)「WATER BLUE NEW WORLD」「Wonderful Stories」は、どこで入れるのか。

 (3)「想いよひとつになれ」は、1stライブ以来の披露は叶うのか。

 (4)「ソロ楽曲」は、西武ドームのみか、福岡のみか、それとも全公演を通してするのか。

 

 

 およそ、そのような感じです。自分も、日程と資金が許す限り、LVですけど、参加したいと強く思います。

 (でもいつか是非、現地参加を叶えたいですねえ…。)

 

 

 御拝読して頂いて、とても有難うございます。

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2018年

4月

30日

「2018年春、Aqoursを応援し続けるからこそ自分なりに強く感じること(その3)。」

 ここまで、

 

 (その1)(一人のウィキペディアンとして、何故活動しようと思っているのか。)

 (その2)(「田所あずさ」が「マイブーム」になっている自分。また、『アイドルタイムプリパラ』に感動した自分。)

 

 について、言及させて頂きました。

 

 では、(その3)では、「自分自身がいま感じている、『Aqours』のメンバー、それぞれへの解釈。」について言及させて頂きたいと思います。

 

 

 ここでは、「Aqours」の個々のメンバーに対する、自分なりの解釈、評価を述べようと思います。

 ここでは、「現時点での」ではありますけど、自分の「ありのままの気持ち」を綴ろうと思います。

 細かい分析が、正直あまりできていません。本当ならば、この夏場くらいならば、もっと自分なりに分析できる状態で、とは思うのですけど。申し訳ないです。

 

 推しの度合いの順位でも、人気の順位でも、(声優としての)出演本数の順位でもありません。

 単純に、自分の中での(一人の人間、一人のラブライバーとしての)純粋な「評価順位」と解釈して頂きたいと思います。

 

 

 (図解10)自分が現時点で解釈している、「Aqours」のメンバー(担当声優)、それぞれへの解釈(あるいは、それぞれに対して、いま伝えたいこと)。

 

 

 (1)伊波杏樹(あんちゃん。高海千歌役)

 

 いわゆる「BIG3」の一人ですけど、それ以上に、「(Aqoursの)『絶対的エース』にして『絶対的リーダー』」。名実共に「チーム(グループ)の象徴」ですし、あんちゃんのいない「Aqours」はあり得ない、そういいきってよいほどです。

 

 これは、単純に一人の「表現者」(声優、歌手、いずれの面をもひっくるめて)としてでもなのですけど、それ以上に、一人の「人間」として、においてなのです。

 

 正直、Aqoursの結成当初は、あんちゃんへの負担(はっきり言えば、「一極集中」)が大きすぎないか、誰か、負担を減らせる存在が出てこないかと、実はとても不安でした。

 それは、あんちゃんの「素晴らしさ」「漠然と伝わる魅力」であるが故なのですけど、どんなに「エース」「リーダー」が素晴らしくとも、それがその「強烈な個性」であるが故に「ワンマンチーム」化してしまうと、いずれ「限界」が生まれてしまう、と危惧していたのです。

 

 ですけど、あんちゃんの「素晴らしさ」は、2017年2月の「1stライブ」以後、着実に発揮されていきます。

 1stライブの2日目、『想いよひとつになれ』での、りきゃこのアクシデントのときの効果的な励まし。

 2ndライブの西武ドーム公演、緊張しているすわわに、「一緒に頑張ろう」と寄り添う感じでの、素敵なデュエット。

 

 そして何よりも圧巻は、2018年2月、FMT台北公演。数日前の地震で重苦しい雰囲気の中で迎えた感じであり、Aqoursにとっても、少し前のFMT上海公演で「失意」を味わった状態で、ピンチといえる状況でしたけど、あのときの「真心」のあいさつ。もう、最高に「感動」でした。

 

 あの台北公演。同じ失敗は許されない(尤も上海公演自体、Aqoursのパフォーマンス自体はむしろ水準以上であったとは思うのだが)。最大のピンチをどう乗り切るのか、真価が問われる舞台で、「一人で局面を打開できる」その非凡さ。

 計算をして、そうしたのではない。あんちゃん自身の、内面的な自然の発露が、生み出した「奇跡」。

 

 その後のFMT幕張公演。自分はLV鑑賞ができなくて、自宅でTLを追うことしかできませんでしたけど、あいにゃの突然の負傷という大ピンチを、「一人じゃない、みんながついている」。

 後述にて言及するかなですけど、現実的な立ち位置として、あいにゃは、Aqoursのメンバーの中でも、「最大のライバル」になっていく(というか恐らく既にそうだろうと自分は解釈していますが)感じだと思うのですけど、決して「蹴落とす」のではなくて、認めるからこそ「尊重する」姿勢。

 

 なんというか、あんちゃんの素晴らしさは、「全体を俯瞰できる」ところなんですよね。

 いま、一人の人間として、何をするべきか。それは、一人の「表現者」としても、一人の「リーダー」としても、いずれの意味においても、それを的確に判断できること。

 

 「一人一人が、『エース』であり、『リーダー』である。」

 その「自覚」を持たせられている、それが伝わること。

 「Aqours」は、ステージを経験するたびに、間違いなく着実に成長できていること。

 「Aqours」という、「最高に素敵な『チーム』」。それを生み出せているのは、あんちゃんの「類稀なる』リーダーシップの賜物と思うのです。

 

 どうしても、ほとんどのリーダーは、「自分についてきて!」が、いつしか、ある種の「王様」状態になってしまうリスクが生じ得るのですけど、あんちゃんは、それを全く感じさせない。

 「自分についてきて!」だけではない。むしろ、「一緒に頑張ろう!」。

 一人一人のメンバーに、親身に「寄り添えている」。

 

 「人間、伊波杏樹」。この「奇跡の存在」に出会えていることに、とても感謝の想いなのです。

 

 

 大丈夫。あんちゃんを擁している限り、「Aqours」は、明るい未来が、希望が拡がっているはず。

 そう前向きな気持ちを抱ける感じではあるのですけど(ただし、あんちゃんの「人一倍の努力」だけではどうしようもない要素もあるのだが。そしてFMT上海公演の失意は、この「どうしようもない要素」が悲劇を引き起こしてしまった訳だが)、だからこそそれ故に、「不安」もあるのです。

 

 いつか、「バーンアウト」(突如として燃え尽きてしまう)に襲われてしまわないか。

 誰よりも人一倍、「優しい心」の持ち主であり、「使命感」(「責任感」よりもさらに深い感じ)の塊といってよい。これは、「人間として」は「とても大切なこと」であると思うのです。

 でも、だからこそ、いつかそれが「容量オーバー」にならないか。

 そこが少し、不安要素の感じとして抱いています。

 

 時折、SNS(ツイッター)で自分をうまく発信できなくなっていたりする場面が散見されています。

 (ある程度は、「ぶろぐる」ことでカバーはできているのですが。)

 つらくなったときは、一人で抱え込まなくていいよ。「助けて」って言っていいんだよ。

 そう自分は伝えたい、そう強く抱くのです。

 

 一人の「表現者」という目線でとらえた場合でだと、声優としてのスキルの非凡さは言わずもがななのですけど(正直、そのあたりは現時点では楽観視しています)、先日(4月15日)、品川グランドホールでの、自身初めての単独イベント。

 いずれ歌手としても勝負することは、間違いないだろうと思います。

 

 よく、「表現力」が強調される感じですし、実際、「Aqours」のメンバーの中でだと、「表現力」だけでいえば、「ナンバー1」と言い切ってよいと自分は思っています。

 ですけど、「歌唱力」も、自分は高い水準にあると評価しています(まあ、あいにゃという「すさまじい存在」がいるので、過小評価されがちになるのかもですけど)。

 

 あいにゃ、あいきゃんに次いで、歌唱力も「ナンバー3」にはある感じ。それが自分の評価です。

 単純な歌唱技術以上に、歌詞やメロディー一つ一つの解釈が上手と思っているんですよね。それと、「キャラ声」で歌い切れているところも含めて。

 

 あんちゃんを、これからもずっと応援し続けたい。出会えたことそれ自体が、「最高の誇り」なのだから。

 そのように、正直強く抱く感じです。

 

 

 (2)鈴木愛奈(あいにゃ。小原鞠莉役)

 

 いわゆる「BIG3」の一人。今年(2018年)の7月クールのテレビアニメ『邪神ちゃんドロップキック』で、自身初めての主演が決まっています(映画では、りきゃこが主演経験がありますけど、テレビアニメでは恐らく、あいにゃがAqoursメンバーで一番乗りの主演作品ゲットでしょう)。

 

 最大の魅力は、その「圧倒的な歌唱力」です。Aqoursメンバーとして「ナンバー1」なのは言わずもがなですけど、自分はその歌唱力はもはや、

 

 「J-POP一本で考えても、既に高いレベルにあると思う。少なくともアニメソングの世界でだと、『水樹奈々の領域』に到達できる貴重な存在。本人が望むならば、そして巡り合わせも出てくるだろうけど、少なくとも『日本武道館』『横浜アリーナ』、いや、『SSAスタジアムモード』『西武ドーム』まで到達し得る潜在能力は充分にあると思う。

 少なくとも現時点においてでも、『アニサマ2014でのナンジョルノ(南條愛乃。自分は「μ’s」メンバーでナンバー1の歌唱力の持ち主と思っている)』との比較で、既に『同等以上』(タイプが異なるので単純比較はできないが)と強く思っています。」

 

 それくらい、自分はその歌唱力は「アニメソングの世界では、既に最高レベルに限りなく近い」と考えています。

 だって、いくつかの楽曲を聴くだけでも、それは充分に証明できていると思うのです。

 

 

 「G線上のシンデレラ」(3年生楽曲。2ndの西武ドーム公演で披露された)

 「少女以上の恋がしたい」(3rdシングル[HPT]のカップリング曲の一つ。2ndで披露された)

 「Daydream Warrior」(2ndで初披露されたが、「盛り上がり曲」の一つになり、T-SPOOKなどでも披露。)

 

 いま、3曲を挙げましたけど、それ以上に、あいにゃの「すごさ」を、この1曲だけで充分にわかって頂けるはず、という楽曲を3曲挙げます。リンクを貼ります。

 

 

 [1]「サンシャインぴっかぴか音頭」(YouTube。振付動画。特に「3:15~3:30」。)

 (https://www.youtube.com/watch?v=PRttl820kN0)

 

 [2]「Gulity Eyes Fever」(YouTube。新宿ユニカビジョン。ただし一部「害悪奇声」に留意。)

 (https://www.youtube.com/watch?v=A9OA6El1JNg)

 

 [3]「New windind road」(YouTube。鞠莉ソロ曲。視聴動画なのでshort verなことに留意。)

 公式による(https://www.youtube.com/watch?v=-EKACRpqOJc)

 歌詞付き動画(https://www.youtube.com/watch?v=onKIO9dO0OM)

 

 

 あくまでも、「鈴木愛奈」名義ではなくて、この場合、「小原鞠莉」名義です。

 キャラ声で歌わねばならないので、ある程度成約は出てしまいます。それでいて、このクオリティーです。

 

 よく、「口からCD音源」と言われますけど、あいにゃのすごさは、「私、上手でしょ?」が全くないんですよ。「気が付いたら、魅了されてしまった」、いわば、そんな感じ。それでいて、「これから、どこまで伸びるんだろう?」という、ある種の末恐ろしさです。

 

 歌唱力の「圧巻さ」について、いま言及しましたけど、自分は「表現力」も高いレベルにあると思っています。より細かいところは、できれば、主演作の『邪神ちゃん』を見た上でできればとは思うのですけど(尤も絵柄的には、許容できる「ぎりぎりライン」な感じっぽくもありますが…)、少なくとも、「小原鞠莉」を演じ切るには、トーン、音質の使い分けとかで、高い技術レベルが求められると思うのです。それができている時点で、表現力だって「既に非凡である」と思うんですよね。

 

 で、技術的な素敵さも然りなのですけど、あいにゃが、評価順位で既に高い位置にあるとみなす大きな一つの要素として、その「優しさ」があります。

 1stライブの2日目、『想いよひとつになれ』でのアクシデント。

 

 「大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫。もう1回やろう、もう1回。大丈夫、絶対大丈夫、大丈夫。」

 

 記憶が正しければ、ですけど、りきゃこへのこの言葉。

 文字に起こすと、上記のような感じですけど、あのときの、一つ一つの「言葉」、そして言葉に現れない「息遣い」。

 

 「はっちゃけ屋」「おじさん」。よく、そういわれます。

 確かに、いわゆる『リーダータイプ』かといわれると、少なくとも現時点では、そうではない。

 

 だけど、いざというときに、あいにゃの眠っている「人間的な魅力」は、引き出される。

 本当は、「自分のこと以上に、周りの人間のことを誰よりも強く想える人間」。

 

 2017年10月、「T-SPOOK」が間近に迫っていたとき、「浦の星女学院生放送」で、ありしゃ(小宮有紗)が体調不良に陥り、明らかにつらそうにしていたことがあったかと記憶するのですけど、あいにゃが、そっと励まし続けていたんですよね。

 それが自分はとても嬉しかった。「T-SPOOK」で、ありしゃは元気そうな姿を見せることができたと伺いますけど、それは「あいにゃの励まし」の賜物といってよい、少なくとも自分はそう解釈しています。

 

 異次元レベルの「歌唱力」。非凡なレベルにある「表現力」。そして、周りの人間を大切にできる「素敵な人間性」。

 あんちゃんに決して遜色ない、こんなとても素敵な人間。あいにゃに出会えたこと、それ自体がとても嬉しい。

 

 

 惜しむらくは、あいにゃの、ほぼ唯一最大の課題(短所、欠点)として、「SNSでの発信能力の拙さ」を感じます。

 もっと「自分」を出して欲しい。そう強く抱くのですけど、現状、ツイッターはよくも悪くも、ほぼ「宣伝垢」状態です。声優アーティストとして「最高の高み」を目指せる貴重な超逸材だからこそ、これは大きな課題と自分は思っています(「いい選手」でよいならば、いまのままでも問題ないのですけど、合いに屋に求められている領域は、「いい選手」よりも何段階も上の領域ですので)。

 

 下手でもいいんですよ、「自分の言葉」で、ありのままの気持ちを、自分はこういう人間です、というのを発信できれば。

 例えば、「μ’s」でいえば、内田彩さん。他の女性声優だと、竹達彩奈さん。

 この2人は、実にツイッター(SNS、ブログ)の使い方がうまいと感じています。

 (実際、内田彩さんについては、ツイッターでの「言葉の力」が、「推し」の度合いを高める大きな要素になった感じですし。)

 

 とはいえ、FMT札幌公演で、すわわが、あいにゃの好きなところについて「全部」と述べたこと。

 それは、それほどに、あいにゃが最高に素敵な「人間的魅力」の持ち主であるから、と自分は思います。

 

 出会えて有難う。これからもずっと、大好きだよ。そう強く抱く感じです。

 

 

 (3)逢田梨香子(りきゃこ。桜内梨子役)

 

 いわゆる「BIG3」の一人。昨夏(2017年8月)からスタートした、映画『くまのがっこう』シリーズで、主人公のジャッキー役をつかみました。自分も鑑賞させて頂きましたけど、話の内容も素敵だし、りきゃこの「表現力」も、「ジャッキーがりきゃこで、最高に嬉しいよ」と感じましたので。

 

 いま述べたように、りきゃこの最大の魅力は、「卓越する表現力」です。「表現力」単体でいえば、あんちゃんに決して遜色ない、自分はそう強く感じます。特に「情感」の表現が素晴らしいんですよね(これは、梨子ちゃんの演技でも示されているといえるでしょう)。

 もともと子役出身と伺っていますけど、表現力はそれがベースになっているのかな、と。あんちゃんにもいえますけど、吹き替えで高いレベルで勝負できる(いわゆる洋画だけではなくて、韓国ドラマという活路だって近年はある訳で。むしろ洋画よりは韓国ドラマの方が合うかなと個人的には思ってますが)、それのみならず、映像や舞台でも勝負できると自分は思っているんですけどね(勿論、あくまでも本人が望むならば、の話ではあるけど、「芝居全般」で勝負できる存在になって欲しいのが、自分の正直な願いです)。

 

 表現力の卓越ぶりもですけど、自分は「歌唱力」も、水準以上はある(歌手志望組3人[あいにゃ、あいきゃん、きんちゃん]+あんちゃんには、さすがにやや見劣りかもだけど、それに次ぐレベルは既にあると思っている)、と思っています。

 より厳密には、純粋な歌唱技術はともかくかもだけど、それを充分に補って余りある「表現力」でカバーできている、それだってれっきとした「技術」だと思うんですよね(「μ’s」でいえば、内田彩がこのタイプ。飯田里穂もこれに近いタイプといえるかも)。

 

 それと、りきゃこの魅力の一つとして、「Aqours」では、ありしゃと「2トップ」といえる、「素敵なルックス」(ありしゃとは、ルックス的な魅力のタイプが異なるので、どちらが素敵かは単純にはいえないと申し添えさせて頂きますが)。愛らしい顔立ち、穏やかな笑顔。自分も辛いときとかに、りきゃこの歌っている場面なり、グラビアやインタビューを読むと、不思議と元気になれますから。

 

 SNS(ツイッター、インスタ)での発信能力の高さも、りきゃこの「大きな持ち味」の一つと思います。

 セルフプロデュースが上手い。あいきゃん、ありしゃあたりとの積極的な絡みも、個人的には大好きです。

 

 

 そのような感じですけど、りきゃこにも、課題(短所、欠点)として感じていることがあります。

 時折、(本人は悪意はないとは思うのだが)「言い方に『けんがある』場面が散見されている」ことです。これは、ライブでのMC時や、webラジオ(Aqoursとして)のときに、ということですね。

 「けんがある」というのは自分の言い回しであって、「とげがある」と言い換えて頂いてよいかな、ですけど。

 

 ユーモアを交えたいというのは、悪いことではないのです。だけどユーモアが通じない人間も、中にはいる訳で(というか実は自分が、「ユーモアが全く通じない人間」なのですが)。

 ユーモアなり、あるいは他のメンバーを「いじる」のも、ほどほどにしよう(FMT意向は、改善傾向にあるとは思っています。これは、自身でwebラジオ番組を持つようになって、自覚が芽生えてきたことが大きいのかな、ですけど)。でも、りきゃこならば、これは克服できると自分は信じています(というか信頼できているからこそ、自分だって、りきゃこへの「推し」の度合いは、わりと高い部類である訳でして)。

 

 もう一つ、Aqoursで最年長なのだから、もっとリーダーシップを、という意見もあるかもですけど、それについては、無理をする必要はない、表現力の面で「背中でついてきて」で充分大丈夫だから、と自分は思っています。FMTのラストである幕張で、MCを任されたことは、自覚をより促す一助になっていると思いますし。

 ほんとうは、りきゃこは「温かい人間」であるはず。あのとき(1stライブ)で、みんなが支えてくれたのだから、自分も「思いやり」を大切にしよう、それができる人間だと自分は信じていますので。

 

 これからも、温かく応援し続けたい。一人の「表現者」としても、一人の「人間」としても。

 大きな高みに到達できる存在だと思っているから。自分は、そう思っています。

 (恐らく「ソロ歌手デビュー」もいずれするでしょうけど、1stライブ2日目の『想いよひとつになれ』で、ステージにいた4人、つまり、「りきゃこ、あんちゃん、あいにゃ、すわわ」は、「ソロ歌手」個人として「横浜アリーナ」のステージに立つ、それが強い願いですので!)

 

 

 (4)小宮有紗(ありしゃ。黒澤ダイヤ役)

 

 個人的には、「BIG3」と決して遜色ない、表現力を中心に「総合力に優れる」貴重な存在と考えています。

 やはり、女優出身であるからか、「魅せる術(すべ)」を熟知している。

 個人的には、(あくまでも、「本人が望むならば」になってくるかなですけど)「『映像』と『アニメ(吹き替え)』の架け橋役」に慣れる存在である、と自分は思っています。

 

 というのも、後述にて言及できればと思うのですけど、一つは、声優はもとは俳優の一分野から成立した経緯があるから、ということ。

 また、近年は(特に実写映画で)「漫画が原作の映画」が、年々増加傾向にあるんですよね。

 自分が見た作品でも、「ヒロイン失格」「プリンシパル」「君の膵臓を食べたい」など。

 アニメ版と実写版が「全くの別物」になるのは、自分はよくないことと思っているのです。それぞれ、アニメ、実写だからこその良さを出しつつ、その作品に流れている「根っこの要素」はちゃんとつながっていて欲しい、そう強く願うんですよね。

 

 そのためには、「声の芝居」「全身の芝居」の両方を、高い次元でできる人間が、少なくとも1人(個人的には複数人は必要と思っていますが)は必要と思う。しかし現状は、そのようにはなっていません(「映像」とは何のためにあるのか、わかっている人間がどれほどいるのだろうか…)。

 だからこそ、ありしゃには、そのあたりを期待したいですし、それができる存在であると、自分は思っているのです。

 

 少し話を脱線させたかもしれませんけど、ありしゃの魅力は、やはり、「オールラウンダ―」であるところと思うんですよね。ただそれは、「器用貧乏」であってはいけない、と思っていて。何か一つ、きらりと光るものがあって欲しいと思うんですよね。

 

 既に、単独イベントを経験していると伺っています。ということは、いずれソロ歌手デビューをするのでしょう。ただ、もしも歌手としても勝負するならば、生半可な気持ちではやって欲しくない。

 「Aqours」のメンバーの場合、歌手一本、あるいは歌手に大きなウェートを置いて勝負することを示唆しているメンバーが多くいると感じていますけど、その意味で、どのようなビジョンを描いているのだろう?と思う部分が、正直あります。

 

 

 とはいえ、ありしゃには、個人としての魅力として「表現力」「グラビアが映える」があることと共に、Aqoursにおいても、大きな役割があると自分は思っているのです。

 

 自分は、Aqoursの「最大の課題の一つ」に、「あんちゃんの負担をどうやって軽減できるか」があると思っています。

 プレー面では、あいにゃ(特に歌唱面)、りきゃこ(特に表現面)が、軽減する役割を十分に果たしつつあります。

 ですけど、精神面のことです。あんちゃんは、人一倍の責任感の持ち主と感じています。自分のことよりも、メンバーのこと。それ自体は、「人間として」とても素晴らしいことと強く思う。

 でも、すべてを抱え込むと、いつかあんちゃんが「壊れてしまいかねない」。精神面であんちゃんの負担を軽減できる存在、それがAqoursには最も必要なんだ、と思っているのです(本当は、それこそ、りきゃこに求めたいのだけど、りきゃこは「背中で引っ張るタイプ」であり、それはある種持って生まれたものが大きいので、ある種仕方がない)。

 

 その意味で、ありしゃには、あんちゃんを「精神面で」特に支えて欲しいと思っているのです。

 Aqoursの中で、最も経験が豊富であるから、それもあるのですけど、いざというときに、「場を引き締められる存在」、それができるのは、ありしゃこそ最適任と思っているんですよね。

 スクフェス感謝祭2017、閉会式のときに、その一端が垣間見られていましたけど(あんちゃんは、よくも悪くも心が優しいところがあり、あのときはそれがマイナスに作用してしまっていた。勿論、優しさは、本来は人間として最も大切な要素なのですけど)、「優れたチームは、優れた参謀役がいてこそ」、そう自分は強く思っているんですよね。

 

 「μ’s」では、プレー面での「BIG3」(ナンジョルノ、うっちー、みもりん)に加えて、そらまるという「精神的支柱」、りっぴーという「マスコット役」が、絶妙なバランスを生み出す大きな原動力になっていたと思うのです。だからこそ「μ’s」は、「最高のチーム」を具現化できた。

 

 その意味で、ありしゃには、「精神的支柱」としてを大いに期待したいと思いますし、それができる存在であると思うから、応援するのです。

 あ、それと、グラビアでも存分に活躍して欲しいこと、及び、「真夏は誰のモノ?」での、ふりりん(あいあい)との、息の合った感じ、いつまでも、役(黒澤姉妹。ダイルビ)でも、素顔(一人の人間として)でも、素敵な絆を深め続けて欲しい、そう強く抱きます。

 

 

 (5)降幡愛(ふりりん[あいあい]。黒澤ルビィ役)

 

 「Aqours」では貴重な「個性派」です。これは、もとの声質の「独特さ」もですし、「黒澤ルビィ」役に求められる独特のスキルが、よりそうさせている部分もあるでしょう。

 ツイッターで時折アップする、素敵なイラスト。クリエーター志向を伺わせるところ。それも、「個性派」テイストをより一層際立たせるのかもしれません。

 

 いろいろな意味で、ある種の「名誉別枠的存在」なのです。「歌唱力」について、いろいろな解釈が聞こえてきていますけど、自分は、単純な既存の解釈で測れるようなものではない(そもそも「表現すること」において、例えば野球の「セイバーメトリクス」のような、統計的な考え方で単純に測る、比較することは不可能といえる)、そう強く抱くのです。

 ですけど、少なくとも、「歌唱力」が水準以上のレベルになければ、Aqoursの、長丁場のライブを最後まで「スタミナ」を保ち続けることは、あるいは、クオリティー(歌唱の質)を落とさずにやり遂げることは、恐らくできないと思うのです。

 

 ですけど、少なくとも、一つはっきりといえることがあります。

 「表現力」「プロ意識」は、「Aqours」の中でも最高レベルにあること。「プロ意識」というのは、「目に見えない人一倍の努力」をも含めてです。

 もっといえば、「Aqours」で「最も過小評価されている」メンバー(担当声優)であると思うのです。

 

 映像(実写)の世界で、「個性派」「怪優」と称される役者さんが、何人かいます。

 本田博太郎さん、清水紘治さん、嶋田久作さん、田中要次さん、相島一之さん、等が挙げられるかなと思いますし、女性でだと、大島蓉子さん、阿知波悟美さん等が該当し得るかなと思いますけど、ふりりんって、そういった存在に相通ずる感じがするんですよね。

 

 どういうことかというと、「個性派」「怪優」というのは、「この役者だからこそ成立し得る役」「この役者にしかできないであろう役」ができる人間、ということであると思うのです。いわば、この「怪優」がいないと、作品自体が成立しなくなる、みたいな。

 で、そういった演技って、独特の高いものが要求されると思うのです。求められる技術は、主人公(主演)とは、また異なってくるのかなとは思うのですけど、でも、主演と同等〈あるいはそれ以上〉の「卓越した表現力」がなければ、務まらないことには変わりはないはず。

 

 その意味で、ふりりんの持っている「表現力」は、自分は、あんちゃん、りきゃこと決して遜色ない、むしろ、視点によっては上回っているかもとも言えるのでは、と自分は思うのです。

 

 恐らく、「声優」一本、あるいは「声優」と「クリエーター」の両立(ナレーションの才能も感じるので、それも視野に入れる感じになるのかな、と想像ですけど)、のいずれかかな、とは思うのですけど、「ふりりんらしく」、何よりも特に、そう強く抱く感じです。

 『フォトテクニックデジタル』での連載記事、「降幡写真工房」、これからも、楽しみに拝読させて頂きたい、と思っております。

 

 

 (6)諏訪ななか(すわわ。松浦果南役)

 

 「努力の人」。いつだって何事にも全力で一生懸命。裏表がなくて、周りの人間のことを想える。

 必ずしも目立つ感じではないかもしれない。でも、本当はとても「優しい」人間。

 それは例えば、1stライブ2日目の『想いよひとつになれ』で、示されているといえるでしょう。

 

 それでいて、「ななあいにゃ」の名コンビぶり。

 よく、「百合営業」と言われますけど、自分はそうは思いません。

 まあ、これは自分の想像ですけど、「すわわ」が「あいにゃ」のことが「大好き」なウェートが、特に強いのかな、とは感じていますけど。

 

 ですけど、「すわわ」が「あいにゃ」の「好きなところ」について、「全部」と回答したことは、「ありのままの気持ち」と強く抱きますし(と同時に、「あんちゃん」を人間として尊敬していることも、これもまた正直な気持ちであろうことが伝わってきますけど)、また、「あいにゃ」が「すわわ」の「好きなところ」について、「英語が得意なところ」、これも真であるよね、強く抱く感じとしてあります。

 

 そう。すわわって、決して人前には見せようとしませんけど、何事にもいつも「150%」(いや「200%」?)の感じで取り組む(ぶつかっていく)感じが、とても伝わるんですよね。これは、インタビューにおいても強く滲み出ている感じとしてあって。

 だからこそ、自分も、「すわわ、大好きだよー!」なんですよね。もう、「推し」の度合いが特に強い一人ですし、それはこれからもずっとそうであると思う、そう強く感じています。

 

 

 ですけど(だからこそ、でもあるのですが)、いま自分は、すわわに対して、「強いもどかしさ」を正直感じています。

 

 「すわわの持っている潜在能力は、こんなものじゃないんだ!もっと素敵な才能、持ち味が、きっとあるはずなんだ!だけど、いまのすわわは、持っている潜在能力の『30』でさえ、出し切れていない(いや、『10~20』くらいかもしれない)。こんなものじゃないんだ、あんちゃん、あいにゃ、りきゃこの『BIG3』と同等クラスの潜在能力はあるはずなんだ!」

 

 そう。はっきり述べます。いま、すわわの評価順位について、6番目に記載させて頂いてますけど、持っている潜在能力に対して、現在どれほどアウトプット(表出)できているかという意味でだと、「申し訳ないけど、ぶっちぎりで9番目(最下位)」であると思っています。

 「ぼろくそ」に思われるかもしれませんけど、これが自分の正直な解釈、感覚です。ですけどそれは、自分はすわわの「可能性」を高く評価しているが故、であると思って頂ければなのです。

 

 「声の仕事に1年でも長く」、と述べています。独特の甘い声質を活かした、ナレーション方面は、特に大きな強みが発揮され得るかな、とは正直感じます。

 で、(恐らくそう遠くない将来での)ソロ歌手への挑戦の意向も、既に示唆済みです。大学でミュージカル、歌を学んでいたことは伺ってはいますし、「感受性の豊かさ」は、すわわの大きな魅力の一つと思いますので、ソロ歌手として輝いて欲しい、この思いは正直強く抱いています(先述のりきゃこへの評価の欄で言及したように、すわわには「ソロ歌手として横浜アリーナのステージに立つこと」が自分の強い願いです!)。

 

 「表現力」「歌唱力」のいずれも、自分は大きな伸びしろがあると思っているのですけど(ただ、どちらかといえば、より強みになり得るのは「表現力」になってくるのかな、と思っていますが。歌手として勝負する場合は、単なる「歌唱技術」よりも、「表現的な引き出し」をより前面に活かして、それを「歌唱の質の向上」へとつなげていくスタイルになってくるのかな、と自分は思っています)、勿論、「声優」「歌手」「ナレーター」としても成功して欲しいと強く抱いているのですけど、一つ、すわわの「持ち味」を活かし得る道として、挑戦して欲しいことがあります。

 

 「舞台」「ミュージカル」。

 

 独特の声質もですけど、自分は、すわわは「身体を活かした動き」「ステージ映え」に優れると思っていて(しゅかしゅーも、似たような持ち味を持っているのですけど、その中でも、しゅかしゅーとはまた異なる魅力がある、と感じているんですよね)、「舞台」「ミュージカル」だと、すわわの持ち味がより「生きる」と思うんですよね。

 まあ尤も、特に「ミュージカル」は、日本の芸能界の中でも、ほぼ「完全実力主義」が徹底されているので、一見向いていそうでも、簡単にできるものではない、とも伺うのですけど。

 

 ただ、少なくとも、「舞台」は挑戦した方がよいかな、と思っていて(朗読劇からでもよいと思う)。

 そこで「全身の芝居」「生きた息づかい」を体感することが、「声優」「歌手」としても生きてくるのでは、そうすれば、眠っている潜在能力が花開き得るのでは、自分はそう思っているのです。

 

 それと、「吹き替え」。あんちゃん、りきゃこは既に取り組み始めていますし、ふりりんも(本人が望めばですが)充分通用する感じとして映ります。

 ですけど、すわわこそ、この「吹き替え」に挑戦して欲しい。その独特の声質を活かせる場所はきっとあると思いますし、1年でも長く現役でという意味でだと、「吹き替え」にできるだけ早く挑戦して欲しい、そう強く抱く感じです。

 

 

 もうねえ、悔しいんですよ、自分は。繰り返しになりますけど、すわわの持っているものは、「こんなものじゃないんだ!」と。

 はっきり言って、2ndライブツアーは、すわわが主人公にならねばならなかった。そう、「MVP」は「すわわ」であって欲しかった。

 しかし、正直、名古屋公演でのすわわは、持っている全力を出し切れなかった、不本意なパフォーマンスレベルと言わざるを得ない感じでした。西武ドーム公演になり、特にあんちゃんとのユニット曲や、「Daydream Warrior」とか、自信(きっかけ)になったかな、と思う感じではありますけど。

 

 とはいえ、厳しいことをいろいろと述べるのは、それは、自分はすわわの「可能性」を高く買っているから、それ故であるのです。

 「μ’s」でも、特に、しかちゃん(久保ユリカ)は、マイクを置いて以後に、一気に飛躍した感じがありますし(今年になってからは、しばしの休息状態かなと思いますけど、「前向きな休養」と自分は解釈しています)。そのようになって欲しいなあ、と。

 

 それにそもそも、有力な「プロスペクト」でなければ、「声優グランプリ」の連載を勝ち取ることはできない訳で。

 努力はいつか、きっと報われるはず。そう強く信じている。これからもずっと、応援しています。

 だって、すわわが、大好きですから。これまでも、これからもずっと。

 

 

 (7)斉藤朱夏(しゅかしゅー。渡辺曜役)

 

 「Aqoursの太陽、元気印」。いつだって、「とびっきりの笑顔」。

 「場を明るくできる」、それ自体が稀有な才能、そう強く抱きます。

 

 しゅかしゅーといえば、「笑顔」と共に、「ダンス」。

 その「ステージ映え」は、他の追随を許さない。

 「μ’s」のくっすん(楠田亜衣奈)は、「大きく」という感じでしたけど、しゅかしゅーは、「美しく」「優雅に」という感じなんですよね。どちらも、「みとれる」感じではあるのですけど、それぞれに魅力がある感じで。

 

 思えば、くっすん。「μ’s」の「ファイナルライブ」で、「MVPを1人選びなさい」と言われたら、自分は即答で「くっすん」なのです。そう、あのときのくっすんは、「神が舞い降りた」圧巻のパフォーマンスだった。歌唱力に難があるという声も聞こえてきていたけど、大きな成長を存分に見せ付けた。少なくとも自分は、そう解釈しています。

 

 で、しゅかしゅー。特に圧巻なのが、1stライブでの「夜空は何でも知ってるの」。

 あれは本当にすごかった。何回観ても、最高に素敵。そう強く抱きます。

 

 それ以上に、2ndライブ。自分は、しゅかしゅーこそ「MVP」といえるパフォーマンスと強く感じてます。

 (純粋な歌唱面だけでいえば、あいにゃこそMVPだろう、という解釈もできるかなと思いますけど、1stからの「純粋な成長の度合い」のみでいえば、しゅかしゅーこそ「目覚ましい成長」を強く感じたのです。)

 

 

 インタビューで(このGWから3rdの間に、改めて特に分析し直そうと思っているメンバーでもあるのですけど)、「ステージへのこだわり」を、繰り返し述べています。また、ソロ歌手としての将来的な挑戦の意向も、既に示唆しています。

 自分の持ち味をよくわかっている、と思いますし、「声優」「歌手」、どちらに軸足を置くのがベターかといえば、「歌手」(より厳密には「声優アーティスト」路線)が望ましいように、自分は思います。

 

 それと共に、「舞台」「ミュージカル」ということにも、積極的に挑戦して欲しいと思っています。

 というか、「ミュージカル」こそ、しゅかしゅーが最も生きる道かもと、自分は思っているんですよね。

 

 

 そのような感じですけど、いま、自分は評価順として、7番目としていますけど、「Aqours」メンバーの人気順でいえば、トップクラス(りきゃこ、あんちゃんと「BIG3」。いずれも「2年生組」になる訳ですが)であると思うのですけど、それに比して、実質的な活動量としてはどうなのか。

 現状、申し訳ないですけど、「人気先行型」。本人はそのつもりではないと思いますし、というかむしろ、何故しゅかしゅーはこんなに扱いが軽いのか、ふざけているのか、過小評価にも程があるだろうと正直感じているほどですけど、現状、

 

 「曜ちゃん(渡辺曜)への極度の依存状態」「踊るグラビアアイドル要員」。

 

 このような状態に映ってならない、それが正直、とても気に掛かっています。

 

 「身も心も曜ちゃんと思っています」「ステージでは、渡辺曜として貫こうと思っている」

 各種の雑誌のインタビューにて、しゅかしゅーは真顔でこう述べています。確かに、Aqoursのライブ、浦の星女学院生放送とかを見ていると、それは「真」であることが、ひしひしと伝わってきます。

 

 とはいえ、現状、「曜ちゃん」を取り除いて考えたら、「ほぼ何も残らない」(先述のすわわでも、脇役なりナレーションなりの仕事はある)現状としてある。ファン感情を除外して考えたときに、どう解釈すればよいのか、どう展望を描けばよいのか、正直つかみづらい感じとしてあるのです。

 

 「プロは結果がすべて」という言葉。ここ2年くらいで、特に急速に耳にするようになりました。

 しゅかしゅーの「真価」は、だいぶあとになってから、わかってくることになるのだろうか。

 「大器晩成」。「しゅかしゅー」だからこその道を、見出して欲しい。

 

 「BLT VOICE Girls」での連載。しゅかしゅーの連載記事は、自分自身、いつも欠かさず拝読させて頂いています。これからもずっとそのつもりです。

 だって、しゅかしゅーの「笑顔」は、「生きる勇気」を自分に与えてくれるから。

 誰よりも「頑張り屋さん」のしゅかしゅーは、「絶対に報われて然るべき」なんだ。

 

 いつか、最高に素敵な「花」を咲かせる、そのときを信じて。あなたを信じている、応援している人間は、たくさんいるのだから。

 「きっかけ」さえつかめれば、「日本武道館」「横浜アリーナ」のステージは、きっと届くはず。

 経験を積むたびに、推しの度合いが上がっていく。自分にとって、しゅかしゅーは、そのような存在です。

 これからもずっと、応援しています。しゅかしゅー、大好きだよ。

 

 

 (8)小林愛香(あいきゃん。津島善子役)

 

 「Aqours」の歌姫。あいにゃがあまりにも圧倒的なので、過小評価されがちですけど、元来、歌手志望であることもあってか、その「歌唱力」は、あいにゃに次ぐ「ナンバー2」、それでいて「ダンス」も非凡なものがあり、Aqoursのライブパフォーマンスの面では、想像以上に大きな存在意義があるといえるかなと思います。

 

 基本的に、歌手一本(あるいは歌手主体)の活動になっていくのかな、と自分は解釈しています。

 声優として活動することも、今後十分あり得るでしょうけど、それは、主題歌を担当する作品であることが前提、というイメージになってくるかな、と。

 

 先程、2ndライブのMVPは、しゅかしゅーである、と述べました。

 ですけど、MVPに、あいきゃんを挙げる見解も、結構多く見掛けます。

 (自分が不参加であった神戸公演では特に、あいきゃん絶賛で溢れるTLになっていましたし。)

 

 いま、8番目に書いています。ですけど、これは「μ’s」のぱいちゃん(Pile)にもいえることですけど、本当の勝負は、ソロ歌手としてデビューしてからである、と思うんですよね。

 それに、持っている潜在能力的には、もともと自分は悲観的であった感じで。よく、ここまでクオリティーを高めているよね、と(これは、表現力の面をも含めてです)。

 SNSでのファンサービスの熱心さも、大きなプラスといえるでしょう。

 

 強いて挙げれば、シニョン姿よりも、ふつうに卸したり一つ結びにしたりする方が合うかなあ、と思う感じではあるのですけど、そう考えると、善子(ヨハネ)に最大限に近付けようという努力の現れとも思う訳で、その「プロ意識」も、称賛されて然るべきと思うんですよね。

 これからも、温かく見守りたいと思います。

 

 

 (9)高槻かなこ(きんちゃん。国木田花丸役)

 

 最大の持ち味は、その「歌唱力」であると思います。あいにゃが一目を置くほどですので、間近で聴くと、恐らく独特の素敵さがあるという感じなのでしょう。

 確かに、上手いとは思うのです。ですけど、現状、その「歌唱力」は、「4番目」であると自分はみなしています(あいにゃ、あいきゃん、あんちゃんに次ぐ、というイメージ)。上手いのかなとは思うのですけど、キャラ声かといえば、恐らく必ずしもそうではない(まだ、ぱいちゃんの方がキャラ声で歌えていた)。

 

 「場を盛り上げる」、それでいて「場を引き締める」ことができる。両方を高いレベルで対応できるところは、きんちゃんの大きな「強み」「持ち味」であると思います。あんちゃんを精神的な意味でサポートできる意味では、ありしゃと共に貴重な存在というのが、自分の解釈です。

 

 で、将来的には、「歌手一本」あるいは「歌手にウェートを置く」感じがより望ましいのかな、とは思うのですけど、きんちゃんは、長い手足をより生かして、それこそ「舞台」「ミュージカル」(特に後者)に挑戦する方がより活きると、自分は思っているんですよね(本人的には、できるだけアニメに携われるように、とは思っているかなとは想像するのですけど)。

 いろいろと経験を積むことで、「ほんとうに自分が勝負したいこと」へと生きていくのではないかな、と。

 

 そういえば、2017年の夏場あたりから、自身のことを「きんちゃん」と表現するようになった、これは、SNSでの旺盛なファンサービスもですけど、「親しみやすさ」を強く意識している、これってとても大切なことであると思うんですよね。

 

 「明るくて一生懸命」。これがきんちゃんの、最大の「魅力」であると思いますし、同じ関西人でもありますから、やはり、輝いて欲しいと強く願っているのです。特に、恐らく大好きであろう「歌」でこそ、最高に輝いて欲しい、と。

 これからも、温かく見守りたい、そう強く抱く感じです。

 

 

 まとめると、下記のような感じになるのかな、と思います。

 あくまでも、「現時点での」「私見的な」解釈(評価)ですけど。

 

 

 (図解11)自分が現時点で解釈している、「Aqours」のメンバー(担当声優)、それぞれの分野別敵な立ち位置。

 (発信力とは、「SNS、ブログでの発信力」と「インタビューでの発信力」の総合評価です。)

 (視野の広さとは、チームとして取り組むときとかに、周りのことをどれほど考えながらできているか、というニュアンスです。)

 

 あんちゃん(表現力1、歌唱力3、ライブステージ映え3、グラビア映え5、発信力3、視野の広さ1、人気3、将来性1。合計20。総合力1)

 あいにゃ(表現力5、歌唱力1、ライブステージ映え1、グラビア映え6、発信力7、視野の広さ3、人気6、将来性2。合計31。総合力2)

 りきゃこ(表現力2、歌唱力5、ライブステージ映え4、グラビア映え2、発信力2、視野の広さ6、人気2、将来性3。合計26。総合力3)

 ありしゃ(表現力4、歌唱力8、ライブステージ映え8、グラビア映え1、発信力4、視野の広さ2、人気4、将来性6。合計37。総合力4)

 ふりりん(表現力3、歌唱力別枠、ライブステージ映え別枠、グラビア映え7、発信力9、視野の広さ8、人気9、将来性7。合計43+α。総合力5)

 すわわ(表現力6、歌唱力6、ライブステージ映え6、グラビア映え4、発信力6、視野の広さ4、人気7、将来性5。合計44。総合力6)

 しゅかしゅー(表現力7、歌唱力7、ライブステージ映え2、グラビア映え3、発信力1、視野の広さ5、人気1、将来性4。合計30。総合力7)

 あいきゃん(表現力9、歌唱力2、ライブステージ映え5、グラビア映え8、発信力5、視野の広さ9.人気5、将来性8。合計51。総合力8)

 きんちゃん(表現力8、歌唱力4、ライブステージ映え7、グラビア映え9、発信力8、視野の広さ7、人気8、将来性9。合計60。総合力9)

 

 

 およそ、そのような感じです。

 では、すみません、続きを(その4)にて綴らせて頂きたく思います。

2018年

4月

26日

「2018年春、Aqoursを応援し続けるからこそ自分なりに強く感じること(その2)。」

 (その1)において、「一人のウィキペディアンとして、何故活動しようと思っているのか。」について述べました。

 

 では、(その2)では、「いま自分が『マイブーム』になっている、ある女性の声優アーティスト。」について言及したいと思います。

 

 

 今年(2018年)になって、自分の中で「マイブーム」になっている、ある女性の声優アーティストがいます。まあ、本職は声優になるのでしょうけど、自分の中ではむしろ、歌手がメインのイメージです。ちなみに、ラブライブ声優ではありませんので、念のため。

 では、それは誰か。

 

 「『田所あずさ』さん。」

 

 いま、目下、この人の歌(音楽、歌唱力)にうとれてしまっているんですよね。

 もともと、歌唱力が高いイメージはあって、その評判も聞こえてきてはいましたけど。

 

 何がきっかけで「マイブーム」になったのかと申しますと、このツイートからです。

 

 (https://twitter.com/AzusaTadokoro/status/976111226433384449)

 

 3月21日から、ツイッターにおいて、突如として「9日間連続で1日1曲ずつ、持ち歌MVフルサイズ公開」。

 企画(試み)自体は、「おお、踏み切るんだ!やったー!」である訳です。

 しかしその一方で、「何故、いま、このタイミングで?」でもあった感じです。

 (タイミング、あるいは想像し得る思惑については、後に言及しようと思いますが。)

 

 

 以前から、田所さん(ころあずさん)については、勿論存じてはいたのですけど、「持ち歌MVフルサイズ公開」を決行する以前の、田所さんのイメージは、下記のような感じでした。

 

 

 (図解3)「持ち歌MVフルサイズ公開」決行以前の、自分(愛球人)の中での、田所あずささんのイメージ。

 

 (1)かわいらしい。長い髪が似合う。いい意味で純粋な感じ。

 (2)歌が上手い。過小評価されているイメージ。恐らく元来は歌手志望?

 (もともと、「ホリプロスカウトキャラバン」のグランプリがきっかけで芸能界入りしたことは、存じてはいました。)

 (3)「アイカツ」シリーズに出ている声優さん。

 (後述にて言及しますけど、「アイカツ」シリーズを見るようになったのは、それこそ最近のことです。)

 (4)ネガティブ思考(いくつかの声優雑誌のインタビュー記事を閲読して)。

 

 

 ずっと以前から、気に掛かっている感じでは、あったんですよ。

 ですので、いつか機会を持てれば、じっくり歌を聴きたい感じでは、あったのです。

 ですから、突如として登場した、「9日間連続で1日1曲ずつ、持ち歌MVフルサイズ公開」。

 この機会を絶対に逃すまい、という感覚でした(このときは、実は自分的にはいろいろと予定が入ってしまっていたのですけど、上京のときとかでも、ネットカフェとかで対応は可能ではあったので、そういったときをも含めて、是非視聴させて頂きたいなあ、と)。

 

 そのような感じですけど、特に強い衝撃を覚えたのが、ラストのMV映像です。

 

 

 (図解4)「DEAREST DROP」(田所あずさの6thシングル)。

 (テレビアニメ『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』OPテーマ曲。)

 

 YouTube(https://www.youtube.com/watch?v=94W5nENM0iM)

 Twitter(https://twitter.com/AzusaTadokoro/status/979010310529998849)

 Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/DEAREST_DROP)

 歌詞タイム(http://www.kasi-time.com/item-81664.html)

 

 

 一通り、ラストまで聴きました。5分4秒(YouTubeのMVフルサイズ動画では、「5分15秒」)。

 「もっと評価されていいはずだよ!この楽曲を歌い切れるって、すごい歌手だと思うよ?」

 聴き終えたとき、楽曲から想像する景色から伝わる切なさもですけど、気が付けば、涙が溢れだしていました。勿論これは、ある種の「感動」「衝撃」を含めてなのですけど。

 

 この楽曲。いろいろな意味で、実に「奥の深い」楽曲と思います。

 歌詞からしてスケール感を感じますし、楽曲自体が、転調が多用されている。

 技術レベルのみならず、表現力も要求されますし、これを歌い切るにはかなり高いスキルが必要といえる。

 言い換えれば、この楽曲を歌い切れるということは、歌手として「高いレベル」の能力の持ち主と言い切ってよいと思うのです。

 

 まあ、他の楽曲に比して、YouTubeの視聴回数でも、歌詞タイムの閲覧回数でも、数字が(感覚として)けた1つ違う感じですし、ころあずさんの「代表曲」を1つ挙げよ、と言われたら、少なくとも現時点ではこの「DEAREST DROP」で即答でしょう(先日[4月21日]の沖縄での合同野外ライブでも、この楽曲を歌唱していますし)。

 

 

 この「DEAREST DROP」1曲だけでも、「ねっ?ころあずさんって、素敵な歌手でしょ?」ということが、イメージして頂けるだろう、と思う感じですけど、自分の「色」を持った歌手なんだな、というのが、他の楽曲から見てとることができるかな、と自分は感じています。

 

 

 (図解5)田所あずささんの、歌手としての「軌跡」、そしてそこから見えてくる独特の「色」。

 

 (1)1stシングル「DREAM LINE」。

 (「前向きになりたい」という自身のイメージが伝わってくる、いわば「原点」、「等身大」。)

 (https://www.youtube.com/watch?v=CCm7FTapusA)

 

 (2)2ndシングル「君との約束を数えよう」。

 (この楽曲から「ロック路線」が始まるけど、まだ激しさはない。それでいて、ころあずさんの魅力の一つ、「クリアな声質」が活かされている。)

 (https://www.youtube.com/watch?v=rvSLGh353DY)

 

 (3)3rdシングル「純真Always」。

 (自身初のアニメタイアップ楽曲。1st、2ndの両方のよさを落とし込んだ楽曲といえる。それでいて、よくも悪くも「あどけなさ」「プロスペクト感」を想起させる感じだけど、それがむしろ「勇気付けられる」感じでいいというか。)

 (https://www.youtube.com/watch?v=sBy76SY6zoQ)

 

 (4)4thシングル「1HOPE SNIPER」。

 (「少年探偵団」楽曲2部作の1作品目。ここから「ロック路線」が鮮明になり、激しさを強調するようになっている。いわば自分の「色」を示し始めた楽曲といえる。)

 (https://www.youtube.com/watch?v=2m8cen-PNzM)

 

 (5)5thシングル「運命ジレンマ」。

 (「少年探偵団」楽曲2部作の2作品目。「ロック路線」をより先鋭化させた感じになっている。でもそれでいて、「クリアな声質」「言葉を大切にできているところ」が融合されているのが、ころあずさんの「非凡さ」といえるかなと。)

 (https://www.youtube.com/watch?v=IuDU12KNoeQ)

 

 (6)6thシングル「DEAREST DROP」。

 (およそのことは、先述にて言及したとおり。自身にとって必ずしも得意とする方向性ではないかもしれないけど、歩んできた道の「結晶」が凝縮された、「純粋にとても高い質の楽曲」といえる。自分が「アニメ、女性声優ソングのベスト20」を選出せよと言われれば、まず確実に選出する。)

 (https://www.youtube.com/watch?v=94W5nENM0iM)

 

 〈7〉3rdアルバム「So What?」の楽曲の一つ、「ストーリーテラー」。

 (アルバム楽曲であることもあってか、ついにロック路線へと「完全に振り切った」印象。もう、「激しさ全開」。ここまで先鋭的になると、「すがすがしい」というか。でも、「色」を強烈に示していて、「とても素敵」。)

 (https://www.youtube.com/watch?v=5apJdqnJXvI)

 

 

 いかがでしょうか?ころあずさん(田所あずささん)が、歌手として歩んできた「軌跡」、そしてそれを通して生み出された「色」が、イメージできるのでは?と思う感じですが。

 

 実は自分は、いわゆる「ロック」は、大の苦手だったんですよ。

 例えば「GLAY」「L'Arc〜en〜Ciel」とかは、「生理的に受け付けない」感じでしたから。

 

 ですけど、東日本大震災の復興支援活動を通して、自分にとって「最も大切な友人」に出会ったのですけど、その人が、このロック調が大好きなんですよね。

 頭では、理解しようとする。でも、心が受け付けない。そういったもどかしさを抱えながら、数年が経過したのですけど、2016年の「Mステスーパーライブ」にて、メインボーカルのHydeさんが、globeの「DEPARTURES」を歌唱したのを聴いたときから、だんだん解釈がプラスの方向へと変化していったんですよね。

 

 そして、ロックの権化といえば、「X JAPAN」。子どものときは、正直、大の苦手でした。

 ですけど、2017年3月、ドキュメンタリー映画「We Are X」を鑑賞したときは、ただただ感動で。

 ちょうどその少し前に、「ZARD」の25周年記念フィルムライブを鑑賞したのですけど、「ZARD」と「X JAPAN」は、「永遠の伝説」なんだなあ、と強く実感の感じです。

 

 

 で、ある意味で、「1HOPE SNIPER」「運命ジレンマ」「ストーリーテラー」は、「女性版GLAY」って感じなんですよね。でも、それでいて、「マイナスの気持ち」は生まれないのです。むしろ、「へえ、こういう考え、表現もあるんだ」と前向きに捉えられる感じで。

 なんというか、自分の「道」を追い求めている感じが伝わるんですよね。きっとロックの本来の魅力って、こんな感じなのかな、って。

 

 だからこそ、強く感じるのです。もっと評価されて欲しい。過小評価されていないかなあ…?と。

 

 そのような感じですけど、先日、「アイカツフレンズ!」第2話を視聴させて頂いたとき。

 

 

 (図解6)「アイカツフレンズ!」ED曲『Believe it!』。

 (「Love Me Tear」[ラブミーティア]。田所あずさ[神城カレン役]、大橋彩香[明日香ミライ役])

 (第2話でもライブステージ楽曲として使用されている。)

 

 第2話ライブステージ(https://www.youtube.com/watch?v=TjQtRvczVq8)

 アニメ放送開始前MV(https://www.youtube.com/watch?v=blIX0rKLqcA)

 

 

 はっきり言います。「レベルが違う」。

 「ラスボス感」って?当たり前でしょ?

 ころあずさんもですけど、大橋さんも、もともと歌唱力に定評があることは存じてはいましたけど(すみません、いわゆる「アイマス系列」は、名前しかわからず、楽曲とかはほぼ全くわかりません…)、この2人の化学反応は、「期待を裏切らない」と申しますか。

 

 とはいえ、この「アイカツ」シリーズ。観るようになったのは、実は最近のことです。

 前作「アイカツスターズ!」の、それこそ最終版(ラスト5話くらい)から。

 ですので、がっつり鑑賞できるようになったのは、今作の第1回からです。

 

 これはやはり、「最初から物語を追い掛けられるから」、だから、物事のイメージを描きやすい、それが正直な感覚としてあるのです(これはAqoursにもいえることですし)。

 主人公の、友希あいねちゃん(松永あかね)。笑顔が素敵で、爽やかで、等身大。

 もう一人の主人公、湊みおちゃんと共に、成長を温かく見守りたい、層前向きに思える感じです。

 

 それにしても、「ラブミーティア」。髪型の相違を除けば、その髪色といい、それぞれのキャラクターの雰囲気といい、歌唱力の「公開処刑」ぶり(「レベルが違う」というニュアンス)といい、「μ’s」の「えりまき」と重なって映るのは、自分だけでしょうか?

 (批判のつもりはゼロです。「褒め言葉のつもり」と解釈して頂けると嬉しいです。誤解されるのは嫌ですので。)

 

 

 だけど、ころあず(田所あずさ)さん、何故「2018年3月末」のタイミングで、「9日間連続で1日1曲ずつ、持ち歌MVフルサイズ公開」に踏み切ったのか。

 理由の大きな一つは確かに、「新曲シングルに向けてのプロモーション」でしょう。そして新曲に、手応えをつかめそうだから、だからいま勝負に出よう、それはあると思います。

 まして、「DEAREST DROP」は、大きな自信を得る感じになったはず。この流れをつかむには、次のシングルこそ真価が問われる、いわゆる「そらそうよ」という感じです。

 でも、それだけではないと自分は思うのです。もっと深い思惑が、恐らくあるだろう、と。

 それについては、後述にて言及させて頂こうと思いますけど。

 

 

 で、いま、「アイカツ!」シリーズについて、言及させて頂きました。

 「ラブライブ!」シリーズと同様に、この「アイカツ!」シリーズも、いわゆる「音楽アニメ」「アイドルアニメ」です。

 「音楽アニメ」でいえば、もう一つ、テイストが似ている作品があります。

 

 「プリパラ」シリーズ。特に、これから言及しようと考えている、「アイドルタイムプリパラ」。

 無印時代の、「太陽ペッパー」登場回のときから、コンスタントに観るようになったのですけど(ですので、2016年の8月くらいからかな?)、「アイドルタイム」のラスト6話(第46話~第51話)は、もう、「圧巻」でした。

 

 特に、一生大切にしたい、永遠に心に刻み続けたいと思える回。

 「アイドルタイムプリパラ」第50話です。もう、観ている最中から、涙が止まらなかった。

 こんなに強く「感動」することは、恐らくそうはないだろう、それほどの感じでした。

 感覚的には、「μ’s」(ラブライブ!)2期の第11話、第12話に匹敵の感じでしょうか。

 

 

 (図解7)「アイドルタイムプリパラ」OP曲及び挿入曲、「Memorial」。

 (2018年1月~3月、第40話~第51話にてOP曲として使用[第50話を除く]。また、第50話では、挿入曲として使用された[一部アレンジあり]。)

 

 Memorial、OP曲として(https://www.youtube.com/watch?v=1HmJOhnycvM)

 第50話、Memorial単体(https://www.youtube.com/watch?v=t-CVPwx3u5M)

 第50話、Believe My DREAM!単体(https://www.youtube.com/watch?v=hOVJVJ432l0)

 第50話、ライブシーン全体(https://www.youtube.com/watch?v=S6Cd1Nc800g)

 第50話、レインボウメロディー(https://www.youtube.com/watch?v=xkm8L-CoEbU)

 (第50話のみ、ED曲として使用された。)

 ED曲、WELCOME TO DREAM!(https://www.youtube.com/watch?v=_JlTDaoWWgk)

 (第50話では使用されていない。)

 Memorial フル歌唱バージョン(https://www.youtube.com/watch?v=TopINTzonk4)

 Memorial スペシャルムービー(https://www.youtube.com/watch?v=mxYhgAxQxGw)

 

 

 なんというか、「Memorial」という楽曲自体が、最高にとても素敵な楽曲と強く思いますし、歌詞やメロディーから、目を閉じながら聴くと、頭に浮かぶその「情景」は、実にとても素敵な感じとしてある。

 μ’sの(そしてアニメソングとしての)「最高傑作」にして「最高の結晶」である『僕たちはひとつの光』に、決して勝るとも劣らないクオリティー、正直そう強く感じます(「僕光」より素敵とは正直認めたくはないので、そこまでは言いませんけど、純粋に素敵なのは「素直に認められて然るべき」と思う訳です)。

 

 それに、「アイドルタイムプリパラ」の第50話(これを含めた、ラスト6話が全体を通して圧巻なのも含めてなのですが)が秀逸なのは、

 

 ・演者一人一人の「魂の演技」(特にファララ、ガァララ)。

 ・作画が綺麗(これは『プリパラ』シリーズの最大の長所であると思う)。

 ・一つ一つの話を丁寧に掘り下げられていること。

 

 正直言います。この『アイドルタイムプリパラ』第50話は、

 

 「日本のテレビアニメがいままで培ってきたことを総結集した『渾身の30分間(実質的には25分程度?)』である。」

 

 そう強く抱くのです。

 

 

 自分は、「ラブライバー」です。ですけど、『ラブライブ!』『プリパラ』『アイカツ!』それぞれに魅力があるはずと強く抱くのです。まあ、『アイカツ!』については、本格的に見始めたのが2018年に入ってからですので、詳しい言及はできないのですけど。

 

 

 (図解8)『ラブライブ!』と『プリパラ』、それぞれの魅力。

 

 (1)『ラブライブ!』

 ・1人1人のキャラに光を当てている。

 ・「2.5次元」ありき。キャラもだけど、担当声優を愛でるもの。

 ・一つ一つの楽曲の質が素晴らしい。

 ・意識的かはわからないけど、「泣ける」場面が随所に盛り込まれている。

 

 (2)『プリパラ』

 ・登場人物や場面描写の掘り下げが丁寧。

 ・作画が秀逸。特にライブシーンでそれが顕著。

 ・ほぼ確実にライブシーンあり。音楽好きにはたまらない。

 ・2~3話くらい飛ばしてしまっても、話の大枠がつかめるように配慮されている。

 

 

 どちらもそれぞれに素晴らしいと思うのです。ですけど、『プリパラ』『アイカツ!』(あるいは、『リルリルフェアリル』でもそうですけど)は、「年単位」かけて描くんですよね。これってとても大切なこと、と自分は思っていて。

 

 いまのテレビアニメは、(連続ドラマじゃあるまいし、の感じで、)ほとんどが「1クール単位」なのです。

 もっと話を丁寧に掘り下げたほうがよいのに、と思う作品でも、1クール単位。

 「ラブライブ」「シンフォギア」「バンドリ」、あるいは「ようこそ実力至上主義の教室へ」「Charlotte」とかも。

 

 隣国である、韓国。自分自身、時折、韓国のテレビドラマを見ることがあります。

 韓国のテレビドラマって、「1クール単位」に、必ずしもこだわらないんですよね。

 (まあ、週2回単位で放送することが少なくない、という特有の事情もあるのですが。)

 

 一例を挙げましょう。

 

 

 (図解9)韓国のテレビドラマ、主なドラマの総話数。

 

 『奇皇后』(MBC、2013年~2014年。全51話)

 『オクニョー運命の人ー』(MBC、2016年。全51話)

 『君は僕の運命』(KBS、2008年~2009年。全178話)

 『シークレット・ガーデン』(SBS、2010年~2011年。全20話)

 『ラブレイン』(KBS、2012年。全20話)

 『君を愛した時間』(SBS、2015年。全16話)

 『王は愛する』(MBC、2017年。全40話)

 『ミッシングナイン』(MBC、2017年。全16話)

 

 

 いま、8作品を挙げましたけど、実にまちまちです。年をまたぐ作品も、いくつかあります。

 100話を超えるスケールの作品もありますけど、16話とか20話とか、日本ではまず考えられない総話数である作品も、少なくないことが想像できるかなと思います。

 

 「規則正しい」。これは日本人の長所の一つと、よくいわれます。

 ですけど、これって、裏返しとして「しゃくし定規」になりがちなんですよね。

 「長所は短所」という言葉がありますけど、これがマイナスの面で作用していること。

 日本のテレビアニメ(テレビドラマ)の悪いところって、この「しゃくし定規」感なんですよね。

 

 もっと柔軟性を持ってできないものか。例えば、これから言及しようと思う「Aqours」(『ラブライブ!サンシャイン』)でも、正直、「全20話×2シリーズ」の方が、より丁寧に話を掘り下げられて、「言いたいこと」を過不足なく伝えられて、より有意義にできたのでは(まあ、話の内容自体は、「μ’s」時代と遜色なかったと思う感じではありますけど)、そう自分は強く抱くのです。

 

 

 では、すみません、続きを(その3)にて綴らせて頂きたく思います。

2018年

4月

26日

「2018年春、Aqoursを応援し続けるからこそ自分なりに強く感じること(その1)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第49回のブログエントリーの論題は、「2018年春、Aqoursを応援し続けるからこそ自分なりに強く感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の48回目になります。

 

 およそ半年ぶりのブログ更新であり、4回連続で「ラブライブ!」絡みの話題になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 今回は、およそのアウトラインをまず明示することから始めようと思います。

 

 (1)実は、自分は「ウィキペディアン」です。

 (2)いま自分が「マイブーム」になっている、ある女性の声優アーティスト。

 (3)Aqoursの可能性を感じた、2ndライブ、FMT。

 (4)Aqoursに感じる希望ある未来、しかしその一方で不安要素も…。

 (5)Aqours(及び個々の担当声優)に叶えて欲しい「見たい景色」。そしてそのために大切なこと。

 

 およそ、このような感じです。

 では、まず、前回(2017年8月)のブログエントリーのリンクを添付させて頂いてから、本論を進めたい、と考えております。

 

 

 (図解1)前回更新(2017年8月3日)のブログエントリーのリンク。

 (1)「『第2回1000人絶叫』への参加、及び、μ’sへの『永遠の愛』の再認識。」

 (https://cms.e.jimdo.com/app/cms/preview/index/pageId/2386594490?public=https://aikyujin.jimdo.com/2017/08/03/1000%E4%BA%BA%E7%B5%B6%E5%8F%AB-aqours1stlive-%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E6%84%9F%E8%AC%9D%E7%A5%AD2017-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6aqours2ndlive-%E5%8F%8A%E3%81%B3%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%85%88%E3%81%B8%E3%81%A8%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%AB%E6%84%9F%E3%81%98%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%91/)

 (2)「自分自身がいま感じている、『μ’s』のメンバー、それぞれへの解釈。」

 (https://cms.e.jimdo.com/app/cms/preview/index/pageId/2386652090?public=https://aikyujin.jimdo.com/2017/08/03/1000%E4%BA%BA%E7%B5%B6%E5%8F%AB-aqours1stlive-%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E6%84%9F%E8%AC%9D%E7%A5%AD2017-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6aqours2ndlive-%E5%8F%8A%E3%81%B3%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%85%88%E3%81%B8%E3%81%A8%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%AB%E6%84%9F%E3%81%98%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%92/)

 (3)「『Aqours1stLive』において感じた、『Aqours』の可能性。」

 (https://cms.e.jimdo.com/app/cms/preview/index/pageId/2386679990?public=https://aikyujin.jimdo.com/2017/08/04/1000%E4%BA%BA%E7%B5%B6%E5%8F%AB-aqours1stlive-%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E6%84%9F%E8%AC%9D%E7%A5%AD2017-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6aqours2ndlive-%E5%8F%8A%E3%81%B3%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%85%88%E3%81%B8%E3%81%A8%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%AB%E6%84%9F%E3%81%98%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%93/)

 (4)「『Aqours2ndLive』、及び、その先へと向かって自分なりに感じること。」

 (https://cms.e.jimdo.com/app/cms/preview/index/pageId/2386737290?public=https://aikyujin.jimdo.com/2017/08/04/1000%E4%BA%BA%E7%B5%B6%E5%8F%AB-aqours1stlive-%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E6%84%9F%E8%AC%9D%E7%A5%AD2017-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6aqours2ndlive-%E5%8F%8A%E3%81%B3%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%85%88%E3%81%B8%E3%81%A8%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%AB%E6%84%9F%E3%81%98%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%94/)

 

 

 今回のブログを読み進めて頂くにあたって、できることならば、この6つのブログエントリーを(精読ではなくとも、ざっくりとでよいですので)拝読して頂いてから読み進めて頂けると、とても有難く思います。

 

 では、本題へと入ります。

 

 

 なぜ、今回、前回更新のブログエントリーのリンク添付から入らせて頂いたのか。

 理由は正直、いくつかあるのですけど、最大の理由の一つとして、

 

 「実は、自分は『ウィキペディアン』です。」

 

 ということです。これ、実は、前回のブログエントリー(2017年8月)の(その4)のラストで、少し言及はしていたのですけど、そのときは、「ひっそりと」言及する感じだったんですよね。

 あのとき、自分は、下記のことを書きました。

 

 

 「そう。「μ’sの18人」「Aqoursの18人」。

 最高に輝かせるために、自分に何ができるか。

 模索し続けている感じではある。だけど、できることには、どうしても限界がある。

 限界がある中で、できるベストを尽くしたい。それって何があるだろうか。

 

 そこで、自分が、微力ながら取り組んでいるのが、

 

 「Wikipedia(ウィキペディア)での活動」

 

 です。実は、何人かのμ’s声優(南條愛乃、内田彩、楠田亜衣奈、飯田里穂)、及び、Aqours声優(一通り、全員に関わっている感じです。今後は絞られていく感じかなではありますが、少なくとも現時点では)の人物欄について、比重はともかく、ある程度、自分自身、編集にかかわらせて頂いております。

 

 書きかけの項目は、正直少なくないです。特にAqours声優については、節構成がぐだぐだの現状ですし、8月中を目途に、改良作業に着手したい感じではある。

 自分が手がけているμ’sの数人のメンバーについても、例えば、内田彩については、先日、大幅な加筆修正を施しましたが、南條愛乃についても、8月中を目途に、改良作業に着手したい感じであるのです。

 

 編集を手掛けるために、参考文献を収集する作業。

 これ、結構、労力がかかります。おのずと、相応の資金を投じることにもなります。

 一つ一つの文章を執筆することも、ディテールまで神経を使います。

 ただ単なるファンサイトではない。その中で、いかにして魅力を伝えるか。

 

 そう、一人でも多くの人間に、魅力を知って欲しい。

 この担当声優(メンバー)には、こんな素敵な魅力があるんですよ、って。

 それを、参考文献という根拠を示しながら綴る作業。

 ある種、自分自身が鍛えられる感じなのです。

 

 

 とはいえ、やはり、できる範囲というのはある訳で、例えば自分が手がけるのは、基本、「人物」に関係することに絞っています。楽曲リストや、ライブ履歴を手掛けることも、時折ありますけど。

 その一方で、「出演作品リスト」は、基本的にノータッチです。

 自分よりも詳しいであろう人間に委ねる方が、より伝わりやすいだろうと思いますので、と。

 

 とはいえ、そこには悩ましさも、少なからずどうしても起こってしまいます。

 ああ、どうしよう、困ったなあ、と思っているのが、みもりん(三森すずこさん)。

 自分よりも、みもりんのことが大好き、みもりんのことに詳しい、そういう人間にこそ、人物的な魅力を綴って欲しい、そう強く抱く。

 だけど、業績の割に、みもりんの人物の記述、手薄な感じを、正直抱いています。

 あるいは、ぱいちゃん(Pile)、シカちゃん(久保ユリカ)も然りです。

 シカちゃんは、以前に比してだと、記述量は増えている感じではありますが。

 

 

 できる範囲で、できることをしよう。

 正直、wikipediaでの活動も、「まったりペース」ではあるのです。

 実際、先日まで、およそ5か月間、活動休止状態でしたし。

 

 というか、自分がμ’s、Aqoursのwikipediaの活動にかかわらせて頂いていること、隠すのは大変でいた。

 いつかは公表せねばならないだろう、でも、適切なタイミングを、ずっと探していた感じであったのです。

 いま、このタイミングだったら、しっくりいくのかなと思い、公表に踏み切ることにしました。

 ある種のリスクも、背負う感じではあります。でも、考えた末に、できうこととして見出した方法。

 だって、「μ’s」「Aqours」、それぞれのメンバーの魅力を、知って欲しいから。」

 

 

 およそ、そのような感じなんですよね。まあ、尤も、なかなかまとまった時間が取れなくて、そして体調もなかなか一定しなくて、やりたいと思っていても、やろうと思っていても、時間ばかりが経過していく、それが正直な感覚としてあって。

 

 μ’sの場合でだと、南條愛乃の大幅な改稿(加筆修正)は、いつか着手しようとは思っているのですけど、なかなかできずにいる感じですし。内田彩も、いつかまた、改めて大幅な加筆修正を施す感じになるのかなあ、の感じとしてありますし。

 

 さらに問題は、Aqoursです。現状でだと…。

 

 鈴木愛奈、諏訪ななか、降幡愛(2017年12月時点。「BLT voice girls vol.32」までは反映させていますが…。)

 伊波杏樹、逢田梨香子、斉藤朱夏、小宮有紗など(2016年11月時点。つまり、1stライブのときまでしか更新できていません…。)

 

 で、今年の6月9日土曜日から、「Aqours 3rd LoveLive Tour!」が開幕します。

 なんとしてでも、それまでには1人でも多く、更新作業を進めよう。頭では、そう強く抱いているのです。

 

 ですけど、現実論としては、更新作業の着手開始は、いわゆるGWが終わってから。

 (理由は単純で、GWは自分がPC環境にいないから。)

 故に、進められる時間は、「およそ1か月程度」。進められない日も恐らくありますし、実際はもっと短くなると思われる。

 

 そもそも、いくつもの出典の記述(主に紙媒体。「人物像」を掘り下げることがメインになる訳ですけど、雑誌だけでそれぞれ、10冊近くクラスになってくる)を、それぞれの断片的なことを、自分なりに言葉に、文章に落とし込んでいくことになる。この作業自体に、そもそも膨大な時間と労力になるのです。

 で、自分の場合、(これは勉強においても、あるいは人間関係においても、になってしまうのですけど…)なじんでいくと、とんとん拍子に進んでいくのですけど、なじむ(慣れる)までが、かなりの時間を要してしまうんですよね。ですので、(実はこのブログもそうですけど、)書き出すのが大変なのです。

 

 1人でも多く、更新作業を進めよう。少なくとも、頭ではそれはわかっている感じなんですよね。

 ですけど、およそ30日間で9人というのは、正直あまりにも時間が足らない。だけど、せめて「4~6人程度」は、更新作業を済ませた状態で、西武ドーム公演初日を迎えたい、そう強く思っているのです。

 

 ただ、ウィキペディアンとして活動するのは、勿論、「やりがい」は強くあるのです。

 文章を通して、その人物や物事の魅力を伝えられる。自分自身が、学び感じることが正直多くあるのです。

 

 ですけど、その一方で、「プレッシャー」も結構あったりしますし、「疲れ」を起こすことも、実は少なからずあったりします。ある意味、SNSでいう、「facebook」のようなものです。

 自分だけで書くのではない。いわば、「共同作業」であること。(実際、「出演」「ライブ・イベント」の節とかは、他の参加者にほぼ完全に委ねていますし。他の参加者の方が、そういったことは、現実論として詳しいですから。)

 これに加えて、現実世界がやはり第一義ではありますので、それとの(特に時間的な)折り合い、これがなかなか大変だったりしますけど(正直、少なくとも、Aqoursが「最高のエピローグ」を迎えるまでは、ウィキペディアンを続けたいと思っていますけど、そのときに現実世界での自分がどのような状況なのかにもよってくるかな、ではあったりしますので)。

 

 

 で、自分は、「ウィキペディアン」であることについて、いま、『やりがい』を持てている感じではありますけど、自分が活路を見出したのが、「文章を通した発信」であり、それで辿り着いたのが「ウィキペディア」であった訳なのですけど、ラブライバーが、Twitter(ツイッター)以外で存在感を示している場所の一つとして、「YouTube」があります。そう、「YouTuber」です。

 

 ラブライバーの「YouTuber」は、自分が存じているだけでも、何人かいます。

 恐らく実際には、「10人以上」(いや、もっといるかも?)の感じでしょうか。

 一例を、下記にあげようと思います。

 

 

 (図解2)自分が把握している(視聴頻度がそれなり以上にある)、ラブライバーのYouTubeチャンネル。

 

 色エンピツさん

 ホーム(https://www.youtube.com/channel/UCq4sQjnRJtr8y3sqEYVvJzg)

 概要(https://www.youtube.com/channel/UCq4sQjnRJtr8y3sqEYVvJzg/about?disable_polymer=1)

 

 ラブライブ!声優4thさん

 ホーム(https://www.youtube.com/channel/UCFyLrAcFJdSlYBVwhHwSwiw)

 概要(https://www.youtube.com/channel/UCFyLrAcFJdSlYBVwhHwSwiw/about?disable_polymer=1)

 

 Aqours声優ウォッチャーさん

 ホーム(https://www.youtube.com/channel/UC-pYoK9ztSQ_er19r0fu9-g)

 概要(https://www.youtube.com/channel/UC-pYoK9ztSQ_er19r0fu9-g/about?disable_polymer=1)

 

 れーぎゃるんさん

 ホーム(https://www.youtube.com/channel/UCnsuhqoYjE4hfF-NqLkAKJQ)

 概要(https://www.youtube.com/channel/UCnsuhqoYjE4hfF-NqLkAKJQ/about?disable_polymer=1)

 

 オティカちゃんねるさん

 ホーム(https://www.youtube.com/user/TheKoheimovies)

 概要(https://www.youtube.com/user/TheKoheimovies/about?disable_polymer=1)

 

 ちるふさん

 ホーム(https://www.youtube.com/user/COINEATERch)

 概要(https://www.youtube.com/user/COINEATERch/about?disable_polymer=1)

 

 友紀さん

 ホーム(https://www.youtube.com/channel/UCVxL-_7GWpNbp5ZmVN0QX6w)

 概要(https://www.youtube.com/channel/UCVxL-_7GWpNbp5ZmVN0QX6w/about?disable_polymer=1)

 

 便利屋にとりさん

 ホーム(https://www.youtube.com/channel/UCJXiIRfSOi0DD1uFdVMAJuA)

 概要(https://www.youtube.com/channel/UCJXiIRfSOi0DD1uFdVMAJuA/about?disable_polymer=1)

 

 そーまさん

 ホーム(https://www.youtube.com/channel/UC1dfgejw7maAhcITaglL-4A)

 概要(https://www.youtube.com/channel/UC1dfgejw7maAhcITaglL-4A/about?disable_polymer=1)

 

 

 いま挙げただけでも、9人います。後述(その2)にて言及しますけど、いまや、「YouTuber」をモデルにしたアイドルアニメが登場しているほどですけど、正直、こんなにもいるんだ、と思う感じです。

 しかも、「9人9色」なのです。それぞれに、個性がある感じで。

 

 特に、れーぎゃるんさんは、同じ関西であることもあって、今年1月の奈良での上映会(Aqoursの1st)、れーぎゃるんさんが主宰していたのですけど、参加させて頂きました(130人程度くらいでしたかね?)。

 

 (http://twipla.jp/events/265568)

 

 いまリンクを添付させて頂いたのが、れーぎゃるんさんのAqoursの1stの上映会のTwiplaのリンクです。

 

 え?愛球人さんは、「YouTuber」になろうとは思わないんですか、って?

 はい、「まず考えられない」でしょう。何故って、「そもそも仕方がわからない」から。

 

 話すことは、好きなんですよ。でも、自分は「Youtuber」に恐らく「向いていないだろうなあ」と思っていて。

 

 「あがり症」「人見知り」「早口な傾向」「やや噛みがち」「面倒くさがり」。

 

 思い浮かぶ要素だけでも、実に5つもあります。

 特に「あがり症」「人見知り」の2つは、自分にとって「永遠の課題」です。

 

 

 それと、子どものときから、「書くこと」が好きなんですよね。

 文章でだと、自分なりの「気持ち」を伝えられるから、と申しますか。

 その延長線上として、「ウィキペディアン」としての活動がある。

 自分の中では、正直、そのような感覚であるのです。

 

 ちなみに、実は、ラブライブ関係以外にも、何人か別の女性声優の編集もしたことがあります。

 あと、野球好きでもあるので、野球関係(特に野球選手)の編集も、ちょくちょくすることがあったりします。

 「打ち勝つ野球」が好きだからか(これは子どものときからそうです)、打者の編集が多い感じです。

 それに打者だと、ネット媒体を中心に、出典が多くヒットしやすいことも、理由の一つにはありますし。

 

 およそ、そのような感じですかね。まあ、「ウィキペディアン」としての活動は、現実世界との兼ね合いがやはりどうしても出てきますし、これまでもですけど、今後も、まったりと活動させて頂くかなのイメージですけど、Aqoursの3rdライブ開幕までに、1人でも多く更新作業をさせて頂きたい、とは強く考えております。

 

 

 では、すみません、続きを(その2)にて綴らせて頂きたく思います。

2017年

8月

04日

「1000人絶叫、Aqours1stLive、スクフェス感謝祭2017、そしてAqours2ndLive、及びその先へと向かって自分なりに感じること(その4)。」

 ここまで、

 

 (その1)(『第2回1000人絶叫』への参加、及び、μ’sへの『永遠の愛』の再認識。)

 (その2)(自分自身がいま感じている、『μ’s』のメンバー、それぞれへの解釈。)

 (その3)(『Aqours1stLive』において感じた、『Aqours』の可能性。)

 

 について、言及させて頂きました。

 

 

 で、いよいよ、ラストの(その4)です。テーマとしては、

 

 「『Aqours2ndLive』、及び、その先へと向かって自分なりに感じること。」

 

 これについて、綴らせて頂きたく思います。

 

 

 (その3)のラストにおいて、下記のことを、綴らせて頂きました。

 

 「一人一人それぞれが『エース』である。最終的に引っ張るのは、あんちゃんだけど、あんちゃん(あるいは、りきゃこ)が先頭にいて、でも他のメンバーが、あんちゃん(りきゃこ)を支える、いわば『支え合い』の『win-win』の関係が、そこには成立している。」

 

 このことの象徴が、りきゃこの「想いよひとつになれ」(2日目)です。

 あるいは勿論、全体を通しても。一人一人のパフォーマンス自体が、掛け値なしに素晴らしかった。

 

 で、自分自身、根っこの価値観として、

 

 「μ’s≧Aqours」

 

 これは正直、申し訳ないけど、恐らく変わらないと思うのです。

 

 ですが、自分の中で、「Aqours」への評価が大きく変わった要因。

 それは、1stライブでの、「Aqours」のパフォーマンス(完成度の高さ)も然りですが、それと共に、

 

 「『Aqours』一人一人それぞれの、『μ’s』へのリスペクト。」

 

 これが伝わってきたのです。特に、あいにゃ、すわわ。

 

 例えば、すわわ。YouTubeとかで、御存知の人間もいるかもですけど、すわわは、ガチの「海未ちゃん推し」といわれています。

 【ラブライブ!】そのものへの愛。それは、言葉のみならず、背中からも、ひしひしと伝わってきました。

 

 それ以上に、ダイレクトな感じで「愛」が伝わるのが、あいにゃです。

 特に、2日目のラストのMC。具体的な言葉までは思い出せないのですけど、趣旨として、

 

 「ずっと夢だった、『ラブライブ!』の一員になれたことがとても嬉しい。」

 

 この言葉に、偽りはない。「真実の愛」、自信を持ってそう言える。

 このMCを待たずして、心は既に傾いてはいたのです。ですが、ラストのMC。

 

 そうなんだよ、そうなんだよ!「μ’s」の「夢の続き」!

 自分は「Aqours」を通して、それが見たい訳だよ!

 あいにゃ、最高だよ!それでいて、「μ’s」を単純になぞるのではなくて、「Aqours』だからこその切り口を提示しようと奮闘する姿、それが伝わるから、なおさら大好きなんだよ!

 

 そう、このように、強く抱くのです。

 

 

 誰が「一推し」なのか。それは今後も、ある種流動的な感じなのかもしれません。

 ですが、「Aqoursの18人」、特に、担当声優という意味で、とりわけ、「推し」の感情を強く抱ける感じなのは、

 

 「あいにゃ(鈴木愛奈)」

 「すわわ(諏訪ななか)」

 「りきゃこ(逢田梨香子)」

 「あんちゃん(伊波杏樹)」

 

 この4人。今後、変化は出てくる感じかなとは思いますし、あとの5人も、何かしらの魅力は、強く抱く感覚ではあるのです。

 ですけど、やっぱり、4人という人数は、それ以上は追い掛けきれないニュアンスをも、含まれている感じなんですけどね。

 

 

 それは、全体を通して(1stライブ、テレビアニメ1期、ツイッター、各種インタビュー)もありますし、「プロ意識」「歌唱力」「ラブライブそのものへの愛」とかもありますし、それらを総合しての感じではあるのです。

 ですが、やはり、2日目の「想いよひとつになれ」。あれは自分の中で、いろいろと大きな意味を持つ感じなのかな、と思うのです。

 

 いま挙げた4人は、いつの日か「ソロ歌手」として(勿論、本人が歌手活動を望むならばですが、少なくとも、あいにゃはまず確定でしょう)、「横浜アリーナ」のステージに、絶対に立たせたい!

 「見たい景色」の一つが、はっきりと描けた感覚としてあるのです。

 

 

 それと、自分の場合、「μ’s」の場合でだと、

 

 「ジョルくすこそ我が命!」

 「我らが大天使うっちー!」

 

 でした。これが「Aqours」の場合、少なくとも現時点で、一つあります。

 具体的な言葉は、まだはっきり定まりませんけど、

 

 「『ななあいにゃ』こそ、最高の誇りだよ!」

 

 少なくとも、これは強く感じます。ある種、「ジョルくす」に重ね合わさる感覚でも、あるのですけど。

 そう、確かにこの2人、物語上も、「かなまり」ではあるんですよ。

 でも、公私両面を総合して考えると(ある程度は想像的な要素も絡むのですが)、「ななあいにゃ」は、最高のカップリング(コンビ)と感じるのです。

 実際、Twitter上でも、(特に、すわわが)「ななあいにゃ」を強調している感じとしてありますし。

 

 そのような感じですけど、特に、すわわ。

 「スキンシップ」を、積極的にしています。

 あいにゃに対してが最も多いですが、他のメンバーのときも少なからずある印象です。

 

 声優(アニメ)の世界では、「百合」という概念があります。

 同性のカップリング。ざっくりいえば、その意味合いですかね。

 そのような感じですけど、先述の、すわわ。いわれなき批判を、少なからず耳にします。

 「百合営業」だの、「売名行為」だの。

 

 正直、すわわに対しては、下記のような感覚を抱くことは、あります。

 

 「共和党政権になることがあり得なくて、よかったね。日本という場所に、生を受けて。」

 

 いわんとすることが伝われば、の感じではあるのです。

 ですが、その「スキンシップ」には、打算はない、そう強く抱くのです。

 打算があったら、嫌な顔をされたり、確執説を囁かれたりが、あるかもですけど、繰り返しになりますけど、

 

 「Aqoursの持ち味の一つとして、『仲の良さ』『チームワーク』がある。」

 

 「ななあいにゃ」であれ、3年生組であれ、AZALEAのときであれ。

 そう。「御互いが御互いを認め合っている関係」。それを既に築けている。

 まあ、「ハグしよ」という、果南の代名詞的な台詞の影響も、あるのかもしれませんが。

 

 

 およそ、そのような感じですけど、自分自身、あいにゃにせよ、すわわにせよ、「推し続けていたいなあ」と、心の底から思えるのは、「ありのまま」、これが大きな要素の一つとしてあるのです。

 

 

 で、Aqours。一人一人それぞれ、あるいは、グループそのものとしても、自分は正直、

 

 「演者の『質』という意味では、正直全く心配していない。

 『想いよひとつになれ』のピアノ演奏だって、りきゃこは陰できっと、あの悔しさを絶対に忘れまいと、人一倍の努力を惜しんでいないと信じているし、努力は必ず報われるはず!」

 

 そのように思っているのです。ですがその一方で、不安感はむしろ、ある意味では、1stライブのときよりも強くなっている感じでもあります。

 

 不安要素は、特に、下記の2つです。

 

 

 (図解6)Aqoursが、2ndLive、及び今後に向けてという意味での、2つの不安要素。

 

 (1)今後(恐らく今年の年末以後)、テレビ各局の、各種音楽祭に参加する可能性は高いと思われるが(理由は後述)、1曲フルに歌わせてもらえるか、あるいは、9人の顔と名前を、どれほど覚えてもらえそうか、ということ。

 (2)「観る側」(ファン)の「質」としての不安(繰り返すが、演者の「質」に関しては、全く心配していない。むしろ過小評価されないか、の心配はあるけど)。

 はっきり述べれば、コールとか、姿勢的な問題。特に、スクフェス感謝祭2017(6月10日~11日、東京・池袋)に参加した際、自分自身、楽しかった一方で、「強い危機感」を覚えました。

 

 

 ではまず、後者のこと、つまり、(2)のことから言及します。

 

 2017年6月10日~11日、東京・池袋サンシャインシティ。

 「スクフェス感謝祭」、念願の初参戦でした。

 

 自分は、10日の終盤からの参加でした。

 特に、「でかスクフェス」「9人アケフェス」、自分的には、これが目当てでした。

 

 上京のときは、宿泊は池袋が多いのです。

 プリンスホテル、アパホテル、デニーズ、ラウンドワン、ネットカフェ。

 宿泊先はその時々の状況によるのですが、池袋は大好きな場所です。

 

 特に、サンシャイン展望台。あの独特の体感型。

 全身で、五感を用いて感じること。学ぶことがいろいろとあります。

 

 それに、サンシャインシティプリンスホテル。

 いわば、自分的には「勝負ホテル」。

 スタッフの細やかな対応。部屋の心地よさ。高層階からの眺め(特に夜景)。

 そして、食事がとてもおいしいこと。

 今回は、開場がサンシャインシティ。ですので、プリンスホテルを宿泊先として確保でした。

 まあ、資金はその分かさむのですけど、休憩所的な機能にもなりますので。

 

 

 そのような感じですけど、結論的に述べれば、

 「楽しかった。でもその一方で、悲しみをも、少なからず覚えた。」

 それが、正直な感覚だったのです。

 

 

 まず、「楽しかったこと」から述べましょう。

 

 「9人アケフェス」。今回の「最大の楽しみ」でした。

 実は2回挑戦して、しかも2回共にリーダー役。

 もともと、中高生のとき、副級長(学級のno.2)、学級委員(学級のno.3)が多かったので、責任ある役割を任せてもらえるのは嬉しいし、魂が燃える感覚になれるのです。

 

 ですがその一方で、アケフェスの腕前は、まあ、「御察し」。

 そもそも、スクフェスは「やっていない」わけですので。

 

 アケフェスは、首を長くして待ち望んでいた。

 でも現実としては、まったりペース。ましてや、手先が不器用ですし。

 

 引き当てた楽曲は、1回目が「SUNNY DAY SONG」、2回目が「タカラモノズ」。

 申し訳ないですけど、自分が狙っていた、あるいは得意な楽曲ではありませんでした。

 はあ、自分ってやっぱり、くじ運がないなあ、と再認識。

 (実は生まれて30年以上、いわゆる「あたりくじ」の経験がゼロです。)

 

 で、自分の腕前は、基本的に「HARD」が精一杯。

 一部、自信のある楽曲を除けば、フルコンボなど夢のまた夢。

 

 だけど、不思議と頑張れた。一つは、「一人じゃない」と思えること。

 そして二つ。ハーフアップの、若い女性スタッフがいたのですけど、その一生懸命さ、及び、ちょっとした細やかさが伝わる対応。

 

 この人のためにも、持てる全力を出し尽くそう。

 そう、「ありがとうの気持ち」。あなたが改めて、再認識させてくれた。

 

 結果は、必ずしも納得できる感じではなかったかもしれない。

 でも、自分の中では、最高に素敵な経験の一つになりました。

 そして、「μ’sの18人」への「永遠の愛」を再認識できたことをも含めて。

 

 

 もう一つ。「でかスクフェス」。これも楽しみにしていました。

 

 「Step Zero to One!」「君のこころは輝いてるかい?」

 

 2回挑戦させて頂きましたが、いずれもAqours楽曲。

 

 やってみると、なかなか難しい。頭でのイメージに、身体が追い付いてくれない。

 で、コールが飛び交うのですけど、かくいう自分は、無意識的に「コール遮断状態」。

 無視しているのではないのです。ですけど、正直、それどころではない。

 目の前の大画面を、ただひたすらに凝視。そして、自分の出来栄えに、一喜一憂。

 失敗すると、「あーっ」!でも、それをも含めて、正直、最高に楽しめた感じでした。

 

 

 そう。自分的には、とても「楽しかった」のです。

 やっぱり「ラブライブ!」って最高に素晴らしい、と再認識。

 

 ですがその一方で、「悲しみ」も、少なからず覚えました。

 いや正直、大阪に帰ったときは、「悲しみ」の方が上回っていたかもしれません。

 

 

 (図解7)「スクフェス感謝祭2017」、自分的に悲しかったこと。

 

 (1)閉会式の「大炎上」ぶり。自分はこのとき、「9人アケフェス」にいたので、あとでTL越しに知り、そして大阪に帰ってから、YouTubeで全容を把握しましたが。

 りきゃこの瞳は、明らかに輝きが奪われているのが伝わったし、ありしゃからは「しーっ!」とされる始末。

 あのねえ、演者(担当声優)が話しているときは、静かにしようよ、ということですよ。

 「担当声優こそ絶対」なはずでしょ?「主体」は「担当声優」であって然るべきで、「自分たち(ファン)」は、あくまでも「客体」、つまり、「担当声優を最大限に輝かせること」が「使命」であるはず。

 それができない人間は、もはやファンではない。自分は正直、これがとても悲しいです。

 

 (2)いわゆる「NGコール」(害悪コール)。「でかスクフェス」「9人アケフェス」のいずれでも。

 実際、自分もいくつかの楽曲で、目の当たりにしました。

 

 [1]「恋になりたいAquarium」(→「I miss you」の直後に「イエッタイガー」)。

 全体の30%くらいの人間が叫んでいたときがありました。自分は3階(最上階)にいましたが、思わず「やってよいコールかどうか、考えようか、おまえら。」と、叫んでしまいました。

 

 [2]「Angelic Angel」(→「KKEコール」に加えて、ラストで謎の「1,2,3,4,5,6,7,8」)。

 特に、「1.2.3.4.5.6.7.8」。「ありがとうPJ」のときはなかったはず。

 楽曲の世界観、楽曲から想像し得る情景。これをイメージできているのか?と。

 「KKEコール」も、ざっと全体の60~70%くらいが叫んでいた印象。

 うーん、なんだかなあ。自分は正直、そう感じてしまいました。

 

 [3]「ユメノトビラ」(→「三森すずこさーん」)。

 この、「三森すずこさーん」。元ネタは、彼女のソロ楽曲、「ユニバーページ」とのこと。

 しかも本人は、このコール、大嫌いだと伺っています。

 いざ実際に耳にして、ああ、これ、みもりんへの「冒涜行為」だな、と感じたんですよね。

 そもそも、みもりんだけのための楽曲ではない(しかもみもりんは、自分のこと以上に、周りのこと、全体のことを考えて行動できる人間!それが持ち味にも関わらず!)。

 応援のつもりなのかもですけど、結局これ、「冒涜行為」である訳で、つまり「本末転倒」なんですよね。

 これもまた、「主体」は誰であるのか?ということ。自分たちが主体ではないこと。主体は担当声優であること、そして担当声優こそ「絶対的存在」(いやむしろ、「神聖なる存在」)であること。

 それができない人間に、ラブライバーを名乗って欲しくない。正直、自分はそう感じます。

 

 

 かくいう自分自身、いわゆる「一人コール」、少なからずあります。

 

 「夏色えがおで1,2,Jump!」(→「願いを言って」)

 「Snow halation」(→「あずけてplease」)

 「Wonderful rush」(→[「ワンダフル」の直後にすかさず]「ぱいちゃーん」)

 「wonder zone」(→「輝けないね」)

 

 ラブライバーの中には、上記のコールも、「NGコール」とみなす人間もいるかもしれません。

 ですが自分の中では、それなりの根拠(いずれの場面も、クライマックスへと盛り上がっていく場所。テンションを挙げていく意味合いがあります)をもって、そして「μ’sへの愛情表現」として、用いているのです。

 

 

 ですが、上記の「NGコール」として実際に発動されたコールは、どのようないと、根拠を持って、コールを発動させているのか。

 あなたなりに「論理的に」説明して欲しい、それができなければしないでよ。

 自分は正直、そのように強く感じるのです。

 

 

 なんというか、自分は、「Aqours」が抱えている最大の不安要素は、「ファンの質」であると思っていて、Aqoursの「演者のパフォーマンスの質」「プロ意識の高さ」「音楽性の良質さ」、これは日本の音楽界全体においても、自信を持って高いレベルで勝負し得る、そう強く抱いているのです。

 

 今年に入って、「乃木坂46」。何かしらの雑誌の表紙で、観ない週がありません。

 明らかに、「飛ぶ鳥を落とす勢い」を感じますし、「女性no.1アーティスト」(少なくとも、人気面では)、これは素直に認めざるを得ないでしょう。

 

 だけど自分は、この「音楽性」。乃木坂46と比較すれば、(好みの問題は勿論あるかもですけど、)全体としてとらえたときに、「Aqours」の方が質的に高いはずだ、そう強く抱くのです。

 

 「想いよひとつになれ」「青空Jumping Heart」「ユメ語るよりユメ歌おう」「未熟DREAMER」等々。

 部分カット、メドレー形式を取られると、どうなるかはわかりません(Aqoursの場合、間奏部分をひっくるめて出ないと、真意が伝わらない楽曲が少なくないと自分は解釈していますので)。

 

 テレビ局側の都合で、部分カットされたら、それはそれで仕方がない。

 まあ、それを含めての音楽ですよ、そう割り切るしかないときも、正直今後、出てくるでしょう。

 

 

 ですが、いま、「Aqours」は、「コール論争」だけでも、いくつもの楽曲で、抱えてしまっています。

 まあそもそも、「コール論争」という発想自体、「J-POP」では、恐らく起こり得ないことであるのですが。

 

 

 (図解8)「Aqours」楽曲で、現状抱えてしまっているコール論争の該当楽曲。

 

 (1)「想いよひとつになれ」

 (→もはや「生命線」といえる楽曲になった感がある。Aqoursの「代名詞」になる可能性をも、存分に秘めている。りきゃこの演奏に多くの負担を求めることになるけど[この重圧、りきゃこならば絶対に乗り越えられると信じてる!]、そもそも歌詞自体が最高に素敵!

 個人的には、「コールは一切不要」と思っています。「fufu!」を入れやすい個所は、確かにありますが。

 不要か必要か。そしてそれは何故なのか。今後、生命線になるだけに、方向性を見誤らないでほしい。自分はそう強く願っています。)

 

 (2)「HAPPY PARTY TRAIN」

 (→現状、Aqoursの最新曲であり、2ndLiveの中軸を担う楽曲になる。

 特にサビ、及び間奏部分以後が最高にたまらない。

 自分は「一人カラオケ」のとき、「涙腺崩壊を堪えながら」、このオンパレードです。

 「永遠の伝説」といえる、「僕たちはひとつの光」に匹敵するかもしれない、この破壊力ある楽曲に、自分は「そもそもコール不要」と思っています。ましてや、「鉄道ファン」ならば、恐らくなおさらでしょう[ちなみに、かくいう自分が「鉄道ファン」です]。

 ですが、「でかスクフェス」。コール入っていたんですよね。自分は正直、「強い困惑」を覚えました。

 何回繰り返し聴いても、「何故コールが入るのか」、と。自分は「みんなで歌う楽曲」であって欲しい、そう強く抱くのですけど。これは、ライブのどの部分で入れるのかにも、よるのかもですが。

 そう、自分はラストとかの勝負どころで入れるにふさわしいと思うのです。「μ’s」の「ファイナルライブ」でならば、「それは僕たちの奇跡」あるいは「SUNNY DAY SONG」のあたりとかで。

 ですが、いよいよ明日に迫った、「Aqours2ndLive」。最初に入れる説もあるんですよね。

 うーん、どうなるのかなあ、と思う感じでは、あるのですが。)

 

 (3)「ユメ語るよりユメ歌おう」

 (→テレビアニメ1期ED曲。貴重な「fwfw」楽曲と自分は皆していますが、まあ、真っ二つに解釈が分かれています。

 確かに、1stLive、本会場では歌詞のテロップがありました。

 担当声優は、トロッコに乗っての歌唱だった。ED曲であることを踏まえると、2ndLiveでも、そうなる可能性は充分にあるでしょう(アンコールのラストかも、と自分は思っていますが)。

 自分は、「『fwfw』も『みんなで歌う』も、両方やればよい。というかむしろ、そういう楽曲でしょ?」と解釈しています。

 そして、担当声優がトロッコで目の前に来たら、そのときは、思いっきり担当声優に「ありがとうの気持ち」を伝えればよい。そう、それぞれの形で。「fwfw」したければすればいいし、ただひたすらに歌いたいならば、そうすればいいじゃない、と。勿論、「あんちゃーん」「あいにゃー」も大歓迎のはずですし。

 ですが、頭ごなしに「fwfw」を否定しないでほしい、そもそもかつての「μ’s」の「KKEコール」論争だって、結局のところは、劇場版で応援上映が前提のはずなのに、文句なしの「fwfw楽曲」がなかったから起こったことでしょ?と自分は思っているのですが、果たして、の感じです。)

 

 (4)「サンシャインぴっかぴか音頭」

 (→「μ’s」でいうところの、「輝夜の城で騒ぎたい」に近いのか、それとも、「SUNNY DAY SONG」に近いのか。どちらとも解釈し得る、これが自分の現時点での解釈です。

 ですが一つ、はっきりといえることは、「あいにゃ(鈴木愛奈さん)の持ち味が最高に発揮されている楽曲」であること。つまり、「目の前にあいにゃがいる」ことを想像する姿勢が求められると自分は思っています。

 既にLantis公式から、「振り付け講座動画」がアップされています。基本的には、それにのっとる形になるのでしょう。

 基本的には、それをなぞればよいはず。故に、「コール不要」であるはず。

 ですが、「イエッタイガー」発動の動きが、Twitter上で散見されています。正直、看過できないことです。

 個人的には、いかなるコールでも、「楽曲の世界観にふさわしくない」と解釈していますが、特に「イエッタイガー」は、「あいにゃへの『冒涜行為』」と思っています。

 そもそも、あいにゃが、いや、「Aqoursの18人」が、どれほどに「血のにじむような努力」を積み重ねているのか、想像して欲しい。それを想像できない人間に、「Aqoursのファン」を、「ラブライバー」を名乗って欲しくない。自分は正直、そう思っています。)

 

 

 いま挙げた、4つの楽曲。いずれも今後、「Aqours」の生命線になるであろう楽曲です。

 

 しかも「Aqours」の現在おかれている立場は、もう既に、既存のアニメソングの領域では収まらない感じになっています(「μ’s」のときに比して、「J-POP」のトップレベルの層は薄くなっている。少なくとも、高い音楽性を誇った「いきものがかり」はもういないし、「絢香」も、絶頂は過ぎている感じとしてありますし)。

 そもそも、「μ’s」は、最終的に、「嵐」「AKB48」「EXILE」に次ぐ、「第4勢力」の地位を確立したのに、絶頂で「マイクを置いた」訳ですけど、「ポストμ’s」たり得る「第4勢力の候補」は、ついに現れることはなく、「Aqours」は、「キャラハイパーインフレ」でダッシュで来てしまった可能性があった訳です(まあ、1stLiveを鑑賞していたラブライバーであれば、「れっきとした実力、及び人一倍の努力」で、自ら「第4勢力」の座をつかんだ、と解釈できるとは思うのですけど)。

 

 ですが、正直、Aqoursのファンは、質的な不安も然りですし、これはμ’sのときから感じていたのですけど、自分たちが応援しているアーティストを、「過小評価」しているのでは?という感じを抱いていたんですよね。

 

 よく散見されたのが、いわゆる「アイマス」との比較論。

 確かに、アニメソングの世界でならば、ライバル的存在といえるかもです。

 でも彼女たち本人にとっては、「よきライバル」であると共に、「よき戦友」の感じではないのかな、と。

 「御互いに御互いを認め合う」。「アニサマ2015」でこれは証明済みでしょう。

 

 確かに、μ’sのメンバー(担当声優)。いま、それぞれが個人のソロ歌手として勝負しています。

 個人のソロ歌手としてだと、他の声優アーティスト全てが、ある種の現実的なライバルになるのです。

 

 内田真礼。竹達彩奈。沼倉愛美。特に沼倉さんは、アイマスのときから、高い歌唱力を見せ付けていましたので、「満を持して」の感じかなですが。

 あるいは、真礼さん。彼女のポテンシャルは、もっと行けるだろう、と。個人で日本武道館どころか、それを上回るステージをも不可能ではない感覚を、正直感じています(ある種、恐ろしささえ感じたりですが)。

 

 その意味で、いずれAqoursも、ソロ歌手として勝負するときがくるでしょう。

 その場合も、ソロ歌手としてのライバルは、他の声優アーティストに、必然的になってきます。

 

 水瀬いのり。小倉唯。田所あずさ。3人共に、既に声優アーティストとして一定の地位ですし、特にいのりん(水瀬さん)は、すさまじいポテンシャルの持ち主、そう強く感じています(個人的には、本人が望むならばですが、映像の世界でも高いレベルで勝負できるだろうに、ああ、もったいない、と感じるほどです)。

 

 

 ですが、「Aqours」というグループとしてだと、ターゲットラインは、既存のアーティストのそれではないのです。もう、その領域は、とっくに超越している、少なくとも自分は、そう思っています。

 先述でも触れたように、もう、「J-POP」の「第4勢力」に既にあるのです。

 そう、ターゲットラインは、一つの女性アーティストとしてならば、もはや明らか。

 

 「打倒、乃木坂46」。「Go for the TOKYO DOME」。

 そして、3年後となる、2020年夏。「あの最高のステージ」へと…。

 

 

 そう。自分が「最終的に『見たい景色』」。

 東京ドームも然りですが、自分が願う、ただ一つの景色。それは…。

 

 

 「2020年7月24日、新国立競技場。8万人の大観衆。

 そう、『東京五輪の開会式』。アニメソング歌手の代表として、そして、女性アーティストの代表として。

 『μ’s』も『Aqours』も、それぞれが1曲ずつ歌唱する。

 そして、時空を超えて、うさぎちゃん(セーラームーン。月野うさぎ)を召喚して、『ムーンライト伝説』お、併せて歌い上げる(実際、内田彩、南條愛乃、楠田亜衣奈など、『セーラームーン』にあこがれて目指したメンバーが複数いる訳ですし)。」

 

 

 そう。東京五輪のテーマを想像したときに、自分は、「絶望から希望へ」。

 これが最もしっくりいく感じではないか、と思っているんですよね。

 「東日本大震災」という、一瞬で叩き落とされた絶望。

 だけど、この困難を、一丸となって乗り越えよう。

 想像以上に分厚い困難。そこに一筋の光を照らす存在。それが、「μ’s」だった。

 「μ’s」の成功の要因は、恐らくいくつもあると思いますが(それを深く考察するだけで、一冊の本、少なくとも一つの論文ができるのでは?と正直思ったりです)、少なくとも、「時代にマッチした」「求められているニーズに、まさしくピンズド(ドストライク)だった」、そのように自分は思うのです。

 だから、「μ’s」、及びその魂を継承する「Aqours」こそ、東京五輪の大舞台にふさわしい。

 そう。「μ’sの18人」の、「これ以上ないステージ」。自分はそう、強く抱くのです。

 

 

 およそ、そのような感じなのです。そう、「見たい景色」、あるいは、「『夢の続き』の、その先へ」。

 それは、「2020年夏、東京五輪開会式」、それに他ならない。

 それに到達し得るポテンシャル、資質能力は、既に持っているはず。少なくとも、自分はそう信じている。

 だけど、たとえメンバー自体の質は高くとも、ファンが足を引っ張る(いや、足を引っ掛ける)感じだと…。

 

 

 はっきり述べます。

 いまの「ラブライバー」、「Aqoursのファン」において、

 

 「文言に明文化されていなければ、何をしてもよい(→法に書かれていないから規範意識[倫理意識]に抵触し得ないという考え)。」

 

 そのような、「歪んだ考え」を持つファンが恐らく確実に存在している。

 しかも申し訳ないけど、少なくない一定数の比率として。

 (一部といえば一部とは思うが、少なくとも看過できない領域にはあるかと。)

 

 

 実は自分自身、7月21日にて、ランティスに対して、ある「御要望メール」、させて頂きました。

 具体的なことについて、多くは述べません。ただその中で、

 

 「今後のAqoursのライブにおいて、コール等のレギュレーション(注意事項)について、一言一句をディテール(細かいこと)まで明確に記述しないと、今後おそらく間違いなく『もめる』ことになりかねない。

 『Aqoursの18人』こそか主人公なはずであって、『Aqoursの18人』を最大限に輝かせられる環境づくりこそが、何よりも大切なことであると思いますので。」

 

 「イエッタイガー、MIX、ミラチケダッシュ等の、楽曲(作品)の世界観に適合し得ないコールは強く御遠慮頂きたく思います(これを明文化して欲しい)」

 

 この趣旨のことを、御要望の一つとしてさせて頂いたんですよね。

 

 だけど結論としては(自分も御要望メールをするタイミングが遅れてしまった感じではあったのですけど)、「Aqours2ndLive」における注意事項に、この、コールのことは明文化はされていない。

 

 手荷物検査が入っていることは、一つの評価としてはできます。

 「転売対策」以上に、「テロ対策」こそ、懸念していることとしてありますので。

 (テロ対策は、生命に直結することですので。)

 

 

 そう。「μ’sの18人」「Aqoursの18人」。

 最高に輝かせるために、自分に何ができるか。

 模索し続けている感じではある。だけど、できることには、どうしても限界がある。

 限界がある中で、できるベストを尽くしたい。それって何があるだろうか。

 

 そこで、自分が、微力ながら取り組んでいるのが、

 

 「Wikipedia(ウィキペディア)での活動」

 

 です。実は、何人かのμ’s声優(南條愛乃、内田彩、楠田亜衣奈、飯田里穂)、及び、Aqours声優(一通り、全員に関わっている感じです。今後は絞られていく感じかなではありますが、少なくとも現時点では)の人物欄について、比重はともかく、ある程度、自分自身、編集にかかわらせて頂いております。

 

 書きかけの項目は、正直少なくないです。特にAqours声優については、節構成がぐだぐだの現状ですし、8月中を目途に、改良作業に着手したい感じではある。

 自分が手がけているμ’sの数人のメンバーについても、例えば、内田彩については、先日、大幅な加筆修正を施しましたが、南條愛乃についても、8月中を目途に、改良作業に着手したい感じであるのです。

 

 編集を手掛けるために、参考文献を収集する作業。

 これ、結構、労力がかかります。おのずと、相応の資金を投じることにもなります。

 一つ一つの文章を執筆することも、ディテールまで神経を使います。

 ただ単なるファンサイトではない。その中で、いかにして魅力を伝えるか。

 

 そう、一人でも多くの人間に、魅力を知って欲しい。

 この担当声優(メンバー)には、こんな素敵な魅力があるんですよ、って。

 それを、参考文献という根拠を示しながら綴る作業。

 ある種、自分自身が鍛えられる感じなのです。

 

 

 とはいえ、やはり、できる範囲というのはある訳で、例えば自分が手がけるのは、基本、「人物」に関係することに絞っています。楽曲リストや、ライブ履歴を手掛けることも、時折ありますけど。

 その一方で、「出演作品リスト」は、基本的にノータッチです。

 自分よりも詳しいであろう人間に委ねる方が、より伝わりやすいだろうと思いますので、と。

 

 とはいえ、そこには悩ましさも、少なからずどうしても起こってしまいます。

 ああ、どうしよう、困ったなあ、と思っているのが、みもりん(三森すずこさん)。

 自分よりも、みもりんのことが大好き、みもりんのことに詳しい、そういう人間にこそ、人物的な魅力を綴って欲しい、そう強く抱く。

 だけど、業績の割に、みもりんの人物の記述、手薄な感じを、正直抱いています。

 あるいは、ぱいちゃん(Pile)、シカちゃん(久保ユリカ)も然りです。

 シカちゃんは、以前に比してだと、記述量は増えている感じではありますが。

 

 

 できる範囲で、できることをしよう。

 正直、wikipediaでの活動も、「まったりペース」ではあるのです。

 実際、先日まで、およそ5か月間、活動休止状態でしたし。

 

 というか、自分がμ’s、Aqoursのwikipediaの活動にかかわらせて頂いていること、隠すのは大変でいた。

 いつかは公表せねばならないだろう、でも、適切なタイミングを、ずっと探していた感じであったのです。

 いま、このタイミングだったら、しっくりいくのかなと思い、公表に踏み切ることにしました。

 ある種のリスクも、背負う感じではあります。でも、考えた末に、できうこととして見出した方法。

 だって、「μ’s」「Aqours」、それぞれのメンバーの魅力を、知って欲しいから。

 

 

 およそ、そのような感じです。そしていよいよ、「Aqours2ndLive」。

 いろいろと綴らせて頂きましたけど、やっぱり、「わくわく感」の感じであるのです。

 最高に輝いて欲しい!さらなる高みへと辿り着くステップになる、自分はそう信じてる。

 勿論、テレビアニメ2期の成功に向かって、という意味でも。

 

 そして、「想いよひとつになれ」。

 あのしっぱいがあったから、自分は強くなれた。

 りきゃこ(逢田梨香子さん)が、心からそう思えるときを、さらに進化(深化)させた「魂の演奏」をみせつけることを、自分は信じている。

 全力で応援しているから、あなたは一人ではない、自分たちがついているから。

 そのように、正直強く抱く感じです。

 

 

 御拝読して頂いて、とても有難うございます。

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2017年

8月

04日

「1000人絶叫、Aqours1stLive、スクフェス感謝祭2017、そしてAqours2ndLive、及びその先へと向かって自分なりに感じること(その3)。」

 ここまで、

 

 (その1)(『第2回1000人絶叫』への参加、及び、μ’sへの『永遠の愛』の再認識。)

 (その2)(自分自身がいま感じている、『μ’s』のメンバー、それぞれへの解釈。)

 

 について、言及させて頂きました。

 

 このことを踏まえて、(その3)では、

 

 「『Aqours1stLive』において感じた、『Aqours』の可能性。」

 

 について、考察を進めたいと思います。

 

 

 2017年2月25日(及び26日)、「Aqours1stLive」。

 会場は、横浜アリーナ。自分は、[京成ローザ10」(京成千葉中央駅)にて、両日LV参戦でした。

 

 理由は、25日に、赤坂見附にて、リアルの予定があったから。そのために上京。

 どうしても、進路のことの関係とかで、日程が流動的なので、LVのチケット確保が遅れてしまいがち。

 ですので、会場は、「空きがある場所」。必然、選択肢は限られる。

 その中で、「ベスト」の選択肢。願わくは、

 

 「『盛り上がれる可能性』がより大きく」

 「(かつ、)『厄介リスク』がより少ない」

 「(赤坂見附の予定に支障の少ない)関東圏の会場」

 

 で、何故、「京成ローザ10」にしたのかというと、

 

 (https://aikyujin.jimdo.com/2017/02/23/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%82%92%E6%9B%B8%E3%81%8F/)

 

 

 このブログエントリーの、(図解6)、及びそれ以後にて理由は言及しています。

 そう、「高確率で盛り上がれる(であろう)」こと。それにもともと、盛り上がれる劇場リストの中でも、独特の雰囲気を持つとは伺っていたので、いつか是非訪れたい、と思っていたんですよ。

 

 ちなみに、「応援上映」についてのブログエントリーも、リンクを貼ります。

 (2017年2月23日、[その4]において。)

 

 

 (https://aikyujin.jimdo.com/2017/02/23/%CE%BC-s%E3%81%AE18%E4%BA%BA-%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86-%E6%B0%B8%E9%81%A0%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC-%E3%81%AB%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%88%E3%81%9F%E5%96%9C%E3%81%B3-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6-%CE%BC-s-final-lovelive-%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%86%E3%82%8B-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96-%E3%81%8B%E3%82%891%E5%B9%B4%E8%BF%91%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%A0%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%93%E3%81%9D-%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E7%8E%87%E7%9B%B4%E3%81%AB%E6%84%9F%E3%81%98%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%94/)

 

 

 とはいえ、「Aqours」については、実は、1stLiveを迎えるときまで、「『期待』と『不安』が複雑に交錯している感覚」の感じでした。

 

 これについては、下記のブログエントリーにて綴らせて頂いています。

 (2017年2月23日、[その5]において。)

 

 

 (https://aikyujin.jimdo.com/2017/02/23/%CE%BC-s%E3%81%AE18%E4%BA%BA-%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86-%E6%B0%B8%E9%81%A0%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC-%E3%81%AB%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%88%E3%81%9F%E5%96%9C%E3%81%B3-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6-%CE%BC-s-final-lovelive-%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%86%E3%82%8B-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96-%E3%81%8B%E3%82%891%E5%B9%B4%E8%BF%91%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%A0%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%93%E3%81%9D-%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E7%8E%87%E7%9B%B4%E3%81%AB%E6%84%9F%E3%81%98%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%95/)

 

 

 以下、一部を、引用させて頂きます。

 

 

 「『恐らく、少なくとも、今後直近の1~2年後という意味で、『3強』に匹敵し得る存在は、『ある1つの存在』を除いて、申し訳ないけど思い浮かばない(なにかしらの突発的なブレイク出ない限りは)。故に、この「ある1つの存在」に該当し得る『Aqours』の成功は、少なくとも音楽的観点に照らせば、(よくも悪くもだが、)ほぼ高確率で約束されている。

 しかし、実力が伴いようがそうでなかろうが、置かれている状況がそのような感じとしてあるので、もしも実力が伴わないままに、少なくとも売上的な感じ、ライブ動員的な感じで成功をあっさりと勝ち取ってしまうようでは、『μ‘s』が勝ち取った『伝説的なスーパーグループ』の地位ではなくて、『一つのスーパーアイドル』として扱われて視界かねないと危惧するし、それは今後の彼女たち自身の個人活動にも影を落としかねないと感じる。』

 

 

 きついこと、えげつないことを書きたくっているのは、頭ではわかっているつもりです。

 でも、「いつまでも、日本国内ではすごいけど世界と勝負できているとはいえない『3強』への依存度が強いままでは、それって日本の音楽界にとってプラスといえるのか?」と(誤解されたくはないのですが、「3強」それぞれに魅力があることは認識した上で述べているのです。世界と勝負して欲しいという一心からなんですよね、その上で通用しなかったならば納得できるのかもですけど)。

 

 それに、「Aqours」は、大きな会場でライブをする、成功する、それをゴールとして欲しくないんですよね。もっとその先、もっと高い次元(数値的なことだけではなくて)を、自分は「要求ライン」「成功ライン」として、強く願っているのです。それは勿論、「応援しているからこそ」なのですけど。

 

 はっきり言って、現時点では「未熟」であり「未知数」と自分は解釈しています。よくも悪くも「キャラハイパーインフレ」だと。

 そうではない。個々の担当声優の魅力、及び努力を以てして、成功、評価を勝ち取って欲しいと、自分はそう強く願っているのです。

 

 

 ですが、「Aqours」には、現時点で既に、とても素敵な「魅力」「持ち味」があると思うのです。

 

 「『鉄の結束』といえる『チームワーク』」

 (9人全員がそれぞれに『同じ方向を向いている』ことが伝わる。)

 「9人それぞれの個性豊かさ」

 「既にいくつかの『百合』がある(特に「ななあいにゃ」)」

 

 個性豊かさは、「μ‘s」の持ち味でもあったと思いますけど、「チームワーク」は、「Aqours」の大きな強みであると自分は思うんですよね。そこに自分は、強い「希望」を抱いているのです。

 

 「未知数」「未熟」というのは、主として「歌唱技術」的な部分なのです。

 ですが、自分は、確かに「技術」は大切なこととは思うのですけど、それ以上に、「気持ち」、もっと言えば、

 

 

 「『(聴いている)人間の心に訴える』歌唱ができること。」

 

 

 自分は、「Aqours」に強く願うのは、「この1つに集約し得る」「この1つのことができるかどうかが最大に重要な要素である」こととしてあるのです。」

 

 

 そう、特に、この文言。「キャラハイパーインフレ」。

 これが自分の、この当時の「正直な本音」でした。

 

 勿論、テレビアニメ1期は、基本的にほぼすべての回、視聴させて頂きました。

 一部、飛び飛びになってしまったり、後追いになってしまった買いもありますけど。

 だけど特に、9話の「かなまり回」とか、11話の「想いよひとつになれ」は、掛け値なしに素敵だった。

 突っ込みどころがない訳ではないですが、物語としては、自分は好感を抱けました。

 勿論、音楽性としても、恐らく一定以上の水準はあるとみなし得るだろう、と。

 

 

 とはいえ、その「完成度」は、正直疑問符でした。

 申し訳ないけど、しょせんはまだ、「駆け出しの身」。

 1stLiveで横浜アリーナ?ジャニーズグループの真似事?

 確かに集客は見込めるだろう(いやむしろ、足りないくらいでさえある)。

 だけど、完成度として、(グループとしての)歌唱技術の水準として、横浜アリーナって、真面目に地道に歌手活動を積み重ねているアーティスト(特に、シンガーソングライター系統とか)に失礼、となりかねないのでは…?

 正直、そのような感覚だったのです。

 

 

 (その1)(その2)で言及したように、自分の基本的な価値観は、

 

 

 「μ’s≧Aqours」

 

 

 です。いやむしろ、それどころか、『ラブライブ!』の世界、それ自体は大好きだけど、「Aqours」については、心のどこかで、「すとんと落ちない」ところがある。

 演者(担当声優)自体は、一生懸命さ、チームワークのよさがひしひしと伝わる。

 でも自分は、やっぱり「『μ’sの18人』こそ、『我が命』」。

 心に空いた穴は、すぐに埋められるものではない。たとえ「Aqours」の担当声優に非はなくとも。

 

 きついことを綴って申し訳ない感じです。でもこれが、このときの正直な感覚としてあった。

 

 ですけど、その一方で、『ラブライブ!』の世界はやっぱり大好きな訳だし、「Aqours」を頭ごなしに否定するのは、それは「μ’sの18人」を悲しませることになるのではないか。

 「『μ’sの18人』こそ、『我が命』」、そう強く抱くならば、だからこそ、「Aqours」の記念すべき1stLiveを、この眼で直接見る、体感する、それが大切なことではないか。

 自分自身の目で見ずして、批判することは、恐らく筋違い。判断は、直接見てこそなされて然るべきでは。

 そのように、強く抱いた感じなんですよね。

 

 

 ですので、「ああ、やっぱりな」(マイナスの意味で)、これは正直、覚悟の上。

 でもその一方で、「批判を称賛に変えて欲しい。努力は絶対に報われるべきだ」、この思いも、正直な感覚であったのです。

 

 

 で、赤坂見附での予定を終えて、総武快速線でぶっとばして、LV本番へ。

 

 「1.青空Jumping Heart」

 

 開幕はこれ。「君のこころは輝いてるかい?」かな、と自分は思っていたのですけど、あっ、なかなかいい感じじゃない?と思ったんですよね。

 

 

 「2.恋になりたいAQUARIUM」

 

 正直、自分が当初、Aqoursをあまり評価できていなかった一因が、この楽曲でした。

 「は?何を伝えたいの?」って。いまに思えば、恥ずかしいのですけど。

 だけど、ごめんなさい。いざ、ライブで聴くと、

 

 「なんと素敵な楽曲なんだ!」

 

 って。特にしゅかしゅー、とても素敵でした(その後、さらなる輝きを放っていくのですが)。

 

 

 「3.Aqours☆HEROES(1日目)」

 

 この楽曲。「fwfw」、自分のLV会場では、入りました。

 入れるのかどうか、論争にはなっていて。自分は正直、「えっ、入れるの?」と戸惑いました。

 でも、「fwfw」自体は、超絶大好きな感じで。だけど、魂を燃やすように叫ぶのは、なんだか違うかな、と。

 結果、「せーの」は、「μ’s」の「もぎゅっとloveで接近中!」のように、

 

 「(ほほえみを浮かべながら、やわらかい感じで)『せーの』」

 

 とさせて頂きました(やっぱり、やると楽しいですからね)。

 

 

 「8.夜空はなんでも知ってるの?(CyaRon!楽曲)」

 

 はっきり述べます。

 

 「しゅかしゅー!最高に輝いてたよー!」

 

 もうねえ、なんですか、この圧巻のパフォーマンス。

 それまででも、いい意味で不安をかき消してくれていた感じだったのですけど、この時点で、

 

 「あっ、いけるのでは?」

 

 と思えたんですよね。というか、このときのしゅかしゅー、

 

 「神が舞い降りた」

 

 まさしく、そのような感じだったのです。特にダンスシーン。

 ダンスが得意であることは、雑誌のインタビュー記事で把握していたのですけど、歌唱とかをひっくるめて、想像以上に印象度が良くなった感じなんですよね。

 

 

 「10.ときめき分類学(AZALEA楽曲)」

 

 「聴かせる楽曲」であり、それでいて、自分がこよなく愛する「デジタルJ-POP」の曲調。

 もう、「最高だよ!」と心の中で、わくわく感全開でした。

 それに、μ’sでも、Aqoursでも、全体としては、盛り上げ系統全振りの感じなのですけど、本来はやっぱり、「聴かせる」楽曲がまずあって、その上での、「盛り上げ」楽曲だと思うんですよね。

 その意味で、今後、このような「聴かせる」楽曲はもっとあってよいのでは?と自分は思ったりするのです。

 (まあ勿論、その分、「fwfw」楽曲もあって欲しいです、になる感じなのですが。)

 

 

 「11.Strawberry Trapper」

 「12.Guilty Night, Guilty Kiss!」

 (いずれも、Guilty Kiss!楽曲)

 

 もう、衝撃でした。会場の雰囲気が、いい意味で一変した。

 これ、「X JAPAN」の会場ですか?みたいな。

 (実は後に、3月に、「ZARD」のフィルムライブ(5日。イオンシネマ和歌山)、「X JAPAN」のドキュメンタリー映画(20日。MOVIX八尾)を、それぞれ鑑賞させて頂いたのですけど。)

 

 適切な言葉が、未だに思い浮かびません。もう、それほどにすごかったんですよ。

 そのほとばしる情熱、3人共に素晴らしい歌唱力。

 (あいにゃ、あいきゃんは期待どおりでしたが、りきゃこが、これほどに歌唱力が高いとは!と嬉しい驚きでした。)

 

 特に12曲目、「Guilty Night, Guilty Kiss!」

 いわば、「no brand girls」、あるいは、「PSYCHIC FIRE」を彷彿とさせますね。

 

 実は、いわゆる「ロック」は、大の苦手でした(いまも基本的にはそうですが。「X JAPAN」は、その意味でも例外といえるでしょう)。

 その意味でも、女性がロックを歌うと、こんな感じになるんだと新鮮で、「素敵な『生きた学び』」をさせて頂いた感じです。

 

 

 「14.想いよひとつになれ」

 

 どこで入れてくるのか、物語的には、重要な意味合いを持つ楽曲だし。

 りきゃこ(逢田梨香子さん。桜内梨子役)のピアノは、果たして通用し得るのか。

 記念すべき1stライブ。物語的にも、入れない訳にはいかないはず。

 だけど、りきゃこは、果たして輝けるのか…。

 

 あっ、ピアノがある。あの楽曲が始まる。

 御願い、ああ神様…。祈る思いでした。

 

 1日目。もう、自分は、ひたすらに、りきゃこを凝視していました。

 そして、ひっそりとした感じで、ささやかに歌いながら。

 (コールは不要、と思っていたので。まあ、「fufu!」、入ってましたけど)

 

 手は明らかに震えていた。そこにあるのは、「魂の演奏」。

 ただ、気力で弾いている感じ(かくいう小学校教員を目指してピアノの練習をしていた際、自分は「ああ、自分には全く才覚ないんだなあ」と、それが断念の引き金になってしまいましたが…)。

 自分が挫折の経験があるので、なおさら、りきゃこには、「輝いて欲しい!」、実感を持って感じていたのです。

 

 そして、演奏終了。完璧だった。

 おもわず、「やった!」と、自分はこぶしを握り締めていました。

 もう、目には涙(というか、半分もせずに泣いていましたが)。りきゃこ、有難う!と。

 そして、「Aqours」としての「完成度の高さ」。完全に、確信になりました。

 

 

 で、2日目。りきゃこは、失敗をしてしまいます。

 凍りついた雰囲気。何が起こったのだろう?と。

 そうして、LVの画面。りきゃこのもとへと、駆け上がっていくメンバー。

 

 あんちゃん(伊波杏樹さん。高海千歌役)。

 すわわ(諏訪ななかさん。松浦果南役)。

 あいにゃ(鈴木愛奈さん。小原鞠莉役)。

 

 3人は、あのとき、どのような言葉を掛けたのか、正直覚えていません。

 ですが、「大丈夫、大丈夫だから!」、これは強く印象に残っています。

 (あとで聴くと、あいにゃの言葉らしいですね。)

 

 あとで、この場面については、改めて言及させて頂くかなです。

 ですが、一つ言えることは、この場面は、「一生記憶に焼き付け続けよう」、そう強く抱くんですよね。

 

 もう、涙がこの時点で溢れ出てきていた。

 御願い、りきゃこを、そして「Aqoursの18人」を、救ってください!

 

 「神様、もう一度だけ」。かつて、深田恭子さんが主演したテレビドラマの題名ですが(古くてごめんなさい)、正直、このような心境だったのです。

 

 で、自分のLV会場(京成ローザ10)。かいじょうのあちこちから、「りきゃこ」コール。

 (あとで聴くと、本会場の横浜アリーナでは、「梨香子」コールだったらしいですね。)

 

 かくいう自分は、

 

 「りきゃこ、頑張れ!メンバー及び自分たちファンがついてる!

 あなたは決して一人ではないから!きっと道は拓けるから!」

 

 この想いで、「りきゃこ」コールでした。

 (あとで言及するかなですが、Twitterでの「誠実さ」や「飾らなさ」で、もともと、りきゃこには好印象だったのですけど、もうこのときには、「確信」になっていた、ある種、心を決めていた、そのような感覚でした。)

 

 りきゃこを、なんとしてでも輝かせよう。このままで終わらせることは、あってはならない。

 祈るような思いで、ふと、左後方を振り向く。すると…。

 

 そこにあったのは、「サクラピンクの光景」。これでほぼ染まっていた。

 そう、「Snow halation」のオレンジの光景、「Angelic Angel」のスカイブルーの光景の如く。

 「見たい景色」を、実感できた気がして嬉しかったのです。

 

 かくいう自分自身、μ’sのペンライトで対応していたので、実はピンクでした。

 (ですので、ピンクも「サクラピンクに準ずる」とみなしています。)

 そう考えると、恐らく感覚的には8割前後の比重。

 「同じ方向を向けた」、そう強く実感できた。それが最高に嬉しかったのです。

 

 そして、演奏再開。困難を乗り越えて、今度こそ完璧に決まった。

 まあ自分は、ひたすら泣きながら歌っていましたけど。

 

 

 一生忘れない光景。そう、「成功→失敗→成功」だったからこそ、「想いよひとつになれ」は、この瞬間、「世紀の名曲」へと昇華された(少なくとも、自分の中では)。

 自信を持って言える。「想いよひとつになれ」。この1曲だけでも、日本の音楽界のトップレベルで勝負できる、と。

 勿論、りきゃこのピアノは、課題になってくると思う。でもそこは、「プロ意識」で絶対に乗り越えられると信じている。そう強く抱くのです。

 

 

 この、「想いよひとつになれ」。自分はツイッターにて、下記のように言及させて頂いています。

 

 (https://twitter.com/loveliveoneness/status/836199257212256258)

 (https://twitter.com/loveliveoneness/status/836199397683683328)

 

 

 これを文面に起こすと、下記のような感じになります。

 

 「天はりきゃこに試練を与えた。でもだからこそ、Aqoursの9人(いや18人)は、いま以上に光り輝ける、強くなれる。演者としても、人間としても。

あの大舞台で大勝負に臨むことが、どれほどの重圧であることか。挑戦したこと自体がすごいことだよ!」

 

 「いつか、あの悔しさがあったからいまの自分がいる、そう思えるときがきっと来ると自分は信じてる。

そして、あの横浜アリーナの大舞台に、『個人の歌手としても』一人でも多く立って欲しいと心から感じる!(特にりきゃこ、そしてあのとき駆け上がったメンバー!)」

 

 

 あのとき、りきゃこのもとへと駆け上がった3人(あんちゃん、すわわ、あいにゃ)。

 恐らく、「本能的に」駆け上がったのだろうと思うのです。

 「心」以上に、「身体」が動いたのだ、と。

 何かしらの「見えない力」が、3人を駆け上がらせたのだ、と。

 

 誤解して欲しくないのは、駆け上がらなかったメンバーを、責めて欲しくないことです。

 あの人数以上が駆け上がると、逆にカオス(混乱)を誘発するだけ。

 だから、あれはあれでよかったんだよ、自分はそう思うのです。

 (これについては、『cut』2017年5月号にて、しゅかしゅー(斉藤朱夏さん。渡辺曜役)が言及しています。)

 

 だけどこのとき、自分は思ったのです。

 駆け上がった3人、そして、「魂の演奏」をやり遂げた、りきゃこ(つまり、併せて4人)。

 「心優しく」「いつだって全力で」「プロ意識が強い」。

 

 で、4人とも、歌唱力は既に、水準以上のものがある(特にあいにゃは、既に高いレベルで勝負できるでしょう。売り上げ的にはともかく)。

 だから、この4人を、いつの日か(本人が歌手活動を望むならば、ですが)、

 

 「個人のソロ歌手として、『横浜アリーナ』に絶対に連れて行こう!」

 

 自分の心は、このときに決まった。そして、「Aqours」としても、「箱推し」が確定すると同時に、その中でも特に強く推したいメンバーも、このときに事実上、確定しました。

 (それは後に、ラストのMCにて強くなるのですが。)

 

 

 「19(EN2).ユメ語るよりユメ歌おう」

 

 あと一つ。これについて、言及させて下さい。

 

 この楽曲、「Aqours」の楽曲の中でも、大好きなんですよ。

 ED曲なのに、とても前向きな感じが伝わるんですよね。

 

 そして何よりも、曲調。もう、必殺コール、いれないほうがおかしいでしょ?と。

 そう、「fwfw」コール。どこに入れるかというと…。

 

 

 「ユメを語る    ことばより   ユメを語る    歌にしよう

       (うぉー)   (fufu!)   (せーのっ!)(fuwa×4)

 それならばいまを 伝えられる気がするから

 (この部分は心の中で歌う)

 ユメを語る    ことばから   夢を語る     歌が

      (うぉー)   (fufu!)   (せーのっ!) (fuwa×4)

 生まれるんだね    ひろがるこの思いは

      (せーのっ!)(はーいはーいはいはいはいはい)

 大好きなメロディーの つながりだよね

 (ここからは歌う)

 もう逃げないで 進むときだよ あたらしい場所へ

 (歌う)          (あたらしい場所へ)」

 

 

 「fuwa×4」が、「fwfw」のことです。

 

 これは実は、論争になっていました。コールを入れるべきではないのでは?という論争。

 実際、本会場では、歌詞がテロップされていたと伺いますし。

 

 ですが、自分は、

 

 「『fwfw』も、『合唱』も、両方やればよい。

 というかむしろ、そういう楽曲でしょ?

 そして、『あたらしい場所へ』では、天空へと突き上げるように。」

 

 これが、自分の解釈だった。これについては、もはや揺るがない。

 だから御願い、コール、決まってくれ。そして、勝負の「うぉー」→「せーの」!

 

 よし、決まった!「せーの!」も、自分の代名詞、独特の高音ボイス、完璧だった、

 LV会場のみんなも、応えてくれて有難う!

 「想いよひとつになれ」と共に、最高に素敵な場面だった。

 少なくとも自分は、そう強く感じています。

 

 

 

 およそ、そのような感じですが、もう、今回の「Aqours1stLive」。

 正直、自分はこう感じました。

 

 

 「Aqoursは、批判、不安を、この1stライブで、『称賛』へと変えてくれた!

 想像以上の、すさまじい完成度の高さだった!パフォーマンスは勿論、『プロ意識』という意味でも!

 もう、『キャラハイパーインフレ』だなんて思わないよ!

 そう、『身も心も、役を生きている』。そこにいるのは紛れもなく、『Aqoursの18人』!

 アニサマの中心軸としては勿論、J-POPの各種音楽祭でも、自信を持って勝負できると信じてる!」

 

 

 そのように、正直強く抱くのです。

 

 特に印象的だったことが、3つあります。

 

 第一に、「想いよひとつになれ」。これは先述しました。

 

 第二に、特に、ふりりん(降旗愛さん。黒澤ルビィ役)。

 もう、最初から最後まで、「徹頭徹尾」、ルビィちゃんだった。

 あの声、かなり喉を酷使すると思うんですよ。独特の声質ですし。

 特に、歌唱時。「ルビィ声」なのが伝わるんですよ。

 本人は恐らく、将来、歌手として勝負することは、考えていないのかなと、インタビュー記事を拝読していて、感じています。

 ですが、その気になれば、歌手として勝負できる水準にはあるはずだ、と。

 そのくらいすごい、ということなのです(そしてまた、表現力のすごさでもある。いまの時点で既に、「吹き替え」でも勝負できるだろうと、自信を持って言えます)。

 

 そして第三に、あんちゃん(伊波杏樹さん)。

 言わずもがなの、「Aqours」の絶対的な「リーダー」にして「エース」です。

 実は、「Aqours」で自分が最も不安視していたのが、この、「あんちゃんへの過度の負担」でした。

 

 というのも、「μ’s」は、「リーダー」は、えみつんなのです。

 ですが、「エース」は、ナンジョルノ、うっちー、みもりんの「BIG3」で、役割分担がなされていた。

 歌唱力ならば、ぱいちゃんも然り。「影のリーダー」ならば、うっちーは勿論、そらまるの存在が大きい。

 話術に優れるりっぴー、アクセントをつけられるくっすんも、大きな存在意義です。

 シカちゃんも、ライブを重ねるたびに成長している感じが伝わってきました。

 

 では、「Aqours」はどうなのかというと、よくも悪くも「横一線」なのです。

 「μ’s」の場合、「トッププロスペクト」と、「そうではない存在」が、よくも悪くも、はっきりとしていました。

 「ナンジョルノ、みもりん、うっちー、そらまる」が、「トッププロスペクト」。

 あとの5人は、それに何とか少しでも近付こう、の感じ(子役出身のりっぴーは、表現力に優れるので、ある種別枠だったりの感じですけど)。

 

 で、「Aqours」の場合、「横一線」と述べました。

 ありしゃ(小宮有紗さん。黒澤ダイヤ役)が、映像出身ですので、ある種別枠ではありますが。

 誰が「トッププロスペクト」かも、正直わからない。強いて挙げれば、あいきゃん(小林愛香さん、津島善子役)、きんぐ(高槻かなこさん。国木田花丸役)は、恐らく「歌手一本」で勝負なのかな、という想像ではあるけど、と。

 

 そのようなメンバー構成。でもある種それは、「諸刃の剣」ではある。

 スポーツの場合、「チーム作り」という概念があって、誰を中心にチームを組み立てる、という考えになっていくのですけど、あんちゃんの存在感が、「よくも悪くも」圧倒的な感じに映って、それが不安要素としてあったのです。

 

 だけど、1stライブを踏まえて(あるいはそれまでの準備段階。これは、テレビアニメ1期とかをも含めてです)、一人一人それぞれに、ある種の「自覚」は、確実に芽生え、そして根付いていた。

 そう、そこにあったのはまさしく、

 

 「一人一人それぞれが『エース』である。最終的に引っ張るのは、あんちゃんだけど、あんちゃん(あるいは、りきゃこ)が先頭にいて、でも他のメンバーが、あんちゃん(りきゃこ)を支える、いわば『支え合い』の『win-win』の関係が、そこには成立している。」

 

 この姿なのです。どういうことか、まだスペースを割いてしまいそうな感じですので、続きを、(その4)にて言及させて頂きたく思います。

2017年

8月

03日

「1000人絶叫、Aqours1stLive、スクフェス感謝祭2017、そしてAqours2ndLive、及びその先へと向かって自分なりに感じること(その2)。」

 (その1)において、「『第2回1000人絶叫』への参加、及び、μ’sへの『永遠の愛』の再認識。」について述べました。

 

 では、(その2)では、「自分自身がいま感じている、『μ’s』のメンバー、それぞれへの解釈。」について言及したいと思います。

 

 

 最初に述べます。この2年くらい、「μ’s」及び「Aqours」を(微力ですが)応援し続けてきて、自分の中で強く感じているのが、

 

 「声優≧キャラクター」

 

 これが自分の本質的な価値観なのかな、と思うのです。

 理由は恐らく、いろいろとあるかなの感じです。

 

 

 (図解4)何故、自分の基本的な価値観として「声優≧キャラクター」であるのか。

 

 (1)「μ’s」であれ、「Aqours」であれ、「この担当声優が個のキャラクターを生きている(演じている)からこそ、キャラクターも担当声優も「最高に輝ける」と感じるから。

 (2)基本的に、どのような物事でも、「動態的な事象」に強い関心を抱くと実感するから。自分の場合、1回目の大学時代で政治学を学んでいましたけど、「制度的なこと(=静態的な事象)」よりも、「政治特有のどろどろ感(=動態的な事象)」の方が、より「わくわく感」を感じながら学べましたので。

 (3)(2)に関係するけど、『ラブライブ!』に出会って、自分は本当はアニメは「(思ったよりも)性に合うのかな」と気付かされるから。だけど、漫画には未だに「興味ゼロ」(申し訳ないけど、『ラブライブ!』の漫画版でさえ、です)。恐らく、キャラクターが具体的に動いている姿に、自分は心を揺さぶられるのかな、と思うのです。

 (4)というか漫画本は、全く読まない訳ではないですけど、買うことはまずない。時折立ち読みするにしても、目当ては「グラビアページ」の程度(ごめんなさい、「プレイボーイ」の延長線上です)。

 (5)結局のところ、キャラクターの成長は「想像力」にかなり委ねられる感じとしてあるけど、担当声優の成長は「リアルタイム」で感じ取ることができる。これも大きく影響しているのかな、と。

 

 

 およそ、そのような感覚としてあるんですよね。

 

 それに自分の場合、そもそも「μ’s」に出会ったきっかけ、あるいは「μ’s」に夢中になれた大きな要因は、その「物語性」というよりは(勿論、物語自体も、「なんと素敵なんだ!」という感じではあるのですけど)、

 

 「『音楽性』への強い共感。」

 

 これが大きいのです。ですので、「担当声優」というよりは、一人一人の担当声優にしても、自分の中では、

 

 「『歌手としての姿』との、ある種のパッケージ。」

 

 そのような感覚が、正直強いのです。

 ですので後述で触れるかなですけど、申し訳ないですけど、そらまる(徳井青空さん)は、ある種の「逆補正」が掛かってしまう感じなんですよね(ただし彼女の、その独特の個性、感受性は、むしろ大好きであったりします。それに、「ファイナルライブ」2日目の、冒頭のMCにおいて、うっちーが「声が出ない」で涙がこぼれた場面で、そっとなぐさめる場面は、「そらまるだからこそ」と正直感じましたし)。

 まあ尤も、だからといって、いわゆる「歌唱力」だけで好感度が決まっていく感じでもない訳で、結局のところは、自分自身の「感覚」(フィーリング)、という感じなのですけど。

 

 

 およそ、そのような感じですけど、では、現時点において、自分が、「μ’s」のそれぞれのメンバーについて、どう感じているのか(どのように解釈しているのか)を、言及させて頂きたく思います。

 「箱推し」ですけど、推しの度合いが特に強いメンバーが、4人います(後述にて言及します)。

 また、現時点での、自分が感じている「立ち位置」を考慮しながら、言及するメンバーの順序立てをしている感じであることを、御許し下さい。

 

 

 (図解5)自分が現時点で解釈している、「μ’s」のメンバー(担当声優)、それぞれへの解釈(あるいは、それぞれに対して、いま伝えたいこと)。

 

 

 (1)南條愛乃(ナンジョルノ。絢瀬絵里役)

 

 いわゆる「BIG3」の一人。特に「声優アーティスト」としては、既に第一人者の一人と解釈しています(ソロ歌手としても、「fripSide」としても)。

 そう、「歌姫」になるために生まれてきた。それほどに歌唱力がすごい。

 「シンフォギア」シリーズの一員でもあるように、表現力も高いレベルにある。

 

 「デジタルJ-POP」のイメージが強いけど、ソロ歌手としてはむしろ「聴かせる」スタイルが基本型かなと。

 つまり基本的には「J-POP」準拠(実際、自身が作詞している楽曲が他のメンバーに比して多い)。

 「水樹奈々」の後継者最有力と自分は思っていますが、むしろスタイル的には「茅原実里」に近い解釈を、自分はしています。

 

 本人は各種インタビューを拝読しても、「声優」「歌手」同じように大切にしていることが強く伝わりますけど、とにかくいま、自分が願っているのは、「無理をしないで欲しい」こと。

 膝を壊したときも悲しかったけど、声を壊すのはもっと悲しいこと。そもそも、「アニサマ2014」におけるナンジョルノとの出会いがなければ、「μ’s」との出会いは恐らくなかった訳ですし、「箱推し」である現在でも、根っこはやっぱり「ナンジョルノ推し」であり続けていると実感する訳ですし。

 

 いつかソロライブ、是非とも参加したいと思う訳ですけど(これは他の推しのメンバーにもいえますが)、今年に入って、「脱ポニーテール」の傾向を感じていて、「大人の声優(歌手)」ということを強く意識しているのかな、と。

 くだらないツイートも、最初は苦手でした。でもそれも、ナンジョルノの「飾らない人柄」の証かなと、いまでは思えるようになっていて。

 そして個人的には、「いつ、(ソロ歌手として)日本武道館に到達するのか?」ということ。

 技量的にも、人気的にも、いつ到達しても不思議ではない、そう自分では思っていますし、自分自身のことが落ち着いて、そして日本武道館公演が叶えば、そのときは特に、「ナンジョルノの世界」を、同じ空間で感じることが叶えば、そう思っています。

 

 1年でも長く、歌い続けて欲しい。だって自分の中で、ナンジョルノは「永遠の歌姫」ですので。

 ここ2年連続で、「南條愛乃生誕祭」は、「一人カラオケ」、しかも「ナンジョルノ関連楽曲縛り」ですので。

 

 

 ちなみに今年の、「南條愛乃生誕祭2017、一人カラオケ」セットリスト。

 

 「1.believe in myself(ソロ歌手。1stアルバム収録曲。「負けないで」を彷彿)

 2.Eternal Reality(fripSide。超電磁砲楽曲。特に好んで歌ってます)

 3.硝子の花園(μ’s。「のぞえり楽曲」。ありがとうPJの4th1日目、最高に「ぶち上がりました」)

 4.あなたの愛した世界(ソロ歌手。「グリザイア三部作」1曲目)

 5.黄昏のスタアライト(ソロ歌手。「グリザイア三部作」2曲目。特に好んで歌う楽曲ですが、なかなか点数が出せなくて、ナンジョルノの「歌唱技術」のすさまじさを実感します)

 6.white forces(fripSide。「シュヴァルツェスマーケン楽曲」。独特のリズム感が大好きなんですよね。LIVEDAMで歌うのですが、これぞ「デジタルJ-POP」と実感するCGフル活用のMVがたまりません)

 7.1983(fripSide。「シュヴァルツェスマーケン楽曲」。何故かこの楽曲は、不思議と込み上げる感覚があって、聴くときは涙がこぼれることもあります。勿論、それほどに大好きな楽曲でもありますが)

 8.START:DASH!!(μ’s。勝負どころとなる部分で、ナンジョルノのソロパートが。自分自身を奮い立たせたいときに、よく聴いています)

 9.Storm in Lover(μ’s。「えりうみ楽曲」。ナンジョルノが「歌姫」たるゆえんを存分に見せつけている楽曲の一つと自分は思っています。尤もこの楽曲は歌う自信がないので「聴く」に充てましたが)

 10.Simple feelings(ソロ歌手。えりちへのアンサーソング。歌う自信がないので、この楽曲も「聴く」楽曲ですが)

 11.きみを探しに(ソロ歌手。「グリザイア三部作」3曲目。「愛してる」が3回あるのですが、3つそれぞれに歌い方が微妙に異なるので、「奥の深さ」を感じます。これもまた大好きな楽曲です)

 12.black bullet(fripSide。今回、LIVEDAMで歌いましたけど、水晶玉verを用いたMVで登場する少女が、不思議と心を引き付けられます[女優の大後寿々花さんに似ている。勿論同一人物ではないと思うが。ちなみに、「僕たちはひとつの光」「想いよひとつになれ」のMVで登場する、長い髪の少女も、恐らく同一人物かなと思います)

 13.Angelic Angel(μ’s。ナンジョルノのセンター楽曲。南條愛乃の名実ともに代表曲の一つと思いますが、このときにはスタミナ切れを感じていたので、泣く泣く「聴く」に充てました]

 14.Sister’s noise(fripSide。アニメソングの中でも「僕光」「ETERNAL BLAZE」と並ぶ「教典」です。もう、「発狂度MAX」ですので、聴く分には最高。ただし歌うスタミナはもうなかったので、「聴く」でした)

 15.僕たちはひとつの光(μ’s。もはや説明不要。一人カラオケの際は、まず必ずといってよいほどに入れています)」

 

 およそ、そのような感じですけど、やっぱり自分の中では、ナンジョルノは「永遠の歌姫」と思う感じです。

 

 

 (2)内田彩(うっちー。南ことり役)

 

 いわゆる「BIG3」の一人。「μ’s」結成当初から、いわゆる「トッププロスペクト」の一人だったと解釈していますが、『リルリルフェアリル』『けものフレンズ』の成功で、声優としての「第一人者」の地位をつかんだ、そう自分は思っています。

 声優としてのみならず、歌手としても「加速度的な成長」の感じで。

 

 2016年8月の「日本武道館」到達は、ただ単なる「μ’s」補正ではない。

 人一倍の「血のにじむような努力」、及び、その「卓越した表現力」、その賜物であるように思うのです。

 

 そもそも自分が「箱推し」になるきっかけは、うっちーの、その「一生懸命さ」。

 「豊かな人間性」という言葉がありますけど、それはまさしく、うっちーのためにある。

 

 (https://aikyujin.jimdo.com/2017/02/23/%CE%BC-s%E3%81%AE18%E4%BA%BA-%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86-%E6%B0%B8%E9%81%A0%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC-%E3%81%AB%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%88%E3%81%9F%E5%96%9C%E3%81%B3-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6-%CE%BC-s-final-lovelive-%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%86%E3%82%8B-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96-%E3%81%8B%E3%82%891%E5%B9%B4%E8%BF%91%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%A0%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%93%E3%81%9D-%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E7%8E%87%E7%9B%B4%E3%81%AB%E6%84%9F%E3%81%98%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%93/)

 

 上記のブログエントリーでも言及しましたけど、自分の中では、うっちーは「Twitterの女神」と思っていて。

 特に、紅白歌合戦のときの、ナンジョルノが出場断念を決断したときの、一連のツイート(2015年12月29日)。このとき、「一生、ナンジョルノもうっちーも推し続けよう!」、そう強く決心しましたので。

 

 最初は正直、苦手でした。なんだこの、キンキンした声は、と。

 でも、いまでは強く思える。「うっちーだからこそできる、『味わい』」である。

 そう、「批判を称賛に変える」、それをまさしく具現化してみせた。

 

 「START:DASH!!」。あの楽曲の、「勝負どころ」の部分。

 ナンジョルノ、ぱいちゃん、えみつん。確かに「μ’s」の「歌うまトリオ」です。

 でも内心、正直悔しかったでしょう。

 

 だけどいまのうっちーならば、きっと自信を持って言えると信じてる。

 「あなたたちの領域に、追い付けたよ!」と。

 ただ単に(こぶし、ビブラートとかの)技術だけではない。「表現力」という最大の持ち味を活かして、「声優アーティスト」としても高いレベルで勝負できるようになった、そう強く抱く。

 それと、ライブのスタイルとして、盛り上がる曲が結構ちりばめられている、とも伺います。

 それも、「ファン想い」の「うっちーらしさ」の現れなのかもしれないなあ、の感じです。

 

 「田村ゆかり」を彷彿とさせる。そのような見解も、確かに聞こえてきます。

 でも自分は、それとはまた違った「切り口」を感じています(勿論、よい意味で)。

 無理してタイアップにこだわる必要はない。「うっちーらしく」、それを追い求め続けて欲しい。

 その方が、自分としてはとっても嬉しいですので。

 

 「ことりちゃんとして(活動を)やっているのであって、私自身がアイドル活動をやっている訳ではないから」

 かつて、インタビュー記事で述べていたこの言葉。これこそ、うっちーの魅力を象徴していると、自分は思っています(そう、「うっちーのプロ意識はガチ!」ということ。「アイドル声優」など、特にうっちーに対しては「もってのほか」と自分は解釈しています)。

 

 とはいえ、やはり、「μ’s」のメンバーとしてのみならず、いまや女性声優(及び、「声優アーティスト」)として、第一人者に上り詰めたからこそ、抱くこと、願うことはあるのです。

 特に、歌手として(自分の場合、「音楽」がきっかけですので、特に強い思い入れがありますので)。

 いつの日か、群馬での凱旋ライブが叶って欲しいこと。「グリーンドーム前橋」「太田市民会館」、そのいずれであれ。それが特に、「見たい景色」としてあるんですよね。

 

 そして、うっちーの魅力は、「プロ意識」「温かくてひたむきな人間性」と共に、「表現力の引き出しの多さ」と自分は解釈しています。その意味で、

 

 「吹き替えへの挑戦」

 

 これを見てみたい(きっと通用すると自分は信じてます!というか、ないことにむしろ驚きと申しますか)。

 「声」ということに強いこだわりが伝わる(それがうっちーの魅力とは、わかってはいますが)、そのような感じですけど、もしも本人が望むならば(あくまでも、ですが)、映像の世界でも通用し得る表現力はある、一人のファンとして、内心そう思っている感じでは、あるのですけど。

 

 (ちなみに僭越ながら、「ヒルナンデス」の金曜日のコーナー、「三色ショッピング」で、同じ群馬県の先輩である井森美幸さんに「洗礼を浴び」つつ、「うっちーの世界」を見せて欲しい、それも、実は自分が「見たい景色」の一つであったりします。でもそれは、「うっちーらしさ」を奪うリスクもあると感じますし、あくまでも自分の妄想に過ぎない感じでは、あるのですけど。)

 

 うっちーもまた、いつの日か、ライブに是非参加したいアーティストですけど、個人的には、「with you」(うっちーのライブにおいては、特に重要な意味合いを持つと伺う。2016年8月の日本武道館公演では、「ラスト」の楽曲でした)、及び「SUMILE SMILE」、生で聴くと、どんな景色(世界)が見えるだろう、総楽しみにしている感じなのです。

 

 それと、Aqoursのメンバーと共演する機会があったら、その際は、「プロ意識」を伝えて欲しい、そう強く願っています(たとえ言葉ではなくとも、背中でよいですので。勿論、「Aqours」のメンバーも、「プロ意識の集団」とは思いますけど、うっちーは「プロの中のプロ」と思う感じですので)。

 

 いずれにせよ、いつまでも「我らが大天使うっちー!」であり続けて欲しいですし、声優、歌手としてのみならず、これからも素敵なツイート、楽しみにしています、の感じですが。

 

 

 (3)三森すずこ(みもりん。園田海未役)

 

 「μ’s」のメンバーの中でも(というか、女性声優全体としても)、Twitterのフォロワー数がNo.1(なんと「100万人」の大台超えです)。

 いわゆる「BIG3」の一人としてのみならず、独特の世界を提示し続けてくれる、特に「魅せる」ことは第一人者といえるでしょう。

 

 正直、「μ’s」のメンバーの中での推しの度合いは、あまり強い方ではありません。

 ですが、表現のレパートリーは、実に豊富といえる。

 元来、舞台、ミュージカルの出身と伺っていますが、それを存分に生かしているよなあ、と。

 

 誰に対しても言えることですけど、「1年でも息長く」、それが強く願うこととしてあって。

 その意味で、「引き出しの多さ」(役柄のみならず、活動の守備範囲、という意味でも)は、みもりんの大きな「ストロングポイント(長所)」といえる感じで。

 

 いま、Aqoursのメンバーと、共演する機会が少なからずあると伺っています。

 特に、今年でしたか、イベントで、すわわ(諏訪ななかさん)と共演したとのことで。

 すわわの、嬉しそうな表情。きっと感無量だったでしょう、すわわにとっては。

 Aqoursのメンバーに対して、自らの経験を伝えていって欲しい。

 いま、みもりんに対して、それが特に強く願うこととしてあります。

 

 

 (4)徳井青空(そらまる。矢澤にこ役)

 

 「μ’s」の中で唯一の、「声優一本組」。

 というか、「クリエーターの才能」、といった方が適切かもしれませんね。

 

 「μ’s」が、どのような困難に立たされても、一つであり続けられたこと。そして、「最高の高み」へと上り詰められたこと。

 それは、そらまるなしにはあり得なかった。少なくとも自分は、そう解釈しています。

 

 良く、ネットの世界で、「打線組んだ」とありますし、かくいう自分自身、野球は特に大好きです。

 ですので、自分の中で、「μ’s」の「脳内打線」を組むことがあります。

 このときはどう組むのがベストだったんだろう、いまだとどんな感じなのかな、とか。

 ましてや、「μ’s」も「Aqours」も、「9人」である訳ですので。

 

 そう。そらまるを「1番」に置くと、しっくりいくことが結構あるのです(必ずしも毎回ではありませんけど)。

 なんだか、「切り込み隊長」のイメージがするんですよね、自分の中では。

 

 盛り上げが実に上手。それはまさしく「天賦の才能」。

 「PSYCHIC FIRE」が、特に象徴的。MCのときも然り。

 それでいて、根はとても「優しい心の持ち主」。2日目の冒頭のMC、うっちー(内田彩)を突如襲った逆境、あのとき、そらまるがそっとフォローしてくれたから、うっちーは息を吹き返せた。

 そう、「NO EXIT ORION」での感動の光景。あれはそらまるが陰でお膳立てしてくれていたのかな、と。

 

 先日の、『まけるな あくのぐんだん』。

 「μ’s」の「夢の続き」。それを垣間見るような感じで。

 

 信じる道を、地道に歩み続けて欲しい。

 それは、声優としてのみならず、クリエーターとして追い求めることをも含めて。

 ささやかながらですけど、これからもあなたが描く「素敵な景色」、楽しみたい、そう強く抱きます。

 

 

 (5)久保ユリカ(シカちゃん。小泉花陽役)

 

 関西の星(奈良県出身)。自分も、兵庫で生まれ育ち、いまは大阪ですので、何だかんだで、やっぱり「輝いて欲しい」、そう強く抱くのです。

 その一方で、フラットな感じで観たときには、自分自身の中での推しの度合いは、正直、あまり強くはない感じで申し訳ないのですけど。

 

 なんというか、「独特な個性」を持っている感じで。それが「持ち味」であり、でも、時として「とっつきにくさ」を感じるところもあるというか。

 SNSを基本的にしないこと、歌手活動も、まったりペースなことも、推しの度合いが自分の中で強くない要素の一つかも、と思ったりです。

 とはいえ、「表現力」こそ大きな持ち味と思う訳で、歌うことについては、その持っている個性を考えると、「無理のない範囲で」(技術というよりは、表現力全振りの感じなので)、そう強く抱く感じなんですよね。

 

 でもやっぱり、「輝いて欲しい」想いは少なからず強くあるのかなと思う感じで、「アニゲー・イレブン」、実はちょくちょく見させて頂いています。本当はとても明るくて、一生懸命な人間なんだなあということが伝わる感じで。それでいて、かよちん(小泉花陽)への想いを語るときとかでは、「生真面目」な一面をのぞかせる感じでもあって。

 

 いまひとつ、向き合えていない。そのようなもどかしさの中で、この7月クール。

 『ようこそ実力至上主義の教室へ』(BS11、金曜日23時)

 シカちゃんは、主要人物の一人、櫛田桔梗役です(「桔梗」という名前が、いかにもアニメな感じですが)。

 

 何故観ようと思ったかというと、シカちゃんの成長を観たいのもありましたけど、それよりもむしろ、「学園もの」がもともと好きですし(ドラマでも映画でも)、タイトルから想像するに、「あっ、面白そう」と直感の感じで。

 

 正直、最初、「ああ、これ、例えばジブリあたりが、最も嫌いそうなタイプだなあ」と思いながら見ていました。

 だけど、第3話のラスト。桔梗の、陰の一面が覗いたとき。

 正直、(物語的には)ショックだった半面、シカちゃんの成長を感じ取れたんですよね。

 「あっ、これが、この2年間での加速度的な成長の現れなのかな」って。

 

 自分の中では苦労人のイメージなのです、シカちゃんは。

 だからこそ、理想とする「表現者」像を追い求め続けて欲しい。

 それをささやかながらでも、追いかけていきたいなあ。自分としては、そう思っています。

 

 

 (6)楠田亜衣奈(くっすん。東條希役)

 

 うっちーと共に、「μ’s」を「箱推し」にした大きな要素となった一人です。

 それでいて、自分の中では、「μ’s」の「ファイナルライブ」の「心のMYP」。

 

 あのファイナルライブのパフォーマンスは、くっすんが6年間を掛けて培ったすべてを、「出し尽くした」、いや、「持てる全力以上だった、そう、『神が舞い降りた』感じだった」、そう思うのです。

 

 くっすんを推すきっかけになった、YouTubeの、4thライブ、「Snow halation」のライブ動画。

 あのときも、「神が舞い降りた」感じでした。

 

 よく、くっすんについては、ネガティブな評価を、ちょくちょく耳にする感じとしてあります。

 「個人として成功できるのか?」という、手厳しい声までも。

 

 まあ確かに、「ぱっと見」では、「ギャルっぽい」感じかもしれません。

 実際最初は、自分自身、くっすんについては苦手でした。

 

 でもよく見ると、「味わい」がある感じなんですよね。

 だけどそれは、ちょっとディテールに心を配らないと、つかめないのかもしれない。

 

 『リルリルフェアリル』。主要人物の一人、ローズ役に加えて、ネコ先生役もしていたりします。

 ちゃんと聴いていれば、細かい表現力が伝わってくる感じだと、自分は思うのです(贔屓目なしにして)。

 一見、悪役に見えるけど、本当は不器用であるが故のことだって。

 それでいて、時折登場する、ネコ先生の演技。

 声優だって、れっきとした「役者」。そう強く感じるんですよね。

 

 映像の世界(女優、俳優)では、「個性派」という概念があります。

 例えば、相島一之さん(わからなかったら、ごめんなさい)。

 独特の「話し方」、そして「顔芸」。特に、(古いですけど)『富豪刑事』における、「こらー!勝手に帰るなー!」、あれは相島さんだからこそ成立し得る。

 まあ、だからこそ、SMT(松竹系の映画館)の幕間映像。あれはプラスの意味で「大草原」でした。

 えーっ、もしかして素顔、温かい人柄ってこと?って。

 

 くっすんって、「個性派」として貴重な感じになれると思うんですよね。そう自分は解釈しています。

 よくも悪くも、「背伸びしない」。それがマイナスへと誤解されやすいのかもしれませんけど。

 

 直近のインタビューにおいて(『My Girl』vol.19より)、下記の趣旨のことを述べています。

 

 「仕事ってまずは『好き』が大事だと思うんですよ。何をするか、何を選ぶかっていうのも『好きなもの』が自分にとっての正解なのかなって思います」

 「お芝居が好きで始めた声優というお仕事なので、できれば好きな仕事で人生を全うしたい」

 「『私、こういうのが好きなの。みんなも楽しいでしょ?』みたいなのを前面に出していきたいなっていうのはより強く思うようになりました」

 

 他にもいろいろと述べていますが、自分は、このインタビュー記事を拝読して、

 

 「ああ、だから自分は、くっすんを推し続けていたい、と思えるのかな。」

 

 そう強く抱くのです。

 

 これは自分自身に言い聞かせる感じでもあるのですけど、やっぱり、「好き」という気持ちこそが、仕事において、いや、何事においてかもしれませんが、「モチベーション」の最も大きな要素になり得ると思うのです。

 嫌いで嫌々やるよりも、好きでやることの方が、どんなに辛いことでも乗り越えられそう、と思えるでしょ?と自分は思うのです。

 

 そう、「等身大」。これこそ、くっすんの魅力と思うのです。

 でも、「勝負どころ」はつかんで離さない。その象徴が、あの東京ドームの大舞台だった。

 

 あと、「ジョルくす」。いろいろいわれますけど、「のぞえり」であること以上に、「永遠の盟友」なんだなあ、そう強く抱くのです(少なくとも、いわゆる「百合」は超越しているかと)。

 だって、昨年10月のくっすんのライブ(さんくっすん祭り)でしたか、ナンジョルノのソロ歌手としての代表曲の一つ、「ゼロイチキセキ」を歌唱したり、今年7月のナンジョルノのBDライブに、ひょっこり乱入したり。

 もう、「最高かよ」、それが正直な感覚なんですよね(すみません、「HKT48」の楽曲をもじってしまって)。

 

 で、いよいよ、8月10日。くっすんにとって、今まで培ってきたことの「一つの集大成」であろう、中野サンプラザの公演があります(2200人程度の収容だったと記憶しますが、くっすんにとっては、自身最大規模)。

 自分は参加できませんが(そして、いつの日か是非ともソロライブに参加させて頂きたい感じですが)、「最高に素敵なライブ」になって欲しい。そのように、ささやかながら応援させて頂く感じです。

 

 

 (7)飯田里穂(りっぴー。星空凛役)

 

 「μ’s」に出会ったきっかけ。第一としては、「アニサマ2014」におけるナンジョルノです。

 しかし、もう一つ。最大のきっかけとなった、「Rの法則」の再放送回。

 このときの、りっぴー。「こんなに大きくなって嬉しいよ…〈感涙)。」

 

 いまにして思えば、恥ずかしい感じですけど、かつて、『プレイボーイ』という雑誌を読んでいたとき。

 〈よい子は読まない方がよい雑誌かなですけど、と申し添えさせて頂きますが。)

 

 「りっぴーは、こんなところで終わるような人間ではないはずだ!もっと輝ける、いつか報われるときが絶対に来るはずだ!」

 

 そう強く抱いた感じだったんですよね。でも実は、このときには既に「μ’s」として勝負を始めていたことを知らなくて、の感じで。

 

 もともと、子役出身です。自分は、声優というのは、俳優(女優)の延長炎上、という解釈を、ずっとしてきました。

 それは勿論、一理ある、いまでもそう思っています。実際、子役出身の声優、あるいは映像経験のある声優は、少なからず存在していますし。

 

 だけどその一方で、「別物」という解釈もあります。

 いろいろと苦労もした、とも伺います。ましてや、メンバー最年少。

 そして、子役出身であるが故に、「相応のレベルができて当然でしょ?」という重圧もあったかもです。

 

 だけど、μ’sの「ファイナルライブ」。大人になったりっぴーが、間違いなくそこにはいた。

 特に、「春情ロマンティック」、「1年生曲〈Hello,星を数えて〉」、そして、「SDS(SUNNY DAY SONG)」。

 自分自身、りっぴーは「推し」の一人ですので、成長した姿、嬉しいんですよ。

 

 だけどその後、メンバーそれぞれが、「進みたい方向性」が明確になっていく一方で、りっぴーは、ただ一人、「模索中」の感じを、自分は抱いていました。

 女優、声優、歌手。あるいは、舞台、ミュージカルとかを含めて。

 いずれの世界でも、勝負はできるだろう。でも、「器用貧乏」のリスクもある。

 

 選んだ道は、「声優アーティスト」といえるでしょう。

 ですが自分は、むしろ、「歌で勝負したい、そして声優としても」。そう解釈しています。

 いま、μ’sで、歌手として勝負しているメンバーの中では、「盛り上げ上手」、それがりっぴーだと思っています。実際、それは楽曲にも反映されている感じでありますし(「厄介リスク」と背中合わせ、ともいえますが…)。

 

 とはいえ、歌唱技術は、発展途上の感じでもあります。むしろ子役なりμ’sなりで培った「表現力」「話術」の方が、持ち味と思うのです。

 それ自体は、それでよいと思う。でも、少なくともいえることは、

 

 「『りっぴーらしさ』を追い求め続けて欲しい。そして、『初心忘れるべからず』。

 初心を忘れたら、転落するのは一瞬。困難もあるだろうけど、初心を大切にし続けていたら、必ず道は拓けるから。」

 

 そう強く思うのです。一つ一つ、積み重ねていくこと。そして、何事にも全力で。

 いつかソロ歌手としてのライブ、是非とも参加したい(一度、観にライブは参加させて頂いたことがありますけど)。推し続けていきたいからこそ、温かく見守りたい、そして輝いて欲しい、そう強く抱きます。

 

 

 (8)Pile(ぱいちゃん。西木野真姫役)

 

 「μ’s」のメンバーの中では、唯一の「歌手一本組」。

 推しの度合いは、実はあまり強くはありません。ですけど、動向を特に気にかけているメンバーでもある感じです。

 

 だって自分自身、「音楽性」がきっかけで、μ’sの大ファンになった。

 で、μ’sの中でも、ぱいちゃん、ナンジョルノの「歌姫」ぶりは、(推しの度合いはともかく)「異議なし」であるはず。

 

 「Wonderful Rush」で、「ワーンダフール」と、真姫ちゃんが歌う場面があります。

 この部分。歌い終えるや否や、すかさずのタイミングで、「ぱいちゃーん」と叫ぶ(基本、「一人コール」)。

 「ありがとうPJ」では、これが「デフォルト」でした。だって、このときのぱいちゃん、最高に輝いて映るからです(陰では「厄介コール」といわれていたかもですけど、自分の「ぱいちゃん愛」が伝わっていたならば、その意味で嬉しいです、の感じです)。

 

 2回、ミニライブに参加させて頂いたことがあります。

 スタイル的には、基本、「アニソン全振り」。盛り上げ楽曲も少なくない。

 自分の中では、黒崎真音さんに近い印象があります(違っていたらごめんなさい)。

 

 「1年でも長く、歌を歌い続けていて欲しい。」

 

 ぱいちゃんに対する願いは、この一点に尽きるのです。

 そう、一年でも長い「歌手生命」。これこそが最も大切なこと。

 

 で、12月2日。自身初めての、「日本武道館」の大舞台です。

 おめでとう!そして、歌手一本で勝負してきたからこその「ぱいちゃんらしさ」を存分に見せつけて欲しい。

 一人の人間、一人のラブライバー、そして、一人のアニメソングファンとして、そう強く願うのです。

 

 

 (9)新田恵海(えみつん。高坂穂乃果役]

 

 「穂乃果ちゃんが最高に輝けたのは、えみつんが穂乃果ちゃんを全力で生きてくれたからこそ。」

 

 自分は、そう強く抱く感じなのです。

 

 正直、能力的な意味では、例えば、ナンジョルノ、あるいは、うっちーでも可能だったかもしれません。

 申し訳ないけど、えみつんは、必ずしも「トッププロスペクト」ではなかったので。

 

 だけど、穂乃果ちゃんは、えみつんでないと、やっぱり「しっくりいかない」感じなんですよね。

 アケフェスのセンター匡体にて、「じゃじゃーん!」という台詞があるのですけど、あれはやっぱり、えみつんだからこそ成立し得るのだ、と。

 

 で、えみつんといえば、やっぱり「歌唱力」、いや、「歌う姿」なんですよね。

 これは、「穂乃果ちゃん」にもいえたことですけど。

 そう、「歌う姿」、それ自体が「美しい」のだ、と。

 

 えみつんの場合、「テストの花道 ニューベンゼミ」(NHKEテレ、月曜日19時25分)のナレーションも印象的です。

 (かつて、ゆーき[倉益悠希さん]、マッシュ[黒島結菜さん]、DAWA[和田彩花さん]等が生徒役として在籍していた。ちなみに、後に「A応P」の一員になった、ゆうき[広瀬ゆうきさん]も、この生徒役の一員です。ちなみに当時は生徒役は、「ベンブ部員」と呼ばれていました。

 そしてこの番組自体、大好きなんですよね。学ぶことが多くて。ですので、えみつんがナレーションを務めることになったのは、なおさら嬉しかったのです。)

 

 ですが、えみつん。「μ’s」としてマイクを置いて以後、自分の中では、最も苦しんでいる印象があります。

 理由はいろいろとあるのかもしれません。それは自分には、正直わかりません。

 例えば、「華があるか」は、結局は人それぞれの解釈に委ねられることになる。

 ルックスのことも、然りかもしれない。でも歌手であるならば、本来は技量勝負であって然るべきはず、そう自分は思うのです。

 

 だけど自分は思うのです。誰よりも人一倍、努力をし続けてきたのは、えみつんに他ならない。

 確かに自分だって、「穂乃果ちゃん」は超絶大好きである一方で、えみつんの推しの度合いは、必ずしも強い訳ではありません。

 ですが、だからといって、やっぱり穂乃果推しでもある訳で、えみつんには、やっぱり「最高に輝いて欲しい」、そう強く抱きますし、「いわれなき批判」は、やっぱり看過できない、それが正直な感覚なのです。

 そう、言っていいことと悪いことがあるでしょう?と。「いわんとすること」が伝わればの感じですけど。

 

 そのような感じですけど、くっすんのライブが、8月10日にあります。

 ですが、その直前。えみつんのライブ。8月8日、9日の「2days」。

 そう。会場は、えみつんも、くっすんも、「中野サンプラザ」。

 (尤も、くっすんは「ツアーのファイナル」。えみつんは「中野の一点集中」。)

 

 誰が何と言おうとも、えみつんは、歌っているときこそが、誰よりも最高に輝いている。

 特に、「探求Dreaming」。エールをもらえる楽曲で、好きな楽曲の一つです。

 今度は、自分たちファンが、えみつんにエールを与えるとき。

 そう、「1年でも長く、歌手として勝負できる」、そのために。

 だって、歌っているえみつん、その姿こそ、大好きだから。

 

 

 うまく伝えられずに申し訳ないですし、気が付けば、「『μ’s』へのメンバー、それぞれへの『解釈』」ではなくて、「心の手紙」になってしまいましたね。僭越な感じで、申し訳ないですけど。

 

 

 では、すみません、続きを(その3)にて綴らせて頂きたく思います。

 

 

 

 

2017年

8月

03日

「1000人絶叫、Aqours1stLive、スクフェス感謝祭2017、そしてAqours2ndLive、及びその先へと向かって自分なりに感じること(その1)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第48回のブログエントリーの論題は、「1000人絶叫、Aqours1stLive、スクフェス感謝祭2017、そしてAqours2ndLive、及びその先へと向かって自分なりに感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の47回目になります。

 

 およそ半年ぶりのブログ更新であり、2回連続で「ラブライブ!」絡みの話題になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 最初に、今回の話題を進めるにあたって、前回の執筆記事(2月23日。[その6]まであります)のリンクから貼ろうと思います(それを踏まえたほうが理解が進むかなと思いますので。字が小さくて申し訳ないですし、デザインの知識もないので、なんだか平板な感じでなおさらごめんなさいの感じですが)。

 

 

 

 (図解1)前回更新(2月23日)のブログエントリーのリンク。

 (1)(「μ‘s FinalLoveLive!」を自分なりに振り返って。)

 (https://aikyujin.jimdo.com/2017/02/23/%E3%81%82/)

 (2)(何故自分が「ラブライバー」「μ‘sのファン」になったのか。)

 (https://aikyujin.jimdo.com/2017/02/23/%CE%BC-s%E3%81%AE18%E4%BA%BA-%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86-%E6%B0%B8%E9%81%A0%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC-%E3%81%AB%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%88%E3%81%9F%E5%96%9C%E3%81%B3-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6-%CE%BC-s-final-lovelive-%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%86%E3%82%8B-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96-%E3%81%8B%E3%82%891%E5%B9%B4%E8%BF%91%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%A0%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%93%E3%81%9D-%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E7%8E%87%E7%9B%B4%E3%81%AB%E6%84%9F%E3%81%98%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%92/)

 (3)(何故自分が「箱推し」になったのか。)

 (https://aikyujin.jimdo.com/2017/02/23/%CE%BC-s%E3%81%AE18%E4%BA%BA-%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86-%E6%B0%B8%E9%81%A0%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC-%E3%81%AB%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%88%E3%81%9F%E5%96%9C%E3%81%B3-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6-%CE%BC-s-final-lovelive-%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%86%E3%82%8B-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96-%E3%81%8B%E3%82%891%E5%B9%B4%E8%BF%91%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%A0%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%93%E3%81%9D-%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E7%8E%87%E7%9B%B4%E3%81%AB%E6%84%9F%E3%81%98%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%93/)

 (4)(「μ‘s」に出会えた喜び、「応援上映」の魅力と課題。)

 (https://aikyujin.jimdo.com/2017/02/23/%CE%BC-s%E3%81%AE18%E4%BA%BA-%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86-%E6%B0%B8%E9%81%A0%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC-%E3%81%AB%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%88%E3%81%9F%E5%96%9C%E3%81%B3-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6-%CE%BC-s-final-lovelive-%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%86%E3%82%8B-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96-%E3%81%8B%E3%82%891%E5%B9%B4%E8%BF%91%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%A0%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%93%E3%81%9D-%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E7%8E%87%E7%9B%B4%E3%81%AB%E6%84%9F%E3%81%98%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%94/)

 (5)(「μ‘s」の音楽的意義、「Aqours」に対する現時点での想い。)

 (https://aikyujin.jimdo.com/2017/02/23/%CE%BC-s%E3%81%AE18%E4%BA%BA-%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86-%E6%B0%B8%E9%81%A0%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC-%E3%81%AB%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%88%E3%81%9F%E5%96%9C%E3%81%B3-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6-%CE%BC-s-final-lovelive-%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%86%E3%82%8B-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96-%E3%81%8B%E3%82%891%E5%B9%B4%E8%BF%91%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%A0%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%93%E3%81%9D-%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E7%8E%87%E7%9B%B4%E3%81%AB%E6%84%9F%E3%81%98%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%95/)

 (6)(Aqoursに対する『希望』、及び、μ‘sメンバーへの『伝えたいこと』。) (https://aikyujin.jimdo.com/2017/02/23/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%82%92%E6%9B%B8%E3%81%8F/)

 

 

 

 今回のブログを読み進めて頂くにあたって、できることならば、この6つのブログエントリーを(精読ではなくとも、ざっくりとでよいですので)拝読して頂いてから読み進めて頂けると、とても有難く思います。

 

 では、本題へと入ります。

 

 

 人生最高の「あの感動」から、もう1年4か月。

 「あの感動」は、もうこれ以上は味わえないのかもしれない。

 それほどに衝撃だった、「忘れもしない、あの3日間」(SVをもカウントしていますが)。

 

 そう。冒頭にして、結論的なことから綴って申し訳ないですが、少なくとも現時点での自分の感覚は、

 

 

 「μ’s≧Aqours」

 

 

 この想いが、自分の「正直な感覚」であるのです。

 

 実は自分自身、ここ数か月、体調を崩していました。

 程度の度合いはともかく(浮き沈みがある感じというか)、いまも正直、「100%」といえる状態ではありません。

 正直、精神的に「きつい」です。私事ですが、進路のことを抱えていて(恥ずかしいですが、再就職活動中の身です)、それを第一義的に考えねばならないのですが、肝心のこの「第一義的なこと」が、なかなか前に進んでおらず、心苦しい日々であるのが現状です。

 

 なんというか、「気力が湧き上がらない」。必死で自分自身に言い聞かせても、体が言うことを聴いてくれない。

 実は自分、学年換算だと、ナンジョルノ(南條愛乃)と同学年なのです。

 スポーツの世界だと、ベテランに片足を突っ込む感じになる。

 野球だとFA権取得(そしてキャリアのピークを徐々に過ぎ始めていく)、サッカーだと、現役引退を考えていく、現実的にはそういう年齢です。

 

 ああ、自分はもう、自信を持って「若い世代」とはいえなくなってきたのかな、と実感させられるのです。

 心はいつまでもずっと、「若さ」を持ち続けていたい。そう、「まっさらな」「まじりけのない(清らかな)」感じであり続けていたい。

 

 だけど現実は…、なのです。例えば、SNS。ログインする頻度が減少傾向を感じます。

 Twitter(ツイッター)は、「週1~3回」の週も(以前ならば「3日あれば2回」は見ていた)。

 Facebook(FB)に至っては、もはやほぼ御無沙汰状態です。

 

 

 「文章を書くには、かなりのエネルギーを要する」

 第何話だったかは思い出せないのですが、『ホワイト・ラボ』(2014年4月クールのTBSのテレビドラマ)にて、この趣旨の言葉が、強く印象に残っています。ああ、説得力あるよなあ、と。

 

 もうねえ、何をするにも、気力、エネルギーが湧き上がってくれない。

 唯一、現在までおよそ3年間続けている、あるバスケットボールゲームだけは、不思議と積み重ねができている感じなのですけど、何故だろう?と考えさせられるのです。

 

 「(バスケゲームをしている時だけは)嫌なことを忘れられる。誰にも邪魔されず、『自分だけの世界』でいられる。」

 

 恐らくですが、そのような感覚なのかな、と思うのです。

 

 

 時系列的に述べれば、

 

 2月23日 前回ブログ更新

 2月25日、26日 Aqours1stLive(横浜アリーナ)

 (自分は「京成ローザ10」にて両日LV参戦。リアルの所用が東京であったため)

 4月1日 第2回1000人絶叫(東京・日野)

 (「μ’s FinalLoveLive!」の上映会)

 4月上旬 ここから体調を崩して、苦悶の日々

 (上映会から大阪へと帰って1週間後くらいのときに倒れた)

 6月10日、11日 「スクフェス感謝祭2017」参戦(池袋、サンシャインシティ)

 (体調が幾分かは回復してはいたので。「1000人絶叫」を「100」とすると、このときが「70」くらい)

 その後 「アケフェス」「一人カラオケ」はちょくちょくはできるようになったけど…

 (ただし、万全かといわれると、未だに浮き沈み。そして現在へ)

 

 およそ、このような感じです。

 

 

 ですので、本当ならば、

 

 「Aqours1stLive」→「第2回1000人絶叫」→「スクフェス感謝祭2017」

 

 の順に綴るのがベターかもしれませんが、自分の中ではどうもしっくりいかない感覚としてあって。

 そのような感じですので、

 

 「第2回1000人絶叫」→「Aqours1stLive」→「スクフェス感謝祭2017」

 

 この順序で綴らせて頂こう、と思います。

 

 

 前置きが長くなりましたが、では、いよいよ本題へと入ります。

 ではまず、「第2回1000人絶叫」、及び、「μ’sへの愛の再認識」、これについてを綴りたいと思います。

 

 

 2017年4月1日。「あの最高の感動」から、ちょうど1年。

 そう、「μ’s FinalLoveLive!」(東京ドーム)から、ちょうど1年を記念しての上映会です。

 

 会場は、日野(東京)。

 東京駅、あるいは新宿駅から「中央特快」で一本でいけます。

 (立川駅から一駅奥側、という表現の方がむしろわかりやすいかもですが。)

 

 ちょうど1年前。「第1回1000人絶叫」(2016年3月27日)。

 このときは、鴻巣〈埼玉県〉が会場。大宮よりも奥側になる。

 というか、高崎線を使用。「普通車2階建グリーン券」が活躍の感じ。

 だけどこのときの集まりは、最高に楽しかった。

 鴻巣での上映会が最高に楽しかったから、「μ’s FinalLoveLive!」は、自分自身にとっての「人生最高の感動」になったのかな、そう自分的には感じるのです。

 

 勿論、「μ’s FinalLoveLive!」は、一人一人それぞれの演者(μ’sの18人)が、最高に輝いていたこと。

 いやむしろ、それぞれが「血のにじむような努力」の「結晶」を、「これ以上ないほどに」表現できていたこと。

 それ自体が、あのファイナルライブを「永遠の伝説」へと昇華させる原動力になったと思う。

 そう、キャンディーズの伝説のラストライブ、いやそれ以上の領域へと。

 (キャンディーズは「映像の世界」ですので、の感じですけど。)

 

 

 鴻巣での感動的な時間(及び空間)があったから、ファイナルライブでのLV(自分は、LV両日、及びSVのいずれも、「MOVIX八尾」でした)において、「人生最高の感動」を体感できた、そう強く感じるのです。

 ですので、「第2回1000人絶叫」開催が決まったときは、最高に嬉しかった感じでした。

 

 とはいえ、かくいう自分自身は、関西(大阪)の人間です。

 ですので、会場の下見は、どうにか確保せねばならない(だけど遠征な訳で、ハードルはやはりある訳で、の感じで)。

 

 最寄り駅(日野)からそれなりに歩くことは、発表されていたので、格安スマホの地図を頼りに、「Aqours1stLive」のLV2日目(京成ローザ10)の前に、下見を決行しました。

 

 そしたら、上り坂がきつい。およそ5分近く歩く(しかも結構な急勾配)。

 かつて住んでいた西宮(兵庫県)のとき、自宅近くが結構な急勾配の坂でしたので、それを思い起こす感じで、自分的にはある種の懐かしさを感じたのですけど、でも、最寄り駅からざっと18分くらい歩く感じでしたので、これは体力(精神的なことを含めて)を使うなあ、の感じでした。

 

 

 で、本番。

 結論的に述べれば、「最高に楽しかった」の感じでした。

 

 ああ、あのとき、μ’sのあのメンバーには、こんな景色が見えていたのかな。

 あのとき自分が見ていた景色は、こんな感じだったのかな。

 そういったことを感じながら、およそ5時間の長丁場をやり遂げた感じです。

 

 基本的に、休憩はほとんどない感じ。

 ですが自分の場合、実は「ある常備薬」が欠かせない身体です。

 (具体的なことは言えませんが。呼吸器に関わること、そして、「応援上映勢」としての現役生命[適切な言葉が思い浮かばずにすみませんが]を長らえるには特に重要、とだけ述べさせて頂く感じですが。)

 

 「μ’s Chronicle」という、μ’sのメンバー、一人一人の言葉。

 自分は特に、この部分を大切にしたかった。

 

 ですのでその分、曲の合間とか、中には曲のときにひっそりと席を外す(うまいこと、端の座席を確保できたので。まあ、前から7列目だったのですけど)こともある感じで。

 だけど自分の身体はやはり大切。もどかしさは正直ありましたけど。

 

 

 そのような感じですけど、もう、内容としては最高に楽しくて。

 いわゆる「精鋭」揃い(?)なこともあってか、盛り上がりはすさまじかったですね。

 自分の「生命線」といえる「せーのっ!」(我ながら、独特の高音ボイスです)も、しばしばかすんで感じるほど。

 

 だけど、「最後まで泣くまい」とは思っていたのですけど、ラストのMCで、結局「涙腺崩壊」になりました。

 それほどに、「これ以上ない感動」だったんだろうなあ、と改めて再認識の感じだったんですよね。

 

 

 (図解2)「第2回1000人絶叫」において、自分が特に印象に残った場面(その1)。

 

 (1)「夏色」→「WR」。この部分の盛り上がりは、やはりすさまじい。

 (2)「NO EXIT ORION」。うっちー(内田彩)を囲い込むような5万人の大声援。誰よりも、うっちーが最高に輝いて映った。

 (3)「lily white」楽曲のみならず、全体曲をも含めて、くっすん(楠田亜衣奈)、りっぴー(飯田里穂)は、μ’sの活動を積み重ねるたびに、大きく成長していったことを強く実感。特にくっすんは、「圧巻のパフォーマンス」であり、自分の中では「ファイナルライブの『心のMVP』」と再認識。

 (4)「PSYCHIC FIRE」(通称「PF」)の熱量は圧巻。正直圧倒される感覚でしたけど、それがむしろ最高にたまらない感覚としてあって。

 

 

 他にも印象的な場面は、いくつもあります。いや、いま上記で挙げたこと以上に、自分の中で特に心に響いた場面、3つ挙げます。

 

 

 (図解3)「第2回1000人絶叫」において、自分が特に印象に残った場面(その2)。

 ([図解2]よりも、印象度の度合いがより強いことと解釈して頂けると有難いです。)

 

 (5)「μ’s Chronicle」、「3rdライブ」の場面、楠田亜衣奈さんの言葉(趣旨として)。

 「希と一緒にライブをしている。ステージに立っているときは9人かもしれないですけど、私の中では18人で立っているというイメージですので。」

 この言葉は「永遠の名言」。LV、SVのとき以上に、改めて聴き返して、この想いをより強く抱いた感じです。

 

 (6)「M33 Super LOVE=Super LIVE!」(通称「SLSL」)。

 あのときの、くっすんがナンジョルノ(南條愛乃)に抱き付いた(ハグした)場面。

 あれは演出というよりもむしろ、「真実の愛」。そう自分には映った。

 そう、「のぞえり」であること以上に、「ジョルくす」であった。

 そして「ジョルくすこそ我が命!」という自分の感覚は間違っていなかった、そう実感できて最高に嬉しかったんですよね。

 

 (7)「EN2 Snow halation」(通称「スノハレ」)

 楽曲自体が最高に素敵なのですけど、何よりも最高に感動したのが、この楽曲の代名詞といえる、「『白→オレンジ』の色替え」。

 これが「完璧に決まった」こと、そしてその「色鮮やかさ」。

 「みんな、最高だよ!」感動のあまり、思わずそう叫んでしまいましたけど、もう、それほどに、この「第2回1000人絶叫」において、「最高の場面」だったんですよね。

 

 (8)「W-ENCORE 僕たちはひとつの光」(通称「僕光」)

 ただ一言。「『僕光』こと『永遠の名曲』」。

 アニメソングという意味では、「ETERNAL BLAZE」と「双璧」と自分は思ってます。

 (まあ自分の中では、「僕光」は、「負けないで」と共に「2トップ」の感じではあるのですが。)

 自分はひたすらに歌ってましたが(あくまでも自分の解釈です)、コールの熱量もすごくて(共感はできないですけど)、「素敵」「壮観」、そう強く感じました。

 

 

 ざっくりと、およそ、このような感じですかね。

 まあ、この「最高に素敵な上映会」から、1週間足らずで、体調を崩して苦悶の日々になってしまったのですけど…。

 

 だけど、後悔はしていない。

 だって、「やらずに後悔するよりも、やって後悔する方がよい」という言葉がありますけど、これって一つの真理だよなあと、振り返って改めて実感するのです。

 

 そして、このような上映会、またいつの日か、「Aqours」でも叶うと、もっと嬉しい。

 一人の人間、一人のアニメソング好き、そして一人のラブライバーとして、そう強く抱くのです。

 まあ、はい、首を長くして待っています、という感じなんですけどね。あくまでも、自分の願望ですけど。

 

 

 では、すみません、続きを(その2)にて綴らせて頂きたく思います。

 

2017年

2月

23日

「『μ‘sの18人』という『永遠の伝説』に出会えた喜び、そして『μ’s Final LoveLive!』(いわゆる『ファイナルライブ』)から1年近くたったいまだからこそ、一人のラブライバーとして率直に感じること(その6)。」

 ここまで、

 

 (その1)(「μ‘s FinalLoveLive!」を自分なりに振り返って。)

 (その2)(何故自分が「ラブライバー」「μ‘sのファン」になったのか。)

 (その3)(何故自分が「箱推し」になったのか。)

 (その4)(「μ‘s」に出会えた喜び、「応援上映」の魅力と課題。)

 (その5)(「μ‘s」の音楽的意義、「Aqours」に対する現時点での想い。)

 

 について、言及させて頂きました。

 

 このことを踏まえて、いよいよ、今回のラストレス、(その6)です。

 「Aqoursに対する『希望』、及び、μ‘sメンバーへの『伝えたいこと』。」

 これについて、綴らせて頂きたいと思います。

 

 

 「『(聴いている)人間の心に訴える』歌唱ができること。」

 このことが、自分が「Aqours」について、音楽的な面で願う、事実上唯一最大の強い願いとしてあること。

 

 このことを、(その5)のラストにて言及しました。

 このことは、「声優アーティスト」云々のみならず、「歌うこと」、つまり「歌手」そのものとして(あるいは、歌手を志す人間として)、とても大切なことと自分は思っている感じですけど。

 で、実は、昨日、ある音楽番組を観ていて、いままで以上に強く認識した感覚としてあったんですよね。それについて、少し言及させて頂きたいと思います。

 

 

 (https://www.youtube.com/watch?v=eUVEc0pj8n8)

 

 

 Youtubeにアップされていたので、リンクを貼らせて頂きました。

 そう。昨日の、テレビ東京『THEカラオケ★バトル』です。

 「U-18歌うま四天王 四天王入れ替え戦」が、この回のテーマでした。

 

 富金原佑菜さん。愛知県在住の、中学1年生の少女です。

 恐らく、読み方的には、「ふきんばら ゆうな」でしょうか。

 

 歌唱した楽曲は、絢香「beautiful」(2013年)です。

 先述のように、絢香さんの楽曲は、特に高い歌唱技術が求められる傾向が強い、と自分は感じています(要求される音域の広さとかを含めて)。

 

 動画は「5:01」までありますが、歌唱本編は「1:24~3:14」です。

 歌唱本編に入る前に、人物紹介。歌唱本編終了後、「4:05」までが講評で、その後に採点になります(機械による採点。「LIVEDAM STADIUM」を採用)。

 

 佑菜さんの歌唱を聴いていて、自分は正直、「一目惚れ」したんですよ。

 「なんと素敵な歌唱なんだ!」と強い「感動」を覚えて。

 

 

 「『人間の心に訴える』歌唱と強く感じる。『伝えたいこと』、特に『情感』が伝わってきて、それが最高に魅力的。

 澄んだ声質で声量をも備えていることも勿論なのだけど、『全身を使う』、とりわけ『左手の使い方』がとても印象的(マイクと逆側の手の使い方、ということ)。」

 

 

 正直、純粋な「歌唱技術」だけでならば、今回の出場者でも、「すごい」という人間は、確かに何人かいました。

 ですが、佑菜さんは、歌唱ということにおいて、「技術」以上に、「気持ち」という、もっと大切なことがある、少なくとも自分には、ひしひしと強く伝わってくるのです(勿論、「技術」もとても高いレベルと聴いていて感じますし、「対人間」であれば、もっと違っていたかも?とも思う感じですが)。

 

 愛知とのことですし、自分は大阪なのですが、いつの日か、聴く機会があれば、是非聴きたい、それほどに、「心を強く揺さぶられる」感じですし、何よりも、

 

 「絶対にプロの歌手として成功して欲しい!ずっと、佑菜さんが信じる歌を歌い続けて欲しい!」

 

 そう強く抱く感覚なんですよね。

 

 

 で、佑菜さんの歌唱は、自分の中で、先述にて言及した、ある2つの「声優観」を、思い起こさせるのです。

 

 山田康雄さん「『声優』という職業は存在せず、99%『役者』の仕事の1つに『声優業』という仕事内容がある。」「声優を目指すな、役者を目指せ。演技は全身でするものだ。それでこそ『声優業』も活きてくるんだ。」

 内田彩さん「何といっても、キャラクターを演じられる事です。自分が、その役に命を吹き込むということは、本当に凄いことで、有り難く、幸せな事だと思います。役を演じるときは、どんな子なんだろう? こんな時どう考えるかな? と色々考えるのがとても楽しいです。」

 

 (その3)にて、このことに言及しました。その際、自分が最終的に辿り着いたのは、「いずれの『声優観』も、『強い説得力』がある」と述べました。

 

 

 で、歌手。確かに、「歌唱技術」としてどうか、というのは、とても大切なことです。楽曲のジャンルなり曲調なりも、大切な要素の一つであることは、確かにそうかなと思います(実際自分自身、苦手なジャンルは本当に苦手ですし。特にロック系ははっきり言って「受け付けない」楽曲も少なからずありますので…)。

 

 ですが、佑菜さんの歌唱は、

 

 「楽曲に『いのち』が宿っている。」

 

 自分は、そう強く感じたんですよ。だから、聴き終えたとき、心を強く揺さぶられた。強い「感動」を覚えて、目頭が熱くなった。

 これほどに歌に強い情熱を持つ人間こそ、絶対にいつか報われて欲しい。

 ささやかながらだけど、応援したいなあ。そう強く抱いた感じなのです。

 

 

 そう。佑菜さんの歌唱は、「Aqours」の音楽的な意味での「成功」という意味で、自分的には「大きなヒント」になった感じなのです。

 

 そう。「Aqours」は、ほとんどのメンバーは声優の出身です。

 それに、そもそもアニメソングは、他の音楽以上に、この「『いのち』を吹き込む」ことがより大切かなと思うのです。何故って、アニメの「世界観」「伝えたいこと」の表現が求められる訳ですから。

 

 その意味で、自分は「Aqours」に、強い希望を抱く感じとしてあるのです。

 

 「楽曲に『いのち』を吹き込められるかどうか。」

 「『情感』をいかにして伝えられるかどうか。」

 

 

 で、もっと述べましょう。「Aqours」にとって、先人的な存在である「μ‘s」で、参考になり得る存在が、自分の中では思い浮かぶのです。

 

 

 「くっすん(楠田亜衣奈)」。

 

 よく、「くっすんは歌唱技術はμ‘sでは下から数えたほうが早いから。」ということを、耳にします。

 確かに、ナンジョルノと比べたら、そうなのかもしれません(というか、ナンジョルノが、「声優アーティスト」の枠を超えて、純粋に「歌姫」である感じなのですが。本人が望めばの話ですが、「J-POP」でも充分に通用し得ると自分は高く評価しています)。

 

 ですが、くっすんは、少なくとも「ファイナルライブ」での「心のMVP」といえるほどに、素晴らしいハイパフォーマンスでした。

 そもそも、先述にて言及した、4thライブの「Snow halation」のライブ映像が、自分が「くっすん推し」(及び「ジョルくす推し」)になった大きなきっかけとしてありますし。

 

 1st、4thの「スノハレ」、そしてファイナルライブ。

 比較して聴くと、その成長ぶりが、ひしひしと伝わる。

 

 「情感」。そう。それがくっすんが、特にライブにて、想像以上に眩い輝きを放てる大きな要素である。自分は、そう強く考えますし、だから「ファイナルライブ」で、強い「感動」を覚えたように思うのです。

 

 だから、「Aqours」だって、きっと輝けるよ!

 「情感」を大切にできれば、楽曲に「いのち」がきっと生まれるはずだよ!

 自分は、そう強く信じる感じなんですよね。

 

 

 ただ、「Aqours」は、先述したことと共に(いや、あるいはそれ以上に)、「そもそも論」としての「大きな課題(あるいは使命)」があるように、自分は強く抱いているのです。

 

 

 「『μ‘s』の『魂』を『継承する』こと。」

 「『μ‘s』の『単純な焼き直しにならない』こと。」

 「『μ‘s』とは異なる、何かしらの『+α』を提示できること。」

 

 

 つまり、「求められるハードル」は、それほどに高い訳です。

 この3つのことを、どうやって「具現化」していくのか、「温かく見守りたい」、そう強く抱く感じであるのです。

 

 

 そしてそれと共に、自分は、2つのことを、「μ‘s」「Aqours」のいずれに対しても、強く重要視していますし、特に後者は、運営に対しても強く抱くこととしてあるのです。

 

 「『個人として(声優、歌手のいずれでも)成功すること』こそ、本当の『ゴールライン』である。」

 「『2020年東京五輪』の開会式の『アニメソング枠』に、『μ‘s』及び『Aqours』を出場させられるように、そこに『最大の照準』を合わせられるようにして欲しい。」

 

 このことを、強く抱く感じであるのです。特に後者について、自分なりに言及させて頂きたいと思います。

 

 

 リオデジャネイロ五輪の閉会式を観ると、東京五輪の開会式で、「アニメ」が何かしらの形で強調されることは、まず間違いない(そもそも「アニメ」は、日本独特の、世界に誇れる文化の一つとしてあると強く抱く!)、そう強く抱くのです。

 

 で、近年の日本は、音楽的にもアニメ的にも、「アニメソング」はひとつの「ジャンル」として成立している感じとしてあること。

 そもそも、「男性アーティスト」「女性アーティスト」「アニメソング枠」、これでそれぞれ1つずつ、合計3組(勿論単純にそうではなくて、複数のメドレーなりコラボなりの可能性も充分あり得ると思いますが)。

 男性枠は恐らく「嵐」。女性枠は「?」。そして、アニメソング枠。

 あくまでも現時点での解釈ですが、自分は、そう思っています。

 

 で、日本が世界に発信できる、世界に通用し得る、そしてもっと述べれば、

 

 「8万人(新国立競技場)が盛り上がれる、共有し合える、テレビ映像越しにあっといわせられる楽曲。」

 

 これが何よりも大切と思うのですけど、それに該当し得る1番手は、

 

 「やっぱり、『μ‘s』でしょ?」

 

 と、強く抱く感じとしてあるのです。だって、「盛り上がる楽曲」「夏季五輪の開会式にふさわしい楽曲」だけでも、下記の楽曲が挙がり得ると思うのです。

 

 

 (図解7)もしも「μ‘s」が「2020年東京五輪の開会式」で歌唱するとすれば?という、その際のふさわしいと考え得る歌唱候補曲。

 

 (1)「START:DASH!!」

 (楽曲的にも、開会式の雰囲気にふさわしい。「μ‘s」は大人になり、よい一層素敵になった意味でも。「fwfw」楽曲でもあるし。)

 

 (2)「Music S.T.A.R.T!!」

 (「スタダ」と似たような感じだけど、「熱量」を高めるのはこの「MR」の方がむしろうってつけであるかも。ぱいちゃんの声量も大きな強みになり得るはずだし。)

 

 (3)「夏色えがおで1,2,Jump!」

 (「夏季五輪」であり、「矢澤にこ」(そらまる自身もだと自分は思うが)の元気いっぱいさを表現する楽曲としてもうってつけだし、「願いを言って」からの間奏部分の素敵さ、そして「fwfw」楽曲でもあること。より一層「映える」感じになり得るのでは?)

 

 (4)「Wonderful Rush」

 (ここに挙げた4曲の中では、「盛り上がり」「熱量」ではぶっちぎりNo.1であると自分は思っている。特に終盤部分は、「世界に衝撃を与え得る」、それほどのすさまじいコールの洪水にできるのでは?と思うし、個人活動という意味で、うっちーの成長ぶりはメンバーの中でもとりわけ特筆と思うので、高い歌唱力と表現力を世界に見せつけることができるはず、そう信じています。)

 

 

 あくまでも、自分の解釈です。でも、自分は、「μ‘s」はまだ完結していない(勿論、「永遠の伝説」であると強く抱いていますが)、「μ’s」こそ、日本のあらゆるアーティスト(歌手)の中でも、「世界と勝負できる」クオリティーを持ったアーティストであることを!

 だからこそ、だからこそ、「2020年東京五輪開会式」!

 自国で五輪ができることだなんて、生きている中でもそうあることではない!この貴重な機会を生かさずして、いつ叶え得るというのだろうか?

 自分は、そのように、正直強く抱く感じとしてあるのです。

 

 

 そして、Aqoursも、一つのゴールラインを、

 

 「2020年東京五輪開会式で歌唱するにふさわしい!」

 

 そのようになって欲しい感じなんですよね。ですので、劇場版も、いつか訪れるであろうファイナルライブも、その時期について、そこから逆算して設定して欲しい、そう強く願う感じとしてあるのです。

 

 そしてもう一つ。テレビアニメにおいて(勿論、劇場版でもよいのですが、より現実的にはテレビアニメの中でかな、と思う感じですけど)、

 

 「2020年東京五輪を盛り上げるエピソード回。」

 

 これを1つは盛り込んで欲しい、そう強く抱く感じであるのです。

 だって、「Aqours」は、既に「若い世代」の心は、恐らくつかんでいるであろう感じなのですから。

 

 

 「2020年東京五輪を盛り上げる」。

 一口にこう言っても、切り口はいろいろと考え得るでしょう。

 

 そこで自分が強く願うのが、「追加種目」5種目のいずれかを用いる(このうち、「野球・ソフトボール」は言わずもがなであるので除外として、あとの4種目のいずれかから)、そこで盛り上げて欲しい、スポーツを通して、「Aqours」もより一層成長する、そのような感じを強く願うのです。

 

 

 「空手」

 「スケートボード」

 「サーフィン」

 「スポーツクライミング」

 

 

 東京五輪の「追加種目」5種目のうち、野球を除く種目だと、この4つになります。そして、アニメのエピソード、Aqoursの個性にうってつけである種目を盛り込める感じにできると、とても素敵だなあ、と思う感じで。

 

 現実的には、「Aqours」は、やはり「海」が大きなキーワードになっていますので、そう考えると、「サーフィン」かな、とは思うのです。確かに、それも一案かなとは思います。

 ですが、自分は、

 

 「スポーツクライミング」

 

 を用いることを、強く推したいと思うのです。勿論、

 

 「ピギィ!」(黒澤ルビィの決め台詞の一つ。)

 

 を用いることとセットで(そして、困難を克服して、ルビィちゃんも頑張ったよ、という感じで盛り上げられると素敵だなあ、というイメージです)。

 

 何故、「スポーツクライミング」を推すのか。

 背景として、現在、特に10代(中学生)の女子の成長が目覚ましいこと、及び、いくつもの都道府県において、特に「ボルダリング」分野のスポーツジムが急速に整備されてきていることがあります。

 これについては、「レクリエーションとしてのスポーツ」として認識されてきていることも、大きいのかなと自分は思っていますが(実際例えば、確かグランフロント大阪[大阪駅近くの商業施設]にも、このボルダリングジムがあるはずと記憶しますし)。

 

 

 (図解8)伊藤ふたばさんの関連リンクの記事及び動画。

 

 (1)「Panasonic Beautiful JAPAN」関連記事、関連動画。

 [1](http://panasonic.jp/olympic/bj2020/iwate.html)

 [2](http://panasonic.jp/blog/bj2020/2016/11/14.html)

 [3](http://panasonic.jp/blog/bj2020/2017/01/2020.html)

 [4]

(https://www.youtube.com/watch?v=vkVR4Cg6wAo&list=PLtJFU9j2aIZsKGPIp7VVvCOAX5ZIjtUmw)

 [5]

(https://www.youtube.com/watch?v=wwghKRiEq2w&list=PLtJFU9j2aIZsKGPIp7VVvCOAX5ZIjtUmw&index=2)

[6]

 (https://www.youtube.com/watch?v=ZL3VNqeNGkY&index=4&list=PLtJFU9j2aIZsKGPIp7VVvCOAX5ZIjtUmw)

 [7]

(https://www.youtube.com/watch?v=xRJWw1cBs3M&list=PLtJFU9j2aIZsKGPIp7VVvCOAX5ZIjtUmw&index=6)

 [8]

(https://www.youtube.com/watch?v=RXRxHNKS0vg&list=PLtJFU9j2aIZsKGPIp7VVvCOAX5ZIjtUmw&index=5)

 [9]

(https://www.youtube.com/watch?v=O-g4qNXNdDo&list=PLtJFU9j2aIZsKGPIp7VVvCOAX5ZIjtUmw&index=7)

 [10]

(https://www.youtube.com/watch?v=BdyXRD9kssc&list=PLtJFU9j2aIZsKGPIp7VVvCOAX5ZIjtUmw&index=3)

 

 (2)その他のYoutube、及び関連記事。

 [1](岩手朝日テレビ)

 (https://www.youtube.com/watch?v=j78Gvj5Z1N4)

 [2](合宿映像)

 (https://www.youtube.com/watch?v=RdkqLzkXW44)

 [3](試合映像)

 (https://www.youtube.com/watch?v=gWUEXOK-mrM)

 [4](スポーツ報知)

 (http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20170130-OHT1T50011.html)

 [5](A-kimamaというブログ)

 (http://www.a-kimama.com/tozan/2017/02/64998/)

 [6](普段通っているという盛岡のジムのSPページ)

 (http://www.thestonesession.com/special/futaba-ito-winning-sale/)

 

 

 少し、過剰気味に張り付けた感じも抱いたりもしますけど(どのような人物かは、いずれかをリンクすれば、およそ想像できる感じかなですが、ぱっと見の第一印象と、いざのぼりはじめたときの表情や動きとのギャップがすさまじいことに気付くのでは?と思う感じです。自分的には、この2017年で最大の衝撃でしたし、結果を出す少し前からPanasonicさんが注目して頂いている時点で、「すごいなあ」と正直思いました)。

 

 ちなみに、この、ふたばさんのみならず、女子のボルダリングは、10代の有望株が他にも3人いるとのことです。

 「SASUKE」というシリーズ(TBS)を視聴したことがある人間もいらっしゃるかもですが、いわばこの「スポーツクライミング」は、

 

 「人間の限界に挑戦する」「限界を超えろ」

 

 というスポーツであると自分は思うんですよね。

 10代で、いや、まだ中学生にして、世界と堂々と勝負できる感じになろうとしている、それ自体が「頭が下がる」感じですし、何かしらの感じで、エピソードに盛り込めれば、と思う感じなのです(競技は異なるが、確か渡辺曜ちゃんが飛び込みの選手という設定であるとのことだし、何かしらの形で活かせるのでは?と。勿論、「飛び込み」をそのまま扱うことも、大いに一つの方法になり得ると思いますが)。

 やはり、Aqoursには、「一人の人間としての成長」、それを強く願う感じとしてありますので。それに、いろいろなスポーツの中でも、同じ10代の人間(ましてや女性)が、目覚ましい成長ぶりを示しているスポーツであり、スポーツそのものとして発展途上でありかつ可能性の塊である(先述のように、レクリエーションとしての要素を併せ持っているので)意味でも、うってつけなのでは?と思い、綴らせて頂いた感じです。

 

 

 いずれにせよ、やはり、「Aqours」には、強く期待していますし、やっぱり、

 

 「『μ‘s』の『魂』を継承し得る、そして発展、深化させ得る『唯一無二の存在』。」

 

 でありますので、「応援」したい感じなんですよね、ささやかながらですけど。

 

 ですけど、いや、だからこそ、「μ‘s」にも「Aqours」にも、「ゴールライン」として強く願うのは、

 

 

 「(声優であれ歌手であれ、)『個人として』成功すること。

 ただ単に『グループとしての成功』のみならず、本当に叶えたい道で、『個人として』成功することでこそ、『μ‘s』及び『Aqours』が、真に『永遠の伝説』『スペシャルな存在』『スーパーグループ』の座を叶え得る、そう自分は強く感じる訳です。

 例えば、歌手としてならば、複数年以上、アニメソングの第一線で勝負で来て、『日本武道館』(あるいはそれと同等以上のクラス)に個人として到達できることとか。既に、うっちー、みもりんが到達を叶えて、ぱいちゃんも到達が確定していますが、一人でも多く、この最高のステージで花開く姿を、自分はそれを、『観たい景色』として強く抱くのです。

 そして何よりも、『自分らしく』及び『初心を絶対に忘れない』、それを大切にして欲しい。裏を返せば、『自分らしさ』及び『初心』、これを大切にできれば、観ている人間は絶対に観ている、そしていつか報われるときが絶対に来るはずだから、そう強く抱くんですよね。」

 

 

 およそ、そのような感じとしてあるのです。

 だから、特に「μ‘s」は、個人活動として、「この1~2年」は大きな勝負のときとしてある、自分はそう強く考えています。

 

 そして、「Aqours」。いよいよ、記念すべき1stライブですが、自分は、

 

 「両日ともに、『京成ローザ10』にて、LV(ライブビューイング)にて参戦。」

 

 です。えっ?関西在住なんじゃないの?と思われるかもですが、その日、東京でもともと、予定が入ることが決まっていたんですよ。

 で、予定の具体的な時間のこととかで、申し込みが遅くなって、さあ、どこにしようか、と思ったときに、(その4)にて示した、「応援上映」にて盛り上がった劇場リスト、いま一度再掲させて頂きますけど、

 

 

 (図解6)『ラブライブ!』における『応援上映(声出し可能上映。いわゆる『ありがとうProject』をも含みます)』が、特に盛んであった劇場リスト。

 (あくまでも、自分の主観であることを、何卒御許し下さい。)

 ☆は、自分が応援上映で参加した経験がある劇場。

 ★は、劇場版本編がロングランされた、あるいは最終上映が応援上映であった劇場。

 ※は、劇場版本編が2016年6月に再上映された劇場(応援上映かどうかは問いません)。

 ○は、「ありがとうProject」において、アニメ版のオールナイトが開催された劇場。

 

 (1)新宿ピカデリー(★)(※)(○)

 (2)川崎チネチッタ(☆)(★)(※)

 (3)MOVIXさいたま

 (4)京成ローザ10(★)(※)

 (5)MOVIX伊勢崎(★)(※)

 (6)札幌シネマフロンティア

 (7)ミッドランドスクエアシネマ(☆)(○)

 (8)TOHOシネマズ東浦(★)

 (9)大阪ステーションシティシネマ(☆)(※)(○)

 (10)なんばパークスシネマ(☆)(★)

 (11)MOVIX京都(☆)(★)

 (12)MOVIX倉敷(※)

 (13)T・ジョイ博多

 

 

 「新宿ピカデリー」は言わずもがな。「川崎チネチッタ」は、映画館自体は素敵なのですが、よくも悪くもねえ…、の感じですし、今回の本会場に近い、「イオンシネマみなとみらい」は案の定、という感じ。「MOVIXさいたま」は、個人的に今回、特に考慮していた感じでしたが、やはり瞬殺でしたか…、と。

 で、残った有力な選択肢が3つあって、

 

 「T・ジョイPRINCE品川」

 「イオンシネマ新百合ヶ丘」

 「京成ローザ10」

 

 この3つだったんですよね。

 まず、品川。いわゆるIMAXシアターであれば、是非観たい。でも、どのスクリーンかわからなかったこと。立地的には良かっただけに、という感じですけど。

 新百合ヶ丘。交通の便的には、考慮の対象になる。だけど、ULTIRA(この場合、いわゆる「DOLBY ATMOS」がセットで付いてくるのだが)スクリーンではない。では、どうしても特攻しよう、という感じではなさそうだなあ、と。

 やはり、できるだけ盛り上がれる場所にしたい。「感動」を「共有したい」、この想いがやっぱり強いから…。

 

 だから、「京成ローザ10」をチョイスしました。

 まさか、このような形で、ついに訪れることが叶うとはと、自分でも驚きの感じでは、あるのですけど。

 

 「μ‘s」の「応援上映」の中でも、もう、京成ローザさんは盛り上がりがすさまじくて。だから、いつの日か訪れることが叶えば、と思っていたんですよ。

 なんだか、年齢的に、全体的に「若い」感じだなあ(いわゆる10代、特に「高校生」という感じの人間が少なからずいるのも特徴な感じで)、と。年齢的に、いまの「Aqours」と近い感じでもありますので、その意味でも、「盛り上がり」は確実に見込めるのではないかな、と。

 

 そもそも、自分、実は、「Aqours」の楽曲は、半分くらいか、あるいは半分以上、わからないんですよ(恥ずかしいことですけど)。

 だからなおさら、盛り上がれる場所がどうしても欲しかった感じなのです。

 この貴重な機会を、強く大切にしたい、そう思っています。

 

 

 あっ、そういえば、Aqoursの最終到達目標地点がどこになるのかはともかく、「μ‘s」の「ファイナルライブ」において、「東京ドーム」のこと。

 一般に、最寄り駅として、「水道橋駅」または「後楽園駅」になるのかナの感じですけど、これについて(先述の「ありがとうの気持ち」云々で言及させて頂いた、かよちんアイコンのライバーさんのことです。名前は伏せる感じで申し訳ないですが)。

 

 

 「水道橋駅東口の入場規制かかるほどのエグい混雑から逃げて、水道橋駅西口へ回ったら、案外すんなり乗れちゃって、今秋葉原を発ちます!」

 

 

 そう。東京ドームの帰りは、「水道橋駅」を利用する際、「西口」に向かって歩くこと(西口に回る勇気、とも還元し得るかもですかね)。

 これも、「μ‘s」から学んだ「教訓」の一つかな、と感じます。

 

 

 そしてもう一つ。リンクを貼ります。

 

 

 (http://twipla.jp/events/223923)

 (http://1000zekkyo2nd.web.fc2.com/index.html)

 

 

 2017年4月1日。「第2回1000人絶叫」。

 会場は、「ひの煉瓦ホール」です。

 

 この、「1000人絶叫」。実は、「ファイナルライブ」の直前に、「第1回」を開催しましたが、すさまじい盛り上がりだったんですよね。このときのTwipla、リンクを貼ります。

 

 

 (http://twipla.jp/events/168724)

 (http://konosu1000.web.fc2.com/)

 

 

 そう。ファイナルライブの前哨戦は、恐らく個人の上映回としては「最大規模」を誇ったであろう、「およそ400人」の参加でした。

 ましてや、ラブライバーで「ファイナルライブ」を「共有し合える」貴重な機会ですので、是非とも参加して頂けるととても嬉しい、ささやかながらですが、そう強く抱きます(勿論、自分も参加予定です。よほど体調を崩さない限り、ですが)。

 

 

 末文にて、「ありがとうの気持ち」を籠めて、「μ‘s」の「ファイナルライブ」を終えて綴ったツイート(2016年4月3日)を、ここに綴らせて頂きたいと思います。

 

 

 (https://twitter.com/loveliveoneness/status/716478047969390592)

 

 「「μ’sの18人」。自分にとって「永遠の存在」。自分が出会えなかったいくつもの世界へと、心の青春へと、導いてくれた。生きる勇気、希望を教えてくれた。

 

出会えたこと自体に感謝。だから自分は、永遠に「μ’sの18人」のファンとして生きていきます。」

 

 

 御拝読して頂いて、とても有難うございます。

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2017年

2月

23日

「『μ‘sの18人』という『永遠の伝説』に出会えた喜び、そして『μ’s Final LoveLive!』(いわゆる『ファイナルライブ』)から1年近くたったいまだからこそ、一人のラブライバーとして率直に感じること(その5)。」

 ここまで、

 

 (その1)(「μ‘s FinalLoveLive!」を自分なりに振り返って。)

 (その2)(何故自分が「ラブライバー」「μ‘sのファン」になったのか。)

 (その3)(何故自分が「箱推し」になったのか。)

 (その4)(「μ‘s」に出会えた喜び、「応援上映」の魅力と課題。)

 

 について、言及させて頂きました。

 

 このことを踏まえて、

 

 「日本音楽界におけるμ‘sの意義。」

 「Aqoursについて、いま自分なりに感じること。」

 

 この2つのことについて、自分なりに綴らせて頂きたいと思います。

 

 

 ここまで言及したことで、伝わっているかなと思いますが、自分は、

 

 「音楽的な強い共感で、『μ‘sのファン』になった。」

 

 これが、自分の正直な敬意なのです。勿論、「アニメソング」への共感も、影響している感じではあるのかなですけど、「アニメ」そのものが、実は理由ではなかったので、自分は、

 

 「アーティスト(歌手)としての『μ‘s』」

 

 ということに、強い「こだわり」「思い入れ」を抱いている感じなんですよね。

 なので、「アニメ」そのものについての言及は、ここでは基本的にしません。

 「音楽としての『μ‘s』」に絞って、話を進めていきます。

 

 

 「『μ‘s』は、日本音楽史でも有数の『スーパーグループ』である。

 少なくとも、『アニメソング』の枠を超越した存在であると思う。

 何よりも特筆は、一人一人それぞれが卓越した『プロ意識』の集団であること。

 個人的には、『キャンディーズの再来』と自分は思っていますし、ダンスを駆使する意味では『SPEED』に相通ずるかもしれません。」

 

 

 いま、「スーパーグループ」であると述べました。

 何故、「スーパーアイドル」じゃないの?と疑問に思われるかもしれません。

 

 確かに、「μ‘s」は、『ラブライブ!』から誕生した「声優ユニット」であり、作品上の設定は「スクールアイドル」です。

 ですが、ここで重要なのは、確かに彼女たちは、「設定上は」アイドルかもしれませんが、

 

 

 「ことりちゃんがアイドル活動をやっているのであって、私(内田彩)自身がアイドル活動をやっている訳ではないから。」

 

 

 上記の言葉は、うっちー(内田彩さん)が、2016年9月のインタビュー(『声優パラダイスR』[vol.14])にて言及した言葉です(趣旨として。ちなみに、うっちーは、他の雑誌のインタビューでも、似たようなことを言及していたかなと記憶します)。

 

 うっちーが特に象徴的なのですが、他のメンバー(担当声優)も、自分は似たような感覚を抱いていたのでは?と解釈しています(特に「ナンジョルノ」「そらまる」など)。

 

 

 「μ‘s」の魅力(素晴らしさ、すごさ)は、挙げだすと恐らくいくつもあるように映りますが、メンバーのほとんどは、本職は声優である訳ですけど、自分は、

 

 「『アーティスト』と表現しても、決して遜色はない(少なくとも『歌姫』と形容し得るメンバーを複数擁していることは大きな強みといえる)。」

 

 と、強く抱いている感じなのです。その象徴といえる歌詞があります。

 

 

 「悲しみに閉ざされて (→ナンジョルノ)

 泣くだけの君じゃない (→ぱいちゃん)

 熱い胸きっと未来を (→えみつん)

 切り開くはずさ (→えみつん)」

 

 

 これは、「START:DASH!!」の、いわゆる勝負どころに突入する部分の歌詞です。

 そう。ここを、「歌うまトリオ」(ナンジョルノ、ぱいちゃん、えみつん)が歌っているのが、特に大きな魅力なのです。

 

 「START:DASH!!」「Snow halation」「Music S.T.A.R.T!!」

 

 少なくとも、この3曲を聴いて、「アイドルのクオリティーでしかない」ということは、はるかに上回っているはずだ!

 勿論、好みの問題とかはあるかもですが、少なくとも、アイドル云々は超越していると自信を持って強く感じます。

 

 

 少なくとも、

 

 「『ジャニーズ』『AKB』『EXILE』の『3強システム』。」

 

 に、「強い違和感」を抱いていた人間の「受け皿」の役割を果たした。

 (→だって、自分自身がそうなのですから。)

 

 それだけでも、『J-POP』の領域にカウントし得る、自分はそう強く抱いています。

 (だって、Twitterのあれほどの盛り上がりは、贔屓目抜きにして、自分の記憶にはない次元ですので。)

 

 

 惜しむらくは、あれほどの「絶頂期」に、「マイクを置いた」ことです。

 

 正直、いろいろな解釈ができるかなと思いますし、自分も未だに、いろいろな感情が湧き上がってきます。

 ですが、自分は、このように解釈しているのです。

 

 「9人、いや、キャラを含めた18人が、それぞれとして納得できているならば、それでよい。そもそもこんな『かっこいい』『美しい』終わり方(引き際)は、そうできることではないから。

 そもそも、『アラサー』で『スーパーグループ』として『複数年』やり遂げただけでも、日本では恐らく前例はほとんどなかったはず。それだけでも、『ありがとう、永遠の誇りだよ』と強く抱くし、そう伝えたい。」

 

 このように、強く考えているのです。

 

 

 およそ、このような感じなのですけど、自分は、「μ‘s」の最大の魅力として、勿論、その「プロ意識」の強さも然りなのですけど、

 

 「『(聴いている)人間の心に訴える』歌唱である。

 楽曲の魅力や世界観を『全身で表現』できている。」

 

 ただ単に、「声」だけで、「技術」だけで魅せているのではない。あるいは、「曲調」云々だけの問題ではない。

 ほんの「ちょっとした違い」なのかもですけど、自分は、「μ‘s」の楽曲において、いくつもの楽曲で、

 

 「聴き終えたとき(あるいは、聴いている最中に)、強い『感動』を覚える。」

 

 そのような感じなのです。特にそれが顕著なのが、くっすん、りっぴーであり(とりわけ前者)、歌唱技術的にどうこうという意見は確かにあるのかもしれませんが、それ以上に「気持ち」が素晴らしいんですよね。

 そう。振付云々を超えて、「情感」を「全身で」表現できているのです。ちょっとした「手」「足」「表情の使い方」とかを含めて。

 

 

 ちなみに、アニメ的なことについても少し言及しますが、自分は、『ラブライブ!』(μ‘s)は、

 

 「『セーラームーン』を超える作品に、やっと出会えた!」

 

 と、自分は思っているのです。ずっと追い求めてきた、あの伝説の少女アニメを超える金字塔に、ついに出会えた!と(勿論、ジャンルが異なるので単純比較はできませんし、『セーラームーン』自体の輝きは永遠に色あせない、そう強く抱きますが)。

 

 そういえば、「μ‘s」の担当声優でいえば、『セーラームーン』にあこがれて声優を目指したメンバーが複数人いると記憶しますが(うっちー、ナンジョルノ等)、その意味でも、自分が「μ’s」のファンになったのは、「運命」であったのかもしれません。

 

 

 およそ、そのような感じですけど、ここから、自分なりに、「Aqours」について思うことを、綴らせて頂きたいと思います。

 主として、「音楽的観点から」の言及になりますことを、何卒御許し下さい。

 

 はっきり述べます。

 

 「恐らく、『Aqours』は、成功は事実上、約束されているも同然に映る。しかし、実力が伴わないで成功が約束されてしまうと、それは不安の増大になりかねないと危惧する。

 だけど、『ある一つのこと』、これを大切にし続けることができれば、自分は『Aqours』も、日本音楽史に名を残す存在になり得ると強く信じる感じでもあるのです。」

 

 そう。いま、自分が「Aqours」に対して抱いている正直な感覚は、

 

 「『期待』と『不安』が複雑に交錯している感覚。」

 

 これが、素直な感覚としてあるのです。勿論、ささやかながらですけど、「応援し続けたいが故であるからこそ」であるのですけど。

 

 

 いま、日本の音楽界の現状として、先述にて何回も言及していますが、

 

 「『ジャニーズ』『AKB』『EXILE』の『3強システム』。」

 

 と、述べてきましたし、それは、「μ‘s」が東京ドームにて「マイクを置いた」以後、「より一層加速している」感じがあるのです。

 そう。「μ‘s」が担ってきた「第4の道」といえる存在は、「現時点で不在」、少なくとも、自分はそう解釈しています。だからこそ、

 

 「『μ‘s』の遺した業績は、確かに『瞬間的な輝き』であったかもしれないけど、その中でも『鮮烈な印象及び影響力』であった。」

 

 自分は、そのように解釈しているのです。

 

 

 「BABYMETAL」

 「Little Glee Monster」

 「SILENT SILEN」

 

 自分が、この1年~1年半くらい、密かにずっと期待し続けているグループが、この3つです(「期待」ではなくて、「応援」ではない。誤解されたくないので申し添えさせて頂く感じですが)。

 

 「BABYMETAL」。海外で成功を勝ち取り、2016年9月、「東京ドーム2days」を叶えました。

 「Little Glee Monster」。個々の歌唱技術が素晴らしく、特にセンターを務めることが多い芹奈さんは、かつての「関ジャニの仕分け」から、超絶といってよい歌唱力を見せ付け続けてきました。

 「SILENT SILEN」。楽器の使い方がうまい、読者モデル出身の女性4人組グループです。

 

 他にも勿論、素敵なアーティスト、グループはたくさんあるはずですし、いま、3つのグループを挙げましたが、実はそれ以上に、いわゆるソロの「シンガーソングライター」こそ、もっと光り輝いて欲しい、もっと評価されて然るべきだ、そう強く抱いています。

 例えば、家入レオさん。ボーイッシュな雰囲気も然りですが、「まっすぐな気持ち」が、楽曲から(及び、その熱唱から)伝わってくる感じですし、特に、NHKEテレ『東北発未来塾』のテーマソングでもある、『希望の地球』(「地球」と書いて「ほし」と読ませます)は、とても素敵な楽曲だなあ、と思っているのですが、彼女もまた、先述の3つのグループと共々、「紅白歌合戦」にまだ到達できていません。

 

 そして何よりも、長年にわたり「3強」に匹敵し得るクオリティー(売上的にももっと評価されて欲しかったと自分は思っていますが)を堅持し続けてきた、「いきものがかり」の活動休止。理由はいろいろとあるのかもですが、自分は正直、とてもショックな感じでしたし、愚直に(真面目に)「自分たちの音楽」を発信し続けてきたアーティスト(あるいはシンガーソングライター)が、相応な(あるいは正当な)評価を勝ち取れなくなった象徴であるように、自分は映っているのです。

 

 その意味で、特に「絢香」は(体調を崩したりとか、浮き沈みがいろいろありましたけど)、いかにすごかったかを、一人の音楽ファンとしては、強く実感するのです(勿論、あくまでも一人の私見に過ぎないのですけど)。

 実際、例えば、『はじまりのとき』(アルバム『The beginning』にて収録)は、自分自身を奮い立たせたいときに、よく聴かせて頂いていますし、いわゆる防災、復興支援活動、そしてリアルに、社会貢献の道に携わりたいという自分の気持ちを、より前向きにさせてくれる、いわば「生きる勇気」の原動力の大きな一つとなっている楽曲としてありますし。

 それに、絢香さんの楽曲って、高い歌唱技術を求められるからか、テレビ東京『THEカラオケ★バトル』においては特に、「歌うま」であることの「スポイト」「踏み絵」「リトマス試験紙」のような役割を担っているように映ります。

 

 

 で、何が言いたいのかと申しますと、

 

 「恐らく、少なくとも、今後直近の1~2年後という意味で、『3強』に匹敵し得る存在は、『ある1つの存在』を除いて、申し訳ないけど思い浮かばない(なにかしらの突発的なブレイク出ない限りは)。故に、この「ある1つの存在」に該当し得る『Aqours』の成功は、少なくとも音楽的観点に照らせば、(よくも悪くもだが、)ほぼ高確率で約束されている。

 しかし、実力が伴いようがそうでなかろうが、置かれている状況がそのような感じとしてあるので、もしも実力が伴わないままに、少なくとも売上的な感じ、ライブ動員的な感じで成功をあっさりと勝ち取ってしまうようでは、『μ‘s』が勝ち取った『伝説的なスーパーグループ』の地位ではなくて、『一つのスーパーアイドル』として扱われて視界かねないと危惧するし、それは今後の彼女たち自身の個人活動にも影を落としかねないと感じる。」

 

 

 きついこと、えげつないことを書きたくっているのは、頭ではわかっているつもりです。

 でも、「いつまでも、日本国内ではすごいけど世界と勝負できているとはいえない『3強』への依存度が強いままでは、それって日本の音楽界にとってプラスといえるのか?」と(誤解されたくはないのですが、「3強」それぞれに魅力があることは認識した上で述べているのです。世界と勝負して欲しいという一心からなんですよね、その上で通用しなかったならば納得できるのかもですけど)。

 

 それに、「Aqours」は、大きな会場でライブをする、成功する、それをゴールとして欲しくないんですよね。もっとその先、もっと高い次元(数値的なことだけではなくて)を、自分は「要求ライン」「成功ライン」として、強く願っているのです。それは勿論、「応援しているからこそ」なのですけど。

 

 はっきり言って、現時点では「未熟」であり「未知数」と自分は解釈しています。よくも悪くも「キャラハイパーインフレ」だと。

 そうではない。個々の担当声優の魅力、及び努力を以てして、成功、評価を勝ち取って欲しいと、自分はそう強く願っているのです。

 

 

 ですが、「Aqours」には、現時点で既に、とても素敵な「魅力」「持ち味」があると思うのです。

 

 「『鉄の結束』といえる『チームワーク』」

 (9人全員がそれぞれに『同じ方向を向いている』ことが伝わる。)

 「9人それぞれの個性豊かさ」

 「既にいくつかの『百合』がある(特に「ななあいにゃ」)」

 

 個性豊かさは、「μ‘s」の持ち味でもあったと思いますけど、「チームワーク」は、「Aqours」の大きな強みであると自分は思うんですよね。そこに自分は、強い「希望」を抱いているのです。

 

 「未知数」「未熟」というのは、主として「歌唱技術」的な部分なのです。

 ですが、自分は、確かに「技術」は大切なこととは思うのですけど、それ以上に、「気持ち」、もっと言えば、

 

 

 「『(聴いている)人間の心に訴える』歌唱ができること。」

 

 

 自分は、「Aqours」に強く願うのは、「この1つに集約し得る」「この1つのことができるかどうかが最大に重要な要素である」こととしてあるのです。

 

 いま、「人間の心に訴える」ということを強調しましたが、このことについて、(その6)にて、もう少し深く言及したいと思う感じです。

 

 

 では、すみません、続きを(その6)にて綴らせて頂きたく思います。

2017年

2月

23日

「『μ‘sの18人』という『永遠の伝説』に出会えた喜び、そして『μ’s Final LoveLive!』(いわゆる『ファイナルライブ』)から1年近くたったいまだからこそ、一人のラブライバーとして率直に感じること(その4)。」

 先述において、

 

 (その1)(「μ‘s FinalLoveLive!」を自分なりに振り返って。)

 (その2)(何故自分が「ラブライバー」「μ‘sのファン」になったのか。)

 (その3)(何故自分が「箱推し」になったのか。)

 

 ということについて綴らせて頂きました。

 

 このことを踏まえて、

 

 「μ‘sに出会ったことによる自分自身の変化」

 「『応援上映』の魅力と課題について思うこと」

 

 この2つのことについて、自分なりに綴らせて頂きたいと思います。

 

 

 (図解2)「μ‘sに出会ったことによる自分自身の変化。」

 

 (1)映画館で映画を観る頻度が一気に増えた。

 (→『ラブライブ!』以前は、年に片手で数える程度しか鑑賞しなかったし、同じ作品を2回以上鑑賞したことも、『くちびるに歌を』の1作品のみだった。しかし、『ラブライブ!』以後は、SMTポイントカードに入会した影響もあってか、2か月に1回[月に3~5回くらい観るときも]は、何らかの作品を鑑賞するようになった。)

 

 (2)「アニメ」がより身近になった(心の敷居が低くなった)。

 (→絵柄に対する選り好みはそのままだし、漫画自体は全く読まないことも変わらないけど、アニメを観る頻度は結構上がった感じだし、映画館で見る映画の頻度も、以前はいわゆる「青春映画」[実写の邦画]がほとんどだったが、アニメと実写が「50対50」に近い感じで鑑賞するようになった。また、『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズ、『リルリルフェアリル』のように、「μ‘s」声優が出演していることがきっかけになって、そこから作品の魅力にはまった作品もあったり、『RWBY』のように、新しい切り口と感じて好感を抱く作品にも出会えて、自分的にはプラスの感じです。)

 

 (3)「声優雑誌」「アニメソング雑誌」が身近になった。

 (→かつては、書店に行ったら、スポーツ関係の雑誌や書籍、教育や防災関係の書籍とかの優先順位が高かったが、声優雑誌がレパートリーに入り、視野が拡がった感覚。グラビア雑誌の要素をも兼ね備えており、声優、あるいはアニメソング歌手の素顔に触れられることも、自分的にはプラス。尤も、ほぼ専ら女性の声優やアニメソング歌手しか自分の関心対象はなくて、男性声優のことはさっぱり分からないですし、声優一本で活動する人間よりは、声優アーティストとして活動している人間の方に関心が強く抱いていたりしますが。)

 

 (4)「推し」ということについて強く考えさせられる。また、「百合」ということについても。

 (→これについては後述にて言及。ちなみに『ラブライブ!』の魅力として、いくつもの魅力的な「百合」、例えば、「のぞえり」「りんぱな」「にこまき」「ことうみ」等々の存在が、大きな要素としてあったかなという感じです。

 ちなみに「りんぱな」とは、「星空凛」と「小泉花陽」[久保ユリカが演じた。愛称「シカちゃん」]のカップリングです。)

 

 (5)「応援上映」という新たなる上映形態に出会えた。この存在が、自分自身にとっての映画館を一気に身近な存在にした感覚と感じます。

 (→『ラブライブ!』のみならず、『King of Prism』、「honeyworks」シリーズ、『ポッピンQ』が自分の場合は該当。この、応援上映のことについても後述にて言及します。)

 

 (6)自分が本当に大好きな音楽が、「アニメソング」ということを認識できたこと。そして一口に「アニメソング」といっても、奥が深い(及び幅が広い)ということ。

 (→特に、いわゆる「デジタルJ-POP」[fripSide、ALTIMA等]は、自分の中で「すとんと落ちる」感じとしてある。それと、曲調を問わず、「アニメソング」[あるいはそれに携わる歌手。「声優アーティスト」を含めて]の魅力として、「情感」の豊かさがあり、それが自分にとって「波長が合う」感じなのかな、と感じます。)

 

 およそ、そのような感じとしてあるのです。

 

 

 その中でも、特に、まず、「推し」について強く考えさせられた感じとしてあるので、それについて言及したいと思います。

 

 結論から述べると、いわゆる「推し」についての自分の考えは、

 

 「『推し』は、『決める』のではなくて、『決まっていく』ことであると強く思う。より一層述べれば、『推し』はこの人物なのかなと『感じる』ことによって『決まっていく』ということではないか、と思います。」

 

 自分はこう思うのです。これを、自分自身の経験から、述べさせて頂こうと思います。

 

 

 (http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/otherpress/pdf/20170216.pdf)

 

 上記は、2017年度シーズンの、NHKの新年度人事のPDFです。

 この中に、自分の「神推し」が含まれている訳ですが、自分の「神推し」の立場はというと、

 

 「報道チームの一員にいられるだけよいかな。長年の『絶対エース』『生ける伝説』のもとで鍛えてもらえる感じでもあるし。」

 「結局来季も、キャスター席の座をつかめなかった。扱い的には申し訳ないけど、同期アナの後塵に映る。」

 「でも、『Rの法則』とかにまわされるよりは、まだよかったのかも。『大器晩成』という言葉だってあるのだから。」

 

 およそ、そのような感じです。では、自分の「神推し」のアナウンサーとは、誰のことか。

 

 

 「田中泉(NHKアナウンサー。愛称「いずみちゃん」。2010年入局。富山→大阪→[2015年から]東京アナウンス室)。」

 (自分の場合、2013年のNHK大阪局時代からの大ファン。)

 

 ごめんなさい。スター街道タイプではなくて、(少なくとも現状では)「名脇役」タイプのアナウンサーの感じで。

 でも自分、もう、アナウンサーの中では、田中泉アナは、正直、「超絶大好き」という感じなんですよ。

 

 「推し」になった経緯を綴るにあたり、自分が考える、田中泉アナの「特徴」を綴りたいと思います(あくまでも、一つの解釈として読んで頂けると有難く思う感じです)。

 

 

 (図解3)「自分が考える、田中泉アナウンサー(NHK)の特徴。」

 

 (1)いわゆる「笑顔よし」。NW9異動後は「真顔」状態の頻度が増えたが、特に大阪局時代は、とにかく「いつもニコニコ」。

 (2)「読みの技術」に優れ、まずほとんど全く「かまない」。いつだったか、NW9の代打で、栃木の水害(台風によるもの)による緊急報道で2時間の特設バージョンになったことがあったが、ノーミスで乗り切ったほど(そもそも緊急報道はほとんどが突発性であるので、「とっさの機転」が求められるのだが、それを併せ持っているということ)。

 (3)「好きな話題」になると、話が止まらないことがある。一例として、「宝塚歌劇団」「ハリー・ポッター」「高校野球」「子ども、教育関係」など。

 (4)大阪局時代に、2週に1回、教育関係のコーナーを担当していたが(その名も「ハロー!スクール」)、もはや彼女自身が「童心」。「むずかしいです」「たいへんでした」「できませんでした」のいずれかの言葉が発動されることがしばしばだが、最後は「楽しかったです」「自分が勉強になります」となる感じだったりしました。

 (5)「いつだって全力」で、「体当たり」の姿勢。それが持ち味であることがレポーターに充て得る要素としてあるかもだが、頑張りすぎて数日間ダウンしたり、「政治家クラッシャー」状態になってしまうことも(「大阪都構想」「東京都政のこと」)。また、いわゆる「フリートーク」が不得手な一面も。

 

 

 およそ、このような感じです。

 もう、こんな魅力があるんだから!と話し出すと、脱線が行き過ぎそうな感じがするので、という感じですけど、自分はもう、2013年の大阪局異動直後から、「一目ぼれ」「瞬殺」の感じで、瞬く間に「大ファン」になったのです。

 

 なんというか、いわば「純真(ピュア)」を地で行くような感じなんですよね。「打算がない」と換言し得る感じ、と申しますか。

 それに加えて、「笑顔を絶やさない」「読みが上手」な感じだし、子どもに関する諸問題のリポートでも、子どもと同じ目線まで姿勢を落として接することができる。

 

 そう。「いずみちゃん」と呼びたくなる(大阪局を退任する際の挨拶で、「いずみちゃん」と呼ばれて嬉しかった云々の挨拶をしています)、「親しみやすさ」。あるいは、「細やかな心遣いができる」ところ。

 確かに、田中泉アナ(メジャーな苗字なので、フルネーム表記させて頂く感じですが)よりも、「スター性」のあるアナウンサーは、何人もいるのかもしれません。実際、悔しいですけど、同期である桑子真帆アナの方が、いわば「華がある」感じなのは、正直感じます。まあ、あくまでも「感覚的なこと」にすぎませんし、それに桑子アナも、実は「推し」の一人であるのですが。

 

 ああ、局(の上層部)からはまだ推されていないのかなあ。

 どうして、「絶やさない笑顔」「読みの上手さ」が伝わらないのかなあ。

 正直、そう思ってしまうのです。尤も、本人が納得できていれば、それでよいのかなの感じですし、

 

 「このままで終わるはずがない!いつか努力が報われるときが、きっと絶対に来るはずだから!」

 

 そう強く抱く感じとしてあるのです。そう、そりゃあ、他のスター性のあるアナウンサーに「推し変」(「神推し」という意味で)すればいいのに(「勝ち馬に乗る」考え方)、それが頭をよぎることは、正直あります。

 まあ、桑子アナとか、あるいは和久田麻由子アナとかも、「推し」の一人では、あるのですけど(和久田アナの「発信力」は、彼女だからこその「独特にして天性の才能」と強く抱いていますし)。

 

 でも、田中泉アナが奮闘している姿をテレビで見ていると、不思議と「すとんと落ちる」「心が落ち着く」感覚としてあって、そのときに感じるのです。

 

 「ああ、自分はやっぱり、田中泉アナが『神推し』なんだなあ。これからもずっと推し続けていきたいと強く感じているんだなあ。」

 

 そのように、強く抱く感覚としてあるんですよね。つまり、頭では別のことがよぎることがあろうとも、心では、

 

 「たとえ何があろうとも、田中泉アナを、自分ができる範囲で、ささやかだけど全力で推し続ける!」

 

 そのように、心が叫び続ける感覚としてあるんですよね。

 (尤も、「心が叫びたがってるんだ」は、結局観ずじまいで、少し悔いが残りましたが…。)

 

 

 何がいいたいかといえば、推しは「決める」ものではない。

 推しは「決まっていく」存在としてある訳だし、結局それは「個々人の感受性」のこととしてあるのではないか?

 自分は、そのように強く感じてならない訳です。かなり話を脱線させたかもしれずで申し訳ないですが。

 

 

 「推し」のことと共に、「μ‘s」に出会ったことでの、自分自身での大きな変化、いやむしろ、これに出会ったから、『ラブライバー』になったといった方がより適切かもですけど、

 

 「『応援上映』についての魅力と課題。」

 

 について、自分なりに言及させて頂きたく思います。

 

 

 最初に述べます。まず、

 

 「いわゆる『絶叫勢』であることに、自分は強い誇りを持っている。

 いわゆる『応援上映』(絶叫上映)に出会えたからこそ、自分は『μ‘sの18人のファン』『ラブライバー』として一生生きていく!、そう心に強く誓える感じなのだから。」

 

 この想いを、正直強く抱くのです。

 だって、「通常上映」の場合、静かにその世界に入り込める一方で、よくも悪くも、スクリーンの中では、ある種「一人の世界」になってしまうので、感動や切なさとかで泣いてしまったら、ただそのままになっちゃいますし、なによりも、「共有し合う」「分かち合う」ことができないんですよね。

 それに、自分、映画鑑賞時は、基本的に「最後列中央(あるいは最後列での、その近辺)」を、好んで座るんですけど(特にSMT系列は、最後列がスペースが特に広いのでなおさらです。自分がホームとしているMOVIX八尾も、この一つです)、正直、心の中でつぶやきながら鑑賞したり、それに、「歌うこと」が大好きですので(まあ、上手かどうかといえば、うーん、どうかなあ…?ですけど)、それが「通常上映」だとできないのが、正直きついんですよね。

 

 ですが、いわゆる「応援上映」は、もう、「自分自身の性に合う」感覚なんですよね。

 

 

 (図解4)「自分が考える、『ラブライブ!』の『応援上映』の魅力。」

 

 (1)スクリーンにいる参加者同士で(そしてそこにいるみんなで)、作品なり楽曲の魅力や素晴らしさを「共有し合える」「分かち合える」こと。

 (2)「歌える」こと。勿論、状況に応じてボリュームは絞ったりする対応は必要かなとは思いますが、少なくとも、「歌う」ことで、「情感」をつかめたり、泣きそうな気持ちをこらえたりできる感じですので。

 (3)「想いを伝えられる」こと。キャラ名、声優名、カップリング名を叫べたり、「大好きだよー」「かわいいよー」と素直な気持ちを伝えられること。

 (4)「コールができる」こと。特に「fwfw」楽曲とか、「はーいはーいはいはいはいはい」とかは、ここが勝負どころだとかで声量や声質とかに変化を付けたりできるので、自分的には「生きた学び」であったりします。

 

 

 そう。このように、「応援上映」(絶叫上映)は、自分にとっては、実に「性に合う」感覚としてあるんですよね。

 最初は、「カルチャーショック」の感じであったのですけど、雰囲気をつかんでいくと、あっ、これだ、これって自分に合うんじゃない?そう強く抱く感じだったんですよね。

 

 リアルの友人、仲間は、先述にて少し言及したように、自分、微力ながら、防災(あるいは復興支援)関係に関わらせて頂いている関係で、まあ、「すごい人間」「ぶっ飛んでいる人間」「尊敬できる人間」がずらりの感じで、年齢的に、自分よりも一回り(あるいは「逆ダブルスコア」とか)くらいか、それ以上に年下なのに、自分がいつも見習うことが多い感じなのです。

 でも、趣味の話は、どうしても合わない。それが心苦しかったのですけど、その意味でも、視野をより拡げられる感じで、有難い感じとしてあります。これにより、リアルのこともより活きてくるかな、と思える感じとしてありますし。

 

 ですが、この、「応援上映」。いま、意識的に「応援上映」という表現を用いていますが、自分の中で、考えさせられること、課題と感じていることがあるからでもあるのです。

 

 

 「μ‘sとみんなのスペシャルステージ」。

 

 これが、『ラブライブ!』の「応援上映」の正式名称でした。

 ですが、ファンの間では、いつしか(というか、あっという間に)、「絶叫上映」と称されるようになりました。

 

 ここで重要なことは、運営側は(少なくとも文言上は)、「『絶叫上映』という言葉を『一言も用いてはいない』」ことなのです。

 ニュアンス的には、他作品と同じような「応援上映」「声出し可能上映」であったはずであって、「絶叫上映」という意図は、全くなかったはずである、と。

 

 確かに、「応援上映」の場合、『ラブライブ!』でも、

 

 「大好きだよー!」「かわいいよー!」

 「ジョルくすこそ我が命!」

 「我らが大天使うっちー!」

 

 と、このように、自分が応援上映(ありがとうProjectを含めてです)にてねじ込んだ台詞ですが、確かに、全力でありったけの声を出して叫ぶ意味では、「絶叫」にはなるのです。

 ですが、何がいいたいのかと申しますと、

 

 

 「『絶叫上映』という表現は、明らかな『ミスリード』『齟齬』を引き起こす要素になってしまった。いくつもの課題が噴出したのは、この『絶叫上映』という表現を許してしまったことが少なからず大きいのではないか?」

 

 

 と、自分は強く抱いているのです。どういうことか。

 

 

 「応援上映」(→「参加者」『が』「登場人物(キャラ、声優)」『を』『応援』する。)

 「絶叫上映」(→「参加者」『が』「登場人物(キャラ、声優)」『に対して』『絶叫』する。)

 

 

 そう。一見、似たような表現に映るかもですが、

 

 「応援上映」(→「主体」は「登場人物(キャラ、声優)」である)

 「絶叫上映」(→「主体」は「参加者自身」である)

 

 

 少なくとも、自分はこう解釈しています。それ故に、『ミスリード』『齟齬』『勘違い』を誘発することになってしまったのでは?と自分は感じているのです。

 

 先述のように、「声出し可能上映」は、自分はむしろとても肯定的です(むしろ、テイスト的に合致し得る作品であれば、実写、アニメを問わず、もっと普及して然るべきと強く抱く。実写の青春映画、学園映画では特にもっと導入されてもよいのでは?と自分は強く抱いています)。

 ですが、この「声出し可能上映」においては、

 

 「(自分たち)参加者は、『登場人物を』最高に輝かせることの『お手伝い』に徹するべき。主体は『登場人物』であって、参加者自身は『サポート』が使命であることを心に留めることが、とても大切なことであるはず。」

 

 このように、自分は強く抱く感じとしてあるのです。

 

 そう。「絶叫上映」という表現が、『ラブライブ!』(μ‘s)では基本的な表現になってしまったが故に、

 

 「ルール(注意事項)に明記されていなければ、何をしてもよい(という勘違い)。」

 

 が、少なからず起こってしまった。その結果、いくつもの問題行為が、(程度の代償はともかく、)まあ、「ありがとうPJ」をも含めて、ほぼ毎週のようにTwitterのTL上に登場する有様で、正直とても悲しかったのです。

 そう。特に有名なのが、

 

 (http://yaraon-blog.com/archives/66555)

 (http://jin115.com/archives/52090265.html)

 (http://yusaani.com/l-ra/t-ra/lovelive/2015/07/21/159317/)

 

 この、「MOVIX宇都宮」の、「劇場版本編」における「座席破壊事件」。

 まあ、これは、言語道断なことは言わずもがなです。

 

 

 ですがそれ以上に、個人的に特にショックだったのが、

 

 「『ありがとうProject』において、『新宿ピカデリー』が、『スタンディングNG(立ち禁)』になったこと。」

 

 理由はいろいろあるのかもしれません(新宿ピカデリーの場合、一つの高層ビルの中にまるごと映画館、という感じになっており、他のシネコンのように、一つのフロアにいくつものスクリーン、という感じとは構造が異なるので、それが影響しているのかもですが)。ですが、『ラブライブ!』の「応援上映」は、やはり「ライブシーン」(あるいは声優の熱演及び熱唱)にこそあり、そして、「スタンディングOK」なのが大きな魅力(これによって、より一層大きな声量を生み出し得る感じになるので)であるだけに、これは特にショックでした。

 (ちなみにファイナルライブの本番のLV、SVは、『スタンディングOK』になったので、正直ほっとしましたが。)

 

 

 自分自身、先述のように「応援上映勢」です。他作品でも、いくつもの作品の応援上映に参加してきました(勿論、大前提としてその作品の世界観なり楽曲なりが好きであることが大切と思いますが。ちなみに、『King of Prism』、「honeyworks」シリーズ、『ポッピンQ』が該当です)。

 ですので、「応援上映」におけるNG行為を、自分なりに下記にて言及させて頂きたいと思います。

 

 

 (図解5)「自分が考える、『応援上映(声出し可能上映)』における『NG行為』。」

 (『ラブライブ!』のみならず、他作品をも含めてです。)

 

 (1)「キャラdis」「声優dis」(『μ‘s』の場合、「真姫ちゃんビッチ」が代表例)。

 (2)「下ネタ」「淫夢ネタ」(キャラdisと同等のNG行為と自分は考えます。)

 (3)「走り回り」「柵越え」「ジャンプ行為」(視界を遮られる、振動が起こりやすい、等の問題が生じ得るため。特にジャンプ行為は、振動を誘発しやすく、他のスクリーンにマイナスの影響を与え得るのでとりわけアウトです。)

 (4)「mix」「NGコール」(ここでいう「NGコール」とは、「楽曲の世界観にそぐわないコール」、というイメージです。いわゆる「KKEコール」が代表例。また、「mix」は「NGコール」の象徴と自分は強く考えます。)

 (5)「(シリアスシーンでの)行き過ぎた叫び」(物語において制作者側が「特に伝えたいこと(言いたいこと)」に該当する部分や、明らかなシリアスシーン[BGMの曲調等で判別できるはず]では、声出しはしない[出てしまっても控えめの声量にすること]ことが特に大切かなと。これにより、「メリハリ」が生まれ得る感じですし、「のべつ幕なく」はよろしくないかなと強く抱くので。)

 

 

 他にも「NG行為」はあるかなとは思いますが、自分は特に、上記のことは、「今後の教訓(特に、『Aqours』に向けて)」にしていく必要があると思います。

 

 その一方で、今後、「応援上映」における「推奨行為」(勿論、絶対ではないことは強調されて然るべきですが)もあると思うのです。それは…。

 

 

 「松竹さーん、ありがとう!」

 「ランティスさーん、ありがとう!」

 「サンライズさーん、ありがとう!」

 

 

 これは、『King of Prism』の応援上映において、

 

 「タカラトミーアーツ、ありがとう!」

 

 といったことから、拝借させて頂いた感じで、実際、『ポッピンQ』において、

 

 「東映さーん、ありがとう!」

 

 で、適用されました(というか、ねじ込みました)。

 

 

 ちなみに、この「ありがとうの気持ち」。

 実は、「μ’s」の「ファイナルライブ」において、この「ありがとうの気持ち」は、大きなキーフレーズになったのですけど、自分は、とあるライバーさん(熱烈なかよちん推しで、アイコンもかよちん。ちなみに茨城在住とのこと)から、着想を得たのです(勿論、強い共感からですが)。

 

 名前は伏せますが、その人のツイート、原文のままで用いさせて頂きます(勿論、その人に感謝であるからです)。

 

 

 「だから、今日と明日は会場に集ったライバーさんたちで、μ'sのメンバーにありったけのありがとうを伝えたい…

5年半の軌跡、そして彼女らが起こしてきた奇跡を振り返りながら、ありがとうの気持ちを込めてコールしたい…」

 

 「僕光でも言ってるじゃないか、涙はいらない、さよならは言わないって…

いつでも、μ'sがスクールアイドルとしての高みという光を追いかけていたなら、俺達はそのμ'sという光を追いかけて居たんだ…だから、絶対さようならなんて言わない、両日とも必要なのは強いありがとうの気持ち、それだけ…」

 

 (ファイナルライブ終了後)

 「なので「さようなら」なんて言わない、言えない、言いたくない…

やっぱり、心に湧き上がるのは「ありがとう!」この気持ちだけなんだよね…

元々、根暗がちな性格ゆえに、自分の感情を表に出すことが苦手だったし、嫌いだった…

そんな俺を変えてくれたと言っても過言ではない出会い…」

 

 

 もう、この人にただただ感謝なのです。うまく言葉にできなくて申し訳ないですけど。

 

 「応援上映」のことについて綴らせて頂いたので、この(その4)の末文にて、「応援上映」が盛んであった劇場リストを、自分なりに綴らせて頂きたいと思います。

 

 

 (図解6)『ラブライブ!』における『応援上映(声出し可能上映。いわゆる『ありがとうProject』をも含みます)』が、特に盛んであった劇場リスト。

 (あくまでも、自分の主観であることを、何卒御許し下さい。)

 ☆は、自分が応援上映で参加した経験がある劇場。

 ★は、劇場版本編がロングランされた、あるいは最終上映が応援上映であった劇場。

 ※は、劇場版本編が2016年6月に再上映された劇場(応援上映かどうかは問いません)。

 ○は、「ありがとうProject」において、アニメ版のオールナイトが開催された劇場。

 

 (1)新宿ピカデリー(★)(※)(○)

 (2)川崎チネチッタ(☆)(★)(※)

 (3)MOVIXさいたま

 (4)京成ローザ10(★)(※)

 (5)MOVIX伊勢崎(★)(※)

 (6)札幌シネマフロンティア

 (7)ミッドランドスクエアシネマ(☆)(○)

 (8)TOHOシネマズ東浦(★)

 (9)大阪ステーションシティシネマ(☆)(※)(○)

 (10)なんばパークスシネマ(☆)(★)

 (11)MOVIX京都(☆)(★)

 (12)MOVIX倉敷(※)

 (13)T・ジョイ博多

 

 

 およそ、このような感じです。

 

 

 では、すみません、続きを(その5)にて綴らせて頂きたく思います。

2017年

2月

23日

「『μ‘sの18人』という『永遠の伝説』に出会えた喜び、そして『μ’s Final LoveLive!』(いわゆる『ファイナルライブ』)から1年近くたったいまだからこそ、一人のラブライバーとして率直に感じること(その3)。」

 何故、自分が、「μ‘sの18人のファン」「ラブライバー」になったのか、ということについて、「Rの法則」の再放送回で「μ’s」に強い好感を抱いて、よし、劇場版を鑑賞しよう、と決心したところまでを、先述にて言及させて頂きました。

 

 2015年7月17日。『ラブライブ!』劇場版を初鑑賞。

 もう、正直、涙腺崩壊だったんですよね。特にラスト。

 そう、「僕たちはひとつの光」。なんと素晴らしい楽曲なんだ!と。

 

 「これだ!これだよ!自分が求めていた音楽って!」

 

 それが、正直な感覚だったんですよね。もう、ただただ「感動」で。

 それと、穂乃果と女性シンガーの会話シーン。どういう意味だろう?1回じゃあまり意味がつかめなかったから、もう1回観る必要があるだろうなあ、と。

 

 そして、「画面オレンジ」(「飛べるよ、いつだって飛べる!」の場面)。

 映像技術として、最高に光り輝いているんですよね。

 それにライブシーンをも含めて、いわば、

 

 「映画館だからこそ生み出せる、独特の音響及び映像の技術を最大限に活かせている!」

 

 自分的には、そう強く感じたんですよね。

 

 

 で、2回目を鑑賞した後に、7月下旬、上京の機会があって。

 日程が合ったので、メインの予定までの時間を使って、新宿ピカデリーにて3回目を鑑賞。その後、神田明神へ。

 当時は、「聖地巡礼」という言葉の意味さえ、わかっていなかったのです。

 せっかく映画の舞台になっているのだから、訪れてみよう、という感じで。

 いざ訪れると、もう、衝撃でした。あちこちに、ラブライブ関係の絵馬が。

 近くには秋葉原が。1か月前に「自分には合わないなあ」と思っていた当時の自分とは、それこそ「真逆の感覚」が、そこには正直あったのです。

 

 

 いわばこの時点で、どっぷり「ラブライバー」になっていたのかもしれませんが、自分的に、特に大きかったのが、4回目の鑑賞での、

 

 「μ‘sとみんなのスペシャルステージ(いわゆる「応援上映」。しかし、ファンの間では一般的に「絶叫上映」と称されていた)」。

 

 これを、8月2日、大阪ステーションシティシネマにて鑑賞したのです。

 勿論、人生初めての「声出し可能上映」でした。

 

 最初はある種の「カルチャーショック」でした。もう、「カオス」というか。

 でも、雰囲気をつかみ始めると、これがもう、「最高に楽しい」感じで。

 特に自分的には、「歌える」こと。そして、自分自身の「(リアルに)最大の特徴」である、「大きくて高い声質」を「最大限に活かせる」こと。

 そして、映画の魅力を「共有できる」「分かち合える」こと。これが特に自分的には、とても嬉しかったんですよ。

 

 

 長くなりましたが、自分が「ラブライバー」「μ‘sのファン」になっていった経緯としては、およそ、このような感じなのです。

 そして、「μ‘s」に出会って、自分自身の「価値観」は、大きく変化した感じとしてあるのです。なんというか、「一気に視野が拡がった」感覚なんですよね。

 

 「μ‘s」に出会って、自分自身が変化したことは、後述にて追って言及しますが、当初の自分は、

 

 「(キャラは)『穂乃果推し』、(担当声優は)『ナンジョルノ推し』」

 

 でした。しかし、最終的には、

 

 「(キャラ、担当声優のいずれも)『箱推し』。μ‘sこそ、自分自身の『生きる希望』である。」

 

 という感じへとなっていったのです。

 ですので、「箱推し」へとなっていった経緯を綴らせて頂いた後で、「μ‘s」に出会ったことで生まれた自分自身の変化、及び「μ’s」を通して学んだことについての言及へと、話を進めていきたいと思います。

 

 

 何故、「箱推し」になっていったのか、ということで、まあ、話すと長くなるので、ある程度絞る感じになりますが、まず何よりも、「うっちー」の存在がとても大きかったのです。

 

 実は第一印象として、ことりちゃん。

 「何だ?この独特のキーンとする声質。放送事故じゃないよね?」

 いまにして思えばとても失礼なのですけど、自分も「ハイトーンボイス」の持ち主なのですが、その自分の声質もかすんで感じるほどの、今までには記憶にないような独特の声質。最初、自分はとても苦手だったんですよ(後に、いわゆる「脳トロボイス」として、徐々に受容できるようになっていった感じですけど)。

 

 その印象が変化していったのは、うっちーのTwitterを閲読させて頂くようになってからなのです。

 

 

 (図解1)うっちー(内田彩さん)のTwitterの発信力の素晴らしさ。

 (1)一つ一つの言葉が丁寧。ほんの小さな違いかもだけど、細かいところまでの「心遣い」が伝わってくること。

 (2)どのような作品、どのような役に対しても、「思い入れの強さ」が伝わってくる。特に、いつだったか、『たまゆら』(進藤巧美役)のイベント参加のことは、素直に強い感動を覚えた(正直、メインキャラクターではないにもかかわらず、わざわざ広島[竹原]まで出向くことに、人間としての「誠実さ」を感じて、見習いたいと思いました)。

 (3)先述の『たまゆら』のことも然りだが、「プロ意識」の強さ。そして、仲間を、スタッフを、つまり、自分を支えている全ての人間に対する人間への感謝の姿勢が伝わってくること。

 (4)「思いやり」。特に、2015年の紅白歌合戦のときの、ナンジョルノの出場断念決定時の、一連のツイートは、一生記憶に焼きつけ続けるであろうと強く感じます。読んでもう、涙が止まりませんでしたから。

 (5)「いつだって全力」で、「本音で語れる」ところ。それでいて、自分たちファンと同じ目線を大切にできるところ。特に、いつだったか、新宿ピカデリーにて、女子限定のスペシャルステージにプライベートで参加していたツイートを拝読したときは、もう、最高に感動でした。

 (6)「ファン想い」。先述の、共演者やスタッフへの感謝とかにも相通ずるけど、不思議と「惹き付ける」「心をつかんで離さない」感じが伝わってくるんですよね。

 

 

 このように、もう、うっちーの「発信力」「プロ意識」は、「不世出の天才」と自分は思っているのです。そして自分の中では、「Twitterの女神」とも思っています。

 特に、自分が「箱推し」になることを決定付けたのは、うっちーの、2015年12月、紅白歌合戦が「8人」で出場することになった際の、一連のツイートです。リンクを貼ります。

 

 

 (図解2)うっちーの「紅白歌合戦」における一連のツイート(2015年12月29日)。

(https://twitter.com/aya_uchida/status/681727345380556800?ref_src=twsrc%5Etfw)

(https://twitter.com/aya_uchida/status/681729877137948672?ref_src=twsrc%5Etfw)

(https://twitter.com/aya_uchida/status/681732647320555520?ref_src=twsrc%5Etfw)

 

 

 いわば、うっちーにとって、「μ‘s」としても、個人活動としても、ナンジョルノの存在は、

 

 「『永遠の仲間』であると共に、(恐らくそれ以上に)『永遠のライバル』。」

 

 ではないかと自分は想像しているのですけど、だからこそより一層、「内田彩」という人間(声優、歌手としては勿論だが、それ以上に「一人の人間として」、という意味で)の「人間としての器量の大きさ」を、自分は強く実感したのです。

 

 

 

 

 そう。確かに「外見」とかも大切と思いますし、プロとしての「技術」も大切とは思うのですけど、それ以上にむしろ、

 

 「一人の人間として、生きていくことにおいて、『内面』『気持ち』こそ、最も大切な要素としてあるのではないか?」

 

 ということを、うっちーから、いままで以上に強く学ばせて頂く感じとしてあるのです。

 

 

 それと、うっちーでいえば、あと2つ、どうしても言及したいことがあるのです。

 第一に、うっちーの伝わってくる人間性を通して、「ことりちゃん」への解釈が、前向きな方向へと大きく変化したことです。

 

 穂乃果ちゃん。勿論、えみつんが演じている訳ですし、穂乃果ちゃんを「生きている」ことがひしひしと伝わってくる感じとしてあるのですが、実績とか引き出しとかを考慮すれば、うっちー、みもりん(三森すずこさん[園田海未役]の愛称)、ナンジョルノでも不思議ではないのですけど、勿論、穂乃果ちゃんは「えみつん」だからこそ最高に光り輝く感じとは強く抱くのですけど、穂乃果ちゃんを最高に輝かせられている意味で、最も大きな影響のある存在は、自分は「ことりちゃん」、いや、「うっちー」と自分は解釈しているのです。

 

 自分がうっちーだったら、「何故自分が穂乃果ちゃんじゃないのよ?」と思ってしまうかもなあ、と思うのです。でも、穂乃果ちゃんも、自分(ことりちゃん)も、ともに輝かせられる、それは、

 

 「うっちーが『ことりちゃん』を全力で生きたからこそ!」

 

 勿論、えみつん自身の努力はいわずもがななのですけど、うっちーが果たした要素は、少なからず大きいのでは?と自分は思っているんですよね。

 

 

 第二に言及したいこととして、うっちーの「声優観」が挙げられます。

 

 うっちーは、自身が考える「声優観」として、下記のことを述べています。

 ([http://seigura.com/senior/message/20131129_4043/1.html]より、一部引用させて頂きます。)

 

 「何といっても、キャラクターを演じられる事です。

 

自分が、その役に命を吹き込むということは、本当に凄いことで、有り難く、幸せな事だと思います。

 

役を演じるときは、どんな子なんだろう? こんな時どう考えるかな? と色々考えるのがとても楽しいです。

 

自分とは全く逆だな~と思う性格の子を演じていても、意外と自分にもこういう所あるな…と、新たな発見があったりするのも楽しいです。」

 

 「役に命を吹き込む」。実は、今まではこの考えは、自分にはなかった考え方でした。というのも、自分は、「ある声優観」を、ずっと信奉し続けてきたからです。

 

 

 「『声優』という職業は存在せず、99%『役者』の仕事の1つに『声優業』という仕事内容がある。」

 「声優を目指すな、役者を目指せ。演技は全身でするものだ。それでこそ『声優業』も活きてくるんだ。」

 

 

 そう。自分がずっと信じ続けてきた「声優観」は、この、山田康雄さん(『ルパン三世』の主人公を長年担当した)の、

 

 「声優とは、『役者』の一部分としてある」

 「声優とは、『全身で表現』することがあってこそ、『声の表現』がより生きてくる」

 

 という、そのような考えであったのです。ちなみに、『ルパン三世』(山田康雄版)の担当声優は、ほとんどの主要キャストが、山田さんと似たような「声優観」の持ち主と伺うのですが、それも、自分が強い共感を抱いた、好んで観ていたことに少なからず影響していたのかもしれません。

 これは、『ルパン三世』の担当声優が、基本的にいわゆる「舞台役者」出身である影響が大きいのかな、と自分は解釈しています。いまも例えば、関智一さん(「ヘロヘロQカムパニー」の活動)、坂本真綾さんのように、舞台活動を重要視していらっしゃる声優さんは少なからずいらっしゃる感じですが。

 

 

 ですので、うっちーの「声優観」に触れたときは、自分的にはとても新鮮な感覚だったんですよ。それと共に、ある種の「戸惑い」も少なからず抱いた感じですけど。

 それと、うっちーは、自身の「声優観」として、こうも述べています。

 

 ([https://twitter.com/aya_uchida/status/669913156383170560]より、一部を引用。)

 

 「中学の頃から声優になりたくて…

裏方の仕事を目指した私がこんな華々しい表舞台に立つ日が来るなんて想像もしなかった」

 

 そう。「裏方としての仕事」。この「声優観」は、例えば、高山みなみさん(『魔女の宅急便』のキキ役など。『ラブライブ!』の劇場版でも、女性シンガー役として登場していました)、林原めぐみさん(『新世紀エヴァンゲリオン』綾波レイ役など。歌手としても長年にわたり活躍)なども、似たような考えの持ち主と伺います。

 

 

 山田康雄さんのような「声優観」、うっちーのような「声優観」、どちらがよりしっくりいくのだろう?と、ずっと問い続けていました。

 ですが、いわゆる「ファイナルライブ」を終えて、自分なりに「μ‘s」を振り返る時間を、2016年4月~5月は特に、その時期に充てた感じだったのですけど、そのとき、

 

 「山田康雄さん、うっちー、いずれの『声優観』も、同じくらいとても大切で、尊重されて然るべき考え方なのでは?」

 

 と思うようになったのです。そしてそう考えると、声優、アニメ、そして吹き替え(尤も洋画は専らテレビでしか見ないのですが…)のいずれも、その解釈がより幅を持たせられるような、前向きに捉えられるような感覚へとなっていっているんですよね。

 

 

 ちなみに、うっちーの「思いやり」「誠実さ」は、下記の文章にも表れている、と強く感じます。

 

 (http://ameblo.jp/ichigoshiroppu/entry-12148232178.html)

 

 文面を読むと、恐らく、「ファイナルライブ」終了を以ての事務所移籍と解釈できるのですけど、一つ一つの言葉がとても丁寧で、「うっちー、ありがとう」、そう強く抱く感じとしてあるのです。

 

 

 いずれにせよ、うっちーとの出会いは、自分自身にとって、「一人のラブライバーとして」のみならず、それ以上に「一人の人間として」、大きな影響をもたらした感じなのですけど、自分が、「μ‘s」について、「箱推し」になるもう一人の大きな存在がいたのです。

 

 「くっすん」(楠田亜衣奈さん)。

 

 彼女について、少し自分なりに言及させて頂ければ、と思います。

 

 

 当初、くっすん(というか、東條希)も、自分の中での好感度は、高くはありませんでした。

 東條希としての、「横幅の広さ」もですが、実はそれ以上に、

 

 「なんだ?この、ギャルみたいな感じは?職業、声優さんなんだよね?」

 

 と。外見的に、それこそ、「認められないわあ」だったんですよ。

 (いまにして思えば、とても恥ずべきことなのですけど。)

 

 ですが、2015年の9月下旬であったか、下記の動画に出会ったことが、大きな転機になったのです。

 

 (https://www.youtube.com/watch?v=dix-lB_muio)

 

 「Youtube」における、「4thライブ」(2014年2月、SSAにて開催)における、「Snow halation」の動画です。4分14秒、フルサイズになっています。

 

 「くっすんに、『神が舞い降りた!』、自分にはまるでそのように映る。神様って、きっといるんだろうなあ。誰よりも、誰よりも光り輝いて映る!楽曲の素晴らしさを、世界観を全身で表現できている!」

 

 この動画は、自分の「くっすん」に対する解釈を、ほぼ180度ひっくり返す感じになりました。そう、好感度が一気に「爆上げ」になったのです。

 それから数日して、行きつけの書店にて、確か、『Pick-up Voice』という声優雑誌であったかなと記憶するのですが、そこにくっすんのインタビュー記事があったのです。それを読んで、不思議と「心が温まる」ような感覚になって。

 

 なんというか、「μ‘s」の一員としての評価を勝ち取って、ソロ歌手としてのメジャーデビューをも叶えて、それはくっすん自身の人一倍の努力の賜物でもあるのだけど、たくさんの人間の支えがあったから、自分はここまで辿り着けたことが、言葉や表情の端々から伝わってきて、なんだかとても嬉しくて、気が付けば、ぽろりと涙がこぼれおちてきて。

 

 

 このとき、自分の中での『ラブライブ!』劇場版の鑑賞は、いったん一区切りを付けていたのですが(それまでに既に通算10回鑑賞していましたが。うち応援上映だけでも4回鑑賞)、これを機に、まったりとですが、劇場版の鑑賞を再開しました。

 当時、関西では、「なんばパークスシネマ」だけは、主としてレイトショーでですけど、1日1回、息長く上映を続けていましたので、10月以後、年末までの間に通算7回鑑賞しました(うち1回は「新宿ピカデリー」での鑑賞でしたが。そして、クリスマスの応援上映も参加しました)。

 

 10月に鑑賞を再開して以後、くっすんにも、そして希(東條希)にも、観る眼が大きく変化した感じで、いわば、「味がある」感じに映るようになったんですよね。

 

 なんというか、確かに、くっすんって、技術的には(声優としても歌手としても)、確かにある種「発展途上」なところはあるのかもしれませんが、でも、「いつだって全力で一生懸命」な感じが伝わってくるんですよね。そして、「ライブ映え」することをも含めて。少し「不器用」な感じをも抱きますが、それをもひっくるめて、くっすんの「魅力」と強く感じるのです。

 

 

 いずれにせよ、自分自身、「うっちー」「くっすん」、この2人との出会いによって、自分は気が付けば、「μ‘s」が「箱推し」になっていった感じとしてあるのです。

 そして、「うっちー」「くっすん」、いずれも「μ‘s」在籍時は、JTB系列の事務所に所属していたんですよね(現在はいずれも移籍していますが)。ですので、「なんばパークスシネマ」にて『ラブライブ!』を鑑賞する際は、

 

 「うっちー、くっすん、いってきます。」

 

 と、「JTB」のロゴ(南海難波駅2階にて、JTBの店舗がありますので)にそっと手を添えて、上記の言葉を心の中で語り掛けて、それで「スイッチを入れる」、それがいつしか、自分自身の「心のルーティン」になっていました。

 

 

 では、すみません、続きを(その4)にて綴らせて頂きたく思います。

2017年

2月

23日

「『μ‘sの18人』という『永遠の伝説』に出会えた喜び、そして『μ’s Final LoveLive!』(いわゆる『ファイナルライブ』)から1年近くたったいまだからこそ、一人のラブライバーとして率直に感じること(その2)。」

 何故、自分が「μ‘sの18人のファン」「ラブライバー」になったのか。

 このことについて、自分なりに綴らせて頂きたいと思います。

 

 「流行っているらしいよ。」

 きっかけは、この一言からでした。ある友人の、Twitter上での何げない一言が、きっかけであったと記憶しています。

 

 そう。2015年2月16日。NHKEテレ(もとのNHK教育)での、「Rの法則」です。尤もこの回は、自分は所用のために観ることができませんでした。

 ですが、帰宅してツイッターを開けると、『ラブライブ』関連ワードでずらりと埋め尽くされていたのです(いまにして思えば、このときすでに『社会現象』の萌芽だったのかな、と思いますが、とにかくびっくりしたのを覚えています)。

 

 尤も、伏線は、その少し前からあったように思うのです。

 2014年11月~12月にかけて。NHKBSプレミアムでの、「Animelo Summer Live 2014」(通称「アニサマ」。会場は「さいたまスーパーアリーナ」[通称「SSA」。およそ3万人収容]。ライブ自体は、2014年8月下旬に、3日間開催されて、放送は6週連続で行われました)。

 

 「南條愛乃(個人として。1週目)」「fripSide(南條愛乃の所属グループ。2週目)」「μ‘s(6週目)」。

 

 思えば、自分の「アニメソング」への愛情は、このときからはじまったんだろうなあ、と思うんですよね。

 

 

 「アニサマ」云々のことは、後述にて追って言及しますが、何故自分が、「アニメソング」に傾倒するようになったのかを、綴らせて頂きたく思います。

 

 最初に、結論的なことから述べましょう。

 

 「既存の『J-POP』への『絶望感』、『強い違和感』。」

 

 これに尽きるのです、一言で述べれば。

 誤解のないように述べると、「歌を聴くこと(音楽を聴くこと)」は、もともと大好きなのです。いやむしろ、「大好きだからこそ」、既存の「J-POP」に対する、「強い違和感」を徐々に抱くようになっていったのです。

 

 子ども時代(2000年前後の話です。中学生~高校生くらいのとき)、自分は、

 

 「SPEED」「モーニング娘。」

 

 のファンでした。より厳密に述べれば、

 

 「島袋寛子」「安倍なつみ」

 

 のファンだったのです(この2人は、自分の中では永遠に「青春時代の象徴」です。尤も、自分自身の実感としての青春時代は、微力ながら東北の復興支援活動に関わらせて頂くようになって以後のことであり、そして、μ‘sに夢中になった時期のことになるのですが)。

 

 コンサート会場に直接参加(鑑賞)することはなかったのですけど、この2つのグループ、そしてそれよりも少し前の時期になるのですけど、(先述でも少し言及した)「ZARD」。この3つは、自分にとっては、「思い出深い存在」という感じなんですよね。

 

 

 なので、自分の中での「追い求める音楽」は、恐らく何かしらある感じなのかな、と思う感じだったのですけど、徐々に変化していったのは、2011年の「東日本大震災」(いわゆる「3.11」)以後かな、と思うのです。

 

 かつて自分自身、小学4年生のとき、「阪神・淡路大震災」(当時は西宮[兵庫県]に住んでいました)に被災した経験があることもあり、東北の震災のことは、「自分事」のように感じたんですよね。

 そう。「何かしたい、いやしなければ」と。

 それから、微力ながらですけど、東北に何回も訪れる機会を持たせて頂いたり、復興支援活動(防災云々を含めてです)を通して、いくつもの素敵な出会いをさせて頂いて、その過程で、いろいろな音楽に出会う機会を持たせて頂いて。

 

 いろいろな音楽に触れた、と述べましたが、それは、外国の音楽も含まれます。自分は語学が大の苦手ですので、どんなことを歌っているのか、あまりよくわかっていなかったりするのですけど、でも、漠然とですけど、「素敵な歌だなあ」とはイメージできる感じではあるのです。

 

 そのような中で、いつだったか、強い衝撃を覚えたニュース映像があったのです。

 

 「少女時代(韓国の音楽グループ)、パリ公演を成功させた。」

 

 恐らく、2012年2月の「MUSIC BANK K-POP FESTIVAL IN PARIS」のことであると思うのですけど、ニュース映像でこれを目の当たりにしたとき、自分はもう、「衝撃」であり、「ショック」だったんですよ。

 

 「悔しいけど、日本の歌手(アーティスト)で、少女時代のように『世界で通用している』存在が、思い浮かばない…。」

 

 その日はもう、悔しくて悔しくて、布団の中で泣きじゃくっていたと記憶します。そしてそのときからですかね、いわゆる「J-POP」に対する「心の遠心力」が加速度的に進んでいったのは。

 

 

 誤解のないように述べますが、少女時代は、実はむしろ好きだったりします。

 特に、メンバーの一人、「ユナ」。自分的には特に好印象なんですよね。

 

 (http://www.tv-osaka.co.jp/asiadrama/kimiboku.html)

 (http://www.cinemart.co.jp/contents_official/kimiboku/)

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%AF%E5%83%95%E3%81%AE%E9%81%8B%E5%91%BD)

 

 「君は僕の運命」。2008年に韓国KBSにて放送されたテレビドラマです。

 そのドラマの主演が、ユナだったんですよね。

 2010年~2011年に、テレビ大阪にて放送されていました。毎回ではなかったですけど、自宅にいるときは基本、楽しみに視聴していました。

 ああ、悔しいけど、かわいいしきれいだし上手いなあ、と。

 

 そう。自分の中では、この「君は僕の運命」は、「最も心に響く外国のテレビドラマ」です。

 (ちなみに、「最も心に響く外国の映画」は、「13デイズ」[ケビン・コスナー主演。いわゆる「キューバ危機」を描いた作品]です。尤も、いつだったか、『日曜洋画劇場』にて視聴した作品で、そのとき、とても感動した記憶があるのですけど、映画館でいわゆる外国映画を鑑賞したことは、未だに叶っていません[例外として、米国のアニメ映画『RWBY』がありますけど…]。)

 

 

 少し話を脱線させてしまいましたが、この、2012年の「少女時代」の衝撃からですかね、自分が既存の「J-POP」に「強い違和感」を抱き始めたのは。

 

 「ジャニーズ」「AKB(48グループ)」「EXILE(LDHグループ)」

 

 この、近年の「J-POP」における「3強システム」。いずれも、(よくも悪くもですが)いわゆる「アイドルグループ」になります(LDHグループは、逆に「あまりにも洗練されている」感じになるのですが)。

 勿論、いずれにも魅力、持ち味があるのは素直に認められて然るべきとは思います。実際、

 

 ジャニーズ(「Love so sweet」「truth」「青春アミーゴ」等、自分自身、確かに結構な頻度で聴く楽曲がいくつもある。)

 AKBグループ(「ポニーテールとシュシュ」「ヘビーローテーション」「真夏のSounds good!」等、これも確かに結構な頻度で聴く楽曲がいくつもあるし、自分が関西人であることもあってか、NMB48の関連楽曲は、正直結構好きだったりします[個人的には、「純情U-19」は特に好きです。一人カラオケで「聴くとき専用の楽曲」としてちょくちょくチョイスしたりしますし。]

 LDHグループ(よくも悪くも、「あまりにも洗練されていて」、それが魅力なんだろうなあとは頭ではわかっても、自分的には未だにどうしてもなじめない。だけどその一方で、いわゆる「ダンス・ミュージック[あるいはEDM]」の音楽的価値を高めることに大きく寄与したことは、相応に高く評価されて然るべき、とも思います。)

 

 という感じではあるのです。つまり、誤解して欲しくないのですが、「3強」それぞれに一定の音楽的意義は認めている感じではあるんですよね。

 

 ですが、日を追うごとに、「2つの強い違和感」が、加速度的に進んでいったのです。

 

 第一に、「本当に愚直に、真面目に音楽活動に一心に取り組んでいる歌手(アーティスト)が相応に評価されていないのでは?とくに、いわゆる『シンガーソングライター』の意義、評価が相対的に落ちているのはよろしくないのでは?」ということ。

 特に象徴的なのが、「いきものがかり」です。毎年のように印象的な楽曲を発表して、コンスタントに「賞取りレース」にも参加して、紅白歌合戦で赤組の「トリ」の経験まであるにもかかわらず、結局(表現が失礼で申し訳ないのですが。正直、現在の「J-POP」では好感度の高い貴重なグループですので)、事実上の「無冠の帝王」状態になってしまいました。

 今年の年始早々に、事実上の活動休止を表明しましたが、なんというか、素敵な楽曲がたくさんあるのに(「ありがとう」「YELL」「風が吹いている」等々。「風が吹いている」は、AKB48でも同じ楽曲名のシングル曲があって、これも素敵な楽曲であるので、正直ある種、ややこしく感じたりしますが)、相応の「評価」を受けなかった印象が強いんですよね。というか、オリコン1位の経験がシングル曲ではゼロであることは、正直びっくりですけど(というか、「μ‘s」に出会う以前は、「YELL」は、「負けないで」に次いで大好きな楽曲であったので、なおさらショックなのです…)。

 

 第二に、いわゆる「3強」(特に、「ジャニーズ」「AKB」)が、もはや「日本国内では無双状態」であるにもかかわらず、いわゆる「海外挑戦」「ワールドツアー」という勝負を一向にしないこと。

 既存の「J-POP」への「絶望感」「強い違和感」を、激しいほどに強く抱くようになったのは、むしろこのことが大きな要素としてあるのです。

 

 世界(海外)と勝負をして、その結果として、通用できませんでした、それであれば、「ああ、しゃあない」と、納得できるかなと思うのです。

 だけど、「ジャニーズ」(特に「嵐」)も、「AKB」も、いつまでたっても「世界と勝負をしない」、はっきり言えば「内弁慶」状態。

 それでいて、日本国内では、彼らの領域を脅かしうる存在が思い浮かばない。

 

 先述のように、2012年の少女時代のパリ公演でのニュース映像で目の当たりにした「ハイパフォーマンス」。悔しいけど、この「クオリティー」「パーソナリティー」ならば、世界に通用していると評価せざるを得ない(ユナが世界で輝いていることは、素直に嬉しいですし)。

 いわゆる「J-POP」は、「少女時代」の領域にも届かないのか…、と、悔しくてたまらなかったんですよ。だけど、それにとって替わり得る「受け皿」が思い浮かばない。

 一人の「音楽好き」として、「悶々とした」(もやもやした)日々が、しばらく続いていた感覚だったんですよね。なんというか、

 

 「これって、自分が追い求めている、出会いたいと心から思える『音楽』ではない…。」

 

 正直、そのような感覚であったのです。

 

 

 誤解のないように述べますが、「J-POP」を全否定しているのではないのです(むしろその逆。「J-POP」こそ、もっと輝いて欲しいと強く願っている)。

 実際、例えばですけど、2015年2月、映画『くちびるに歌を』(新垣結衣主演)。自分自身、人生で初めて、「同じ作品を2回鑑賞した」作品になったのですけど、この映画、アンジェラ・アキさんの「手紙」という楽曲が基軸になっているのですが(いわゆる「学園映画」でもありますが、自分はむしろ「音楽映画」と思っています。後に『リップヴァンウィンクルの花嫁』[2016年3月]という作品に出会うのですが、それと同じくらい、自分の人生で最高に心に響くと思える実写映画作品です。実際、『くちびるに歌を』は、見終えたとき、もう、「涙腺崩壊」状態でしたので)、本当は、「J-POP」だけでも、もっと評価されてよいと思う楽曲なりアーティストなりが少なからずある(いる)、そう強く抱く感じなんですよね。

 

 

 およそ、そのような感じですけど、話を「アニサマ2014」を視聴したときへと進めたいと思います。

 ちなみにこのとき、アニメソング関係での知識というのは(いまにして思えば、かなり恥ずかしい話なのですが)、

 

 水樹奈々(紅白歌合戦に何回も出場しているし、特に「ETERNAL BLAZE」は大好きな楽曲です。)

 田村ゆかり(ちょくちょく聞いたことはある。独特な歌い方をしているなあ、と。水樹奈々のライバル的な存在なのだろうか?)

 茅原実里、堀江由衣(名前は耳にしたことはある。どんな歌手かはわからないけど。)

 

 当時は、そのような認識でした。でも、「より自分が理想と思える音楽」を切実に欲していた自分にとって、「受け皿」になり得るのか、「わらにもすがる」思いだったのです。

 

 

 「南條愛乃(個人として。1週目)」

 楽曲(「君が笑む夕暮れ」)

 

 なんだか、素敵な名前を授かっているなあ。最初は実は、そのような認識でしかなかったのです。でも、瞬く間に、惹き込まれることになっていきます。

 

 「なんと透き通った歌声なんだ!そして心に『すーっと入っていく』感覚になれるのか!」

 

 自分的には、とても衝撃の感じであったのです。でもそれは、まだ序章でしかなかったことに、翌週に気付かされることになります。

 

 

 「fripSide(南條愛乃の所属グループ。2週目)」

 楽曲(「sister‘s noise」「black bullet」)

 

 2つの楽曲のいずれも、いわゆる「fwfw」楽曲です。

 もう、映像を観ていて、

 

 「なんというすさまじい盛り上がりだ!こんなの、生まれて初めてだよ!」

 

 という、激しいほどの大きな衝撃であったのです。

 もう、会場からテレビ越しに伝わる「熱量」が、既存の「J-POP」と全然異なる感覚なんですよ。だからといって、「うっとうしいなあ」という感覚に不思議とならない。

 そう。ここって、コンサート会場だよね?スポーツのスタジアムではないんだよね?と。ある種の「錯覚」が起こっていたような感覚であったのです。

 

 そしてそれに拍車を掛けたのが、恐らく歌い手が「南條愛乃」本人であることです。えっ、あの素敵な歌声の人物が、こんな楽曲も歌っているってこと?と(声質で判別できた感じでは、あるのですけど)。

 もう、「すごーい!」。ただ、この感覚であったのです。

 

 ちなみに特に、「black bullet」。実は、LIVEDAMのライブ映像で試聴することができます。もう、会場の「熱量」のすさまじさが、LIVEDAMを試聴してみると、伝わるのでは?と思う感じなのです。

 そして、この「fripSide」。自分的にはかなりの衝撃であると共に、なんだか、この楽曲なり世界観、南條愛乃のソロ楽曲と共々、自分に合うかも、と思う感じだったのですけど、この衝撃を、この熱量を上回る情景を、後に目の当たりにすることになろうとは、このときは正直、全く想像できていませんでした。

 

 

 「μ‘s(6週目)」

 楽曲(「それは僕たちの奇跡」「Snow halation」)

 

 正直に述べます。この当時、「μ‘s」とは何ぞや、ということさえ、正直、名前すら存じていませんでした。勿論、「ラブライブ!」の「ラ」の字も存じていません。というか正直、アニメ自体、今まであまり観ていなかったからなあ、の感じでしたので(これについては後述にて言及するかなですが)。

 

 ですが、もう、色とりどりのペンライト然り、それ以上に、

 

 「なんというすさまじい『熱量』なんだ!タイプは全く異なるけど、『THE ALFEE』『X JAPAN』よりも激しいんだけど!それでいて『活力』『元気』をもらえそうな感じだし!」

 

 そのような感覚だったんですよね。まあ、この6週目のときは、体調が安定していなかったこともあり、半ばもやもや状態で聴いていたのが惜しまれる感じなのですけど。

 

 「それは僕たちの奇跡」は、LIVEDAMのライブ映像で、そのすさまじい熱量を視聴することができます。

 その後の「Snow halation」。いまにして思えば、自分の「μ‘s」との関わりの歴史は、この楽曲を語らずしては説明できないんだろうなあ、そう強く感じるのです。「僕たちはひとつの光」に出会えたのも、そもそもはこの、「スノハレ」からスタートしているんだろうなあ、と。

 

 

 およそ、そのような感じなのですけど、実は自分、子ども時代から、アニメを観る頻度は特段に多い訳ではなかったんですよ。

 いや、嫌いだったという訳ではないのです。ですが、絵柄の「選り好み」は、人一倍激しい感じとしてあったんですよね。

 

 

 好んで観ていたアニメを、自分なりに挙げてみましょう。

 

 『セーラームーン』シリーズ(シーズン3、つまり「S」までは観ていたが、その後は自分の中学受験の影響もあり、フェードアウト状態に。でも、子ども心にわくわく感を抱いていたことを強く覚えています。)

 『魔女の宅急便』(『ラブライブ』に出会う以前では、「人生最高のアニメ作品」として常に挙げ続けてきた。いつ見ても、何回テレビで再放送されても、「生きる勇気」をもらえる。子ども時代、この作品の絵本を好んで読んでいた影響もあるのかもですが。)

 『きかんしゃトーマス』シリーズ(自分が「鉄道好き」になることに大きな影響を与えたかもの作品。いまでも放送されているとのことで、観る頻度は少ないですけど、ちょくちょく観ると心が温まる感覚になれます。)

 『ルパン三世』シリーズ(自分の中での「アニメ作品」といえば、この作品。後に言及させて頂くかもですが、山田康雄さんの声優観が、自分が抱く声優観であり続けていたんですよね。それを、『ラブライブ!』に出会って、あるいは特に「内田彩」に出会って、少なからず揺るがされた感じとしてあったのですけど。)

 

 およそ、そのような感じなんですよね。

 

 

 で、2015年2月16日。「Rの法則」。これを自分は、予定が合わずに見逃してしまいます。

 

 その後、2015年6月26日。自分は、浅草橋で、とある集まりに参加する予定が入って、そのために上京します。浅草橋は、秋葉原の「隣の駅」ですので、日程的にも秋葉原を訪れる時間が取れそうな感じであったので、集まりを終えるとすぐに、秋葉原を訪れることにしました。

 

 訪れて観たのはよいのですが、正直このときの印象は、

 

 「この街、自分には正直、合わなさそうだなあ…。」

 

 だったんですよ、申し訳ないですけど。それまででも、何回か上京させて頂く機会はあって、

 

 「銀座、新宿、池袋、有楽町、渋谷、赤坂見附、等々。」

 

 と、いくつものゾーンを訪れた経験はあったのですけど、秋葉原は実は初めてで。

 それまで訪れてきた場所と、まるで雰囲気が異なる。これ、自分が思っているような場所じゃない、仕事ではない限り、プライベートでは訪れることはなさそう…、それがその当時の感覚だったのです。

 

 「アニメの街」ということは、存じてはいて、このとき(この当時)、ある少女のキャラクターが、決行強調されているなあ、とは思っていて、いまにして思えば、それが「穂乃果ちゃん」(高坂穂乃果)であったのですけど、当時は、『ラブライブ!』の「ラ」の字も知らなくて。

 

 

 ただ、気に掛かっていない訳ではなくて、ニュースで、『ラブライブ!』の劇場版が、『海街diary』を興行収入で上回っている、着席率が高くて好感度も高いようだ、ということを伺ってはいたのです。

 『海街diary』。監督は、是枝裕和さん。現在の日本を代表する映画監督の一人です。主演クラスの4人の女優さんも、いずれも、「いまをときめく」旬の女優さんをずらりと揃えている。どれほどの作品なんだろう、と気に掛かってはいたのです、機会があれば見て観ようかな、と(ちなみに結論的に述べれば、この『海街diary』は、結局観ずじまいに終わりましたが)。

 

 『海街diary』を超える興行収入(及び好感度)。『ラブライブ!』という作品、頭に留めておこう。

 そう思った矢先に、2015年7月13日。「Rの法則」の再放送が決まったのです。半ば諦めかけていた再放送が叶う。これを観ないと、恐らく一生後悔するだろう、と。

 

 

 この、「Rの法則」。結論的に述べれば、

 

 「観てよかった。よし、劇場版、観てみよう。」

 

 そう強く抱く感じでした。特に、「Snow halation」に、強く心を揺さぶられた感じだったんですよね。

 それと、りっぴー。子役時代から、実はささやかながらですが好きであった人物ですので、「こんなにも成長しているだなんて、とても嬉しいよお…。」、それが、正直な感覚としてあったのです。

 いつだったか記憶はあいまいなのですけど、「Rの法則」の再放送回を視聴する少し前に、「プレイボーイ」という週刊誌(自分の中では、「グラビア雑誌」であり、「偉大なるネタ要員雑誌」[自分の中では、『東京スポーツ』と共に、ネタ要員として欠かせない2トップです]と思っています)にて、りっぴーがグラビアに登場していたとき、

 

 「りっぴーは、こんなところで終わるような人間ではないはずだ!もっと輝ける、いつか報われるときが絶対に来るはずだ!」

 

 そう心の中で叫びながら読んでいたんですよね(まあ、立ち読みですけど)。尤も、いまにして思えば、このときには既に、「星空凛」として、挑戦を始めていたことになる訳なのですけど。

 

 

 で、2015年7月17日。『ラブライブ!The School Idol Movie』(いわゆる「ラブライブ劇場版」)を、MOVIX八尾(自分の映画鑑賞時のホームです)にて、鑑賞することを決心したのです。期待と不安が複雑に交錯する感じを抱きながら…。

 

 

 では、すみません、続きを(その3)にて綴らせて頂きたく思います。

2017年

2月

23日

「『μ‘sの18人』という『永遠の伝説』に出会えた喜び、そして『μ’s Final LoveLive!』(いわゆる『ファイナルライブ』)から1年近くたったいまだからこそ、一人のラブライバーとして率直に感じること(その1)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第47回のブログエントリーの論題は、「『μ‘sの18人』という『永遠の伝説』に出会えた喜び、そして『μ’s Final LoveLive!』(いわゆる『ファイナルライブ』)から1年近くたったいまだからこそ、一人のラブライバーとして率直に感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の46回目になります。

 

 気が付けば、2015年8月以来、およそ1年半ぶりのブログ更新になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 最初に述べます。そう、「μ’s Final LoveLive!」を踏まえて綴った、「2016年4月3日」のツイートを綴らせて頂くことから、始めたいと思います。

 

 

 (https://twitter.com/loveliveoneness/status/716478047969390592)

 

 「「μ’sの18人」。自分にとって「永遠の存在」。自分が出会えなかったいくつもの世界へと、心の青春へと、導いてくれた。生きる勇気、希望を教えてくれた。

 

出会えたこと自体に感謝。だから自分は、永遠に「μ’sの18人」のファンとして生きていきます。」

 

 

 そしてもう一つ。2016年8月10日に執筆させて頂いた、『ラブライブ劇場版』について綴らせて頂いた文章のリンクを、ここに添付させて頂きます。

 (https://aikyujin.jimdo.com/2015/08/10/%E5%A5%87%E7%9A%87%E5%90%8E-%E3%81%A8-%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96-%EF%BC%92%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%B4%A0%E6%95%B5%E3%81%AA%E6%98%A0%E5%83%8F%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%81%AB%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%88%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AB%E6%84%9F%E8%AC%9D-%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%92-%E5%8A%87%E5%A0%B4%E7%89%88%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96-%E3%81%AE%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%84%9F%E6%83%B3%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0/)

 

 

 このことを踏まえて、話を進めさせて頂きたいと思います。

 

 

 2016年4月1日。「μ’s Final LoveLive!」(会場は東京ドーム。自分は「MOVIX八尾」にて、3月31日~4月2日の3日間のいずれも、LV及びSVにて参戦しました)。

 ラストの「僕たちはひとつの光」(通称「僕光」です)。歌い終えた後の、μ’sの9人の熱い抱擁。

 人生最高の感動に他ならない。これ以上の感動を、生きている間に実感することができるだろうか。やや誇張的な表現かもですが、それほどに自分の中では、「人生最高の感動」であった感じなのです。

 

 セットリストは、リンクに貼った通りですし、もう、1年近くもたっている訳ですから、多くは言及しません。ラブライバーになった経緯も、後述にて言及するかなですが、ここではセットリストに照らしながら、自分の記憶(及び手書きの日記にて綴ったこと)を辿りながら、ざっくりとですけど綴らせて頂く感じです。

 

 

 (開演前)

 独特な緊張感。特にTwitter上では、前日から既にすさまじい盛り上がりであり(東京ドームでのコンサートを叶えたアーティストはこれまでにも何人、何組もいるだろうとは思うが、少なくとも自分の記憶にはないくらいの盛り上がりだったと記憶しています)、「世紀のライブ」になるであろうことは間違いないだろうと想像し得る感じでした。

 LV物販にて、ペンライト、パンフレット、ニット帽を購入。そのままいったん帰宅して昼食後、LV会場へ。

 

 そもそも、前日の夜。夕食後の母とのだんらん。

 母は、「キャンディーズ」の話をしてくれたんですよね。

 1978年、後楽園球場(東京ドームの前身)での「解散コンサート」。

 「普通の女の子に戻りたい」「本当に私たちは、幸せでした」。

 その情景を想像したとき、「μ’s」も、この景色を味わえるのかな、と想像したんですよね。

 

 祈るような想い。どのようなセットリストになろうとも、どのような結末になろうとも、「μ’sの18人」が、「納得できる」「完全燃焼できる」感じで終われれば、そう、「やり遂げたよ、最後まで!」と心から思える感じで終われれば、それでいい。

 期待と不安が複雑に交錯する感じだけど、ただ一心に、「μ’sの18人」を信じよう。正直、このような想いだったんですよね。

 

 

 「M1 僕らのLIVE 君とのLIFE」(通称「ぼららら」)

 言わずもがな、「μ’s」にとっての最初の楽曲です。「μ’s」を語るにあたり、絶対に外せない楽曲の一つである。ですので、最初に来たのは、ある種「そりゃそうですよね」の感じでした。

 2つの想いが、このときはあったんですよね。

 

 「最後の最後まで、『μ’sらしく』いて欲しい。」

 「ナンジョルノ!あなた方だ東京ドームのステージに立っているだけで、自分は最高に嬉しいよ!」

 

 「ナンジョルノ」とは、「南條愛乃さん(絢瀬絵里役)」の愛称です。

 「μ’s」の中でも、自分が特に大好きなメンバーの一人であるのですが、彼女にとっては、この1年近くは、恐らく想像以上に複雑な想いを抱えていたのでは、と思うんですよね。

 だからなおさら、ただ感動だったんですよ、自分の中では。

 

 ちなみに、2曲目の「僕らは今のなかで」を歌い終えた後、最初のMCになるのですが、特に2日目。自分の中では特に印象深い場面になったのです。

 そう。うっちー(内田彩さん[南ことり役]の愛称)のスピーチ。「声が出ない」云々で、号泣してしまったのです。

 うっちーのスピーチそのものも、とても「心に響く」感じだったのですけど、号泣状態のうっちーをそっとなぐさめる、そらまる(徳井青空さん[矢澤にこ役]の愛称)の姿に、自分もより一層涙が流れてしまって。

 

 この2人。「μ’s」の中でも、「プロ意識」が特に強い2人であると、自分は思っています。そう、声優(あるいは歌手。そらまるは個人活動としては歌手ではなくて漫画家になりますが)としては勿論、「一人の人間として」見習いたい、そう強く抱くのです。

 特に、うっちー。もう、頭頂部から足のつま先まで、もう、「一挙手一投足」「骨の髄まで」、「南ことり」にそのものになりきっている感じ(いやむしろ、「南ことり」を生きている感じ)が伝わってきたんですよね。

 

 (後述でも言及するかもですが、自分は、「μ’s」は、2人の「不世出の天才」を擁したからこそ、より一層の輝きを放ったと思っています。

 そう。透き通る歌声と情感豊かな歌唱技術の持ち主である「ナンジョルノ」。

 そして、あらゆる作品に対して[いわゆる「脇役」の作品でも!]強い愛着を持ち、自分も作品も、そして仲間に対しても「プロ意識」と「思いやり」を高次元で併せ持つ「うっちー」。

 後述にて言及するかもですが、劇場版からファイナルライブ直前までに書けて、ナンジョルノが恐らく苦しんでいるであろうとき、特に2015年の年末ですけど、うっちーの「一連のツイート」、自分はこれはとりわけ「永遠の誇り」と強く抱いているのです。)

 

 

 「M3 夏色えがおで1,2,Jump!」(通称「夏色」)

 「M4 Wonderful Rush」(通称「WR」)

 

 最高に盛り上がれるこの2曲。いわゆる「ありがとうProject」(通称「ありがとうPJ」)で、大好きになった2曲です。

 特に「Wonderful Rush」。ミッドランドスクエアシネマ(名古屋駅近くの映画館)での「5th2日目」(Film Live in Theater)での「ジャンプ行為」発動。本当はNG行為なのですが、それくらい最高に「魂を燃やせる」、自分の中では最高に大好きな楽曲になったんですよね。

 

 この2曲、いわゆる「fwfw」楽曲です(「fwfw」と書いて、「ふわふわ」と読ませるのが基本と伺います)。

 

 「うぉー!」→「fufu!」→「せーのっ!」→「fuwa(×4回)」

 (「fuwa(×4回)」→「ふわふわふわふわ」のことです。)

 

 これが、いわゆる「fwfw」コールです。このコールの発動がより盛り上がりを高めるのだと思いますが、いずれの楽曲も、自分の中で「最高に大好きな」部分があります。

 

 「夏色」(→「願いを言って」。そしてその後の間奏部分。両手を天空へと突き上げて、そこから間奏に突入するのですが、そこで情景を想像するとき、不思議と強い感動を覚えて、涙が流れることもしばしばなんですよね。「一人コール」になろうとも、「願いを言って」は必ず好んでねじ込んでいました。)

 「WR」(→ぱいちゃん[Pileさん〈西木野真姫役〉の愛称]が「ワンダフル」と歌う場面があるのですが、「ワーンダフール」と高らかな声で歌い上げうとすぐさま、「ぱいちゃーん」と絶叫するのが、自分のルーティン[自分の中では、もはや「決め技」です]になりました。そしてこの「ぱいちゃーん」コールを重ねるたびに、いつしか自分の中でPileさんへの愛着が強くなり、それがより一層「箱推し」を加速させた感じなんですよね。)

 

 

 「M8 Music S.T.A.R.T!!」(通称「Mスタ」)

 この楽曲も、「ありがとうPJ」で大好きな楽曲になりました。

 先述の「夏色」「WR」と共に、「fwfw」楽曲です。

 「WR」を聴いた上でこの楽曲を聴くと、自分的には、より一層気持ちが高ぶります。

 

 

 「M13 Love wing bell」

 

 「りんぱなー!大好きだよー!」。ただ、この一言に尽きます。

 

 

 「M14 Dancing stars on me!」

 

 この楽曲からですかね、くっすん(楠田亜衣奈さん[東條希役]の愛称)が、誰よりも輝いて映ると強く感じるようになっていったのは。この輝きは、その後の「lily white楽曲」、あるいはその後の劇場版に後の楽曲で、より顕著になっていきます。

 

 

 「M17 NO EXIT ORION」

 

 「逃げちゃだめ 逃げちゃだめ おねがい」という歌詞。

 歌詞自体もとても素敵だなあ、と強く感じるのですけど、LV映像で、うっちーが「どアップ」になったとき、うっちーの周りに5万人の大観衆、それを目の当たりにしたとき、

 

 「うっちー!この最高の大舞台に連れて行ってくれて有難う!」

 

 ここで、このライブで1回目の涙腺崩壊になりました(1日目は特に)。

 

 

 「M20 ふたりハピネス」

 「M21 春情ロマンティック」

 

 いわゆる「lily white楽曲」です。全身で楽曲の世界観を表現しているくっすんが、もう、ただただ最高で、心の中で何回も、

 

 「くっすーん、大好きだよー!」

 

 そう叫んでいる自分がいました。

 

 

 「M23 PSYCHIC FIRE」

 

 もう、会場の盛り上がりが最高潮なのが伝わる。通称はいくつか呼び名があるとのことですが、自分はここでは通称では基本的に用いません。

 そう。「PF」という通称だと、バスケットボールの「パワーフォワード」のことになるんですよね。

 自分の中で、「PF」といえば、

 

 「ダーク・ノビツキー(ダラス・マーべリックス。ドイツの国民的英雄)」

 

 をイメージする感じです。でも、「夏色」でもそうなのですけど、

 

 「そらまるって、絵になるなあ。」

 

 正直、そう強く感じるんですよね。

 

 

 「M25 Angelic Angel」(通称「AA」)

 

 この「ファイナルライブ」の中でも、特に楽しみにしていた楽曲の一つです。

 そう、ナンジョルノがセンターを務めるのですが、このときの感動は、もうとにかく「至福」の感覚としてあって。

 ちなみに2日目のLVにて、この楽曲が1日目と同様の曲順できたときに、

 

 「あっ、ひょっとして2日目も基本、同じセットリスト?」

 

 と思ったんですよね(これは、31曲目の「それは僕たちの奇跡」で確信することになります)。

 そしてここで、メンバーの「想い」の強さが伝わっていく感じへとなっていくのです。

 

 

 「M30 Future style」(通称「Fs」「2年生曲」)

 

 28曲目の「Hello,星を数えて」から、いわゆる「劇場版学年曲3部作」になるのですが、いわゆる「μ’s」の楽曲の中でも、特にこの楽曲は「最高に大好きな楽曲」の一つなんですよね。

 正直、この「2年生曲」と「僕たちはひとつの光」、この2曲に出会ったことで、自分は「μ’s」及び「ラブライブ!」に、瞬く間に加速度的にのめり込むことへとなっていったのです。

 

 何故なのか、自分でもいまだに理由を言葉にできないでいるんですけど、この「2年生曲」、伝えたいと思う世界観が最高に素敵で、「涙腺崩壊」になることが何回もある感じで。このファイナルライブでも、2日間とも感動のあまり「涙腺崩壊」でした。

 

 自分的には、この楽曲は、コールするよりも、「ただ一心に共に歌う」か、「心臓に手を当てて静かに、そして全身で楽曲の世界観を感じる」、このいずれかが望みなんですよね。

 ですが実際は、劇場版(及び「ありがとうPJ」)にて、コールは「関東型」と「関西型」で分かれていて(ファイナルライブ本番では「関東型」が採用された)。自分的には、「奥の深い」楽曲と思うのですけど、やっぱりコールはする気にはなれないかな(楽曲が最高なので)、と思う感じです。

 

 思えば、自分は最終的には「箱推し」になったのですけど(キャラ、担当声優のいずれにおいても)、「ラブライブ!」に出会った当初は、「穂乃果推し」からのスタートでした(ちなみに担当声優は、「ナンジョルノ推し」からのスタート)。

 実は、劇場版が「ラブライブ!」に出会った出発点なのですけど(より厳密なことは、後述にて言及します)、この楽曲はもう、「僕光」と共に、

 

 「人生を変えた楽曲」

 

 そう強く抱く感じなんですよね。

 

 

 「M33 Super LOVE=Super LIVE!」(通称「SLSL」)

 

 この楽曲。通称はいくつかあるのですが、ここでは「SLSL」を採用します。

 実はこの楽曲は、「ファイナルライブ」で、一気に好感度が上がった楽曲なんですよね(PFと同様、いわゆる「ライブ映え」する楽曲なのかな、と)。

 

 実はこの楽曲。特に2日目の印象が強いのです。

 さあ、ここからが特に勝負だ、と思ったところで、突如、「めまい」に襲われたのです。

 あっ、やばい。視界が歪んでいく感覚。いま、自分はどこにいるのだろうか。

 もう、不安と恐怖でいっぱいだったんですよね。

 

 ですが、心に太陽が照らされるような感覚を覚えたのです。なんだか、素敵な光景があるなあ、と。その意味を自分なりに解釈できたのは、4月2日のSVのときでした。

 

 「『ジョルくす』こそ我が命!」

 

 劇場版、ありがとうPJ、1000人絶叫(ファイナルライブの1週間前、3月27日に鴻巣にて開催された)のいずれでも叫んだ言葉ですけど、「ジョルくす」(南條愛乃と楠田亜衣奈のカップリング)が、SLSLにて熱い抱擁を交わした瞬間、自分は、このライブで最高の感動を全身で実感したんですよね。

 しかし、この「ジョルくす」への感動は、これでは終わらなかったのです(後述にて言及しますが)。

 

 

 「M36 SUNNY DAY SONG」(通称「SDS」)

 

 「りっぴー、大好きだよー!」。それほどに、りっぴーはこんなにも成長したんだ、と実感したのです。

 (「りっぴー」とは、飯田里穂さん[星空凛役]の愛称です。)

 そして、特に2日目、りっぴーの「とびっきりの笑顔」のおかげで、「めまい」が治まったんですよね。ジョルくす、うっちーも勿論然りなのですけど、りっぴーも、個人活動としてもできる範囲でだけど全力応援したい、そう心に強く抱いた感じなのです。

 

 本編はここまでで終了。で、アンコールへと突入するのですが、このとき、

 

 「アンコール!アンコール!」

 

 特に2日目。終わりが近いという実感が湧いてきて、自分は込み上げる思いを精一杯堪えながら、「アンコール!」を叫んでいました。そう。「届け、この想いを!」という感覚で…。

 

 

 「EN1 START:DASH!!」(通称「スタダ」)

 「EN2 Snow halation」(通称「スノハレ」)

 

 本編の3~4曲目の、「夏色」→「WR」と共に、大好きな2曲であることと共に、いずれの楽曲も「fwfw」楽曲ですので、盛り上がりがすさまじいんですよね。楽曲の世界観自体に、とても強い共感を覚えるのですけど、どちらの楽曲も、「見せ場」が用意されているのが、より素敵に映るのです。

 

 「スタダ」の場合は、歌うまトリオ(ナンジョルノ、ぱいちゃん、えみつん)の共演(「競演」ともいえる。ちなみに「えみつん」とは、新田恵海さん[高坂穂乃果役]の愛称のことです)。「~はずさ」の連発、そしてその際に腕を振り上げて回すしぐさが、とても最高に素敵なんですよね。

 「スノハレ」。いわゆる「色変え」が美しいのは勿論なのですけど、この楽曲でも、自分的に最高に大好きな部分があります。

 

 「優しい目が とまどってるいやだよ

 このまま一気に愛情 あずけてPlease!」

 

 この、「あずけてPlease!」。そして、その後の間奏部分。

 もう、この部分が最高に素敵なんですよ。そう、「夏色」の「願いを言って」→「間奏部分」と同じようなメカニズムなんですけど、

 

 「一人コール」覚悟で、「あずけてPlease!」(「ありがとうPJ」でも好んでねじ込んでいた。)→両手を天空へと突き上げる。そこから間奏に突入。→そこで情景を想像して、不思議と強い感動を覚える感覚を抱く。→感動のあまり、涙が流れる(ファイナルライブのLV本番でも、やっぱり涙腺崩壊。「ありがとうPJ」でもしばしばそうでしたが)。

 

 と、このような感じであったのです。

 ちなみにこの楽曲。実は、(後述にて言及するかなですが、)4thライブでのライブ映像が、Youtubeにてアップされているのですが、このYoutube映像を試聴して、この楽曲は勿論、それ以上に、「くっすん」が大好きになったのです。そしてそれが、「箱推し」へと結び付いていくことへとなっていった感じで。

 ですので、ある種「特別な思い入れ」の強い楽曲なんですよね、自分的には。

 

 

 「EN5 MOMENT RING」(通称「MR」)

 

 いわゆる「ファイナルシングル」。この楽曲を歌う直前に、特に2日目、「最後の挨拶」を、メンバー一人一人それぞれがスピーチしたのですけど、ここでは細かくは言及しませんが、とにかく最高に感動だったんですよね。

 そして、「最後の挨拶」を聴いた後にこの楽曲を聴くと、込み上げる思いが溢れ出る感覚で。勿論、この楽曲への好感度が「爆上げ」した感じでもありました。

 

 

 「W-ENCORE 僕たちはひとつの光」(通称「僕光」)

 

 この楽曲は、自分にとって、「特別な思い入れの強い楽曲」です。

 この楽曲に匹敵し得る楽曲は、「μ’s」以外では、

 

 「負けないで」(ZARD。1993年発表。NNN系列「24時間テレビ」でも歌われる楽曲です。)

 

 くらいのものです(自分の中では恐らくこれからもずっと、この2曲は、「人生のテーマソング」であり続けるのだろうなあ、と強く抱きます)。

 

 で、この楽曲。劇場版で、ラストの楽曲として流れた楽曲なのですけど(途中からエンドロールへと突入するのですが)、もう、聴くたびに、涙が溢れ出てきて止まらないんですよ。「映倫」が表示されてから、2~3分くらい立ち上がれないこともしばしばでしたから。

 劇場版だけでも、通算で17回鑑賞したのですけど(再上映とかで最終的には20回に達しましたが)、8回目まではこの「僕光」で必ず「涙腺崩壊」でしたので(ちなみに「ありがとうPJ」は通算で18回鑑賞しました)。

 

 実はこの楽曲。当初の自分は、「2日目のラストに取っておくだろう、そう、『最後の最後』で歌ってこそ、という感じにするのでは?」と思っていました。

 それが、1日目で歌ったとき、自分的にはびっくりした感覚であったのです。

 

 そのような感じですけど、この楽曲、自分は、SVをも含めた3日間のいずれも、

 

 「両手を心臓に当てて、精一杯思いを籠めて歌うことで、必死に涙を堪えようとするも、ただひたすらに想いが溢れ出てきて、とにかく涙を止められなくて、歌う声も、もうとにかく声になっていなくて、ただ心の中で『ありがとう』、これを伝えるのが精一杯の感じで。」

 

 楽曲自体の世界観(メッセージ性)も、とにかく超絶大好きなんですけど、特に、2日目(その翌日のSVも然りなのですが)。

 

 歌い終えた直後のLV映像にて、くっすんが「どアップ」で映されたのですけど、その目には既に涙が流れていたんですよね。

 その後、メンバー9人は「輪になる」のですけど、もう、自分的にはこのとき(より厳密には、通算で7回流れた幕間映像、つまり、「μ’s Chronicle」をも含めてなのですけど)、

 

 「一生、『ラブライバー』『μ’sの18人のファン』『くすサポ』として生きていきます!」

 

 そのように、心に強く誓った感じなんですよね。

 (「くすサポ」とは、「楠田亜衣奈のファン」のことです。)

 

 そう。「ファイナルライブ」の、自分の中での「心のMVP」は、「くっすん」と自分は強く抱くのです。誰よりも、誰よりも輝いて映った。なんというハイパフォーマンスなんだ!と(MC、及び「μ‘s Chronicle」をも含めて)。そのように、強く感じたんですよね。

 

 

 では、すみません、続きを(その2)にて綴らせて頂きたく思います。

2015年

8月

10日

「『奇皇后』と『ラブライブ』、2つの素敵な映像作品に出会えたことに感謝(その2。『劇場版ラブライブ』の自分なりの感想レビューブログ)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第46回のブログエントリーの論題は、「『奇皇后』と『ラブライブ』、2つの素敵な映像作品に出会えたことに感謝。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の45回目になります。そして、「社会貢献」ブログエントリーの23回目、「子ども、教育」ブログエントリーの14回目、「芸術、メディア」ブログエントリーの6回目になります。

 

 気が付けば、2014年7月以来、およそ1年ぶりのブログ更新になります。

 リアルにおいて、確かに、この4年近く、微力ながら、防災、復興に向き合う過程で、最も実り多い日々を過ごさせて頂いている、一人の人間として、想像以上にたくさんのことを学ばせて頂いている、そう強く実感する

一方で、時間的余裕、精神的余裕が、あまり持てていない、じっくりとブログエントリーができることができていないことを、申し訳なく思う次第であります。

 

 では、(その1)の続きから、考察を始めます。

 

 

 【2】『ラブライブ The School Idol Movie』(6月13日公開初日。配給は松竹。公開時間は実質100分間。いわゆるアニメ映画。)

 

 結論的に述べましょう。

 

 「いままで生きてきた中で、最高に感動する映画!特に歌の部分、そしてラストがとても素敵で、何回見ても涙なしには見られない!」

 

 という思いです。

 

 まず、『ラブライブ』劇場版の関連リンクを、下記に貼ります。

 

 

 (図解3)『ラブライブ』劇場版関連リンク集。

 

 (ラブライブwiki)[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96!]

 (μ’sのwiki)[https://ja.wikipedia.org/wiki/%CE%9C%27s]

 (HP)[http://www.lovelive-anime.jp/]

 (劇場版HP)[http://www.lovelive-anime.jp/sp_movie_caststaff.html]

 

 

 (図解4)『ラブライブ』劇場版、いくつかの感想レビューブログのリンク集。

 

 (アニメ1期)[http://elbowroom.web.fc2.com/2013/1/lovelive-anime.html]

 (アニメ2期)[http://elbowroom.web.fc2.com/2014/4/lovelive-anime.html]

 (劇場版1)[http://kato19.blogspot.jp/2015/06/school-idol-movie.html]

 (劇場版2)[http://kato19.blogspot.jp/2015/06/lovelive-movie-2.html]

 (劇場版3)[http://kato19.blogspot.jp/2015/07/lovelive-movie-03.html]

 (劇場版4)[http://hiyamasovieko.hatenablog.jp/entry/2015/06/24/004202]

 (劇場版5)[http://hiyamasovieko.hatenablog.jp/entry/2015/06/29/201133]

 

 

 (図解5)自分が「震災以後」に鑑賞してきた映画。

 

 (1)2014年5月(『悪夢ちゃん』。テレビドラマからの集大成。)

 (2)2014年9月(『思い出のマーニー』。スタジオジブリのアニメ映画。)

 (3)2015年3月(『くちびるに歌を』。「手紙」という曲を題材にした、音楽映画。)

 (4)2015年7~8月(『ラブライブ』。つまり、今回。)

 

 

 結論的に述べれば、(いわゆるスペシャルステージ2回をも含めて、)実に「6回」生鑑賞をしています。

 これほどまでに生鑑賞をするのは、生まれて初めてです。

 

 

 「流行っているらしいよ。」


 最初は、それがきっかけでした。で、2月16日、「Rの法則」(NHKEテレ)にて、「μ’s」が登場して、そのときは所用で見られなかったのですが、帰宅してツイッターを開けると、『ラブライブ』関連ワードでズラリと埋め尽くされている(いまにして思えば、このときすでに『社会現象』の萌芽だったのかな)。

 で、7月13日、「Rの法則」の再放送を視聴。

 もう、その世界観(歌詞とか)、そして個々のメンバーのひたむきさに、「瞬殺」の感じでした。いわば、「きゅん」ときた感じで。


 いま見ないと、恐らく後悔するだろう。そう思って、いざ映画鑑賞。

 正直最初は不安でした。ですが、いざ鑑賞すると、


 「笑える場面、泣ける場面は勿論だけど、一つ一つの歌(μ’sとしては全6曲。これとは別に、「女性シンガー」の歌として1曲加わって、全7曲)が、とても素敵。

 そして全体的に感動。特にラスト、『僕たちはひとつの光』、あれはもう「(伝説的なほどの、)心に響く楽曲」でした。」


 という感じです。



 個々の登場人物が、実に個性豊か、ということもも勿論なのですが(特に、矢澤にこの「にっこにっこにー」は、何回聴いても実に強烈です)、泣ける場面を要所に配していること。

 ラストの「僕たちはひとつの光」も然りですが、物語の中盤あたりからの、いくつもの泣ける場面。


 「一度変えた決意を、簡単には変えられない。」の、矢澤にこの一連のセリフ。

 A-RISEとの車中で、穂乃果の揺れ動く心境を吐露する場面。

 「楽しくないの?」→悲しさを示唆する瞳で、穂乃果が妹(雪穂)に対峙する場面。

 そして、色彩が一気に明るくなり(蛍光的なオレンジ)、穂乃果が水たまりをジャンプして、「見つかったよ、答え」へと向かっていく一連の場面。(←ラストもだけど、何回見ても、この場面もとても素敵です。)



 そして、ラスト、『僕たちはひとつの光』。歌詞、リンクを貼ります。



 (図解6)『僕たちはひとつの光』歌詞。

 [http://www.kasi-time.com/item-76621.html]

 [http://www.uta-net.com/song/190197/]



 メモ的に、2つ貼り付けましたが、でも、です。


 1回目の「ことりが~」。

 「みんなと出会えたこと~」(特に、「涙はいらない…」は高確率で涙腺崩壊ゾーン)。

 2回目の「ことりが~」(この直前に間奏。これで一気に気持ちが高ぶるのかも)。


 何故だろう。もはや言葉では説明できない。ただ、一つ言えることは、


 「「負けないで」(ZARD)に匹敵し得る、自分のテーマソングに出会えた!」


 という感じですかね。それは正直、とても強く感じます。



 なんというか、いくつものことが、メッセージ性として盛り込まれている感じなんですよね。


 「情熱」「楽しさ」「誇り」「魂」「愛」「全力」「誠実」「真心」「信念」等々。


 本質的には、「音楽アニメ」であり、「学園アニメ」「青春アニメ」の要素もあると思うのですが、ある種、「スポ根」的な要素が盛り込まれていること、そして、繊細な心理描写も、とても素敵な感じを抱くんですよね。


 で、観るたびに、新たなる発見がある。書き出すとあまりにも長くなるので、ここでは割愛しますが、何回でも歌を聴きたい、ということを割り引いても、複数回是非観たい、そう心から思える感じなんですよね。

 

 

 

 で、いま、この『ラブライブ』、興行収入が20億円を突破しただの、社会現象になっているだの、公開当初、対抗する映画として挙げられていた『海街diary』に勝っただの(というか、海街の方が当初は本命視されていた)、いろいろいわれています。

 関連楽曲(実際、映画版の3週連続CDリリースは、いずれも10万枚突破、アニソンとしては驚異的枚数といわれる。南條愛乃、内田彩、飯田里穂等、同時期発表のソロ楽曲も軒並み好調の売れ行き)、関連グッズ(「ねんどろいど」シリーズ等)も、飛ぶように売れている。


 さらには、青森ねぶた、仙台七夕への参加、そして日本郵政からをも関連グッズだとか。


 そう。まさしく「社会現象」の領域。もはや、無視できない存在。

 先述の映画の興行収入ならば、『ラブライブ』は121館(海街は323館)で、この数字です。

 それはなぜ起こったのか。いくつか理由はあるかなと思いますが、自分は、下記のことかなと思っています。



 (図解7)自分(愛球人)が考える、何故『ラブライブ』が社会現象になりつつあるのか。


 (1)純粋に、物語性の素晴らしさ。特に、女子高校生の「等身大」の姿を描いていて、それでいて、一心に「夢」を追いかける姿が、共感を集めたのでは?

 (2)個々の登場人物を、担当声優が、「役を生きる」姿勢が伝わること。そして、大手メディアが絡んでいる訳ではなく、「自分たちで育てる」という帰属意識が影響した?

 (3)いわゆる「メディアミックス」。ランティス、サンライズ(この2社はバンダイナムコグループ)、角川グループをはじめ、ブシロードグループ、ユニバーサルグループ、JTB(この3社は担当声優を何らかの形で擁している)、セガグループ、TAITO等、いくつもの企業が「一つのプロジェクト」に結集していること。作り手も演じ手も、『ラブライブ』という「プロジェクト」に携わることに、「誇り」を感じ、それが伝わってくることでは?

 (4)いわゆる「口コミ」の力。特に現在はSNSが高度に発達しているので(ツイッター、FB、LINE等)、そこでの評判で、自分も見てみようかな、そこから気付けばはまった人間も少なくないかも?

 (5)現代社会へのアンチテーゼ。特に、「いじめ」「子どもの貧困」「安保法案」等、「ぎすぎす感」が否めない社会への「静かなる抵抗」の表れとして、この作品の世界観(現実を描写しつつも、希望にひたむきに向かう姿勢)に共感を集めたのでは?

 

 

 他にもあるかもですが、およそ、このような感じでは?と自分は思っています。


 さらに述べましょう。よくいわれることとして、今回の『ラブライブ』、劇場版の成功は、いわゆる「特典商法」によるところが大きいのではないか、ということ。


 自分は思います。確かに、「得点商法」の影響を、全否定はしない。しかし、それだけが成功の要因とは思わない(あくまでも要素の一つにすぎない)。



 「人間の心に訴えかけるものが、『ラブライブ』にはあった。そして、それに対する強い『共感』を集めたことが、成功の要因ではないか?」



 そのように、自分は考えるのです。

 現に1週目(つまり初動)の時点で、公開スクリーン数でトリプルスコア(のビハインド)の海街を、ダブルスコア近い差を付けて動員数1位。

 劇場版のCDは、3作品すべて10万枚超え(デイリー単位ではいずれも1位を経験)。

 各種グッズは飛ぶように売れている。個々のソロのCD、アルバム作品をも含めて。

 そして、「#矢澤にこ生誕祭2015」「#高坂穂乃果生誕祭2015」といった、登場人物の誕生日ツイートは、「つぶやきビッグデータ」で、他を圧倒する「ぶっちぎり」の1位(前者は延べにして90万ツイート超え。後者は、高校野球の組み合わせ抽選会とバッティングにもかかわらず、ダブルスコア差で勝ったとか)。


 これらのことを、「特典商法」だけで説明できますか?と。そもそも、元の基礎票数(もとからのファン数)が多くなければ、あるいは、作品自体の内容がよろしくなければ、どれほど特典を付けたところで、動員数が上がりようがない訳です(20億円突破ということは、公開スクリーン数の規模等に照らしても、リピーターが相応に行っていること、それに加えて相応の新規ファンがいなければできないこと)。

 

 

 どれほどの影響力かって、近年は、「まとめサイト」なるものが盛んになっていますが、この、『ラブライブ』関連の「まとめサイト」の数。これが実にすさまじいのです。



 (図解8)「ラブライブ!速報」からの、『ラブライブ』関連まとめサイト。

 http://lovesoku.com/



 実に17。そして、『ラブライブ』関連楽曲は、個々のソロ楽曲とかをも含めると、実に100前後あるとか。スケールの大きさがうかがえる感じです。


 まあ、一つ抱くならば、他の似たようなアニメ作品(『まどかマギカ』『アイドルマスター』等)、それぞれの素敵さ、素晴らしさをも尊重した上で、『ラブライブ』だからこその魅力を共有し合える感じに、そう強く抱く感じとしてあるのですが。



 それと共に、もう一つ感じることとして、この『ラブライブ』、これほどまでに魅力的と思うこととして、「歌」の素晴らしさ、それを強く感じるのです。


 

 (図解9)アニメロサマーライブ。

 

 (HP)[http://anisama.tv/]

 (ウィキペディア)[https://ja.wikipedia.org/wiki/Animelo_Summer_Live]

 

 

 (図解10)『ラブライブ』、個々の担当声優の、歌手としての活動、活躍ぶり。


 (内田彩1)[http://www.animate.tv/news/details.php?id=1437569086]

 (内田彩2)[http://otapol.jp/2015/08/post-3512.html]

 (飯田里穂)[http://otapol.jp/2015/07/post-3443.html]

 

 

 で、恐らく、年末の各種大型歌番組にも、いくつかは出場するかな、と思うのです。

 『紅白歌合戦』到達の可能性も、自分は充分あり得ると思っています。



 (図解11)自分が、『μ’s』が、2015年年末の各種大型歌番組にて、積極起用されると思う理由。


 (1)各種楽曲が純粋に売れ行き、反響が上昇傾向であること。映画の楽曲3週連続リリースの成功は勿論、個々のソロ活動でもそれをうまく活用できていることをも大きいかと。

 (2)ジャニーズ、AKB、エグザイル系列、この3強(「いきものがかり」を含むと、4強)に対する依存度の高さ。新たなる風を吹き込む意味でも、(アニメソング)というジャンルの上昇傾向及び可能性の意味でも、刺激、アクセントとして有益なはず。

 (3)いくつもの素敵な楽曲を擁するので、2曲以上のメドレーが高確率で見込める、しかも観客も共に楽しめる可能性が充分ある。



 およそ、そのように、正直強く抱く感じです。まあ、「どうなるか、観てみよう。」と思う感じですが、少なくとも、『僕たちはひとつの光』、これは掛け値なしに素敵な歌、そう強く抱く。

 だって、6回の映画鑑賞で、感動のあまり泣いた、すべてそう。言葉にできない素敵さ、それを強く感じるんですよね。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2015年

8月

10日

「『奇皇后』と『ラブライブ』、2つの素敵な映像作品に出会えたことに感謝(その1。『奇皇后』の自分なりの感想レビューブログ)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第46回のブログエントリーの論題は、「『奇皇后』と『ラブライブ』、2つの素敵な映像作品に出会えたことに感謝。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の45回目になります。そして、「社会貢献」ブログエントリーの23回目、「子ども、教育」ブログエントリーの14回目、「芸術、メディア」ブログエントリーの6回目になります。

 

 気が付けば、2014年7月以来、およそ1年ぶりのブログ更新になります。

 リアルにおいて、確かに、この4年近く、微力ながら、防災、復興に向き合う過程で、最も実り多い日々を過ごさせて頂いている、一人の人間として、想像以上にたくさんのことを学ばせて頂いている、そう強く実感する

一方で、時間的余裕、精神的余裕が、あまり持てていない、じっくりとブログエントリーができることができていないことを、申し訳なく思う次第であります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。


 

 【1】『奇皇后』(NHKBSプレミアム、全51回、韓国のドラマ、本編は8月2日放送回で終了。)

 

 結論的に述べれば、

 

 「いままで見た中で、最も『濃密な』映像作品。」

 

 ということです。これは、全体的な展開(1話ごとの内容をも含めて)の激しさ、人物設定の個性豊かさとドロドロさ、それでいて、ラブロマンス的要素も存分に盛り込まれていること。

 

 いわゆる「韓国版大河ドラマ」と伺います。現地(韓国)では、視聴率40%声をコンスタントに叩き出す「お化けドラマ」だったとか(ただし韓国はテレビ局自体が実質3つ[KBSが2つあるので、4つ]のみで、日本はNHK、Eテレ、民放主要5局をもカウントして、実質7つと、数が異なることへの留意が必要ではある)。

 

 きっかけは、実に「直感的」な感じでした。

 いつも必ずしも、「NHKスペシャル」を観る訳ではない。かといって、他の同時間帯の番組には基本的に関心なし(時折、BSーTBSを考慮に入れる程度)。

 で、予告宣伝映像で、『これって面白そうかも?』と。

 

 それで、初回を鑑賞。もう、「瞬殺」でした。

 うまく言葉ではいえませんが、日本の大河ドラマとは比べ物にならない「壮大さ」。

 

 日曜日の夜ですから、自分もどうしても予定が入ったりします。

 予定が入ると、録画にすがる確率が高くなる。特に、今年3月、

 

 「『国連防災世界会議』(3月14日~3月18日、仙台。自分は14日~17日に参加)。」

 

 をはじめ、3週連続で予定が入ったときは(第31話~第33話)、もはやここまでかも、と思う自分もいましたが、不思議と全く飽きない、むしろ、全力で見よう!と思えた。

 

 ここで、『奇皇后』に関係するリンク集を、自分なりに示させて頂きます。

 

 

 (図解1)『奇皇后』、公式HP、ウィキペディア。

 (HP)http://www9.nhk.or.jp/kaigai/kikogo/

 (ウィキペディア)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%87%E7%9A%87%E5%90%8E_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)

 (naverまとめ1)http://matome.naver.jp/odai/2140324617341415701

 (naverまとめ2)http://matome.naver.jp/odai/2140724664259843301

 

 


 なんというか、回を重ねるごとに、より一層引き込まれていくこと。

 どのような展開か、「わくわく感」が留まらず、「想像力」、あるいは「怖いもの見たさ」を掻き立てられること。

 そして、個々の登場人物に、府意義と感情移入したくなってしまうこと。

 

 それは、話の展開の凄まじさ(濃密さ。壮絶さ)然り。そして、個々の役者さんの質が高くて、まさしく、「演技と演技の激突」というのが、画面越しに伝わってくるんですよね。

 

 そういった、質の高い演技なり内容を、1年間通して堪能できる、それが日本の大河ドラマで、どれほどあるだろうか?と。

 自分自身、子ども時代にて、『毛利元就』(1997年)『葵徳川三代』(2000年)といった大河の作品は、とても強い印象が残っています。でも、そういった質の高い大河に、近年は出会えた記憶がない。

 

 理由はいろいろとあるかなと思います。見ている自分にだって、ライフスタイル(あるいは、ライフサイクル)のこととかありますし(どうしても日曜日の夜は、予定が入ってしまいがち。あるいはスポーツの試合があるとかをも含めて)。

 だけど、それと共に、ある種の「芯」を持った、いわば「フィロソフィー(信念、理念、哲学)」が伝わる作品が、どれほどあるだろうか?と。キャスティングありきとか、(表面的な)視聴率至上主義とか、それがあるのではないか?と。

 


 それに対して、今回の、韓国の『奇皇后』。史実に対して、かなり脚色が入っているとのことです。晩年、暴君と伝えられた奇皇后の姿は、事実上描かれなかった感じでした(奇皇后になるまで、に絞って描かれた感じでした)。

 ですが、個々の登場人物、それぞれに「味」がある。主人公(スンニャン。ハ・ジウォンさん)は、もはや異次元ですが(もはや言葉にできない。それほどの「すごみ」です)、とりわけ、自分が「熱中した」のは、

 

 「タナシルリ(ペク・ジニさん)。」

 

 でした。

 何が素晴らしいかって、まず、思いっきり「童顔」なんですけど、ここまで悪の限りを尽くすのか?という、徹底的に悪女になりきっていること。それでいて、純朴で子煩悩な一面ものぞかせていること。


 きっと、陰ですさまじい努力を積んでいるんだろうな、というのが伝わること。スンニャン等、主要人物3人に、決して見劣りしていない訳です、存在感という意味で。

 この先も楽しみな女優さんに出会えたなあ、と。そう、いわゆる「わくわく感」を感じる。

 そのような若手女優が、日本にどれほどいるかどうかも、正直考えさせられたりしますが。


 まあ、正直、外見の補正は、否定はしません(童顔で長い髪が似合う、というのは、正直、外見的な意味での、最も好みの感じとしてあるので。しかも、古風に近い感じの顔立ちまで、ど真ん中のストライク、という感じですので)。余談を述べれば、自分が大好きなアナウンサーの1人である、NHKの田中泉アナも、似たような顔立ちですので(それでいて、読みの技術がうまくて、また、どこか抜けている感じが魅力なのであります)。

 だけど、どこか惹き込まれる。それが、正直な感じとしてあるのです。少し、ペク・ジニさんの関連画像とか、リンクを貼らせて頂きます(もう、完全に贔屓全開で申し訳ないです)。



 (図解2)『奇皇后』、タナシルリ役、ペク・ジニさんの関連画像。


 (http://ameblo.jp/viennetta-x/entry-11907286226.html)

 (http://ameblo.jp/popojae/entry-11811088879.html)

 (http://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=2006398)



 はい、ごめんなさい、自分の好み全開で。でも、それほどまでに強烈だったんですよね、タナシルリが。

 まあ、第38回、タナシルリは処刑される訳ですが、「タナシルリロス」になるのかなと思いきや、それでも結局、最後まで全身全霊で楽しませて頂いた感じでしたが。


 タナシルリのみならず、他にも、心に響く登場人物は、ほかにもたくさんいました。

 その一人が、タンギセ。タナシルリのお兄さん、ということですが、まあ、彼も究極の極悪人、という感じなのですけど、以外と人間味をのぞかせる姿もあったりするんですよね。で、自分がかわいい、という一面もあったりとか。


 他にも、ヨンチョル、皇太后、ヨム・ビョンス、等々。悪役が輝けるドラマ。

 日本でも、「2時間ドラマ」が、輝きを放っていますが、「悪役」の存在意義、強く考えさせられる感じです。


 それと、音楽の素晴らしさ。音楽の、その場面ごとでの選択が、実に秀逸なんですよね。

 特に、戦いの場面とかで使われる、激しくなっていく音楽。あの音楽が自分は、とても大好きでした。



 感動と衝撃のあまり(今まで見た中でも、最高のテレビドラマと強く抱く!出会えたことに感謝!)、第45話終了時くらいで、「公式ガイドブック」3冊を購入したほど(ぎりぎり間に合ってほっとしました)。

 いずれにせよ、とても心に強く響く、素敵なテレビドラマでした。



 では、(その2)において、「劇場版ラブライブについての感想レビューブログ。」についての具体的考察を、させて頂きたく思います。



 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その2)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

 


2014年

7月

26日

「サッカー日本代表、2014年ブラジルW杯検証的総括、及び、今後に向けての具体的提言(その5。4年後は勿論、12~20年後のために、どうあって欲しいか)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第45回のブログエントリーの論題は、「サッカー日本代表、2014年ブラジルW杯検証的総括、及び、今後に向けての具体的提言。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の44回目になります。そして、サッカーブログエントリーの7回目になります。

 

 では、(その4)の続きから、考察を始めます。

 

 

 (図解11)にて示した、チリ代表の帰国時の熱狂ぶり。

 この、チリ代表。今回は、「16強」が最終結果でした。

 ですが、チリ国民が、心底喜んでいる、「有難う」と思っている、それがひしひしと強く伝わってくるのです。

 

 チリのみならず、コスタリカ、米国、ボスニア(GL敗退なのに!)とかでも、国民が熱狂的な歓迎ぶり、と伺いますが、結果がどうであれ、これらの国々に共通するのは、「最後の最後まで諦めない」「全身全霊を尽くし、出し切った」(ボスニアは、やや不運に泣いたようにも感じますが…)、だから、それが、見ている人間の心を打ち、「有難う」と素直に思える、そのような感じであるのです。

 

 で、日本。今回のW杯の場合、考えられ得る中で、悔しいですけど、「ひどいパフォーマンス」と言わざるを得ないと思うのです。

 これと同等くらいにひどいのは、それこそ数えるほどでしょうが、それにカウントせざるを得ないのが、韓国です。

 その、韓国。代表の帰国時、空港では、怒号の嵐、辛辣な横断幕まであったとか。正直、そりゃそうだろうなあ、と率直に感じます。

 

 

 それに対して、日本。代表の帰国時。

 成田空港。良くも悪くも、「有難う」の労い一辺倒。勿論、「労い」はあって然るべきかなとは思いますが、少なくとも、報道や映像の限りでは、「怒号」が微塵もない。

 

 これってどうなのよ?と。そう。「駄目なものは駄目。」と自分は思うのです。

 「よくやった」と思える選手は、自分にいわせれば、「ゼロ」。強いて挙げれば、篤人、川島くらいでしょう(というか、最後までCBがザルすぎて、あれでは川島がかわいそう。例えばチリ、メキシコ、コスタリカ、米国、いずれもGKのスーパーセーブが目立ちがちであったが、DF陣の守備の質も、それなりに高かった〉。

 

 

 これは、普段の試合でもそうです。内容的に低調であろうとも、ブーイングや怒号が、ほとんどまるでない。

 2010年4月。セルビア戦(長居)。このとき、自分は生参戦していたのですが、ありったけの怒号、ブーイングでした。

 それがまるで、この4年間、ほとんどなし。Jでさえ、内容が低調(とみなされる)ときは、怒号、ブーイングは勿論、例えば、バス包囲(現に今季も、確か清水サポがこれを決行したと記憶します)をも厭わないのに。

 

 いわゆる「黄色い歓声」。それを全否定するつもりはありません。

 ですが、なんというか、例えば、海外のサッカーでも、相手でも、いいプレーをしたら「拍手」だし、自チームが、駄目なプレーをしたら「怒号、ブーイング)である訳です。

 

 それどころか、です。いま、政治の世界で、「集団的自衛権」ということが、連日のように話題になっていますが、例えば、首相官邸前。連日のように、シュプレヒコール(ただし、あのデモの仕方には、自分は正直強い違和感を抱いていますが…)。

 この、首相官邸前。それと、成田空港(あるいは、普段の代表戦でも然りですが)。この相違。いわゆる、「熱量」の落差に、あぜんとするんですよね。

 

 しかも、です。ブラジルまで現地参戦したコアファンは(自分にいわせれば、「超」がいくつも就く感じですが。「真のコアファン」とでもいいましょうか)、自らゴミ拾いを率先してするなど、賞賛された。そのような、「まとも」なファンも、少なからずいるとは思いますが、悲しいですが、現実論としては、相対的に見て、日本のサッカー界における、「ファンの質」は、御世辞にも高いとはいえない、かなと。

 

 

 この、「熱量」の落差。発煙筒が合法的かどうか、考えさせられますが(個人的には認めるべきと思っている。「駄目なものは駄目」という表現手段として、うってつけではないか、と思うから)、「ファンの質」の改善も、中長期的に進めていかねばならないでしょう。

 

 

 なんというか、この4年間の失敗の大きな要因。内容面でも、ファンの質の劣化の面でも。「なるべくしてなった」。どういうことか。

 

 

 「あらゆる意味で、『本田、香川、長友、篤人』の『海外4人組』が大きくなりすぎた。結果、戦術面でも集客面でも、依存度が日を追うごとに大きくなり、ファンの間では、『海外4人組が何とかしてくれる』という幻想を持ち、戦術、組織面でも、『4人組ありき』(いなくなると急激に質が劣化する。チリ、メキシコとかでは、そこまでひどくはなっていない)に陥ってしまった。」

 

 

 そう。今回の敗因。「海外組絶対主義」。06年と同じ轍を踏んだということか、いやむしろ、それ以上の失敗であった、自分はそう思うのです。

 ファン然り、メディア然り。そして、Jの実力者(名指しすれば、闘莉王、寿人、柏木。他にもいるが、特にこの3人)に対する、徹底した「ガン無視」ぶり(というか、この3人は、「ものを言える人間」であるが故に、それが逆に作用した可能性が、と自分は解釈していますが)。

 

 で、いつしか、(たとえ無意識的にでも、)「自分たちが偉いんだ。」という感じになり、ブレーキ役(鼓舞役ともいえるが)が、「23人枠」の中に、誰もいなかった。

 せめて、たとえ闘莉王、寿人、柏木をどうしても入れたくなくとも、槙野(浦和では、一見すると「おちゃらけ役」に映ることもあるが、いつもファンやチームのためにどうすれば「心が一つになる」かを考えて行動できる)を組み込む(勿論起用時は、守備固めかパワープレー限定と理解させることが肝要だが)、あるいは、第3GKに、曽ヶ端(鹿島)か菅野(柏)のような、鼓舞役(フランスのランドローのイメージ)専用要員を組み込んだ方が良かったのではないか、自分は、そのように思うのです。

 

 

 今回のドイツ、優勝の要因は、いくつか挙げ得るでしょうが、個人的には、第2GKのバイデンフェラー(ドルトムント)が、「鼓舞役」に徹していたことが、強く印象に残っていて(それを理解させるために、指揮官はぎりぎりまで召集しなかったのでは、と思っていますが)、やっぱり、「鼓舞役」は1~2人は絶対に必要、これも今回のW杯での「教訓」と感じるんですよね。

 

 

 で、個人的に、自分が強く印象に残っていること。

 

 「(ドイツもアルゼンチンも、)中長期的に育成に粘り強く取り組んできたからこその、今回の結果。」

 

 今回のW杯の決勝、ドイツ対アルゼンチン、試合終了後、解説の岡田武史さんの言葉です。

 

 これに自分は、強く共感したんですよね。そう。日本の場合、「4年後」ということが強調されがちですが、勿論それも大切なんですけど、現在の日本の場合、「日本サッカーとしてのスタイル」が、「存在しない」ことが浮き彫りになっている。

 選手がどう変わろうとも、「ここだけはずっと変わらない」と思える、「立ち返れる場所」の不在。ここからメスを入れる必要が、あると思うんですよね。

 

 はっきり述べれば、「4年後」だけを強調したら、「一過性」のみに終始しかねやするまいか、と。むしろ、この機会に、「12~20年後」の8強(それもコンスタントな)を叶えるための、「中長期的ビジョン」「粘り強い育成システム」の構築、が必要であるように思うんですよね(Jリーグの在り方も、抜本的な改革が必要、と思いますが。個人的には、「Jプレミア構想」は、あってよいと思っていますし、J1のチーム数は「16」くらいが妥当ではないか、と思っています)。

 

 

 で、日本人選手の「相対的特徴」として、自分は、下記のことを、抱いているんですよ。

 

 

 (図解13)自分(愛球人)が考える、日本人選手の「相対的特徴」。

 

 (1)頭がよい(いわゆる「サッカーIQ」「プレービジョン」に直結し得る。現に、あらゆる学力指標で、長年、日本はトップレベルに君臨し続けてきたし、数学五輪、科学五輪、科学コンテストとかでも上位入賞をコンスタントに輩出している)。

 (2)実直、勤勉である(指揮官の志向する戦術に対して忠実とよく言われる[つまり、「戦術理解力」の高さ]。「よく走る」といわれる[現にオシムは、かつて代表で「走るサッカー」「人もボールも動くサッカー」を目指してきた])。

 (3)フィジカルコンタクトが脆い(例外も一部いるが、基本的には当たりに弱い。つまり、肉弾戦をできるだけ回避したい、となる。ということは、いわゆるパワー型のサッカーと対極のサッカーを志向しないと、対応できない、とも解釈し得る)。

 (4)高さに乏しい(いわゆる180cm以上の選手が、Jのどのチームでも、数えるほどなのが現状。特にいわゆる「大型MF」とかは、ほとんど見当たらないといってよい。バスケでも、200cm以上の選手が希少であることに照らしても、日本がいかに体格的に恵まれないかがわかる)。

 (5)足が速い、伝統的に「10番」信奉の傾向(快足については、岡野、大久保、永井、宮市等、コンスタントに輩出し続けてきた。「10番」については、キャプテン翼、イナズマイレブン(シーズン2)とかで、「10番」が主人公として描かれていることとかに象徴され得る。10番の重要性は、バレーでのセッター、バスケでのPGが強調されやすい傾向とかにも現れている)。

 

 

 つまり、これからいえる傾向。まず、パワーサッカーに脆いことから、「中央突破」はアウト、と分かる。

 頭はよい。しかし、浮き彫りになっている現状は、「判断スピード」の弱さです。恐らく、「0コンマ何秒」の差でしょうが、これがなかなか埋められない差としてある。

 

 「ボールスキルが高い、判断スピードが遅い、パワーに乏しい、よく走る、ファンタジスタ信奉。」

 この5つの要素を最大限に考慮した最適解。それこそが、今後、日本が「中長期的に志向すべきサッカー」となる訳です。

 それは勿論、選手が誰になろうとも、どう変化しようとも、「これだけは絶対に変わらない」、そのような「統一された方向性」が求められることになります。

 

 

 「全員攻撃全員守備」。

 

 

 これが、日本サッカーとして、「統一された方向性」として、求めたいこと、と感じるんですよね。

 それこそ、ボールスキルは高くとも、いわゆる超絶技巧とかが、できる訳ではない。だからといって、フィジカルコンタクト、身体能力で勝負するのは、全くといってよいほど向いていない。

 そうであれば、とにかく全員が、炎、火の玉の如く、「走り抜く」しかない。その意味で、「走るサッカー」を志向するアギ―レの招聘は、ある種、「理に叶っている」ように思うのです(2010年W杯のメキシコ代表の、流れるようなパスワークと激しい運動量に、すっかり心酔した)。

 

 「高い位置からの守備ができないFWはいらない。」

 「低い位置からの組み立てができないDFはいらない。」

 

 それくらいのことが、あってしかるべきでは、と思うんですよね。

 

 

 この、「全員攻撃全員守備」。これならば、たとえ選手が変わろうとも、ぽぜっ書ん、カウンターとかと異なり、さほど影響されずに済む。

 で、個人的には、オランダ、ポルトガルのように、クラブから代表まで徹底して、「3トップ」で統一する方法も、実は好きなんですけど、日本の場合、「頭脳性」の高さを活かす意味でh、1つのシステムに統一させるのは、あまり向いていないのかな、と。

 むしろ、複数の布陣(少なくとも3つ以上)を自在に使い分け得る、そのような感じのサッカーが、望ましいように思うんですよね。

 

 

 それと、できるだけスピード感に満ちる攻撃をするためには、

 

 「速攻と遅攻の使い分け」「流動性、連動性に満ちるサッカー」

 

 も、とても大切になってくる、と思うんですよね。

 

 

 それと、大切なこととして、これは、A代表に留めるのではなくて、

 

 「A代表、U23、U20が、統一された方向性でサッカーを中長期的に粘り強く進めること。そして、できればこの統一された方向性を、育成年代から進めていくこと。

 そしてできれば、今後1年半程度を、『日本サッカーが進むべき方向性』を見定めるために、試行錯誤する期間に充てて欲しい。そして、それが確定できれば、2018年W杯までは、内容重視で、この試合ではこれができた、みたいに、その時々の試合ごとに、テーマを定めて、一つ一つ積み上げて欲しい。」

 

 この思いを、正直強く抱く次第なんですよね。

 

 

 で、自分自身、今回のW杯の敗因として、先述でも言及しましたが、

 

 「あらゆる意味で、『本田、香川、長友、篤人』の『海外4人組』が大きくなりすぎた。」

 

 と抱いているのですが、実力的には、確かにある種やむなしのところもあったかもとは思うのです。でも、なんというか、「一線を越えてしまった」感じがあるんですよね。

 「個の力」的な意味では、やむを得なかったかもとしても、むしろ自分が違和感視するのは、恐らく、「影響力」的な意味で、この「海外4人組」が、「大きくなりすぎた」感じを、自分は抱く訳です。

 

 

 で、若い選手で、有望な選手がいないのかといえば、そうではない訳で、個人的には、2018年W杯に向けた開幕戦(9月上旬。既にアギ―レ政権、ということになる訳ですが)、この夫人からスタートして欲しい、と思うんですよね。

 

 

 (図解14)自分(愛球人)が考える、アギ―レ政権開幕戦理想布陣(2014年9月)。

 

 システム(4-3-3)

 監督(アギ―レ)

 

                     宇佐美

 

 元気                                        柿谷

 

             MF               MF

 

                     MF

 

 DF          DF               DF           DF

 

                     GK

 

 

 「宇佐美(G大阪)、元気(浦和→ヘルタベルリン)、柿谷(C大阪→バーゼル)」。

 3人とも、「超絶技巧」「創造性」の持ち主であり、「仕掛け」「ゴールに向かう気持ち」の意識が強く、「違い」を生み出せて、それこそ、ユース時代から、「神童」の称号をほしいままにするほどに、将来を嘱望されてきた選手です。

 

 まだ、荒削りの感じはあります。紆余曲折も、いろいろとありました。でも、この3人ほど、「ゴールへの気持ち」「わくわく感」を実感できる存在は、そうはいない、とも思う訳です。そして荒削りということは、裏を返せば、「伸びしろ」がある、とも感じる。

 

 この3人をまずは、「徹底的に辛抱強く使い続けるべき」、そう強く抱くのです。

 

 ただ、そのための前提条件として、まず、「前線からの守備」。そこから素早く「守→攻」へと切り替えができて、「ゴールに向かう気持ち」を前面に押し出していくこと。

 そして、後ろの7人が、「全員攻撃全員守備」を共有できることは勿論ですが、とりわけ、「走り抜く」ことができるかどうかが、重要になると思うのです。

 

 

 (図解15)自分(愛球人)が考える、アギ―レ政権開幕戦理想布陣(2014年9月)(その2)。

 

 システム(4-3-3)

 監督(アギ―レ)

 

                     宇佐美

 

 元気                                        柿谷

 

             柏木             柴崎or高橋秀

 

                     細貝

 

 大田宏or下平      岩波             遠藤航or植田        高橋峻

 

                     西川

 

 

 いま、上記のメンバーを、「開幕戦理想布陣」として示しました。

 特に個人的に抱くのが、下記のことです。

 

 

 (図解16)(図解15)にて示した、理想布陣に籠めた思い。

 

 (1)「10番」「崩しの起点」「攻守のスイッチ役」「チームの鼓舞役」を兼務し得る存在として、柏木を起用する(若い選手をまとめるのは、浦和で経験済み)。

 (2)アンカーシステムを置くのは、速攻と遅攻を使い分ける、低い位置での守備を強いられても、そこから素早く組み立てに転じることが求められると考えるから。フォアリべロ的なことが求められるニュアンスをも含まれている。

 (3)「左利きの左SB」の育成の必要性。特に、大田宏(FC東京)、下平(横浜FM)は、Jではコンスタントに高いパフォーマンスを発揮できているので、使い続ける価値は充分にあるのではないか、と。

 (4)幸いにも、若く「サッカーIQ」「組み立ての質」の高いCBが何人か出てきている。特に岩波(神戸)、遠藤航(湘南)は、Jでも日進月歩の成長ぶりなので(特に後者は、故障癖さえなければ、もっと早い段階で代表に呼べたくらいだと思っている。そしてこの2人、共にラインコントロールの質も高い)、使い続けて欲しいと思っている。

 (5)少なくとも、今後1年間(できればW杯最終予選開幕前までは)は、「本田、香川、長友、篤人」の「海外4人組」は、「召集すべきではない」と思っている(「チームの和」、の問題もあるが、国内組の「底上げ」があってこそ、「+α」としての、「海外4人組」が生きてくると思うから。はじめから「海外組ありき」でチームを作ると、国内組の「底上げ」が二の次になり、同じ失敗を繰り返しかねないし、最初の1年~1年半は、「目指す方向性」の土台を構築することに専念すべき、と思うから)。

 

 

 その意味で、06年W杯直後からの、オシム政権は、いまこそ再評価し得ると思っていて(寿人、大久保をもっと使って欲しかった不満はあるが)、これは、

 

 「06年W杯のチームをいったん『壊して』、方向性を『構築し直そう』としたこと。」

 

 と思うんですよね。ですから、アギ―レ政権に求めたいことも、まさしくそれで、

 

 「まず最初の1年半くらいは、『方向性の再構築』に全神経を注ぐこと。結果よりもまずは『内容』重視であって欲しいし、その試合ごとに、『テーマ』を決めて、そのテーマに対する『到達度』を最重要視して欲しい。」

 

 ということです。一つ一つを積み上げられてこそ、最終予選、そしてW杯という「本番」へと向かっていける、と思いますから。

 

 それと、いま、「開幕戦理想布陣」を示しましたが、何よりも重要視して欲しいのが、

 

 

 「J、ACLでのパフォーマンス。少なくとも、『名前』で選んで欲しくない。特にACLは、それが世界で通用し得るかの大きな指標になり得ると思うし、また、Jで個人タイトル争い、あるいはベストイレブンに入ってきた選手は、積極的に招集して然るべきと思う。」

 

 

 ということです。この思いを、自分は強く抱くんですよね。

 

 

 それと、強化面。

 

 よくいわれることとして、「強豪国(特にいわゆる「八大国」)と積極的に強化試合を組むべきだ。」という見解があります。それを全否定はしませんが、でも自分は、正直、「それは違う」と思います。

 

 「受験戦争」は、自分は強い違和感を抱いています(日本の教育の「諸悪の根源」と思っている)。ですが、受験に受かるためにだって、(現実的には、いわゆる特融のテクニックが少なからず関係してきますが…、)段階的な学びが求められる訳であって、いわゆる「スモールステップ」的な教育システムを提唱する予備校も存在したりします。

 

 この、「スモールステップ」的な考え方には、ある種共感できる感じとしてあって、代表の強化というのは、勿論、強豪国に対する「力試し」も、時には必要とは思いますが、それあり気だと、逆に選手の「固定化」を誘発しかねないと思うんですよね。むしろ、同格、あるいは力が少し上、少し下のチームとの試合をできるだけ多く組むことが大切と思っていて、その方が、その試合ごとに、「テーマ」を持って臨みやすくなる、選手の「層を厚くする」ことや、「戦術の引き出しを増やす」ことが、よりなされ得る、と自分は考える訳です。

 

 

 (図解16)いわゆる「国際Aマッチデ―」カレンダー。

 

 (1〉http://www.fifa.com/mm/Document/WorldFootball/Calendar&Live/02/03/95/26/IMC2013-2018FIFAversionv28May2013_Neutral.pdf

 (2)http://www.plus-blog.sportsnavi.com/steven08/article/1744

 

 

 ここで重要なことは、「そもそも、海外組を呼べる試合が少なくなる。」ことにあります。しかも、W杯アジア最終予選は、恐らく、W杯本番の2年前(16年夏?)からスタートと思うので、だとすると、やはり、より一層、「最初の1年半」で、「方向性を見定める、若い選手を多く使って育てる」が、より一層重要になると思うのです。

 

 強豪国とやる云々以上に、むしろ重要になるのが、下記のことであると、自分は思うんですよね。

 

 

 (図解17)サッカー日本代表、今後4年間での強化方針として、重要視して欲しいと考えること。

 

 (1)年明けの国内組限定での長期合宿の徹底(2~3週間程度。その後、2試合程度の親善試合をセットで組む。アジア同士なり、オセアニア勢、あるいは北米遠征とかを組むのもよいかと。いずれにせよ、選手層を厚くする、先述の引き出しを増やすには、まとまった時間が必要であるし、そもそも日本代表は元来、この長期合宿の活用でチーム力を高めてきたはず)。

 (2)Jチームに対して、ACLで勝てるチーム作りを求めること、そしてそれぞれのJチームが、「自分たちのスタイル」を追い求めることの重要性。

 (3)代表戦の本拠地開催の際、例えばW杯予選ならば(恐らくそれぞれ4試合程度?)、1試合は、関東以外の場所で開催すること(いつも埼玉、横浜ばかりだと、首都圏のファンばかりしか向いていないのと同義と自分は思う。全国にファンがいること、それに対して最大限の配慮をしてこそと思うし、『ファンあってのスポーツ』であることを肝に銘じて欲しい!)。

 (4)2018年W杯の本番がロシアなので、つまり寒い。それに照らして考えると、「寒さ対策」に早い段階から慣らしておくことが重要。なので、親善試合を組む際、「ロシア、東欧、北欧、中央アジア」での試合をできるだけ多く(少なくとも毎年1試合以上は)組むことが重要。

 

 

 このような思いを、自分としては、強く抱く次第です。長くなってしまい、それでいて、思うようなことを綴れず、正直とても申し訳ない思いですが。

 

 

 いずれにせよ、日本サッカー界全体で、今回の敗北(内容的にみれば、完敗といってよい)の総括を、じっくりとそして入念に行い、その上で、今後4年間(及び、12~20年後を見据えることをも含めて)をかけて、十分かつ綿密な強化、準備をして欲しい、と強く希求する次第です。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2014年

7月

25日

「サッカー日本代表、2014年ブラジルW杯検証的総括、及び、今後に向けての具体的提言(その4。今後志向すべき方向性としての処方箋)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第45回のブログエントリーの論題は、「サッカー日本代表、2014年ブラジルW杯検証的総括、及び、今後に向けての具体的提言。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の44回目になります。そして、サッカーブログエントリーの7回目になります。

 

 では、(その3)の続きから、考察を始めます。

 

 

 「負けるべくして負けた。何もかもが、間違っていた。しかし、負けてよかった、とも強く抱く。だからこそ、大切なことは、この完敗を、負けたことに終わらせず、今後に結び付き得る敗北にしなければならない。」

 

 

 このことが、(その3)までで自分が伝えたかったこととしてあります。

 

 なんというか、日本の場合、「ピッチ上に描こうとするデザインが、根本的に街っていた」、と自分は解釈していますが、これは、「日本サッカーとしての不変のスタイル」というか、「苦しいときに立ち返るべき場所」を、持てていなかったように、自分は思うんですよね。

 どういうことか。これを、他国のサッカーに照らし合わせながら、考察したいと思います。

 

 

 今大会の場合、個人的に、印象に残ったチーム、いくつか挙げます。

 (いわゆる「八大国」は、別枠扱いとここではみなします。)

 

 

 (図解9)自分(愛球人)が考える、2014年W杯、印象に残ったチーム。

 

 (1)コスタリカ(意思統一された、「5バック」に近い「3バック」。精緻なラインコントロール[オフサイドトラップ]、トランジションが特筆。5バックでも決して守備的ではない[後ろ向きな姿勢ではない、というニュアンス。「機能美」さえ覚える]ことを実証した。3トップが快足だからこそできる、とも解釈し得るが、だからこそより興味深い。)

 (2)米国(「全員攻撃全員守備」が徹底されていた。どこでボールを奪うか、どこが勝負どころか、そしてトランジション。全員が「闘う姿勢」を感じ、〈同じ方向を向く〉感じがして、強く共感できた。)

 (3)チリ、メキシコ(いずれも、「5バック」を厭わない「3バック」。「全員攻撃全員守備」の姿勢が徹底されており、トランジションの素早さ、どこでボールを奪うかの意思統一、長短のパスの使い分け、日本が見習い得るところが多くあるかと。)

 (4)アルジェリア(流れるようなパスワークに、効果的な仕掛け[個人突破]が織り交ぜられており、そして、「数的有利」の姿勢が徹底されている。特にブライミ。小さい身体だが、それを逆にうまく活用していて、日本人選手が見習い得るところが多くありそう。)

 

 

 他にも、心に強く響くチームはいくつもありますが、上記に挙げた5チームは、実質的な実力差(少なくとも、机上の意味での)は、日本とさほどないはずなのに、いわゆる「八大国」と質的な意味で匹敵、肉薄の領域まできている。それで、敬意をも籠めて、挙げさせて頂きました。

 

 それを象徴するのが、決勝T(16強の時点から)。

 日本の場合、「どこでボールを奪うかの意思統一が伝わらない(つまり、「同じ方向を向く」ができていない)」「パススピードが遅い、しかもテンポも同じ(ほとんどワンパターン)」「数的有利、仕掛けの意識が低い。流動性、連動性に乏しい(故に相手は守備しやすい)」、等といったことが挙げられます。

 

 果てには(ある意味、これが最も深刻とも思うのですが)、ハメス・ロドリゲス(コロンビア戦。相手の絶対的「ナンバー10」)1人に、つまり、「単独個人」に、「ふるぼっこ(粉砕)」されたこと。

 例えば06年(ブラジル戦の「1対4」等)ならば、「単純に力の差があったからだよ。」との言葉で済まされ得るのでしょうが、「個」の力のみならず、「組織」すらも、事実上全否定されたこと。その意味で、とても深刻であるように、自分は思うんですよね。

 

 

 なんというか、今回のW杯の決勝T。

 もう、「パススピード」「トランジション」「ゴールに向かう気持ち」、これらのことが(もはや、あらゆる要素で、といってよいでしょうが)、日本と世界(先述にて示した5か国をも含みます)とでは、全然質が違う、これでは勝てるはずもない…、と実感させられたんですよね。

 

 尤も、今回のW杯。C(「八大国」が存在しない)、H(Cと同じ理由)、F(典型的な「1強3弱」)、この3つならば、勝機はあるかな、という感じでは、目されてきました。そして興味深いのは、アジア勢は、日本が「C」、韓国が「H」、イランが「F」と、4つのうち3つが、いわゆる「勝機のある組」であったことです。

 

 

 今回の場合、目の当たりにする現実が、「アジア勢が1勝もできなかったこと(3分け9敗)」です。

 そして、アジア勢と世界との間には、想像以上に大きな「力の差(落差)」があることが、浮き彫りになった、といわれています。

 

 

 (図解10)今回のW杯における、アジア勢の内容。

 

 豪州(B。3戦全敗。ただしこれは、「組分けのえげつなさ」「根本的に再建チームであること(世代交代に失敗して、ドラスティックな入れ替えをせざるを得なかった)」というエクスキューズを考慮する必要があるし、スペイン戦こそ粉砕された感があるが、チリ、オランダに対しては、内容的にも互角に渡り合い、意思統一[特に、全員攻撃全員守備]が感じられた。その意味で、決して悲観する必要はないかと。)

 イラン(F。1分け2敗。守備の局面での質の高さが伝わり、その意味で収穫は大きいとはいえるが、攻撃の、ラストの局面でのアイデアの乏しさに泣いた感あり。とはいえ、「方向性は間違っていない」、いまできるベストは尽くしたといえる感じなので、下を向くことはないかと。)

 韓国(H。1分け2敗。日本ほどではないかもにせよ、特にアルジェリア戦での「内容的完敗」は衝撃だった。孫興民[レーバーク―ゼン]、具滋哲[マインツ]は、対等に戦えていたが、裏を返せば収穫はそれくらいで[力の差、現実を知ったことが収穫かもだが]、両CBのスピード不足、右SBのクオリティーの乏しさ、ここは根本的にメスを入れる必要ありかと。)

 日本(C。1分け2敗。[その3]までに先述したので、ここでは多くは触れません。)

 

 

 正直、W杯本大会(2018年W杯)においての、「アジア枠」が、「3」に減枠されても(それ以上の減枠は勘弁して欲しいし、やりすぎだろうとは思いますが)、質の担保に照らせば、「やむなし」だろうなあ、とは思うんですよね。

 尤も、本当に「3」に減枠されれば、W杯本大会出場が、確信が持てなくなりますが、その方が危機感を持てて、むしろ良いのかもしれません(そしていずれ、「4」枠確保への復権を目指していくのがベターなのかな、と)。

 

 

 で、興味深いのが、「八大国」の一角、オランダ。今回のW杯では、4強入りしました。

 このオランダの戦術。「ステーションスキップ」。

 なにかというと、DFラインから、前線の3トップ(ロッベン、ファンペルシ、スナイデル)へと、一気にロングボールを蹴り込んで、後は3人(特にロッベン、ファンペルシ)の快足に委ねる(GKとの1対1に持ち込む)、という戦術です。

 

 これは衝撃でした。オランダといえば、「4-3-3」「3-3-1-3」のいずれであれ、「3トップ絶対主義」(ちなみに自分も、3トップはもともと信奉しているといってよいほど、大好きです)。そして、「超攻撃型」を、ほぼ貫いてきた(勿論指揮官や選手によって、程度の差はありますが)。

 それが、です。なんと、「5バック」を厭わない「3バック」。布陣図表記的には、「3-4-1-2(スナイデルがトップ下となる)、または「5-3-2」。

 

 確かに、ストロートマン、ファンデルファールトが負傷離脱、ロッベンに続くWGがなかなか思うように育たない(特にバベル、ナルシンフの伸び悩みが大きいかと…)、そういった事情が背景にあったと思われますが、それでも、こうもばっさりと割り切るとは…、と。正直、びっくりしました。

 

 しかも、です。布陣図上だけだと、「守備的」に映りますが、実際にやると、決して守備的ではない。やりようによっては、「攻撃的」にさえなる。特にスペイン戦、ブラジル戦。圧巻とさえ思いました。

 でも、何故それができるのか、といえば、「3トップ」という、「立ち返れる場所」があるからだ、とも思うんですよね。この、「立ち返れる場所(不変のスタイル)」が、日本にはなかった。これは悔しいですが、否めないでしょう。

 

 

 でも、日本も、思えば、U23.2012年ロンドン五輪。「戦術≒永井」で、4強入りを叶えました。

 このとき、自分は当時、批判的でした。でも、こうも思っていたのです。

 「納得はしたくないが、いまの日本で、勝利の可能性を高めるためには、ベターな方法なんだろうなあ。」と。

 

 そう。「ステーションスキップ」。日本も、U23で、これを実践していた訳です。

 今大会でも、先述の5か国のうち、アルジェリアは韓国戦で、4得点のうち2得点を、メジャ二(本来はCBだが、代表ではアンカーだった)からのロングボールで、仕留めていますし、チリ、メキシコも、これを少なからず用いていました。

 

 ロングボールはつまらない、という解釈が、日本では少なくないように映りますが、後述にて触れられればと思いますが、日本の場合、まず、「前線からの高い位置での守備」なくして、トランジション(攻守の切り替え)も、決定機創出も難しい。しかし、いつも高い位置でボール奪取できる訳でもありません(一つのイメージとして、ハーフウェーライン。だめでも自陣サード)。

 そうであれば、思い切って、ゴール前まで後退しつつ(ただしできれば、遅らせる、「ディレイ」的な感じの方がよい)、ボールを奪取したら、一気に一発で展開できる感じが望ましい。

 

 そうであれば、特にDF(CB)に求められるのは、ロングボールの技術(足下の技術、パスセンス。そしてプレービジョン、サッカーIQ)。で、攻撃面で少ない人数で仕留め得るためには、FWは、快足(あるいはボールスキルに卓越する)であることが望ましい(そして、前線からの守備意識も重要)、となる。

 

 その意味で、「戦術≒永井」は、確かに理に叶っている訳ですし、今回のW杯、CFに大迫というのは、正直、ミスチョイスだったように、自分は思うんですよね(ボールスキルは、確かにうまいのですが…)。

 

 

 今回のW杯で、特徴的なことの一つとして、「WGとして出発した選手を、2トップの一角で起用する」がありました。これは、チェルチ(イタリア代表。トリノ)の成功があったからでは、と自分は解釈しています。

 今回のW杯でならば、ロッベン(オランダ)、ドスサントス(メキシコ)、A・サンチェス(チリ)等が、これに該当し得るでしょう。

 

 これは個人的には、とても興味深い感じではあるのです。何故って、ある種示唆的な感じな訳でして、できるだけスピード感に満ちる攻撃をやろうと思えば、快足FWの方が望ましい、となる。

 で、3トップのWGも、2トップのSSも、考えてみれば、「スモール型」が求められる傾向がもともと強い(傾向が強い、だけで、もちろん例外も少なからずありますが)。だから、適応性も結構起こり得るのかな、と。

 

 興味深い、と述べたのは、日本でも、例えば元気(原口のこと。浦和→ヘルタベルリン)は、もともとは、3トップの左WGでキャリアをスタートさせました。でも、その後、CF(1トップ)に挑戦。これについては、評価が分かれるかもですが、その後、直近1年半は、1.5列目、つまり、SS的な役割を主戦場としてきました。

 で、今季は、キャリア最高のパフォーマンス(だからこそ、「23人枠」に呼んで欲しかったのですが…)。今夏移籍することになった、ベルリンでは、3トップの左が最有力視されているようですが、今後、代表で、2トップの一角や1トップを張らせても、適応し得るでしょう。

 

 似たようなことは、宇佐美、柿谷とかにもいえますし(現に柿谷は、昨季CFで成功を収めた。宇佐美も2トップの一角という居場所を確立した感がある)、U23での永井も、もともとWGでしたが、代表ではCFとして成功しました(ただ、今季の名古屋では苦しんでいますが…)。

 

 

 そのように考えると、今後の日本が目指すべき方向性として、やはり、「スピード感ある攻撃の確立」、これが求められるように思うんですよね。それでやっと、世界と同等の立場、同じ土俵に立てる、と考えられることに照らしても。

 

 それと、「前線からの守備」「DFラインからの組み立て」(勿論、局面に応じて、「ステーションスキップ」も)も然り。そう考えると、「全員攻撃全員守備」となるように思うのです。

 この、「全員攻撃全員守備」。これこそが、今後日本が進むべき方向性になるのかな、と。およその概論としては、ですけど。

 

 

 ちなみに、考えさせられることを、下記に2つ貼り付けておきます。

 

 

 (図解11)2014年W杯、チリ代表、帰国時の国民の熱狂ぶり。

 (1)http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1407/04/news119.html

 (2)http://qoly.jp/2014/07/01/recepcion-seleccion-chile-en-la-moneda

 

 

 (図解12)2014年W杯、準決勝、ブラジル対ドイツ、1対7(ミネイロンの惨劇)、データ的考察。

http://www.goal.com/jp/news/5256/2014%E5%B9%B4w%E6%9D%AF/2014/07/10/4948641/%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%E7%8E%8B%E5%9B%BD%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%81%AB%E4%BD%95%E3%81%8C%E8%B5%B7%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B?ICID=HP_FA_5

 

 

 では、(その5)において、「サッカー日本代表、日本サッカー界として、4年後は勿論、12~20年後のためをも含めて、どうあって欲しいか。」ということの具体的考察を、させて頂きたく思います。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その5)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2014年

7月

21日

「サッカー日本代表、2014年ブラジルW杯検証的総括、及び、今後に向けての具体的提言(その3。2014年W杯における具体的敗因)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第45回のブログエントリーの論題は、「サッカー日本代表、2014年ブラジルW杯検証的総括、及び、今後に向けての具体的提言。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の44回目になります。そして、サッカーブログエントリーの7回目になります。

 

 では、(その2)の続きから、考察を始めます。

 

 

 いよいよ、「敗因の具体的分析」へと、論を進めていきたいと思いますが、まず、本大会へと進む前の、概要的時系列的考察を、したいと思います。

 

 時計の針を、まずは、「23人枠」発表のとき。つまり、5月12日。

 このとき示されたのは、ざっくり述べれば、下記のことです。

 

 「『4-2-3-1』、より一層深く述べれば、『戦術≒本田』と心中する。」

 

 これはどういうことか。下記に示そうと思います。

 

 

 (図解2)「23人枠」にて、戦術面において、何を除外したのか。

 

 (1)ハーフナー(あるいは豊田)を外すことで、「パワープレー(あるいは2トップ)」を除外。

 (2)元気(原口のこと)を外すことで(斎藤学が入ったが、今季のACLではほとんど通用していなかった)、「流れを変える突破」という選択を除外(そして、「3トップ」を除外したともいえる)。

 (3)細貝を外すことで、「トリボーテ」(3センターハーフ。日本的表現だと、「3ボランチ」)を除外(つまり、「4-3-3」という選択肢を除外)。

 (4)CBは、「いつもの4人」(5人目を入れず)。つまり、「3バック」を除外。

 (5)22、23人目に、青山、大久保を入れたが、「精神的支柱」要員(闘莉王、寿人、槙野等)を組み込まず。つまり、「ベンチからチームを鼓舞できる存在」を排除(一体感を生み出せるかの不安を誘発)。

 

 

 「23人枠」選出においては、あらゆるファクターが複雑に作用します。

 対戦相手、これまでの準備、選手の状態(J、ACLでのパフォーマンスを含む)、等々。

 

 ここで強調したいことは、「最強の23人」とは、必ずしも「最高の23人」とは限らない、ということです。

 というのも、「チーム」とは、「生き物」なんですよね。しかも、W杯は、確かに「短期決戦」であるのですが、それと共に、どの国にも、直前におよそ「1か月」の準備期間が設けられている訳で、「それ相応のまとまった長い時間」を必要ともするんですよね。

 

 しかも、代表選手ともなれば、どうしても、プライドの塊になりがちです。それを、どのようにして、「心を一つにする」か。

 勿論、スタイル、戦術も重要ではあるのですが、それと同じくらい、いやそれ以上に、「一体感」が、とても大切であると思うんですよね。結局それができずに負けた、それが自分の解釈としてあるのですが…。

 

 

 時計の針を、さらに戻してみましょう。

 

 2012年6月。W杯アジア最終予選第2戦、ヨルダン戦。

 スコアは6対0、完勝。これだけみれば、喜ばしいですし、確かに内容でも、まさしく圧倒でした。ですが、このとき、自分は、逆に不安感を増大させることとなったんですよね。

 

 というのも、W杯3次予選。ラスト2試合、北朝鮮、ウズベクに、共に0対1で敗北。このとき、本田は不在でした。

 それが、本田が復帰するや否や、W杯最終予選第1戦、オマーン戦も、3対0で勝利でしたし、そして、ヨルダン戦、完勝。

 

 一見すると、これはいい感じだ、このパフォの質を持続すれば、W杯でもGL突破が見えてくる。

 確かにそうかもしれません。でも、自分は、このヨルダン戦のとき、正直、

 

 「やばいんじゃないの?」

 

 という思いが、一気に「確信」になってしまっていました。

 

 理由はいくつかあるのです。確かに、W杯最終予選は、どうしてもハードな勝負になるので(勝ち点を1つでも多く拾うこと、それ自体に意味がある)、ある程度のメンバー固定は、やむなしかもしれません。

 ですが、ハードな勝負になるからこそ、むしろなおさら(特に攻撃陣)、その時々で調子のよい選手、結果を出した選手(JやACLにて)を積極的に組み込んで然るべきと思いますし、そもそも、W杯3次予選の時点から、メンバー固定化の傾向が、顕著でした。

 

 いくつか疑問符を挙げれば、下記のような感じです。

 

 

 (図解3)W杯アジア最終予選の時点で、「おかしいんじゃないの?」と思っていたこと。

 

 (1)「戦術≒本田」の加速度的依存傾向。本田がいると居ないとでは、全く別のチームになってしまう(しかもパフォの質が極端に劣化)。

 (2)守備において、GK川島のスーパーセーブが毎試合のように出る(しかも複数回)。裏を返せば、CBの守備がそれだけ危なっかしい(質がよろしくない)ことの証左でもある。つまり、「吉田&今野(あるいは伊野波)」という人選自体に欠陥があることが日を見るよりも明らかだったのに、人選の入れ替え、あるいは3バック(または3CH)導入に消極的であり続けたこと。

 (3)CFがなぜかほとんど専ら潰れ役。まず基本は、「以下にFWに得点を取らせるか」から攻撃戦術を組み立てる(少なくとも、レパートリーの一つとして)ことがあって然るべきなのに、その発想がまるで感じられなかったこと。あと、CFにサイズを求めるって、バスケやバレーボールじゃあるまいし、みたいな。

 (4)攻撃のスピードがほとんどいつも同じテンポ。緩急(強弱)を付けることで、相手守備陣を崩す発想があまりないというか、ドリブラ―軽視の感が否めなかった(試合中の采配、選手交代で変化がつけられているという感覚も持てなかった)。

 (5)「3-4-3」導入に指揮官は躍起になっていたが、なぜか選手は一向になじめず。3バックシステムは、日本は、例えば「第1次岡田」「トルシエ」「ジーコ」「オシム」(ジーコ、オシム時代は、オプションの1つだったが、使用頻度が少なくなかった)と、代表でも長く用いられ、クラブでも、少なからず用いられてきたはずなのに、一向になじめないのは、恐らく「ザッケローニ版3バック」のメカニズムが、想像以上に複雑だったからでは、と。

 

 

 特に(5)。「3バック」といっても、例えば、「3-3-1-3」(いわゆる「ビエルサシステム」。ピッチ上に三角形[トライアングル]を多く生み出せる布陣で、個人的には大のお気に入りシステム)ならば、日本ではあまり用いられてこなかったので、困惑もわからないではない。

 ですが、ザッケローニの「3-4-3」は、長く日本で用いられてきた「3-4-1-2」と、(机上での)メカニズムは類似しますし、それなのに、何故一向に機能の気配がないのか、と。

 

 あるいは、(2)。あまりGKが目立つのは、本来はよくないことであり、CBの質がそれだけよろしくないを認めているようなものでは、と。ラインコントロールやポジショニング、役割分担(どちらがインターセプト、どちらがカバーリングを主体とするか)の「意思統一」が見出せなかった感じなんですよね。

 そもそも、2CBのいずれも、自分からみたら、「スピード勝負」にまるで脆く、そう考えると、それが「GK(川島)依存」の「諸悪の根源」の大きな一つといってよい感じに、自分には映ったのですが。

 

 

 「おかしいんじゃないの?」は、時間を追うごとに、加速度的に強くなっていきました。

 

 

 (図解4)ザッケローニ政権における、チーム作りでの「おかしいんじゃないの?」(その2)。

 

 (1)U23(ロンドン五輪)にて、4強入りを叶えた原動力の、永井(名古屋)を、「U23とA代表では志向するサッカースタイルが異なるから」という理由で、呼びすらしなかったこと(まず読んで、例えばせめて2~3試合は使ってみて、それでだめだったらだめで仕方ないかもですが、呼びすらしないとは…)。

 (2)東欧遠征(ベラルーシ戦。13年10月)にて、ハーフナーを起用したが、このとき、ラスト10分足らず、1点ビハインドという局面での投入に照らせば、明らかに「パワープレー要員」の意図があるのに、ハイクロスやグラウンダーがまるでなし(というか、ハーフナーにボールすらほとんど来ない)。チームとしての体をなしていない、と思った。

 (3)2部降格を喫し、2分でも「違い」を生み出せなくなっている、遠藤、今野を、それでも召集、起用し続けたこと(衰えが明らかなのに、しかもレギュラークラスで)。

 (4)直近のシーズンで、海外組において、(所属チームにて)パフォ尾の質を落としていた選手が複数人いたのに(名指しすれば、吉田、清武、乾)、指揮官が極秘で渡欧するでもなく、いわんや、J復帰を働き掛けた形跡すらなさそうなこと。

 (5)年明けの国内組限定による長期集中合宿(2~3週間程度)を、実施しなかったこと(13年、14年。ジーコ政権以来、日本代表の強化の長年の生命線の1つであった)。戦力の底上げの機会を失ったも同然ではないか(そして、結局、「戦術≒本田」ありきを実証したようなもの。しかも、「戦術≒本田」といっても、本田の、どのような長所を活かしたいのかが、結局最後まで見えなかった)。

 

 

 語り出すと、それこそきりがないですが、結局のところ、「チーム作り」自体がおかしかった、という訳です。この時点で、「いい準備」が、いかにできていなかったか、ということです。

 

 

 尤も、現代表。誰が指揮官であろうとも、「本田、香川、長友、篤人(内田のこと)」の「4人組」が、否が応でも中心になろうとは、思うのです。

 そうであれば、「4人組」それぞれが最大限に生き得て、かつ、日本人選手としての「相対的特徴」が最大限に生き得る、その「最大公約数」を落とし込む、見出すスタイル、戦術の構築が、絶対不可欠であったように思うのです。

 

 

 (図解5)自分(愛球人)が考える、現代表が2014年W杯に向けて採って欲しかった基本布陣。

 

 (1)「4-3-3」。

 

               千真orハーフナーor岡崎or寿人

 

 香川                                        本田

 

             柏木             長谷部or高橋秀

 

                     細貝

 

 長友          闘莉王            遠藤航or岩波         篤人

 

                     川島

 

 

 ベンチ(元気or宇佐美or柿谷or大前or大久保[から2人]、槙野、森重or村松、大田宏or下平、西川、権田or菅野)

 

 

 イメージするのは、両WGは、実質的には「ダブルファンタジスタ」の役割です。

 共に実質的には、「OH兼SS(セカンドストライカー)」であるので、ということは、3人のMFは、実質的には「トリボーテ(3センターハーフ)」となります。

 特に、高い位置での2人のMF(柏木、長谷部)。両WGが中央に絞りたがるため、中央でもサイドでも、そして攻撃的にも守備的にも振る舞えて、「運動量、スピード、ボール奪取力、サッカーIQ、長短のパスセンス」を、高次元で兼備することが求められます。そうであれば、特に、柏木(MFならば基本的にどこでも対応可能)は、重要な存在になり得ていたと思う訳です(むしろ、自分が指揮官ならば、軸に近い存在にしていたと思う。チームを鼓舞することもできるし)。

 

 アンカーも然り。両SBは、卓越する運動量とスピードの持ち主であり、貴重な「ワールドクラス」でありますから、できれば、WBに近い感じでプレーさせてあげたい。そうであれば、局面に応じて、時として「フォアリべロ」的な役割を担わせることが重要。そう考えると、細貝は、重要な存在になり得たように思うのです。

 

 

 (2)「3-4-3」。

 

               千真orハーフナーor岡崎or寿人

 

         香川                       本田

 

 長友                                        篤人

 

             柏木             細貝or長谷部

 

       岩波or森重         闘莉王      遠藤航or森重

 

                     川島

 

 

 いま、「3-4-3」も、一案では、と示してみました。

 そう。篤人、長友、いずれも、むしろWBとしてのほうが輝けるのでは、ということに照らしてです。

 それにこの布陣だと、特に、12年夏以後、(特にスピード面で)衰えの傾向があった闘莉王でも、リべロ的役割に徹させれば、フルに能力を発揮させ得るはず、と。

 

 ちなみにFWですが、例えば、

 

 「万能性を求める→千真(渡辺千のこと)。

 高さ、基準点、パワープレー、守備意識→ハーフナー。

 裏への飛び出し、前線からの守備→岡崎。

 点で合わせる、裏への飛び出し、足下でのポスト→寿人。」

 

 というように、対戦相手や選手の調子、局面等に応じて使い分ける。これが、主たるイメージとしてありました。

 

 

 いずれにせよ、「チーム作り」としてなっていなかった。これが、大きな要素としてあるのですが(百歩譲っても、それでも、柏木は、本田及び遠藤の代役として、質の高いプレイができる選手と自分は思うんだけどなあ)、「強化面」でも、ミステイクがあった、と思っています。

 

 

 (図解6)サッカー日本代表、2014年W杯に向けて、ラスト1年、どのように強化すべきだったのか。

 

 (1)2013年8月    ウルグアイ(H)(これはこれでよい。東北で開催すること、それ自体に意味がある。)

 (2)2013年9月    ポルトガル(A)(欧州対策、3トップ対策、現時点での立ち位置を知る意味。ポルトガルと10日に試合を組み得る日程であったので、トライする価値はある。だめならばモンテネグロ。)

 (3)2013年10月   南アフリカ(H)(アフリカ対策。最終予選に進めなかったチームがターゲット。何故ならばほぼベスメンできてくれるから。前回W杯出場で、地力はあると思うのでここを推してみたが、モロッコ、マリ、ガボン、ザンビアとかも候補といえよう。)

 (4)2013年10月   エルサルバドル(H)(北中米の国とする。最終予選に進めなかったチームがターゲット。カナダ、グアテマラでもOK。この10月シリーズを、「選手、戦術のレパートリー向上(底上げ)」に充てる。)

 (5)2013年11月   ブラジル(A)(とにかくブラジルの気候に慣れる。勿論その時点でのベスメンで勝負。)

 (6)2013年11月   アルゼンチンorチリ(AorN)(南米勢対策。場所はできればブラジルで。ここで、本大会に向けた課題をあぶり出す。)

 (EX1)2014年1月  国内組直前合宿(3週間程度)。

 (7)2014年2月上旬  米国(A)(合宿の成果の場とする。内容重視。使える選手を増やせる手ごたえをつかむことが重要。)

 (8)2014年2月上旬  エクアドル(N)(ここも米国戦とテイストは同じ。Nとは米国のどこか。南米勢対策の意味合いもある。)

 (9)2014年3月    アルジェリアorカメルーン(HorN)(とにかく初戦、コートジボワール戦に合わせること。ならばやるべきことは、アフリカ勢対策。ただしこの場合、選手の底上げ、最終テストの場にできるだけ充てる。軸となる選手はあえて呼ばない。)

 (10)壮行試合      アフリカ勢(H)(できれば、最終予選で敗北したチームが理想。ブルキナファソ、セネガルをイメージ。ここが最後の強化試合。そこからすぐにブラジルに乗り込み、後は完全練習非公開、試合は地元チームとの練習試合程度でOK[故障が最も怖いので。そして、戦術レパートリー向上に時間を割けるようにするため]。)

 

 

 そう。アジア勢の場合、基本的には、他国に比べて、W杯本大会に向けて、充分な時間(およそ1年近く)が与えられているんですよね。他国(特に、欧州、南米、アフリカ)だと、11月&3月、しかも海外組主体という訳で、実質「3試合+α」しか準備時間がない。

 それに比して考えれば、充分底上げの時間が与えられていたはず。というか、自分にいわせれば、

 

 「あなたがた(アジア勢)は、『個』の力が相対的に弱いのだから、『個』を補うには『組織』を高めることが重要になる。それに照らして考えても、他国よりも充分な時間を与えるから、アドバンテージを最大限に使いましょうね。」

 

 そのように、自分は解釈しているんですよね。でも、「現状を知る」と「レパートリーを増やす」の「プラスのサイクル」を、充分にできなかった。これが大きかったように、自分は思っているのです。

 

 

 それで、W杯本大会。

 

 今回の場合、組分け的には、それなりに「勝機はある」組ではあった、と思うのです。

 ですが、それは、あくまでも、「第1戦に勝つ」、つまり、「コートジボワール戦」に照準を合わせる、これがすべてといってよかった。

 

 先述したように、日本は、「個」の力では、どうしても弱いのです。そうであれば、なおさら、初戦に照準を合わせる、いや、「ヤマを張る」くらいのことが必要だった、と自分は思うのです。

 

 「チーム作り」の方向性が、うまくいっているようには、自分には思えなかった。そうであれば、なおさら、年明け以後のおよそ半年を、「コートジボワール戦に勝つ」、それのみに全神経を集中させてもよかったのでは、と自分は思うのです(それであとは、残った燃料にすがること。その意味でも、やはり、年明けの国内組長期合宿を組まなかったことは、大きなマイナスであったと思いますが…)。

 

 

 で、試合。ここで、気に掛かるデータがあります。

 コートジボワール戦、ギリシャ戦。6月28日に、NHKBS1にて、再放送の機会があったので、改めて見返して、メモ書きしていました。

 自分の場合、「決定機、仕掛け、数的有利」の3つの要素を、重要視しています。それが、下記のデータ。

 

 

 (図解7)コートジボワール戦、ギリシャ戦、「決定機、仕掛け、数的有利」(左側が日本)。

 

 (1)コートジボワール戦(「11、12、9」対「22、25、14」)。

 (2)ギリシャ戦(「22、18、14」対「13、9、4」)。

 

 

 ギリシャ戦は、38分に、相手に1人退場者が出ていたエクスキューズを考慮せねばなりませんが(だから日本の方が決定機とかが多いのはある種当然ではある)。

 それにしても、です。この、第1戦。決定機、仕掛けで、相手の方がダブルスコアの数値。数的有利も、日本は、「10」にさえ満たない有様です。これでは勝てる訳がない、と(というか、勝っちゃいけないでしょ、みたいな)。

 

 メモ書きすると、いくつかのことに、気付かされます。

 

 

 (図解8)W杯本大会における、日本代表の「戦術的問題点」。

 

 (1)どこでボールを奪うかの「意思統一」の乏しさ。例えば、ハーフウェーラインまでにボールを奪って、そこから一気に敵陣に攻め込むとかの、「ビジョン」の乏しさを感じた。

 (2)「トライアングル」がほとんどない。数的有利を作れても、ほとんどの場合が「2対1」にとどまり、「3人目の動き」に乏しいから、パスコースを読まれやすい。また、「パス&ムーブ」の意識も希薄で、それをも含めて、動きが、相手にすれば「読みやすかった」。これでは「いい攻撃」を生み出しにくい。

 (3)「パススピード」のテンポがいつも一緒。しかもほとんどが遅攻。速攻にして、ようやく他国と同等程度のパススピードなのに、遅攻主体では、相手に守備陣形を形成されやすい(攻撃の変化に乏しい、ともいえる)。また、ロングボール、サイドチェンジも少なく、結局、「引いた相手を崩す」状態を、ほぼ常に余儀なくされているようなもの。

 (4)「引いた相手を崩す」状態を多く作らされているのに(ギリシャ戦はともかく、コートジボワール戦はほぼ自業自得かと思うが)、例えば、バスケでいうドライブ、ぺネトレイトのような、「強引な突破」で切り裂きにかかって、ファウルをもらう(FK、PK狙い)プレイがまるでない。「パスワーク自己目的化サッカー」のつけが、肝心な場面で出た感じ。

 (5)トラップミスの多さ。基本的なボールスキルは水準以上なのだが、ボールを「収める」質の乏しさで、決定機を逃す場面が少なくなかった。

 (6)「トランジション(攻守の切り替え)」の意識の乏しさ。「できるだけ高い位置でボールを奪う」「相手守備の陣形が整う前に一気に決定機創出」の意識の乏しさと連動し得るが、フィジカルコンタクトで劣るのに、トランジションができなければ、数的有利も決定機創出もやりようがない。

 (7)「ゴールに向かう気持ち」が希薄だったこと。サッカーは「シュートゲーム」、という解釈があるが、まさしくそれで、得点を取ってこそなんぼなのだ。バスケにおける「リングに向かう気持ち」とまさしく同義。しかし日本は、その主目的が、「得点を決める」ではなくて、「パスワーク」にばかり向いていた(仕掛け、トライアングル、流動性、トランジションの乏しさも、つまるところ個の帰結なのかな、と)。

 (8)守備における、「川島(GK)依存」の悪癖が最後まで治らず。これではいくら川島が有能なGKでも、ガタがくるのはやむなしだったかと(ただし失点自体は、GKの責任は全くなかったと自分は解釈するが)。

 (9)結局、「チームを鼓舞できる選手」がいなかった。長谷部は確かに、人間としては好感かもしれないが、「お前らしっかりやれ!」という感じの選手ではない。やはり、闘莉王、槙野、寿人、柏木といった選手のいずれか1~2にんを、「チームを鼓舞できる存在」としてベンチに入れるべきであったのでは、と思うが(どうしても闘莉王を組み込みたくなければ、攻めて槙野は組み込むべきだったかと)。

 

 

 このように、挙げればきりがありません。いずれにせよ、「負けるべくして負けた」、これだけは、はっきりといえることでしょうし、

 

 

 「何もかも間違っていた。」

 

 

 結局、この言葉に収斂されるのかな、と。

 例えば、コートジボワール戦。「最初の15~20分間が勝負」とは、わかりきっていたはずで、確かに先制点は決めましたが、「飛ばして入る(フルパワーで入る)」、これが必要だったと思うのです。しかし、現実は、「慎重すぎるほど受動的だった」。

 それでも、後半の最初の15分間(ドログバ投入前)。このとき、日本は押し込んでいました。ここで、2点目を取れていたら、もっと違った結末になっていたかもしれません(相手を焦らせられたかもしれない)。しかし、できなかった。

 

 「入り方の失敗」「押し込んでいる時間帯で、2点目を取れなかった」。

 そして、特に2失点目。「ジェルビーニョをドフリーにした」。これでは、勝てるはずもないでしょう。

 

 今季のジェルビーニョ。セリエAでは(所属チームはローマ)、彼を1対1で止められるSB、WBは、「誰1人としていなかった」、そう自分は解釈しています。それほどに、キャリア最高の状態で迎えていた。

 そのような選手を、ドフリーにする。どうぞ決めてください、と言っているようなものです。それこそ、粘着ディフェンス(NBAのスパーズのような感じの)、あるいは、ダブルチーム(1対2での守備)を徹底するくらいでなければならなかったのに、それができなかった、いや、怠った。それがすべてでしょう、と。

 

 結局のところ、「中央に本田、左に香川」。これに拘ったこと、それ自体が失敗(間違い)であったと思いますし、やはり、ジェルビーニョ対策をも踏まえて考えれば、「トリボーテ(4-3-3)」か、「4-4-1-1(かつて、デルネーリ時代のサンプドリアが成功させた戦術。本田を完全フリーロールにできるメリットがあるが、その分、香川はベンチスタートになる)」とかで入った方が良かったのではないか、自分はそう思うのです。

 

 明らかに、コートジボワールに(丸裸)にされていた感じですが、あの「23人枠」の時点で、「4-2-3-1」「戦術≒本田」でいきますよ、と宣言していたようなもので、「どうぞ対策してください」と言っていたようなものです。まさしく、「身から出た錆」「自業自得」と思う訳です。

 

 

 ですが、こうも思うのです。もしも、守備重視で取り組んで、1勝でもしてしまっていたら、それはそれで、「勘違い」をしてしまっていたのではないかな、と。

 ですから、(攻撃重視、それ自体は望ましい感じではあるかもだが、)今回、「戦術≒本田」ありきでチーム作りをした(そして守備、特にCBの質の拙さをなおざりにした)、はっきり述べれば、アプローチが間違っていた(特に、遠藤、今野を切らなかったことは、大きなミステイクと思う。とりわけ遠藤は、もはや走れなくなっており、攻撃テンポをスローダウンさせるだけの存在に成り下がっていた)。

 根本的に間違ったアプローチ(過程)に対して、「1分け2敗」という結果。そう、サッカーの神様は、やはりちゃんと見ていたのだ、と(個人的には、ギリシャ戦、60分くらいでの、「4連続CK」を喫した場面で、ギリシャに仕留めて欲しかったくらいである。だからなおさら、「勝ち点1を獲得してしまって世界に申し訳ない」が正直な気持ち)。

 

 

 だから、「負けてよかった」と正直思うのです。一体感を感じられず、意思統一が伝わらず、ピッチ上に描こうとするデザインを示せず。

 あるいは、「戦術≒本田」。「10番ありき」は、個人的にはむしろ肯定的ではあるのです。例えばアルゼンチンやイタリアは、それを先述レパートリーとして長く積極的に活用してきていますし。

 ですが、本田の「何」を最大限に生かしたかったのか(恐らく「キープ力、創造性」と思われるが、確信は持てぬまま終わった)、見えてこなかったですし、本田は、今回のチーム作りでだと、「テクニック型」というよりも、むしろ、「パワー型」として解釈されていたのではないか、だから、いつしか「代役不在」になってしまったのではないか、と思うのです。

 

 Jをも含めて、パワーでも勝負し得る「10番」は、本田以外でだと、柏木くらいしか見当たらないのが現状で(だから自分は「23人枠」に柏木が必要だったと強く抱いている。攻撃に変化を付けられるし、何よりも「パス&ムーブ」「トライアングル」「トランジション」では、柏木の高い「サッカーIQ」が最大限に生かされ得るから)、しかし頑なに組み込もうとせず、と。

 

 かといって、「トリボーテ」をレパートリーとして積極的に組み込もうともせず、篤人&長友を最大限に生かすための「3バック」も、結局レパートリー化できなかった。

 「いい準備」ができなければ、勝てるはずもないこと。それを「教訓」として学べたこと(一体感の構築をも含めて。たとえ個の力に多少劣ろうとも、「鼓舞できる選手」がいかに必要であるか、とも)。だから、「負けてよかった」と感じるのです。

 

 

 ですが、大切なことは、この「惨敗」を、いつの日か、「あの敗北があったから、いまの輝きがある」と思えるようにできるか、ということ。そのためには、それ相応の覚悟、時間、労力g、必要になってくる、と思われる訳です。

 

 

 では、(その4)において、「サッカー日本代表、今後志向すべき方向性としての処方箋。」ということの具体的考察を、させて頂きたく思います。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その4)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2014年

7月

20日

「サッカー日本代表、2014年ブラジルW杯検証的総括、及び、今後に向けての具体的提言(その2。生まれて初めてのスポーツバーにて味わった失意)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第45回のブログエントリーの論題は、「サッカー日本代表、2014年ブラジルW杯検証的総括、及び、今後に向けての具体的提言。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の44回目になります。そして、サッカーブログエントリーの7回目になります。

 

 では、(その1)の続きから、考察を始めます。

 

 

 「負けるべくして負けた。でも、負けてよかった。」

 このような趣旨のことを、(その1)の末文にて述べました。

 

 いや、勿論、自分自身、一人の日本サッカーファンであることは勿論ですが、それと共に、一人の日本人でもあります。

 そのような感じでもあったので、正直述べれば、「2人の自分」がいた感じなんですよね。

 

 「代表に勝って欲しい。GL突破を。」と願う自分。

 「個の力もなく、他国に誇れる戦術的強みもなく、3戦全敗した方が日本のためだ。」と冷めた自分。

 

 でも、最終的には、「GL突破を叶えて欲しい。」と思う自分に、懸けてみることにしたのです。

 そう、生まれて初めての、「スポーツバー」生参戦。人生で大きなチャレンジです。

 

 

 自宅は、平野(天王寺[ハルカス]より2駅分、奈良寄りになる)。で、スポーツバーは、京橋。

 理由は、「大阪で最も大きい店だから」「かつて1回目の大学時代、通学で利用した地域だから」、ということです。

 

 で、GLは3試合ありましたが、このうちの最初の2試合。

 コートジボワール戦、ギリシャ戦。「生まれて初めて」のスポーツバー生参戦の、決行場所にしました。

 

 それぞれ、試合開始が、「10時」「7時」。これならば、いけるだろう、と。

 これが、仮に、前回大会(2010年。南アフリカ)のような感じならば、試合開始時間的に、厳しかったと思われますが。

 

 それと、今回、スポーツバー生参戦を、どうしても叶えたかったのは、進路の問題が大きかった訳です。

 

 いま、どっぷり、再就職活動中です。メインターゲットは、NPOでして(復興、子どもに携われる団体を志望)、関西を離れる、それどころか、地方をフィールドとすることも、主たる射程としてあります。

 しかし、NPOという世界自体、(そもそも、自分が望んですることである訳ですが、)自分のことを犠牲にしてでも、「社会をよりよくするため」。換言すれば、自分には、「やらなければならないこと(=社会的使命)」が、そこにはある。

 その「社会的使命(フィロソフィー、ミッション)」の具現化のために、(極論目遺体い方かもですが、)「何もかもすべて、全身全霊を捧げる」覚悟が求められるし、それは自分の中では、できているつもりとしてある(尤も、ありつけるかどうかが問題ではあるのですが…)。

 そうであれば、自分の趣味である、スポーツ観戦にどっぷりというのは、いわずもがな、おさらばとなる。オフができて、じっくり見られる時間ができたときに、録画で見られたらいいなあ、という感じでしょうし、オフでも、自己研鑽の時間が、何よりも最優先です。

 

 そのように考えると、タイミング的には、「いま」しかない。

 「いまやらずにいつやるんだ!」と。いや、いまやらないと、絶対に後悔するだろう、と。

 

 正直、「勝てる」という確信は、持てなかった。でも、(少なくとも机上では、)日本代表史上最強の陣容ではあるし、組分け的にも、「チャンスはある」感じではあった(ただし、初戦に勝つことが大前提、と思っていましたが…)。

 それに、スポーツバーは、いつか行くことを叶えたい、とずっと思っていましたし、サッカーが大好きな人間が集う、というイメージがありましたから、行くことで、学ぶことが多くあるのではないか(自己成長の一助になり得る)、そう考えた訳です。

 

 

 ですから、いざ、生参戦の際、テンションは上がる。

 たとえアルコールが全く飲めなくとも、全力参戦、声の持つ限り。

 (ちなみに、自分は、「声が大きくて高い」がトレードマークですが、声の許容量自体は、あまり持ちません。なので、90分間、どこまで持つだろう、とも、正直思っていました。)

 

 

 結論的に述べれば、2試合共に、「落胆」「失意」、そして「憤慨」へと向かっていく感じでした。

 いずれの試合でも、試合終了後、もう、この怒りと悲しみを、誰かにぶつけたい、でもぶつける相手がいない、という感じで。

 

 第1戦(コートジボワール戦)では、悩んだ末、再び元の店にて、「一人反省会」。

 コロンビア対ギリシャの録画が映っていたので、ギリシャ研究を兼ねていました。

 

 第2戦(ギリシャ戦)。すぐさま、梅田に向かう。

 梅田には、メディアがよく集う、歩道橋があります(阪急百貨店と阪神百貨店を結ぶのが主目的)。そこに繰り出せば、メディア(NHKか新聞社)が絶対にいるはずだ、と。

 しかし、いなかった(正確には、MBS[TBS系列。JNN]がいたが、自分の中ではアウトオブ眼中だったので、いないに等しい)。攻めて、NHK入ると信じていたのに…、と。

 

 落胆するのが、およそ10日後に(ちなみにコートジボワール戦の翌日も、歩道橋にいたようなのだが)、「暑いですねー」と、猛暑の取材のため、歩道橋に繰り出していたのです、NHK大阪さんが。

 そう、「ニューステラス関西」の、田中泉アナウンサー(才色兼備で、いまやすっかり、はまっています。いわば、ファンといってよいです)。正午のローカル定時ニュースを、このときは読んでいて、もう、落胆の思いが増大。

 

 そもそも、この第2戦。内容のあまりのひどさに、特にラスト15分間は、どうやら、ありったけの「放送禁止用語」を連発していたようで、既に、気持ちが「ぷつん」ときていたのかもしれませんが。

 まあ、いずれにせよ、もう、それこそ、「心身共におかしくなりそう」な感じに陥り、それでどうしたかといえば、梅田の中華バイキングにて「やけ食い」。もともと好きなお店ですが、中っかバイキングは、2000円近くするので、年に数回しか呼ばれられないのですが、貴重な機会を、やけ食いに使ってしまいました(勿論、おいしかったですが)。

 

 

 だからといって、スポーツバーに行ったこと自体は、全く後悔はありません。むしろ、プラスだったと思っています。

 ですが、一部に、ただひたすら、「にっぽーん」と歌い続ける人間、自分は強く違和感を抱いたんですよね。

 ちゃんと「戦術」「プレイ」に目を向けて欲しい(勿論、選手も然りなのですが)。戦術とかプレイを楽しめないのであれば、自宅とか、市民会館とかで見ればいいじゃん、正直、自分はそう感じるのです。

 まあ、いずれにせよ、社会勉強に、なった感じでは、あるのですが。

 

 

 では、(その3)において、「サッカー日本代表、2014年W杯における、具体的敗因。」ということの具体的考察を、させて頂きたく思います。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その3)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2014年

7月

20日

「サッカー日本代表、2014年ブラジルW杯検証的総括、及び、今後に向けての具体的提言(その1。何故2014年W杯にて歴史的惨敗を喫したのか)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第45回のブログエントリーの論題は、「サッカー日本代表、2014年ブラジルW杯検証的総括、及び、今後に向けての具体的提言。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の44回目になります。そして、サッカーブログエントリーの7回目になります。

 

 気が付けば、ブログエントリー自体が、2014年2月以来、サッカーブログエントリー自体に至っては、2012年12月以来になります。

 リアルにおいて、確かに、この3年近く、微力ながら、復興に向き合う過程で、最も実り多い日々を過ごさせて頂いている、一人の人間として、想像以上にたくさんのことを学ばせて頂いている、そう強く実感する一方で、時間的余裕、精神的余裕が、あまり持てていない、じっくりとブログエントリーができることができていないことを、申し訳なく思う次第であります。

 そのような中で、今回は、どうしても、一人の人間、一人のサッカーファンとして、サッカー日本代表、そして、日本サッカー界そのものに対して、伝えたいことがたくさんある、いま叫ばずにはいられない(叫ばねば絶対に後悔する、と感じる)、それ故に、この機会に、想いを執筆させて頂く次第です。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 4つか5つくらいのエントリーに分けて、執筆させて頂く次第です。

 

 「生まれて初めてスポーツバー生参戦を叶えて、だからこそ感じたこと」

 「何故敗北したのかの検証、そして総括」

 「今後、日本サッカーとして進むべき方向性とは?(短期的、中長期的の両面から)」

 

 このような感じで、執筆させて頂く次第です。

 恐らく、長い文章になるであろうことを、御許し下さい。

 

 

 最初に、結論的なことから述べます。

 

 

 (図解1)自分(愛球人)が考える、サッカー日本代表、2014年ブラジルW杯の歴史的惨敗に対する総括的概論。

 

 「この4年間のチーム作りの過程、及び、『23人枠』の顔触れ(及び、そこから想像されたスタイル、戦術)から、苦しい戦いになるだろう、とは覚悟はできていたが、やはり、『負けるべくして負けた』という感じ。でも、中途半端に1勝してしまうよりは、『結果、内容の両面において、惨敗してよかった』とも、正直強く感じる。

 そして、日本(およびアジア勢ともいえるが)と世界との差が、開いてしまったことが目の当たりとなり(特に、コスタリカ、米国、メキシコ、チリ、アルジェリア等、日本のケーススタディになり得る、本来ならば同等クラスの有力国が少なからずあったことは、とても興味深いし、それと共に強い危機感を持つべきかと)、浮き彫りになったのは、もはや短期的な問題のみならず、ある種の『構造的な問題』に対する審判が下されたといってよく(現に日本勢は、ACLで近年まるで勝てなくなっている。しかもそれに対する検証もまともに進んでいないし、いわんや処方箋も構築できていない)、勿論、4年後に向けた再構築も然りだけど、それ以上に、『中長期的(目安としては、12~20年後)』スパンで考えた、『抜本的再構築』、もっといえば、日本人選手の相対的特徴を最大限に生かし得る、『統一された方向性』を、向こう1年~1年半のうちに規定することが、もはや絶対不可欠であるように考えられる。」

 

 

 ざっくり述べれば、上記の考えが、自分の考えです。

 

 そう。何よりも重要なのは、「負けるべくして負けた。」ということです。

 そして、「負けてよかった。」とも、正直強く感じる、ということです。「いい準備」を怠って、それで勝ってしまうだなんて、まじめに努力している人間に対して、申し訳ないですし(つまり、今回の日本代表は、「いい準備」ができていなかった訳だが)、そしてまた、内容的にも完敗したことで、むしろ、「膿があぶり出された」ともいえる訳ですから(問題点が浮き彫りになった、というか)、自分としては、むしろ、「サッカーの神様は、ちゃんと見ていた。」とも、正直強く感じるのです。

 

 

 では、(その2)において、「何故、サッカー日本代表は、2014年サッカーW杯において、歴史的惨敗を喫したのか。」についての敗因の具体的考察を、させて頂きたく思います。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その2)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2014年

2月

18日

「2014年初更新。ある高校生雑誌を通して考える、自分自身にとっての『10代』という刺激、衝撃。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第44回のブログエントリーの論題は、「ある高校生雑誌を通して考える、自分自身にとっての『10代』という刺激、衝撃。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の32回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの22回目、子ども、教育ブログエントリーの13回目になります。

 

 気が付けば、半年もの間、ブログエントリー更新ができませんでした。

 ようやく、久々に、ブログエントリー執筆をする、時間的(及び精神的)余裕ができた感じですので(書きたいと思うテーマは、いくつもあった感じですが)、綴らせて頂く感じです。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 

 今回のブログエントリーの論題。「ある高校生雑誌」という、曖昧な表現を用いさせて頂きました。これは何か。早速ですが、リンクを貼ります。

 

 (図解1)「HR」という高校生雑誌とは。

 (HP)http://grfft.com/magazines/hr.html

 (ブログ)http://ameblo.jp/grfft/

 (ツイッター)https://twitter.com/HR_official

 

 そう。いま、記させて頂きましたが、「HR」という、高校生雑誌です。

 そもそも、10代、高校生に対象を絞っている書籍って、そうあるものではないですから(教育雑誌は、勿論ある訳ですが、ここでは考慮に入れないこととします)。

 

 何故読むようになったかって?もともと、(それこそ、超がいくつも付くくらいに、)子どもが大好きであるからが、最大の背景としてあるでしょう。そもそも自分は、もともとは教職志望でしたし。

 

 

 とはいえ、この雑誌に出会ったきっかけは、実に、ひょんなきっかけでした。

 

 もともと(というか、いまでもですが、)スポーツ雑誌が大好きなのです。「ワールドサッカーダイジェスト(WSD)」「ダンクシュート」「週刊ベースボール」等々。

 で、確か、書店で、WSDを読み終えて、ひょいと振り返ると、ある見出しが、目に飛び込んできたのです。

 

 「高校生ALLSTARS」。

 

 これが、「19号」(2013年4月発売分。2か月に1回ペース、つまり年6回出る感じになる)です。

 

 もともと、いわゆる「3・11」の復興支援活動での出会いを通して、何人かの高校生と、既に交流を持たせて頂くようになっている感じでは、合ったのです。

 まあ、それこそ、リアルの、復興支援(あるいは、社会貢献)仲間、という意味での高校生(これに加えて、まだ仲間としてにはなれていなくとも、ツイッターをフォローさせて頂いてを通して閲読させて頂いている高校生も、何人かいますが)。それこそ、自分の中では、「きらりと光り輝く存在」である、と強く思うのです。

 

 なんというか、自分の高校時代を思うと、「人間としての」、「レベルの違い」を、思い知らされるんですよね。ある種、「ものが違う」というか、近くにいるだけで、独特の「オーラ」を感じるんですよ。

 

 

 それはともかく、この、「HR」。実に、学ぶことが多い感じであるのです。

 テレビで、「Rの法則」(NHKEテレ)があるのですが、それにも相通ずるのですけど、

 

 「10代、高校生の『リアル』を学ぶ、重要な一つのツールとして、大きな参考になり得る。」

 

 まあ、昨春以後、気が付けばすっかり「はまっている」感じであるのです。

 いまでは、趣味的な「WSD」と共に、もはやすっかり重要なツール(あるいは息抜き的な書籍)になっていますね。

 

 とりわけ、自分がとても好きなのが、

 

 「高校生真剣オピニオン ぼくらの主張」

 

 です。その中でも、特に共感できるテーマ。

 

 

 (図解2)「HR」のコーナーの一つ、「高校生真剣オピニオン」、自分が特に心に響くテーマ。

 

 (1)「あなたが一番大切にしている言葉は何ですか?」(20号、2013年6月発売)

 (2)「もしあなたが総理大臣だったらどんな政策をしたい?」(22号、2013年10月発売)

 (3)「最近一番考えさせられた世の中の出来事は?」(23号、2013年12月発売)

 

 

 この、「HR」に出てくる高校生。

 自分のリアルの仲間の高校生は、いわば、自分から見れば、「選ばれし存在」の感じが強いです。

 それこそ、スポーツでいえば、オールスター出場とか、シーズン終了後のコンベンション表彰選手の対象者とか、そのレベルです。

 

 ですが、「HR」に登場する高校生は、基本的には、「どこにでもいるような普通の高校生」がベースなんですよね。だから、より「リアリティー」を感じることができる感じで。

 まあ、原宿がベースにある感じですので、「オシャレ好き」の比重が高い感じは、受けますけど(実際、スナップページとかも、それなりの比重を割いている)。

 

 で、登場する高校生。大きく分けて、3つのタイプがあるように思います。

 

 「専属モデル」「読者モデル」「読者代表」。

 

 「ぼくらの主張」に出てくるのは、「読者代表」です。

 「読者モデル」というのは、専属ではないけど、他の雑誌でも登場する、モデル(の卵?)のような感じですかね。

 

 

 話すと長くなるので、このあたりにしますし、今回の最新号(24号)では、現在の高校3年生(4期生、ということかな)の、「卒業記念号」である感じですが(だからなのか、いつも以上に感情移入する感じでしたが)、「HR」から派生して、興味深い感じを抱くページとかに、どんどん出会っていく感じになって。

 

 

 (図解3)「HR」をきっかけに、興味深い感じとしてある、カルチャー系10代のサイト。

 

 (1)「日本ツインテール協会」(http://twintail-japan.com/

 (2)「tokimeki calendar」(http://tokimeki-calendar.com/mobile/index.html

 (3)「high school life」(http://hs-life.net/

 (4)「読モboys&girls」(http://dokumo-web.jp/girls/

 

 (図解4)いわゆる「社会貢献」「復興支援」系等の高校生、10代の学生団体(あるいはプロジェクト)。

 

 (1)「Teen for 3.11」(http://teenfor-311.jimdo.com/

 (2)「いしのまきカフェ『』」(http://doorwaytosmiles.jp/

 (3)「女子高校生未来会議」(http://kaigi.revisionjapan.com/

 (4)「Teen's rights movement」(http://teensrights-movement.jp/

 (5)「Teens Opinion」(http://teensopinion.jp/

 

 

 いずれにせよ、子どもには、「その人らしく」「自分らしく」生きて欲しい。

 授かった、その人だからこその「個性」を、思う存分に伸ばして欲しい。そうすれば、きっと社会がよりよくなり得ると思いますし、自分自身も、微力ながらでも、その一助になりたい、そう強く抱く感じです。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2013年

8月

08日

「2013年夏、生まれて初めての広島を通して、現時点で自分なりに学び感じること。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第43回のブログエントリーの論題は、「2013年夏、生まれて初めての広島を通して、現時点で自分なりに学び感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の42回目になります。そして、復興、平和、社会貢献、ブログエントリーの21回目、子ども、教育ブログエントリーの12回目になります。

 今回から、「平和」というカテゴリーも設けますが、扱いとしては、「社会貢献」「復興」と同列のイメージです。それだけ、自分にとって、「平和」ということは、とても大きな意味を持つ感じですが。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 8月12日で、自分は、29歳の誕生日を迎えます。

 運命の夏。勝負の夏。泣いても笑っても、20代ラストイヤーになる。

 どのような道を歩むのか、自分でも正直わかりません。ただ一つ、「社会貢献」「誰かの笑顔のために」、これには徹底的に拘っていきたいと思いますが(NPOをベースに、とは思っていますが)。

 ただ、採用枠にありつけるのか、という不安がある。例えば、あがり症をどれほど克服できるのか、とか。いまはただ、自分を信じて、できることを全力で、このことのみかな、の感じです。

 

 それにしても、実は、HP更新、この2か月近く、できずにいました。我ながら、申し訳ない思いです。

 それほど、忙しくなっているというか、これが就活なのか、と実感させられる次第です。

 

 

 書きたいことは、正直いくつもあります。ですが、現実論としては、絞っていかねばなりません。

 という訳で、今回のブログエントリーのテーマ。「生まれて初めての広島訪問」です。

 

 

 2013年7月27日。生まれて初めて、広島に行くことが叶いました。

 今回の目的は、下記のイベントに参加するためです。

 

 

 (図解1)今回の広島でのイベントに参加するきっかけとなった動画。

 (1)http://www.asahi.com/special/news/articles/OSK201307160042.html

 

 

 いま貼り付けた記事のリンク。イベントは、朝日新聞の国際平和シンポジウム『核兵器廃絶への道~核兵器の非人道性と被爆体験の伝承』という名前です。
 自宅で取っている新聞が、「朝日新聞」なので、それが大きかった感じですが、シンポジウムの趣旨は勿論、動画にて取り上げられていた、保田麻友さん(今回のパネリストの一人にもなっている、被爆3世の若い女性です)の平和貢献の活動に、その姿勢に、一人の人間として、その動画から、不思議と心を揺さぶられる感じがした、強い共感を抱く感覚を覚えた、だから、是非とも直接お話を伺いたいなあ、と思う感じで。

 

 このシンポジウムのことは、「朝日新聞」を購読している人間でしたら、8月6日の朝刊にて、2ページ分にわたって取り上げられています。リンクを貼ります。

 

 (図解2)7月27日の朝日新聞シンポジウム「核兵器廃絶への道」関係リンク。
 (2)http://www.asahi.com/special/news/articles/OSK201308050077.html
 (3)http://www.asahi.com/special/news/articles/OSK201308050080.html
 (4)http://www.asahi.com/special/news/articles/OSK201308050088.html


 いま、リンクを3つ貼りました。特に3つ目の、核廃絶を巡る世界地図は、とりわけとてもためになる感じですが、結論的に述べれば、「参加してよかった」と強く抱く感じなのです。まだ、学んだことを整理できている訳ではないのですが。
 リンクには貼っていませんが、特に心に強く響いたのが、バレリーナの森下洋子さんのゲストスピーチです。実体験に基づくからか、強い説得力を抱いて(本人曰く、原爆のことを人前で話すのは初めてとのことです)、聴き終えたときは、思わず涙がこぼれました

 

 このシンポジウム。実は、いわゆる御年配の人間が、7割、いや8割くらいいたのではないか、そのくらい大人(特に50代以上)の人間ばかりで、正直、入場したときは、「場違いなところにきたかな。」という感覚でした。

 とりあえず、会場には入る。でも、ああ、抜け出しちゃおうかなあ、という思いが脳裏をよぎる。

 

 しかし、その不安を払拭したのが、会場の至る所に配置されている、ボランティアの高校生の存在でした。

 同時通訳のイヤホンを配布する子ども、核兵器廃絶の署名を呼び掛ける子ども(自分も署名させて頂きました)、会場の来客からの質問に応対する子ども、等々。

 実にその目が輝いている。高校生がこんなにも頑張っているのだから、自分もこの学べる機会を大切にしよう、と強く思える感じです。

 

 

 この、シンポジウムは勿論、広島訪問そのものも、とても有意義な感じでした。

 なんというか、「実際に行ってこそ学び感じるものがある。」、まさしくこの思いです。

 

 平和公園の慰霊碑。祈りを捧げるときの独特の感覚。

 原爆の子の像。それを囲むように配置される折り鶴。心にぐっとくるものがある。

 

 そして何よりも、広島平和記念資料館。言葉ではとても言い表せないような、強い衝撃を覚えましたし、いままで生きてきた中で、最も行ってよかったと心底思える場所です。

 

 

 それと、路面電車(広島電鉄)も然りですが、広島に行ってよかった、と思えることがもう一つあります。

 「広島みなと夢花火大会」。なんでも、広島では最大規模の花火大会だそうなのですが、実は、広島に車で、この花火大会の存在を、恥ずかしながら知りませんでした。知ったのは、広電の広島駅の電光掲示板を通してです。

 夕方、シンポジウムが終わり、もう一度祈りを捧げて、少し自分なりに川沿いのベンチにて振り返って、花火大会、行けたら行きたいなあ、と。そうすると、原爆ドーム前駅、偶然にも来たのは臨時電車、「海岸通行き」とある。で、思い切って車掌さんに尋ねると、「花火大会会場に行きますよ。」と。

 

 いざ、路面電車に乗ると、もう既に座れない。そして、特に印象的なこと。

 若い世代の女性。一部の制服姿の中高生を除くと、もうほとんどすべてが浴衣姿。

 祇園祭、なにわ淀川花火大会でも、そこまでいかないというか、いままででこんなに浴衣姿ばかりなのは、みたことがないというか。

 それと、花火そのものが、また実にきれいなのです。特に、大きく拡がる、色鮮やかなスターマインが、実に美しくて。時間的な関係で、前半の30分間だけで切り上げざるを得ませんでしたが、もう、広島が好きになった、そして、広島に行きたい理由を肌で感じたような感覚でした。

 

 

 まだ、実は、広島に行って学んだことを、頭の中で整理し切れていません。

 でも、少なくとも、はっきりといえることがあります。

 

 またそう遠くないうちに、是非とも広島を訪れたいと強く抱くこと。特に、8月6日に広島を訪れることを、是非とも叶えたい思い。

 また、「社会貢献」「復興」は勿論、「平和」についても、深く考えられる、絶えず学び続けられる、そういった世界に携わる人間に絶対になりたい。

 この思いを、強く抱く思いです。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2013年

6月

26日

「『35歳の高校生』、最終回を見終えて、自分なりに感じること(子どもと社会貢献、ということをも意識して)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第42回のブログエントリーの論題は、「『35歳の高校生』最終回を見終えて、自分なりに感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の41回目になります。そして、子ども、教育ブログエントリーの11回目、芸術、メディアブログエントリーの5回目、復興、社会貢献ブログエントリーの20回目になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 HPを更新できる頻度が減少傾向にある中で、次はどのようなテーマの文章を書こうかな、と悩ましい感じで、もう一つの選択肢として、実は、「本田圭佑の今夏の移籍問題を考察する」というテーマも、書きたい感じであったのですが、書こうとすると、恐らくどうも長くなってしまう。

 それに、ここ最近のブログエントリーの流れ的に考えて、やはり、完全にどっぷりはまった、『35歳の高校生』、それを見て感じることを、書いた方がしっくるくるかな、と思いまして。それで、今回もこのエントリーを書こう、と。

 

 この、『35歳の高校生』に関係するブログエントリー。5月13日、6月21日にも、執筆させて頂いております。ですので、リンク貼ります。

 

 

 (図解1)『35歳の高校生』に関係するブログエントリーのリンク。

 (1)5月13日(http://aikyujin.jimdo.com/2013/05/13/35歳の高校生-前半部分を見て-自分なりに感じること-その1/)

 (2)6月21日(http://aikyujin.jimdo.com/2013/06/21/35歳の高校生-最終回前夜を迎えて-自分なりに感じること/)

 (3)公式HP(http://www.ntv.co.jp/35jk/

 (4)HPにおける掲示板(http://app.ntv.co.jp/myntv/sys/bbs/list/?bbs_id=124

 (5)ウィキペディア(http://ja.wikipedia.org/wiki/35%E6%AD%B3%E3%81%AE%E9%AB%98%E6%A0%A1%E7%94%9F

 

 

 正直、これほどまでに、完全にどっぷり、文字通り「見入る」「のめり込む」ドラマは、ほとんどない、実に久々(『家政婦のミタ』でさえ、そこまでではなかった。)である感じなのです。それほど、「考えさせられる」、そして、「共感できる」要素が多くあったのかな、と感じるんですよね。

 勿論、自分が「子ども大好き人間」、あるいは、ずっと「教育」「子ども」に興味を抱き続けているから、ということも正直大きいでしょう。ですが、それ以上に、うまく言葉で表現できないほどの、「惹き付けられる」ものがあったように思うのです。

 

 見入る要素は、いくつもあったように思います。自分なりに、下記に整理してみようと思います。

 

 

 (図解2)何故自分が、『35歳の高校生』に完全にどっぷり見入ったのか。

 

 (1)3年A組の生徒(特に主力16人[馬場亜矢子含む]。全体では27人)のほとんどが、何かしら、かつての自分に相通ずるところがあって、とても共感できる感じがあった(勿論、主力メンバーの中でも、どうしても共感できない人間もいるし、「いじめ」「学級荒らし」は、絶対に許されるものではない言語道断であると強く思いますが)。

 (2)描写が確かに過激(あるいは誇張的)なところが否めないが、「リアリティー」が強く伝わってきたから。どのような子どもも、もがきながら生きていることが伝わってきたし、自分が子どものときよりも(ちなみに自分が子どものときも、学校でも予備校でもカースト制は存在していた)、「スクールカースト」「いじめ」が陰湿、顕在化でであることがひしひしと伝わってきた。

 (3)「教育」「子ども」の諸問題に鋭く切り込んでいるし(えっ、という描写も少なからずあったけど、そのうちの多くは、最終話を見て、およそ納得できた)、自分自身、見るたびに考えさせられる、学ぶことが多くあったから。

 

 

 自分自身、もともと、ずっと教職志望でした。いまの通信制大学に入り直したのも、まさしくそれです。

 それが、この2年近くでの「復興支援活動」に向き合う過程で、「社会貢献」への思いが一気に強くなり、NPO(あるいはそれに準ずるもの)で働きたい、と思うようになっていきましたが。

 

 ですが、「子どもへの思い」は、実は、教職を目指してきたときよりも、むしろいまの方が、より強くなっている感じなんですよね。いやむしろ、「子どもを愛するが故に」教職から異なる方向に傾斜していくようになった、みたいな。

 

 

 いま、NPO、社会貢献、といったことに携わりたい、と思うようになっている、と述べました。

 なんというか、特に考えさせられることとして、「自分が解決したいと考える社会問題って何だろう?」ということがあるんですよね。

 いや、ある、ということは、ふつふつと抱くこととしてあるのです。ただ問題は、それが何なのだろう、みたいな感じなのです。

 

 ずっと、自分が興味を抱き続けてきた、いやむしろ、問い続けてきたテーマがあります。

 「いじめ」、及び、「子どもの貧困」。今回の通常国会で、いずれも対策法案が成立しました(ただし法制化は、あくまでも大きな一歩に過ぎず、大切なのは、「社会全体で解決(あるいは根絶)するための普段の努力」が、大切であると思うんですよね。

 

 ちょうど、朝日新聞の「いま子どもたちは」の連載で、以前(5月下旬~6月上旬、全12回)、「津波を知った」という論題で、女川の中学生のことが描かれていました。

 女川の子どものことは、ずっと気に掛かっているんですよね。「コラボスクール」(女川向学館)の影響からでしょうか。いつか是非お会いして、いろいろとお話を伺いたいなあ、と思っていますが。

 

 

 いろいろと、正直思うことはあります。もっと子どもの「心の声」に真摯に、そして親身に耳を傾けていきたい、しかしそれが思うようにできていないことに、もどかしさをどうしても抱いてならないのですが。

 

 ちょうど、先日も、「BS世界のドキュメンタリー」にて、「シリーズいじめ」が、とりあげられていました。

 その中の、4回シリーズの4回目。米国の、「フィービー・プリンスさん事件」。

 実に「むごい」いじめだなあ、と。もともとはアイルランドの人間で、地元では、「神童」的な存在であったとのことです。だから、子どもによりよい教育を、との思いで、米国(マサチューセッツ州)に移り住んだ。

 しかし、その移住した地域は、1つしか高校がなかった。待ち受けていたのは、移民だからなどという、「いわれのない」陰湿で執拗な「いじめ」でした。

 

 えげつないのは、「みえないように」ではないんですよね。むしろ、「聞こえるように」いじめる。暴言、暴力、物隠し、あらゆる手段を使って。そして、誰も止めない。

 結果、いじめられた少女は、自ら命を絶ちました。いや、そう追い込まれた(学年にすると高校1年生)。最終的に、全米を巻き込む社会問題に発展した、と描かれています。

 

 

 そう思うと、『35歳の高校生』。

 いわば、衛藤瞳(森川葵)のような子どもは、想像以上に多くいるんだろうなあ、と。

 本当はとても仲間思いの優しい子ども。でも、自分に降りかかるのが怖くて、「本音」をいえない。

 「だめなものはだめ。」「いやなものはいや。」そう、はっきりと「本音」をいえる学校、社会を生み出すには、どうすればよいのか、ひしひしと考えさせられる感じなんですよね。

 

 

 で、主題として、恐らく、「学級制度をなくして、いじめ、スクールカーストをなくすことは可能か?」ということが、描かれていたように思うんですよね。

 

 最終話にて、阿久津涼の姉が、いじめを苦にして、学校の屋上から投身自殺する場面があるのですが、遺書に、こう記されています。

 

 「スクールカーストって何なの?1軍って何なの?3軍って何の価値もないの?私には生きる価値はないの?」

 

 ああ、実にむごい、悲しい。しかし、このことこそ、このドラマの「言いたいこと」がにじみ出ているようにも、映る訳です。

 

 あるいは、例えば、土屋正光、工藤美月。もともとならば、こんな人間、共感できない、と思う感じでした。

 でも、気が付けば、ある種、わからなくもないなあ、と。「悪童」だって、「闇」を抱えているんだなあ、と。もっといえば、「悪童」という「仮面」をかぶらされていたのかな、と考えさせられる感じです。

 

 

 それにしても、3年A組の、一人一人の生徒。これから、どう成長していくのか。

 いつか、続編(というか、映画版)ができて欲しい(あと、言葉がちりばめられた、書籍版も)。そう強く願うのです。

 

 

 それにしても、自分自身、この2年近くの経験や出会いの過程で、高校生、10歳代と交流する機会が、多くなっています。いろいろな高校生団体の存在も、存じていますし、共感できる団体も、いくつもあります。

 

 

 (図解3)自分が交流させて頂いている、あるいは、存じ上げている、高校生が主体になっている学生団体(ただし、名前だけの列挙になります)。

 

 「Teen for 3.11」「ビヨンドトゥモロー」「僕らの一歩が日本を変える」「高校生環境連盟」

 「Hot Japan Project」「Team Neighbor」「Step by Step」「底上げyouth」

 「Teen's rights movements」「高校生が、いま出来ること」

 「いしのまきカフェ」「bud」「arco-iris」「高校生一万人署名運動」等々。

 

 

 最近でも、「Teen's rights movements」という高校生団体ができました。

 「18歳選挙権の実現を」が、主たる主張、理念です。自分は共感できる感じなので、FBページ開設を知って、速攻で「いいね」をさせて頂きました(まあ、18歳選挙権自体は、自分は共感できますが[というか、高校生から認めてもよいと思っている]、10代、20代の声に真摯に耳を傾けた上で、綿密勝つ熱い議論の上に、是非を決めて欲しいと強く願います)。

 

 いま、上記に挙げた、高校生団体がいくつも誕生していることは、とても喜ばしい感じです(勿論、個人ベースでも、精力的な高校生も多くいるだろうと思いますし)。

 

 

 ですが、それにしても、日本の子ども、学校を取り巻く環境。

 かつて以上に、「1軍」「2軍」「3軍」という発想が、強くなっているように映ります。

 

 それは何故でしょうか。野球文化の影響なのか、それとも、どこぞのアイドルグループの影響なのか。あるいは、他の要因なのか(勿論複合的なのも含めて)。

 いずれにせよ、とても考えさせられます。

 

 自分としては、「いじめ」「スクールカースト」「子どもの貧困」の解決、根絶のために、自分にできることを、ずっと模索、そして行動し続けていきたいなあ(だからこそ、納得、共感できる団体に出会いたい、就職したい、そう強く抱く思いですが)、と強く抱きます。

 

 

 末文において、この、『35歳の高校生』の公式HP内にある、掲示板スペース。

 10代や20代からの、心に響く言葉、文章が、いくつも詰まっています。これについて、ある種自戒の念をも籠めて、いくつか引用させて頂いて、それを以て、今回の文章の結びとさせて頂こうと思います。

 

 

 (図解4)『35歳の高校生』公式掲示板より、自分(愛球人)が心に響く言葉、文章(原則として原文のまま)。

 

 

 (1)みいさん(20歳代女性。2013年6月24日)。

 「最終回見ました。とても感動しました。
私は、クラス制廃止には反対です。科目選択制とかだったら確かにいじめは減ると思う。でも、それは逃げというか避けるだけで、根本的ないじめの解決にはならないと思います。私も学生の頃はいろんなことを経験しました。傷つけられたり、傷つけたり…その頃よりかは、人の気持ちを考えれるようにはなったと思いたい。

あのころの年代って、変に強がったり、かっこつけたり、するんですよね。楽しい学校生活を送りたくない人なんていないんだから、素直になれれば楽なのになって…それが難しいですよね。
でも、苦楽を共にするクラスメートがいるからこそ、成長できると思う。ぶつかり合ってケンカしっていいと思う。そんなことができれば、きっといじめはなくなると思います。
キャスト、スタッフの皆さん素敵なドラマをありがとうございました。お疲れ様でした。最初は、正直ちょっと重いなぁと思ったんですけど、最後を見届けて大事なものが心に残りました。」

 

 

 (2)愛子さん(20歳代女性、2013年6月23日)

 「毎週欠かさず観ていたドラマで、今クールで一番好きなドラマでした。

毎回馬場ちゃんがどんな活躍をするのか楽しみで楽しみでしょーがなかったし、「スクールカースト」に支配されていた生徒達が馬場ちゃんによって変わっていく姿を見て、ホントに“最強の35歳の高校生”だなって思いましたヾ(≧▽≦)ノ

私は今23歳でホントに少し前まで学生でしたが、実は高2の修学旅行で体調が悪くなってから、怪我や病気の繰り返しで入退院が多くなってしまい、ほとんど学校へ行けない状態になりました。
短大生になってからも、交通事故に遭ってしまい、私の学生生活というとあまり思い出がありません(>_<;)

なので、35歳で高校生をやり直してる馬場ちゃんを見て、少し羨ましいなとも思いました☆

あんな素敵な友達が出来て、文化祭やキャンプを楽しむ事が出来て、馬場ちゃんは幸せ者ですねヾ(*≧▽≦)ノ♪

このドラマを観て、私も高校生やり直そうかなと考えちゃいましたよ(笑)

って何が言いたいか分からなくなってきましたが、ホントに最高に面白いドラマでした!!」

 

 

 (3)ユイリカさん(10歳代女子、2013年6月23日)

 「毎週毎週集中してみていて、
とっても面白かったです!!!
正光君も阿久津君も性格の悪い、やな奴
だとずっと思っていたのですが、阿久津君にあんな暗い過去があったとは・・・・。
「スクールカーストがいかにくだらない
ものだと分からせる為には、分かりやすい悲劇が必要だった。」
最終回の前の回のこのセリフだといまいち納得できなっかたのですが、最終回を見たら今までの阿久津君の行動に納得できました。
また、正光君も、阿久津君に腕切られたり、殺されかけたりしたのに、阿久津君が少年院からもどって来るなり、「一緒に教室行こうぜ」って・・・・。器の広い奴だと思いました。
毎週毎週楽しかったです!どうもありがとうございました!」

 

 

 (4)名もなき一公務員さん(30歳代男性、2013年6月23日)

 「最終回、2時間が短く感じました。
 
 私も教師なので担任をしていましたが、やはりクラスがあってこそ、人間的な成長が見られるとつくづく思います。スクールカースト制ほどひどくないまでも、児童生徒の中には少なからず序列はあります。大人の世界でさえ、序列があるのだから、それを見ている子どもたちもどこおかで人を見下したり序列をつくったりするのはいたしかたないのかもしれません。それを覆すのが、クラスであり、クラスメートだと思います。

 今までのドラマと多少かぶる部分もありましたが、久しぶりにのめり込んで見るドラマでした。本当に、考えさせられました。ありがとうございました。」

 

 

 (5)里奈さん(20歳代女性、2013年6月23日)

 「最終回、すごくよかったです。
見ていてあっという間に2時間過ぎました。

正光、阿久津、馬場ちゃんが
最後にちゃんと笑えてよかった。
本当にみんないい笑顔でした。

スクールカーストの頂点に立っていた正光も、いつの間にか教室が作り上げてしまったものだったのかなと思いました。最後にみんなに真正面から謝ることができて、実はちゃんと優しい人な気がしました。私は、嫌われる覚悟がある、いつも潔い正光が芯から嫌いではありませんでした。むしろクラスの空気を自由に操るカリスマ性がある正光にどこか惹かれてました。もし実際に同じクラスに正光がいたら、怖すぎて近寄りたくないかもしれませんが(笑)。

阿久津も、逮捕はされてしまったものの、お姉さんが亡くなってから抱えていた、重たい荷物をようやく少し下ろせた気がしました。お姉さんのことを忘れることはないけど、馬場ちゃんに出会えたことで、止まっていた時間がやっと動かせたんですね。最後にやっと笑えた阿久津を見て、涙腺にくるものがありました。(中略)

 

 三ヶ月間、本当にお疲れさまでした!!
素敵なドラマをありがとうございました。
またいつか3-Aの皆さんに会いたいです。」

 

 

 (6)藍さん(20歳代女性、2013年6月23日)

 「私は通信制高校に通っている21歳の高校生です。
1話からずっと見ていました。

自分も学校ではもちろん、
学校以外の場所でも孤独、友達は居ません。

ですが、このドラマを見て本当に色んな現実をさらに知ることができました。
最終回は感動しました。

ですが、ドラマだからあんな展開になると思います。現実はやっぱり甘くない。

このドラマを通じてみんないつも笑顔で、自分もいつも笑っていられたら良いのにな と思いました。
現実でも少しでも生きやすい世界になってほしいものです。」

 

 

 (7)魅裟さん(10歳代女性、2013年6月23日)

 「私は今、高校3年生です。
このドラマほどではないけれど
クラスにはやはり階級ができています。
強い部活の人たちはいつも偉そうにして
地味な文化部や弱い運動部は
クラスの端で生活しています。


いつも偉そうにしている人達に
このドラマを見て少しでも
考えてほしいです。

教室の端に追いやられている人達の気持ちを。

あなた達が机を叩くたびに
ビクッとする気持ちを。

機嫌をそこねないようにと
無茶ぶりに答えていることも。

廊下で端による気持ちを。


私はどっちでもありません。
端に追いやられているわけでもなければ
中心にいてなにをするわけでもありません。

ただの傍観者なんです。
一軍がキレているのを見ていて
それにビクッとしている人達を見ているだけ。

端に追いやられている人達からすれば
私達のような立場の人間を
1番憎むかもしれません。
特に何ができるわけでもないのに
端に追いやられていないわけだから。

私達と端に追いやられている人達は
特に何も変わらないから。


このドラマはとても良く
現代の高校生を再現できてると思います。

最終回ではみんな団結できて
とても感動して涙が止まりませんでした。

私のクラスも最後の最後にでも
ドラマのようにみんなで
笑いあえてるクラスになれれば
良ぃなと思いました。

相手が変わる前に自分を変えたいです。」

 

 

 (8)rhymeさん(10歳代女性、2013年6月22日)

 「最終回…泣けました( ;∀;)馬場ちゃんが刺された時『あっ!!』って、思わず声が…しかも家族全員で(笑)生きててくれて良かったです。阿久津君も正光もオサムも皆、皆本当は心の何処かで寂しかったし甘えたかったんだろうな…。遅くはなったけど最後の最後に大切なことにきずけて良かったね(∋_∈)
私は高校が通信だったから…クラスの行事とかお昼の時間とか見ていて『いいなぁ…』とずっと思ってました。通信は自由に授業も受けれて単位を取れれば卒業出来るし楽だったけど、それと引き換えに『親友』と呼べる相手が出来なかった。自由過ぎて人と接する時間が少なかったから…。馬場ちゃんのクラスがとても羨ましく思えました。だからクラス制度の件は反対でしたね(笑)最後、先生方が考えて直してくれてホッとしました★★やっぱり人には人が必要不可欠ですね!!ドラマなのにこんなに真剣な自分にびっくり(笑)色々、考えさせられた時間でした。(*^ー^)ノ♪米倉さん始め、3-Aの皆さん、関係者の皆さん、大変お疲れ様でした。(-^〇^-)」

 

 

 (9)ぺーさん(10歳代女性、2013年6月22日)

 「私はいま高3です。
小さいときから学校というくくり、クラスというくくりが嫌いでした。
それはいまも変わりありません。

だけど、友達がいないわけでもないし、不登校になるほどではありません。

先生の言葉とか、正直うざいし、苦手な人だっているけど、
いま仲がいい友達たちとは学校、クラスがなければ出会えなかったです。

大嫌いだけど、感謝してる学校。
考えは変わらないけど、自分なりにこれから残りのクラス生活を大切に送りたいとおもいました。」

 

 

 (10)えりかさん(20歳代女性、2013年6月22日)

 「とても興味深く、気が付くと毎週見ていました。
最終回、感動しました。
いいドラマでした。

私の高校生活なんて、有って無きようなものでした。
とりあえず単位を取る。
成績を上げる。
高校で出来た友達は、一人もいません。
これが現実です。

この「ドラマ」は本当に感動的でしたが、私個人としては、クラス制の廃止に賛成です。
私のような人間が、過ごしやすくなると思います。」

 

 

 (11)マリーさん(20歳代女性、2013年6月22日)

 「最終回見ました!
最後も泣いて笑って、
良い作品でした!

勢いで職員室に立てこもったり…
ちょっと無理やり?なところもあったけど、
若いっていいなwwって思えて
微笑ましかったです(笑)

私は途中から土屋君に注目して
ドラマを見ていました。
一度、キャラができてしまうと
後に引けなくなってくるんですよね…。
立場は違えど、そうゆう子は
現実にたくさんいると思います。
彼が、本来の彼に戻れて
すごくうれしかったです。

今は今しかない。
子供も大人も。

現役の学生の子達には
悩みや不満がたくさんあるかもしれない。
それでも、自分に負けないで
クラスメイトと一緒に
学校生活を楽しんでほしいです(*^ω^*)」

 

 

 (12)もうすぐママさん(30歳代女性、2013年6月22日)

 「最終回ありがとうございました。
私は数日後に出産を控えた主婦です。

初めて人の親になるのに今の子供の世界とどうやって向き合って行けばいいのか、
自分の学生時代とは全く違うので勉強のためにこのドラマを見始めました。
ドラマのようなスクールカーストがすべてではないかとは思いますがいじめは存在します。
その状況に自分の子供が立たされた時(被害者側でも加害者側でも傍観者でも)
親として何を伝えられるかこのドラマを見て考えさせられました。
親として逃げたくない、目を反らしたくない。
馬場ちゃんのようにクラスメイトの1人になることはできないけど
子供が明日も幸せに生きていられるように向き合っていきたいです。

キャストの皆さん、スタッフの皆さん、
本当にありがとうございました。
そしてお疲れ様でした。」

 

 

 (13)夕凪夢月さん(10歳代女性、2013年6月22日)

 「35歳の高校生、最終回は5回以上泣いてしまいました。

はじめは皆バラバラで素っ気なかったあのクラスが最後はひとつにまとまって分かり合えるようになって・・・

改めてクラスって存在がとても大きくとても暖かいものなんだなぁと気づくことができました。

私の通っている学校のクラスはスクールカーストにように特定の人だけが盛り上がり、ほかの皆は思うように楽しい学校生活を送れていません。

私も本当の自分を出せず、周りからの批評ばかり気にしてしまい「悪口を言われたくない」と思うようになり、常に気を使っていました。

でも、35歳の高校生を見るようになり自分のクラスもこんなふうによくなれればなぁーとすごく羨ましく思っていました。


【クラスメイト全員が心から笑えるような】
【みんなでひとつになれるような】

そんなクラスにしたいです。

今年で中学校を卒業。
だから、このあと数ヶ月間で私はクラスを変えたい。変えれなくても、最後のの日は皆で笑って卒業できるようにしたい。

馬場ちゃんのように救世主になれるかは分からないけど、少しでも今のクラスからもっとより良いクラスになれるように私がこの手で少しずつでいいから変えていけたらいいなっと思っています。

こんな決意ができたのも35歳の高校生を見れたからだと私は思います。

このドラマを見て、勇気がもらえました。


最後に、スタッフさんやキャストさん
本当にお疲れ様でした。

馬場ちゃん、ありがとうっ(`・ω・´)」

 

 

 長くなるので、ここまでにしますが、このドラマを通して、進路に直面している立場としても、自分が、子どものためにできることについて、改めて深く考えさせられる、そして一人の人間として、学ぶことがわんさかとある感じですので、こうして、ブログエントリーをさせて頂く感じです。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2013年

6月

21日

「『35歳の高校生』最終回前夜を迎えて、自分なりに感じること。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第41回のブログエントリーの論題は、「『35歳の高校生』前半部分を見て、自分なりに感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の40回目になります。そして、子ども、教育ブログエントリーの10回目、芸術、メディアブログエントリーの4回目になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 今回は、恐らくメモブログ的テイストが強くなるかな、と思います。

 何故って、明日(6月22日)が、『35歳の高校生』の最終回ですが、これ、2時間SPなんですよね(恐らく異例中の異例かと)。

 この、『35歳の高校生』、5月13日にも、関連ブログエントリーを、させて頂きました。リンク貼ります。

 

 http://aikyujin.jimdo.com/2013/05/13/

 

 何故、こうして、わざわざメモブログ的なテイストの強いエントリーをさせて頂いたのかと申しますと、結構、このドラマの、HPにおける公式掲示板における意見、とても参考になる感じである訳です。

 まあ、ドラマそのものは、(賛否両論は伝わってくる感じですし、確かに描写はやや過激な感じがしないでもないですが、個人的には、それがむしろ、「リアリティー」が伝わってくる感じで好感であったりするのですが、)自分自身、完全に見入っていますし(だからこうしてエントリーをさせて頂いている訳ですが)、いろいろと考えさせられる感じですが。

 

 

 ちょうど、「BS世界のドキュメンタリー」(NHKBS1)において、今週、「シリーズいじめ」を、4回シリーズでしていました。リンク貼ります。

 

 http://www.nhk.or.jp/wdoc/yotei/index.html

 

 どれほど、「いじめ」が恐ろしいものであるのか。自分も、小中高と、ずっと「いじめ」に苦しみ続けてきた人間ですので、いやというほどに、心身でわかっている、感じているつもりです。だからこそ、「思いやり」あるいは「寄り添う」ことに、人一倍の強い思い(ある種の拘り、あるいは執着心と言えるかもしれませんが)を抱くように思うのです。

 

 

 で、公式掲示板、自分自身、結構な頻度で閲読させて頂いております。まだ、書き込みしたことは、ありませんけれども。

 恐らく、最終回になれば、なおさら、かなりの書き込みが予想されますし、それもあって、(より深い考察は、後日にできればという感じで回すとして、)最終回前夜というタイミングで、メモブログ的な意味合いをも籠めて、主として、公式掲示板で書かれていることの中から、自分的に、「心に響く文章」を、綴らせて頂く感じです。いわば、いずれ書きたいと思っている、総括的エントリーに向けたステップ、という感じですかね。

 

 

 では、この、『35歳の高校生』の公式HP内にある、掲示板スペース。

 10代や20代からの、心に響く言葉、文章が、いくつも詰まっていますので、敬意の想いをも籠めて、いくつか引用させて頂いて、それを以て、今回の文章の結びとさせて頂こうと思います。

 ちなみに、5月13日のエントリーにおいて、第5話までを記させて頂いておりますので、今回は、「第6話~第10話」に相当する部分を、用いさせて頂きたく思う次第です。

 

 

 (図解1)『35歳の高校生』公式掲示板より、自分(愛球人)が心に響く言葉、文章(原則として原文のまま)。

 

 (1)るるる30さん(10歳代女性。2013年6月16日)

 「毎回興味深く拝見させていただいています!
 このドラマみたいに、具現化されたものはあまりないかもしれないけれど、スクールカーストはどこの学校にも存在するものではないかと思います。特に中学生なんかはそういうのに敏感なんじゃないかと思います。実際に私が中学生だったときも、ひどいいじめなどはなかったですが、生徒の中で格付けを行っているような雰囲気はありました。私は2軍くらいな位置だったんですが、1軍に憧れていました。(笑)
 この掲示板を見ていると、子供に見せたくない、と批判的な方もいらっしゃるみたいですが、今の学校ではスクールカーストが存在するのが、ある意味当たり前になってきているので、このドラマを見て今の学校の実情を把握してほしいですね。
 来週はいよいよ最終回!2時間SPということで、とても待ち遠しいです。終盤にかけて阿久津くんの出番が増えてきてとてもうれしいです\(^o^)/今週なんか特にあの悲痛そうな顔が見れてとても幸せでした← 最終回もいろいろやらかしてくれそうなのでわくわくです(笑)みんな無事に卒業できるといいな(^○^)楽しみにしています!」

 

 

 (2)(´・ω・`)さん(10歳代女性。2013年6月15日)

 「毎週母親と観ています。


私も母親も基本的にドラマにはあまり興味が無いのですが、何となく観ていたら引き込まれたのがこのドラマ。


賛否両論ありますが、私は好きなんでしょうね…引き込まれている訳ですし。
先生や年上の方に対しての態度や言葉遣いが悪過ぎるというご指摘もありますが、私の通っている中学もあんなものです。先生にタメ口で話す生徒なんてそこら辺にうじゃうじゃいます。しかもこのドラマが始まるずっと前から。
しかし、虐めはありません。スクールカーストもありません。私はそういった辛い環境を経験した事がありません。でも、このドラマを観たからと言ってその様な事を真似しようとは私は思いません。


この掲示板を見て、「悪影響だ」等の意見を見ると少し悲しい気持ちになりました。それだけレベルが低いと思われているのかと(確かに低いのかもしれませんが)
ただ、実際このドラマの影響で真似をし出した子ども達もいる様なので、完全に良いドラマとは言い切れませんが…

 

 

 …そんな事を考えるきっかけになったので、[私にとっては]良かったと思います。(中略)
 長文失礼致しました。」

 

 

 (3)考えるキッカケとなったさん(30歳代女性。2013年6月9日)

 「毎週見ています。
スクールカースト、教師の資質、
目には見えない裏に潜んでる複雑な教育問題を
いかに多くの視聴者に訴えていくか。
暗く重くならずに1話完結、キャラの設定は少々デフォルメはされてはいるが。
ドラマはドラマとして見ればよい。

確かに昔と違いコミュニケーションの様態は陰湿化(メール、ネットなど)
表面化されず、水面下で無意識に図られ、閉鎖的なのが怖い。
正面からぶつかっていかない。向き合わない。
当たり前の他者との違いを異質と捉え、過剰に反応。

カースト制度は社会に出たらより厳しくなります。
会社内、外での空気の読み合いは日常茶飯事。
でも自分で選んだ道、今いる環境でいかに自分ができることを最大限に生かし、
時には面倒ことから逃げず、ぶつかり合い、
こうして周りに惑わされない強さができていく。
ものの善悪を見極めながら行動していくのが大人。
そしてドラマのように良いことも悪いことも自分に跳ね返ってくる。

 

嫌なもの、臭いものには蓋をする。
そうさせているのは大人、親。
コメントに子供には見せたくない。マネしたらどうする?とあるが
本当に躾されたしっかりとした子供は真似ない。
親として考えがあるのなら、親の教育方針として子供に毅然と「駄目よ」と言って禁止すればよい。
(ご家庭によって教育方針が違うのも当然。
子供の性格や行動パターンによる対応も躾のひとつ)
一緒に見たとしてもこのドラマの表面上だけを捉え批判せず
真意を汲み取り考えさせる(躾)題材にすればよい。
生かすか生かさないかは大人、親自身だと思う。」

 

 

 (4)花さん(10歳代女性。2013年5月31日)

 「現役高校生の私は、毎週欠かさずこのドラマを観るたびに勇気を貰っています。
いじめと言う現実に立ち向かっている人は、きっと強くなると信じています。むしろ嫌な事から逃げて不登校になってしまえば、心は何も成長しないと思います。
逆に言えば、いじめている人にとっては自分1人ではなく仲間と一緒に1人に対して弱い者いじめしている訳だから、もろく壊れそうな心なのかなと思います。
元々人間は1人ではとても弱い生き物だけど、仲間や誰かが一緒に居てくれると強くなれる気がします。」

 

 

 (5)Big you small iさん(10歳代女性。2013年5月25日)

 「皆様凄く演技がお上手でドラマを見させて頂いている側として、とても興奮します。
私は、女子学院なので幼稚園以来、男の人と関係を持ったことがございません。
なので、より楽しく見させていただくことができます。
撮影でお忙しい事と思いますが、皆様お体にお気をつけて下さい。
皆様の健康と安全をお祈りしております。
Big you small i
自分の事より、相手の事を一番に考える
私は、三十五歳の高校生を見させて頂いて、
改めて、人の事を考えるのは大切だな。
と思う事ができました。
ありがとうございます。
これからも、応援しております^o^」

 

 

 (6)いちごさん(10歳代女性。2013年5月21日)

 「私は、毎回泣いてしまいます。
いじめられていた頃を思い出します。
学校に居場所なんかなくて、ただ時間が過ぎ去るのを待つだけ。
人をバカにしたり悪口を言ったりしている人たちもいます。
学校にいることはすごくつらかったです。
一番傷つくのは友達からいじめられることだと思います。」

 

 

 (7)りおさん(10歳代女性。2013年5月19日)

 「1話から毎回見ています。
うちの学校ではスクールカーストはないですが、どこかの高校でドラマと同じことが行われていると思うとゾッとしますね。

ドラマを見ていて、先生たちが頼りなさすぎて残念です。特に小泉先生や校長、副校長。
今回の北島先生はかっこよかったけど。

うちの学校にはあんな先生はいないですが、他の高校には普通にいるものなんでしょうか…⁇

将来、教職に就きたいと思っているので、一般的に教師はそういうものだと思われているのかなと、ちょっと複雑な気持ちで見ています。

ドラマ自体は面白いですが、教師の描き方についてはうーんって感じです。
でも反面教師としてみていこうと思います。
話面白いし、好きなモデルさんがいっぱい出てるので(*ノ∀`*)」

 

 

 (8)みゆさん(10歳代女性。2013年5月15日)

 「いつも毎週かかさず見させてもらっています

こんなに学校の問題を真正面からドラマに取り上げてるドラマは中々無いので、すごい内容が面白いのと今の学校現状を知ってもらうのはいいなって思いました。

真正面に向き合ってるからこそ、35歳の高校生を見るのは毎回若干怖くなります。

うちの高校にはスクールカーストは無いですけど私の通ってた中学や今通ってる高校には、いじめやいじめを見てみるフリをする感じや空気をひたすら読む感じとか先生が注意出来ない感じ、自分のキャラ的な役割を果たさないといけない感じは私の学校にもあります。今の学校は本当に息苦しいです。

こんなに学校の問題を真正面からドラマにしてくれるなんて少ないので、今の学校の現状を少しでも大人や社会に知ってもらって今の学校現状がなにか少しでも変わったらいいなって思います。」

 

 

 長くなるので、ここまでにしますが、ラストをどう描くのか、一人の人間として、楽しみにさせて頂きたいことは勿論ですが、進路に直面している立場としても、自分が、子どものためにできることについて、改めて深く考えさせられる感じですので、こうして、ブログエントリーをさせて頂く感じです。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2013年

5月

21日

「2013年GW、白浜日帰り一人旅にて、自分なりに学び感じること。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第40回のブログエントリーの論題は、「2013年GW、白浜日帰り一人旅にて、自分なりに感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の39回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの19回目、子ども、教育ブログエントリーの9回目になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 この5月になって、HPを久々に更新させて頂くにあたり、どうしても優先順位的に書きたかったことが、2つありました。その1つが、この、GWにおける、白浜日帰り旅行です(もう1つは、先日アップした、『35歳の高校生』の話題です)。

 というのも、自分にとって、白浜は、1回目の大学時代のときから、それこそおよそ10年越しの、「悲願」ともいうべき感じで。そのくらい、ずーっと行きたかった場所なんですよね。

 

 もともとは、1回目の大学時代のときは、学部のゼミ合宿の場所として行きたかったのです。ですが、結局は叶わなくて。

 その当時は、海がきれい、自然が豊か、温泉が素敵、リゾート地としてうってつけ、だから、合宿で行ければ、というイメージでした。白浜と城崎でならば、白浜の方が温暖だから望ましい、そのような感じだったんですよね。

 

 合宿に行きたい、でも叶わなかったのが(調整がつかなかった。しかも当時自分はゼミ長でしたから、なおさら悔しかった)、大学3回生のとき。それが2005年夏ですから、それから8年近くになります。

 いまの通信制大学に入り直したのが、2011年春。いよいよ、今年(もともとは昨年が本番シーズンと思っていましたが、復興支援活動に力を入れた影響で、1年後ろ倒ししました)、進路本番シーズン、という感じになりました。

 で、いまの通信制大学に入り直してから、2011年秋以後、復興支援活動に自分なりに取り組んでいる感じですが、その一方で、白浜にいつか行くことを叶えたい想いを、ずっと抱き続けてきました。

 

 この自然を感じたい。素敵な動物にたくさん出会いたい。

 この思いを、ふつふつと、ずっと抱き続けてきた一方で、白浜行きの構想を練っては、生きたい日程の候補を考えては、そのたびに、学費へと、あるいは、東北行きの資金へと消えていく、回されていく感じで。

 勿論、東北を想う気持ちは、この2年近くの、自分自身の「生きる源泉」であり、自分自身を成長させてくれる、世界観を、価値観を大きく拡げ深めさせてくれる、かけがえのない大切なことであることは、偽らざる思いです。

 

 で、東北には、この2月の2回をも含めて、通算で6回行くことが叶った。

 回数が全てではないとは、勿論強く抱いていますし、これからも(というか、進路において強く意識していることであるのですが)、東北に、復興に全身全霊で向き合い続けたい想いは、自分自身がなすべき使命である、そう強く抱く感じであるのです。

 

 

 ですが、この2月に、東北に一気に2回行く機会を持てたことで、そろそろ、ずっと生きたいと思い続けてきた、白浜行きを、いよいよ叶えるときが来たのではないか、と。

 というか、特に、今年の4月20日に、「パンダラブ」という施設が、白浜アドベンチャーワールドにオープンした際、この、パンダラブを訪れた、長い髪の少女が、目をキラキラと輝かせて、下記のことを話す姿が、関西ローカルでですが、報道されていまして。

 

 「かわいい。ガラスがなくなったからよく見えた。」

 

 言葉だけをとれば、ありきたりかもしれません。でも、自分には、その少女が、とてもまばゆく映ったのです。

 いま行かずに、いつ行くんだ。行かないと、恐らくきっと後悔する。

 進路本番シーズンに突入したし、社会貢献に、復興の一助になりたいと、強く抱いているけど、未だにどこか漠然としている。そして、NPOを本命に考えていますが、パイが少ないのは覚悟の感じですから、おのずと長期戦。そして先が見えない。だから、正直不安になってしまっている。

 

 だからこそ、自分を見つめ直す機会が、どうしても必要と思いますし、パンダ、イルカ、そして遊園地、できるだけ、思う存分楽しみたい。

 資金や日程の問題から、今回は日帰り、という感じでしたが(勿論一人旅です)、特急を、行きは一番電車、帰りは最終電車(いずれもJR特急において)、という感じで、白浜一人旅を決行しよう、と。

 

 

 日程は、5月3日(GW。帰省シーズンにもなる感じですが)。

 場所は、白浜アドベンチャーワールドに絞り込む。

 (エネルギーランド、温泉は、今回は見送り。次の機会に行ければ、という感じ。)

 

 下記に、今回の白浜一人旅の、およその日程を、示そうと思います。

 

 

 (図解1)今回の自分の白浜一人旅のスケジュール。

 

 7時20分 天王寺駅出発(くろしお81号。この日の1番電車)。

 9時42分 白浜駅到着。アドベンチャーワールド前売り入場券購入(3600円)。

 10時 白浜駅出発(路線バスの3号車)。

 10時10分 アドベンチャーワールド到着(とにかく凄まじい人間の数)。

 10時15分 入場ゲート前でまずは記念撮影をして頂き、そして入場。

 10時29分 「パンダラブ」にてパンダ鑑賞。その後、「ブリーフィングセンター」へ。

 11時40分 「遊園地フリーパス」(2000円)を購入。その後、カートシリーズ3つを乗る(ハイウェイカート、スカイゴーカート、スカイシップ)。その後、昼食。

 12時40分 「ふれあいの里」屋外スペースにて、「アニマルセレブレーション」(GW等の繁忙期限定イベント)。動物との触れ合いは勿論、特に若い女性職員のひたむきさと笑顔に、心を強く癒される。

 13時05分 遊園地での遊びを再開。コースターシリーズ3つを乗る(パンダフルコースター、リトルアドベンチャー、ドルフィンコースター)。

 14時35分 いよいよ、「ビッグアドベンチャーコースター」へ。かなりのスリルでした。その後、メリーゴーランドへ。子どもの笑顔に「生きる勇気」をもらった感じです。

 14時55分 海獣館(水族館)→ペンギン王国→アニマルアクション(アシカライブ)。

 15時15分 「マリンライブ」(イルカライブ)の会場へ。15時45分、マリンライブ開始。およそ20分余りでしたが、とても幻想的で、もう、最高の時間を味わえました。

 16時10分 イルカウォッチング。なんとこの日、ハナゴンドウ(イルカの一種)の赤ちゃん誕生という嬉しいサプライズに接する。とても感動です。

 16時35分 やや速足で、ウォーキングサファリ。

 17時05分 再び、遊園地での遊び。ハイウェイカート、ビッグアドベンチャーコースター等。

 18時20分 観覧車(オーシャンビューホイール)。およそ13分間でしたが、とても素敵な眺めを経験させて頂きました。

 18時35分 観覧車を降りて、「ナイトライブ」へ(これもGW等の繁忙期限定イベント。「ふれあいの里」屋外スペース)。気付けば一気に引きこまれる感じでしたが、帰りの最終特急の時間の関係から、泣く泣く18時56分30秒にて途中退席、ダッシュで出発ゲートへ(ショー自体は19時までありました)。

 19時 白浜アドベンチャーワールド出発。

 19時30分 白浜駅出発(くろしお34号。この日の最終特急)。

 21時33分 天王寺駅到着。

 

 

 一人の人間として、とても素敵な経験をさせて頂きました。

 子どもや動物との素敵な出会いで、生きる勇気、そして、視野を拡げ深めさせて頂いたことは勿論(特にマリンライブ、アニマルセレブレーション、ナイトライブの幻想性は、これまでには経験できなかった最高に素敵な経験でした)、特に、職員さんの、その全身全霊の、それでいて笑顔を絶やさない姿勢です。

 「仕事に対する誇り、使命感」。正直、今回の白浜一人旅を通して、このことを、強く学び考えさせられた感じなんですよね。

 

 そしてまた、自分がどのように生きたいのか、やはり、職員さん(特に何人かの若い職員さん)の姿勢に触れて、やはり自分は、誰かを(特に子どもを)笑顔にする道に、笑顔を与える道に絶対に携わりたいんだ!と強く抱く感じで。

 どれほど長期戦になろうとも、「社会貢献」に徹底的に拘りたい!この思いを、激しいほどに強く抱く、そのような一日になったように思います。

 

 そして、実は、今回、滞在8時間45分のうち、およそ半分を遊園地に充てた感じですし、遊園地にいると(特に、ハイウェイカート、パンダフルコースター等)、「童心に帰れる」ことは勿論、なんだか、「ありのままの自分」って、こういう感じなんだ、と感じさせてくれる感じで。

 「自分らしさ」についても考えさせられた、そのような一日にもなったように思います。

 

 いずれにせよ、絶対に、いつかそう遠くないうちに、是非とも改めて、白浜に行きたい!

 あの動物に、乗りものに、職員さんに、是非とも再会したい!

 それを叶えるためにも、進路本番、納得できる道を、自分が望む道を、全身全霊でつかみ取るんだ!

 そう強く抱くことは勿論、いずれにせよ、人間として学ぶことがたくさんあった、いろいろと「生きた学び」をさせて頂いた、そのような「白浜日帰り一人旅」になりました。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2013年

5月

13日

「『35歳の高校生』前半部分を見て、自分なりに感じること。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第39回のブログエントリーの論題は、「『35歳の高校生』前半部分を見て、自分なりに感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の38回目になります。そして、子ども、教育ブログエントリーの8回目、芸術、メディアブログエントリーの3回目になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 ここ2か月近く、HP更新ができていませんでした。

 理由は、自分自身、進路の問題(いよいよ本番のシーズン)に直面しており、それに向けて何かと忙しくなってしまっていまして、HP、あるいは、SNS(ツイッター、フェイスブック)に充てる時間がなかなかできなくなっている、ということが、正直あります。

 

 書きたい話題は、正直いくつもあるのです。今回、2か月近くぶりの更新をさせて頂くにあたって、どのような話題、テーマの文章を書こうか、正直考えました。

 復興について(これは進路にも密接に関係する感じでもあるのですが)、現時点で思うこととか、趣味であるスポーツ観戦にまつわること(例えば海外サッカーの今夏の移籍市場考察、あるいは野球のリリーフの酷使問題、等々)、等々、といった感じですかね。

 

 ですが、今回、取り上げようと思うテーマは、ある学園ドラマ(現在放送されている)を見ていて、そのドラマから、いま子ども、あるいは高校生を巡る諸問題について、自分なりにどう感じているのか、そういったことを考えてみようかな、と思いまして。それで、今回のブログエントリー、とさせて頂く感じです。

 

 

 ある学園ドラマ。今回のブログエントリーの論題に、既に記させて頂いている訳ですが、『35歳の高校生』というドラマです(NNN系列[日本テレビ系列]、土曜日21時)。

 

 もともと、自分は、映画やドラマ(特に連続ドラマ)は、実はあまり見ません。

 映画館に行くのは、年に1~2回あるかどうか。同じ資金で、本か映画か、であれば、基本的にほぼ毎回「本」という感じです。その方が、自分にとっては視野が広がり深まるから、というスタンスからです。

 あるいはドラマの場合、同じ時間でならば、スポーツやドキュメンタリーの方が、楽しめたり、ささやかな学びができる感じがあるからです。ドラマの場合、次の回のストーリーが気になって、それが時間を束縛させることになったり、それに気を取られて、勉強に集中できなかったり、というのが嫌だから、という感じからなんですよね。

 

 とはいえ、ドラマも娯楽の一つでありますので、見ることは見ます。ただ、連続ドラマの場合、1クールにつき、原則1つ(全く見ないクールもある。あるいは例外的に2つくらい見る場合もあるが、復興支援活動に参加させて頂くようになってからはそれさえも難しくなっている感じですが)、という感じで見る感じなんですよね。

 それが、今回は、『35歳の高校生』という感じなんですよね。

 

 

 基本的に、自分の場合、ドラマを見る一つの指標、基準として、『感じることがありそうか』というのがあります。少し頭を遣うかな、という感じ、いわば、ささやかな刺激を求めて、という感じなんですよね。

 

 勿論、自分だって、好きな役者(女優、タレントとか)は、います。

 1人に絞り込むことは、正直難しいのですが、3人挙げよといわれれば、現時点でならば、下記の3人です。

 

 「志田未来、前田亜季、南沢奈央」。

 

 これで即答です。理由を挙げると、話が長くなり、脱線するので、今回は割愛させて頂きますが。

 ただ、自分の場合、たとえ好きな女優さんが出演していようとも、見ないときは全く見ません。

 (尤も、ドラマを見る場合、自分のスケジュールとの兼ね合いの問題とかもあるので、そもそも時間的にみる可能性がノーチャンスのドラマもあったりする訳ですが。)

 

 そう、「役者(出演者)」よりも、およその「ストーリー(内容)」の方を、自分は重視する感じなんですよね。

 

 

 で、今回。このクールで、『35歳の高校生』を見よう、と思った理由。

 最大の理由は、やはりもともと子どもが大好きなので、その影響で学園ドラマを結構見るから、その延長線上、という感じでしょうか。

 それと、米倉涼子、渡哲也が学園ドラマ、というから、いわゆる「チャラチャラした」感じにはならないだろう、というのも、正直あります(学園ドラマだから無条件に見る訳ではないので。ただ、今回の場合、土曜日ということもあり、何回かは後で録画で見ることも、実はあったりするので、最後まで持つのかという不安もなくはないのですが…。汗)。

 

 

 高校生を取り上げる、ということですが、実は、いま、自分が見るテレビ番組には、高校生が登場するのが、結構あります。

 

 

 (図解1)現在自分が結構見るテレビ番組の中で、高校生が出る頻度が多い番組(ただしニュース、スポーツ番組を除く)。

 

 (1)「Rの法則」(NHKEテレ。2011年スタート、現在シーズン3。毎回ではないが、生放送の回を中心に、週に1~3回のスパンで見る。主として中高生がターゲットなのだが、現代の子どもがどのような社会に生きているのかとか、どのようなことに興味があり、感じているのかなどのリアルを知ることができて、自分自身も学ぶことが多い。)

 (2)「テストの花道」(NHKEテレ。2010年スタート、現在シーズン4。基本的にほぼ毎回見ている。学び方について学ぶ番組であり、自分自身も学ぶことが多い。ただ、今春に主力メンバーの何人かが卒業して大きくメンバーが刷新された感じがあり、過渡期の印象もあるが。)

 (3)「東北発未来塾」(NHKEテレ。2012年スタート、現在シーズン2。復興について若い世代がフィールドワークで学ぶ番組という感じであり、「国内版白熱教室」のイメージ。勿論毎回見ている、というか、自分の中では絶対的聖域的存在。基本的に、塾生は、大学生や大学院生が多いが、時折高校生が登場することもある。)

 (4)「フレフレ」(NHKEテレ。2012年スタート、現在シーズン2。志や目標に向かって生きる10代を応援する番組。必ずしも毎回ではないが、3階に2回くらいは見ている感じ。かつての「中学生日記」のテイストを踏まえた感じ。)

 

 

 まあ、4つとも、NHKEテレになってしまった感じですが、これに加えて、いまでは、高校生が主体になっている、あるいは参加している学生団体が、いくつもあります。そして実際、自分が交流させて頂いている高校生は、およそがこのうちの何らかの団体に参加している(あるいはそのOB・OG)、という感じです。

 挙げ出すときりがないので、いくつかを列挙する感じになりますが、例えば、下記のような感じですかね。

 

 

 (図解2)自分が交流させて頂いている、あるいは、存じ上げている、高校生が主体になっている学生団体(ただし、名前だけの列挙になります)。

 

 「Teen for 3.11」「ビヨンドトゥモロー」「僕らの一歩が日本を変える」「高校生環境連盟」

 「Hot Japan Project」「Team Neighbor」「Step by Step」「底上げyouth」

 「高校生が、いま出来ること」「bud」「arco-iris」「高校生一万人署名運動」等々。

 

 

 いま挙げただけでも、実に12になります。実際は勿論、もっとあります。

 それこそ現代の高校生の「熱量」「エネルギー」「バイタリティー」は、ある種底知れないものがあるような感覚なんですよね。

 

 少なくとも、自分にはない、素敵で強烈な個性の持ち主ばかりである、それが、自分が抱く率直な感じなのです。

 いま見ている番組の一つ、「Rの法則」でも、特に中心的存在として活躍するメンバーは、実い強烈な個性だよなあ、「いるだけで絵になる」感じだなあ、と感じますが、それに相通ずる感じです。

 

 

 それで、今回の、「35歳の高校生」。全部で何話構成かは存じませんが(恐らく10話くらい?)、ここまでで、第5話を消化しました。

 まあ、ドラマを見ていて、いろいろと感じることがあるので、それで、自分なりに、ブログエントリーをさせて頂こうかな、という感じですかね。

 

 

 率直に述べます。この、「35歳の高校生」、かつて自分が強い衝撃を覚えた、「女王の教室」「2005年、NNN)の再来だなあ、と。

 勿論、単純に、このアゲイン版とは思いません。小6と高3という相違点がありますし、子どもを取り巻く社会状況、時代状況も異なりますから。

 

 ですが、「強烈なメッセージ性」「ある種のセンセーショナルさ」という意味では、共通している感じがあります(書きおろしであることが成せる業かもという感じですかね)。

 ただの学園ドラマではない。どういうラストへと向かっていくのか、正直わかりませんし、「女王の教室」のような、「いい加減、目覚めなさい」のような決め台詞がある訳でもありません。

 (ただ、「女王の教室」には、いくつもの珠玉の言葉が詰まっていた感じ。全11話構成であったが、とりわけラスト3回は、自分的には「伝説」と言ってよいのでは、と思う感じです。)

 

 とはいえ、なんだか、無意識的にひきつけられていく、そして、考えさせられる、いわば「濃密な」感じなんですよね。「家政婦のミタ」とは、また違った感じで。

 

 

 本題は後の方へと持っていきます。今回の生徒役の高校生(実年齢はもう少し上である人間も少なからずいるようですが…)、特に女子の面々。自分は、正直ここに、着目してみたい感じなんですよね。

 

 

 (図解3)「35歳の高校生」、公式HP、ウィキペディア。

 (HP)http://www.ntv.co.jp/35jk/

 (ウィキペディア)http://ja.wikipedia.org/wiki/35%E6%AD%B3%E3%81%AE%E9%AB%98%E6%A0%A1%E7%94%9F

 (NAVERまとめ)http://matome.naver.jp/odai/2136127738302266901

 

 

 (図解4)「35歳の高校生」、3年A組生徒役、女子の主力メンバー。

 (名前は本名[あるいは芸名]表記。「GTO」「黒の女教師」は、それぞれ2012年放送の学園ドラマ。)

 

 [名前]   [階層] [GTO] [黒の女教師] [セブンティーン] [その他]

 広瀬アリス   3軍           ○        ○   高校サッカー(10)

 藤原令子    2軍           ○

 森川葵     2軍                    ○

 水野絵梨奈   3軍                        ダンサーとしても活動

 宮崎香蓮    1軍    ○               国民的美少女入賞、早大在学中

 新川優愛    1軍    ○               ○

 北山詩織    1軍                    ○

 小島藤子    1軍                         元ラブベリー

 

 

 上記のように、今回の生徒役の女子、過去に共演歴のある組み合わせが、少なからずあります。

 「セブンティーン」専属モデルが、主力8人中、実に4人。いずれにせよ、この8人が、役と共に、物語と共に成長して欲しい(実際、思わず、頑張れ、夢に向かえ、と心の中で何度も願う感じですし)、と強く抱くことは勿論、この8人が、このドラマで出会った「絆」を、いつまでも深め続けていって欲しいなあ(これは、「Rの法則」「テストの花道」にも相通ずることですが)、そう強く願うのです。

 

 ですが、実は、上記の8人のうち、何人かは、実は、名前を知らなかった、あるいは、名前は聞いたことがあるかなだけど、顔と一致しなかった、という感じでした。

 実際、「GTO」「黒の女教師」は、ほとんど見ていませんでしたし、「セブンティーン」をはじめとするティーンズ雑誌も、読んだことが全くといってよいほどありません(読みたいですが、機会があれば、みたいな)。

 

 例えば、藤原令子。ドラマスタート時から、何かと存在感が際立つなあ、でも、(恐らく別人だろうとわかっていても)NMBの山本彩とよく似ているなあ、と思っていました。別人とはっきりとわかったのは、第1話のキャスティングの表示が出たときです。

 ひたむきな感じなんだろうなあ、とは伝わってくるのですが、存在自体をこれまで認識できていなかったこと自体、とても申し訳ない感じで。でも、この強烈な存在感は、今後一気に「きそう」な感じだなあ、と。

 

 あるいは、森川葵。彼女については、名前すら知りませんでした(申し訳ないです)。ですが、ツイッターや掲示板とかを閲読すると、結構名前が出てくる。

 なかなか清楚だなあ、優しそうな感じで、潤滑油的存在になれそう(現実の学級の世界において考えたときに)、と好感な感じですが、「葵たん」「葵ちゃん」という書き込みがしばしば出てくるのは、「セブンティーン」の魔力なのかな、と思うと、ある種納得な感じです。

 

 まあ、このように、一つのドラマを通して、ある種の「社会勉強」をさせて頂いているような感じなんですよね。

 

 

 それはそうと、今回の「35歳の高校生」、何故、こうして今回、ブログエントリーに踏み切らせて頂いたのかと申しますと、はっきり述べれば、下記のことに、強く考えさせられるからです。

 

 「スクールカースト」。

 

 恐らく、今年の流行語の一つと言ってよいでしょう。実際、書店に行くと、『スクールカースト』(鈴木翔さん。若き教育社会学者)という本が、ベストセラースペースの一つに、陳列されてありますから。

 

 

 「1軍」「2軍」「3軍」。

 こういう言い方は、自分の中高生時代は、まだなかったですが、感覚的に、そのようなものは、自分のときには既にありました。そして、年を追うごとにより一層顕著に、エスカレートの傾向の度合いを強めている、という感じなのでしょう。

 

 以前にも言及したことがあったかもしれませんが、自分は、小中高を通して、「いじめ」に少なからず苦しみ続けてきました。「2つの震災」(阪神淡路、東日本)と共に、「いじめ」も、自分自身を規定すること、と言っても過言ではないと思います。

 ずっと、とまで言わなくとも、それに近いくらい、「いじめられっ子」であることを余儀なくされてきた自分としては、「1軍」でいられたのは、恐らくどれほどあったかなあ、という感じなんですよね。

 

 

 思い起こすのが、高校時代です。

 自分は、中高一貫校であったのですが(ちなみに男子校です)、高校2年生になったときの自分の所属クラスは、自他共に認める、「学年一の落ちこぼれクラス」でした。

 何故自分がそのクラスになったのかといえば、特に数学で赤点を複数回やらかすほど散々で(未だに、ベクトルとか図形の証明とかは、日本語というよりは、外国語的な感覚を抱くくらい全く駄目です)、まあ、学業的には勿論、その中には、人間性的に、いわゆる「問題児」が何人も混じっている、それが容易に想像できる面々が揃ってしまった感じでした。

 

 で、案の定、「学級崩壊」状態になるのに時間はかからずでして、自分はこの高2のとき、これもやはり、「いじめ」の標的になりました。実に陰湿でした(あまりに悲しくなるので、深入りはしませんが…)。

 勿論、その学級内では、「2軍」あるいは「3軍」の立場。というか、初めから立場は期待できなかった感じなのです。まあ、懇意にさせて頂いている先生が何人かいましたから、それでどうにかなってはいましたが、学校での居場所は、どうにかあったかな、という程度でした(だからこそ、特に絶対的得意教科である日本史の存在が大きかった訳ですが)。

 

 

 そこで、自分が「居場所」を求めたのが、予備校です。自分が通うようになった予備校は、いわゆる地域密着、生徒と先生の距離の近さ(基本的に、1クラス40~70人程度。そして完全座席指定制)です。まあ、自分の所属校舎は、これに加えて、所属生徒のおよそ70%以上が、私国立の中高一貫校の生徒であった感じですが。

 既に「私立文系」で確定していましたから、居場所を求めるのは、英語、国語の時間になる。感想、質問カードで、気持ちや思い、疑問をストレートにぶつけるなり、ちょっとしたことでもわからないことがあれば容赦なく質問攻め。

 そして、どうも自分は、「甘えん坊」的な気質があるのか、何故かこの予備校でも、事務職員さんに気に入って頂けたようで、それも、「居場所確保」に一役買った感じです。

 

 いわば、予備校では、クラス内部での、あるいは校舎内部での居場所(自習室でもそれなりの座席をゲットできる機会が結構ありましたし)を確立できましたし、ですから、それなりの居心地は確保できた感じであるのです。

 尤も、高3の夏以後、手のひらを返したように、志望校別クラスの内部で、いじめの標的になってしまい(実に巧妙で、精神的にじわじわと締め付けられる感じ。言葉によるものが主であったが、結果としてこれが自分のメンタルをつぶすことになっていった感じです)、悔いの残る結果へとなって行く訳ですが(汗)。

 

 

 尤も、こういう経験もあります。それが、小5、小6のときです。

 小5のとき。厳密には、小4の3学期から転校、となったのですが、転校早々に、「阪神淡路大震災」が発生しまして、即刻疎開を余儀なくされた。疎開生活から帰ったら、新学年の始業式。ですから、小5のときは、事実上、「転校生扱い」からのスタートでした。

 

 転校と言っても、同じ市内の隣の学校からの転校であったのですが、正直最初は不安でした。先生方の支えが、自分にとって、とても有難い感じでしたが。

 ただ、学級が一つになっていく過程で、いまにして思えば、小5、小6と、2年間続けてが旧委員を務めた級友の女子の存在が、大きかったかな、と思っているのです。

 

 自分の通っていた小学校は、地域としては、わりと教育レベルの高い小学校でした(ただし、学校そのものが、特色ある教育に励んでいた訳ではない)。

 で、自分の学年(学級)の場合、「知性系男子」「体力系男子」「女王様系女子」「おっとり系女子」、大きく分けて、4つのグループがあった感じで。

 誰が、どのグループが1軍、と明確な区別があった訳ではないですが(影響力のある人間が1軍、という意味では、何人かいたなあ、という感じですし、自分はその意味では、結構去就はしていたので、2軍くらいの立場は確保していた感じ)、その学級委員の女子は、「カリスマ性」に長けている訳ではありませんでした。

 

 確かに、学級委員に立候補する際、彼女が真っ先に、意を決するかの如く、「私にやらせて下さい」と挙手、スピーチするのです。でも、普段は必ずしも目立つ訳ではありませんでした(授業中の去就は割と多いが、トップ5以内という訳ではない。体力的には、「中の下」という感じ。どちらかといえば、「おっとり」「優しい」が取り柄の感じ)。

 ですが、学級で何かを話し合う、決めていく際において、結構自分が所属していた学級は、個性が強い級友が(自分も含めて)多くいましたから、よくいえば「白熱」、悪くいえば「紛糾」になりやすいのです。特に小6のときは、2日に1回のペースで、とある級友の女子と(学級委員の女子とは別の人間。ただ、存在感自体は、学級委員の女子以上の強烈な感じがあったし、頭の回転の速さも、そしてスポーツもよくできて、実に羨ましい感じでもありましたが)、終わりの会を中心に、(今に思えば些細なことですが)口論連発、という感じで(尤も、卒業間際に、じっくり御互いに話してみたところ、まあ、御互いに、先生に「自分をわかって欲しい」が故であった感じであったのですが)。

 

 でも、学級が苦しいときにこそ、その学級委員の彼女は、確かにAも一理あるけど、Bの方がこうだからよりいいと思う、というように、御互いを尊重しつつも、やんわりと自分の意見を的確に伝えられる感じで、学級全体が、彼女がそういうのだから、そうしよう、と不思議と一つになれるのです。

 先述の、ある女子との口論の際も、仲裁に入ることが多い感じでしたし、「目立ちたい」という意識は、不思議なくらい全くないんですよね、彼女は。「一人一人が輝ける学級をつくる一助になりたい」、それがひしひしと伝わる感じで。そして、学級も、年度が終わるときには、すっかり一つに、結束力の強い感じになっていましたから(だから、些細な喧嘩はしばしばでも、「いじめ」に発展するには至らなかった感じです)。

 

 で、その彼女。卒業文集に記した将来の夢が、「小学校の先生」でした。いまはどうしているのか、連絡をとっていないので、残念ながら存じませんが、彼女ならば、教育者にふさわしい資質能力の持ち主になっているはずだろうなあ、と感じるんですよね(いつかお会いできる機会があればなあ、と思ったりしますが)。

 

 

 ここに示したのは、あくまでも自分の経験からです。ですが、特に、この2年近くでの(つまり、東日本大震災の「復興支援活動」を通してでの)、自分が出会った仲間は、正直、「1軍」に該当し得る面々が、ずらりと並ぶ感じなんだろうなあ、と思うんですよね(勿論、そうではないかな、という人間も、いるにはいるでしょうけど)。

 例えば、「東北発未来塾」で印象に残る人間。そのうち何人かは、東北の学生団体の主宰者(トップ、あるいは総帥)の立場(あるいはそれに準ずる)を務めている。ああ、なるほど、納得、という感じなんですよね。画面越しに強烈な個性が伝わってきますし。

 

 では、自分はといえば、どうですかねえ。まあ、御世辞にも、「1軍」とはいい難いでしょう(苦笑)。でも、自分ができることを全力を尽くす、という感じですかね。

 

 

 それはそうと、自分の子ども時代以上に、いわゆる「スクールカースト」(実際、そういう言葉、概念が成立するに至ったことに照らして考えても)が顕在化、陰湿化している、ということ。

 確かに、いまの子どもは、自分の子ども時代に比して、チャレンジできる機会(あるいは選択肢)が増えた、志望校に手が届く可能性が高まった(ただし悪しき入試システムは大きくは変わっていない。少子化によるところが大きいし、AO等の推薦制度の充実というか、数字では測りづらいところにも光を充て得る入試システムへの変革を推進すべきと思いますが)、とは思いますが、その一方で、「ネットいじめ」「学校裏サイト」に象徴されるように、より「生きづらくなっている」感じも、また否めないのかな、とも感じるのです。

 

 

 どうすれば、「スクールカースト」を打破できるのか。どうすれば、「いじめ」を根絶へと近づけられるのか。自分自身、「いじめ」は、とりわけ、一人の人間として、ずっと向き合い続けたいテーマですし、生きている間に、根絶を実現するためにできることを、そう強く抱く感じとしてあります。

 答えは一つではないかもしれません。いやむしろ、模索が続く感じかもしれません。

 それに、現在の教育システムでは限界にあるのではないかということも、恐らく一理あるでしょう。結局、システムにメスを入れないと、抜本的改善は難しいかもしれない、と思うことも、正直あります(1学級あたりの人数を、25人~30人程度に絞り込む、受験システムを、より意欲や発想力等を重視する感じに変革する、教科を教えず、生徒指導、教育相談に特化した教員を採用、配置できるようにする、等々)。

 

 

 ですが、現在の教育システムの中でも、「スクールカースト」打破のために、できることはあるように思うのです。それは何か。

 

 「違いを認め合う」「本音で向き合う」「ぶつかり合いを厭わない」「御互いを尊重する」。

 

 結局、これに尽きるのではないか。自分は、そのように思うのです。

 これは、この2年近くでの出会いを通して、ということによるところが大きいです。違いを認め合える仲間に出会えたからこそ、自分を信じることができる、「自尊感情」がより一層育まれた感じですから。

 

 で、この、「違いを認め合う」。一つ、興味深いことがあります。

 先日、「Rの法則」において、「女子高校生版辞書」(2013年5月1日)というのが放送されていましたが、その一つに、「いじめ」が取り上げられていました。

 そこでは、「いじめ」の定義を、下記のように示しています。

 

 

 (図解5)「Rの法則 女子高校生版辞書」における、「いじめ」の定義。

 

 「一人では、何もできない人がやること。そして、絶対になくならないこと。」

 

 

 「絶対になくならない」。こういってしまうと、なんだか、とても悲しくなります。

 ただ、「相手がいじめられていると想像できない限り、いじめは絶対になくならない。」ということも、ある種一理あるのかも、と思うのです。

 

 そう。「人間の心の悲しみ」がわからない、想像できない、だから「いじめ」が誘発される、ということ。

 そして、「いじめ」は、自分の経験に照らして考えると、「異質な存在を、あるいは、自分にとって邪魔な存在を排除すること。」という感じなんですよね。例えば、予備校時代(高3のときになる訳ですが)のいじめは、合格の枠が限られており、自分とその彼女(及びそのグループ)は、成績(偏差値)のレベルが、さほど変わらなかったので、というのが、正直ありますから。

 

 なんというか、自分と異なる考え、世界に触れる経験をさせてあげること、そういう機会を持たせること、それなくして、子どもの「心の引き出し」を増やし深めることとか、あるいは、学級を一つにすることは、難しくなってきているのではないか、と感じるのです。

 勿論、教員が子どもと対話する、触れ合う機会を積極的に持つことは、言わずもがなである訳ですが。

 

 

 いずれにせよ、学級の、学校の主人公は、「子ども」であると思うのです。

 一人一人それぞれの子どもが、光り輝ける学校の実現。それこそが、「スクールカースト」の克服へと、近づけていくことになるのではないか、と思いつつも、いろいろと考えさせられる、それが、現時点で、『35歳の高校生』を見て、自分が考えさせられることです。

 

 

 末文において、この、『35歳の高校生』の公式HP内にある、掲示板スペース。

 10代や20代からの、心に響く言葉、文章が、いくつも詰まっています。これについて、ある種自戒の念をも籠めて、いくつか引用させて頂いて、それを以て、今回の文章の結びとさせて頂こうと思います。

 

 

 (図解6)『35歳の高校生』公式掲示板より、自分(愛球人)が心に響く言葉、文章(原則として原文のまま)。

 

 (1)ももさん(20歳代女子。2013年5月12日)。

 「子どもが真似する、とか放送辞めろ、とかコメント書いてる人がちらほらいますけど・・・。

このドラマは世の中に対して色んな問題提起をしているんだと思います。それが狙いで作っているんだと私は思いました。
だって、どの話を見てても、いじめている人たちがいかにバカバカしくて滑稽か、わかるじゃないですか?

子どもが真似するからやめろ!!…と叫ぶだけじゃなくて、子どもと一緒に観て、どう思う?自分だったらどうする?って家族で話し合う場を設けたらいいのでは?
いじめって人として最低だし、かっこ悪いって子どもに気づかせるのが親の役目なんでは?
ドラマを流さなくても流しても、学校でイジメが起こっていることは事実です。

このドラマが、イジメについて考える・気づくきっかけになって、バカバカしいイジメが少しでもなくなればいいと私は思います。」

 

 

 (2)ジャスミンさん(10歳代女子。2013年5月12日)。

 「この間を高校を卒業しました。
私の高校でははっきりとしたスクールカーストはなかったけどやっぱ生徒間での力関係はあったな。
下だからといっていじめとかはなかっかし、何から何まで上の言いなりってことはなかったな。自分の意見いいたければ言えたし。
ちなみに私は下でしたよ。
国木田高校はドラマだから少し極端だと思うけどやっぱ似たような高校はあるんだろうな。
けどこのドラマを見て高校に不安を持っている人、大丈夫ですよ。全ての高校のこうじゃありませんから。
ってこんな注意書きいりませんよね(笑)
みんなそのくらい分かってますよね。
ストーリーもinterestingだし、考えさせられるし、いい作品だと思いますよ、私は。

あと、このドラマがいじめを助長すると批難してる方へ
確かに影響を受ける子供もいると思いますが、問題になるほど影響される子はいないだろうし、大多数の子は、真似しようなんて思わないと思いますよ。もっと子供を信用してください。子供だって決してやってはいけないと分かってますから。いじめをする子はいじめを取り上げたドラマを見ようが見まいがすると思います。
特に子供に悪影響を与えるから放送するなとおっしゃってる方。娯楽作品との距離の取り方は保護者が教えるべき問題です。それをテレビ局に求めるのは保護者としての責任を放置してるということではないでしょうか?テレビだけでなく本や漫画だったとしても同じです。
心配なら悪い影響を受けないように教えればいいんですよ。
それに、たとえいかなる低俗、劣悪な表現であっても人は自分の目で判断する権利を持っているんです。放送禁止なんて知る権利の妨害以外の何ものでもないと思いますよ。
こういうドラマが好きになれないのも個人の自由です。そういう人は見なければいいんです。
私はこの番組が気にくわないから放送するななんて人は視聴者じゃなくてただのクレーマーです。
これらはもともと私の言葉でないものもあります。ある本から引用させていただきました。激しく同感だったので。(人気作家の本なのでどの本か分かる人には分かると思います。)

次回の放送も楽しみにしてます。長文失礼しました。」

 

 

 (3)メイさん(10歳代女子。2013年5月5日)。

 「『35歳の高校生』が子供たちに悪影響を与えると言う人がいますが、実際の今のイジメを親や教師に理解してもらうためにもこういったドラマは必要だと思います。

昔はどうだったか分かりませんが、今のイジメは本当に辛いんです。誰にも言えないんです。
ドラマでも言っていたように「イジメがもっと酷くなる」という理由もありますが、「相談しても何も変わらない」と思っている人もたくさんいると思います。
どんなに大人や周りの人が注意しても、イジメている本人たちの考え方を変えなければイジメをなくすのは不可能です。
ただ注意するだけではダメなんです。
今のイジメは複雑なんです。そうゆうことをよく理解してもらうためにも『35歳の高校生』はたくさんの人が観るべきだと思います。
そして、このドラマを観て、少しでも馬場ちゃんのような正しい考えを持った人が増え、いつかこの世の中が「イジメゼロ!!」になることを願っています。」

 

 

 (4)saraさん(10歳代女子。2013年5月4日)。

 「私は帰国子女で6年生の時に日本に帰ってきて地元の小学校に通っていました。私は小学6年生の時にいじめを受けました。担任の先生も生徒から迫害を受けていました。今日の放送を観てドラマほどではありませんでしたが当時のことを思い出しました。
中学に上がる際に帰国子女を受け入れてくれる中学校に行かせたいと副校長に父が相談していたそうです。ですが副校長は他の中学へ通わせることは教師として負けたことになるのでそれはやめていただきたいと言ったそうです。私はこれを聞いてこのドラマと似ているなと思いました。結局教師も人間ですから生徒の事ではなく自分の身が一番大切なのではないのかと。生徒を大切にする教師もいますがこういった事があるのも事実です。
だからこのドラマをとおして今の学校の現状がよい方向にいってくれたらなと思います。」

 

 

 長くなるので、ここまでにしますが、ラストをどう描くのか、一人の人間として、楽しみにさせて頂きたいことは勿論ですが、進路に直面している立場としても、自分が、子どものためにできることについて、改めて深く考えさせられる感じですので、こうして、ブログエントリーをさせて頂く感じです。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2013年

3月

20日

「野球日本代表、2013年春、WBC第4回大会の覇権奪還のために大切なことの一考察(その5。第4回WBCでの覇権奪還の実現のための具体的処方箋)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第38回のブログエントリーの論題は、「野球日本代表、2013年WBCにおける敗因総括分析、及び、今後のWBCの覇権奪還のために大切なことにおける、現時点で感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の37回目になります。そして、NPBブログエントリーの5回目、野球日本代表ブログエントリーの3回目になります。 

 

 では、(その4)の続きから、考察を始めます。

 

 

 「選手選考」「統一球」「NPBの機能不全性(ビジョンの稚拙性)」、この3つのために敗北した、ということを、ここまで述べてきました。

 しかし、下記のことをも、正直強く抱くのです。

 

 

 「他国のレベルアップ。他国が日本に追い付いてきた。もう、ほとんどの参加国と日本との差は、さほどないと考えねばならない。」

 

 

 正直、今回のWBC。日本は4強でしたが、他の野球有力国、つまり、米国、キューバ、韓国は、2次Rまでに敗退となりました(韓国に至っては1次R敗退。正直、一人の野球ファンとしては、とてもショックでした)。

 これは実に衝撃です。しかし、その一方で、野球途上国と目されてきた国の躍進が目立った大会ともいえます。

 

 プエルトリコは準優勝(もともと地力があったとはいえ、選手層が決して分厚くなかった意味では特筆に値する)。台湾は2次R敗退でしたが、韓国、日本と互角の戦いぶりでした。ブラジルは、1次R3戦全敗と、結果自体は不本意だったかもしれませんが、内容は、試合終盤まで競った展開の連続であり、日本やキューバとの力の差は、さほどなかったといえるでしょう(大砲の不在はやむなしかもとはいえ、守備やつなぎの打撃は世界に通用し得ることは証明した。あとは投手陣の層を厚くできれば、第4回大会において、2次R、あるいは4強に名を連ねても何ら不思議ではない)。

 そして欧州勢。オランダは4強(韓国、キューバを撃破して、日本、ドミニカとも互角の戦いを展開した)。イタリアは2次R敗退でしたが、試合終盤まで競った展開の連続であり、打撃は世界に通用し得ることを証明したと思います。ここも課題ははっきりしていて、投手層の強化と守備の強化ができれば、4強に手が届き得るのでは、という段階まできているかな、と思うのです。

 

 「野球の裾野を拡げる」ことこそ、WBCの最大の存在意義と感じる訳であり、その意味で、プエルトリコの準優勝、欧州勢の躍進、ブラジルの健闘(結果は不本意だったかもしれないが、内容は決して悲観する必要はない)は、それだけでも、興行的にも、中長期的ビジョンの観点でも、「大成功」といえると思います。

 そりゃあ、正直、日本に3連覇して欲しかったです。3連覇が叶えば、日本野球が世界に誇れる一つのスタイルをまざまざと世界に見せつけることができますし、そして、第4回大会以後の開催方法(決勝ラウンドの日本開催の実現は勿論、開催時期の見直し、開催方式のさらなる改善等を、日本主導で進めることが可能になるので)にも、よりプラスに、ポジティブに進めることが可能になるはず、と考えたからです。

 

 ですが、日本が4強に終わり、韓国、キューバ、米国をも早期敗退になったのは、有力国と途上国の間に差がなくなっていることを示している訳であり、途上国は「可能性」を証明して、有力国は「危機感」を否応でも実感せざるを得なくなり、「ビジョンの再構築」を自ずと求められることになる。その意味では、日本は、ある種、「負けてよかった」のかもしれない、と正直思うのです。

 

 

 日本がプエルトリコに敗北したことも、勿論、日本が「統一球」「選手選考」で自壊したことの帰結でもありますが、正直、純粋に、プエルトリコの「勝利への執念」が凄まじかった、とりわけ、正捕手にしてチームリーダーの、ヤディアー・モリーナの「野球IQ」が超人的だった(配球術の卓越ぶり、投手のテンポを局面に応じて変化を付ける、内外野の細かい守備位置まで的確に指示できる視野の広さ、等々)。自チームを責める、というよりは、プエルトリコにこそ称賛して然るべきである、恐れ入りました、ということに他ならない、という感じです。

 

 それに、仮に日本がプエルトリコに勝てていたとしても、正直、ドミニカに勝てたかといえば、「うーん、どうだろうか。」というのが、正直なところでしょう。

 尤も、ドミニカも、必ずしも「最強メンバー」とはいえなかったかもしれません(自慢の打撃陣だけでも、プホルス、ベルトレ、オルティス、バティスタ、C・ゴメス等が不参加であった)。ですが、特に、主力打者(カノー、レイエス、H・ラミレス、エンカーナシオン、クルーズ等)は、それだけでも充分過ぎる破壊力でした(しかも一人一人が「フォアザチーム」に徹しており、その上とても底抜けに明るい。これでは打ち負かすのはそうはできない)。

 「これが世界だ。」正直、そう認識せざるを得ないのかもしれません。

 

 

 何よりも衝撃は(正直、喜ばしいことでもあるのですが)、プエルトリコ、オランダ、イタリア、ブラジル、いずれのチームも、度合いは別として、ベースになっているのは、日本の「野球」をもとにスタイル、戦術が構築されている、ということです(ドミニカについても、時として、「野球」のエッセンスを取り入れている局面があったように映る)。

 これは、日本の「野球」が、一つの有効なスタイルとして認識されていることを意味しているといえるでしょう。ですが、それと共に、「野球」が「野球」に敗北した(米国やドミニカのような「ベースボール」に敗北したならばともかくかもですが)、この現実も認識する必要があるでしょう。

 

 

 何よりも強く考えさせられるのは、「準備」を入念に積んできた、というか、「地道な努力」を積み上げたことを立証しつつあるチームが、いくつもある現実、それに日本は追いつかれ、このままいくとやばいかも、という状況に、あっという間になっている、ということです。

 

 何を以て「準備」「地道な努力」といえるのか、簡単に説明できる感じではないですし、どのくらいの時間や労力をつぎ込んできたのかも、あらゆる事情や環境等に左右されますから、一概には言えないのですが、少なくとも、例えば、オランダ、イタリアといった欧州勢は、4年の時間を最大限に使って準備してきたことが伝わってきました。例えばイタリアは、マイク・ピアザ(元メッツ等。かつて世界を代表する強打の捕手として活躍した)さんが、事実上のヘッド兼打撃コーチとして打撃陣をまとめ、有志レベルとはいえ、オフシーズンは入念に合宿を積み重ねてきたと伺います(オランダも似たような感じだとか)。

 台湾も然りで、今回は予選からの出場を余儀なくされましたし、国内リーグも、八百長問題等のスキャンダルもあって、4チームと小規模ではありますが、それを逆手にとって、代表活動の期間を多くとってきたと伺う。例えば、2010年アジア大会でも、ほぼフルメンバー(勿論オールプロ)で参加していましたし、最後は地力の差が出ましたが、地道な努力、そして自分たちの野球の方向性が間違っていないことを示した、悲観することはない、と強く思います。

 

 

 そして、プエルトリコ、ドミニカ。例えばプエルトリコは、少なくとも1年前の時点で、他国の有力選手のビデオを取り寄せて(1年前になれば、主力数人の顔触れはわかってくるでしょうから)、選手の「癖」を研究してきていたのだとか。準決勝の日本戦において、「弱点を徹底的に突くリードをしていますね。」という解説があったと記憶しますが、なるほど、そう考えると、苦戦の納得が付くのです。

 

 で、ドミニカ。確かに、数人のスター選手(プホルス、オルティス、ベルトレ、バティスタ、C・ゴメス等)が不参加でした。一見すると、迫力不足になりやするまいか、と映るかもしれません。

 ですが、結果的には、「完全優勝」という結果になった。そう考えると、いやむしろ、「代表愛」と「フォアザチーム」を具現化し得る選手のみを集めた、その帰結なのかもしれません。確かに、カノー、レイエス、H・ラミレス、クルーズ、いずれも、09年WBCのメンバーでありましたし。

 

 というか、レイエスやカノーの底抜けな明るさ、極めつけは、優勝が決まったとき、ロドニー(絶対的守護神)が、いつものように「どうだ!」という決めポーズをとって、そこから程よく喜んで、そしてプエルトリコと御互い全員で健闘を称え合い握手、抱擁、そして、トロフィーをもらって喜びを爆発(ちなみに、ロドニーを中心に喜ぶ際、いつも何故かバナナあり。恐らくロドニーの大好物。優勝が決まったときは、バナナが国旗になっていましたが)。

 もう、最高すぎる、という感じですが、「一体感」を強く感じるんですよね。そして、「いつだって全力」なんだけど、それでいて「楽しく」プレーしている。

 

 野球って、こんなに素晴らしいんだ、それを、ドミニカやプエルトリコの選手は、体現していたように映るんですよね。それを、日本は(我々ファンをも含めて)、どこかで見失ってはいなかったか、と。

 

 

 話を少し戻すと、他国は、「自分たちの野球」を見つめ直し、弱点を補いつつ持ち味を伸ばし(ドミニカは打撃、プエルトリコは一球への執念)、そしてライバル国(有力国という表現がより適切かもしれない。完全に日本は研究されている印象を覚えた)を徹底的に研究する。

 少なくとも、1年前くらいから他国は準備を進めてきた。そして、日本の野球のエッセンスを、なりふり構わず取り入れてきた。ドミニカも、プエルトリコも、きめ細かい継投で的を絞らせず、いわば、日本がやりたい野球をやられてしまった感じがするんですよね。

 

 しかも日本の場合、統一球で打者の自信をおかしくするわ(そしてWBC球と実は似て非なるものであっただわ)、2010年アジア大会をオールアマで参加だなんて対応をするわ(この時点で、正直「やる気あるのか」と思った)、果てには、選手会が平気で不参加を辞さないと言い出すわ(プロ意識を疑う。繰り返すが、引退勧告くらいの厳しい処分をちらつかせるべきだった。選手会もコミッショナーも御互いに、ビジョンの稚拙性を認めざるを得ない感じ)。

 これでは勝てません。恐らく、他国の主力選手のビデオ分析も、まともにできていなかった、と考えざるを得ないでしょう。代表の常設化も、もっと早くにやるべきであった訳で(だから、アジア大会が事実上不参加同然なんていうことがまかり通る。近隣諸国に対して極めて失礼)、結局、どこかで「慢心」があったことが、否めないように思うのです。

 

 

 これでも、日本は、米国よりは、ましかもしれません。

 というのも、米国は、「本気が伝わらない」とよく言われますが、自分は、そういう問題とは違うと思うんだよなあ、という感じなんですよね。

 なんというか、「一体感」が伝わらないんですよ、米国代表には。確かに、個々で言えば、ライト、ロリンズ、ブラウンのように、「代表愛」「祖国への誇り」がひしひしと伝わる選手は、少なからずいます。

 

 ですが、あれじゃ米国は勝てないよ、と思うのは、「本来の役割でなきゃいやだ」というオーラが、あまりにも伝わってきてしまっていることです。

 下位打線や代打なんて嫌だは、まだましで、中継ぎなんて嫌だ(普段は先発または抑え)、本来と異なる守備位置は嫌だ(テシェイラの代役がホスマーというのが象徴的。代役を一塁手本職に拘る必要はなかったはず。何のためにゾブリスト、ブルームクイストを組み込んだのか、中途半端だった)。これでは「チーム」になりようがない、と。

 そこで、仮に、CCサバシア、バーランダー、ストラスバーグ、フィルダーを組み込んだところで、問題の解決にはならないと思います。個の力である程度は押し切れても、優勝の栄光には恐らく届かないだろうなあ、と。

 

 何故NBAのスター選手を集めた男子バスケ米国代表が、あれほどまでに強いのか。単純な個の力のみならず、それを「チーム」に還元し、そして「チーム」の中で自分にできること、すべきことを的確に把握し遂行できるから、そういう選手ばかりで固められているから、ということなんですよね。

 それが、野球米国代表にはない。最たるものが、投手陣における中継ぎの多さ。救援投手を多く配することは、自分も共感できますが、抑え経験者をもっと積極的に置かないと、「怖さ」を相手に植え付けることは、正直厳しいでしょう。

 根本的な発想を変えない限り、このままでは第4回大会でも、同じことを繰り返しかねないと思うのです。

 

 

 その点、日本は、例えば、松田の9番起用、鳥谷の二塁手(あるは三塁手)起用、杉内や涌井の中継ぎ起用でも、さしたる破綻は起こさない、むしろプラスにさえなる。これは、ある種メンタリティーの差かもしれません。

 さすがに自分が指揮官ならば、松田の9番起用はもったいないと思いますが、これも一つの方法といえば、ありかなとは思います。

 

 ただ、日本には、何かが決定的に欠けていた。だから負けたのかな、という感じがするのです。それは、「選手選考」「統一球」だけでは、説明しきれない「何か」が。

 

 

 そう。まず、「絶対的チームリーダー」の存在。

 ドミニカには、カノー、レイエスが(プレーしていないときでも、ベンチから思い切り盛り上げていた。出塁時には喜びを、それこそ過剰なくらいに爆発させる感じでしたし、むしろ好感)、プエルトリコには、Y・モリーナ、ベルトランがいた。

 あるいは、オランダならばA・ジョーンズ、台湾ならば彭政閔がいた。

 

 それが日本にいただろうか。残念ながら、阿部は、「カリスマ不足」であったことが否めない(イチロー、松中、宮本と比べること自体酷かもですが…)。その意味では、MLB組がいたら、という意味では、青木がいれば、ということでならば、なるほどそうかもしれません。

 尤も、これについては、第4回大会に向けてならば、さほど悲観していません。だって、内川、松田がいるのですから(現に今回も思い切り盛り上げ役を担ってくれていましたし。それに、今回の終わり方の悔しさは、むしろ今後の野球人生の大きな財産になり得ると思いますので、自分は前向きにとらえています)。

 

 

 第二に、「正捕手育成」。

 これも、プエルトリコはY・モリーナ、ドミニカはサンタナがいました。

 阿部も有能な捕手ではありますが、これはあくまでも、打撃を加味しての話。残念ながら、配球術は、世界と少なからず差があったことが否めません。そして年齢的に恐らく4年後は代表にはいない。

 

 幸い、若い捕手の有望株は、何人かいます(勿論、炭谷、嶋にも奮起してもらいたいが)。

 高城(横浜)、伊藤光(オリックス)、田村(光星学院→千葉ロッテ)、森(大阪桐蔭3年)。

 この4人を、それこそ日本球界挙げて競わせる、育て上げる。ダイヤの原石は、やはり大きく育てねばなりません。そして各球団にも、大きく育て、温かく見守る姿勢を持って欲しいなあ、と(結果を急がないこと。例えば谷繁も、いまでこそ日本有数の捕手で大ベテランだが、若いときはなかなか結果が出ず苦心した)。

 

 捕手の重要性は、国内リーグの傾向でも、顕著なまでに出ています。その意味でも、若くて有望な捕手を、この選手と決めたら、結果が出なくても徹底的に育てる(石の上にも3年、を肝に銘ずるべき)。「急いては事をし損じる」、ということが問われているのかもしれません。

 

 

 第三に、「絶対的抑え」。

 これは、球児の不参加というエクスキューズは確かにありましたが、今回の選手選考では、明らかに、「抑え経験者」を積極的に組み込む姿勢が希薄であったことが否めません(涌井、森福の2人のみ。経験者まで拡げても、牧田を含めて3人)。

 山口俊、青山、武田久。何故、せめて候補合宿に召集しなかったのか。結果を出している抑えは、総じて精神力が強い。まあ、浅尾を守護神にしよう、という時点で、「抑えの重要性」への認識が希薄であったといわざるを得ない訳で、その時点で負けていたのかもしれませんが。

 

 他国ならば、ドミニカはロドニー、プエルトリコはH・カブレラ、台湾は陳鴻文、韓国は呉昇恒。それぞれ、「絶対的抑え」がいた。

 確かに、日本も、牧田で固定は出来ましたが、残念ながら、(結果は出ましたけど)迫力不足が否めませんでした。

 

 「絶対的抑え」の確立がなぜ重要かといえば、「この投手につなげれば、絶対に何とかしてくれる。」と、「チームを一つにする」効果があるからです。これも、日本球界として、球児が参加できないときのリスクヘッジの意識の不足を露呈した帰結、といわざるを得ないでしょう。

 

 

 そして第四に、「大砲の育成」。

 「つなぐ野球」が、日本野球の神髄であり、それが魅力である訳ですが、それはやはり、「軸」がいてなんぼでもあるのです。これもやはり、おかわりの不在が、最後までもろに出てしまった。

 

 勿論、中田翔、T岡田の育成の重要性は言わずもがなですが(第4回大会では、この2人、そして坂本で、中軸を構成できることが理想)、どの球団においても、特に若い大砲候補を、積極的に起用して、大きく育てて欲しい。

 本塁打か三振かでも、自分は別にかまわないと思います。そういう選手が1人くらい、いてもいいじゃない、と。失敗を恐れず、長所を伸ばす。いまこそ、それが問われているように思うんですよね。

 

 

 では、上記のことを踏まえて、末文に、第4回WBCに向けた、望ましい強化方針を、下記に示したいと思います。

 

 

 (図解16)愛球人が考える、野球日本代表、第4回WBCに向けた望ましい強化方針。

 

 (1)日程面。 

 [1]2013年秋(カリブ遠征。ドミニカ、プエルトリコ、キューバとの強化試合を行う[できれば3か国のいずれとも対戦が理想。少なくとも、2カ国以上とは対戦して欲しい]。)

 [2]2014年秋(アジア大会に参加。勿論オールプロ、そして基本的にフルメンバーで。何らかのテーマを決めて、内容を重視して欲しい。勿論優勝して欲しいが。)

 [3]2015年秋(プレミア12。自国開催だが、内容重視で。強化したい分野の選手で固める、やや偏りのある布陣を意識的に編成するのも一案かもしれない。)

 [4]2016年秋(ワールドグランプリ[仮称]を自国開催で新設。日本、韓国、台湾、オランダ、イタリア、ドミニカ、プエルトリコ、キューバの8カ国で総当たり形式で開催。ここで、他国の情報収集をしつつ、その時点での国内組フルメンバーで勝負して、どこまでやれるかを見定める。MLB組召集は、このときの結果と内容で判断すればよい。)

 [5]直前期(開催時期によるが、現行のままならば、候補合宿を、35人~40人程度の枠で招集する。勿論、故障者や不調者のリスクヘッジの意図もある。そして本大会へ。)

 

 (2)運営面。

 [6]代表監督、コーチ陣、コミッショナー、12球団監督、12球団オーナーが一堂に会して、野球(勿論、主として代表に関係することについて)そのものに関することで議論、意見交換し合える機会を、1月下旬(キャンプ直前)、7月下旬(オールスターウィーク)、11月上旬(日本シリーズ終了後)の、年3回開催する。

 [7]名球界参加要件の緩和(200勝、200S、2000奪三振、2000安打、400歩塁だ、400盗塁の、いずれか1つ以上を達成すれば名球界に入れるようにする)。

 [8]移籍市場の活性化(これについてはじっくり議論すべきと考えるが、海外FAを、一定の成績を課す一方で、国内FAや複数年契約、トレードを活性化する仕組みを構築すべきと考える[移籍市場のモデルはNBA。そこからアレンジがベターかと])。

 

 (3)指揮官人事。

 [9]自分が考える、大4回WBCに向けた、日本代表指導者陣容。

 (監督)古田敦也(元ヤクルト監督。アマ時代から代表の重みを熟知しており、戦術に明るく、特にバッテリー主体の野球の組み立てにはうってつけと考えるから。)

 (ヘッド兼作戦兼野手総合)西村徳文(元千葉ロッテ監督。人心掌握術に優れ、長く2軍監督やヘッドコーチの経験をしてきたことから、参謀役の心得を熟知しているから。また、短期決戦での用兵術に明るく[2010年日本シリーズ優勝]、快足選手であったことから、機動力、守備力重視の野球を植え付ける意味で適任と考えるから。)

 (投手総合)桑田真澄(元巨人。卓越する野球理論、大舞台での心得を熟知していること、及び、多彩な変化球を投げ分ける投手であったので、投球術の極意やコンディショニングを熟知することを買って。)

 (投手ブルペン担当)佐々木主浩(元横浜。抑えの極意を知り尽くすことは勿論、4年間のMLB経験があるので、異国での環境への適応をどうするかを熟知することをも踏まえて。)

 (打撃)小久保裕紀(元ソフトバンク。卓越する打撃理論、アマ時代からの大舞台での豊富な経験、そして、大砲の極意、代表としてどのような打撃をすべきかを熟知しているから。選手と年齢的に兄貴分的な架け橋になり得ることをも考慮して。)

 (内野守備走塁)宮本慎也(ヤクルト。豊富な代表経験、卓越する守備技術、バットコントロール、犠打センス、利他的メンタリティー、ずば抜けたリーダーシップを買って。選手の兄貴分としての役割をも考慮。)

 (外野守備走塁)赤星憲広(元阪神。アマ時代からの豊富な代表経験、卓越する走塁、守備理論を買って。特に、盗塁をどのように成功率を高めるかの極意を知り尽くすことや、選手の兄貴分としての役割をも考慮。)

 (バッテリー)谷繁元信(中日。捕手としての配球術の極意を熟知することの考慮。また、投手ブルペン担当の佐々木主浩と、現役時代長年バッテリーを組んでいたことをも踏まえている。)

 

 (4)その他。

 [10]TBS(JNN)に独占放映権を付与すること。第1回大会から放送してきた実績や、野球に対する情熱等を考慮してである。勿論、万一の際でも、準決勝、決勝の完全中継をすることも言わずもがな(野球の面白さ、楽しさ、素晴らしさを伝えるため)。

 

 

 いずれにせよ、日本球界全体で、今回の敗北(内容的にみれば、完敗に近いかもしれない)の総括を、じっくりとそして入念に行い、その上で、今後4年間をかけて、十分かつ綿密な強化、準備をして欲しい、と強く希求する次第です。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2013年

3月

20日

「野球日本代表、2013年春、WBC第4回大会の覇権奪還のために大切なことの一考察(その4。自分が考える、『最強NPB選抜28人枠』)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第38回のブログエントリーの論題は、「野球日本代表、2013年WBCにおける敗因総括分析、及び、今後のWBCの覇権奪還のために大切なことにおける、現時点で感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の37回目になります。そして、NPBブログエントリーの5回目、野球日本代表ブログエントリーの3回目になります。 

 

 では、(その3)の続きから、考察を始めます。

 

 

 この、(その4)の主たるテーマは、「2013年WBCにおいて、自分が選出すべきであったと考える、『最強NPB選抜』としての『28人枠』」についての考察です。

 どのような構想を練り上げるか、というところから組み込むので、長い文章になるかもしれないことを、御許し下さい。

 

 

 まず、「最強NPB選抜」を編成するにあたり、重要なのは、「軸」となる「骨格」からとなります。

 ここで、今回の野球日本代表を編成するにあたり、留意せねばならないことを、下記に示そうと思います。

 

 

 (図解9)愛球人が考える、2013年WBC野球日本代表の「28人枠」を編成するにあたり、留意すべきと考えること。

 

 (1)外的要因(国際試合を戦い抜くにあたって重要な要素)。

 [1]外国人は、総じてスイングの大きい選手が多い傾向にある。その場合、直球でぐいぐい押すよりも、多彩な球種や、手元で曲がる変化球、緩急による落差等で、的を絞らせないタイプや、凡打の山を築くタイプ、つまり「技巧派投手」こそが重宝され得る。

 [2]外国人投手の場合、総じて球速が速い。故に、パワー勝負になるとどうしても分が悪い。しかしこのタイプの場合、どうしてもクイックモーションが大きかったり、小回りが利きにくかったりするので、パワータイプの強打者も勿論重要だが、むしろ、走攻守のバランスに優れる、及び、快足打者の方が重要になってくる。

 [3]総じて広い球場が用いられやすく、かつ、福岡、東京、サンフランシスコが会場とわかっているのだから、おのずと広い守備範囲が求められる。となると、守備に卓越する選手を多く配し得る陣容の構築が求められてくる。

 [4]事実上「一戦必勝」が求められるので、プレッシャーがとてつもない。故に、強靭な「メンタリティー」が求められてくる。そして、一瞬の判断が命運を分けるので、「野球IQ」も重要になってくる。勿論、「セイバーメトリクス」がよいに越したことはないが、それ以上に、「野球IQ」「メンタリティー」の持ち主でできるだけ固めることが望ましい。

 [5]個々の能力で他国を圧倒できる訳ではない。大切なのは、「チーム力」であって、その意味で、「利他的な精神」、つまり、必要に応じて、下位打線(8、9番)、代打、代走、中継ぎ(ワンポイントを含めて)での起用も喜んで引き受ける器量の持ち主を招集することが必要。たとえタイトルホルダーであろうとも、「利他的な精神」に乏しければ、基本的に招集するべきではない。

 

 (2)内的要因(日本野球を遂行し得るにあたって大切な要素)。

 [6]打撃陣において、大砲が少ない(阿部、中田翔、T岡田の3人くらい)。故にロースコア勝負を覚悟せねばならない。故に、同じ器量であれば、「快足」「堅守」「複数ポジションに対応できる」選手を優先すべき。

 [7]打撃陣は、ある程度レギュラーの骨格を決めた上で、控えの可能性がある選手は、「代打要員」「代走、守備要員」を厭わない、利他的な選手を選出することが望ましい。

 [8]投手陣は、細かい継投を駆使する必要がある。また、局面に応じた系統の選択肢の適格性が求められる。故に、投手を多めに選出することを厭うべきではない。同じ器量であれば、先発ならば、第2先発や中継ぎ起用を厭わないメンタリティーの持ち主か、緩急やコーナーワーク、制球力の良さ、救援ならば、抑え経験者(できれば直近のシーズンに抑えを務めている。目安として20セーブ以上)を招集する。そして、フィールディング能力も重要視する(投手は9人目の野手である、という考えに基づいて)。

 [9]戦い方の幅をできるだけ担保するため、タイプ別バランスに最大限に配慮する。似たようなタイプにあまり偏らないように留意する(長打タイプの打者が必要な局面、剛球タイプの投手が必要な局面も、現実論として存在し得ると考えられるため)。

 [10]「心を一つにする」ことなくして、「一戦必勝」はあり得ない。故に、「精神的支柱」「盛り上げ役」になり得るかどうかも、併せて留意する。また、大舞台に物怖じしないメンタリティー(特に甲子園経験者や、アマ時代の国際大会経験者)の持ち主であるか否かも、最大限に考慮する必要があると考える。

 

 

 このように、単純に「選手としての器量」のみで測れる訳ではない、と思うんですよね。

 結局、今回の代表の何が問題であったかといえば、「最高の28人」の編成ばかりに目が行ってしまったのではないか、と。投手における本格派タイプ、打者におけるアベレージタイプに、やや極端に偏ってしまったのが、その象徴です。

 

 確かに、何人か、重要なキーマンになり得るタイプの故障者が発生して、構想に組み込めなかったことは、誤算であったかもしれません。

 

 恐らく、国内組では最高の右の大砲、中村剛也(埼玉西武。昨季27本塁打で本塁打王。過去5年間で4回の本塁打王に輝く)。

 昨季セリーグ盗塁王、大島洋平(中日。昨季32盗塁。短期決戦で無類の集中力を発揮するところも持ち味)。

 多彩な球種と精密機械の如き制球力を誇る、金子千尋(オリックス。昨季は故障でほとんどを棒に振った[4勝3敗。内容的にはほぼ全球とカウントしてもやむなしで、これでは代表合宿にさえ残念ながら呼べない])。

 

 おかわりや大島は勿論ですが、投手陣において、最も痛手であったのが、自分的には、金子千のコンディション不良です。制球力に卓越しており(現にキャリアを通して、与死四球が50を超えたシーズンがない)、縦に割れるカーブをはじめとする多彩な球種を、高いレベルで投げ分けられる。国際試合で、特にリリーフとして、フル回転させられるに値するタイプの投手です。

 ここで金子千がいてくれたら。特に、ピンチの局面、流れを変えたい、相手の息の根を止めたいときこそ、金子千の独特の多彩な球種と精密機械の如き緩急やコーナーワークが真価を発揮し得るはずなのに、と。これは不運であったかもしれません。

 

 ですが、金子千のように、「組み込めなかった」選手の一方で、「組み込まなかった」からあとあとで苦しむ要員になった投手も、少なくとも2人います。

 

 その1人目は、石川雅規(ヤクルト)です。国際試合において、彼ほどリリーフにいてくれたら有難い、という投手は、自分の中ではそうはいません。

 ほとんどの球種を一通り、高いレベルで投げ分けられる。緩急に優れ(直球とスローカーブ、シンカーの急速さは、恐らく50km近くある)、卓越する制球力を誇る(現にキャリアを通して、与死四球が50を超えたシーズンがない)。

 強打者に対してこそより真価を発揮し(現に巨人戦の相性がよい)、内角を容赦なく突く精神力を持ち、フィールディングもとてもうまい(現にゴールデングラブ受賞経験あり)。昨季成績は8勝11敗と、確かにいま一つだったかもしれませんが、安定感に優れ(キャリア11年のうち、10勝到達が9回)、それに独特の小さな体格(公称167cm)。相手打者は、それこそ面食らうでしょう。

 多彩な球種と精密機械の如き制球力、強靭な精神力で、相手に的を絞らせない。特に、そのスローカーブやシンカーを見せられた後に、本格派投手に継投されると、相手打者はひとたまりもないと思われます。人望もあるので、「投手陣の精神的支柱」としても、うってつけであると思うんですけどねえ、みたいな。

 

 2人目は、岸孝之(埼玉西武)。理由は、縦に大きく割れるカーブと、手元で鋭く曲がる高速スライダーという、2つの鋭い変化球を持つからです。この2つそれぞれ、国際試合において、強打者が特に嫌がる球ですから。

 確かに、09年WBCの際、候補合宿において、WBC球に適応できなかった、といわれています。ですが、4年が経って、相応に成長できているはずですし、特に縦に割れるカーブと直球のコンビネーションは、相手打者を幻惑させるには充分と思います。

 

 

 なんだか、愚痴めいてしまったかもしれませんが、では、自分ならば、どのように、「最強NPB選抜28人枠」を編成したであろうか、その構想を示そうと思います。

 

 

 (図解10)自分(愛球人)が指揮官ならば、ということにおいての、「2013年WBC野球日本代表28人枠」の構想。

 

 (1)骨格編。

 [1]「先発三本柱」「抑え」をそれぞれ確定させる。まず、先発においては、「右のエース」として田中将(東北楽天)、「左のエース」として内海(巨人)。「第3の先発」としては、前田健(広島)を充てる。これで「先発三本柱」は確定。

 [2]「抑え」については、球児のMLB挑戦を踏まえれば、国内組の抑えで、「スペシャルな存在」は見当たらないので、代表でのリリーフ経験が豊富で、多彩な球種、卓越する制球力、強靭な精神力を誇る、杉内(巨人)を充てる。抑えを杉内にするのは、その豊富な経験と大舞台での強さから、「彼につないだら絶対に何とかしてくれる。」と強く信頼できる「支え」を生み出せて、チームの結束力や方向性を構築し得る、大きな存在になり得るからである。これは勿論、杉内が「投手陣の精神的支柱」になり得る存在だから、ということもある。

 [3]打撃陣については、「正捕手」「4番」をまず確定させる。「正捕手」については、近年の実績を考慮すれば、阿部(巨人)で鉄板。年齢構成や過去の実績等に照らしても、「主将」も阿部が最善策と考える(内川も有力候補だが、経験の面で阿部が上回ると考える)。ただし、「正捕手」「主将」の2役を務めるので、「4番」は別に置く。

 となると、「4番」は、貴重な右の大砲である中田翔(日本ハム)で鉄板(中村剛の故障欠場確定ならばなおさら)。経験不足はやや不安かもしれないが、昨季、所属チームで全試合4番であること、高校時代から大舞台で強いこと、豪胆ともいえる精神力、勝負強さ(昨季の勝利打点数がパリーグ1位)をも考慮すれば、中田翔を「4版DH」で固定となる(DH固定は、守備負担を免除することで、「代表の4番」としての打撃に専念させるため)。

 [4]「4番DH中田翔」を踏まえて、「3番」「5番」を次いで確定させる。「5番」については、阿部で確定させる(中田翔の直後に、同等クラスの大砲を置くことが効果的との考えから)。「3番」については、近年の安定したアベレージ(5年連続打率3割到達)や、大舞台での豊富な経験と勝負強さを買って、内川(ソフトバンク)で確定。

 ここまでで、投手4人、打者3人、合計7人の「軸」が確定となる。

 

 (2)肉付け編(その1。軸に次ぐ重要な存在として)。

 [5]打撃陣において、大砲的な存在が少ないことを考慮して、ロースコア勝負に活路を求めざるを得ないことから、投手陣を、とりわけきめ細かい継投を可能にし得るように配慮する選手構成にして、投手14人、捕手3人、内外野11人(レギュラー8人のため、控え3人)の構成にする。

 [6]投手陣においては、先発3人、抑え1人が固定のため、残り10人のうち、第2先発3人、中継ぎ7人の構成とする。特に中継ぎ7人が、今回の代表の生命線になると思われるため、多様なタイプのバリエーション(本格派、技巧派、左か右か、そして、所属チームで先発か抑えかをも含めた、多様なタイプをバランスよく配するように配慮する)を担保できるように編成する。

 [7]打撃陣、特に3人の控えについては、「代打要員」「内外野マルチロール要員」を1人ずつ置き、残り1人は、「代走、守備固めを軸に、代打にも対応可能」な選手を配するようにする。また、ベンチメンバーの構成は、大舞台でのメンタリティーに加えて、特に主軸の選手が気持ち良くプレーできるように配慮する人戦にすることをも意識する。

 [8]第2、第3捕手の人選も重要になる。第2捕手については、中堅、若手の捕手で、かつ、特に配球術に優れ、肩も水準以上であることが求められる。第3捕手については、「精神的支柱」として、「副キャプテン(野手部門)」の役割をも担い得ることが求められる。いずれも、「控え選手の気持ちがわかる」選手を充てることが重要。なお、「副キャプテン(投手部門)」は、抑えをも担う杉内を充てることとする。

 

 (3)肉付け編(その2。投手編。中継ぎ陣に誰を配するか)。

 [9]ここから具体的人選。まず、投手については、「第2先発」の人選から入る。奪三振王を獲得した左腕の能見(阪神)をまず充てて、次いで、4年連続10勝到達で、大舞台に強い左腕の成瀬(千葉ロッテ。08年北京五輪代表、横浜高校出身)を充てる。第2先発の3人目は、縦に大きく割れるカーブを擁し、大舞台に強い岸(埼玉西武)を充てる(これについては、宮城県出身なので、「復興への思い」を体現する意味をも兼ねている。つまり、見ている人間に勇気を与える意図も)。これにより、投手は、残るは中継ぎ7人の人選になる。

 [10]中継ぎ7人の人選。まず、「セットアッパー役」として、先発から抑えまで高次元で対応できて、昨季30Sをあげた涌井(埼玉西武)を充てる。これについては、08年五輪、09年WBC、横浜高校時代の甲子園経験をも含めた「大舞台での豊富な経験」を考慮している。次いで、国際試合では、特徴ある投球スタイルを持つ投手がより光り輝き得る傾向にあるとの考えから、サブマリン投法の牧田(埼玉西武)、多彩な球種を擁する技巧派左腕の石川(ヤクルト)を選出する。ここまでで、中継ぎの残る枠は「4」となる。

 [11]中継ぎの残る枠、「4」の人選。まず、「抑え経験者」をできるだけ配する必要性から(ピンチで強いから、抑え投手は中継ぎを経験することが多いから、精神力の強さ等)、山口俊(横浜。昨季22S、3年連続20S到達、4年連続50試合登板)、森福(ソフトバンク。昨季17S、2年連続60試合登板。「左のワンポイント」としての期待をも含んでいる)を充てる。次いで、思い切りのよい投球が魅力の澤村(巨人。2年連続10勝到達だが、その剛球は、短いイニングでこそより輝き得るとの判断から)を選出。そしてラスト1枠は、抑え経験者であり、精神的タフネス性、あるいは切れ味鋭い変化球を考慮して、青山(東北楽天。昨季22S、2年連続50試合登板、先発から抑えまであらゆる役割を一通り経験していること)を選出。これについては、手元で曲がるスライダーやシュートを買ってのこと、あらゆる役割をこなせる利他的メンタリティーは勿論、東北にゆかりがある(八戸大→東北楽天)ことからの、「復興への思い」の意味合いも考慮している。

 [12]この、中継ぎについては、涌井をセットアッパーというのがベースだが、局面に応じて投手起用を巧みに使い分けることが肝要。強打者(特にパワータイプ)を封じたい場合は牧田、石川を、「左のワンポイント」を起用したい局面では森福を、技巧派投手でつくった流れをより引き寄せるための本格派としてでは山口俊、澤村を、火消し役(同点、ビハインド時主体に)が欲しいとき、あるいはよくない流れを変えたい局面には青山を、という感じで使い分ける。ここまでで、投手の陣容は確定。

 

 (4)肉付け編(その3。打者編。主軸に準ずる存在に誰を配するか)。

 [13]「3番」「4番」「5番」が確定したので、次いで着手すべきは「1番」「2番」。これはつまり、「快足選手」になる(大砲が事実上、4番中田翔、5番阿部のみなので、なおさら)。ここで、「1番中堅手」に聖澤(東北楽天。2年連続50盗塁到達、昨季54盗塁で盗塁王)、「2番二塁手」に本多(ソフトバンク。かつて盗塁王2回、4年連続30盗塁到達、昨季34盗塁)を充てる。

 [14]次いで着手すべきは、「6~9番」である。守備位置的には、一塁手、三塁手、遊撃手、左翼手または右翼手(どちらかに内川が入るので、その一方)となる。ここでまず、「9番」には、1、2番と遜色ない快足が求められることから、長野を「9番右翼手」に充てる(巨人。昨季打率.301、20盗塁。守備範囲が広い)。これにより、中堅、右翼の守備範囲が担保されるので、内川を「3番左翼手」にできる。遊撃手は、走攻守三拍子揃う坂本(巨人。昨季打率.311、16盗塁)を充てる。打順的には、気楽にのびのびと打てる意味をも籠めて、「7番遊撃手」。

 [15]残るは、打順的には「6番」「8番」。守備位置的には「一塁手」「三塁手」。内野守備を可能なだけ鉄壁にすることが求められるので(坂本はやや送球にむらがあるので、三塁手はなおさら守備重視にする必要。一塁手も然り)、まず、三塁手には鳥谷(阪神)を充てる。故に、「8番三塁手」に鳥谷(8年連続全試合出場の超タフネス)。残る「6番一塁手」は、走攻守三拍子揃う松田(ソフトバンク。昨季打率.300、16盗塁。11年に25本塁打、27盗塁を記録している)を充てる。これでレギュラーは確定。

 [16]残るは、まずは控え打者の「3」の人選。まず、「代打要員」には、できれば流れを変える意味で、大砲タイプを充てたい。故に、T岡田(オリックス)を充てる(これは勿論、純粋な戦力的意味に加えて、中田翔への刺激や、今後への布石の意図も含んでいる)。次いで、「内外野マルチロール要員」として、浅村(埼玉西武)を充てる(主として内野であるが、一塁手を高次元で対応できるので、その場合、松田を三塁手に回せるメリットがある。また、大阪桐蔭高校で中田翔の一年後輩であることや、高校時代の優勝経験[08年夏]をはじめとする、大舞台での精神力、盛り上げ役の意図もある)。ラストの枠には、「代走、外野守備要員」として、荒波(横浜)を充てる(昨季ゴールデングラブの守備範囲の広さ、昨季24盗塁の快足を買っては勿論だが、横浜高校出身なので、大舞台での精神力は勿論、成瀬と同学年、涌井の1年先輩であることをも考慮している。盛り上げ役としての意図もある)。

 [17]ラストとして、第2、第3捕手の人選。「第2捕手」としては、中堅、若手から人選したい。という訳で、嶋(東北楽天)を選出(配球術や統率力の卓越性、エースを担って欲しい田中将との相性をも考慮。勿論人望を買ってでもある)。この場合、田中将先発時は、嶋を捕手に起用して、阿部を一塁手、松田を三塁手で起用する。そしてラストの「第3捕手」は、「精神的支柱」になり得る存在が求められる。故にベテランを充てたい訳であり、この観点をも考慮して、里崎(千葉ロッテ)を選出。理由としては、「長く所属チームで、第2、第3捕手を経験してきたので、控え選手の気持ちがわかる」「06年WBCで正捕手を担ったので、国際試合での心得を熟知している」「気さくな人間性で人望が厚い」からである。これで「28人枠」が確定。

 

 

 故に、上記のことを踏まえて、下記のような感じになります。

 

 

 (図解14)自分(愛球人)が考える、「2013年WBC野球日本代表28人枠」。

 

 (投手[14人]。)

 田中将大(東北楽天、右)[昨季成績10勝4敗。11年沢村賞等。]

 内海哲也(巨人、左)[今季成績15勝6敗。11年、12年最多勝等。]

 前田健太(広島、右)[今季成績14勝7敗。10年沢村賞等。]

 能見篤史(阪神、左)[今季成績10勝10敗。12年奪三振王。]

 成瀬善久(千葉ロッテ、左)[今季成績12勝11敗、07年防御率王。]

 岸孝之(埼玉西武、右)[今季成績11勝12敗。]

 澤村拓一(巨人、右)[今季成績10勝10敗。11年新人王。]

 山口俊(横浜、右)[今季成績1勝2敗22S。]

 青山浩二(東北楽天、右)[今季成績5勝4敗22S。]

 森福充彦(ソフトバンク、左)[今季成績2勝5敗17S。]

 牧田和久(埼玉西武、右)[今季成績13勝9敗。11年新人王。]

 石川雅規(ヤクルト、左)[今季成績8勝11敗。08年防御率王等。]

 涌井秀章(埼玉西武、右)[今季成績1勝5敗30S。09年沢村賞等。]

 杉内俊哉(巨人、左)[今季成績12勝4敗。05年沢村賞等。]

 

 (捕手。)

 阿部慎之助(巨人、左)[今季成績打率340、27本塁打、104打点、0盗塁。12年MVP、首位打者等。]

 嶋基宏(東北楽天、右)[今季成績打率291、1本塁打、8打点、3盗塁。]

 里崎智也(千葉ロッテ、右)[今季成績打率244、9本塁打、41打点、0盗塁。]

 

 (内野手。)

 中田翔(日本ハム、右)[今季成績打率239、24本塁打、77打点、5盗塁。]

 T岡田(オリックス、左)[今季成績打率280、10本塁打、56打点、4盗塁。10年本塁打王。] 

 松田宣浩(ソフトバンク、右)[今季成績打率300、9本塁打、56打点、16盗塁。]

 坂本勇人(巨人、右)[今季成績打率311、14本塁打、69打点、16盗塁。12年最多安打。]

 鳥谷敬(阪神、左)[今季成績打率262、8本塁打、59打点、15盗塁。11年最高出塁率。]

 本多雄一(ソフトバンク、左)[今季成績打率246、0本塁打、31打点、34盗塁。10年、11年盗塁王。]

 浅村栄斗(埼玉西武、右)[今季成績打率245、7本塁打、37打点、13盗塁。]

 

 (外野手。)

 長野久義(巨人、右)[今季成績打率301、14本塁打、60打点、20盗塁。11年首位打者等。]

 内川聖一(ソフトバンク、右)[今季成績打率300、7本塁打、53打点、6盗塁。11年MVP、首位打者等。]

 聖澤諒(東北楽天、左)[今季成績打率270、4本塁打、45打点、54盗塁。12年盗塁王。]

 荒波翔(横浜、左)[今季成績打率.268、1本塁打、25打点、24盗塁。]

 

 

 (図解15)「愛球人が考える2013年WBC日本代表28人枠」における、具体的起用法。

 

 [投手。]

 先発(田中将、内海、前田健。)

 第2の先発[ロングリリーフ](能見、成瀬、岸。)

 中継ぎ(澤村、山口俊、青山、森福。)

 セットアッパー(牧田、石川、涌井。)

 抑え(杉内。)

 

 

 [打者。]

 〈スタメン。〉

 1(中)聖澤

 2(二)本多

 3(左)内川

 4(DH)中田翔

 5(捕)阿部

 6(一)松田

 7(遊)坂本

 8(三)鳥谷

 9(右)長野

 

 〈控え。〉

 左の代打(T岡田)

 内外野守備要員、代走(浅村)

 外野守備要員、代走(荒波)

 第2捕手(嶋)

 第3捕手、右の代打(里崎)

 

 

 上記の陣容により、特に投手起用では、局面に応じたきめ細かい継投が可能になります。

 打者起用においては、例えば、田中将先発時は、「5番一塁手」阿部、「8番捕手」嶋にする。

 浅村を一塁手にする場合は、「6番三塁手」松田、「8番一塁手」浅村にする。

 外野守備を分厚くしたい場合は、「3番一塁手」内川、「6番三塁手」松田、「8番右翼手」荒波、「9番左翼手」長野にする。

 大砲3人を同時起用したい場合は、「6番三塁手」松田、「8番一塁手」T岡田にする。

 

 代打(主としてT岡田)を起用したい局面は、中盤以後のチャンス時で、8番、9番の打順のときが基本でしょう。そしてT岡田が出塁したら、あるいは、試合終盤で内川、阿部が出塁した場合とかでは、代走に、浅村あるいは荒波を起用する。

 このような方法により、少ない打撃陣の持ち駒でも、やりくりの幅を拡げることが可能になります。

 

 仮に、万一中田翔が欠場した場合ならば、「4番DH」にT岡田を充てればよい。

 内川不在時ならば、「3番遊撃手」坂本、「7番左翼手」T岡田にする。守備重視ならば、「7番三塁手」鳥谷、「8番右翼手」荒波、「9番左翼手」長野にする。

 阿部不在時ならば、「5番遊撃手」坂本、「7番捕手」嶋にする。

 あくまでも、例えばですが、このような方法が可能になる、ということです。

 

 

 つまり、何が言いたいのか、と述べれば、国内組オンリーでも、多様なタイプの選手をバランスよく配すれば、やりくり次第で、相手を混乱に陥れることが可能になる、苦しい局面を打開し得る可能性が高まる、それができたのではないか、と強く抱くのです。

 

 苦しい局面を打開し得る救援投手の起用の選択肢。得点が欲しいとき、流れを変えたいときの頼れる代打要員。そういった存在のレパートリーを、あまりもてない人選をしてしまったのではないか。それ故に、ある種「自壊」していった、自分は、そのように映るのです。

 

 

 繰り返しますが、「タイトルホルダー」であろうとも、最優先すべきは、「国際試合向きの特有の持ち味があるか」「大舞台での精神力、あるいは経験(高校野球の全国大会、大学世界選手権等を含む)」「野球IQ(状況判断能力等)」「利他的メンタリティー(エゴイスティックなプレーは代表には不向き)」、そういったことを考慮すべきではなかったか、と言いたい訳です。

 名指しはしたくないですが、いわゆる「やらかし」はいて欲しくないと思うのです。例えば、2次Rで16対4と大勝した、オランダ戦がありましたが、この試合、確かに6本塁打の一発攻勢で、見ている分には楽しかったですけど、あの試合は、本来ならば完封可能な試合だった。誰とは言いませんが、目測を誤るプレーを平気でする(失策にならない失策。昨年の日本シリーズでもやらかしていたと記憶する)。あのような「やる気のない」プレーは、代表では足枷でしかありません(というか、自分が指揮官ならば、最も嫌がるプレーかもしれませんが)。

 

 ですので、(図解14)(図解15)のメンバーにおいて、何人か、タイトルホルダーが外れていることが、お気付きであろうかと思いますが、代表に必要なのは、「チーム力」であって、「個の能力が高い順」で編成できるほど生易しくはない、ということです。

 近年、バスケットボールやサッカー等で、「チームケミストリー」ということがいわれますが、結局、チームは生き物なのです。人間がすることなのですから。それをあまり重きを置いていなかったのではないか、だから負けた、と自分は解釈しています。

 

 お前はこういう起用法で行くからな、と。例えば、所属チームでは三塁手起用が基本だけど、今回は、チーム力向上のために、一塁手や左翼手起用の可能性もある、とか、所属チームではエース級(あるいは絶対的抑え)だけど、今回は、同点やビハインド時の火消し役、あるいはワンポイント起用が主たる起用局面になる、と。

 ちゃんと個々の選手に、想定している起用法を説明できていたのか、と感じるんですよね。それができていれば、もう少し試合を組み立てられたかもしれないのに、と思いますから。

 

 

 長々と、「選手選考に『メッセージ性』『フィロソフィー』が伝わらない、だから敗北は必然であった。」ということを、述べてきました。

 ですが、それは問題の大きな要素の一つですが、それだけではない、とも思うのです。

 

 そう。「他国のレベルアップ。他国が日本に追い付いてきた。もう、ほとんどの参加国と日本との差は、さほどないと考えねばならない。」ということです。それへの認識が、あまりなかったといわざるを得ないのではないか、とも感じるんですよね。

 

 

 という訳で、(その5)にて、ラストの考察として、「第4回WBCでの覇権奪還のために、日本球界がすべきことは何か。」についての考察をしたいと思います。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その5)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2013年

3月

20日

「野球日本代表、2013年春、WBC第4回大会の覇権奪還のために大切なことの一考察(その3。どのような「最強NPB選抜」としての選手選考をすべきであったのか)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第38回のブログエントリーの論題は、「野球日本代表、2013年WBCにおける敗因総括分析、及び、今後のWBCの覇権奪還のために大切なことにおける、現時点で感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の37回目になります。そして、NPBブログエントリーの5回目、野球日本代表ブログエントリーの3回目になります。 

 

 では、(その2)の続きから、考察を始めます。

 

 

 (その1)において、「負けるべくして負けた」、ということについて。

 (その2)において、「ビジョンの稚拙性」「統一球」「選手選考」の3つで負けた、ということについて。

 このことを、それぞれ述べさせて頂きました。

 

 では、(その3)では、(その2)の末文において記した、「最強NPB選抜」としての「28人枠」を編成する努力ができなかったから負けた、と述べさせていただきましたので、具体的に、どのような「28人枠」を編成すべきであったのか、について述べたいと思います。

 

 

 こういう選手選考をすべきであった、というのは、思うことは、正直いろいろとあります。

 これは、2月25日の、「プレビューエントリー」でも、ふつふつと抱く違和感、危機感を、滲ませる感じの文章にて示しております。

 

 下記に、この、「プレビューエントリー」で示したことを、いくつか再掲させて頂きます。

 

 

 (図解4)2013年WBC野球日本代表、「3連覇」実現のために絶対に必要と考える「7つの要素」(プレビューエントリーにおける、[図解22])。

 

 (1)ファンが「29人目の選手」として最大限のサポートを!

 (2)選手28人、指揮官が「心を一つに、同じ方向を向く」!

 (3)特定の選手と心中せず、それでいて「自分たちの野球」を貫くこと!

 (4)捕手、内野手は、投手への声掛けを積極的に!それだけでも投手にパワーがみなぎる!

 (5)一つでも先の塁を貪欲に!盗塁、バント、エンドランを駆使すべし!

 (6)状況に応じた巧みな継投を!投球数制限をも強く意識すべし!

 (7)敵は己の中にあり!積極的なプレーをしてこそ、勝利をより引き寄せ得る!

 

 

 (図解5)「40人枠」「28人枠」において、今回のWBC日本代表で留意すべきであったのでは、と感じる要素(プレビューエントリーにおける、[図解11])。

 

 (1)直近のシーズンで結果を出した選手を最優先で選出する(タイトルホルダーを軸に、規定打席、規定投球回数に到達した人間を出来るだけ召集する、ということ)。

 (2)コンディションを最優先して選出すること(どれほど実績があろうとも、万全な体調でなければ水泡に帰する。逆に力量的にボーダーラインでも、「準備ができている」選手であれば、積極的に選出して然るべきとも考える)。

 (3)「軸」を明確にしておく(先発3本柱、絶対的抑え、中軸の3人、正捕手はあらかじめ明確にした方がよい)。

 (4)タイプ別バランスを重要視する(国際大会の特性を考慮して、投手ならば、技巧派、左腕投手をできるだけ多く配した方がよい。打者ならば、複数の守備位置を高次元で対応し得る打者[いわゆるマルチロール]、走塁技術に優れる打者を出来るだけ多く配することが肝要かと)。

 (5)投手の構成において、どのような役割にも対応し得る投手(普段は先発だが、ロングリリーフやワンポイント起用をも厭わない利他的なメンタリティーの持ち主)、あるいは、抑え経験者(ピンチの局面になれているから)を、できるだけ多く選出する(ただし、救援専門の投手は、あまり多くなり過ぎないことも肝要。長いイニングに対応できる投手が多い方が有利でもあるので)。

 

 

 (図解6)自分(愛球人)が考える、現時点における、「2013年WBC日本代表28人枠」選出における基本スタンス(プレビューエントリーにおける、[図解12])。

 

 (1)「NPBオールスターズ」を最大限に具現化し得る陣容にする。そして、「チーム」として機能し得る「最強」の28人枠にウェートを置く(「最高」が「最強」とは限らないので)。

 (2)基本的なベースは(図解5)の方針。で、WBCはタフな闘いであるので、心身の負担があまりにも大きい。故に、精神力を重要な選考要素とする。また、主として35歳以上のベテラン選手は原則的に選考対象から除外。

 (3)投手は左右のバランスをできるだけ重視する。特に対強豪国、あるいはパワー型の打者をいかにして封じるかと考えると、技巧派をできるだけ多く配しておきたい。

 (4)打者については、ポジションバランスに留意したい。また、破壊力で他国にどうしても劣ることや、他国が総じて守備力に不安を抱えることをも踏まえても、走塁力に優れる選手をできるだけ多く配したい。

 (5)対左腕投手ということをも踏まえても、同等の能力であれば、右打者の方を優先させる。また、できるだけ何か一つ以上に特筆する能力を持つ選手や、複数ポジションに対応可能な選手を優先して選考したい。故に、タイトルホルダーでも容赦なく落選対象になり得る。

 

 

 では、まず、(図解4)にて示した、「7つの要素」についてを考察することから、始めようと思います。

 

  この、「7つの要素」のうち、できていなかったこと。

 (3)「特定の選手と心中し過ぎない!」(6)「状況に応じた巧みな継投を!」

 この2つが、明らかにできていなかったように思うのです。

 

 また、(5)「一つでも先の塁を貪欲に!」も、今回のメンバー、という意味では、それなりによくできていたかな、とは思いますが、やはり、走塁に卓越する選手が、明らかに不足していた、そのような局面を、自分は正直少なからず抱かざるを得ない感じでした。

 

 その意味では、(7)「敵は己の中にあり!」、結局は、それに泣いたのかもしれません。

 ですが、それは、選手に「気持ち」が足りなかったのではない。持てる能力は、精一杯出し切ったと思います。

 問題の本質は、「代表だからこそ、国際試合だからこそ光り輝ける選手を何人か組み込まなかったこと。」にあると思うのです。ただしこれは、MLB組を呼ばなかったことにあるのではない。NPB組の中での、「国際試合だからこそ輝き得る選手」を呼ばなかったことに、問題の本質がある、と強く考える訳です。

 

 報道やツイッター、ブログとかでも、「MLB組を呼ばなかったから負けた。」という論調が散見されます。確かに、気持ちはわからなくはありません。

 ですが、MLB組を呼ぶと、起用法等で、どうしても気を遣わざるを得なくなる。不調だから外す、ということが、なかなかできないのです。

 これは、「短期決戦」では、少なからず足かせになります。尤も、MLB組で、全盛期クラス(目安として、23歳~34歳)の選手を、10人以上も擁しているとかならば、話は違ってくるかもしれませんが、そこまでいく訳ではないですから、少なくとも今回は、無理をしてまで組み込む必要はなかった、というのが、自分の考えです。

 

 そりゃあ、この選手がいたら、というのは、自分だって正直あります。特に、「おかわりの故障がなければ」というのは、正直、宮崎合宿のときから、少なからず感じましたから。

 ですが、MLB組、おかわりは、「いないもの」として、初めから考えるべきであった、と思うのです。大会期間中でも、「MLB組がいたら」と平気で公然と報道する、それが散見されることに、自分は違和感を覚えました。

 はっきりいいます。今回の28人が、「最高の28人」とも、「最強の28人」とも、自分は思っていません。ですが、せめて大会が始まれば、「現代表の28人」を全力で信じて応援しようよ!を貫いて欲しかった。現代表を信じ切れていない報道が平気で散見される時点で、負けていたのかもしれない、と自分は思っています。

 

 

 そう。今回の代表の最大の問題点の要素。

 「『最強NPB選抜』としての『最強の28人』を編成する努力を怠ったこと。」

 だから、「負けるべくして負けた」。それが、自分の率直な考えです。

 

 

 今回の代表において、「33人」あるいは「28人」をみて、いくつかの要素が決定的に乏しい、と感じていました。それを、下記に示します。

 

 

 (図解7)自分(愛球人)が考える、今回のWBC野球日本代表における「28人枠」の陣容の問題点としての要素。

 

 (1)「抑え経験者」が少なすぎる(牧田、涌井、森福の3人のみ。国際試合は「1点の重み」がひときわ重く、ピンチの連続の可能性を覚悟せねばならない。ピンチの局面を切り抜けるためには、精神力に卓越する投手こそ必要であり、それは「抑え経験者」こそ最適任であるように映る)。

 (2)救援陣における「技巧派投手」が少なすぎる(ここでいう「技巧派投手」とは、「多彩な球種」を擁し、「卓越する制球力」を兼備し得る投手のこと。左右の別は問わない。イメージとしては、コーナーワークに優れ、緩急をつけられる投手、というイメージ。これに該当するのも、杉内、涌井、牧田の3人のみ[変化球投手、という視点で拡げても、森福を含めて4人のみ]。確かに本格派投手も重要だが、国際試合の場合、特に多彩な球種を投げ分け得る投手は、的を絞りづらくできるので、スイングの大きい外国人の強打者[特に、米国をはじめとする米州地域。ドミニカ、プエルトリコ、キューバ等]には大きな脅威になり得ると思うが)。

 (3)走塁、守備のスペシャリストの少なさ(肘を痛めた大島はやむを得ないが、2年連続50盗塁到達の聖澤を何故落選させたのか、実に意味不明。というか、選手選考の時点で、前年のシーズンでの20盗塁到達者は、できるだけ多く合宿に呼ぶべきだったのでは、と強く抱く)。

 (4)内外野両方守れるマルチロールを何故組み込まないのか(確かに、代表レベルで、この枠に該当し得る選手は正直少ないのが現状。浅村[埼玉西武]、明石[ソフトバンク]が該当し得るが、確かに快足だが、守備レベルは「中の上」ではある。とはいえ、今回の代表では、手持ちの大砲が少ないことは容易に想像できた訳であり、その意味でも、なおさら投手重視の編成にならざるを得ないことに照らして考えても、複数の守備位置をこなせる選手を1人組み込むべきではなかったか)。

 (5)少ない大砲だからこそ、そういった大砲候補は合宿に呼ぶべきだった(はっきりいえば、T岡田[オリックス]のこと。昨季は故障で満足なパフォーマンスではなかったかもしれないが、飛距離や弾道には、大きな可能性を感じさせるし、左利きだが、必ずしも左投手を苦にする訳ではない。守備力に不安はあるが、思い切りがよいので、せめて貴重な代打要員ということをも射程に入れて、戦力構想に積極的に組み込むべきではなかったのか。大砲といえるのは、中田翔、阿部くらいとなると、なおさらそれに次ぐ大砲のT岡田の存在意義は大きいと思うのだが)。

 (6)ベテラン打者を3人も呼ぶ必要があったのか(確かに経験は必要な要素ではあるが、これについては、阿部、内川といったあたりで充分に担保し得るし、「精神的支柱」の重要性は認めるが、これは「第3捕手」に充てればよかったのでは、と。打撃陣の層が薄いならばともかく、それなりにはいる訳だから、ベテラン打者を3人も呼ぶ必要はなかった。ましてや、盛り上げ役を担っていたのは、ソフトバンク勢[内川、松田、本多]であったことを考えるとなおさら)。

 (7)何故第3捕手が相川か疑問(確かに有能な捕手だが、勝利のメンタリティーの持ち主かはやや疑問符。「第3捕手」に「精神的支柱」を充てるのは共感だが、それならば、年齢的には中堅だが人一倍の人望とリーダーシップを併せ持つ嶋[東北楽天]なり、2006年[第1回]WBCの正捕手にして、もともと控え捕手の経験が長かった里崎[千葉ロッテ]を選出する方が、より理に叶っていたのではないか)。

 

 

 このように、今回の代表は、申し訳ないですが、「突っ込みどころ満載」の「28人枠」になった感じが否めません。中には、力量不足(名指しは直接はしないし、潜在能力の高い有望株とは思うが、所属チームで抑えとかになっている訳でもなく、1次Rキューバ戦で駄目押し本塁打を打たれたのは、残念だが、決して偶然ではない)の選手や、コンディション不良(特に浅尾。そもそも昨季、度重なる故障や不調でシーズンの半分以上を棒に振っている。所属チームで抑えという訳でもないのに、何故抑え候補と平気で挙げ得るのか、それ自体も疑問だった)の選手がいた。

 打撃陣も然りで、ただ打率の高い選手を集めただけ。野球IQ(状況判断能力等を含めて)、得点圏打率(チャンスでの強さ)、そういったことをどれほど考慮したのか、と。

 

 そもそも、国際試合の場合、総じて使用球場は広い球場が用いられる傾向があります(今回の場合、福岡ドーム、サンフランシスコ[AT&Tパーク]は世界有数の広い球場。確かに東京ドームはやや狭い球場だが)。とすると、本塁打等の長打攻勢は、ただでさえほとんど望めない。

 ましてや、現在の日本球界において、おかわり(中村剛)を除いて、代表レベルで、「大砲タイプ」といえるのは、正直数えるほどでしょう。

 中田翔、T岡田(松田、坂本、長野は、走攻守三拍子揃う「ハイレベルバランスタイプ」)、この2人くらいでしょうか(阿部は捕手なので、これにカウントするのはやや厳しいかも)。村田は統一球で打撃フォームを崩している感が否めませんし、栗原は昨季故障で事実上全休を余儀なくされました。畠山は貴重な「右の大砲」ですが、まだまだ「怖さ」が不足していますし、堂林(広島)、筒香(横浜)は、いずれ代表に入って欲しい「大器」ですが、あまりにも安定性がなさすぎます。

 

 大砲が2人(阿部を含めても3人。「右の大砲」に限定すれば中田翔1人のみ)であることに照らせば、この時点で、本塁打は、まずほとんど見込めない、そして、得点はさほど見込めない(いわゆるロースコア勝負に活路)、と覚悟せねばならない。

 となれば、おのずと、「投手力」「守備力」「機動力」、この3つに活路を求めるのは必然、自明の理であって、それに見合った陣容を組み立てる必要があったのではないか、と思うのです。

 

 ましてや、「優勝という成功」を収めた、06年WBC、09年WBCでは、この「つなぐ野球(打撃、走塁のみならず、細かい継投策をも含めて)」を生命線としてきた。06年WBCで、絶対的4番の松中(ソフトバンク)までもが、徹底してミートに徹していたのが、象徴的です。

 それに対して、「失敗」に終わった、08年北京五輪。申し訳ないけど、「打ち勝つ野球」が裏目に出て、大振り、拙守が目立った。五輪とWBCでは、球数制限や連戦数の多さ等、細かいルールの相違があるので、それを考慮する必要があるかもしれませんが、そういったかこの日本の野球の傾向も、考慮に入れる必要があったのでは、とは思うのです。

 

 

 かつて、1998年サッカーW杯で、フランス代表を優勝に導いた、エメ・ジャケさんが、2005年、ワールドサッカーダイジェストのインタビューにて、下記の趣旨のことを語っています。

 

 

 (図解8)サッカー元フランス代表監督、エメ・ジャケさんの言葉。

 

 「布陣、戦術というものは、手持ちの選手によって決めるものである。勿論、『自分たちのスタイル』を確立するに越したことはないが、自分が理想とする戦術をやりたくとも、それに見合った選手がいなければ、機能できない。最善の内容と結果を生み出すためには、布陣、戦術、選手が最大限に合致、符合できていなければならない。」

 

 

 そう。手持ちの選手がどのようなタイプが多いのか。まず、これに留意しなければならなかったはず。今回の場合、アベレージタイプの打者を多く集めていた感じですが、この陣容だと、どうしても単調な攻撃になりがち(つまり、攻撃の幅、レパートリーに乏しくなりがち)になるのです。そうすると、いずれ相手に読まれてしまう。

 走塁に卓越する選手を、何故多く揃える努力ができなかったのか、ということです。勿論、坂本、長野、松田のような、「ハイレベルバランスタイプ」は、重要視されて然るべきとは思うのですが、1番打者を固定できなかったことに(最終的には鳥谷で落ち着いたが、やはり荷が重かった)、今回の問題点が収斂されているように映るんですよね。何故、聖澤を組み込まなかったのか(走塁、打撃面のみならず、守備面でも重要な存在であったはず。2年連続無失策は、誇るべき重要な要素ではないか、と)、本多を積極的に活用しなかったのか(確かに昨季は満足できるパフォーマンスではなかったかもしれないが、それでも4年連続30盗塁到達は卓越する数字といってよい)、どうしても、理解に苦しむんですよね(レギュラーで処遇すべきかどうかは、いろいろな見解があるかもしれないが。ちなみに自分が指揮官ならば、1、2番で原則絶対固定する)。

 

 で、走塁でいえば、昨季成績が20盗塁以上の選手が、どれほどいるのか、ということですが、実は8人います。

 聖澤(東北楽天、54)、本多(ソフトバンク、34)、大島(中日、32)、糸井(オリックス、22)、長野(巨人、20)、明石(ソフトバンク、25)、荒波(横浜、24)、岡田(千葉ロッテ、23)。

 

 これが、昨季20本塁打以上の選手、となると、実は2人しかいません(故障欠場が確定していた中村剛[埼玉西武、27]は、ここではカウントしません)。

 阿部(巨人、27)、中田翔(日本ハム、24)。

 

 このように考えると、走塁、守備重視にすべきなのは、火を見るよりも明らかであったはず。「候補33人」の発表時から、荒波、岡田を何故合宿に呼ばないのか、という見解が散見されていましたが、盗塁数に加えて、外野守備の秀逸さ(特に荒波は、高校時代[横浜高校]から大舞台の経験が豊富なので、「勝利のメンタリティー」の意味でも的確であったはず)をも考慮すれば、確かに、少なくとも合宿には召集するに値したかもしれません。

 

 

 投手も然りです。確かに、抑えを牧田にするのは、一案であるとは思います(かつての渡辺俊[千葉ロッテ]も然りですし、韓国の鄭大炫[チョンデヒョン。ロッテ]にもいえるが、サブマリン投法は、国際試合ではかなりの脅威になり得るので。世界的に稀少だから)。ですが、自分は、抑えは、経験豊富で多彩な球種を誇る杉内がベストであったと思うのです(代表ではほとんどリリーフで活躍してきた)。

 ですが、抑えを牧田にするにせよ、杉内にするにせよ、苦しい局面で勝負どころを託せるリリーフが、杉内、牧田、涌井の3人しかいなかった(あとは澤村をも含み得るが、これでも4人。というか、澤村は、その「剛球絶対主義」のプレースタイルは、外国人の強打者は速球はむしろ得意なので、諸刃の剣である)。これではやはり、限界があるのです。

 

 牧田の独特の投法、そして物怖じしないメンタリティーは、それこそ国際試合向きなのです。ですが、良くも悪くも、緩急タイプの投手ですから、「抑え」に置くよりは、むしろ、「対強打者」に特化した中継ぎとして使うなり(左右の別は問わない。牧田の球は、急速差があり、かつ、浮き上がる直球を持つので、タイミングを合わせるのに苦労すると思うから)、前後(特に直後)に、本格派の投手を置くなり(例えば直後に、澤村、あるいは山口俊[横浜]を置くと、その落差に相手打者が面食らい、威力が増大し得る)した方が、より効果、存在意義が高まるように思う訳です。

 

 

 で、投手、特にリリーフ起用の問題については、結局、下記の方法しか、なかったように思うのです。

 

 「先発→第2先発(能見、内海、摂津等)→杉内、涌井、澤村→牧田。」

 

 勿論、先発クラスの選手を多く配することは重要です。先発が崩れても、第2先発がそれなりのイニングを投げられて、試合を立て直すことができますから。

 ですが、回が進むごとに(特に6回以後)、「1点の重み」の重要性が増してくる。そうなると、おのずと、細かい継投が求められてくる。

 ましてや、WBCには、球数制限に加えて、連投制限(最大で2連投まで)もあります。そうすると、複数の継投パターンを構築できるだけの層が求められてくる。そして日本の最大の持ち味の一つが、質量ともに充実の投手陣であるはず。

 

 正直、力量的に不安なリリーフが何人かいる(技術的な意味ではなくて、主としてメンタル的、あるいは相性的な意味で)、これがあまりにも痛かった。その意味でも、選手選考、つまり人選の失敗の帰結でしょう。

 

 

 いずれにせよ、今回のWBC日本代表は、「選手選考の時点で失敗だった」といわざるを得ないのです。このようなことを踏まえて、(その4)において、「自分が考える『最強NPB選抜28人枠』」の具体的考察を、させて頂きたく思います。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その4)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2013年

3月

20日

「野球日本代表、2013年春、WBC第4回大会の覇権奪還のために大切なことの一考察(その2。2013年WBCの具体的敗因)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第38回のブログエントリーの論題は、「野球日本代表、2013年WBCにおける敗因総括分析、及び、今後のWBCの覇権奪還のために大切なことにおける、現時点で感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の37回目になります。そして、NPBブログエントリーの5回目、野球日本代表ブログエントリーの3回目になります。 

 

 では、(その1)の続きから、考察を始めます。

 

 

 (その1)の末文において、自分は、「負けるべくして負けた。」と述べました。

 そりゃあ、勿論、3連覇の実現を、強く信じていました。ですが、その一方で、「これで勝つのは、正直厳しいだろう。」という思いが、最初から最後まで、結局消えなかったことも、率直な思いです。

 

 正直述べれば、「4強」という結果は、「残念だけど、妥当だろう。」というのが、率直な感覚です。

 「選手は持てる全力を尽くした。」と強く抱きますが、それだけではどうしようもできないくらい、根っこの部分で敗因をいくつも抱えてしまっていた、その帰結がプエルトリコ戦で出てしまっただけであって、開幕戦のブラジル戦から、徐々にふつふつと問題がこぼれていき、決壊してしまった、そのような感覚なんですよね、自分的には。

 

 

 では、下記に、「2013年WBC、野球日本代表の総括敗因分析概論。」を、示させて頂きたく思います。

 

 

 (図解3)愛球人が考える、2013年WBC、野球日本代表の総括敗因分析概論。

 

 (1)あらゆる意味で「準備不足」。今回のWBCにおいて、選手会が不参加をちらつかせ続けたこと、中島、球児のMLB挑戦を阻止できなかったこと、過去2大会で確立させたはずの「日本の野球スタイル」の原点を見失ったこと(選手選考、采配、あるいは合宿等の下準備とかをも含めて)。いずれのことも、結局、「日本野球機構(NPB)」の機能不全性に起因する。NPBが、意思統一的な統括機関として機能していれば、入念な準備をして3連覇はできたはず。

 

 (2)MLB組、おかわり(埼玉西武の中村剛のこと)の不在は、およそ想像できたことだし(おかわりの不参加は昨年10月下旬の時点で確定していた)、むしろ、「NPB(国内組)のみで編成できる」ことは、「和が乱れるリスク」を最大限抑止し得る意味でも、起用法で気を遣う必要性がなくなる意味でも、むしろプラスにとらえていた。問題は、「最強NPB選抜」と自信を以て編成できる「28人枠」ではなかった、ある種いびつな選手選考にこそある。「最高の28人」が「最強の28人」とは限らない訳であり、国際試合、短期決戦特有の持ち味を発揮し得る、メンタリティーやタイプ別バランス(勿論これにセイバーメトリクスを加味してであるが)を最大限に考慮した選手選考にすべきではなかったか。そして、「33人」ではなくて、NPBだけでも、40人~50人程度は、代表クラスの能力の持ち主を擁しているのだから、代表候補合宿で、「36人~40人程度」を招集した上で、「28人枠」へと絞り込むべきではなかったか。

 

 (3)「統一球」は「大失敗」であった。まず、明らかに多くの打者が自信を減退させてしまったこと(統一球で成績を伸ばしたのは、中村剛、松田等、ごく一握り。内川等のようなアベレージタイプは、それなりに適応したようにも映らなくもないが)。投手も然りで、「統一球」と「WBC球(国際試合球)」では、球質が異なるのか、明らかに投げにくそうにしていた投手が少なからず散見された(適応したといえるのは、前田健、大隣、杉内、牧田等、必ずしも多くなかった。特に内海は、明らかに適応しきれぬまま終わった感じが否めず、摂津、山口鉄等も、球質の違いにもがいている感じが否めなかったように映る)。今回、打撃陣が総じて不調傾向であったのも、統一球の弊害が少なからずあったように映るし、国内リーグのエンタメ性の減退傾向をも含めて考えると、「統一球」導入自体が、大きく歯車を狂わせたことは否めないのではないか。

 

 

 すなわち、「NPBの機能不全性」「志向する戦術と合致していると思えない選手選考」「打者のみならず、投手の自信をも失わせた統一球」。この3つのせいで負けた、自分はそう考えています。

 勿論、指揮官の采配そのものにも、正直疑問符は少なからずありました。調子のよい投手からつぎ込んでいく投手起用は、「一戦必勝」の精神に照らせば、それは一つの戦術であると思うのですが、その一方で、勝負どころで「特定の投手を引っ張る」傾向も少なからず散見された(2次R台湾戦の8回の田中将然り、準決勝プエルトリコ戦の7回の能見然り)。確かに継投には、あらゆる要素が複雑に交錯しますので、難しい判断を少なからず強いられることが往々にしてあるのですが、正直、「一貫性に乏しい」という感じで苦戦を強いられたことは、否めないと思います。

 

 とはいえ、指揮官の采配だけで負けた、とは正直思えないのです。まあ、「選手選考」の時点で、「選手と戦術が符合し得ない」ことは、およそ想像し得る感じと認めざるを得ない感じでしたから、その意味では、指揮官の責任、といえなくもないのですが。

 ですが、「統一球」は、ボールによって試合をコントロールさせる弊害を生み、特に打撃陣は、スイングが「小さくなってしまった」感じが明らかに伝わりました。フルスイングではなくて大振り。バットを短く構えるのではなくて、小さく振る(現に、意図が伝わらないハーフスイングが少なからず散見された)。

 そして何よりもショックだったのは、「統一球」の弊害が、投手にまで波及してしまっていた、という現実です。特に、内海が適応し切れずにもがく姿は、画面越しに伝わってきて、どうしたんだろう、という思いを、結局最後まで拭えずに終わった感じが否めません。

 

 正直、「統一球」は、一刻も早く、即刻なくして頂いて、「国際試合球」と球質を似せたもの(勿論同室が望ましい訳ですが)に改良すべき、そうでなければ、また4年後も同じことを繰り返しかねない、と強く抱くのです。

 

 勿論、統一球のみならず、「国際試合の特有性」への適応性の問題も、正直あるでしょう。正直、明らかに、力量不足の選手が何人か見受けられましたし(悲しいので、名前は出しませんが)、田中将のように、独特のプレッシャーに押し潰されかかっている選手も、何人かいました(思えばダルビッシュも、いまでこそ世界最高レベルの投手であるが、国際試合では、炎上しているイメージしかない。確かに2009年WBCで「胴上げ投手」になっているけど)。

 国内リーグと国際試合は、「全くの別物」。この認識が、NPB(日本球界)において、どれほど共有されていただろうか、認識が乏しかったのではないか、自分は正直、このような思いを抱くのです。

 

 

 そもそも、「日本代表候補」として発表された「33人」のリストの時点で、国際試合だからこそ必要な選手が(せめて候補合宿には召集すべき、という意味をも含めて)、何人か含まれていませんでした。この、代表候補選手「33人」のリストの時点で、自分は正直、「勝つ気があるのか!?」と正直感じずにはいられませんでした。

 

 というのも、後に詳述しようと思いますが、「国際試合」においては、勿論、外国の打者(投手)と対決する訳ですけど、外国の打者、投手、それぞれ、国ごとにある種の傾向があるのではないか、という感じであるのです。

 特に、最終的には、北中米、あるいは欧州の選手に勝利せねばならない訳であって、北中米や欧州の選手は、やはり、日本や韓国の選手とは、また異なる特徴があるように映る。

 

 勿論、直近のシーズンの成績がよいことに越したことはないのですが、直近のシーズンの成績が、例えベストの成績ではなかったかもしれなくとも、「国際試合だからこそ生きる選手(特に投手)」というのを、何人か組み込んでいくことが、短期決戦を勝ち抜く意味で、大切になってくるように思うのです。

 確かに、(ファンの数だけ理想の28人枠があるといわれますし、確かにそうかなと思いますが、)今回の「28人枠」は、NPB所属の中においては、「最高の28人」を選出したつもりかもしれません(尤も、自分はそうは思いませんが)。ですが、「最強の28人」を選出する意識は、明らかに乏しかった(選手のタイプのバリエーションに乏しかったことが否めない。阿部に、「4番・捕手・主将」の「1人3役」を担わせてしまったことが、その象徴)。

 

 

 それと、「NPBの機能不全性」が、敗因の一つ、と述べました。

 統一球のこと然り、他国の主力選手の情報収集能力が機能していなかったであろうこと然り(少なくとも、相手の主力打者3~4人程度とか、エース級や抑え投手に誰が配されそうとかは、およそ想像し得る感じではと思うし、その選手の特徴のおよその情報収集はできたはず)、中島や球児のMLB流出を阻止できなかったこと然り(確かに本人の権利行使を止めるのは無理があるかもしれないが、「日本野球の誇りのためにお前が絶対に必要だ。今回のWBCで活躍すれば、より魅力的なオファーを勝ち取れる。」等と、説得することはできたはず)。

 そして極め付けが、選手会が「WBC不参加を辞さず」(そもそも、このような考えが平気で出ること自体が、「プロ意識」を疑う。このような、ファンへの「背信行為」を堂々と決行しようとした時点で、「引退勧告」等の強硬手段をとれなかったこと自体、弱腰極まりない)という態度をし続けたことに対して、あたふたし続けたこと。もう、これには、ただ茫然、あきれることのみでした。

 

 何のためのコミッショナー?そして、何のための職員?

 というか、NPBの職員採用は、どうやってなされているのかも、正直気に掛かったりしますが。

 

 

 いや、例えば、中島や球児のMLB流出を阻止できなかったか云々でいえば、阻止して欲しかったから、このようなことに言及している訳ですが、確かに、MLB挑戦を容認しても、それはそれで割り切って(本人の「志」である訳なので)、いないものとして、選手構想を練り上げていけばよい、という感じなのかもしれません。

 ですが、中島は、走攻守三拍子揃う貴重な右の強打者。球児(阪神で長く活躍した藤川のこと)に至っては、もはや日本球界の絶対的守護神です。正直、代表に参加して頂けるに越したことはない。

 それに、「1年だけ我慢してくれ。」とできれば、WBCで、優勝して、個人としても相応のパフォーマンスを披露できれば、現時点よりもさらなる高条件でのオファーを勝ち取れる(レギュラー&複数年契約等)のではないか。自分は正直、この思いが拭えなかったんですよね。

 

 正直、MLB組の参加が叶わないことは、およそ想像できていましたし(特に米国にすれば、日本の優勝を阻止するためには、できることはするだろう、と思っていましたから)、青木は恐らく、本音は参加したかったんだろうなあ、と思いますが(あれは明らかに「圧力」。言葉や振る舞いの端々に、「本当は出たかった。」という未練さが、無意識的に滲み出ていた。そして中島や球児も、恐らくぎりぎりまで、MLB挑戦とWBC出場の両立の可能性を模索していた感じ)、NPB(国内組)の選手のみで、代表を編成できるのは、自分はむしろ、プラスに解釈していました。

 何故ならば、MLB組(つまり、ダルビッシュ、青木、中島、球児)を組み込むと、どうしても、起用法で、MLB組に気を遣うことになりかねない(これほどの実績の選手だから、例え不調でも外せない、みたいな)。そして、MLB組が必要以上にのさばり過ぎて、チームの和が乱れるリスク(例えば、青木だけを呼ぶならば、利他的なメンタリティーの持ち主でもあるので、むしろリーダーシップを発揮して、チームを一つにまとめ得ると思うが)、あるいは、代表候補合宿でMLB組を呼ぶべきか(国内組のみならば、球団相手に気を遣わずに済み、できるだけ早い時期から、候補合宿を決行できて、戦術練習や紅白戦等の実戦形式の練習を多く組み込める)、とかを気にすることになりかねないからです。そうすると、ある種無駄な神経を注ぐことになりかねないのでは、と。

 

 

 いや、MLB組、おかわりを呼べないことは、正直覚悟せねばならなかったこと、ある種分かり切っていたことですから(まあ、中村剛の召集が叶えば、「4版DH」で絶対固定できるので、戦術的にはとても有難い感じであった訳ですが。膝の手術を早めに発表したのは、選手生命にかかわるとの判断で、恐らく苦渋の決断であったのでしょう)、初めから、そのような存在は、「いないもの」とみなして、残ったNPBメンバーで、代表レベルの選手をリストアップして、そこから、個々の選手のタイプ別分析をしつつ、それを踏まえて、過去2大会でとったスタイルや、対戦相手の主力の予想顔触れ、開催球場の特性をも考慮しながら、どのような戦術、選手編成をしようかを、組み立てていくべきであったのではないか、と。

 

 

 たとえ「統一球」という、極悪といってもよい、マイナス要素を抱えていようとも、正直、「最強NPB選抜」の編成が叶えば、そのような努力をちゃんとできていれば、悲願の3連覇、少なくとも、決勝進出は叶ったはずである、自分は、そのように、強く抱くのです。

 つまり、「最強の28人」を編成する努力ができなかった、だから負けた、故に、本大会に入る以前、すなわち、宮崎合宿の時点で、勝負はついてしまっていたのかもしれない、自分は、そのように映っているのです。

 

 

 では、(その3)において、「野球日本代表は、どのような選手選考をすれば、2013年WBCで3連覇を叶えることができたのであろうか。」ということの具体的考察を、させて頂きたく思います。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その3)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2013年

3月

20日

「野球日本代表、2013年春、WBC第4回大会の覇権奪還のために大切なことの一考察(その1。何故2013年WBCで敗北したのか)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第38回のブログエントリーの論題は、「野球日本代表、2013年WBCにおける敗因総括分析、及び、今後のWBCの覇権奪還のために大切なことにおける、現時点で感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の37回目になります。そして、NPBブログエントリーの5回目、野球日本代表ブログエントリーの3回目になります。 

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 今回のエントリー執筆にあたり、まず、「愛球人的2013年WBC野球日本代表28人枠」(昨年11月26日)、「愛球人的2013年WBC野球日本代表プレビュー」(2月25日)、のエントリー記事を、合わせて拝読して頂けると、とても有難く思う感じです。

 

 

 (図解1)自分の昨年11月26日のエントリー記事のリンク。

 http://aikyujin.jimdo.com/2012/11/26/自分-愛球人-が考える-現時点における2013年wbc日本代表28人枠-その1/

 http://aikyujin.jimdo.com/2012/11/26/自分-愛球人-が考える-現時点における2013年wbc日本代表28人枠-その2/

 

 

 (図解2)自分の今年2月25日のエントリー記事のリンク。

 http://aikyujin.jimdo.com/2013/02/25/2013年wbc-野球日本代表の3連覇実現に向かって-現時点で感じること/

 http://aikyujin.jimdo.com/2013/02/25/2013年wbc-野球日本代表の3連覇実現に向かって-現時点で感じること-その2/

 http://aikyujin.jimdo.com/2013/02/25/2013年wbc-野球日本代表の3連覇実現に向かって-現時点で感じること-その3/

 http://aikyujin.jimdo.com/2013/02/25/2013年wbc-野球日本代表の3連覇実現に向かって-現時点で感じること-その4/

 

 

 特に2月25日のプレビュー記事を御拝読して頂けると、とても有難く思う感じですが、そこで、自分は、「一人の人間として、一人の野球ファンとして、野球日本代表を全力で応援する。28人が心を一つにすることができれば日本の3連覇の勝機は充分可能である。」と強く抱く一方で、「正直どちらかといえば悲観的。知恵を絞らないと、足下をすくわれないとは言えない、決勝進出さえおぼつかない危険性も充分あり得る。」とも、述べさせて頂きました。

 

 3連覇実現を強く希求していたし、信じていた思いに、偽りはありません。

 ですが、その一方で、足下をすくわれるリスクという引っ掛かりが消えなかったことも、また否めません。

 

 

 準決勝のプエルトリコ戦、敗北が決まったとき、とてつもない悲しみに襲われました。

 ですが、涙は不思議と出なかった。いわゆる、「3・11」の復興支援活動に、微力ながらですがかかわらせて頂いていることもあり、特に、東北に生きる人間の報道で、少なからず涙を流してきたから、ということが影響しているのかもしれませんが。

 あるいは、涙を通り越した感覚。実際、しばらく、天を仰ぐ感覚を抑え切れませんでしたから。

 

 いや、夜になって、涙は出たんですよ。でもそれは、この、復興支援活動を通して交流させて頂いている、ある仲間のツイートに心を揺さぶられたことが一つ。そしてもう一つは、この日(3月18日)の夜は、Eテレの「テストの花道」の、現高3の卒業回であり(現在シーズン3。現高3は、シーズン1のスタートから、花道を支え続けてきた)、自分自身、いつも見ている番組でして、もう、ゆーき、ふうちゃん、れいな、しゅくたん、DAWAの5人が、花道を通してこんなに成長したこと、そして、卒業を迎えることが、心にとてもじーんと響く感じで。

 有難う、ゆーき、ふうちゃん、れいなたちよ(特にゆーきは、自分的には、花道の象徴的存在であり続けたので。そしてDAWAは、花道初登場時から見ると、見違えるような成長ぶりで。ふうちゃんのとびっきりの明るさにも、とても元気づけられてきましたから)。この5人には、それぞれの「志」に向かって生きて欲しいことは勿論、花道を卒業しても、ずっと御互いを支え合って、友情を深め続けて欲しい、そう強く願う思いで、気が付けば涙がぼろぼろと流れる感じで。

 

 

 なんだか、話題が脱線してしまった感じで申し訳ないですが、話を戻しますと、今回、自分は、WBCにおいて、3連覇の悲願が叶わないことが決まったとき、簡潔に述べれば、下記の思いを、強く抱いたのです。

 

 

 「とても悔しいけど、『負けるべくして負けた』。」

 

 

 そして、下記の思いを、強く抱く思いであるのです。

 

 

 「敗因は日本球界の、根っこの深いところにあるように思える。選手は持てる全力を尽くした。NPB(国内組)のみで固めたことは、むしろ共感している。しかし、いやだからこそ、今回の4強止まりは、『日本球界の敗北』として認識して、次回(第4回)大会に向けて、敗因を入念に分析、議論して、抜本的な再構築と入念な準備を施して、捲土重来を期すべきである。」

 

 

 では、(その2)において、「何故、野球日本代表は、2013年WBCにおいて、敗北したのか。」についての敗因の具体的考察を、させて頂きたく思います。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その2)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2013年

2月

26日

「5回目、6回目の東北現地参加を踏まえて、自分なりに学び感じること(その2。白熱教室、東北大学)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第37回のブログエントリーの論題は、「5回目、6回目の東北現地参加を迎えるにあたり、現時点で感じる思い。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の36回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの18回目になります。

 

 では、(その1)の続きから、考察を始めます。

 

 

 今回、5回目、6回目の東北現地参加を、させて頂きました。

 

 

 (図解1)5回目、6回目の東北現地参加の概要。

 (1)5回目(2月11日~2月12日)。

 [1日目]仙台駅到着→(仙台市バス)→荒浜(現状を肌で知るため)→(仙台市バス)→仙台駅→(仙台市バス)→東北大学(公開復興サポート。震災や復興についての各種展示、東北発未来塾公開収録観覧参加)→ホテルチェックイン(いったん荷物を置く)→懇親会(東北発未来塾公開収録参加者有志で、復興について語り合う)→ホテル宿泊。

 [2日目]ホテル出発→仙台駅→(仙石線)→中野栄駅→仙台港(現状を肌で知るため。三井アウトレットパーク仙台港を含む)→中野栄駅→(仙石線)→宮城野原駅→クリネックススタジアム宮城(いわゆるKスタ宮城。もとの宮城球場。NPBの東北楽天の本拠地)→仙台駅→(地下鉄)→勾当台公園駅→官庁街、NHK仙台(宮城県警、宮城県庁、仙台市役所)→せんだいメディアテーク→商店街(国分町、クリスロード)→仙台駅→仙台駅出発。

 

 

 (2)6回目(2月22日~2月23日)。

 [1日目]仙台駅到着→市内散策→マクドナルド仙台中央通り店→ホテルチェックイン(いったん荷物を置く)→仙台駅→(仙台市バス)→東北大学(白熱教室公開収録参加)→ホテル宿泊。

 [2日目]ホテル出発→仙台駅→(東北本線、石巻線)→石巻駅→市内散策(石巻復興マルシェ、日和山公園等)→いしのまきカフェ「」(石巻市役所1階にある)→石巻駅→(東北本線、石巻線)→仙台駅→東京エレクトロンホール宮城(みちのく仕掛け人市に参加)→仙台駅→仙台駅出発。

 

 

 (図解2)今回の東北現地参加に関係する、テレビ放送予定。

 (1)「東北発未来塾」(3月22日金曜日、23時30分~23時50分)

 (2)「Rの法則」(3月7日木曜日、18時55分~19時25分)

 (3)「白熱教室」(3月2日土曜日、21時15分~22時13分)

 

 

 今回のメインは、ずばり、2回とも、「NHKの公開収録」がメインでした。

 まあ、テレビデビューが叶うかな、といえば、可能性は恐らく低いでしょうけど、「復興を問い直す」意味では、これ以上ない感じの東北現地参加になった感じです。

 

 では、「6回目の東北」、つまり、「白熱教室」における、考察をスタートしたいと思います。

 

 

 2月22日。8時30分過ぎ、仙台駅到着(高速バスで大阪からの直行でした)。

 前回ほどではないですが、やはり、「寒い」。今回も、「完全防備」にもかかわらずです。

 

 で、仙台駅。まず、市内散策です。

 仙台駅西口の名物は、「ペデストリアンデッキ」という、独特の高架橋です。

 いま、「東北発未来塾」(Eテレ)において、「防災のチカラ」をしていますが、この仙台という年は、ペデストリアンデッキの存在、地下街の極端な少なさ、生命線の色合いが強いアーケード(クリスロード等)、高架橋を降りるためのエスカレーター(あと、バリアフリー性にやや乏しい感あり。特にJRの駅は、バリアフリー対応駅が極端に少ない印象)、等々、防災について、とても考えさせられる街でもあるので、それも強く意識して、市内散策をしてみました。

 市内散策では、読売新聞東北総局、七十七銀行本店等をも、通ってみました。

 

 で、昼食は、マクドナルド仙台中央通り店。ブルーベリーシェイクを飲みながら、学んだことの復習の追い込みをかける。

 その後、いったんホテル(宿泊先は前回と同様、五橋のアパヴィラホテル)にチェックインして、荷物を置いた後に、仙台駅から、バスで東北大学へ。早めについて、「戦闘態勢」を整える感じです。

 

 

 そして、18時。東北大学川内萩ホール。

 「人生最大の挑戦の舞台」にするべく、「白熱教室」に臨む。

 テーマは勿論、「震災復興」。これ以上ない舞台だ、と思いながら。

 

 しかし、現実は、実に厳しいものでした。

 冒頭から、各論的話題。精一杯挙手はするけど、当てられない。

 そもそも、センターポジション(壇上からの最前列の真ん中)は、学内生(東北大学の学生)の座席になっており、この時点で、爆死であったのかもしれませんが。

 

 公開収録の時間は、150分間。結論的に述べれば、時間とすれば、予定通り終わってしまいました(過去の、東京大学、東京国際フォーラムのときは、予定時間を60分以上オーバーしたといわれているので、まさか時間通り終わるとは思いませんでした)。

 全体的に、各論的な話題(取り上げられたテーマは主として4つであったが、そのうち3つまでが完全な各論的内容)が多くて、総論的な話題は、ほとんどできなかった(というか、冒頭は絶対に総論的な話題であろう、と確信していたので、不意を突かれた感じ)ことも、率直に強く感じることです。

 

 参加者は、学内組が500人、一般組(自分もそうですが)が564人、合計1064人。

 ただし、学内組は、「事前講義」とやらを受けていたとのこと。どんな内容かは、勿論知る由がないのですが、現に、学内組のペースで議論は進んでいた感じでした(そもそも議論になっていたのかは、疑問符でもあるのですが…。ちなみに学内組は、英語を駆使する人間も少なからずいました)。

 

 

 で、自分は、発言はといえば、残り20分くらいのあたり(というか、ラストへと向かいつつある部分)で、発言できました。ただし、正直、割り込むような感じになってしまいましたが…(汗)。

 

 発言のテーマは、そのときの主たる議論では、「復興は、コンセンサスをもとに進めるべきか、とにかく早く進めることを志向すべきか?」という感じでした。

 で、自分は、趣旨として、下記のような発言を、させて頂きました。

 

 

 「確かにコンセンサスも、スピード感ある復興も、どちらも大切だけど、それ以上に大切なことがあるのではないか?はっきり述べれば、『息長く、粘り強く、絶対に諦めない姿勢』なくして、復興はあり得ないと覚悟せねばならないのでは?阪神淡路の被災経験をも踏まえて考えれば、風化というのは、一瞬できてしまう。諦めたら、そこで試合終了なんですよ。心情的には早く進めて欲しい。しかし、『どのようにして』復興を目指すのかという『方向性』を示せなければ、復興は厳しいと思いますし、『同じ方向を向く』『心を一つにする』ことが、まず何よりも大切になってくるのではないですか?」

 

 

 記憶が正しければ、ですが、趣旨としては、上記のような感じです。

 ですが、正直、「伝えたいこと」を「100」とすれば、「10」も伝えられなかった、というのが、正直な思いです。

 結果として、議論を混乱させる感じになってしまったこと。どうしても「伝えたいこと」の核心を議論できなかった(発言できなかった)こと。自分自身が納得できる発言内容ができなかったこと。

 はっきりいって、「ひどい、無様なパフォーマンス」になってしまいました。

 あらゆる意味で、「悔いが残る」。もう、この思いにつきます。

 

 

 では、真意として、どのようなことを、自分は伝えたかったのか。

 

 自分は、「復興」は、「3つのかたち」がある、と考えています。

 第一に、「経済的復興(都市の復興)」。まちづくり的な復興とかで、一般的にイメージされる復興は、このことだろうと思います。

 第二に、「精神的復興(心の復興)」。いわゆる「メンタルケア」とかを含めた、心を前に進める意味での復興、という感じです。「1・17」では、この「精神的復興」において、大きな課題を残した、と自分は感じています。

 そして第三に、「社会的復興(社会の復興)」。実は、今回の「3・11」の復興は、この「社会的復興」がかなえられてこそ実現し得る、と自分は考えるようになっているのです。

 

 この、「社会的復興」ということですが、つまり、「どのような社会(あるいは地域社会)の実現を目指すのか」が問われているのではないか、と自分は思うのです。あるいは、「『3・11』以前よりも素敵な、魅力的な東北にすることを実現すること」が、「復興」の一つの目標ラインではないか、と考える訳です。

 で、「目指すべき社会像」「志向すべき社会像」のグランドデザインを明確にできなければ、「目指す方向性」が見出せないことを意味しますから、およその目途のライン、つまり、「先が見えない」状況に陥るように思うのです。

 

 そりゃあ、心情的には、早く復興を叶えて欲しいです。でも、早く早くと焦るだけでは、いわば、「結果重視のサッカー」と同質に過ぎない、と思うんですよね。

 近年、サッカー、野球、バスケットボールで、「フィロソフィー」(目指すべきチーム理念)の重要性が叫ばれつつありますが、「結果重視」というのは、「フィロソフィー軽視」の裏返しでもあると思うんですよね。

 「結果」も勿論大切ですが、それは、「内容」があった上でなされるべきこと、と自分は思うのです。「内容」を積み上げられれば、いずれ「結果」がついてくるはず。ですので、まずは、「目指す方向性」を明確にする、「ビジョンを描く」ことが求められるように思うんですよね。

 

 その意味で、「復興」の実現、「目指すべき社会像」のデザイン、フィロソフィーの構築のためには、自分たち若い世代が、それこそ先頭に立つくらいの気概で、積極的に率先して行動すること、そして、自由闊達な議論を展開していくことが、求められるのではないか。

 つまり、「若い世代が立ちあがることなくして、『3・11』の復興も、日本社会をよりよくすることもあり得ない!」、換言すれば、「自分たち若い世代が立ちあがっていこうよ!声を上げて行動していこうよ!結束して心を合わせていこうよ!」、これを本当は伝えたかったんですよね。

 

 会場には、ちらほらとですが、制服を着ていた、高校生(あるいは中学生もいたかも?)と思しき姿の子どもも、何人かいました。正直、展開が許せば、高校生や中学生をも巻き込みたかった、というのが、正直な感じであるのです。

 

 

 いずれにせよ、自分にとっての、今回の白熱教室は、「恥辱」「悔い」ばかりが残った。

 ホテルに帰った瞬間、自分は、気が付けば、布団の中で、号泣していました。

 

 かつて、浦和レッズの原口元気が、「何なんだよこれ。」という言葉を発したことがありましたが、まさにそれです。

 自分がしたかったのは、「何を以て復興というのか。」とか、「復興のために大切なことは何か。」とか、「東北に生きる子どものために、自分たちに出来ることは何か。」とか、そういう、「根本的」な「総論的」なことを、徹底的に議論したかったのです。

 

 というか、はっきり述べます。今回の「白熱教室」が、本当の「議論」であったといえるのだろうか、と。

 はっきりいって、「違和感」「もやもや感」ばかりが残った。これが自分が求めていた内容ではない!と。「木を見て森を見ず」ではないか、と。

 勿論、「実り多い」感じではあった、とは思う。参加したことそれ自体は、間違いなくプラスではある。学ぶことが多かったことも、実に収穫ではあります。

 

 ですが、自分は、それこそ、バスケットボールでいう、1点を巡る攻防、「ブザービーター」になるかどうかの局面の如き、壮絶なる「激闘」「死闘」といえる「本物の議論」がやりたかったのです。

 それこそ、ヒートアップする、トラッシュトーク上等の如き、議論が対立しようとも、時間を忘れられるくらいの、激論がやりたかったんですよね。それこそ、「朝まで生テレビ」「たかじんのそこまで言って委員会」の如く、みたいな。

 

 恐らく、放送では、かなり編集がなされます。放送では、議論がなされた感じに仕上がるのでしょう。

 ただ、正直述べます。年明けのBS1における、中学生が「理想の学校」「いじめ」について熱く語るときの議論とか、書籍化されている、「大震災特別講義」(2011年4月16日放送)のような感じとは、「似て非なるもの」であった、そのような感じであったんですよね。

 

 布陣をどうすべきか、「4-4-2」か「4-3-3」か。あるいは、「誰と誰を共存すべきか」(例えば、浦和レッズでいう、柏木と直輝、とか)、そういう議論がやりたかったのではない(勿論それも大切だし、その種の議論も自分は好きですが)。

 本当にやりたかった議論は、「どのようなサッカーを目指すべきか、チーム理念、目指すサッカー像とすべきか」、いわば、「どのようなサッカーを、ピッチ上でのデザインとして描きたいのか」、そういう議論がやりたかったのです。

 

 こんなはずではなかった。自分自身にとても悔しい。もう、「恥辱」「悔い」、そればかりが残った、一生で絶対に忘れない、忘れてはならない夜になりました。

 まあ、テレビデビューは、まずお預けでしょう。それか、テレビデビューが叶った場合は、自分の無様さをさらすだけ、みたいな。その意味では、「どうなるか、見てみよう。」という感じになるのかもしれませんが。

 

 

 で、2日目。2月23日。

 朝食を食べて、ホテルをチェックアウトして、仙台駅へ。

 前日の夜が雪でしたので、実に滑る。足下に留意しながら歩いて、荷物をコインロッカーに入れて、東北本線ホームへ(1番線)。

 7時46分、小牛田行きに乗る(6両編成)。

 小牛田を経て、そこから石巻線。石巻線は、ディーゼルの2両編成。高校生も、ちらほら乗っていました。

 

 9時20分、石巻駅到着。石巻も、雪の跡がくっきり。勿論、寒い。

 今回で、石巻は3回目。市街地から、日和山公園へと向かって歩く(およそ40分近く歩きます)。

 途中、石巻復興マルシェを通ります。やや小さい復興商店街ですが、徐々に前に向かっている感じが伝わってくる。その一方で、マルシェの近くの橋は、「橋を直しています」の生々しい看板。傷跡の大きさを改めて実感、の感じです。

 

 で、日和山公園。高台にあり、ここから、石巻市内、特に、南側の門脇地区がよく見えます。

 石巻市民病院がぽつんと残る以外は、実に何もない。未だに石巻の復興は、険しい道のりなのかな、と実感させられる感じです。

 

 で、石巻の市街地に戻る。

 石巻市役所の1階。ここに、高校生によって運営をしている、「いしのまきカフェ『』(かぎかっこ)」があります。ここで、昼食。

 実に、手作り感が伝わってくる。なんというか、「真心」が伝わってくるんですよね。

 ワッフルスイーツ、いちごみるく、おいしかった。まあ、肝心の高校生と、ほとんど話せなかったのが、心残りでしたが(汗)。

 

 という訳で、「いしのまきカフェ『』(かぎかっこ)」、リンクを貼ります。

 (HP)http://doorwaytosmiles.jp/

 (ブログ)http://doorwaytosmiles.jp/blog/

 

 

 高校生の真心に勇気付けられて、石巻を後にします。

 石巻からは、石巻線、東北本線経由で、仙台へ。

 仙石線は、「3・11」の影響で、分断されてしまっているので、石巻線経由のルートに、事実上絞られる感じなのです。ディーゼル電車に慣れるのも、一つの有意義な経験でしょうか。

 

 で、東北本線。小牛田からの仙台行きは、一番後ろの車両に乗ることになりました。

 そしたら、おのずと車掌さんが見えることになる訳で。で、今回の車掌さん。若い女性であったのですが、そのひたむきな姿勢に、正直、「仕事に対する誇り」を強く考えさせられた感じです。

 

 仙台駅を降りると、そこから、「みちのく仕掛け人市」(東北の復興支援団体が集う、ある種の就職イベント、という感じでしょうか)に参加するため、「東京エレクトロンホール宮城」まで、およそ30分、ひたすら歩きます。

 到着は14時50分過ぎだったでしょうか。仙台駅で、一息ついた影響もあった感じかもしれません。

 

 あまり時間がないので、「みちのく仕掛け人市」については、多くは触れられませんが、とにかく、参加してよかった、実に実り多い感じであった、という感じです。

 「東北で、NPOに就職する」という強い覚悟。警察官も併願することになるのかも、ですが、いずれにせよ、「息長く復興に携わる覚悟」を、強く育ませて頂く、それが、今回の東北であるように思うのです。

 

 

 で、イベントは、19時10分くらいに終了したのかな、という感じですが、自分は、バスの時間があるので、19時ちょうどに、泣く泣く途中退席。

 そこから猛ダッシュ。ただし、地下鉄だと、だましだまし時間が掛かるのでは(地下鉄仙台駅からJR仙台駅が遠く感じると判断)、と思い、ひたすら走ることを選択。

 商店街(国分町、クリスロード等)をひたすら走り、途中からは、青葉通りへ。

 19時20分過ぎ、どうにか仙台駅到着。走る選択は、結果的には成功でした。

 

 で、仙台駅のおみやげ店街へ。

 自分が購入したのは、「ずんだプリン」及び「ずんだシェイク」。5回目(前回)の東北でも、購入した飲食物です(いわゆる「ずんだスイーツ」)。

 実においしかった。というか、どうしても、「ずんだスイーツ」を呼ばれる時間が欲しかったので、やむなく途中退席、という感じだったんですよね。

 

 で、19時50分、仙台駅東口のバスターミナル。

 20時、仙台駅出発。こうして、6回目の東北が、終了しました。

 

 「悔しさ」と「充実感」を併せ持つ、それが、「6回目の東北」、という感じでした。

 「東北で生きる覚悟」。「復興のために大切なこと」。「仕事に対する誇り」。

 人間として生きるために大切ないくつものことを、深く考えさせられる、それが、今回の東北であった感じです。

 

 

 次なる東北現地参加は、いつになるのかは、わかりません。

 いつか、「東北発未来塾」に、塾生として是非とも参加したい、と強く抱いていますが。

 

 少なくとも、夏場には、就職試験のため、東北に行くことになるのでしょう。

 自分なりの生き方のビジョンをも問われる、それが、5回目、6回目の東北で学んだことであったのかな、といえるかもしれません。

 

 いずれにせよ、今回の、5回目、6回目の東北で学んだことを、今後の自分自身に是非とも活かしたい、と強く抱きます。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2013年

2月

26日

「5回目、6回目の東北現地参加を踏まえて、自分なりに学び感じること(その1。公開復興サポート、東北大学)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第37回のブログエントリーの論題は、「5回目、6回目の東北現地参加を迎えるにあたり、現時点で感じる思い。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の36回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの18回目になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 今回、5回目、6回目の東北現地参加を、させて頂きました。

 

 

 (図解1)5回目、6回目の東北現地参加の概要。

 (1)5回目(2月11日~2月12日)。

 [1日目]仙台駅到着→(仙台市バス)→荒浜(現状を肌で知るため)→(仙台市バス)→仙台駅→(仙台市バス)→東北大学(公開復興サポート。震災や復興についての各種展示、東北発未来塾公開収録観覧参加)→ホテルチェックイン(いったん荷物を置く)→懇親会(東北発未来塾公開収録参加者有志で、復興について語り合う)→ホテル宿泊。

 [2日目]ホテル出発→仙台駅→(仙石線)→中野栄駅→仙台港(現状を肌で知るため。三井アウトレットパーク仙台港を含む)→中野栄駅→(仙石線)→宮城野原駅→クリネックススタジアム宮城(いわゆるKスタ宮城。もとの宮城球場。NPBの東北楽天の本拠地)→仙台駅→(地下鉄)→勾当台公園駅→官庁街、NHK仙台(宮城県警、宮城県庁、仙台市役所)→せんだいメディアテーク→商店街(国分町、クリスロード)→仙台駅→仙台駅出発。

 

 

 (2)6回目(2月22日~2月23日)。

 [1日目]仙台駅到着→市内散策→マクドナルド仙台中央通り店→ホテルチェックイン(いったん荷物を置く)→仙台駅→(仙台市バス)→東北大学(白熱教室公開収録参加)→ホテル宿泊。

 [2日目]ホテル出発→仙台駅→(東北本線、石巻線)→石巻駅→市内散策(石巻復興マルシェ、日和山公園等)→いしのまきカフェ「」(石巻市役所1階にある)→石巻駅→(東北本線、石巻線)→仙台駅→東京エレクトロンホール宮城(みちのく仕掛け人市に参加)→仙台駅→仙台駅出発。

 

 

 (図解2)今回の東北現地参加に関係する、テレビ放送予定。

 (1)「東北発未来塾」(3月22日金曜日、23時30分~23時50分)

 (2)「Rの法則」(3月7日木曜日、18時55分~19時25分)

 (3)「白熱教室」(3月2日土曜日、21時15分~22時13分)

 

 

 今回のメインは、ずばり、2回とも、「NHKの公開収録」がメインでした。

 まあ、テレビデビューが叶うかな、といえば、可能性は恐らく低いでしょうけど、「復興を問い直す」意味では、これ以上ない感じの東北現地参加になった感じです。

 

 では、まず、「5回目の東北」、つまり、「公開復興サポート」から、考察をスタートしたいと思います。

 

 

 2月11日。8時過ぎ、仙台駅到着(高速バスで大阪からの直行でした)。

 最初に感じたこと。「寒い!」。

 超が付くほどの寒がりですし、そして、東北で働くことを強く考えるようになっていることをも踏まえて、徹底した完全防備(スキー帽、フード付きロングコート、マスク、とっくりセーター、二重の手袋、二重の靴下、等々)をしましたが、それでも寒かった。

 そう。覚悟はしていたとはいえ、目の前で見た「雪」は、やはり、強烈でした。

 

 仙台駅に着いたら、「公開復興サポート」の広告。

 そして、仙台駅は、とにかく人だかり。まあ、NHKの復興の大規模な公開イベント開催ということで、全国から「復興への強い思い」を抱く人間が終結するんだろうなあ、という雰囲気が、伝わってくる感じでした。

 

 で、朝から参加、ということも、考えないわけではなかったのですが、どうしても、真っ先に行きたいところがあって。それが、荒浜(仙台市若林区)でした。

 

 仙台市バスで荒浜へ。荒浜に着くと、「現実を目の当たりにする」感じでした。

 恐ろしいほどに、何もない。海岸へと徐々に足を向けると、ただ、小学校がぽつりとある。

 そして、橋を渡る。海岸のぎりぎりまで、住まいがあったことが伝わってくる(家の跡がくっきりと残っている)。南三陸(初めての東北)や、喜多方(昨夏に訪れた。それが4回目の東北)とは異なる、皮膚感覚で伝わる東北、という感じであったんですよね。

 そして、海岸へ。肌で感じる寒さ、そして青い海。きっと海だって、怖かったんだろうなあ、と思いながら、自分なりに、「感じよう」としていた感じで、海岸にしばらく立ってみました。

 

 で、荒浜から、時間が許す限り、徒歩で市街地へと向かっていく。「3・11」当日、荒浜の住民は、仙台東部道路まで、一目散に走ったと伺います。

 海岸から、仙台東部道路まで、自分の足で、歩くと30分は優に超えました(40分近く掛かったかも)。全速力で走ったと仮定して、20~25分で着けるかどうか。

 津波は30分で到達した、といわれています。だとすれば、ぎりぎりの勝負であったことになる。

 「生死を懸けた闘い」とは、このことをいうのか。この思いを、正直強く抱きました。

 そして、七郷中学校における、「七郷の美しい風景は私たちが取り戻す!」という言葉。心にとてもじーんと響いた感じです。

 

 

 荒浜を出発して、仙台駅でバスを乗り換えて、東北大学へ。直行バスは、やはり、満員でした。

 で、東北大学到着。お昼に着いた感じでしたが、やはり、「人、人、人」。

 率直に言って、こんなにも、「復興」について真正面から向き合っている人間がたくさんいるんだ、と、とても勇気付けられた感じでした。

 

 いくつかの展示を見て、それから、「東北発未来塾」の公開収録観覧参加へと向かう、という感じでしたが、展示の一つ、「現地発明日へブログ」の展示では、執筆者御本人の一人が登場。釜石(岩手県)の女子高校生(今春に就職するとのこと)とのことですが、オーラが伝わってきて、「いつも読んでいます」と声を掛けることが、できませんでした。

 

 実は、今回の公開復興サポート、「Rの法則」の公開収録観覧参加の当選チケットも、併せてゲットしていました。

 本音をいえば、「Rの法則」も(宮城の高校生が何人か出演するとのことでしたので、生で話を聞きたかった)、「東北発未来塾」も、両方聴きたかった。ですが、「東北発未来塾」を優先させたため(時間が完全にかぶっていた)、「Rの法則」は、泣く泣く断念せざるを得ませんでした。

 ちなみに、今回の「公開復興サポート」の事実上のメインが、この、「Rの法則」でした。川内萩ホールでの開催でしたから。

 まあ、凄い行列。参加当選チケットをゲットしているのに、みたいな。いい座席に座りたいんでしょうね、という感じです。自分的には、行列を眺めながら、「白熱教室」の心の予行演習をさせて頂いた感じであった訳ですが。

 

 

 で、自分の中での、今回の最大のメイン。「東北発未来塾」の公開収録観覧参加。

 自分が参加したのは、3部構成の第3部(仲間の中には、第1部からコンプリートで観覧参加した人間もいました。頭が下がります)、「若者が考える復興プラン」。

 復興ガールズ、JASP、TEDICの3つの学生団体の代表(3人とも、是非ともお会いしたい存在。尤も、JASPの代表[厳密には、その中の「スタふく」部門の代表ですが]とは、以前から交流がある感じであるのですが)がプレゼンする、ということで(尤も、誰がプレゼンするかは知らない状態で、今回のイベントに参加した感じなのですが)。

 

 実に学ぶことがわんさかとあり、「東北発未来塾」の公開収録観覧参加は、充実感に満ちる感じでした(発言機会はなかったですが、学びにきている訳で、発言できなくても全然OKの感じですので)。

 

 その後、仙台駅に戻り、いったんホテルにチェックインして(ホテルは五橋のアパホテル。尤も、仙台駅から見えており、普通に駅から歩ける感じですが)、荷物を置いて、懇親会会場へ。

 結論的に述べれば、懇親会は、「最高に楽しかった」感じでした。

 たくさんの人間と語り合えて、素敵な出会いがいくつもあって。

 まあ、お会いしたかったのに、会えなかった人間も、何人かいましたし、2時間といわず、もっと語り合いたかった感じでもありましたが、むしろ、だからこそ、この仲間と、またいつか、是非とも語り合いたい、と強く抱く感じです。

 できることならば、今回のような、「公開復興サポート」を、来年の今頃の時期も、また是非とも開催して欲しいなあ、と強く抱く感じですが。

 

 それにしても、東北は、実に終電が早いです。

 岩手の学生は、新幹線の最終が21時44分(盛岡からのいわて銀河鉄道連絡になる新幹線最終、ということ)。福島の学生は、東北本線の福島行きの最終が21時58分。

 関西では、とても考えられませんが、東北では、仙台駅の最終電車は、軒並み24時頃。しかも、金曜日だけ、3~5分程度、終電を後ろ倒しにしています。これも、ある種強烈な社会勉強をさせて頂いた感じです。

 

 いずれにせよ、晴れやかな気持ちで、ホテルの部屋に戻り(20階建ての15階。部屋の窓からは新幹線が見える)、メモ書きを読み返した感じです。そして、日記を付けて、就寝でした。

 

 

 で、2日目。2月12日。

 朝食はバイキング。まあ、かつて宿泊した、サンシャインシティプリンスホテルほどではないですが、いろいろな種類を楽しめて、おいしく呼ばれさせて頂きました。

 そのあと、少し周辺を散策。近くには、東北学院大学の土樋キャンパスがあります。

 実は、恥ずかしながら、東北学院大学は、「3・11」以前は、名前しか知らなくて(東北福祉大学も然り。「野球で強い学校」という認識しかありませんでした。いかに無知であったかですが。汗)。どうも、東北では最大規模の私立大学であるのだとか。これもまた、社会勉強になる感じです。

 

 散策を終えて、ホテルをチェックアウト。まずは目的地は仙台港。

 仙台港の最寄り駅は、仙石線の中野栄駅。仙石線は、205系とのことで(基本的に4両編成。ちなみに、実は自分は、電車好きでもあります)、仙台にも、都会型の電車があるんだ、と認識する感じで。

 尤も、仙石線は、仙台で最も電車の本数が多いとのことですが、それでも、10~20分に1本です。感覚に慣れねば、と思う感じであるのですが。

 で、仙台駅の仙石線ホームは、地下にあります。しかも、東北の電車は、基本的に、全てのドアが無条件に開く訳ではない(地下鉄は普通に開くのですが)。仙台駅でさえ、例外ではなくて、いちいち「開ける」ボタンを押さねばならないのです。これも、感覚に慣れねば、でしょうか。

 

 ともあれ、仙石線に乗って、中野栄駅を降りる(ぎりぎり仙台市内)。

 三井アウトレットパーク仙台港までは、駅から徒歩10分くらいです。大きな観覧車もあります。

 しかし、そこからが遠い。アウトレットパークを出てから、仙台港まで、30分近くは歩いたでしょうか。

 

 ようやく仙台港に到着。港は、徐々に賑わいを取り戻しつつはあるようなのですが、まだ道半ばの感じのようです。でも、徐々に前を向きつつあるのかな、とも感じる、というところでしょうか。

 

 

 中野栄駅を出て、仙石線に載って、宮城野原駅まで戻る。

 宮城野原駅。「クリネックススタジアム宮城」(いわゆる「Kスタ宮城」。もとの「宮城球場」のことです)の最寄り駅です(プロ野球、東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地)。

 発車メロディの時点で、東北楽天の応援歌。もう、「イーグルスシティー」という感じです。

 

 で、駅を降りる。駅の出口自体、東北楽天の帽子。

 降りると、Kスタ宮城のある、「宮城野原公園総合運動場」。

 仙台市陸上競技場も併設されており、この日は、東北大学の陸上部の学生が練習する姿がありました。

 

 で、Kスタ宮城に到着。前日の雪の影響で、少し滑る。

 もう、野球ファンの血が騒いで、携帯を獲るや否や、ひたすら写真を撮りまくる感じでした。

 

 

 日本が誇る絶対的大エース、「田中将大」。

 統率力及び守備力ならば日本球界屈指の正捕手、「嶋基宏」。

 豊富な経験と卓越する野球IQを誇る内野手、「松井稼頭央」。

 近鉄時代からチームを長年支え続けるバイプレイヤー、「高須洋介」。

 2年連続50盗塁到達を叶えた日本球界最高の快足打者、「聖澤諒」。

 大卒3年目(今季)にして左腕の看板投手にまで成長した、「塩見貴洋」。

 昨季22Sを挙げて遅咲きの花を咲かせた守護神、「青山浩二」。

 多彩な変化球が持ち味で故障からの復活を期する右腕投手、「永井怜」。

 

 

 いよいよ、東北で働くことに心を強く傾斜させるようになっている自分にとっては、それが実現すれば、阪神ファンを卒業して、東北楽天ファンになる覚悟は、もうできている(基本的に、所属球団の枠を超えて、好きな野球選手も、少なくとも30人は優に超えますし)。

 まあ、このときは、聖澤の代表落選は、全く想像していませんでしたし、また、永井よ、今季こそ完全復活してくれ(フォークやカーブの鋭い変化と制球力が、個人的には大好きなので。また、永井は、自分と同学年でもあるので、なおさら親近感を抱くからでもあるかもしれません)、とか、青山には、今季も守護神として成長して、真に代表レベルまで上り詰めて欲しい(ただ、現状でも、代表の候補ロースターレベルにはなっていると思いますが。自分ならば、少なくとも候補合宿には召集します)、とか、いろいろなことを願いながら、Kスタ宮城を後にしたのでした。

 

 Kスタ宮城を出発すると、「宮城野通り」で、仙台駅東口まで、直線で1.7km。歩いておよそ30分近く。少しなだらかに上るのですが、まさしく直線。天気がそれなりに良ければ、仙台駅から歩いてKスタ宮城まで行くこと(帰りも然り)は充分に可能、と感じます。

 ちなみに、仙台駅は、主体は西口側ですが、高速バスターミナルは、東口側にあります。

 ウィラーのバス乗り場は、代々木ゼミナール前。なので、「代ゼミの校舎」が見えたら、あっ、仙台だ、という感覚になるのかもしれません。

 

 

 ともあれ、徒歩にて再び仙台駅へ。そこから、「仙台市営地下鉄」に乗ります。

 ですが、地下鉄の仙台駅は、JRの仙台駅から、地下通路で、5分くらい歩きます。ただの通路なので(慣れていないこともあるのでしょうが)、結構遠く感じます。

 しかも、仙台は、「地下街」という概念が、ほとんどありません。地盤がよくないとか、津波リスクを考慮して、の影響があるからかもしれません。これも、正直、強く考えさせられます。

 

 で、地下鉄は、4両。昼間は7分間隔(ここも終電が0時)。テイストとしては、大阪の長堀鶴見緑地線に近い感じです。

 発車メロディも、一応ありますよ、という程度。ちなみにホームドアが設置されています。

 

 で、電車に乗る。まず、泉中央駅まで、通しで乗ってみます(いわゆる「乗り鉄」なもので)。

 泉中央駅到着(仙台駅から、恐らく20分も乗っていないかと)。ユアテックスタジアム仙台(Jリーグのベガルタ仙台の本拠地)、東北学院大学泉キャンパスの最寄り駅です。

 ですが、資金的理由から、改札は今回は降りませんでした。次に仙台に行く機会があれば、改札を降りて、ゆっくり訪れたい場所の一つであるのですが。

 

 すぐさま折り返して、次なる目的地、勾当台公園駅(仙台駅から2駅、1.2km)。

 いわゆる官庁街がある。実際、仙台市役所、宮城県庁、宮城県警、NHK仙台放送局があります。

 

 という訳で、駅を降りたら、まずは官庁街へ。

 まず、NHK仙台。なんと、壁面にでかでかと、「畠山智之が伝える」。

 そう。畠山智之。かつて、「NHKニュース7」の第3代平日版MCに6年間君臨した(2000年~2006年)、「伝説的ニュースキャスター」です。

 「3・11」を受けて、本人の希望とのことで、昨年から、仙台に転勤。震災報道に「集大成」を捧げる、という感じでしょうか。

 

 日本を代表するニュースキャスターが、集大成を捧げる、ということ。

 「3・11」の事の重みを、ひしひしと考えさせられる感じです。

 そしてまた、NHK仙台所属のアナウンサーの中には、かつて、「テストの花道」(Eテレ)の「花道の先輩」として活躍した、天明麻衣子さんもいます。

 ポスターを目にしたときは、うおー、あの天明さんだ!と思わず心の中で叫んでいました。

 

 その後、宮城県警の前を歩きました。ちょうど、自分と同じくらいの年齢の若い女性警察官が歩いていて、そのオーラ全開ぶりに、NPOのみならず、警察官も併願しようかな、と真剣に強く抱く感じで。

 宮城県警の本番は、7月とのことですが、来月から、それに向けてピッチを徐々に入れていく感じになるのかもしれません。本命は、現時点では、NPOであるのですが。

 

 

 官庁街を過ぎて、駅を跨いで、東京エレクトロンホール宮城(もとの宮城県民会館)を過ぎて、「せんだいメディアテーク」へ。

 この、「せんだいメディアテーク」。「東北発未来塾」の「つながるチカラ」(2012年8月放送回)の舞台にもなりましたが、独特の外観は勿論、仙台市民図書館をも入居しており、仙台市民の憩い、学びの場としての役割をも果たしています。中に入ると、実にそのスケールに、圧倒される感じでした。

 

 メディアテークを過ぎると、ここからは、徒歩で仙台駅へと向かいます。

 いわゆる繁華街(国分町、クリスロード)を通るルートもありますが、自分は、大通り(定禅寺通り→東二番町通り→青葉通り)を通るルートにしました。

 徒歩だと、30分近く。でも、裏を返せば、仙台の繁華街は、大阪だと、梅田から淀屋橋までを歩くくらいで行ける、わりと狭い繁華街でもあるように感じます。

 

 で、仙台駅周辺の大型店舗(ロフト、エスパル等)を少し歩いて、仙台駅のおみやげ店街へ。

 自分が購入したのは、「ずんだプリン」及び「ずんだシェイク」。

 「ずんだ」とは、宮城の郷土料理とのことで、枝豆をすりつぶして作る緑色のペースト(流動性の強いもの)とのことです。

 で、自分が購入した2つの飲食物は、いわゆる「ずんだスイーツ」とのこと。食べて(飲んで)みると、実にとてもおいしい。

 そして、「ずんだスイーツ」を呼ばれて、なおさら、「東北で生きる覚悟」を強めさせて頂く感じです。

 

 で、20時、仙台駅出発。

 今回の5回目の東北は、「充実感に満ちる東北」という感じでした。

 とりわけ、「東北発未来塾」の公開収録や懇親会での仲間との出会いは、自分の人間としての視野を、より拡げ深めさせて頂く感じですし、また是非とも会いたい、と強く抱きます。

 また、荒浜や仙台港で、「現実」を学び、宮城県警で、「将来のイメージ」を育み、仙台市街地で、「感覚」をつかみ、Kスタ宮城や仙石線、地下鉄で、「趣味モード」も味わい、実に実り多い感じでした。

 

 

 では、(その2)において、「6回目の東北について。」の文章をを、執筆させて頂きたいと思います。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2013年

2月

25日

「2013年WBC、野球日本代表の3連覇実現に向かって、現時点で感じること(その4)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第36回のブログエントリーの論題は、「2013年WBC、野球日本代表の3連覇実現に向かって、現時点で感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の35回目になります。そして、NPBブログエントリーの4回目、野球日本代表ブログエントリーの2回目になります。

 

 では、(その3)の続きから、考察を始めます。

 

 

 ここでは、自分(愛球人)が考える、「2013年WBC野球日本代表における3連覇のために大切なことの一考察」を、したいと思います。

 

 

 (その1)では、今回の2013年WBCを考察する際のたたき台について(特に日程、投球数制限)。

 (その2)では、米国、キューバ、韓国の主力メンバー考察について。

 (その3)では、今回のWBC野球日本代表の28人枠の選手選考で思うことについて。

 

 

 今回の「28人枠」への違和感は、ここまでで、お分かり頂けるかな、と思います。特に、聖澤の代表落選は、実はいまでも、頭では理解できても、心で受け入れることが、し切れずにいます。

 とはいえ、決まった「28人枠」こそ、「我々日本人、日本球界を代表しての『28人枠』」であるのも、また事実なのです。

 震災を始め、どんよりした雰囲気に光を照らすべく、なおさら、「3連覇」実現あるのみと強く抱きますし、NPBを代表する存在をもってすれば、「3連覇」の実現は充分可能、と強く考える訳です。

 

 ただし、手持ちの選手のやりくりを見誤らないこと。特定の選手と心中することに拘らず、局面に応じて「鬼」になりきれるかどうか。これが、「3連覇」実現への絶対条件になる、と強く考える訳です。

 はっきり述べますが、準優勝も最下位も同じである、「3連覇」あるのみ、と自分は強く考えていますので。厳しい表現で申し訳ないですが。

 

 

 いま一度、(その1)にて言及した、日程及び闘球数制限について、触れようと思います。

 

 

 (図解5)2013年WBC野球日本代表、日程シミュレーション。

 (1)1次R第1戦 ブラジル(3月2日、福岡)

 (2)1次R第2戦 中国(3月3日、福岡)

 (3)1次R第3戦 キューバ(3月6日、福岡)

 (4)2次R第1戦 豪州または台湾(3月8日、東京。1位通過の場合)

 (5)2次R第2戦 韓国またはキューバ(3月10日。東京。ここに勝てば準決勝)

 (6)2次R第3戦 韓国またはキューバ(3月12日。東京。ここに勝って米国戦回避を)

 (7)準決勝 ドミニカまたはベネズエラ(3月18日。サンフランシスコ。恐らく日本時間の昼)

 (8)決勝 米国または韓国(3月20日。サンフランシスコ。恐らく日本時間の昼)

 

 

 (図解6)投球数制限のレギュレーション。

 (1)基本的に、1次R65球、2次R80球、準決勝及び決勝95球。

 (2)連投は2連投まで可能。連投したら中1日登板を空けねばならない。

 (3)50球以上投げると中4日必要。30球~49球ならば中1日必要。29球以下ならば連投可能。

 

 

 これを踏まえて、です。まず、打線がどうなのか。先日(2月24日)の壮行試合のメンバーが、恐らく基本線になるかな、と思いますので、それを踏まえて考えてみましょう。

 

 

 (図解16)2013年WBC野球日本代表、打撃陣考察(その1)。

 [スタメン。]

 1(遊)坂本

 2(二)松井稼

 3(DH)内川

 4(捕)阿部

 5(中)長野

 6(右)糸井

 7(一)中田翔

 8(左)角中

 9(三)松田

 

 [控え。]

 第2捕手(炭谷)

 第3捕手(相川)

 左の代打(稲葉)

 代走、内野守備要員(本多)

 内野守備要員(井端)

 内野守備要員、左の代打、代走(鳥谷)

 

 

 正直、やはり、ややアンバランスな印象が拭えません。また、阿部に「一人三役」は、あまりにもきつすぎるのではとも、正直感じます(正捕手、4番、主将)。

 主将、正捕手であることは、絶対に譲れない。その強打も勿論活かしたい。ならば、(5番)にするのがベターでは?と正直思うのです。

 

 あるいは、1番では、足の早い打者が望ましいのではないか?とも思います。とはいえ、足の速い、という意味で、ないものねだり(つまり、聖澤)をしても、仕方がない訳でもあるのですが。

 そして、「日本代表の4番」は、「状況に応じた打撃」ができるかどうか、つまり、「破壊力」のみならず、「野球IQ」「魂」をも兼備することが求められるのです(だから、松中信彦は、永遠に「代表のレジェンド」であると強く考える訳ですが)。阿部でなければ、適任者は、中田翔、松田になろうかと思いますが、「松中的スタイル」が、この2人にできるのか、ということも問われます。

 

 あるいは、現代表は、大砲は、中田翔、阿部の2人しかいません(あとは松田、坂本も可能ですが、この2人は本質的には3番、5番タイプ)。だとすれば、貴重な快足選手の本多の活用法も、重要になってきます。個人的には、代走でとどまらせるには、あまりにも惜しいように、自分は思うんですよね。

 そして守備力。例えば、鳥谷の内野守備の秀逸ぶりは、相応に評価されてしかるべきかと思います。まあ、こうして考えると、内野にどうしても偏重しており、外野の手薄さをどうしても感じずにはいられなくなってしまうのですが(中堅手長野は聖域。状況に応じて、右翼手内川、左翼手中田翔という、超攻撃的布陣もやむなしになってくる)。

 

 やはり、個人的には、外野守備(及び走塁)に、相応の配慮が必要であったのでは、とどうしても感じますし、特に、ベテラン二遊間(はっきりいえば、井端)が必要だったのか?という疑問符を、どうしても抱くのです。

 本多の「快足」、鳥谷の「堅守」、松井稼の「経験」、松田の「勢い」、坂本の「勝負強さ」をいかにして最大限に共存させ得るのか。それでいて、阿部の負担を最大限に軽減させるには、中田翔の4番、となると、中田翔をDH(または一塁手)で起用することがベターにもなってきます(これはつまり、右翼手糸井、左翼手内川をも意味している訳ですが)。

 ある種、複雑な方程式を解くような感覚ですが、自分なりに、オプション布陣を示してみたいと思います。

 

 

 (図解17)2013年WBC野球日本代表、打撃陣考察(その2)。

 (中田翔4番、阿部5番にする場合。)

 

 [スタメン。]

 1(遊)坂本

 2(DH)松井稼

 3(左)内川

 4(一)中田翔

 5(捕)阿部

 6(三)松田

 7(右)糸井

 8(中)長野

 9(二)本多

 

 

 (図解18)2013年WBC野球日本代表、打撃陣考察(その3)。

 (坂本、本多、鳥谷、松田、松井稼を同時起用して、かつ、中田翔を6番でのびのびと打たせたい場合。)

 

 [スタメン。]

 1(中)長野

 2(DH)松井稼

 3(右)内川

 4(捕)阿部

 5(遊)坂本

 6(左)中田翔 

 7(三)鳥谷

 8(一)松田

 9(二)本多

 

 

 このように考えると、打撃陣で、最もしっくりいきそうな感じがするのは、(図解17)のパターンであるように思うのです。阿部の負担が軽減できて、守備、走塁をある程度担保できて、破壊力、つなぎの打撃のバランスが取れる(破壊力が見込める打者を4、5、6番に置けて、かつ、左打者が2人続くことがない)。

 これがベターかな、と思う訳ですが、こうして考えると、打線は、大量得点は見込めないと覚悟せざるを得ないでしょう。つまり、投手陣が鍵を握ることになります。

 

 ここで、投手陣を巡る現状を、整理してみましょう。

 

 

 (図解19)2013年WBC野球日本代表、投手陣考察(その1。現状整理)。

 (1)先発3本柱は、田中将(右。2日・ブラジル戦)、前田健(右。3日・中国戦)、能見(左。6日・キューバ戦)の方向。ただし、田中将、前田健(特に後者)は、状態がよくない。

 (2)第2先発は、内海(左)、摂津(右)、大隣(左)の方向。

 (3)抑えは牧田(右。下手投げ)にしたい意向。

 (4)杉内(左)の安定感は特筆。自分は抑えに推したいが、恐らくセットアッパー起用が有力か。

 (5)森福は「左のワンポイント」か。残る「抑え経験者」の涌井(右)は、セットアッパーとみる。

 (6)山口鉄(左)、今村(右)も、順調な仕上がり。澤村(右)は短いイニングでこそ輝くと考えるが。

 

 

 で、日程を考えると、先発Aは、「3月2日のブラジル戦→3月8日の豪州戦」は鉄板となる。

 先発Bは、「3月3日の中国戦→3月10日の韓国戦」。先発Cは、「3月6日のキューバ戦→3月12日の韓国戦」。

 そして、万一、3月10日の韓国戦に敗北したときは、3月11日の敗者復活戦(キューバ戦)がある訳で、第2先発のうち1人が、「4人目の先発」として起用される可能性がある。となると、この「4人目の先発」になり得る第2先発は、2次Rでは「第2先発」としては使いづらくなります。

 そして、3月12日の韓国戦を有利に進める意味では、先発Aをここでもリリーフに投入しておきたい。となると、先発Aは、3月8日の豪州戦では、「49球以下」に抑えたい、となります。

 で、恐らく先発Aは、3月18日の準決勝(ドミニカ戦)となる。先発B、先発Cは、3月20日の決勝(米国戦)に投入しておきたい、という感じでしょうか。

 

 ここで抑えておきたいのは、「100球」は、「6回」をベースに考えられる、といわれています。

 となると、「29球」は「1回と3分の2程度」、「49球」は「3回程度」、「65球」は「4回程度」、「80球」は「5回程度」、「95球」は「6回程度」となります。

 

 さらに述べれば、恐らく、前田健は、本大会でも思うように機能しないのでは、と悲観的に見ています(この場合、追加召集の候補は、「抑え経験者」がベターなので、山口俊[横浜]、青山[東北楽天]がベターと思うが、追加召集は考えないこととする)。

 それを踏まえて、自分なりのシミュレートをしたい、と考えます。

 

 

 (図解20)2013年WBC野球日本代表、投手陣考察(その2。予想シミュレート)。

 (1)3月2日、福岡、ブラジル(田中将[3回]→内海[2回]→澤村[1回]→森福[1回]→涌井[1回]→杉内[1回])

 (2)3月3日、福岡、中国(前田健[2回]→摂津[2回]→大隣[1回]→森福[1回]→今村[1回]→山口鉄[1回]→杉内[1回])

 (3)3月6日、福岡、キューバ(能見[4回]→内海[2回]→涌井[1回]→杉内[1回]→牧田[1回])

 (4)3月8日、東京、豪州(田中将[3回]→摂津[2回]→澤村[2回]→山口鉄[1回]→杉内[1回])

 (5)3月10日、東京、韓国(内海[4回]→大隣[2回]→森福[1回]→涌井[1回]→杉内[1回])

 (6)3月12日、東京、韓国(能見[4回]→田中将[2回]→森福[1回]→涌井[1回]→牧田[1回])

 (7)3月18日、サンフランシスコ、ドミニカ(田中将[5回]→摂津[2回]→涌井[1回]→杉内[1回])

 (8)3月20日、サンフランシスコ、米国(能見[5回]→牧田[1回]→澤村[3分の2回]→森福[3分の1回]→涌井[1回]→杉内[1回])

 

 

 上記のようなシミュレートにしたのは、下記のような感じをイメージしてです(私見全開であることを、御許し下さい)。

 

 

 (図解21)2013年WBC野球日本代表、投手陣考察(その3。予想シミュレート理由)。

 (1)前田健は状態が上がらないとみるから。大隣は、最終的には雰囲気にのまれてしまうのではとみるから。

 (2)2次Rでは、内海が先発に昇格して、摂津が「4人目の先発」として起用されるとみるから。また、田中将は、3月12日の韓国戦を見据えて、3月8日の豪州戦は抑え目の投球数にする。

 (3)牧田は貴重な下手投げだからこそ、本領を発揮すべき局面で起用すべきと考えるから。故に、登板機会は、大一番の局面に基本的に限定する。

 (4)杉内の豊富な経験は代表の生命線。パフォーマンスも確実に計算できる。故に、抑えは、杉内と牧田の「ダブルストッパー体制」で対応するのがベターと判断。

 (5)あらゆる役割に対応可能な涌井は「セットアッパー」で固定。「左のワンポイント」の出場機会はさほどないとの判断から、森福、山口鉄は、調子、状況に応じて起用すべきとの考え。澤村は出来るだけ短いイニングでのピンチ時での起用がベターとの判断だが、状況に応じてロングリリーフにも対応。

 (6)準決勝は、とにかく決勝進出を、そして、できるだけ救援陣を投げさせないを強く意識して、田中将を先発起用。決勝は、能見の状態がよいとみて、先発起用。内海はリリーフ待機。そして決勝のリリーフは、局面に応じて、調子のよい選手、タイプに適合し得る選手からどんどんつぎ込んでいく。必要に応じて、杉内を8回から投入することも厭うべきではない。

 

 

 いずれにせよ、「采配の工夫」「心を一つにする」「同じ方向を向く」ことなくして、「3連覇」はあり得ない、と強く考える訳ですが、「3連覇のための絶対条件」を、自分なりに、下記に示したいと思います。

 

 

 (図解22)2013年WBC野球日本代表、「3連覇」実現のために絶対に必要と考える「7つの要素」。

 

 (1)ファンが「29人目の選手」として最大限のサポートを!

 (2)選手28人、指揮官が「心を一つに、同じ方向を向く」!

 (3)特定の選手と心中せず、それでいて「自分たちの野球」を貫くこと!

 (4)捕手、内野手は、投手への声掛けを積極的に!それだけでも投手にパワーがみなぎる!

 (5)一つでも先の塁を貪欲に!盗塁、バント、エンドランを駆使すべし!

 (6)状況に応じた巧みな継投を!投球数制限をも強く意識すべし!

 (7)的は己の中にあり!積極的なプレーをしてこそ、勝利をより引き寄せ得る!

 

 

 いずれにせよ、「2013年WBC日本代表」が、「3連覇実現」を叶えることを、強く希求してなりませんし、絶対に出来る、と強く信じて、ありったけのサポートをさせて頂く思いです。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2013年

2月

25日

「2013年WBC、野球日本代表の3連覇実現に向かって、現時点で感じること(その3)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第36回のブログエントリーの論題は、「2013年WBC、野球日本代表の3連覇実現に向かって、現時点で感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の35回目になります。そして、NPBブログエントリーの4回目、野球日本代表ブログエントリーの2回目になります。

 

 では、(その2)の続きから、考察を始めます。

 

 

 ここでは、自分(愛球人)が考える、「2013年WBC野球日本代表における3連覇のために大切なことの一考察」を、したいと思います。

 

 冒頭にて、「決まった28人は、全力で応援する。」と述べました。

 ですが、その一方で、「今回の28人が、『NPBオールスターズ』にふさわしい陣容か、少なからず疑問を抱く。」というのも、率直な感覚なのも、また事実です。

 

 尤も、現在のNPBでは、40人~50人程度は、日本代表にふさわしい実力の持ち主である、と正直強く抱きます。

 100人の野球ファンがいれば、それこそ、100通りもの「28人枠」が生み出され得る、と思いますし、それはそれで、最大限に尊重されて然るべき、とも強く抱くのです。

 

 だから、「正解」は、必ずしも一つではない。いやむしろ、「3連覇」が叶えば、それが正解であるのかもしれませんし、叶わなければ、結局「不正解」であった、となるのかな、とも思うのです。

 少なくとも、「3連覇」は絶対にできる、と信じることのみなのかな、とも思う感じなんですよね。

 

 

 ただ、率直に言って、今回の「28人枠」が、「最強の28人枠」であるかといえば、自分は、「そうは思わない」感じなんですよね。

 もっといえば、「35人~40人程度の候補選手を合宿に召集して(それも、2月12日くらいから合宿に召集してしまうこと)、そこでのコンディションやタイプ別バランスを最大限に考慮して、28人枠を編成する」、それがベストであったのではないか(そして、今後の教訓として)、と自分は強く抱くのです。

 

 そもそも、今回の「28人枠」、いや、「33人枠」では、いくつか突っ込みどころが満載な感じがあるのです。

 

 

 (図解11)「40人枠」「28人枠」において、今回のWBC日本代表で留意すべきであったのでは、と感じる要素。

 

 (1)直近のシーズンで結果を出した選手を最優先で選出する(タイトルホルダーを軸に、規定打席、規定投球回数に到達した人間を出来るだけ召集する、ということ)。

 (2)コンディションを最優先して選出すること(どれほど実績があろうとも、万全な体調でなければ水泡に帰する。逆に力量的にボーダーラインでも、「準備ができている」選手であれば、積極的に選出して然るべきとも考える)。

 (3)「軸」を明確にしておく(先発3本柱、絶対的抑え、中軸の3人、正捕手はあらかじめ明確にした方がよい)。

 (4)タイプ別バランスを重要視する(国際大会の特性を考慮して、投手ならば、技巧派、左腕投手をできるだけ多く配した方がよい。打者ならば、複数の守備位置を高次元で対応し得る打者[いわゆるマルチロール]、走塁技術に優れる打者を出来るだけ多く配することが肝要かと)。

 (5)投手の構成において、どのような役割にも対応し得る投手(普段は先発だが、ロングリリーフやワンポイント起用をも厭わない利他的なメンタリティーの持ち主)、あるいは、抑え経験者(ピンチの局面になれているから)を、できるだけ多く選出する(ただし、救援専門の投手は、あまり多くなり過ぎないことも肝要。長いイニングに対応できる投手が多い方が有利でもあるので)。

 

 

 で、今回の場合、「投手13人、捕手3人、内外野12人、合計28人」という基本フォーマットがあるとのことです(韓国は、捕手は2人ですが)。だとすれば、国内合宿召集の時点で、「投手17人、捕手4人、内外野15人、合計36人(~40人)程度」を召集すべきだったのでは、と正直強く抱くのです。

 

 今回の場合、大島、村田、浅尾のように、「コンディションに問題がある」ならば、断念やむなしでしょう(本音をいえば、前田健もこれに該当し得るように感じてならないのですが。そして浅尾は、昨季のパフォーマンスを考えれば、そもそも候補に選出すべきではなかったかと)。

 ただ、山井のように、「力量不足」(安定した成績をこれまで挙げられた訳ではない。確かに大舞台で強いイメージはありますが)の選手を選出したり、ベテラン打者を3人(稲葉、松井稼、井端)も選出する必要があったのか?とは、正直強い疑問符を抱くのです。

 

 では、自分が日本代表監督ならば、「28人枠」において、どのような選出をするのか(国内合宿での「36人枠」をも含めて)、私見を述べたいと思います。

 

 

 (図解12)自分(愛球人)が考える、現時点における、「2013年WBC日本代表28人枠」選出における基本スタンス。

 

 (1)「NPBオールスターズ」を最大限に具現化し得る陣容にする。そして、「チーム」として機能し得る「最強」の28人枠にウェートを置く(「最高」が「最強」とは限らないので)。

 (2)基本的なベースは(図解11)の方針。で、WBCはタフな闘いであるので、心身の負担があまりにも大きい。故に、精神力を重要な選考要素とする。また、主として35歳以上のベテラン選手は原則的に選考対象から除外。

 (3)投手は左右のバランスをできるだけ重視する。特に対強豪国、あるいはパワー型の打者をいかにして封じるかと考えると、技巧派をできるだけ多く配しておきたい。

 (4)打者については、ポジションバランスに留意したい。また、破壊力で他国にどうしても劣ることや、他国が総じて守備力に不安を抱えることをも踏まえても、走塁力に優れる選手をできるだけ多く配したい。

 (5)対左腕投手ということをも踏まえても、同等の能力であれば、右打者の方を優先させる。また、できるだけ何か一つ以上に特筆する能力を持つ選手や、複数ポジションに対応可能な選手を優先して選考したい。故に、タイトルホルダーでも容赦なく落選対象になり得る。

 

 

 これを踏まえて、現時点でならば、ですが、「28人枠」の候補を自分ならばどうしたか、ということを、11月26日時点のエントリーとは、やや顔触れが異なりますが、示したいと思います。

 

 

 (図解13)自分(愛球人)が考える、現時点における「2013年WBC日本代表28人枠」(候補における基本的な考え方)。

 

 

 (投手)

 (1)先発3本柱→田中将(東北楽天)、内海(巨人)が左右の看板。これに3枚目の先発で前田健(広島)。ただし前田健が故障となれば、能見(阪神)を充てる。

 (2)抑え→所属チームで抑えの選手を充てるのがベターだが、球児クラスの抑えは現状不在。その意味で、豊富な国際経験を考慮して、杉内(巨人)をベースにする。杉内ならば、「彼につなげれば勝利は間違いない」と結束できると考えるから。

 (3)第2先発の候補→沢村賞受賞者の摂津(ソフトバンク)は最優先。左腕では、成瀬(千葉ロッテ)の経験にかける。3人目の「第2先発」の候補は、右では多彩な球種の岸(埼玉西武)に再チャレンジさせ、左では昨季開花した大隣(ソフトバンク)を充てる。ここまでで8人。

 (4)中継ぎ陣→下手投げは国際大会で威力を発揮し得るので、牧田(埼玉西武)はマスト。左腕投手も多く組み込みたい。その意味で、経験豊富な石川(ヤクルト)、抑えとして開花した森福(ソフトバンク)、タフネスの山口鉄(巨人)も候補になり得る。

 (5)抑え経験者→先述の森福に加えて、涌井(埼玉西武)、山口俊(横浜)、青山(東北楽天)も候補になり得る、特に涌井はどのような役割にも対応し得るのでプライオリティーが高い。また、澤村(巨人)は、所属球団では先発だが、その球威は短いイニングだとより生き得る。故に澤村も中継ぎリストに加えておきたい。これで16人。

 

 (捕手)

 (1)正捕手は阿部(巨人)。合わせて主将に任命する。候補は4人が望ましいと考えるが、昨季及び近年のパフォーマンスから、炭谷(埼玉西武)、嶋(東北楽天)。精神的支柱が必要であるならば、里崎(千葉ロッテ)を充てる(2006年の第1回大会の正捕手であるので、経験を伝えるため)。

 

 (内外野)

 (1)阿部が正捕手にして主将であるので、4番は別に置く必要がある。最適任は中田翔(日本ハム)。起用法はDHで固定する。

 (2)中軸候補として、3番の固定も必要。最適任は坂本(巨人)と考える。また、5ツールプレイヤー候補(走攻守3拍子揃う打者)として、長野(巨人)、松田(ソフトバンク)、糸井(日本ハム)も組み込む。アベレージヒッターも重要であるので、内川(ソフトバンク)もマスト。首位打者ホルダーとして、角中(千葉ロッテ)も招集する。

 (3)快足打者を積極的に組み込む(国際大会では少ないチャンスをものにするためになおさら重要であるので)。その意味で、故障の大島(中日)は断念やむなしにせよ、聖澤(東北楽天)、本多(ソフトバンク)は1、2番打者として組み込む(大砲が少ないとなればなおさら必要かと)。

 (4)大砲候補として、右では村田(巨人)、左ではT岡田(オリックス)。ただし、村田は故障ならば断念やむなし、T岡田も、昨季は故障で長期欠場であったので、直前でのカットもあり得るかもしれない。

 (5)内野の巧打者として、鳥谷(阪神)を組み込む。また、内外野の控えの枠が4しかないことを持考えれば、内外野のマルチロールが絶対に必要と考えるので、貴重な該当者であろう、浅村(埼玉西武)、明石(ソフトバンク)をも組み込む。ここまでで13人(T岡田をもカウントして)。

 (6)外野の守備力をも考慮して、荒波(横浜)、岡田(千葉ロッテ)をも組み込む。ここまでで15人。

 

 

 ここから、絞り込み作業として、かつてWBC球に適応できなかった過去の岸、力量やタイプ別バランスから、青山をカットして、投手は14人。ラストは、杉内に加えて、ダブルス突破的要因として涌井をもカウントして、そうなると左の中継ぎを1人カットし得るので、山口鉄をカット(澤村の可能性に掛ける)。これで投手は13人。

 捕手は、精神的支柱が必要ならば、里崎を置くのは一案でしょう。で、チームの士気や攻守のバランスをも考慮すれば、里崎を第3捕手とする場合、第2捕手では、自分ならば、嶋を残して、炭谷をカットします(心情的にはどちらも残したいですが)。

 内外野は、T岡田の調子が戻っていれば、左の大砲として貴重であるので、長打、走塁でやや不安の角中をカット。マルチロール要員では浅村を優先させて、明石をカット。そして、外野守備要員では、荒波の伸びしろにかけて(昨季のゴールデングラブでもあるので)、岡田をカット。これで内外野は12人。

 で、投手の14人目としての山口鉄と、打者の12人目としての荒波を天秤にかけて、左腕投手が多いに越したことはないことと、荒波の打撃面での不安から、荒波をカット、山口鉄を残す、故に、投手14人、捕手3人、内外野11人、合計28人。投手偏重の構成になってしまいましたが。

 

 

 上記のことを踏まえて、下記のような感じになります。

 

 

 (図解14)自分(愛球人)が考える、「2013年WBC野球日本代表28人枠」。

 

 (投手[14人]。)

 田中将大(東北楽天、右)[昨季成績10勝4敗。11年沢村賞等。]

 内海哲也(巨人、左)[今季成績15勝6敗。11年、12年最多勝等。]  

 能見篤史(阪神、左)[今季成績10勝10敗。12年奪三振王。]  

 成瀬善久(千葉ロッテ、左)[今季成績12勝11敗、07年防御率王。]

 大隣憲司(ソフトバンク、左)[今季成績12勝8敗。]

 摂津正(ソフトバンク、右) [今季成績17勝5敗。12年沢村賞等。]

 石川雅規(ヤクルト、左)[今季成績8勝11敗。08年防御率王等。] 

 森福充彦(ソフトバンク、左)[今季成績2勝5敗17S。]

 山口鉄也(巨人、左)[今季成績3勝2敗5S。09年、12年最優秀中継ぎ。]

 澤村拓一(巨人、右)[今季成績10勝10敗。11年新人王。]

 牧田和久(埼玉西武、右)[今季成績13勝9敗。11年新人王。]

 山口俊(横浜、右)[今季成績1勝2敗22S。]

 涌井秀章(埼玉西武、右)[今季成績1勝5敗30S。09年沢村賞等。]

 杉内俊哉(巨人、左)[今季成績12勝4敗。05年沢村賞等。] 

 

 (捕手。)

 阿部慎之助(巨人、左)[今季成績打率340、27本塁打、104打点、0盗塁。12年MVP、首位打者等。] 

 嶋基宏(東北楽天、右)[今季成績打率291、1本塁打、8打点、3盗塁。]

 里崎智也(千葉ロッテ、右)[今季成績打率244、9本塁打、41打点、0盗塁。]

 

 (内野手。)

 中田翔(日本ハム、右)[今季成績打率239、24本塁打、77打点、5盗塁。] 

 T岡田(オリックス、左)[今季成績打率280、10本塁打、56打点、4盗塁。10年本塁打王。]

 村田修一(巨人、右)[今季成績打率252、12本塁打、58打点、1盗塁。07年、08年本塁打王。]

 松田宣浩(ソフトバンク、右)[今季成績打率300、9本塁打、56打点、16盗塁。] 

 坂本勇人(巨人、右)[今季成績打率311、14本塁打、69打点、16盗塁。12年最多安打。] 

 鳥谷敬(阪神、左)[今季成績打率262、8本塁打、59打点、15盗塁。11年最高出塁率。]

 本多雄一(ソフトバンク、左)[今季成績打率246、0本塁打、31打点、34盗塁。10年、11年盗塁王。]

 浅村栄斗(埼玉西武、右)[今季成績打率245、7本塁打、37打点、13盗塁。]

 

 (外野手。)

 長野久義(巨人、右)[今季成績打率301、14本塁打、60打点、20盗塁。11年首位打者等。]

 内川聖一(ソフトバンク、右)[今季成績打率300、7本塁打、53打点、6盗塁。11年MVP、首位打者等。]

 聖澤諒(東北楽天、左)[今季成績打率270、4本塁打、45打点、54盗塁。12年盗塁王。]

 大島洋平(中日、左)[今季成績打率310、1本塁打、13打点、32盗塁。12年盗塁王。]

 糸井嘉男(日本ハム、左)[今季成績打率304、9本塁打、48打点、22盗塁。11年、12年最高出塁率。]

 

 

 (図解15)「愛球人が考える2013年WBC日本代表28人枠」における、具体的起用法。

 

 [投手。]

 先発(田中将、内海、能見。)

 第2の先発[ロングリリーフ](成瀬、摂津、大隣。)

 中継ぎ(石川、森福、山口鉄、澤村。)

 セットアッパー(牧田、山口俊、涌井。)

 抑え(杉内。)

 

 

 [打者。]

 〈スタメン。〉

 1(中)聖澤

 2(二)本多

 3(遊)坂本

 4(DH)中田翔

 5(捕)阿部

 6(一)松田

 7(左)内川

 8(三)鳥谷

 9(右)長野

 

 〈控え。〉 

 左の代打(T岡田)

 内外野守備要員、代走(浅村)

 外野守備要員、左の代打、代走(糸井)

 

 

 これはあくまでも私見に過ぎません。あくまでも、「愛球人が日本代表監督ならば」の「28人枠」です。

 

 

 では、上記のことをも踏まえて、自分(愛球人)が考える、「2013年WBC野球日本代表における3連覇のために大切なことの一考察」を、(その4)にて示したいと思います。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その4)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2013年

2月

25日

「2013年WBC、野球日本代表の3連覇実現に向かって、現時点で感じること(その2)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第36回のブログエントリーの論題は、「2013年WBC、野球日本代表の3連覇実現に向かって、現時点で感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の35回目になります。そして、NPBブログエントリーの4回目、野球日本代表ブログエントリーの2回目になります。

 

 では、(その1)の続きから、考察を始めます。

 

 

 ここで、主要国(韓国、キューバ、米国)の予想スタメンを、自分なりに考察したいと思います。

 

 

 (図解8)自分(愛球人)が予想する、現時点での2013年WBC米国代表主力選手。

 

 [スタメン打者。]

 1(中)ビクトリーノ(レッドソックス、両)

 2(遊)ロリンズ(フィリーズ、両)

 3(左)ブラウン(ブルワーズ、右)

 4(一)テシェイラ(ヤンキース、両)

 5(三)ライト(メッツ、右)

 6(DH)スタントン(マーリンズ、右)

 7(捕)マウアー(ツインズ、左)

 8(二)フィリップス(レッズ、右)

 9(右)ゾブリスト(レイズ、両)

 

 [主力投手。]

 先発(ジオ・ゴンザレス[ナショナルズ、左]、RA・ディッキー[ブルージェイズ、右]、ボーグルソン[ジャイアンツ、右])

 ロングリリーフ(ホランド[レンジャーズ、左]、デトワイラー[ナショナルズ、左])

 中継ぎ(ぺスタノ[インディアンス、右]、グレカーソン[パドレス、右]、ティム・コリンズ[ロイヤルズ、左]、パーキンス[ツインズ、左])

 セットアッパー(クリス・ぺレス[インディアンス、右]、シシェック[マーリンズ、右])

 抑え(キンブレル[ブレーブス、右])

 

 

 特徴として、投手が15人もいます(先発は3人+デトワイラーで回す感じか。それを除く11人のうち、左腕は4人。つまり、投手15人のうち、左腕が6人ということになる)。

 左打者の多い日本ですので、左のワンポイント(恐らくティム・コリンズ)は、容赦なく繰り出される可能性はあるかもしれません。

 恐らく対戦する場合、2次Rを1位通過できれば、決勝でしょう。とすれば、ジオ・ゴンザレスが先発と考えてよい。あまり得点は見込めないことを、覚悟せねばなりません。

 とすれば、6回~8回の中継ぎタイムが勝負になるのかな、と。中継ぎの質は、日本の投手とさほど変わらないと考えられますので、ここで畳みかけたい(勿論、ジオ・ゴンザレスの球数を出来るだけ投げさせることも肝要かなと思いますが)、と考える感じです。

 捕手及び二遊間の守備力は、必ずしも高い訳ではないと思います。ですので、足を遣った野球(エンドラン等)は、とても有益な方法かな、と正直思うのです。

 

 その一方で、打撃陣。強力なのは、3番~5番の中軸陣です(ブラウン、テシェイラ、ライト)。いずれも国際経験が豊富ですし、状況に応じた打撃ができます(勿論破壊力も充分)、6、7番(スタントン、マウアー)も一発があるので、繊細な投球が求められるといえるでしょう。それを、8番~2番までの、足を絡め得る曲者が絡む感じになるのかな、と思います。

 中軸の3人は、牧田の出番が増えてくるかな、と思いますので、抑えはなおさら、杉内の方がよいかな、と個人的には感じます(あるいは球種の多さや経験では、涌井も一案かも。いずれにせよ、決勝での対戦が予想されるので、決勝仕様を考慮すべきかと)。森福、山口鉄の左腕救援陣は、マウアーへのワンポイントというよりは、足を駆使されたくない局面(特に、9番~2番の両打ちが並ぶ局面)で、より起用価値が増してくるかもしれません(盗塁リスクを軽減させ得るので)。

 

 

 (図解9)自分(愛球人)が予想する、現時点での2013年WBCキューバ代表主力選手。

 

 [スタメン打者。]

 1(遊)アルエバルエナ(右)

 2(二)J・フェルナンデス(右)

 3(三)グリエル(右)

 4(左)A・デスパイネ(右)

 5(DH)セペダ(両)

 6(一)アブレウ(右)

 7(中)ベル(右)

 8(右)トーマス(右)

 9(捕)モレホン(右)

 

 [主力投手。]

 先発(ヒメネス[右]、V・ガルシア[右]、ペドロソ[右])

 中継ぎ(A・ロドリゲス[右]、ベタンコート[右]、F・アルバレス[右]、イグレシアス[右]、D・ヌニェス[左])

 抑え(N・ゴンザレス[左])

 

 

 今回も、伝統の「破壊力打線」の印象です。特に、3番~7番は、どこからでも本塁打が充分起こり得ることを、覚悟せねばなりません。しかも、右打者(両打者)がずらりと並びますので、左腕の効力もあまりありません(ただ、ぶんぶん振り回す傾向にあるので、技巧派の投入はかなり効力があると見ますが。特に、牧田、森福、杉内、涌井等)。

 対する投手陣。上記に挙げたのは、おそらくこのような陣容だろう、という感じに過ぎません(ちなみに投手13人のうち、左腕投手は3人のみ)。N・ゴンザレスを抑えにしたのは、代表経験が長く、かつ代表ではリリーフを主戦場にしてきたからです。恐らく、1次R(3月6日)は、最も自身のある投手をぶつけると思いますので、ヒメネスが先発かな、と思います。

 

 特徴として、若い選手がかなり多い印象を覚えます。

 投手ならば、F・アルバレス(19歳)、D・ヌニェス(20歳)、イグレシアス(22歳)、等々。打者ならば、トーマス(22歳)、アルエバルエナ(22歳)、J・フェルナンデス(24歳)、A・イバニエス(19歳)、等々。

 このような若い選手は、ほとんど全くデータがありません。ですが、代表になるのですから、潜在能力はかなり高いのでしょう。

 ハイスコアゲームを覚悟せねばならないかな、と思いますが、つなぎの打撃は勿論、継投において、技巧派をいかに効果的に投入していくかが、ポイントになってくるのかな、と自分は考えます。

 

 

 (図解10)自分(愛球人)が予想する、現時点での2013年WBC韓国代表主力選手。

 

 [スタメン打者。]

 1(中)李容圭(イヨンギュ、起亜、左)

 2(二)鄭根宇(チョングンウ、SK、右)

 3(三)崔廷(チェジョン、SK、右)

 4(DH)李大浩(イデホ、オリックス、右)

 5(一)金泰均(キムテギュン、ハンファ、右)

 6(右)李晋映(イジンヨン、LG、左)

 7(遊)姜正浩(カンジョンホ、ヒーローズ、右)

 8(左)金賢珠(キムヒョンス、斗山、左)

 9(捕)姜民稿(カンミンホ、ロッテ、右)

 

 [主力投手。]

 先発(張洹三[チャンウォンサム、三星、左]、尹錫珉[ユンソクミン、起亜、右]、張元準[チャンウォンジュン、警察庁、左])

 ロングリリーフ(宋勝準[ソンスンジュン、ロッテ、右]、徐在応[ソジェウン、起亜、右])

 中継ぎ(盧景銀[ノギョンウン、斗山、右]、朴熙洙[パクヒス、SK、左]、車雨燦[チャウチャン、三星、左]、尹喜相[ユンヒサン、SK、右])

 セットアッパー(鄭大炫[チョンデヒョン、ロッテ、右〈下手投げ〉]、孫勝洛[ソンスンラク、ネクセン、右])

 抑え(呉昇恒[オスンファン、三星、右])

 

 

 上記を予想陣容としましたが、打線については、李承燁(イスンヨプ、三星、左)を、李大浩、金泰均と同時起用する布陣も、充分あり得るでしょう(その場合、3番DH李承燁、4番三塁手李大浩、5番一塁手金泰均、7番遊撃手崔廷、という超攻撃的布陣になる)。

 李承燁の起用法が鍵を握るかな、と思いますが、勝負どころの代打で李承燁が出てきた方が、恐ろしい感じは、個人的には抱きます。逆にいえば、そのときが、森福の出番かな、とも思うのです。

 打撃陣は、左打者を2人続けては並べない布陣にする、と予想します。ですので、左のワンポイント云々を意識するよりは、局面に応じた起用法を、と考えるのがベターかな、と思うのです。

 

 投手陣は、13人のうち、左腕投手は4人です。そのうち先発が2人ですので、恐らく、左の救援陣では、朴熙洙に掛かる負担が大きくなるかな、と考えられます。

 とはいえ、鄭大炫、孫勝洛、呉昇恒の「強力リリーフトリオ」は、参加国の中では、最高レベルでしょう。そして、このトリオを打ち崩さねば、恐らく3連覇は見えてこない。

 とりわけ、鄭大炫、呉昇恒は、国際大会の経験が実に豊富ですし、万全の呉昇恒が相手では、まず打てないでしょう。

 恐らく日本戦での先発(2次R第3戦)は、張洹三と予想します。左腕対策は勿論、「1点に拘る緻密な野球」の成否が、勝負の鍵を握るように、自分は思うのです。

 

 

 では、上記のことをも踏まえて、自分(愛球人)が考える、「2013年WBC野球日本代表における、28人枠の選手選考における私見としての一考察」を、(その3)にて示したいと思います。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その3)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2013年

2月

25日

「2013年WBC、野球日本代表の3連覇実現に向かって、現時点で感じること(その1)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第36回のブログエントリーの論題は、「2013年WBC、野球日本代表の3連覇実現に向かって、現時点で感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の35回目になります。そして、NPBブログエントリーの4回目、野球日本代表ブログエントリーの2回目になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 今回のエントリー執筆にあたり、まず、昨年の11月26日に執筆させて頂きました、「愛球人的2013年WBC野球日本代表28人枠」のエントリー記事を、合わせて拝読して頂けると、とても有難く思う感じです。

 

 

 (図解1)自分の昨年11月下旬のエントリー記事のリンク。

 http://aikyujin.jimdo.com/2012/11/26/自分-愛球人-が考える-現時点における2013年wbc日本代表28人枠-その1/

 http://aikyujin.jimdo.com/2012/11/26/自分-愛球人-が考える-現時点における2013年wbc日本代表28人枠-その2/

 

 

 で、2月20日、2013年WBC野球日本代表の「28人枠」が発表されました。下記に、リンクを貼らせて頂きたく思います。

 

 

 (図解2)2013年WBCについての基本情報のリンク。

 (1)ウィキペディア。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/2013_%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF

 (2)WBC公式サイト日本語版。

 http://worldbaseballclassic.jp/

 (3)スポーツナビWBC特集ページ。

 http://baseball.yahoo.co.jp/wbc/

 

 

 (図解3)2013年WBC野球日本代表28人枠メンバーのリンク。

 (1)[ウィキペディアより]http://ja.wikipedia.org/wiki/2013_%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BB%A3%E8%A1%A8

 (2)[スポーツナビより]http://baseball.yahoo.co.jp/wbc/team/360/detail/

 

 

 結論的に述べれば、「野球日本代表において、決まった28人枠の選手を、3連覇実現のために、一人の人間、一人の野球ファンとして、全力で応援する。」と強く抱きます。

 「3連覇実現」は、義務であり使命であることは勿論、28人が「心を一つにする」ことができれば、絶対に可能である、と強く信じています。

 

 各国の代表メンバーも、揃った感じであり、今回も、スター選手がずらりと名を連ねております。

 で、日本の場合、「MLB組(ダルビッシュ、青木、中島、球児)、及び、おかわり(中村剛)の不在」がクローズアップされていますが、ほとんどの国が、主力クラスの選手が不参加の感じであり(理由は様々でしょうが)、こうして考えると、日本の3連覇の勝機は充分あると、自分は信じているのです。

 

 ですが、必ずしも「楽観的」とは思っていないのも、また現状なのです。どちらかといえば、むしろ「悲観的」でしょうか。知恵を絞らないと、足下をすくわれないとは言えない、決勝進出さえおぼつかない危険性も充分あり得る、とも思っているのです。

 

 

 では、ここで、他国の状況がどうであるのかを、自分なりに考えてみたいと思います。

 

 

 (図解4)2013年WBC、他国の代表メンバーがどうであるのか、愛球人的私見。

 

 (1)韓国は基本的に国内組主体であるが、打撃陣はバランスの取れたメンバー構成の印象。投手陣がやや小粒に映るが、メンタルの強靭さは世界最高レベル。特に、絶対的抑え、呉昇恒(オスンファン)を擁しているのは、「大きな強み」といえる。

 (2)キューバは伝統の「破壊力主体」の印象。グリエル、デスパイネ、ベル、アブレウ、セペダの中軸は要警戒が必要(しかもいずれも右打者。セペダは両打ち)。また、ピーキングが上手いので、昨年11月の強化試合とは別物の手ごわいチームと考えた方がよい。

 (3)豪州、台湾のいずれかが、2次ラウンドで対戦と思われるが、普通にやれば勝てる相手。ただ、繊細な投球、粘り強い打撃は勿論必要になってくる。

 (4)ベネズエラ(ミゲル・カブレラ。昨年のMLBの3冠王)、ドミニカ(カノー、H・ラミレス、エンカーナシオン、J・レイエス)、プエルトリコ(ベルトラン、A・リオス)、メキシコ(A・ゴンザレス)は、ここに強打が魅力の選手は何人か擁するが、選手層が厚いとは言えず、いずれも投手陣に不安なので、細かい継投を見誤らなければ勝機は充分あるかと。

 (5)米国は歴代最強のメンバーを用意した、と考えてよい。特に、エースのジオ・ゴンザレス、抑えのクレイグ・キンブレルは実に強力であり、打撃陣も、ブラウン、テシェイラ、ライトの中軸は経験豊富なので要注意(しかもマウアーを除き、全員が右打者または両打者。ゾブリスト、ブルームクイストのようなマルチロールも擁している)。

 

 

 このように考えると、日本が最も注意すべきは、「米国」「韓国」「キューバ」の3か国といえるでしょう。勿論、準決勝(恐らくドミニカかベネズエラ)も要注意ですが、むしろ2次ラウンドを突破する方がハードルが高いかもしれません(恐らく、韓国、キューバ、豪州または台湾との対戦と考えられますので)。

 

 日程的には、恐らく、下記のようになるのでしょう。

 

 

 (図解5)2013年WBC野球日本代表、日程シミュレーション。

 (1)1次R第1戦 ブラジル(3月2日、福岡)

 (2)1次R第2戦 中国(3月3日、福岡)

 (3)1次R第3戦 キューバ(3月6日、福岡)

 (4)2次R第1戦 豪州または台湾(3月8日、東京。1位通過の場合)

 (5)2次R第2戦 韓国またはキューバ(3月10日。東京。ここに勝てば準決勝)

 (6)2次R第3戦 韓国またはキューバ(3月12日。東京。ここに勝って米国戦回避を)

 (7)準決勝 ドミニカまたはベネズエラ(3月18日。サンフランシスコ。恐らく日本時間の昼)

 (8)決勝 米国または韓国(3月20日。サンフランシスコ。恐らく日本時間の昼)

 

 

 (図解6)投球数制限のレギュレーション。

 (1)基本的に、1次R65球、2次R80球、準決勝及び決勝95球。

 (2)連投は2連投まで可能。連投したら中1日登板を空けねばならない。

 (3)50球以上投げると中4日必要。30球~49球ならば中1日必要。29球以下ならば連投可能。

 

 

 この、投球数制限は、WBC特有のルールであり、投手陣の層の分厚さが生命線の日本にとっては、有利なルールであったりもする訳ですが、「50球以上投げると中4日必要」ということは、第2先発は基本的には「49球まで」と考えた方がよいかも(少なくとも、2次R第2戦までは)、という感じかもしれません。

 また、今回のWBCの各国の代表メンバーの顔触れを見ると、左の強打者が割と少ない印象を覚えます。いわゆる「左のワンポイント」の出番が、あまり多くないかも、という感じでもあるのです。

 

 

 (図解7)「左のワンポイント」の出番が起こり得る、各国代表の左の強打者。

 (1)米国(マウアー。捕手。恐らく7番)

 (2)ドミニカ(カノー。二塁手。恐らく5番)

 (3)メキシコ(A・ゴンザレス。一塁手。絶対的な4番。ただし対戦可能性薄い)

 (4)韓国(李承燁、李晋暎、金賢洙、李容圭。ジグザグを組む可能性も)

 

 

 韓国の打順の陣容がどうなるかはわかりませんが、「左腕だから」という出番の必要性は、韓国戦を除けば、さほどないかもしれない、とも感じます。

 「左のワンポイント」は、今回の場合、森福(ソフトバンク)かな、と考えますが、ワンポイントありき、というよりは、ピンチのときに登場する方にウェートを置いた方がよいかもしれません。

 

 むしろ脅威なのは、キューバの投手陣の編成はまだ不透明ですが、米国、韓国は絶対的な抑えを擁していることです(キンブレル、呉昇恒)。対する日本は、どうも牧田を抑えとする方向のようですが(面白い方法とは思う。尤も自分がこの陣容を率いるならば、杉内を抑えにしますが)、「全員野球」で戦うしかないのかな、という感じなんですよね。 

 

 

 では、上記のことをも踏まえて、自分(愛球人)が考える、「2013年WBCにおける、主要国(韓国、キューバ、米国)の予想スタメン」を、(その2)にて示したいと思います。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その2)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2013年

2月

09日

「5回目、6回目の東北現地参加を迎えるにあたり、現時点で感じる思い。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第35回のブログエントリーの論題は、「5回目、6回目の東北現地参加を迎えるにあたり、現時点で感じる思い。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の34回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの17回目になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 年明けになり、HP、SNSに充てる時間が、明らかに減少傾向の感じがあります。

 どうしても、学業、進路モードに充てざるを得なくなる。特に進路は(現時点では、NPOに携わる方向に傾斜しつつある。決心まであと一押し、二押し欲しい感じですが)、今年の年末のときには、笑顔で迎えられる感じでありたいと、祈るような思いですが。

 

 ですから、書きたいことは、実は、いろいろとある感じではあるんですよね。

 特に、自分は、サッカーファンであるものですから(本音を述べると、サッカー日本代表については、もっと、Jリーグでハイパフォーマンスを披露している選手を積極的に組み込んで欲しいと願うのですが。涙目)、今冬の移籍市場のことや、今夏の移籍市場に向けてのこと(本田圭佑の動向、グアルディアラ政権誕生のバイエルン、2億ユーロを用意しているといわれるPSG、モウリーニョ政権の危機といわれるレアルマドリード、岐路にある感じのセリエA勢、等々)、書きたいことがわんさかとある感じですが、これらのことは、「機会があれば」書こうかな、という感じです。

 

 

 で、今回の本題。そう、今月(2月)、5回目、6回目の東北現地参加を決行する感じですので、これについて、ざっくりとですが、書き記そうと思いますので。

 

 

 (図解1)5回目、6回目の東北について。

 

 (1)5回目(2月11日、東北大学、公開復興サポート[東北発未来塾〈未来塾塾生発表会〉、Rの法則]。)

 

 http://www.nhk.or.jp/ashita/kokaisapo/tohoku/index.html

 

 (2)6回目(2月22日、東北大学、マイケル・サンデル@白熱教室[震災復興をテーマとして]。)

 

 http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/

 

 

 そう。実は、もっと早くに、このようなことを書きたい、と思っていたのですが、学業等でばたばたしていて、このタイミングになってしまいました。

 しかも、実は、このエントリーをアップしてから、恐らく24時間もたたないうちに、大阪を出発することになります。

 

 今回の場合、いずれも、「1泊4日」を決行することとなります。

 

 

 (図解2)今回の「1泊4日」のイメージ。

 

 (1日目)夜に大阪を出発(高速バスで)。

 (2日目)朝に仙台に到着(大阪からの直行便)→午前は仙台市内周遊→午後にイベント参加(東北大学)→夜に仙台のホテルに宿泊。

 (3日目)夕方まで仙台市内周遊→夜に仙台を出発(高速バスで)。

 (4日目)朝に大阪に到着。

 

 

 弾丸日程は、これまで、4回の東北のうち、2回目(福島)は、「0泊3日」、4回目(喜多方)は、「1泊4日」でしたから、感覚的には、経験済みではあります。

 しかし、今回は、ある種、これまでと、意味合いが異なる感じになってくるかもしれません。

 

 

 全国から、復興に強い情熱を抱く人間が終結する、人だかりに飛び込むから。

 「テレビ」に映る可能性が高い訳で、自分自身の真価が問われる感じになるから。

 東北の学生が主体である訳で、アウェーに乗り込む感じになるから。

 (特に白熱教室の場合)発言できるか、そしてその内容が問われる感じになるので、「参戦」モードが、どうしても強くなるから。

 初めて経験する「真冬(極寒)の東北」。寒さにどれほど対応できるか。

 復興、社会貢献に携わるNPOへの就職を志向する自分にとって、どれほどのアピールになるのかが問われるように考えられるから。

 

 

 他にもいくつも挙げられ得るでしょう。特に、東北で働くことを視野に入れる自分としては、仙台を未だによくわかっていない現実がある訳で、仙台という場所を知る、それも一つの大きなテーマとしてある感じではあるのです。

 

 また、「東北で学ぶ学生に一人でも多く会いたい」ということも、大きなテーマとしてあるんですよね。東北で学ぶからこそ、感じる思いがあるであろうと思いますから。

 はっきり述べれば、主として、「東北発未来塾」に参加した塾生です。もう、自分の中では、お会いしたい人間のリストは、頭の中に何人もいる感じでして。

 

 ネックは、2月11日の場合、「東北発未来塾」と「Rの法則」がバッティングしていることです。軸足としては、未来塾にありますが、Rの法則にも参加したい。

 東北の子どもの「生の声」が聴きたいですし、R'sメンバー(あやぼー、あいちゃん、まゆちん、ゆい、お嬢、いしがみ、等々)の声も、是非とも聴きたいなあ、という感じなんですよね。

 昨年の8月28日の、女川(主として、女川向学館の子どもが参加していました)での生放送をテレビで見た際も、とても心にじーんときた感じでしたし。

 

 

 ちなみに、今回の5回目、6回目の東北現地参加、自分は、テレビに映るかどうかわかりませんけど、それぞれ、放送予定が、既に発表されています。

 

 

 (図解3)今回の東北現地参加に関係するテレビ番組の放送予定日程。

 

 (1)「白熱教室」(3月2日[土曜日]、21時15分~22時13分、NHK総合。)

 (2)「Rの法則」(3月7日[木曜日]、18時55分~19時25分、NHKEテレ。)

 (3)「東北発未来塾」(3月22日[金曜日]、23時30分~23時50分、NHKEテレ。)

 

 

 そう。昨夏も、「岐路の夏」と位置付けて、という感じでしたが、今冬の東北現地参加は、「岐路」ということ以上に、「勝負の冬」、それがしっくりいく感じであるように感じるんですよね。

 ここ最近、「参戦」という言葉を、よく耳にするようになりましたが、「参加」というよりも、今回の場合、「参戦」という表現が、むしろしっくりいくのかもしれません。

 憧れでもある、旧帝大(東北大学のこと。日本有数の名門大学であるので)。雰囲気に圧倒される可能性も、充分にあり得る。

 未体験ゾーンへの突入。勿論、「人生最大の挑戦」でもある。

 

 悔いのないように、持てる全力、「全身全霊」を尽くすこと。

 一つでも多くのことを学び、今後に活かすこと。

 いずれにせよ、実り多い東北現地参加に、絶対にしたい、と強く抱きます。

 

 

 今後も、折に触れて、復興、社会貢献ブログエントリーを、自分なりに考察したい、と強く考えております。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2013年

1月

30日

「2013年新春、『3・11』と向き合う日々を通して、出会えた仲間への感謝、そして強く感じること。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第34回のブログエントリーの論題は、「2013年新春、『3・11』と向き合う日々を通して、出会えた仲間への感謝、そして強く感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の33回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの16回目、子どもブログエントリーの7回目になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 今回は、書簡スタイルで書き記させて頂きたく思います。

 主として、「3・11」の復興支援活動を通して出会った仲間に向けてです。

 

 勿論、趣味仲間(サッカー、高校野球等)、学校の仲間も、大切な存在ではありますが、自分にとっての、心の最大のプライオリティーは、「復興支援、社会貢献に強い情熱を燃やす(注ぐ)素敵な仲間」、この出会い、交流が、自分の現時点での「生きる意欲」「生きる希望」の心の源泉としてある感じですので、仲間へのささやかな感謝の思い、という思いで、記させて頂きたく思います。

 

 今回は、書簡スタイル、という方法を用いさせて頂きますので、完勝的になったりするところも、少なからず出てくるかもしれないことを、御許し下さい。

 

 では、本論に入りたいと思います。

 

 

 「『3・11』の復興支援活動を通して出会った仲間へ。

 

 拝啓

 

 こんにちは。愛球人と申します。

 素顔の愛称ではなくて、HN(ハンドルネーム)表記であることを、お許しください。

 

 早いもので、「3・11」の復興支援活動に、自分が参加させて頂いてから、1年5か月近くになります。

 スタートが、2011年9月上旬。「Youth for 3.11」(YF3)さんとの出会いが、きっかけでした。

 

 最初に出会った人間。自分のことを、堂々と「変人」と肯定する。

 自分も、実は、「変人」としばしばいわれます。でも、「自分は自分である」と心では思っているつもりでも、「変人」といわれると、時として、それを本能的に否定したくなるところが、正直あったりします。

 

 で、しかも、見た目は、金髪でアフロ(本人曰く、「もじゃ」と称していますが)。

 これもまた、当初は、苦手な見栄えでした。

 というのも、自分の学んでいた中高は、とにかく厳格で(良くも悪くも、いわゆる「管理主義」。ちなみに私立の中高一貫の男子校。尤も、管理主義的な感じなのに、むしろ「いじめ」は、小学校よりも断然陰湿でえげつなかったりでしたが…)、頭髪や服装も、細かいところまで気を遣うことが、いつしか習慣化して。

 その影響ですかね…。あるいは、もともと、子どものときから、正義感が人一倍強い性格も相まって、まあ、「3・11」以前の自分だと、見栄えの時点でアウト、だったかも、みたいな。

 

 ところがです。見栄え自体、まず独特なのですが、それでいて、接していると、実に「楽しい」「面白い」人間。何というか、いつしか「ひきつけられてしまう」、いわば、相手を笑顔にするのが、「天性」のセンスな感じなんですよね。

 自分には、悔しいけど、とてもない。見習いたいなあ、と正直強く抱くのです。

 

 1回目の東北は、2週間、南三陸、石巻でした。

 結論的に述べれば、この2週間は、「不完全燃焼」の思いを、強く感じてしまった。

 悔いの方が先に募った。しかし、いやだからこそかもしれませんが、「息長く」「粘り強く」という思いは、これが出発点であったのかな、とも思うのです。

 

 

 1つ1つの東北、それ自体、そのたびに、「人生最大の挑戦」と位置付けてきました。それが、偽らざる思いとしてありますから。

 ですが、それ以上に、「仲間との出会い」、これが、大きなモチベーション、生きる支えへとなっていったように思うんですよね。

 

 1回目の東北の後、失意の思いを心に秘めながら参加した「グローバルフェスタ」(日比谷公園)にて出会った、心優しい女性(これも、最初に出会った人間と同様、YF3の人間。一人の人間としても、いつも笑顔と思いやりを絶やさない姿勢に、癒されている感じです。天性の「女房役的資質」の持ち主、とでもいいましょうか)。

 それから年が明けて(2012年)、倦怠感を堪えて、京都でのイベントにふらりと行って、そこで出会った、福島の学生(この出会いがきっかけで、2回目の東北で福島へ[昨年の「3・11」]、となりました)。

 で、3回目の東北(昨年GW明け、石巻)を経て、5月末に出会った(YF3の「Trip for 3.11」というイベント)、気仙沼の高校生、あるいは、その後SNSで交流するようになった、「Teen for 3.11」(TF3)という高校生団体の人間(特に、このTF3との出会い以後、高校生から刺激をもらう機会が飛躍的に多くなっていきます)。

 

 他にも、自分が影響を受ける仲間とのであいが、たくさんありました。

 特に、画面越しでですが、刺激をもらうのが、NHKEテレ「東北発未来塾」に登場する学生です。一人一人それぞれが、その旺盛な情熱やひたむきさの持ち主である感じが伝わってきて(時折、それまでに出会った仲間がテレビに出たりすると、ささやかな胸熱感を抱いたりしますが)、いつか是非ともお会いしたいなあ、と思うんですよね。

 とりわけ、「人を支えるチカラ」(12年6月)、「つながるチカラ」(12年8月)、「リーダーのチカラ」(13年1月)の面々は、実に強烈な感じで。

 

 東北発未来塾の塾生で、お会いしたいと思う人間は、実に何人もいますが(もしかしたら、10人を超えるかも)、自分自身、まだまだ東北に向き合えていないと、正直強く感じますから、一人の人間としても、復興に取り組む仲間としても、とても魅力的な存在に映るのです。

 

 

 それにしても、自分が高校生や、1回目の大学生のときとは、全く異なってきているのかなあ、と感じることがあります。

 

 まず、「学生団体」(インターサークル)という発想。これ自体、自分が1回目の大学生のときは、実質ないに等しかった(「ドットジェイピー」さんとかはありましたが、あれだって純粋な学生団体ではないですから)。

 あるいは、学業一辺倒、バイト一辺倒、エンジョイして遊び倒す、とは異なる価値観に出会えた感覚、というか(自分が1回目の大学のときに、このような環境があれば、そうしていたのに、と正直強く感じますが。涙)。

 

 それ以上に、特に、復興支援(社会貢献)に取り組む高校生に何人も出会って(あるいは、ツイッターでフォローさせて頂いて等をも含みますが)、強く感じることがあります。

 

 かつて、自分が高校生のとき。高2、高3と、予備校に通っていました(ちなみに現役合格だが、第3志望校でした)。

 自分が通っていたのは、現役生専門の予備校です(関西に特化している予備校。アットホームな環境が取り柄。現に特に国語は、予備校の存在に大きく助けられました)。

 校舎により、それぞれに特色があるのですが(基本的には、地域密着型なのですが)、自分の学んでいた校舎は、私国立の中高一貫校の人間が、実に70%以上、という感じで。

 

 予備校時代も、実に個性豊かな、素敵な人間に、たくさん出会いました。

 ただ、まず、その所属学校名に、圧倒される感じだったんですよね。

 

 四天王寺。大教大天王寺。大教大平野。大阪星光。明星。清風。東大寺学園。奈良帝塚山。大阪女学院。プール学院。大阪大谷。

 

 このビッグネームの数々。特に、高3のときの夏期講習、真っ白のフリルのドレスに、ゆるふわのおかっぱ頭で、頭頂部にちょこんと白い花の髪飾り(もう、結婚式の衣装と思いました)を着る女子高生(勿論同級生。ちなみに神戸大学に進学したとのこと。彼女が理系であったこともあり、同じ教室で学ぶ機会は、あまりありませんでしたが)。あれはもう、衝撃でした(それ以前から、物怖じしない言動や振る舞いが独特でしたが、あの衣装を着た日は、その日は校舎中の目線をくぎ付けに。他にも、水玉づくめの服とか、服装でもゆるふわの頭髪でも、魅了させてくれる、いい意味で不思議な存在でした)。思えば、彼女も、自分のことを「変人」と肯定していましたが。

 

 ですが、予備校時代に出会った人間は、「悔しいけど、自分とは次元が違う」と認めざるを得ない感じでしたが、それは、「頭脳的エリート」のような感じなんですよね。

 確かに、頭の回転が、自分とは比べ物にならないくらい速いのです。「詰め込みの天才」とでもいいましょうか。ですが、その一方で、ある種の「偏り」の感じも、否めなかったりしたのです。会話をしていて、刺激を感じるかといえば、必ずしもそうとは限らず、むしろ自分自身のコンプレックスを、強める一方であったり、みたいな。

 

 その一方で、「3・11」の復興支援活動を通しで出会う高校生(勿論、高校生に限ったことではないのですが)に対して感じるのは、「行動力、感受性の天才」という感じがするんですよね。

 頭脳(テストを解くという意味での)という意味では、予備校時代の仲間の方が、優れているのかもしれない。ですが、「心のアンテナ」の感度、という意味では、現在交流している高校生の方が、はるかに研ぎ澄まされている、という感じがするのです。

 

 「Teen for 3.11」「高校生が、いま出来ること」「僕らの一歩が未来を変える」「arco-iris」「ミキレポ」「hot japan project」「Teens opinion」「底上げyouth」、等々。

 

 これは、東北における復興支援の学生団体にもいえます。「JASP」「復興ガールズ」「情報ボランティア仙台」「みまもり隊」「底上げyoung」、等々。

 純粋な学生団体ではないですが、「ビヨンドトゥモロー」さんも、とても魅力的な活動をしていらっしゃいますし、自分が最も御世話になっている、「Youth for 3.11」さんも、また然りです。

 

 

 正直、強く抱く思いとして、仲間がいるから、自分は前を向いて生きていける、と。

 そして、息長く、社会貢献のために生きたいと強く抱くし、息長く、復興支援の一助でありたい、そう強く抱くのです。

 

 なかなかうまく思いを伝えられない。伝えようとすると、文章がどうしても長くなる。

 考え過ぎてしまうところもあったりで、もっと行動力を持ちたい、と強く思う自分ですが。

 

 今まで本当に有難う。未熟な自分ですけど、今後とも、何卒よろしく御願い申し上げます。

 

 敬具

 

 愛球人。」

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2013年

1月

19日

「『1・17』から18年にあたって、現時点で自分なりに感じる、『1・17』と『3・11』。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第33回のブログエントリーの論題は、「2012年衆院選、一人の若い世代として感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の32回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの15回目になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 「1・17」。「阪神淡路大震災」。1995年1月17日、5時46分。

 自分自身、「1・17」は、恐らく永遠に「心の原点」であり続けることでしょう。

 

 この、「1・17」から、今年で、18年になります。

 当時は小学4年生、西宮(兵庫県)に住んでいました。

 

 自分の、このHPにおける、「阪神淡路大震災」に関係するブログエントリーは、下記のブログエントリーをも、併せて参照して頂けますと、とても有難く思います。

 

 

 (1)2012年1月11日

 「『3・11』からの復興の具現化のために大切であると強く考えること(総論。その1)。」

 

 (2)2012年1月18日

 「『1・17』から17年。『1・17』と『3・11』、自分なりの意味付けが問われる思い。」

 

 

 本当ならば、じっくりと「1・17」についての考察をしたいのですが、今回は、自分のブログエントリーの更新自体、2013年では初めて(2012年12月17日以来、1カ月ぶり)という感じですし、今回の場合、あまり時間がとれていない中で、それでも、「1・17」について、自分なりに書きたいと思い、更新させて頂く感じとしてあるのです。

 

 今年の「1・17」。その内容は、昨年と、ある種あまり変わらない感じかもしれません。

 しかし、テイストとしては、昨年の「1・17」とは、異なる感じであった感じなんですよね。

 

 昨年の「1・17」は、「自分を見つめ直す」が強い感じでした。

 しかし、今年の「1・17」は、「自分の原点を思い起こす」感じなのは勿論であるのですが、それと共に(あるいはそれ以上に)、出会った仲間に、自分にとっての「1・17」を知って欲しい、「1・17」と「3・11」を、ある種関係づけるというか、いずれのことも、後世に語り継いでいける一助になれれば、そのような思いで、今回は行った感じです。

 

 

 今回の場合、訪れた場所を、ざっくりと述べれば、下記のような感じです。

 

 (1)「人と防災未来センター」(HAT神戸)(9時30分~12時40分)

 (併せて、「1・17 ひょうご安全の日のつどい」にも参加。「人と防災未来センター」は、神戸を訪れるならば、絶対に1度は訪れて欲しいと強く願うので。)

 (2)かつての自宅前(震災時に被災した当時の自宅。阪急苦楽園口駅から徒歩20分くらい、というか、西宮だが、芦屋との市の境界線ぎりぎりにある)(13時50分前後)。

 (3)「西宮震災記念日公園」(14時46分に黙とう)。

 (「1・17」で逝った級友を追悼するため。自分にとって、彼女の「魂」は、永遠に心の中で生き続けていると思っているけど、「霊」は、この記念碑に眠っていると、少なくとも現時点では思っているから。)

 (4)西宮北口(15時05分から15時53分)。

 (「1・17」の復興の象徴的な場所でもあり、自分にとっては、いろいろな思い出が詰まった場所でもあるから。)

 (5)ポートアイランド(神戸学院大学の奥の、「ポーアイしおさい公園」)(16時45分ごろ)。

 (「3・11」は、津波による被害が甚大であったため、海とどうしても向き合わずにはいられないし、だからこそ伝えられることがあると感じるから。)

 (6)東遊園地(17時46分、18時15分に黙とう。けんか、あるいは希望の祈りでの黙とうも併せて行う。)

 (やはり、「1・17」にかつて被災した一人の人間としては、「特別な場所」であるから。勿論、「伝えたい」と強く思うからには、どうしても欠かせない場所であると思っているので。)

 

 

 ですので、昨年と異なるのは、「かつての自宅前」「西宮北口」を加えた感じですね。

 正直、「3・11」の復興支援活動で出会った仲間が、昨年の今頃とは、全く比べ物にならない(昨年の「1・17」の時点では、10人ちょっとしかいなかったが、今年の「1・17」では、80人を超える仲間、特にコアな仲間だけでも、20人を超える感じであるので)。このことが、正直強く影響している感じであるんですよね。

 

 

 今年の「1・17」でも、自分は、東遊園地において、メッセージを記させて頂きました。

 その内容は、下記のような感じです。

 

 「子どもには、絶対に『志』を叶えて欲しい。」

 「『3・11』の復興支援活動を通してこそ、『1・17』の被災経験を、改めて前向きにとらえ直すことができる。」

 「『1・17』と『3・11』の2つを、後世に伝え続ける使命があると強く感じている。」

 「『社会貢献』できる道、できる人間に、絶対になりたいと強く思っている。」

 「西宮を離れたけど、自分にとっては、ずっと故郷であると思っているから。」

 

 

 上記のことが、自分が強く抱く思いとしてあるのです。

 

 いま、「3・11」の復興支援活動に、2011年9月から参加させて頂いており、東北には、これまで4回行きました(宮城に2回、福島に2回)。

 「1・17」と「3・11」。その内実は、少なからず相違点があるように思います。

 「3・11」の方が、より広範囲に及びますし、都市機能ごと壊滅しているとか、鉄道自体が通らないとか、正直、未だにイメージすることを受け入れられていない自分がいたりもします。

 

 かつて、「1・17」に被災した人間だからこそできることがある。この思いを、強く抱いてならない訳ですが、現在の自分を支えているのは、この「1・17」の被災経験のみならず、「3・11」の復興支援活動を通して出会った仲間との出会い、あるいは濃密な経験が、モチベーションになっている感じとしてあるんですよね。

 問題は、それをどのようにして、今後の自分自身、あるいは進路へと結び付けていくのか、という感じであったりするのですが。

 

 

 それにしても、「3・11」の復興支援活動において、とりわけ、昨年の夏場以後、強く刺激になっているのが、復興支援活動に尽力する、高校生の存在です。

 今日のテレビでも、NHKのEテレにおいて、「シンサイミライ学校」という番組があり、自分自身、とても心にじーんと響いた感じでしたが(「復興や防災において、高校生にできること」が、主たるテーマ。舞子高校[兵庫県]及び大泉桜高校[東京都]の高校生が、東松島及び石巻にて、3日間学ぶ、という内容)、自分自身、これから、どのようにして、「1・17」及び「3・11」に向き合っていこうか、を改めて強く考えさせられる感じです。

 

 なんだか、今回は、ざっくりとした感じになってしまい、申し訳なく思いますが。

 

 

  いずれにせよ、現時点で感じること、伝えたいことは、下記のことです。

 

 「一人一人それぞれが、自分にできる『復興支援』『社会貢献』を強く考えて欲しい。そしてまた、『1・17』『3・11』を語り継ぐことにおいて、若い世代だからこそできることがきっとあるはず、と自分は強く抱いている。」

 

 自分としては、一人の人間、一人の若い世代として、上記のことを、現時点では、正直強く抱いております。

 

 今後、徐々にではありますが、「復興」「防災」「社会貢献」ということについて、今回の文章を一つのたたき台にして、今後の各論編とかをも含めて、自分なりに向き合っていきたいと強く思います。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

12月

18日

「2012年衆院選、一人の若い世代として感じること(その3)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第32回のブログエントリーの論題は、「2012年衆院選、一人の若い世代として感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の31回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの14回目、日本社会、日本政治ブログエントリーの1回目になります。

 

 では、(その2)の続きから、考察を始めます。

 

 

 (その2)のラストの部分にて、自分は、「一人の若い世代として願うこと」として、下記のことを記しました。

 

 「理想とする社会像をできるだけ具体的に明示すること。」

 「『子どもの未来』を最優先に考える政治、社会を具現化して欲しいこと。」

 「いのちが最大限に尊重され得る形での『震災復興』の具現化(特に、教育環境や医療環境の充実)。」

 

 

 先程、今回の衆院選において、自分たち若い世代の間では、無意識的に、「恐怖」「諦め」の感情が蔓延していなかったか、と述べました。

 

 理由として、一つに、若い世代には、「雇用」の問題がある、雇用が欲しければ、面接がある、面接を突破するには、人事担当者の眼鏡に叶わねばならない、人事担当者の後ろには、財界や官界(あるいは圧力団体)がある、仕事に息長く取り組みたいならば、そういったことを受け入れざるを得ない、だから、財界や官界とパイプが強い自民党に票が流れたのかな、ということ。

 これについては、(その2)にて言及しました。

 

 

 あるいは、第二に。今回は、各党が、いわゆる「ネガティブキャンペーン」合戦に走りました。

 自分たちの信念を熱く語るのではなくて、他者の批判がほとんど。

 勿論、復興のグランドデザインや、どうやって経済をよりよくするのか、子どもの未来をどう考えているのか、ほとんど全く語られず。

 消費増税にせよ、何故増税が必要なのか、あるいはなぜ増税に反対なのか、あまり議論が深まらなかったように映るのです。

 

 批判合戦にはうんざり。もはややってられないよ。だから、投票に行かない(棄権)、あるいは白票。それで、若い世代があまり投票に行かなかったのではないかな、と。

 あるいは、そもそも消費増税も、その使い道が、ほとんど高齢者にばかり回りますから、これも、若い世代にとっては、自分たちはどうせ置き去りにされるんだ、という感覚になってしまうように思うのです。だから、投票することに対して、ある種の遠心力が働いてしまうのかな、と。

 

 

 消費増税自体は、いずれは必要なのかな、とは思うのです。勿論、その消費増税分を、自分たち若い世代に、あるいは医療、教育といった、「いのち」や「未来」のための投資として、ということにおいてですが。あるいは、消費増税を、「教育の公的投資の抜本的大幅増加」に充てるのならば、とても納得できる感じではあるのです。

 ですが、個人的には、「いずれ消費増税は必要とは思いますが、いま増税が必要なの?」と思うんですよね。少なくとも、震災復興にめどが立つまでは、とか、若い世代に増税分の多くを投資することの担保がなされるまでは、出ないと、個人的には、増税にどうしても納得できないんですよ。

 

 

 そして第三に。現在の日本を代表するアイドルグループとして、「AKB48」がありますが、AKBをスターダムに押し上げる大きな要因として、「選抜総選挙」があると思うんですよね。

 個人的には、AKBの選抜総選挙の具体的なやり方には、違和感を抱くところも正直あります。自分的には、NPBやJリーグのオールスターのファン投票のように、ネット(HP)からの投票を認めるべきである、と思うのですけどね(CDを買わないと投票権を得られないような方法には、正直強い違和感を覚えます。若い世代は経済力の不安から、CDを買いにくくなっている訳で、時代の流れを踏まえても、ネット投票を積極的に活用すべきではないか、と思う訳ですが)。

 

 とはいえ、AKBの選抜総選挙は、自分たち若い世代にとっては、「参加している」という実感があるんですよね。ファンは勿論、自分のように、AKBのファンではない人間にとっても、総選挙の開票結果に、なんだかんだで一喜一憂する感じですし。

 NMBからは誰が通った(選抜メンバーである16位以内に何人入った)、SKEからは誰が通った、自分の好きなメンバー、興味のあるメンバーは何位であったか、とか。

 

 

 それに対して、今回の衆院選。自分たち若い世代、あるいは子どものための政策、あるいは理念(フィロソフィー)は、ほとんど語られていない。

 「参加している」という感覚を、ほとんど感じられないんですよね。どうせ自分たちは置き去りなんだ、どうでもいいんでしょ、とか。

 

 そもそも、好景気であったこと自体、「55年体制」が崩壊した1993年以後で考えれば、わずか2年くらいしかないのです(2005年夏~2007年夏くらい)。

 この好景気の期間。理由はある種単純。「団塊世代の大量退職で、否が応でも若い世代を取り込まざるを得ないから」。いわば、「半強制的」な世代循環による、外的要因であった感じなんですよね。

 要するに、自力で好景気に持ち込んだ経験など、少なくともこの20年間では一度もない(あるかもしれないが、実感がない)。これも正直、大きく影響しているのかもしれません。

 

 

 で、話題が変わりますが、今回の衆院選にあたって。

 「非自民政権」は、何故にこんなにも、残酷なまでに散々たる結果に終わったのか。

 

 理由、要因を挙げればきりがないと思います。自壊した、といえば、それまでかもしれません。

 ですが、正直思うのです。メディアは何をやってきたんだ、と。

 

 最も強い違和感を覚えること。どうして、日本の政治記者は、ほとんどの記者が、「棒読み質問」しかできないんだ、と。

 聴いていて、みていて、正直怒りさえ覚えるのです。気持ちを籠めてよ、単調な言い方で質問するなよ、と。ただ、淡々としか質問しない。

 あるいは、この記者、抑揚をちゃんとつけているな、と思ったら、いわゆる「かみかみ」になるとか。まともな質問ができる記者、となると、よく聞くと、記者ではなくてアナウンサーなんですよね(例えば、ANNの富川悠太[報道ステーション]、JNNの蓮見孝之[NEWS23]等)。

 

 どうせあなた(棒読み質問しかできない政治記者)は、「受験学力」だけ高くて、それで新聞記者を叶えられたんでしょ?と。学校歴がすべてなの?と、どうしても思ってしまうんですよ(意欲に満ちていても、埋もれている若い世代は、恐らく少なからず多くいるのではと思うと、なおさら強い違和感を覚えてしまいます…)。

 

 

 あるいは、各局のアナウンサー陣。いわゆる「エース」を確立するのに手間取る曲が、少なからずあったりした。盤石の態勢を整えられていたのは、ANN(大下容子、上山千穂、小川彩佳と、ベテラン、中堅、若手それぞれに絶対的エースが満遍なくいる)、あるいはNHK(「ニュース7」担当が5年目の武田真一。後継候補にも、小郷知子、守本奈実、久保田祐佳と、人材には困らない。個人的には、守本アナに期待していますが)くらいのものでしょう。

 

 例えば、JNN。小林麻耶が独立した後のエースを見定められなかった。

 (その2)にて、JNNの看板番組の一つ、「報道特集」を、少し言及しました。現在は、岡村仁美が担当しています。

 東大卒の才色兼備。妹も、フリーアナ兼タレントです。報道もスポーツもできるオールラウンダーですが、エースになりきれなかった(というか、エースをつかもうという気概を感じられなかった。アナウンス技術を含めて能力は高いだけに、実にもったいない)。

 ようやく、今年になって、出水麻衣が、エースになった感じがありますが(良くも悪くもスポーツ専門ですけど)、エースを再確立できるまで、2年を要したことになる。空白期間を置いてしまうって、これは頂けないでしょう。

 

 

 あるいは、FNN。高島彩が独立してからどうか。

 人材には確かに困っていない。頭数はわんさかいる。でも、絶対的エースがいるか、といわれると…、「?」と思うのです。

 スポーツで本田朋子、報道で大島由香里、その他で加藤綾子、そういう「スリープラトン」といえば、聞こえはいいですが、誰か一人、といわれると、疑問符を抱く感じであるのです(現時点で、加藤綾子が、好きな女性アナランキングで1位とされていますが、個人的には、スポーツまたは報道で高いレベルをこなせるアナウンサーでなければ、エースと認めないので)。

 

 逆にNNNは、絶対的エースである鈴江奈々への負担が、あまりにも大き過ぎます。確かに鈴江アナは、報道もスポーツも高次元でできる貴重なアナですが、局としての視聴率は好調だけど、人材不足では…、とも思うんですよね。

 

 

 要するに、何が言いたいのかといえば、「プロ意識」「ジャーナリスト精神」を持ったメディア人、アナウンサーが、少なくなっているのではないか、と。NHKでさえ、いわゆる「チャラチャラした」アナウンサーが、ゴールデンタイムとかでさえ散見される有様ですから(いわんや民放では、正直数えるほどかと)。

 タレント感覚のアナウンサーが、あまりにも散見される。それに、現場を駆け回るエース級のアナウンサーも、あまり見かけません。真実を追究する、社会をよりよくする精神を大切にしたければ、まずは「現場感覚」こそ大切ではないですか、と。

 

 いわゆる、「媚を売る」。これ、自分が最も大嫌いなことの一つなんですよね。共感できるかどうかは別として、「私はこう思います」という姿勢を、もっと明確にできないものなのか、と。

 特に日本の場合、メディアは、「第4権力」と称されるほどに、社会的影響力があまりにも大きいですし、それだけ社会的地位も高い訳です。もっと、いい意味での「プライド」を持ってほしいと思うんですよね。

 

 (ちなみに開票速報は、今回の衆院選では、NHKを基本に、ANN、NNN等をも回しながら、結局、1時35分までぶっ通しで見ていました。例年は、1時くらいまでですから、我ながら、今回はかなり気持ちを入れて見ていたんだなあ、と実感する感じです。個人的には、NHKとANNの安定感を、強く実感する感じではあるのですが。)

 

 

 そしてもう一つ。文系の研究者には、社会をよりよくするために、「保守」であれ「進歩」であれ、もっと積極的に発言して欲しいと思うんですよね。

 

 自分の場合、かつて政治学を学んでいたこともあって、言論雑誌を結構読みます。

 ですが、(まあ、主として読んでいるのが、『文藝春秋』『中央公論』であることも、影響しているかもしれませんが)積極的に発言している研究者、言論人は、どちらかといえば、「保守」の立場をとる人間が主体な感覚がある訳ですが。

 

 

 思い起こすのが、今年、ノーベル医学生理学賞を受賞した、山中伸弥さんが、ノーベル賞受賞にあたって述べた言葉です。

 

 

 「賞を受賞したことは、勿論嬉しいですし、とても名誉なことですが、私にとっては、この賞は受賞した瞬間、過去のことになりますし、賞は私にとっては過程でしかありません。

 科学者にとって、最大の使命は、自分が研究していること、何か一つのことを深く研究することを通して、よりよい社会を、理想とする社会を実現することにこそあるのです。私の場合でしたら、iPS細胞の実用化を通して、一人でも多くの人間、患者さんの命を救うことになる訳ですね。

 ですから、この賞の受賞を通して、一人でも多くの子ども、若者が、研究者、科学者を志して欲しいと強く思いますし、そのようにできるように、仕組み、あるいは雰囲気を改善して行けるように、我々研究者もより一層研究の質を高めていくことが、あるいは社会に対してより積極的に発信していくことが大切ではないか、と思っています。」

 

 

 実に、とても心にじーんと響く言葉です。

 私自身、生まれ変われたら、研究者になりたいと強く思っていますし、何故ならば、「好きなことを通して社会貢献できる、素敵で崇高な道であるから。」という感じですが、やっぱりノーベル賞受賞者は、その発言に重み、そして強い説得力がある、と感じるんですよね。

 

 ですが、研究者は、理系のみならず、勿論文系も大切な社会的役割を持つ訳で、文系の研究者ができることとすれば、研究を通して、社会に発信をし続けることになってくる、と思う訳です。

 まあ、そのような「発信」「発言」といった「言論」で勝負する、文系の研究者となると(文系といっても、実に多様な学問分野がありますので)、政治学者、経済学者、哲学者(思想家)、教育学者、といったあたりになってくるのかな、と思いますが(勿論、「現場感覚」こそ大切になってくるのかな、とも思う訳ですけど)。

 

 

 で、手元のメモ(手書きの日記)で、かつて、2009年衆院選の直後にて、朝日新聞(2009年9月9日付朝刊)にて、「若手政治学者の目」として、9人の若手政治学者が、非自民政権(民主党政権)の誕生をどう考えているのか、ということの論説があります。

 

 自分が印象に残る見解としては、一つに、三浦まりさん(上智大学准教授)の、「公正の実現こそ成長戦略」ということがあります。具体的には、「『安全と安心』で民主党に説得力。しかし『人間の尊厳』なくして社会の発展はない。」と述べております。

 この見解に、自分自身、強い共感を抱く感じなんですよね。そして、民主党政権は、その「進歩」の理念に裏打ちされた、「公正の実現」「人間の尊厳」をないがしろにしたから、自らが追究すべき理念を見失い、自壊(自爆)していった、自分は、そのように強く抱くのです。

 

 

 で、もう一つ、強く印象に残る見解があります。

 中北浩爾さん(立教大学教授)の、「政治の市場競争化を排せ」。具体的には、「二大政党が参加重視の党運営に改めると共に、穏健な多党制へのシフトを望む。」と述べております。

 

 これにも、全面的に共感する感じですし、自分自身、今回の衆院選を踏まえて、時代の流れに照らしても、政治システムの抜本的変革(政治改革)を、いま一度着手して然るべきではないか、と思う訳です(ただし今回は、いわゆる大統領制、あるいは首相公選制云々まで発展し得る感じになりますから、そうなると、いずれは改憲論議を無視できなくなってくるように思いますが…)。

 

 具体的には、衆議院について、「小選挙区200、比例区200、合計400」にして、小選挙区と比例区を1対1にして(現行の並立制及び重複立候補制は存続させる)、少数政党の意見、あるいは多様性をより一層尊重する、「穏健な多党制(5~7政党程度)」「コンセンサス型政治」へのシフトを志向する、その一方で、参議院は、「完全比例代表制」にして、言論人や地方の首長等の参加をより積極的に進めていく、そのようにすみ分けることができないか、と思う感じなんですよね。あくまでも、現時点で、の考えに過ぎませんけれども。

 

 

 それにしても、一人の若い世代として、強く感じることがあります。

 

 今回の衆院選、投開票日が、12月16日であった訳ですが、この日にあったイベント、FB(フェイスブック)にて、実に「5つ」もの誘いがありました。

 正直、とても興味深いイベントも、複数ありました。ですが、結論は、自分の中では迷うことは全くなかった。

 そう、「オールキャンセル」。つまり、「すべて不参加」。だって、天下分け目の頂上決戦なのですもの。

 

 イベント会場にて、開票速報(どの局でも構わない。まあ、基本的にNHKかなと思いますが)が放送されるならば、検討したかもしれない。しかし、今回の衆院選は、「日本社会のありよう」を決める、大きな岐路といってよい。自分としては、どうしてもこの日だけは譲れなかった感じなんですよね。

 まあ、今回の衆院選の開票速報は、1時35分までしっかり見させて頂いた感じでして(例年ならば1時くらいには就寝する。ちなみに終電で帰宅する場合の就寝時間が1時20分)。それだけ、気持ちが入っていたのかなあ、と。

 

 

 いえ、別に、その日にイベントを入れること自体を、全否定するつもりはありません。

 ですが、解散して、衆院選の投開票日が、12月16日であったことは、11月16日の衆議院解散時に、およそわかりきっていた訳で(東京都知事選挙が12月16日であったことが既に確定していた訳ですから)。国政選挙、ましてや、衆議院選挙の意味合いが、わかっているのかなあ?と。

 それも、何故5つも集中する訳?みたいな。正直、唖然とする思いであったのが、率直な感じです。天を仰ぐ感覚、みたいな。

 

 今回の衆院選。正直、若い世代があまり投票に行かなかったと思われるから、これほどの低投票率になったのでしょう。そして、自民党が完勝を収めることになった。

 はっきり述べましょう。これは、自分たち「若い世代」の「敗北」なのだ、と。

 それも、ただの「敗北」ではなくて、事実上の「不戦敗」なんだろうなあ、と。

 

 何も、安倍晋三新政権を、全否定するつもりなどないんですよ。自分は正直ほとんど全くに近いくらい、考え方的には共感できませんが、「信念」「リーダーシップ」という意味では、卓越する感じが伝わってくる政治指導者になり得るとも思いますから。今回の完勝劇も、「安倍晋三」であったからこそ、とも思いますし。

 

 

 というのも、今回の自民党の衆院選でのキャッチフレーズ。「日本を、取り戻す」。

 これを、「栄光を、取り戻す」に置き換えると、とても納得できるんですよね。

 特に、東証の株価の連日の値上がりぶり。財界、業界団体、経団連の鉄の結束の誇示ぶり。

 極めつけが、我々若い世代が、平然と投開票日当日にイベントを入れまくっている、という現実。

 

 これでは若い世代は投票に行くことへの遠心力が働くだろうなあ、と。

 結果云々というよりは、恐らく若い世代が、事実上の「不戦敗」になったことが、悔しい、悲しいんですよね、自分は。

 まあ、「どうなるか、みてみよう」という感覚でもあったりする感じでもあるのですが。

 

 

 とはいえ、希望はある、とも思う訳です。その根拠は2つ。

 1つは、朝日新聞朝刊における、「20代 この声届け」における、12人の若い世代の声。

 2つは、「teens opinion」。10代の率直な声が伝わってくる。

 

 この2つに共通するのは、「若い世代」の間でも、「自分の考え、主張」を持っている人間が、少なからず存在する、ということです。

 そう、一人でも多くの「若い世代」が、「自分の主張」を持ち、「理想とする社会像」を描き、そして、社会をよりよくする、社会貢献の一助になる姿勢を持ち続けることができれば、きっと社会をよりよくすることが、絶対にできるはずである、自分はそのように、強く抱くのです。

 

 

 だからこそ、自分は強く抱くのです。

 「よりよい社会を、絶対に諦めない。諦めたら、そこで試合終了であるのだから。でも、『努力に勝る天才なし』という言葉があるように、想いを持ち続けることができれば、いつかきっと、最高に素敵な花が咲くときが、きっと来るはず。そのように、自分は強く信じている。」

 

 

 そして、一人の若い世代として、最後に、この言葉で結びたいと思います。

 

 「自分たち若い世代が、『想い』『考え』『叫び』を精一杯全力で粘り強く発進し続けること。そして、だからこそ、『よりよい社会の実現を、絶対に諦めてはならないのだ。』と伝えたいです。」

 

 この思いを、正直強く抱きます。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

12月

17日

「2012年衆院選、一人の若い世代として感じること(その2)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第32回のブログエントリーの論題は、「2012年衆院選、一人の若い世代として感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の31回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの14回目、日本社会、日本政治ブログエントリーの1回目になります。

 

 では、(その1)の続きから、考察を始めます。

 

 

 (その1)では、自分(愛球人)が、今回の2012年衆院選における、率直な、ある種の第一印象的な思いを、述べさせていただきました。

 その際、自分の今回の投票基準において、「子どもの未来」「震災復興」「卒原発」、この3つの要素を、強く意識した感じであることを、そして、「社会のありよう」「理想とする社会像」こそ、今回の衆院選で問われたことであるのではないか、と。

 このことを踏まえて、(その2)では、今回の衆院選、一人の若い世代として強く感じることを、自分なりに記したいと思います。

 

 

 今回の衆院選。

 まず、民主党が「負けるべくして負けた」ことは、言わずもがなでしょう。

 

 象徴的なことが、「政治は震災に、復興に、ほとんど全く向き合ってくれていない」。

 まさしく、自分が阪神淡路大震災で経験したことと、全くのデジャブであるように思うのです。

 

 あのとき(阪神淡路)は、当時の兵庫県知事、神戸市長の奔走ぶりは、強く伝わってきた。

 しかし、永田町は、まともに向き合ってくれたのか。少なくとも、あくまでも子ども心に、の域を出ないかもしれないけど、自分には、どうしてもそう感じることができなかったのです。

 

 

 あるいは、民主党は、本来の理念(例えば、「公正」「平等」「所得再分配」「社会的弱者への配慮」等々)を、完全に見失ってしまった(プラスの意味での、「進歩主義」「社会民主主義」を見失った。どんどん右寄りになっていったように映る。いわば、「断絶の社会」を進行させていった、みたいな)。

 いや、そもそも、本当に語って欲しかった、描いて欲しかったのは、「こういう社会を我々は実現したいのです。」ということであったのです。しかし、語られたことは、「理想とする社会像」ではなかった。

 

 勿論、個々の政策は確かに大切です。しかし、何よりもまずは、「総論」的な、「全体像」があってこそ、と思うのです。「各論」的な個別の政策は、その上でなされて然るべきですし、その時々の社会状況(ニーズ)に応じた、あるいは個々の地域事情をも踏まえた、ある種の柔軟性をもあわせもつ、つまり、「信念」と「柔軟性」が融合されることが、大切であるように思うのです。

 

 

 しかし、民主党が走ったのは、「公約原理主義」。かといって、そこには、「信念」があったかといえば、正直、「?」でもある。

 「チルドレンファースト」。これには、全面的に共感できる。しかし、(勿論「子ども手当」も確かに必要かもしれませんが)本当に真っ先に着手して欲しかったのは、「教育の公的支出の抜本的大幅増加」であり、「家庭の経済力に左右されにくい教育システムへの抜本的変革」であったと、自分は思うのです。

 

 よく、いわゆる「ゆとり教育」が批判の対象になっていますが、むしろ批判の対象になって然るべきは、平素の学校での日々の努力が必ずしも報われるとは言い難い、「受験戦争」、ここにこそ手を付けて欲しかった、と。あるいは、受験戦争を突破するために、そしてその後の大学、あるいは大学院で、学びたいだけ学べ得るようにするために、ということ。

 例えば、「給付型奨学金」。これこそ、真っ先に実現して欲しかったんですよね。日本の場合、子どもに対する教育費が、あまりにも高い(少なく見積もっても1200万円。子どもによっては、2000万円くらい書けても、いわゆる有力大学を叶えられないこともある)。

 そして、日本の場合、「学校歴社会」的なところもあります。この歪んだシステムを、たとえ徐々にでもよいから、改善、できれば変革をして欲しかった。

 

 しかし、結局「受験戦争」には、手をつけられなかった。「給付型奨学金」も、結局なされないまま。現に「3・11」では、家庭の経済力により、学びたい志に多大なる支障をきたす子どもが少なからず起こってしまった、と伺います。

 確かに近年は、学部増や少子化で、少しは受験戦争も改善傾向にあるとは伺いますが、それでも、「受験戦争」の競争の凄まじさは、諸外国に照らしても、「日本か韓国か」といわれるほどです。

 

 「いじめ」の根絶の実現。自分は、このことの実現を、強く希求してなりませんが、結局、現実として、「いい学校」に入れるパイ(枠)は限られる。その限られた枠を勝ち取るために、激しい競争が起こる。

 そうなるとどうなるのか。勝つためには、「蹴落とす」しかない、となりかねない。で、「蹴落とす」ためには、それこそ手練手管を駆使することとなる。現に自分は、かつてそれを現実に経験しました(いじめられた自分は蹴落とされ、いじめた相手はそのパイを勝ち取った。しかし、蹴落とされた自分のハート[精神面]があまりにももろすぎたことも、悔しいけど否めないでしょう)。

 

 

 勿論「競争」を全否定するつもりはない。しかし、民主党に臨んだことは、「競争」絶対主義ではなかったはず。だから、「非自民政権」を求めたのではなかったのか、と。

 もっと述べよう。本当に求めたのは、「公正」「平等」であったはず。しかし、その理念は、日を追うごとに遠のいていった。

 

 言い出すとあまりにも悲しくなるので、これ以上は述べませんが、結局、民主党は、「負けるべくして負けた」、自分は、率直に言って、このように思うのです。

 まあ、小沢一郎が民主党を去ったときを以て、「民主党は民主党でなくなった」といえるのかもしれませんし、「民主党が理念を再構築する」のは、かなりの茨の道が待っている、とも感じますが。

 

 

 とはいえ、今回の衆院選で、自分が強く感じること。

 

 「若い世代は、どれほど一票に、『想い』を籠めることができたのであろうか。今回の衆院選は、自分たち若い世代が、『完敗』したといわざるを得ないのではないか。」

 

 この思いを、正直強く抱くのです。その最たるものが、残酷なる低投票率(59.32%。現行制度にて史上最低)でしょう。2009年の衆院選から、10ポイントも下げているのですから。

 

 

 今回、テレビは、いわゆる「偏向報道」をしてはならないと、過剰なまでに神経を遣ったことが、伝わってきました。各局のテレビ討論は、御丁寧に、10以上もの政党の党首をみんな生出演させていましたから。

 しかし、新聞の「情勢分析」は、ある種凄まじかった。確かに、どう計算しても、自民党の勝利にはなるのかなとは思う訳ですが、なんとなく、その数字から、「第3勢力へのネガティブキャンペーン」的なものを、自分は感じたんですよね。

 

 そして、JNNの「報道特集」にて、キャスターが、「組織力があるかないか。現場を歩くと、その違いをどうしても肌で感じる。想像以上だ。」と述べていました。そう考えると、確かに納得できる感じではあるんですよね。

 

 

 ただ、例えば、維新は、自らの理念、信念を真摯に語ることに徹するべきであったと思うのですが、他党批判にあまりにも多くを充て過ぎた。いい意味での新鮮さを、自ら失わせてしまった感じがありますし、正直もったいなかった感じに映るんですよね。

 で、未来はといえば、言っていることには、それなりの説得力があるように感じますが、そもそも、地盤が決して強くない候補者が多かった。脱原発云々も、関心には正直地域差が否めません(特に西日本は、残念ながら正直他人事的な感覚が少なからずあったのではないかと…。個人的には、言っていることには、共感を抱く感じもある訳ではありますが…)。

 それと、公示日当日の比例候補者名簿をめぐる、ごたごた。あれはいただけませんでした。

 あそこでケチがついたネガティブイメージが、最後まで尾を引いたのかも、とも感じます。

 

 

 いずれにせよ、いわゆる「第3勢力」(維新、未来、みんな)は、これといった支援団体をほとんど持たない。換言すれば、「組織」を持たない。結果、「空中戦」、もっといえば、「若い世代」が頼りになってくるように思うのです。

 

 とはいえ、雰囲気的に強く感じること。

 情勢分析で、「自公300をうかがう」と一斉に出る。

 

 「どうせ右傾化、競争主義的な流れは止められない。」

 「財界、官界、圧力団体に逆らったら、生活的に、社会的に抹殺されかねない。」

 

 自分たち若い世代の間で、このような、「恐怖」「諦め」の感情が、無意識的に蔓延していやしなかったか、と。

 

 

 確かに、自分たち若い世代にとって、どのような職業を目指すにせよ、最終的には、ほとんどの場合、「面接」というハードルがあります。ということは、「人事担当者」のお眼鏡に叶わねば、手が届かない。

 で、「人事担当者」は、「財界」といってよい訳で、となれば、「雇用」が欲しければ(自分も進路に直面する現状である訳ですが)、上の人間、つまり、人事担当者には逆らえないだろう、と。

 

 結果、言いたいことを思うように言えない。あるいは、「触らぬ神にたたりなし」。

 違和感はない訳ではないけど、確かに言っていることに筋が通っているともいえるしなあ、とか。

 

 

 あるいは、現状として、パナソニック、シャープは倒産危機にある。

 トヨタ自動車、ソニーにも、経営危機説が時折であるけど燻っている。

 経営危機説はオーバーかもにせよ、現実として、三星、LG、ロッテ、SKといった、韓国の「財閥」に押されていることが否めない。

 

 勿論、日韓が、少なくとも個人ベースでは、立場や考えの違いを乗り越えて、御互いを尊重し合い高め合うことの大切さは、言わずもがなである。

 しかし、三星やロッテ、LGやSK(これは、野球の2013年WBCにもいえるかもしれない。事実上の決勝戦かもしれない日韓戦は、御互いのプライド、そして、韓国の財閥をぎゃふんといわせるための闘いといえるかもしれないように映る)に、絶対に負けるわけにはいかない。

 ならば、実績や経験豊富な自民党の方が、まだ信用できるかも、と。

 そのような心理が無意識的に働いたのかも、と想像する訳です。

 

 

 それにしても、先述の、朝日新聞「20代 届けこの声」(その1での、図解5の(1)にあたる)。

 佐々木愛さん。「子どもの未来」。「将来の日本を支える子どもの未来を真剣に考える社会に」。

 山口水蛍さん。「有言実行」。「できもせず、よいことばかりいう政治家には飽き飽きだ」。

 

 結局、このことが、今回の衆院選では問われたことであるのかもしれない、と思うんですよね。

 

 

 正直、いろいろと思うことはあります。ですが、少なくとも、3つ、自分が一人の若い世代として、強く願うことがあるのです。

 

 「理想とする社会像をできるだけ具体的に明示すること。」

 「『子どもの未来』を最優先に考える政治、社会を具現化して欲しいこと。」

 「いのちが最大限に尊重され得る形での『震災復興』の具現化(特に、教育環境や医療環境の充実)。」

 

 この思いを、正直強く抱くのです。

 

 

  では、上記のことをも踏まえて、長い文章になりますので、「2012年衆院選、一人の若い世代として感じること。」の続きを、(その3)にて示したいと思います。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2012年

12月

17日

「2012年衆院選、一人の若い世代として感じること(その1)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第32回のブログエントリーの論題は、「2012年衆院選、一人の若い世代として感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の31回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの14回目、日本社会、日本政治ブログエントリーの1回目になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 まず、(図解1)にて、今回の2012年衆院選の確定議席を、自分なりに下記にて示したいと思います。

 

 

 (図解1)2012年12月16日衆院選、党派別確定議席(投票率59.32%)。

 

 自民  民主 公明 維新 未来 みんな 共産 社民 その他 合計

 294  57  31  54  9   18  8   2   7  480

(237)(27)(9) (14)(2) (4)(0) (1) (6) 300(小選挙区)

[57] [30][22][40][7] [14][8] [1] [1]180[比例区]

 

 

 で、今回の衆院選では、自分自身、かつて政治学を学んでいたこともありますから、自分なりのシミュレート分析を、2回してみました(1回目が12月6日、2回目が12月14日)。

 では、下記に、2回目のシミュレート分析の結果を、自分なりに示してみましょう。

 

 

 (図解2)2012年12月16日衆院選、自分(愛球人)の第2回シミュレート分析(12月14日)。

 

 自民  民主 公明 維新 未来 みんな 共産 社民 その他 合計

 293  59  25  53  21   11  8   2   9  480

(226)(28)(8) (20)(7) (4)(0) (1) (7) 300(小選挙区)

[67] [31][17][33][14] [7][8] [1] [2]180[比例区]

 

 

 今回は、シミュレート分析を自分なりにしていたこともあり、展開自体は、ある程度の「覚悟」はできていたつもりです。

 開票速報自体は、子どものときから、というか、自分自身、特に1993年の「非自民政権誕生」に、子ども心に強い衝撃を覚えたことや、1995年の「阪神淡路大震災」の被災経験、及び、「いじめ」に何度も苦しんできたこと、この3つが、自分自身の生き方に、強く大きな影響を与えている感じがあります。

 

 で、自分が選挙権を得たのは、国政選挙では、2005年衆院選からです。

 それから2回の衆院選は、自分にとっては、下記のような感覚でした(書きためている手書きの日記のメモをもとにして、という感じですが)。

 

 

 (図解3)自分(愛球人)にとっての、選挙権取得後の2回の衆院選。

 

 2005年衆院選(度肝を抜かれて、天を仰ぐ思い。郵政民営化には強い違和感を抱くけど。)

 2009年衆院選(歴史的革命が起こった。1993年衆院選に匹敵、いやそれ以上かもしれない衝撃。しかし、いやだからこそ、「志向する、理想とする日本社会像」を明確に描いて明示して欲しいと強く願う。)

 

 

 そして、今回。自分にとって、どのような感覚であるのか。

 率直な思いを、自分なりに記してみようと思います。

 

 

 (図解4)自分(愛球人)が率直に現時点で抱く第一印象的な感覚(2012年衆院選において)。

 

 「この日本社会は果たしてどこへ向かうのか。民主党の歴史的大敗は当然の帰結てあると思うが、だからといって、現在の自民党にも激しく強い違和感を覚える。その意味では、2005年衆院選のときの感覚と相通ずるかもしれない。

 子どもの未来、震災復興、卒原発(再生可能エネルギー)、いのちが尊重される社会。いわば、自民でも民主でもない『第3の道』はできないものかと思ったが、第3勢力は想像よりは伸びなかった感覚を抱く。

 というか、復古的勢力の想像以上の強大ぶりを思い知らされる。なんなんだ、この得体のしれない突風のような感覚は。

 そしてなおさら厄介なのは、現在の自民党は、かつての、いわゆる『古い自民党』とは、似て非なるもののように映ることである(かつての自民党は、いわゆる農村政党的な良さこそが持ち味であったと思っているので)。

 いずれにせよ、『子ども、若者が笑顔、希望、志に向かって、一人一人が光り輝ける社会の実現』、あるいは、『震災以前よりも素敵な姿になり得る、コミュニティー創出を主体とする復興の実現』、『卒原発、脱原発及びそれに裏打ちされ得る再生可能エネルギーの推進』、そういったことが、むしろ遠のいていくのではないか、負の意味での過度の競争主義的な社会へと突き進んでいくのではないか、と危惧するのだが…、と。

 しかし、どのような政権の枠組みであろうとも、自分たち若い世代ができることは、よりよい社会の実現のために、たとえ微力でも、その志、想いを持ち続けること、希望を絶対に諦めないこと。このことを、強く大切にし続ける必要があるのではないか。」

 

 

 やや過激な感じになったかもしれませんが、上記のことが、自分が現時点で抱く率直な感覚としてあるんですよね。

 

 ここで、今回、自分自身、とても興味深い記事がありますので、下記に、その記事のリンクを、貼らせて頂こうと思います。

 

 

 (図解5)2012年衆院選に関係するリンク集。

 

 (1)「20代、一票に何を託す?」(西日本の20歳代の若い世代12人の声。)

 (『朝日新聞』2012年12月16日朝刊大阪版35面。)

 http://www.asahi.com/senkyo/sousenkyo46/news/OSK201212150123.html

 

 (2)米国大統領選挙におけるネガティブキャンペーンを考察した、ある女子大学生の論文のPDF(同志社大学。このPDFの22頁~31頁が該当部分)。

 http://ynishiza.doshisha.ac.jp/teach_other/takiboyo/TakiboyoII_04.pdf

 

 (3)「ドットジェイピー」(NPO法人)。

 (HP)http://www.dot-jp.or.jp/

 (FBページ)http://www.facebook.com/ryuchantigers/favorites#!/dotjp?fref=ts

 

 (4)「学生団体ivote」(学生団体)。

 (HP)http://www.i-vote.jp/

 (FBページ)http://www.facebook.com/ryuchantigers/favorites#!/ivote.japan

 

 (5)「僕らの一歩が未来を変える」(高校生による学生団体)。

 (HP)http://hgst-pw.tumblr.com/

 (FBページ)http://www.facebook.com/ryuchantigers/favorites#!/hgst.pw?fref=ts

 

 (6)「子ども国会」(学生団体)。

 (HP)http://kodomokokkai.web.fc2.com/

 (FBページ)http://www.facebook.com/ryuchantigers/favorites#!/kodomokokkai?fref=ts

 

 (7)「いれぽよ」FBページ。

 http://www.facebook.com/ryuchantigers/favorites#!/irepoyo?fref=ts

 

 (8)「I Will Voteー未来を選べー」FBページ。

 http://www.facebook.com/ryuchantigers/favorites#!/iwillvote.jp?fref=ts

 

 (9)「10代がネットで選挙 teens opinion」。

 (FBページ)http://www.facebook.com/ryuchantigers/favorites#!/teensopinion.jp

 (HP、コメント集)http://teensopinion.jp/messages

 (HP、10代の声)http://teensopinion.jp/report

 

 (9)「I Will Voteー未来を選べー」FBページ。

 http://www.facebook.com/ryuchantigers/favorites#!/iwillvote.jp?fref=ts

 

 (10)「迷える有権者.com」公式HP。

 http://charitv.me/btt311.com/upmayoeru/p2.html

 

 (11)「日本政治.com」公式HP。

 http://nihonseiji.com/

 

 (12)「明るい選挙推進協会」公式HP(年代別投票率の推移)。

 http://www.akaruisenkyo.or.jp/070various/071syugi/693/

 

 

 実に12もの(厳密には16)リンクを貼らせて頂いた感じですが、とりわけ、(図解5)の(1)における、20歳だの若い世代の12人の声、その一つ一つの意見、考えに、自分は、強い共感を抱くのです。

 

 とりわけ、強い共感を抱くのが、和歌山市の大学生、佐々木愛(まな)さんの意見。

 「子どもの未来」。より具体的には、「将来の日本を支える子どもの未来を真剣に考える社会に」です。

 この、愛さんの思いに、自分も全面的に共感できる、というか、自分も同じような想いを籠めて、今回の投票に臨んだ感じであるんですよね。

 

 あるいは、広島県廿日市市の大学生、山口水蛍(みずほ)さんの意見。

 「有言実行」。より具体的には、「できもせず、よいことばかりいう政治家には飽き飽きだ」です。

 この、水蛍さんの考え、強い説得力を感じますし、このような、空虚感、絶望感、幻滅感、いかようにも表現し得るかなと思いますが、いずれにせよ、水蛍さんの思いは、少なからず同じような思いを抱く若い世代がいるように、自分も感じるんですよね。

 

 他にも、「初志貫徹」「地方に元気を」「現場を見ろ」「責任感」「将来の保障」「逃げない」「今すぐ脱原発」等々。

 いずれのことをも、なるほど、確かにそうだよね、と強く感じるのです。

 

 

 では、今回の衆院選において、自分がどのような投票基準で投票したかを、自分なりに示してみたいと思います。

 ただし、勿論、具体的な投票先は言えません。ですが、「小選挙区と比例区は分けた」「関西のとある小選挙区」「自民にも民主にも強い違和感であり、かついわんや公明、共産も選択肢から除外」とだけは述べておきます。

 

 

 (図解6)自分(愛球人)の、今回の2012年衆院選における投票先の基準。

 

 (1)「どのような社会を志向するか」ということのビジョンの具体性、及びそういったビジョンに自分がどれほど共感し得るか。

 (2)「子どもの未来」。特に、どのような環境にあろうとも、子ども一人一人が、学びたいだけ思い切り学べる、志や希望に向かって生きていける、そして、いのちが大切にされる、いわば、「教育や子ども、いのちや学術研究に対する公的投資」の充実をどれほど描けているか。

 (3)どれほど「震災復興」「脱原発(あるいは卒原発)」に本気で向き合ってくれるか。復興ならば、インフラ整備等のハード面以上に、震災以前からの課題であった、教育環境や医療環境(医療施設も医師数も不足感が否めない)、あるいはコミュニティー創出、そういったソフト面の充実にどれほど取り組んでくれるか、あるいは、「脱原発」ならば、できるだけ具体的なビジョン(工程表)、あるいは、それに裏打ちされ得る、具体的な再生可能エネルギーの具体的方法論を明示してくれるかどうか。

 

 

 他にも、いろいろとありますが、主として、上記の3つの要素を、主たる判断基準にした感じです。必ずしもベストは見出しにくいにせよ、よりベター、あるいは共感し得る、それを志向するような思いで、一票に思いを籠める感じでしょうか。

 ただし、「比例区は政党、特に目指す社会像重視。小選挙区は人物をある程度強く考慮。」、これも率直な自分のスタンスとしてあるんですよね。尤も、自分の現在の小選挙区は、ベストの人物がいない状況が長く続いているので、むしろいつも小選挙区に悩まされている感覚であったりするのですが。

 

 ただ、「子どもの未来」「震災復興」、特にこの2つのことは絶対に譲れない。

 だって、社会をより一層光り輝かせ得るのは、子どもであり、若い世代である、と強く考える訳ですから。

 

 そう。今回の衆院選。いろいろな論点があった。

 しかし、ある種、一つの論点に集約し得るとするならば。

 それは、「社会のありよう」、言わば、「目指すべき社会像、理想とする社会像」、それが問われているのではないか、と。そのように、自分は強く思うのです。

 

 

 では、上記のことをも踏まえて、長い文章になりますので、「2012年衆院選、一人の若い世代として感じること。」の続きを、(その2)にて示したいと思います。 

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2012年

12月

03日

「2012年Jリーグ1部、愛球人が考える総括的考察。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第31回のブログエントリーの論題は、「2012年Jリーグ1部、愛球人が考える総括的考察。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の30回目になります。そして、サッカーブログエントリーの6回目になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 まず、今回のエントリーを執筆するにあたり、自分なりの理想とするサッカー観を、改めて下記に示したく思います。

 

 

 (図解1)「愛球人の基本的な『サッカー観』。」

 

 (1)「美しく魅せて勝つ」「スペクタクル」「できるだけ攻撃に人数を掛ける」「全員攻撃全員守備」「ファンタジスタを最大限に活かす」「トライアングルを最大限に駆使する」「創造性、仕掛け、スペースを重要視する攻撃」「長短のパスおよびドリブルを最大限に活用する攻撃」。上記の8つの要素が、自分の理想とするサッカースタイルです。

 (2)基本的に、選手、サッカースタイルを楽しむ、というのが、自分のサッカー観戦における基本スタイルです。ですので、特定のサッカースタイルに傾倒する傾向が強い一方で、特定の応援チームはございません。ですが、好きな選手はたくさんいる感じです(恐らく少なくとも日本人選手だけでも30人は超えるかと)。

 (3)「自分たちのサッカースタイルの構築及び具現化」に対する強いこだわりを抱いており、ブログエントリーでも、このことを前面に押し出す傾向が強いことを御理解頂けると有難く思います。また、「移籍市場大好き人間」でもありますので、このことをも御理解頂けると有難く思います。

 

 

 上記のように、とりわけ、自分は、「できるだけ攻撃に人数を掛ける」「トライアングルオフェンス」の信奉者です。

 ですが、今季のJリーグは、下記の言葉(概念)に収斂し得るでしょう。

 

 

 「JリーグのセリエA化(イタリアサッカー的テイスト化)。」

 

 

 これはどういうことか。いわば、「相手の良さを消しつつ、攻守の切り替え(トランジション)を素早く遂行して、いかにして得点を獲るか、勝利するかを追究する。」、そのようなサッカーが、日本サッカーの辿り着こうとしている道であるのかな、と感じる、それが、「2012年のJリーグ」であったように、自分には映ります。

 

 

 ここで、自分のHPでの、2012年年初のエントリーを、2つ再掲のリンクを貼ります。

 

 (1)「2012年新春、愛球人の考える、日本サッカー界の論点。」(2012年1月28日)

 http://aikyujin.jimdo.com/2012/01/28/

 

 (2)「2012年Jリーグ1部、自分なりの開幕直前考察。」(2012年3月5日。その3まであります)

 http://aikyujin.jimdo.com/2012/03/05/

 

 

 で、1月28日のエントリーにて、自分は、「2012年の日本サッカー界の論点」として、「日本サッカーとしての『サッカースタイル』の構築及び具現化。」を記しました。

 これがどれほど実現できているかは、正直わかりませんが、「トランジションオフェンス(攻守の切り替えの素早さを重視するサッカー)」が、日本サッカーが目指そうとする道なのかな、ということを、今後注視していく必要があるかな、という感じです。

 

 思えば、ワールドサッカーに目を凝らせば、近年、バルセロナのサッカーが称賛されていますし、自分も、純粋に素敵だなあ、とは思います。

 とりわけ、昨季のCWC決勝の、サントス(ブラジル)との試合は、まさしく衝撃でした。純粋に、「すごーい」と。

 ですが、バルサのサッカーは、確かに美しいとは思いますが、あれは、「メッシ」「イニエスタ」がいるから成立するのだ、とも思うのです。残念ながら、日本には不可能だろうなあ、と感じざるを得ないんですよね。

 

 で、バルサと対極の存在として、モウリーニョ(Rマドリード)のサッカーが挙げられます。このモウリーニョこそ、「トランジションオフェンス」の象徴でしょう(特に3冠を叶えた、09-10シーズンのインテルミラノ時代)。

 

 

 個人的には、繰り返しますが、「トライアングルオフェンス」が大好きです(ですから、清水、川崎には、決してめげることなく、現在のサッカーの方向性を探究し続けて欲しいです)。

 ですが、「トランジションオフェンス」(特に、守→攻への切り替えの素早さ)との融合、いわば、「トランジション+トライアングル」という領域へと到達できれば、もっと素敵だなあ、と思う感じではあるのです。

 

 

 で、今季のJリーグを振り返るにあたり、いくつかの傾向が、見受けられるように思うのです。

 思えば、結果を出したチーム(広島、仙台、浦和、柏、鳥栖)に共通するのは、「守→攻への切り替えの素早さ。どこでボールを奪うかの意思統一。」が、明確になされていたように感じるんですよね。

 

 その一方で、結果を出せず苦しんだチーム(G大阪、鹿島、名古屋)に共通すること。

 「自分たちのサッカースタイル」を見失ったこと、及び、「守→攻への切り替えが遅く、どこでボールを奪うかの意思統一ができていなかった。」ということであるように映るのです。

 

 

 まず、降格したG大阪。

 降格の要因は、それこそいくつも挙げられ得るでしょう。

 

 

 (図解2)自分(愛球人)が考える、G大阪降格の要因。

 

 (1)世代交代の失敗(未だに明神が定位置であること、加地の後継者を見出せていないこと、遠藤不在時のプランBを構築できなかったこと、等々)。

 (2)守備意識を後回しにしたことのつけ(G大阪の長年の強い攻撃意識は称賛に値するが、守備意識の向上も課題であり続けてきた。主力の高齢化で、ついに守備意識の希薄性のぼろが出た感じか)。

 (3)特定の一部選手への依存のつけ(はっきり述べれば、外国人FW、遠藤、二川といった「特別なタレント」が何とかしてくれる、という「依存的サッカー」が無意識的に浸透していなかったか。「個で押し切るサッカー」はもはや限界であることを露呈した帰結と自分は思うが)。

 

 

 主としてこの3つでしょう。勿論、フロントの無能ぶりは言わずもがなですが。

 勿論、西野朗政権の終わりはいつかはきます。それは頭では分かっていた。

 ですが、後任には、個人的には、たとえ攻撃志向の強い監督を置いても大いによい、とは思った訳ですが、それならば、「守備に明るいアシスタントコーチを置く(一応、クラブOBの実好が該当するのだが…)」ことができなかったか、と思う訳です。

 

 個々の選手の質は、確かに高かったのかもしれません。ですが、フロント等をも含めた「クラブ力」は、結局ついていなかったのかな、と。

 受け入れたくはないですが、正直、「なるべくしてなった降格」と自分は思っています。

 

 

 もう一つ。名古屋についても、言及しておく必要があるでしょう。

 

 今季の名古屋。結果こそ、7位(勝点52)でしたが、内容的には、降格したG大阪や、降格の危機にあえいだ鹿島と似たりよったりと感じる、体たらくぶりでした。

 ピッチを大きく使うダイナミックなサッカーはどこへやらの感じで、この力に依存する状況が急激に進行。そして、攻撃の軸のケネディが今季は万全の状態になく、攻守両面で、あまりにも闘莉王への依存度が強くなり過ぎてしまった感じがあります。

 今季、CHの田口の台頭こそありましたが、ここ数年の懸案である、「若手育成」は、結局今季も思うようにできなかった。これこそ、名古屋の最大の不安要素といえるでしょう。

 

 

 それにしても、今季のJリーグ。浮き彫りになったことは、「ACLトロフィーを叶え得るビッグクラブの再構築が急務である。」ということです。

 率直に述べますが、現状では、浦和が8強を叶え得るかな、という程度で、ファイナル(決勝)進出など、とても想像できません。

 

 今季のACLは、蔚山現代(韓国)が優勝しましたが、韓国勢は、「トランジション+トライアングル+気持ちの強さ」を見事なまでに体現できており、中国勢、中東勢の資金力の向上は、目を見張るものがあります。

 どうすれば、Jリーグ勢が、ACLで、これら諸外国のチームに対等に張り合い得るのか。もはや批判を覚悟で、「1強支配体制」をも厭わぬ覚悟で、ビッグクラブ再硬直、これしかないと思うのです。

 

 

 ですが、この「ビッグクラブ再構築候補」になり得るのは、名古屋、浦和の2クラブくらいでしょう(広島、仙台は、資金力や選手層で結局不安感が否めないので)。それに浦和は、ミシャスタイルにはそれなりの共感は抱けるのですが、ACLを考慮すれば、現行の「3-4-2-1」に加えて、「4-2-3-1」とかのようなプランBをも本腰を入れて構築しないと、新たなる栄光はつかみにくいかも、と思う訳です。

 ここ数年の懸案事項である、「直輝と柏木の共存の実現」。まあ、11年シーズンの終盤で、一定の形は実現できてはいるのですが、ミシャスタイルの中に、「直輝と柏木の共存」、ということを落とし込むには、「2列目で、(右から)柏木、直輝、梅崎(元気)を並べて同時起用する」、これに尽きるのかな、と自分は思うのです。

 

 

 となれば、結局、自分としては、名古屋に最も期待するんですよね。ACLトロフィーを奪還し得るJリーグ勢の最有力候補、としては。

 

 という訳で、自分なりに考える、今オフの名古屋の望ましい補強戦略、及び、現時点における2013年名古屋理想布陣を、下記に示したいと思います。

 

 

 (図解3)愛球人が考える、2012年オフにおける、名古屋の望ましい補強戦略。

 

 (1)既に、金崎の放出がほぼ確定で、ヤキモフスキ(OHを主戦場とする大型MF。SSにも対応可能)の獲得もほぼ確定だが、永井謙の国外挑戦の容認はやむなしか(欧州でもそれなりに充分通用し得ることは、ロンドン五輪で実証されているため)。

 (2)遠藤、今野のダブル獲りは、「チーム再構築」のためには、「使命」といってよい(やはり名古屋には、「Jの盟主」であり続けて欲しいので)。ただし、そのためには、相応の資金投入を厭うべきではない。

 (3)遠藤、今野のダブル獲り実現のための資金捻出として、ダニルソンは売却やむなし。その一方で、それにより外国人枠が一つ浮くので、それを用いて、攻撃力向上のために、ブルーノ・ロペス(新潟)の獲得に動いて欲しい(ケネディの衛星役としても代役としても充分機能し得るかと)。ダニエルは残留でOK。

 (4)サイドの補強が必要。特に、左右両サイドのあらゆるポジションを高次元でこなせる渡邉大(大宮)は、是非とも獲得に動くべき好タレント。また、高さがあって、WGにも対応可能な、ケネディの代役的なFWとして、佐藤洸(岐阜。今季J2で10得点。三重県出身なので、地元選手でもある)を獲得に動くことも望ましいかと。

 (5)若手育成は急務。とりわけ、攻撃の好タレント、田中輝、田鍋には、積極的に出場機会を与えて成長を促し、左SBの佐藤和も、阿部翔と切磋琢磨させてしかるべきかと。大卒新人のCB、牟田も然り。

 

 

 (図解4)現時点における、2013年名古屋理想布陣。

 システム(4-2-3-1)

 監督(ストイコビッチ)

 ([]印は、現時点での補強候補。)

 

                     ケネディ

                    (佐藤洸)

 [ブルーノ・ロペス]         [ヤキモフスキ]              藤本淳

(玉田)                (田中輝)             (小川、田鍋)                   

            [遠藤]              ダニエル

            (中村直)            (田口、磯村)  

 阿部翔         闘莉王             [今野]       [渡邉大]

(佐藤和)       (増川)             (牟田)       (田中隼)

                     楢崎

                    (高木義)

 

 

 それにしても、今後のJリーグにおいて、気に掛かるのが、有望な若手の選手流出にどう歯止めをかけるのか、ということです。

 そしてまた、代表人気は上昇中だが、Jリーグ人気は下落傾向にある現実をどう打破するか、とも。

 

 結局、「日本サッカーとしてのサッカースタイル構築」は勿論ですが、各クラブが、「ACLトロフィー実現」に向かって総力を挙げて補強及び育成に励むこと(特に下部組織を強固にすることがとても大切かと)、このことを、強く抱く感じです。

 

 

 最後に、自分なりに考える、今季のJリーグの印象に残る選手を、独断全開で申し訳ないですが、選出させて頂きます。

 

 

 (図解5)愛球人が考える、2012年Jリーグ1部の表彰選出選手。

 

 (MVP)佐藤寿人(広島)

 (今季22得点で得点王。チームもJリーグ優勝。長年の実績に照らしても、文句なしの感じかと。)

 (新人王)河井陽介(清水)

 (大卒1年目にして、32試合に出場、MFの定位置をしっかりとつかむ。魅力的な攻撃サッカーの中心的存在の一翼を占めた功績は大きいかと。)

 (MIP)村松大輔(清水)

 (もはや絶対不動の清水のアンカーに。足下の技術や攻撃意識も着実に向上しており、気持ちの強さはもはやピカイチ。自分が代表監督ならば、既にA代表に組み込む水準にまで到達している感じ。)

 (カムバック賞)梅崎司(浦和)

 (今季の浦和の復活は、梅崎の復活によるところが大きいかと。度重なる故障からの華麗なる復活劇は、日々のたゆまぬ努力のたまものであり、不慣れな左WBも、守備意識と運動量の飛躍的向上という産物をもたらし、シーズン終盤では2列目として躍動。)

 

 

 (図解6)愛球人が考える、2012年Jリーグ1部ベストイレブン。

 システム(3-4-1-2)

 監督(森保一)

 

             寿人               豊田

 

                     俊輔

 

 梁勇基                                 レアンドロ(柏) 

                   

             陽介               青山敏

 

         槙野          闘莉王           角田

 

                     西川

 

 

 上記を以て、自分なりの、2012年Jリーグ1部の、総括的考察とさせて頂きたく思います。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

11月

26日

「自分(愛球人)が考える、現時点における2013年WBC日本代表28人枠(その2)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第30回のブログエントリーの論題は、「自分(愛球人)が考える、現時点における2013年WBC日本代表28人枠。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の29回目になります。そして、NPBブログエントリーの3回目、野球日本代表ブログエントリーの1回目になります。

 

 では、(その1)の続きから、考察を始めます。

 

 

 (その1)において、米国、キューバ、韓国のそれぞれの代表の予想される主力選手の顔触れを示しました。

 では、自分なりに考える、「2013年WBC日本代表28人枠」が、どのような陣容か。それが、(その2)での主たるテーマです。

 

 自分の考える「2013年WBC日本代表28人枠」は、どのような感じか、下記に、基本スタンスを示したいと思います。

 

 

 (図解4)自分(愛球人)が考える、「2013年WBC日本代表28人枠」選出における基本スタンス。

 

 (1)MLB組はダルビッシュ、青木のみでよかったが、どうしても欲しかったこの2人がアウトなのは痛いが仕方ないと思うしかない。

 (2)球児、中島は、編成的にも戦術的にも絶対に必要だが、MLB挑戦という本人の「志」を最大限に尊重すべき。その上で、球団側がWBC出場を容認すればもうけものの感じ。

 (3)出戻り組の西岡は、状態の判断が不透明なので今回は選考対象からやむなく除外。膝の手術の中村剛、肘痛を抱える吉川も、選考対象から泣く泣く外して考える。

 (4)WBCはタフな闘いであるので、心身の負担があまりにも大きい。故に、精神力を重要な選考要素とする。また、主として35歳以上のベテラン選手は原則的に選考対象から除外。

 (5)投手は左右のバランスをできるだけ重視する。特に対強豪国、あるいはパワー型の打者をいかにして封じるかと考えると、技巧派をできるだけ多く配しておきたい。

 (6)打者については、ポジションバランスに留意したい。また、破壊力で他国にどうしても劣ることや、他国が総じて守備力に不安を抱えることをも踏まえても、走塁力に優れる選手をできるだけ多く配したい。

 (7)対左腕投手ということをも踏まえても、同等の能力であれば、右打者の方を優先させる。また、できるだけ何か一つ以上に特筆する能力を持つ選手や、複数ポジションに対応可能な選手を優先して選考したい。故に、タイトルホルダーでも容赦なく落選対象になり得る。

 

 

 上記のことをも踏まえて、下記に、(図解5)にて、「愛球人的な2013年WBC日本代表28人枠」を示そうと思います。

 

 

 (図解5)自分(愛球人)が考える、「2013年WBC日本代表28人枠」。

 

 (投手。)

 田中将大(東北楽天、右)[今季成績10勝4敗。11年沢村賞等。]

 (国際試合では絶対不可欠の右の本格派。大舞台でこそ輝く強心臓でエースとして輝いて欲しい。)

 内海哲也(巨人、左)[今季成績15勝6敗。11年、12年最多勝等。]

 (左の軸として必要な存在。名門巨人でエースを貼り続けるハートの強さを評価。)

 前田健太(広島、右)[今季成績14勝7敗。10年沢村賞等。]

 (田中将、内海と「先発三本柱」を形成して欲しい。多彩な球種が魅力的。)

 能見篤史(阪神、左)[今季成績10勝10敗。12年奪三振王。]

 (左のロングリリーフとして期待大。強打者になればなるほど燃えるハートと球威を買って。)

 岸孝之(埼玉西武、右)[今季成績11勝12敗。]

 (緩急で勝負できる貴重な存在だから。今季の球宴等、大舞台でこそ輝けることも大きな魅力。)

 成瀬善久(千葉ロッテ、左)[今季成績12勝11敗、07年防御率王。]

 (本格派としても技巧派としても振る舞える左腕だから。左のロングリリーフとして期待。)

 石川雅規(ヤクルト、左)[今季成績8勝11敗。08年防御率王等。]

 (小さな身体から繰り出す多彩な球種は、特に対強打者でこそ輝くと思うから。)

 牧田和久(埼玉西武、右)[今季成績13勝9敗。11年新人王。]

 (世界的にも貴重なサブマリン。直後に本格派を投入するイメージならば、なおさら存在価値が増す。)

 森福充彦(ソフトバンク、左)[今季成績2勝5敗17S。]

 (貴重な変則左腕。心身両面のタフネスぶりをも買って。)

 涌井秀章(埼玉西武、右)[今季成績1勝5敗30S。09年沢村賞等。]

 (今季抑えを経験したことで、ロングリリーフから抑えまで対応できる貴重な存在に。)

 杉内俊哉(巨人、左)[今季成績12勝4敗。05年沢村賞等。]

 (豊富な国際経験と、それに裏打ちされた柔軟な投球術が魅力。左の救援の軸。)

 山口俊(横浜、右)[今季成績1勝2敗22S。]

 (25歳にして通算104S。九位とハートの強さで守護神として期待大。)

 

 (捕手。)

 阿部慎之助(巨人、左)[今季成績打率340、27本塁打、104打点、0盗塁。12年MVP、首位打者等。]

 (絶対不動の「5番・捕手」。恐らく最も変えの効かない選手。)

 炭谷銀二朗(埼玉西武、右)[今季成績打率194、0本塁打、23打点、0盗塁。]

 (第2捕手だが、捕手としての能力ならば阿部と遜色なし。涌井登板時はマスクも。)

 嶋基宏(東北楽天、右)[今季成績打率291、1本塁打、8打点、3盗塁。]

 (第3捕手。兄貴分的人柄で、ブルペン捕手、精神的支柱要員にふさわしいと判断。田中将の良き相棒としても。)

 

 (内野手。)

 中田翔(日本ハム、右)[今季成績打率239、24本塁打、77打点、5盗塁。]

 (絶対不動の「4番・DH」。日本代表の3連覇実現はこの男の打棒に掛かっている。)

 T岡田(オリックス、左)[今季成績打率280、10本塁打、56打点、4盗塁。10年本塁打王。]

 (左の代打として期待。良くも悪くもフルスイングだが、その強心臓ぶりが魅力的。)

 村田修一(巨人、右)[今季成績打率252、12本塁打、58打点、1盗塁。07年、08年本塁打王。]

 (右の代打として期待。今季は不調だったが、飛距離は日本球界でも有数のレベル。)

 松田宣浩(ソフトバンク、右)[今季成績打率300、9本塁打、56打点、16盗塁。]

 (「6番・三塁手」として期待。勝負強く、日本球界の中でも最もトリプルスリーに近いかも。)

 坂本勇人(巨人、右)[今季成績打率311、14本塁打、69打点、16盗塁。12年最多安打。]

 (「3番・遊撃手」。状況判断力と思いきりに優れ、名門巨人で不動の3番であることも評価。)

 鳥谷敬(阪神、左)[今季成績打率262、8本塁打、59打点、15盗塁。11年最高出塁率。]

 (内野守備固め、及び精神的支柱要員。勝負強さと堅実な守備が魅力的。)

 本多雄一(ソフトバンク、左)[今季成績打率246、0本塁打、31打点、34盗塁。10年、11年盗塁王。]

 (「2番・二塁手」。30盗塁到達が通算5回。機動力野球実現には不可欠の存在。)

 浅村栄斗(埼玉西武、右)[今季成績打率245、7本塁打、37打点、13盗塁。]

 (内外野の複数ポジションを高次元でこなせる貴重なマルチロール。快足で勝負強い打撃も魅力。)

 

 (外野手。)

 長野久義(巨人、右)[今季成績打率301、14本塁打、60打点、20盗塁。11年首位打者等。]

 (「9番・左翼手」。状況に応じた打撃が魅力で、ハートの強さも持ち味。)

 内川聖一(ソフトバンク、右)[今季成績打率300、7本塁打、53打点、6盗塁。11年MVP、首位打者等。]

 (「7番・一塁手」。日本球界最高レベルのバットコントロールと豊富な経験を買って。)

 聖澤諒(東北楽天、左)[今季成績打率270、4本塁打、45打点、54盗塁。12年盗塁王。]

 (「1番・中堅手」。2年連続50盗塁到達。快足を活かしたあひろい守備範囲も魅力的。)

 大島洋平(中日、左)[今季成績打率310、1本塁打、13打点、32盗塁。12年盗塁王。]

 (「8番・右翼手」。快足、堅実な守備に加えて、何事にも全力姿勢であることも特筆。)

 糸井嘉男(日本ハム、左)[今季成績打率304、9本塁打、48打点、22盗塁。11年、12年最高出塁率。]

 (左の代打及び外野守備要員。4年連続打率3割到達のバットコントロール及び選球眼が魅力。)

 

 

 上記が、自分(愛球人)が考える、「2013年WBC日本代表28人枠」です。

 技巧派投手、左腕投手、快足打者を多めに選出した関係で、タイトルホルダーを複数名落選になったりしていますが。

 例えば、今季首位打者の角中(千葉ロッテ)や、今季沢村賞の摂津(ソフトバンク)、今季最優秀救援の武田久(日本ハム)等を、容赦なく落選としましたから。

 

 そして、例えば、二遊間の第4の選手に、浅村(埼玉西武)を選出しましたが、これも正直迷いました。

 例えば、梵(広島)や、明石(ソフトバンク)も、魅力的な選手でしょう。梵は、今季広島で「3番・遊撃手」を張り、快足、堅実な守備に加えて、勝負強い打撃も向上傾向にあります。

 また、明石も、内外野の複数ポジションに対応可能なマルチロールであり、今季は25盗塁と、自慢の快足も開花させました。

 ですが、何故浅村にしたのかといえば、守備力、勝負強い打撃は勿論ですが、大舞台になればなるほど燃えることができる選手だから、ということです。やはり国際試合ですから、結局は精神力になるのではないか、と。それで浅村にしました。

 

 この二遊間は実に象徴的で、これまでならば、中島、西岡、川崎が、しのぎを削ってきたポジションです。代表クラスを3人も候補から外さざるを得ないとなると、こうも一気にきつくなるのか、と。いわば、今回の「代表28人枠」は、「過渡期の陣容」といえるのかもしれません。

 

 技巧派右腕としての岸の選出も、正直、金子(オリックス)、永井怜(東北楽天)の故障さえなければ、より選択肢が多彩になったのに、とは思いますし、09年WBCでは直前に落選した不安要素もありますが、09年のときよりは投球術の引き出しが増えていることに照らせば、心配ないだろうと考えてのことです。

 

 あるいは抑えも然り。正直、球児を選出できればベストでしたが、山口俊、涌井も、キンブレル、呉昇桓に匹敵し得る、球威と強心臓を兼備し得る抑えです。杉内も、多彩な球種と投球術の持ち主ですから、短いイニングでならば、その凄味がより引き出されるのでは、と。

 多彩な球種の石川、変則左腕の森福、サブマリンの牧田。この3人は、特に米国やカリブ地域では、あまり見かけないタイプの投手です。このような、変則的なタイプの投手を中継ぎに配せる事こそ、日本投手陣の最大の強みになり得ると、自分は思います。

 

 

 では、上記に挙げた、「2013年WBC日本代表28人枠」を、下記に、起用法別に振り分けてみましょう。

 

 

 (図解6)「愛球人が考える2013年WBC日本代表28人枠」における、具体的起用法。

 

 [投手。]

 先発(田中将、内海、前田健。)

 第2の先発[ロングリリーフ](能見、岸、成瀬。)

 中継ぎ(石川、牧田、森福、涌井。)

 抑え(杉内、山口俊。)

 

 [石川、森福は左のワンポイント起用もあり得る。例えば、「対フィルダー専用要員」等での起用とか。あるいは、石川、牧田は、直後に涌井、杉内、山口俊といった本格派を起用することでこそ活きるかなとも考える。]

 

 

 [打者。]

 〈スタメン。〉

 1(中)聖澤

 2(二)本多

 3(遊)坂本

 4(DH)中田翔

 5(捕)阿部

 6(三)松田

 7(一)内川

 8(右)大島

 9(左)長野

 

 〈控え。〉

 右の代打(村田)

 左の代打(T岡田)

 内野守備要員、代走(鳥谷)

 外野守備要員、左の代打、代走(糸井)

 内外野守備要員、代走(浅村)

 

 

 確かに、「替えが効かないであろう選手」が何人かいることの不安がない訳ではありません。

 特に、坂本、中田翔、阿部の中軸は、あらゆる意味で不在時のダメージは少なくないでしょう。

 あるいは、一塁手と考える内川は、ここ2年間は基本的に左翼、右翼が基本です。

 

 ですが、大砲要員(中田翔)ならば、村田、T岡田でも、飛距離に遜色はない。

 遊撃手(坂本)不在時の対応でならば、鳥谷起用でも、長打力こそ落ち度も、むしろ守備力は上がる。打順をいじるリスクはありますが、例えば、3番松田、6番内川、7番鳥谷にする方法もあるでしょう。

 捕手(阿部)の問題にせよ、炭谷、嶋も、打撃に目をつぶれば、捕手としての能力は決して遜色ない。5番ということでは、松田を起用すればよい(6番内川、7番に捕手。機動力野球を押しだす意味で、この打順がベターかと)。

 あるいは、より守備的に振る舞う意味で、阿部を「5番・一塁手」、炭谷(または嶋)を「7番・捕手」にする方法もあるでしょう。

 

 ちなみに中田翔のDH起用は、4番打者としての役割に全てを集中して欲しい。本塁打や打点が欲しいときにこそ輝いて欲しい。そのためには、守備負担を免除することがベストと考えるからです。

 

 

 上記のように考えると、破壊力では、4番、5番しか見込めないので、米国、キューバ、韓国に見劣りするかもしれません。

 しかし、走塁力では、トリプルスリー級の潜在能力を持つ坂本、松田は勿論、8番から2番の4人を一気に配せる。これは他国に比べると、最も誇れる持ち味といえるでしょう。

 投手の分厚さ(特に中継ぎ陣)も、世界最高レベルと思う訳です。そう考えると、目指すべき野球スタイルが見えてくるのでは、と。

 

 

 「一つでも先の塁を貪欲に狙い、一球を強く大切にする(球際の強さ、全力姿勢をも含めて)、機動力及び投手力を軸とする『1点に拘る全力野球のスモールベースボール』。」

 

 

 これが、「2013年WBC日本代表」における、「ベストの野球スタイル」と強く考える訳です。

 

 いずれにせよ、「2013年WBC日本代表」が、「3連覇実現」を叶えることを、強く希求してなりません。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

11月

26日

「自分(愛球人)が考える、現時点における2013年WBC日本代表28人枠(その1)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第30回のブログエントリーの論題は、「自分(愛球人)が考える、現時点における2013年WBC日本代表28人枠。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の29回目になります。そして、NPBブログエントリーの3回目、野球日本代表ブログエントリーの1回目になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 今回のブログエントリーの主題は、「2013年WBC日本代表28人枠を愛球人的に理想メンバーを選出する。」が主たるテイストです。

 あくまでも、「自分(愛球人)が指揮官ならば」の域を出ませんし、正直、「独断と偏見」の域を出ないことは、否めないと思います。

 勿論、選出理由を、考察の過程で自分なりに示したいとは思いますが、今季のタイトルホルダーでも、落選選手が自分の中では何人か起こっています。自分がどのような尺度から28人枠を選出したいのかが、伝わってくれれば、とても有難く思う感じです。

 

 これを考察するにあたり、まず、他国(主要国)の予想メンバー構成を、自分なりに示してみてから、「愛球人的2013年WBC日本代表28人枠」を示そうと思います。

 

 

 (図解1)自分(愛球人)が予想する、現時点での2013年WBC米国代表主力選手。

 

 [スタメン打者。]

 1(中)トラウト(エンゼルス)[実質MLB1年目にしてトリプルスリーを達成した右の強打者。]

 2(右)ビクトリーノ(ドジャース)[快足の外野手。両打ちであることも魅力。]

 3(左)ブラウン(ブルワーズ)[11年、12年と2年連続トリプルスリーの右の強打者。]

 4(DH)フィルダー(タイガース)[6年連続30本塁打到達の左の大砲。今季ワールドシリーズにも出場。]

 5(一)テシェイラ(ヤンキース)[通算7回の30本塁打到達を果たしている両打ちの大砲。]

 6(三)ライト(メッツ)[通算6回の打率3割到達。バットコントロールに優れる、メッツ一筋の右打者。]

 7(捕)ポージー(ジャイアンツ)[ジャイアンツを今季世界一に導き、MVPに輝く、強打の捕手。]

 8(二)ペドロイア(レッドソックス)[巧打が魅力の右の二塁手。]

 9(遊)ロリンズ(フィリーズ)[通算2000安打を今季達成した右の巧打者。30盗塁到達も通算10回。]

 

 [主力投手。]

 (先発)バーランダー(タイガース、右)[15勝到達が通算6回。11年のサイ・ヤング賞。]

 (先発)プライス(レイズ、左)[今季のサイ・ヤング賞投手。動く直球を複数持つ。]

 (先発)ストラスバーグ(ナショナルズ、右)[24歳にしてMLBを代表する右の剛腕。]

 (抑え)キンブレル(ブレーブス、右)[2年連続セーブ王。フォーシームとカーブで三振の山を築く。]

 

 

 上記から考えると、捕手の守備力や、二遊間の質に、やや付け入る隙があるかもとは思いますが、どれほどのベストメンバーで臨むかが不透明とはいえ、上記のようなベストメンバーでもしも臨むとなれば、「無双」になる可能性も充分にあります。

 特に、ブラウン、フィルダー、テシェイラの中軸の破壊力は、恐らく世界最高レベルでしょうし、先発三本柱、及び、絶対的守護神のキンブレルが、出場を表明すれば、恐らくそうは点は獲られないでしょう。ただ、WBCには、恐らく今回も球数制限がある訳で、中継ぎ陣には恐らく不安を抱えることになるのでは、と。その意味で、キンブレルが登場する前に、勝負どころで畳みかけることができるかがポイントになるかもしれません。

 

 

 (図解2)自分(愛球人)が予想する、現時点での2013年WBCキューバ代表主力選手。

 

 [スタメン打者。]

 1(中)カスティーヨ

 2(右)ベル

 3(三)グリエル

 4(左)デスパイネン

 5(DH)セペダ

 6(一)アブレウ

 7(二)オリベラ

 8(捕)ぺスタノ

 9(遊)アルエバルエナ

 

 

 主力投手の顔触れがよくわからないことに示されるように、結局、キューバは、良くも悪くも、伝統の「打って打って打ちまくる」チームであると考えられます。

 確かに、3番から6番までの破壊力、とりわけ、グリエル、デスパイネンの強打ぶりは、世界最高レベルと思いますし、遊撃手のアルエバルエナの守備も、非凡といえるでしょう。

 とはいえ、正捕手ぺスタノは大ベテランで、肩の衰えは恐らく否めない。投手力の不安をも含めて、そこに付け入る隙があるかも、と思う訳です。

 つまり、確かに打撃の破壊力は認めるけど、投手力や守備力等の総合力で、米国や韓国よりは少し見劣りするかも、というのが、現時点での率直な感覚ですかね。

 

 

 (図解3)自分(愛球人)が予想する、現時点での2013年WBC韓国代表主力選手。

 

 [スタメン打者。]

 1(中)李容圭(イヨンギュ、起亜、左)[今季44盗塁で盗塁王。3割到達4回を誇る左利きの外野手。]

 2(二)鄭根宇(チョングンウ、SK、右)[コンスタントに3割、20盗塁クラスを記録する巧打の二塁手。]

 3(三)崔廷(チェジョン、SK、右)[今季打率.300、26本塁打、20盗塁。走攻守に優れる右打者。]

 4(一)金泰均(キムテギュン、ハンファ、右)[今季打率.363で首位打者。09年WBCでは4番を張った。]

 5(DH)李大浩(イデホ、オリックス、右)[今季日本挑戦1年目で24本塁打。長打力が持ち味の右の大砲。]

 6(右)李晋映(イジンヨン、LG、左)[大舞台で無類の精神力を発揮するベテランの左利きの強打者。]

 7(左)金賢珠(キムヒョンス、斗山、左)[昨季まで4年連続打率3割。09年WBCでは3番を張った。]

 8(捕)姜民稿(カンミンホ、ロッテ、右)[08年北京五輪では若干23歳で正捕手を張った。]

 9(遊)姜正浩(カンジョンホ、ヒーローズ、右)[今季打率.314、25本塁打、21盗塁の右の遊撃手。]

 

 [主力投手。]

 (先発)金廣鉉(キムグァンヒョン、SK、左)[08年北京五輪以来、代表の軸を張る「微笑みサウスポー」。]

 (先発)伊陽珉(ユンソンミン、起亜、右)[11年MVP。韓国球界を代表する右の本格派。]

 (先発)張桓三(チャンウォンサム、三星、左)[今季17勝で最多勝に輝いた左の本格派。]

 (抑え)呉昇桓(オスンファン、三星、右)[30歳にしてセーブ王5回、通算228Sの絶対的守護神。]

 

 

 主力打者9人のうち8人が、09年WBC代表。中継ぎ陣の顔触れが大きく変わりそうで、先発でも、長く代表エースを張った左の本格派、柳賢振(リュヒョンジン、ハンファ→ドジャース)が、MLB挑戦で代表から外れるかもですが、世界最高レベルの絶対的守護神、呉昇桓の存在、それだけでも、大きな強みでしょう。

 精神力ならば世界随一、たたみかけるよう連打は要注意と思われます。そして、中軸は、破壊力に加えて、状況判断力も高い。李容圭の快足をも含めて、気の抜けない陣容といえる感じです。

 

 ちなみに、韓国代表は、すでに予備エントリーメンバー35人が発表されており、11月30日に、「28人枠」が発表されるとのことです。

 下記に、韓国代表の予備エントリーメンバー、及び、今季の韓国プロ野球(KBO)の個人成績を、リンクを貼っておきます。

 

 (韓国代表暫定35人枠。)

 [その1]http://www.strike-zone.jp/wbc2013.html

 [その2]http://d.hatena.ne.jp/takefumif/searchdiary?word=%2A%5B2013WBC%5D

 

 (韓国球界2012年個人成績上位者。)

 [その1]http://www.strike-zone.jp/12date.html

 [その2]http://d.hatena.ne.jp/takefumif/searchdiary?word=%2A%5B%B8%C4%BF%CD%C0%AE%C0%D3%BE%E5%B0%CC%BC%D4%5D

 

 

 では、上記のことをも踏まえて、自分(愛球人)が考える、「2013年WBC日本代表28人枠」を、(その2)にて示したいと思います。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その2)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2012年

10月

26日

「2012年NPBドラフト会議総括、及び、ストーブリーグ補強における一考察(その2。FA及びトレード編)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第29回のブログエントリーの論題は、「2012年NPBドラフト会議総括、及び、ストーブリーグ補強における一考察。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の28回目になります。そして、NPBブログエントリーの2回目、高校野球ブログエントリーの3回目になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 今回のブログエントリーの主題は、「2012年NPB、補強ポイント論を愛球人的に考察する。」が主たるテイストです。

 これを、「ドラフト」「FA、トレード等」の2つの切り口に分けて考える、という感じです。

 ドラフト会議が終わった翌日ですし、それでいて、日本シリーズ前日でもあるので、今日がブログ執筆のベストタイミングかな、という感じですかね。

 

 では、(その2)では、「2012年NPB、FA及びトレード市場展望論」を、自分なりに考察したいと想います。

 

 

 (図解6)2012年NPB、FA及びトレードにおける、各球団の補強ポイント。

 (ただし、全球団ではなくて、いくつかの球団をピックアップする感じになります。)

 

 (1)横浜。

 

 補強ポイントは、投打ともに重要と考えますが、個人的に特に必要と思うのは、「左腕投手」「二遊間の巧打者」の2点でしょうか。

 「再建モード」全開の感じが否めませんが、幸いなことに、資金力はそれなりにありますので、「西岡(ツインズFA)」「平野恵(阪神)」「福留(ヤンキースFA)」「五十嵐(ヤンキースFA)」のいずれも、「欲しいものは欲しい」と全力で獲りにいって然るべきでしょう。

 

 尤も、4人のいずれも獲れるに越したことはないですが、現実論的には、このうちの2人程度、という感じになるのでしょうか。

 補強で最も必要なのは、西岡でしょう。ただし、阪神、千葉ロッテ等、恐らく競合多数。個人的には、千葉ロッテ帰還が最有力とみています。

 ならば、二塁手と外野手(主として右翼手)を高次元でこなせる、平野恵は確保したい。阪神では、上本の台頭で、あぶれ出つつある感じですから。

 福留も、有益な方法の一つとは思いますが、過度の期待はすべきではないでしょう。ただ、日本復帰で、再起を果たして欲しいとは思う感じですが。

 

 むしろ、貴重な、計算できるリリーフである、五十嵐こそ、補強すべきでしょう。

 五十嵐を確保できれば、山口俊、三嶋と共に、「右のリリーフトリオ」が結成できて、「勝利の方程式」が強固になりますから。

 とはいえ、それだけでは不十分でしょう。特に、先発、中継ぎで1枚ずつ、「左腕投手」のトレードが必要であるようにも思います。

 

 候補としては、金刃(巨人)、木村雄(千葉ロッテ)、長谷部(東北楽天)でしょう。

 あるいは、トライアウト組から、有銘(東北楽天)、星野智(埼玉西武)。この2人のいずれかは、左の中継ぎとして確保すれば、まだまだやれると思います。

 理想は、現在燻っている吉村を、長谷部あたりとトレードする。長谷部も現状、伸び悩んでいますが、環境を変えれば、飛躍できると思いますから(あの切れ味鋭いスライダーとかは魅力的な感じですので)。

 

 故に、理想の補強としては、下記のような感じでしょうか。

 

 [1]西岡を最優先で補強したいが、競合多数で厳しいか。少なくとも、平野恵は確実に確保したい。福留の獲得も、有益な感じにはなるだろう。

 [2]五十嵐は全力で獲得に行くべき。それでリリーフ陣を強化して、先発の育成にゆとりを持たせたい(国吉、加賀美、小林太志等のためにも)。

 [3]左腕投手を、先発1枚、中継ぎ1枚ずつ確保すべき。できれば、先発はトレードで長谷部、中継ぎはトライアウトで有銘がベストか。

 

 

 (2)千葉ロッテ。

 

 ここも「チーム再建」の球団です。ただ、横浜ほどは、やばい感じではないですし、ドラフトで、特に「ポスト里崎」として、田村を確保できたことは、大きいと思います。

 とにかく、ここの場合は、まずは「西岡帰還」を総力を挙げて実現させること。また、FA権を撮った今江を慰留することも必要でしょう(なんだかんだで残留するだろうと思いますが)。

 

 西岡獲り、今江残留を確定させれば、その次に、伊東監督の愛弟子で、現在埼玉西武では下降線ながら、快足自慢の片岡も、トレードで確保にいって然るべきでしょう。それで、西武は左腕不足ですから、木村雄(または古谷)を交換要員とする。

 西岡、片岡の「ダブル獲り」に成功できれば、二遊間が強固にできて、井口を一塁手に回せるので(福浦をDH)、魅力的な打線にできると思います。

 外野も、大松を左翼手に固定として、中堅、右翼が、荻野貴、清田、岡田、伊志嶺、加藤翔、神戸と、実に潤沢です。

 

 強いて挙げれば抑えでしょうか。個人的には、球威が持ち味の大嶺を、抑えに転向させて固定できれば、内、益田、中後と併せて、強力な感じにできると思いますが。

 

 故に、理想の補強としては、下記のような感じでしょうか。

 

 [1]西岡獲得、今江残留を総力を挙げて実現させること。

 [2]トレードで、快足堅守の内野手として、片岡を確保。代わりに左腕投手の木村雄(または古谷)を放出する。

 [3]リリーフの強化。大嶺を抑えに回せれば、スケールの大きい救援陣にできて魅力的と思うのだが。

 

 

 (3)阪神。

 

 ここは、今回のドラフトで、藤浪、北條という「投打の軸」が確保できましたし、小豆畑も、即戦力捕手として、辛抱強く起用し続けてしかるべきかなと思います(ただし、打撃はさほど期待できない印象ではありますが)。

 

 個人的には、北條を獲得できて、恐らく鳥谷も残留と思いますから、西岡獲得に必死になる必要はないかと思います(むしろ千葉ロッテ帰還を叶えさせてあげればよいと思う)。平野恵は、無理をしてまで慰留する必要はないかなとも思います。「1、2番」は、上本博、大和で固定した方がよいとも思いますから。

 北條は、三塁手で固定して1軍で起用し続けてしかるべきでしょう。「7番北條、8番小豆畑」で固定すればよいのでは、と個人的には思います。

 

 二塁手は上本博、中堅手は大和、左翼手はマートンで固定として、問題は右翼手です。

 守備重視で藤川俊(登録名は俊介)も一案と思いますが、ここは、伊藤隼の飛躍に期待したいかな、と。あるいは、野原将をコンバートするのも面白いと思います。これに新井良をも含めて、競わせればよいのでは、と。

 

 とはいえ、打撃陣の補強が必要というのも、一理あるでしょうし、マートンを右翼手に回して、左翼手として、カスティーヨ(元千葉ロッテ)か、スケールズ(元オリックス)の獲得に動くのも、一案かなとも、正直思います。

 その場合、中軸は、「3番鳥谷、4番マートン、5番新井貴、6番新外国人」がベターかな、と自分は思います。

 

 むしろ補強が必要なのは、左腕投手でしょう。それこそ、長谷部、有銘のいずれかを確実に確保すること。その一方で、燻り感が否めない柴田(あるいは浅井、坂)あたりを交換要員にした方がよいように思います。

 

 故に、理想の補強としては、下記のような感じでしょうか。

 

 [1]鳥谷残留を確実にするべし。北條は1年目から辛抱強く使い続ける。西岡獲得に動く必要はないと考える。

 [2]打撃力強化のために、左翼手として、カスティーヨ(またはスケールズ)の獲得に動く。

 [3]榎田の先発転向に備えて、左の中継ぎとして有銘を確保する。できれば、左の先発として、トレードで長谷部を獲得できればなおよい(交換要員として柴田)。

 

 

 (図解7)2012年NPB、移籍市場における注目選手(ピックアップ)。

 

 (1)西岡剛(ツインズFA)。

 千葉ロッテ帰還がベストかと。あとは、横浜入りも一つの選択肢か(自分の力でチームを強くしようというのでやりがいが持てるのでは、と)。阪神、東北楽天あたりも獲得に動くだろうが、ほとんど可能性はないと思う。

 

 (2)平野恵一(阪神)。

 国内FA組の最注目選手。恐らく阪神残留はほとんどないとみる。動くとすれば、横浜、東北楽天、オリックスのいずれかか。最有力は、地元でもある横浜と思うが、東北楽天にもチャンスがあるとみる。環境を変えれば、まだまだできると思う。フォアザチームの体現者なのだから。

 

 (3)五十嵐亮太(ヤンキースFA)。

 古巣のヤクルト帰還の可能性はあり得るとは思うが、あくまでも一つの選択肢の域を出ないかと。巨人、阪神、ソフトバンク、横浜、埼玉西武、東北楽天等、恐らく競合がいくつも出るのでは、とみる。

 最有力は横浜か。のびのびとできるのがメリットとしてある。あるいは、東北楽天も、有力な選択肢になり得よう。そして古巣のヤクルトの、三つ巴と予想するが、果たして。

 

 (4)ブランコ(中日)。

 巨人、横浜が獲得に動くともいわれるが、本人が中日残留が第一希望とのことのようであり、しかも中日的にも絶対に残留させたい、ならば結局中日残留と予想する。

 

 (5)バレンティン(ヤクルト)。

 ブランコよりも移籍の可能性があるのはバレンティンと考える。ヤクルト残留か巨人の二者択一と予想するが、恐らく巨人移籍か。右翼手に入り、左翼手に大田、一塁手に高橋由とできるので、より一層打線が強力になるかと。

 

 

 2012年のNPBのFA、トレード市場の、自分なりの現時点での展望論としては、上記のような感じです。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

10月

26日

「2012年NPBドラフト会議総括、及び、ストーブリーグ補強における一考察(その1。ドラフト会議編)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第29回のブログエントリーの論題は、「2012年NPBドラフト会議総括、及び、ストーブリーグ補強における一考察。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の28回目になります。そして、NPBブログエントリーの2回目、高校野球ブログエントリーの3回目になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 今回のブログエントリーの主題は、「2012年NPB、補強ポイント論を愛球人的に考察する。」が主たるテイストです。

 これを、「ドラフト」「FA、トレード等」の2つの切り口に分けて考える、という感じです。

 ドラフト会議が終わった翌日ですし、それでいて、日本シリーズ前日でもあるので、今日がブログ執筆のベストタイミングかな、という感じですかね。

 

 では、(その1)では、「2012年NPBドラフト会議総括」を、総論、各論(球団別)に分けて考えようと思います。

 

 

 (図解1)2012年NPBドラフト会議総括(総論編その1。全体を振り返って)。

 

 なんといっても、「高校野球のレジェンド[伝説]」である、藤浪晋太郎(大阪桐蔭)が、阪神1位、つまり、「プロでも聖地甲子園のマウンド」、そこで「200勝投手」の大偉業への挑戦、ということで、一野球ファン的には、最高すぎるストーリー(物語)、という感じです。

 

 北條史也(光星学院。阪神2位。小中学生時代からのライバルにして、プロでは仲間)。

 田村龍弘(光星学院。千葉ロッテ3位。小中学生時代からのライバルであり、プロでもライバルに)。

 高橋大樹(龍谷大平安。広島1位。右の強打者で、関西のライバルとしてしのぎを削ってきた)。

 大塚尚仁(九州学院。東北楽天3位。この1年で飛躍を遂げた技巧派左腕で、3年春に藤浪と投げ合った)。

 濱田達郎(愛工大名電。中日2位。左の剛腕で、藤浪と素質では並び称せられる存在)。

 溝脇隼人(九州学院。中日5位。超絶なる美技の遊撃守備が魅力で、3年春に藤浪と直接対決した)。

 

 このように、「藤浪世代」は実に多士済々。「藤浪世代物語」が、美しく開幕、という感じで、一野球ファンとして、一人の人間として、「わくわく感」がたまらない感じです。

 

 全体としては、藤浪、東浜(亜大)、福谷(慶應大)、菅野(東海大)等、主要選手の多くが「意中の球団」に入れた感じで、わりと微笑ましいドラフトになった感じです。

 

 

 (図解2)2012年NPBドラフト会議総括(各論編。球団別)。

 

 (1)横浜(評価A)

 

 1位白崎は、自分ならば三塁手で育てたい。打撃は魅力なので、「右の中長距離砲」として、3番打者で育ってほしい。ただ、辛抱強く遊撃手で育てれば、スケールが大きい感じになり好感でもある。

 2位三嶋は、山口俊への必勝リレーになり得て、リリーフ強化に最適。

 4位赤堀、6位宮崎敏と、右の強打者を2人確保。「右の外野手」が不足であったので、その意味で赤堀はベターな指名。

 ただ、できれば、3位か4位で、即戦力左腕を確保できなかったか。例えば、指名漏れになったが、大城(JX)は、技巧派として魅力的で、左の先発候補となると思うんだけどなあ、と。そこが減点材料。

 ただ、全体としては、指名した6人全員が大学生、社会人で、「即戦力候補」を多く確保できたことが好感。現有戦力的に、投手が不足の印象があるが、思った以上にバランスのとれた指名。「チーム再建」への強い意欲が伝わってきたので高評価。

 

 

 (2)広島(評価C)

 

 指名した5人がオール打者。自分自身、打者及び左腕投手重視のドラフトを好むが、それでもちょっと偏重過ぎないか、と。ここも、はっきり述べるが、何故左腕投手を1枚確保しない、というのが減点材料。

 1位の高橋大は、「右の強打者候補」。ただ、自分ならば、北條の一本釣りに行った。そうすれば、梵、上本崇(3位)とともに、強力な内野陣を形成できて、守備に難のある堂林を左翼手に回せるからである。素材としてはよいが、少し疑問符も抱く指名。

 上本崇は、自分ならば2位で真っ先に確保する。その上で、3位で左腕投手を確保に行く(これもやはり大城になるのだが)。

 4位の下水流[しもずる]は、横浜高校時代から注目していたが、ついにプロが叶っておめでとう、と個人的には感じる。右のバランス型の外野手で、即戦力で使えそうなので好感。

 とはいえ、ぜんたいとしては、やや疑問符を抱く指名で、小粒感が否めない感じでもあった。

 

 

 (3)ヤクルト(評価C)

 

 申し訳ないけど、簡潔に述べれば、「意図が伝わらない」。

 ただ、1位石山、4位江村と、左右の即戦力投手を確保したことは好材料か。

 とはいえ、即戦力打者(特に三塁、外野)が少なくとも1枚は欲しかっただけに、例えば、宮崎敏あたりは、4位か5位あたりで確保して然るべきであったのでは、と。そこが疑問符。

 6位の谷内は楽しみな素材。バランス型の内野手で、三塁手で起用すると、川端、田中浩と堅守の内野陣を築けそう。

 

 

 (4)阪神(評価S)

 

 藤浪1位の時点で、「評価S」である。向こう15年は、「藤浪の時代」として、「チーム再建の軸」を確保できたこと自体に高評価。NBAのサンダー(デュラント)、ウルブズ(ルビオ)のような感じで、自分自身、テレビの前で思わず絶叫でした。

 2位北條で、ますます会心のドラフト。3位田面は、本格派のリリーフ右腕。

 4位に、守備型捕手の小豆畑[あずはた]を確保できて、ほぼ満点(よくをいえば田村が欲しかったが、ロッテ3位まで残っていたこと自体びっくりで、これは贅沢すぎますかね。しかし、小豆畑も、即戦力捕手で、バッテリー強化ができてよかったかな、という感じです)。

 ただ、できれば、左腕投手1枚、即戦力打者1枚も、併せて確保して欲しかった。その意味で、何故、大城(あるいは桜田[ホンダ])、萩原(関学大)を獲りにいかないのか、と(萩原は結局指名漏れ。正直理解に苦しむ)。それが不満ではありますが、それでも、1位藤浪、2位北條、4位小豆畑で、充分満足といえるでしょう。

 

 

 (5)中日(評価S)

 

 1位福谷、2位濱田は、「地元の逸材」で、他球団を全く寄せ付けず鉄板の、理想的展開。

 3位古本も、左の強打者。4位杉山は、捕手で指名のようだが、打撃を活かして一塁手がベターかも。ただ、もともとは捕手なので、早ければ来期後半戦でも、「ポスト谷繁」の「打てる捕手」として育てられれば会心。

 5位溝脇は、遊撃守備はもはや絶品。打撃(木製バット)に慣れれば、「ポスト井端」はもはや当確のようなもの。二塁に堂上直が入り、三塁高橋周になれば、もはや「夢の布陣」。

 地味ながらも、実利的な抜け目ない指名であり、むしろ補強ポイント的には、阪神異常の高評価を与え得る感じ。故にS評価。

 

 

 (6)巨人(評価B)

 

 1位菅野は、「1年越しの悲願」成就で、ほっと一息。

 ただ、2位以下は全体として、「?」のドラフト。まあ、現有戦力で充分いける、ということか。

 とはいえ、5位の坂口は、「右の大砲」として魅力的。尤も、坂口は、パリーグ向きな気がしますが。変化球への対応力が上がれば、5、6番クラスで本塁打を量産し得る逸材。大田もこれが刺激になってくれれば、と。

 

 

 (7)オリックス(評価B)

 

 1位松葉は楽しみな即戦力左腕で、高く評価できる。ただ、個人的には、伏見(3位)を2位で確保して、3位で即戦力打者(特に三塁、外野)を獲りに行って欲しかった。その意味で、何故萩原を獲らない、とがっかりした。

 欲をいえば、もう1枚即戦力左腕が獲れればなおよかったかな、と(大城、江村、桜田のいずれか。あるいは宇田川[三菱自動車岡崎]も含めて)。もう少し「危機意識」を持って欲しかった意味で、物足りなさを感じた。

 伏見の指名は、伊藤光への刺激になって欲しい。「打てる捕手」であり、狙いとしては好感である。

 

 

 (8)千葉ロッテ(評価A)

 

 1位松永、2位川満と、即戦力左腕2枚を確保して、3位田村で「ポスト里崎」を確保、4位加藤翔も、「両打ちの外野手」で、特に堅守強肩が魅力的で(荻野貴の内野手再コンバートか?)、実に高く評価できる。

 ただ、個人的には、川満を1位で確保して、2位で田村、3位で即戦力内野手(ここで高田、松本幸[立教大]、谷内、金子のいずれか)を確保して、それが必要優先順位であったのではないか、と。

 加藤翔の獲得で、外野手の層が分厚くなったが、二遊間にやや不安を残すことになったか。

 田村は、伊東勤新監督のもとで、「打てる捕手」としての「英才教育」で、「日本球界を代表する捕手」に育ってほしい。個人的には、田村は、「捕手として評価する球団」への入団が叶って、よかったのではないかと思う。

 

 

 (9)東北楽天(評価A)

 

 1位森、3位大塚と、将来性豊かな高校生左腕2枚を確保して、「中長期的ビジョン」を感じたことが高評価。

 2位則本も、即戦力リリーフ候補。リリーフは課題であったので、その意味で高く評価できる。

 ただ、4位で下妻と、「地元の逸材」を1枚確保はしたが、自分が東北楽天の指揮官ならば、1位は北條に特攻する。「チームの軸」になり得るのだから。田村の獲得を見送ったのは、嶋という「絶対的正捕手」がいるので、妥当な判断。

 とはいえ、佐藤勇は、地域密着の姿勢からも、左腕投手を充実させる意味からも、獲得に行って欲しかった。そこが心情的にはちょっと残念かな、と。

 ただ、全体としては、ビジョンが伝わってきて、高く評価できる感じではあります。

 

 

 (10)埼玉西武(評価A-)

 

 1位増田は即戦力リリーフ候補。大石とともに、リリーフ強化に向けた貴重な存在になって欲しい(ただ、指揮官が、先発で育てたい、というのに少し不安を抱きますが…)。

 3位金子は、課題の打撃力が向上。走塁は魅力であり、両打ちも板についてきたようで、なかなか楽しみな存在。4位高橋朋も、即戦力リリーフ左腕候補。今季退団した星野の後釜という感じか。

 2位相内、5位佐藤勇は、素材型投手。個人的に、じっくりと、それでいて大きく育ってほしいと強く期待したいです。

 ただ、個人的には、「右の外野手」を獲りに行って欲しかった、と。その意味で、何故、加藤翔を3位で確保しない、と正直がっかりでした。それで、2位で金子を確保して、4位で坂口か宮崎敏を確保(右の強打者獲得)するのがベターであったのではないか、と。

 やや小粒な感じもしますが、素材としては有能な選手が揃っているので、その意味で期待感を持たせる感じではありますが。

 

 

 (11)日本ハム(評価C-)

 

 1位大谷の強行指名。正直、「言葉もない」です。

 全体としては疑問符。3位鍵谷で地元枠、2位森本、4位宇佐美で、「素材型の右の強打者」を確保したことは、一定の評価はできますが。

 ただ、全体としての疑問符感をどうしても抱かざるを得ない感じでした。

 

 

 (12)ソフトバンク(評価S)

 

 1位東浜。相思相愛が叶って、個人的にも「心の拍手」です。

 2位伊藤祐で、即戦力中継ぎ左腕を確保。3位高田は、遊撃守備は絶品ものであり、これも遊撃手を向こう10年くらい務められる感じで、もうこの時点で大拍手ものです。

 4位真砂で、「右の大砲」を確保して、もう会心のドラフト。抜け目ない感じで、「小久保引退後の新時代」の構築は明るいかな、と感じます。

 

 

 (図解3)2012年NPBドラフト会議総括(総論編その2。指名漏れ選手をも含めて)。

 

 最も好感が持てるのが、ソフトバンク、中日。「地元の逸材」を確保して、かつ、補強ポイントも抜け目なく確保。

 阪神は、1位藤浪、2位北條で、大拍手。それ故にS評価としたが、左腕投手を1枚確保して欲しかった意味では若干不満もあり。

 横浜はチーム再建への強い意欲を感じた。千葉ロッテも、若干の不満要素こそあれ、理にかなった指名ではあり、それなりに高く評価できる。

 

 指名漏れ選手では、今夏の選手権大会4強の神原友(東海大甲府)、大学球界有数の左の強打者、萩原圭悟(関学大)、走攻守三拍子そろったバランス型の左の内野手、松本幸一郎(立教大)、等といった感じですかね。

 あと、「打てる捕手」の阿加多直樹(慶應大)の指名漏れも、個人的にはショックでした。「指名されなければ野球をやめる」、と公言していただけに、可哀想な感じで、ある種のむごさを感じたりもします。

 

 

 では、自分が考える理想のドラフト制度を。

 

 逆指名復活が必要かは、正直わかりません。

 ただ、現状の制度は、ある程度の見直しが必要ではないか、とは、正直感じます。

 

 具体的な見直し案は、NBA(米国のバスケットボールリーグ)で採用されている、「ロッタリー制度」です。

 

 つまり、下記のような「ドラフト制度の見直し」を、希望する次第です。

 

 

 (図解4)自分が考える「NPBドラフトにおけるロッタリードラフト制度」への改定案。

 

 (1)CS進出を逃した6球団(セパ共に4位以下の球団)で、「ロッタリー」を採用する。その中で、全体1位~3位までを、「くじ引き」で決めて、4位~6位は、ロッタリーで全体3位以内の指名権を逃した残り3球団の中で、ウェーバー順で決める。

 (2)全体7位~12位(1位指名の残り)は、「ウェーバー」、全体13位~24位(2位指名)は、「逆ウェーバー」、全体25位~36位(3位指名)は「ウェーバー」、以後は、「ウェーバー」、「逆ウェーバー」を繰り返す。

 (3)FA制度の見直し(後述参照)。

 

 

 (図解5)自分が考える「FA制度見直し」への改定案。

 

 (1)海外FA権の条件。

 [1]「1200安打」「240本塁打」「240盗塁」「120勝」「120セーブ」「1200奪三振」のいずれかを達成すること。これに限定する。

 [2]ただし、同一球団に10年以上在籍していれば、「ポスティングシステム」の権利を行使し得るものとする。

 

 (2)国内FA権の条件。

 [1]「制限なしFA」は、「1000安打」「200本塁打」「200盗塁」「100勝」「100セーブ」「1000奪三振」のいずれかを達成すること。あるいは、同一球団に8年以上在籍している(1軍在籍期間だけで)ならば、これも「制限なしFA」の対象とする。

 [2]ドラフトでの入団後3年間は、各球団とも、必ず当該選手を保有するものとする。また同一球団に5年以上在籍している場合(1軍在籍期間だけで)は、「制限付きFA」の対象とする。このとき、他球団との交渉を容認することとするが、当該在籍球団がオファーにマッチすれば残留するものとする。

 [3]「サイン&トレード」の導入。また、長期契約の上限を「5年間」とする。ただし、契約切れの2年前から、「延長契約交渉開始権」を認めることとする。また、2回目のFA権取得は、1回目のFA権行使後から最短で5年後とする。

 [4]各球団共に、春季キャンプ開始前に、当該球団の全所属選手の、残り契約期間を、HPで明示することとする。

 

 

 上記のように、「移籍市場の活性化及び流動化」が、日本球界のさらなるステータス向上のためには、必要であると強く考える訳です。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その2)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2012年

10月

24日

「2012年NPB、セリーグCS最終S第6戦、『10・22』を終えて思うこと(その2。クライマックスシリーズ、3時間半ルール、統一球、それぞれ是か非か)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第28回のブログエントリーの論題は、「2012年NPB、セリーグCS最終S第6戦、『10・22』を終えて思うこと。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の27回目になります。そして、NPBブログエントリーの1回目になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 (その2)では、3つのことについて、自分なりの見解を示したいと思います。

 それは、下記の3つです。

 

 「クライマックスシリーズのあり方をどうすべきか。」

 「3時間半ルールは継続すべきか否か。」

 「統一球は継続すべきか否か。」

 

 では、まず、「クライマックスシリーズ」から、自分なりの見解を示したいと思います。

 

 

 (図解4)「クライマックスシリーズ(CS)、ポストシーズン改定案私案(2012年秋版)。」

 

 (1)CS出場チームは、現行通り、セパ共に、上位3チームがCS出場とする。

 (2)CS第1Sは、4試合制(2位チームに1勝のアドバンテージ。「2-1-1フォーマット」)。第1戦水曜日(2位ホーム)、第2戦木曜日(2位ホーム)、第3戦土曜日(3位ホーム)、第4戦日曜日(2位ホーム)。

 (3)CS最終Sは、4試合制(1位チームに1勝のアドバンテージ。「2-1-1フォーマット」)。第1戦水曜日(1位ホーム)、第2戦木曜日(1位ホーム)、第3戦土曜日(2、3位ホーム)、第4戦日曜日(1位ホーム)。

 (4)日本シリーズは従来通り7試合制、「2-3-2フォーマット」とする。

 (5)リーグ優勝は、CS最終S優勝チームと同一とする。2位はCS最終S敗退チーム、3位はCS第1S敗退チームとする。

 (6)予告先発、3時間半ルールは一切適用しない(頭脳戦を強化する一方で、より一層全力勝負感を強めるためでもある)。ただし、延長は最大12回までとする。

 (7)引き分けは、CSではそれぞれに0.5勝とカウントする。日本シリーズでは、引き分けの場合はプラス1試合とカウントする。

 

 

 つまり、何がいいたいのか。自分の考えとしては、下記のことです。

 

 

 (図解5)(図解4)のようにする、自分のポストシーズンに対する考え方。

 

 (1)今後、WBCをはじめとする「世界基準」を考慮する際、「短期決戦」のステータスをより一層向上させるべきと考えるから。

 (2)4試合制にすることで、先発の頭数が少なくとも短期決戦を戦い得る余地をつくったり、リリーフ陣を惜しげもなくつぎ込める「継投の妙」をより強められるようにするため。また、下位チームにとって、2試合目までに1勝すれば3試合目で本拠で戦えるようにすることで、「アップセット」(下克上)の可能性をより強められるようにするため。

 (現行制度では、特に最終Sでは、6連戦は特に投手にとってあまりにもハードすぎる。そして「継投の妙」を発揮しようにも、特に第5戦、第6戦くらいになると「ガタがくる」。試合の質を高めるためには、CSでは4試合くらいが妥当かと。)

 

 

 というのも、例えば、NBAでは、30チーム中16チームまでが、ポストシーズンに進めます。

 勝率5割を切っていてもプレーオフ、ということもあれば、1位チームが8位チームに負けた、ということも、現実にあったりします。

 ボストン・セルティックスのように、「短期決戦にピーキングを合わせる」ことを露骨にするチームも、少なからずあったりします。

 

 CSのステータスを高めることで、そして、「2-1-1フォーマット」にすることで、特に、広島、横浜といった、1位になることがすぐには難しいチームにとっては、「3位になれば短期決戦で日本日になれるかも」という希望が持てて、それが日本球界の質の向上になり得るように思うのです。

 

 CSのあり方を改定すべきとは思いますが、CS廃止には大反対です。

 むしろ、CSをより充実させることこそが、日本球界のステータス向上になり得るのではないか、と自分は考えます。現に、CSは、なんだかんだいって、観客の盛り上がりがとても強いものがありますから。

 

 

 では、次に、「3時間半ルール」について。

 

 これについては、自分は、「3時間半ルールは残すべきと思うが、細部においてさらなる工夫が必要。」と強く考えております。

 では、「3時間半ルール」について、具体的にどのように見直すべきか、自分の考えを示したいと思います。

 

 

 (図解6)私(愛球人)が考える、「3時間半ルール」の改定案。

 

 (1)「3時間半ルール」の基本線は継続する。

 (2)理由としては、「観客への配慮(終電を気にしないようにするため、子どもが翌日の学校に支障が出ないようにするため、等々)」「テレビ(特に地上波)中継をより一層促進させるため」「駆け引きの向上」の3点。

 (3)ただし、ポストシーズンでは、「3時間半ルール」は採用しない(延長最大12回制は継続採用)。

 (4)「6回裏終了後2時間40分経過」「7回裏終了後3時間経過」「8回裏終了後3時間10分経過」のいずれかに該当する場合は、有無を言わせず「9回裏終了」とする(あまりにも露骨な「引き延ばし戦術」の抑止のため)。

 (5)「9回表終了後3時間20分経過」該当時は、「9回裏終了」とする。また、10回以後についても、そのイニングの「表突入時3時間15分経過」「表終了時3時間20分経過」該当時は、当該人数の裏で自動的に終了とする。

 

 

 上記のように、細部において細かい規定をいくつか設けることで、「3時間半ルール」を逆手に取る「無意味な引き延ばし戦術」を抑止するようにすれば、「3時間半ルール」を活かした「駆け引き」がより一層質が高まるのではないか、と強く考える訳です。

 

 で、自分自身、「3時間半ルール」は絶対に必要である、と考える訳ですが、特に、「観客の帰宅を考慮」の意味合いが強いのです。

 これは、さすがに、試合終了が22時を過ぎてくると、自宅が遠く(球場から60分以上離れている場合)にある場合だと、終電、あるいは、翌日の子どもの学校を気にせざるをえなくなるのではないか(子どもの学校を考慮すれば、24時には就寝するのが望ましい。そう考えると、帰宅のデッドラインが23時くらいになり、逆算すれば、21時40分くらいの収量が、事実上のぎりぎりのラインになってくるから)。

 そう、「ファンあってのスポーツ」という考えに照らせば、少なくともレギュラーシーズンは、ある程度時間に区切りを持たせざるを得ない、だから、「3時間半ルール」はどうしても必要である、と自分は強く考える次第です。

 

 

 では、そして、「統一球」について。

 結論的に述べれば、自分は、下記の考えを持っています。

 

 「統一球は絶対に、一刻も早く廃止すべきである。『ほどほどに飛ぶ』ボールがベターではないか。あまりにもロースコア過ぎて、『わくわく感』に乏し過ぎる。これはいかがなものかと思うから。」

 

 上記のことを、自分は強く抱く次第です。

 

 

 つまり、今回のエントリーの趣旨は、下記のような感じになります。

 

 「CSのより一層の充実、そして4試合制でのある種の『規則化』が必要。それにより、試合の質が高まり得るはず。また、下位チームにも1試合の本拠開催権を付与すべき。」

 「3時間半ルールは継続すべし。ただし、細部での付帯的な規定が必要。無意味な引き延ばし戦術へのある種の抑止力がどうしても必要。」

 「統一球は即刻廃止すべき。ただし、『ほどほどに飛ぶボール』にすべきとは思うが、長打力に頼り過ぎない、『つなぐ野球』に重きを置いてしかるべきとも、併せて強く考える。ただし、ある程度打撃重視の野球であって然るべきとも思う。」

 

 上記のことが、自分が現時点で強く抱く考えです。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

10月

24日

「2012年NPB、セリーグCS最終S第6戦、『10・22』を終えて思うこと(その1。自分が考えるNPB名勝負列伝)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第28回のブログエントリーの論題は、「2012年NPB、セリーグCS最終S第6戦、『10・22』を終えて思うこと。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の27回目になります。そして、NPBブログエントリーの1回目になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 1994年10月8日。いわゆる「10・8」(ナゴヤ球場、中日対巨人)。

 NPBの長い歴史の中でも、最高の試合といわれています。まあ、内容というよりは、シチュエーション的に、という感じであり、内容的なことでいえば、他にも伝説的な試合はいくつもあるように思いますが。

 とはいえ、あの「10・8」は、永遠に語り継がれてしかるべきであるように思いますし、特に、あの巨人の、「槙原→斎藤雅→桑田」の超豪華リレー(当時、巨人の先発三本柱といわれた)には、巨人の優勝への並々ならぬ執念を感じました。

 

 その伝説の「10・8」に匹敵するシチュエーションになったのが、今回の、「10・22」です。

 尤も、これまででも、クライマックスシリーズが始まってから、最終戦に持ち込まれたことは、何回かありました。2010年のパリーグCS、千葉ロッテがソフトバンクをアップセット(下克上)したときは、まさにこれに該当します。

 内容的な意味では、あのときの千葉ロッテの方が、濃密であったといえるかもしれません。ですが、やっぱり、「巨人」と「中日」という名門球団の対決が、より一層、自分の心を躍らせたのかもしれない、と思います。

 

 結果は、4対2、巨人が日本シリーズ進出になりました。その意味で、「10・8」と同じ結末になった。

 堂上剛(中日)が試合後に号泣していた感じでしたが、自分が率直に感じるのは、「御互いに全力を尽くしたよ。中日だって、持てる力、打てる手はやりきったと思うよ。」ということです。

 「あのときこうすれば」、それが、「10・8」ではあったように映る。それに対して、「10・22」では、打てる手は尽くしたと思う、自分はそう考える訳です。

 

 巨人の勝因、中日の敗因、紙一重であったように思います。いわゆる「持ち駒」(特に先発投手)の意味で、巨人にやや分があったように思いますが、中日も、有望な選手が、投打ともに徐々に、そして着実に育っていることも、感じさせました。

 惜しむらくは、強いて挙げれば、中田賢の故障さえなければ…、ということでしょうか。

 

 内容的な意味でいえば、正直、もう少し接戦であって欲しかった、とは思います。

 先程、号泣した云々で言及した、堂上剛が、確か2回ほど、ヒット性のあたりを凡打になるなど、「不運」に泣いたことも、考慮して然るべきと思いますけど。

 とはいえ、巨人が、2番手に澤村を投入したところが、やはり、あの「10・8」を彷彿とさせる。我々は絶対に勝つんだ、という「執念」を強く感じました。

 

 では、自分が考える「名勝負」は、といえば、ということで、下記に、5つ挙げたいと思います。

 

 

 (図解1)私(愛球人)が考える、NPB歴代名勝負列伝。

 

 (1)1985年4月17日、「バックスクリーン3連発」(阪神対巨人。バース、掛布、岡田)。

 (理由:映像の世界でのことだが、簡潔に述べれば、「絵になる」から。やられる方にはたまったものではないが、特に見ている人間に勇気や希望を与え得ると思うから。)

 

 (2)1994年10月8日、いわゆる「10・8」決戦(ナゴヤ球場。レギュラーシーズン最終戦での優勝決定)。

 (理由:これ以上ないほどのシチュエーションであったから。)

 

 (3)2006年10月12日、パリーグCS最終S第2戦(日本ハム対ソフトバンク。いわゆる「斎藤和巳の涙」。)

 (理由:一球をめぐるドラマ。これが野球なんだ、と感じた。)

 

 (4)2010年10月18日、パリーグ最終S第5戦(千葉ロッテ対ソフトバンク。千葉ロッテが最終決戦に望みをつなぐ。)

 (理由:アクセントとしての「2番清田」、小野のロングリリーフ、代打福浦の的中等、西村監督の「策士」ぶりが垣間見えて楽しかったから。)

 

 (5)2008年10月8日、東京ドーム頂上決戦(巨人対阪神。巨人が最大13ゲーム差をひっくり返して、この試合に勝って「メークレジェンド」完結。)

 (理由:「最後の最後まで諦めない」ことを学ばせて頂いた試合。阪神側からみれば、大ショック極まりなかったけど、一野球ファンとしては心にじーんときた。)

 

 

 そして、今回の「10・22」となっていった訳です。

 

 それにしても、思えば、今季のNPBは、「一つの時代の終わり」を強く実感させるものとなったように思います。

 

 金本知憲(阪神。連続フルイニング出場試合数1492、通算安打数2539本を誇る、「平成の鉄人」。)

 小久保裕紀(ソフトバンク。通算2041安打、通算413本塁打等、長きにわたりソフトバンクの中心打者として君臨した。)

 英智(打撃は非力であったが、それを補って余りある、堅守強肩で、NPB史上でも有数の外野守備を誇った。)

 

 この3人は、「記憶」に残る存在であったように思います。まぎれもなく、球界に一時代を築いた(英智はそうとは言えないかもしれないが、チームの結束力を考えるにあたり、なくてはならない存在であったといってよい)。

 思えば、中田翔(日本ハム)、坂本勇人(巨人)、田中将大(東北楽天)とう、いわゆる「新世代」の活躍が目覚ましくなっております。いわば、「2012年」のNPBは、一つのサイクルの転換期(あるいは終わり)、そういえるように思うのです。

 

 尤も、3人それぞれの「引き際」には、とても強く考えさせられるものがありました。

 金本は、「限界と感じたから引退する」感じ。

 小久保は、「燃え尽きたから引退する」感じ。

 英智は、「愛する球団から『もういらん』といわれたから引退する」感じ。

 

 いずれも、一つの真理であると思うのです。そして、それぞれに、「辞め方」を選択することができた。

 その上、いずれも盛大に引退セレモニーをして頂けて(特に英智は、右翼観客席までの大遠投披露までついた。というか、英智は、まだ守備や走塁ならば、あと1~2年はできそうな、余力を残しての引退といえる)、とりわけ小久保は、札幌ドームにて、サプライズ胴上げ及び花束贈呈のおまけつき(両チームに胴上げされた)。何と美し過ぎる最期だこと。

 

 あまりにも心にじーんときたので、下記に、3人それぞれの引退セレモニーを、リンクを貼っておきます。

 

 

 (図解2)金本、小久保、英智、それぞれの通算成績、引退セレモニー。

 

 (1)金本知憲。

 [1]通算成績(ウィキペディア)。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%9C%AC%E7%9F%A5%E6%86%B2

 [2]引退セレモニー動画。

 http://www.youtube.com/watch?v=mn1u8cAuf5I

 

 (2)小久保裕紀。

 [1]通算成績(ウィキペディア)。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%B9%85%E4%BF%9D%E8%A3%95%E7%B4%80

 [2]引退セレモニー動画(4つ目が、CSでの札幌ドームサプライズ胴上げです)。

 http://www.youtube.com/watch?v=Mfvs6v40up0

 http://www.youtube.com/watch?v=D6zDUG5E1qI&feature=relmfu

 http://www.youtube.com/watch?v=lKMNAz-ZHfQ&feature=relmfu

 http://www.youtube.com/watch?v=Y9SiKAOxuFo

 

 (3)英智。

 [1]通算成績(ウィキペディア)。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E6%99%BA

 [2]引退セレモニー動画(1つ目がJスポーツ用)。

 http://www.youtube.com/watch?v=YqP5ug-15hg&feature=related

 http://www.youtube.com/watch?v=XgNp1f9i28Y

 

 

 それにしても、日本のスポーツ界は、他国に比べて、「引退セレモニー」を盛大に行う傾向があります(他国はさほどでもない感じがある。勿論ケースバイケースですが)。

 思えば、自分自身、今までのスポーツ観戦の中で、最も印象深いのが、八木裕、片岡篤史(いずれも引退時阪神)の引退試合です。

 八木は引退試合の相手は巨人。当日の試合は、「オール当日券」にすることになっており、朝早くからチケット代争奪戦に「参戦」したことを、今でも鮮明に覚えています。

 片岡の引退試合の相手は中日。中日、というよりは、立浪(高校野球ファンならばわかるかなと思いますが、立浪と片岡は、1987年のPL学園春夏連覇のときからの「永遠の盟友」です)相手の引退試合を望んだ、という感じです。このときも、両チームからの胴上げが叶いました。

 

 一つの時代の終わり。それは、新たなる時代の始まりにもなるのかなと思います。

 その意味で、10月25日、ドラフト会議、「藤浪晋太郎(大阪桐蔭)のNPB入り」は、象徴的な出来事になるのでしょう。

 

 正直述べれば、このあと、補強論に言及したいなあ、とも思ったりしますが、これは、ドラフト終了後に言及するかもしれません。

 では、(その2)では、クライマックスシリーズ制度論等について、自分なりに考察したいと思います。

 

 では、下記に、(その1)についてのリンク集を、示したいと思います。

 

 

 (図解3)今回のブログエントリーのリンク集(その1について)。

 

 (1)2010年NPBスローガン「ここに、世界一がある。」

 (「10・8」等、NPBの歴史上の名勝負が記されている。)

 http://fan.npb.or.jp/slogan/2010/

 

 (2)「10・8決戦」についての、ウィキペディアの記事。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/10.8%E6%B1%BA%E6%88%A6

 

 (3)「クライマックスシリーズ」とは(ウィキペディアより)。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その2)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2012年

10月

01日

「喜多方から帰って1か月、現時点で率直に感じる思い。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第27回のブログエントリーの論題は、「喜多方から帰って1か月、現時点で率直に感じる思い。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の26回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの13回目になります。

 

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 とりわけ、今回のブログエントリーは、「感じることをありのままに綴る」、いわば、ある種情緒的な感じの文章になるかもしれません。過激、あるいは感傷的な表現が少なからずあることを、何卒御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 で、現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 今日は、内閣改造があった感じですが、自分自身はといえば、4回目の東北現地参加であった、喜多方へのスタディツアーから帰って、1か月になる感じですが、目下、進路のことで熟考、思案中、という感じです。

 というか、苦悩している、という思いが、より率直な感じであるのかもしれません。いろいろと思うことはありますが、なかなか整理しきれていない、あるいは、言葉にできる感じになれていない、という感じでして、申し訳ない感じであるのですが。

 

 思えば、「3・11」の復興支援活動に参加するようになってから、1年余りになるのですが、もともとは、教職(小学校教員。尤も、それ以前は、中学校社会科教員を目指していた感じですが)への思いを、強く抱いていました。

 で、この1年で、素敵な出会い、濃密な経験がいくつもあって、おかげで、価値観をプラスの意味で揺さぶられた、心の引き出しがいくつかは増えたのかな、という感じではあるのです(まだまだ未熟であることも、否めないように思う感じでもありますが)。

 ですが、進路のことは、といえば、もともと抱いていた、教職への思いが、ある種異なる方向に向いて言っている感じで、現時点では、熟考中の感じではあるのですが、NPO・NGOの世界に、携わりたいと思うようになりつつある感じです。

 

 「笑顔、思いやりに満ちる社会を生み出したい。」「子どもが生きる希望を抱ける、志に向かって生きられる社会を生み出す一助になりたい。」

 根っこにあるのは、この思いなのです。そのような、漠然としたイメージはある。

 尤も、その漠然としたイメージを具体化させることができずに、もがいている現状としてあるのですが。

 

 

 で、喜多方から帰って、率直に自分が感じたこととして、「自分は福島に向き合えていないのではないか。」ということ、そして、「自分はものを知らない。」ということ、そのような現実を突き付けられた感じとしてあったのです。

 

 「ものを知らない。」

 この思いは、1回目の大学時代から、ふつふつと感じてきた思いではあったのですが、喜多方での経験は、この「ものを知らない。」という思いを、かつてないほどに実感させられる経験になりました。

 

 で、「知る、学ぶことを通して、復興に向き合い続けること。」が、現在の自分にできることではないか。そう思うようになった感じであるのです。

 

 

 で、9月11日に、「『3・11』から1年半を迎えて感じること(4回目の東北現地参加を振り返り、現時点で感じる思い)。」というブログエントリーを、執筆させて頂きましたが、それからほどなくして(つまり、9月中旬からですから、2週間余り前からですかね)、「これまでの復興支援活動を通して学んだことの再整理」に取り組み始めました。

 

 この、「学んだことの整理」。実は、2~3か月に1回程度のペースではしていました。

 といっても、これまでの現地参加のたびに、とか、現地参加、イベント、そして、テレビ番組(東北発未来塾、NHKの明日へプロジェクト関係番組等)を通して学んだこと、という感じであったのです。

 

 で、自分に足りないこととして、思い浮かんだことが、「復興、震災関係の新聞記事」を整理し直す、ということです。

 

 もともと、復興、震災関係の新聞記事は、印象に残る記事は、ピックアップして、ポートフォリオ的に抜き出して貯める感じで、とりわけ心に残る記事は、手書きの日記で、折に触れて取り上げてきました。

 ですが、系統的に整理できたことは、実はいままでは取り組めていなかった。つまり、「やりっぱなし」であった感じでした。

 

 で、今回、こうして、「復興、震災関係の新聞記事の再整理」ということに取り組んで、いくつものキーフレーズが、浮かび上がってきた感じであるのです。

 

 

 (図解1)現時点における、自分(愛球人)が考える、「3・11」の復興のためのキーフレーズ。

 

 (1)プラスのキーフレーズ。

 「絆」「つながり」「帰属意識」「感謝」「思いやり」「情熱」「利他的な精神」。

 

 (2)マイナスのキーフレーズ。

 「閉塞」「甘え」「依存」「断絶」「ことなかれ主義」「セクショナリズム」。

 

 

 こういったことを、いかに一つの体系に描くのか、そういった、心の作業に、入っていくのかな、と思う訳ですが、一つ一つ、できることをやっていくことなのかな、と思う訳です。

 

 まあ、正直、進路において、茨の道が待ち受けているように思いますが、進路も、復興支援も、できることを地道にこつこつと、に尽きるようにと、自分としては思います。

 

 

 自分なりに、現時点で抱く思いは、このような感じです。

 今後も、折に触れて、復興、社会貢献ブログエントリーを、自分なりに考察したい、と強く考えております。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

9月

11日

「『3・11』から1年半を迎えて感じること(4回目の東北現地参加を振り返り、現時点で感じる思い)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第26回のブログエントリーの論題は、「『3・11』から1年半を迎えて感じること(4回目の東北現地参加を振り返り、現時点で感じる思い)。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の25回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの12回目になります。

 

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 とりわけ、今回のブログエントリーは、「感じることをありのままに綴る」、いわば、ある種情緒的な感じの文章になるかもしれません。過激、あるいは感傷的な表現が少なからずあることを、何卒御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 で、現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 今日で、「3・11」から、1年半を迎えます。

 この1年半を振り返って、どうであったか。自分自身については、「人生の転機といえる1年半であったように思う。」という感じですが、現地の人間のことを想うと、このことをはっきりといってよいものかと、正直心が痛みます。

 

 自分の場合、「1・17」、つまり、「阪神淡路大震災」の被災経験が、根底としてあります。

 あのときの自分は、1年半という歳月は、「長くもあり短くもあった」、ある種不思議な感覚でした。

 実は自分の場合、「1・17」で、かつての級友を1人亡くしています。あのとき逝った彼女は、誰よりも人一倍思いやりに満ちる人間であった。

 ですが、自分が、その級友の死の重みを実感するようになっていくのは、実は、時間(とき)が経っていってからです。そして、その級友へのせめてもの自分なりの供養を、それが、自分が「3・11」の復興支援に取り組む、あるいは、将来の進路に向き合う、一つの大きな要素としてあるように思うのです。

 

 

 いきなり感傷的な書き出しになりましたが、かくいう自分は、今夏を、「岐路の夏」と位置付けていました。

 その理由の一つとして、今秋(遅くとも10月末までに)が、進路の方向性を決心するときの、恐らくデッドラインになるであろう、と強く考えるから、ということがあります。

 

 「子どもが大好きである。」「笑顔に満ちる社会を生み出す一助になりたい。」

 「子どもの内面に親身に寄り添いたい。」「一人でも多くの人間、子どもが、「志」『希望』に向かって生きられることの一助になりたい。」

 

 この思いを、強く抱いてならない。そう、つまり、およその漠然としたイメージはある。

 ですが、この漠然としたイメージを、どのようにして具体化させたいのか。その突破口を見出したい。

 

 で、これまで、自分は、3回、東北に現地参加しました。そして、先日、4回目の東北現地参加を、させて頂きました。

 

 

 (図解1)自分(愛球人)の、4回の東北現地参加。

 

 (1)南三陸、石巻、牡鹿(2011年9月。2週間。YF3。がれき撤去、花の種植え、仮設支援等)。

 (2)福島(2012年3月。1日間[「3・11」から1年]。JASP。「JASP in FUKUSHIMA」というイベントへの参加)。

 (3)石巻、牡鹿(2012年5月。1週間。YF3。子ども支援)。

 (4)喜多方(2012年9月。2日間。JASP。スタディツアー)。

 

 

 そう。先日の喜多方のスタディツアーのことは、後に詳述させて頂きますが、思えば、「3・11」から半年は石巻、1年は福島、という感じで、節目(このような表現は、あまり好きではないのですが)では、自分の場合、現地(東北)で迎えた感じです。

 それが、今回(1年半)は、関西(大阪)で迎えました。やはり、関西で迎えると、東北との、ある種の「距離感」を、どうしても感じてしまいます。地理的な意味では勿論、心理的な意味でも。

 

 関西といっても、神戸では、「1・17」の経験からか、まだ、「3・11」に対する思いは、其れなりに強い感じはするのです。例えば、舞子高校(日本で唯一の「環境防災科」という学科がある)、神戸学院大学(防災に特化することを学ぶコースがある)といった、震災や復興について重点的に学ぶ拠点的存在があるから、ということが、影響しているのかもしれません。

 

 それに比して、大阪や京都では、「3・11」への意識が、徐々に、しかし確実に、風化して行っているのではないかということを、感覚としてどうしても抱くのです。勿論、強い意識を抱いている人間も少なからずいますが、限定的という見方も、また一理あることも否めない。

 少なくとも、関西メディアでは、「3・11」は、1年を境にして、「当事者意識」というのは、確実にしぼんでいっている感覚を覚えます。そして、それに対してどうしても違和感を抱いてならない、ということも。

 

 

 それはともかく、この夏を、自分としては、「岐路の夏」と位置付けてきました。

 どうしても、自分としては、今夏、4回目の東北を、叶えたいと思っていた。

 

 ただ、参加するならば、ボランティアとは異なる方法で、と思っていたのです。

 ボランティアの重要性は、勿論認識しているつもりであるし、「息の長い支援」の一助であり続けたいとも、強く思っている。

 しかし、いやだからこそ、現状の自分に、ある種のもどかしさや、限界感のようなものを、感じるようになっていき、自分としては、「何か違うのではないか?」という思いを、抱くようになっていたのです。

 

 次に東北に行く場合は、ボランティアとは異なるスタイル(例えば、ワークショップ、スタディツアー等)で行くことが、現在の自分には望ましいのではないか、ということが一つ。

 そしてまた、自分が強く抱いていた思いとして、下記の思いが、強くあった訳です。

 

 「福島のために、自分にできることが全く分からずに悶えている現状がある。そのためには、福島に自分なりにじっくりと向き合う、感じる機会が、現在の自分にはどうしても必要ではないか。」

 

 そのような思いを抱くようになっていた矢先に、舞い込んできた話が、今回、自分が4回目の東北として現地参加した、「JASP」さんの、喜多方へのスタディツアーです。

 

 

 (図解2)今回、自分が参加した、JASPの「喜多方スタディツアー」とは。

 

 (1)「スタふく」公式HP。

 http://watalucky.com/jasp/tour/

 

 (2)「スタふく」公式ブログ。

 http://jasp-sutafuku.jugem.jp/

 

 

 今回、自分が参加したのは、「観光」がテーマのコースです。

 このお話を伺い、ある種直感的に、「これだ!」と思い、4回目の東北現地参加の舞台として、決心させて頂いた次第です。

 

 結論的に述べれば、「参加して、とても有意義であった。」と強く思いますし、「最高に濃密な経験」「永遠に特別な時間」をさせて頂いた、と強く感じております。

 

 ざっくりとですが、自分が感じたことを、下記に記そうかな、と思います。

 

 

 (図解3)「JASP喜多方スタディツアー」を通して、自分(愛球人)が学んだこと、感じたこと。

 

 (1)「自分がいかに未熟で無知な人間であるのかを、思い知らされた。」
 (2)「自分が福島と真正面から向き合うことそのものから逃げていたのではないか。」

 (3)「自分が福島のためにできることは、『福島を知る、学ぶ』、これを地道に積み重ねることではないか。」

 (4)「『息の長い支援』に粘り強く携わり続ける、参加し続けることの重要性を改めて実感したこと。」

 (5)「復興のスパン(時間面でも精神面でも)の想像以上の長さを改めて実感。とりわけ、『自分たち若い世代こそが復興支援の重要なアクターとして全力で息長く取り組み続けることの必要性』を強く実感すること。」

 (6)「将来の進路において、何らかの形で、少なくとも、できるだけダイレクトに、社会貢献の道に携わりたい思いを、強く実感すること。そしてできれば、復興支援にも、できるだけ結び付いていきたい思いを、実感するということ。」

 

 

 他にも、感じることは、いろいろとありますが、現時点で、自分が感じることは、上記のような感じです。

 

 思えば、今日は、「9・11」でもあります。

 「平和」について考える日でもある。勿論、「いのち」について考える日、ということでもある。

 

 「岐路の夏」ということにおいて、実り多い感じには慣れた、と強く思うのです。

 ですが、「3・11」から1年半を迎えて、自分が強く感じるのは、長い道のりが、茨の道が待ち受けているように思うし、だからこそ、強く感じることとして、自分たち若い世代が、復興のために、社会をよりよくするために、粘り強く息長く取り組み続けていこうよ、と。

 そして、自分もその「息の長い支援」の一助でありたい、と強く思う。「復興」とは、「社会をよりよくすること」に直結し得ることであると、強く考えてならないからです。

 

 そう、現時点で、強く抱くことは、自分としては、再び社会に出るときに(2014年春が現時点での目標)、何らかの形で、復興支援、社会貢献の道に携わりたい、ということです。

 そのために、漠然としているおよそのイメージを、どのようにして具体化させていくのか、自分としては、このことが、強く問われているように感じます。

 

 

 自分なりに、現時点で抱く思いは、このような感じです。

 今後も、折に触れて、復興、社会貢献ブログエントリーを、自分なりに考察したい、と強く考えております。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

8月

25日

「2012年夏、高校野球選手権大会総括における一考察(藤浪晋太郎、田村龍弘、北條史也、3人の「物語」の始まり)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第25回のブログエントリーの論題は、「2012年夏、公庫いう野球選手権大会総括における一考察(藤浪晋太郎、田村龍弘、北條史也、3人の「物語」の始まり)。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の24回目になります。そして、高校野球ブログエントリーの2回目になります。

 

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 とりわけ、今回のブログエントリーは、「感じることをありのままに綴る」、いわば、ある種情緒的な感じの文章になるかもしれません。過激、あるいは感傷的な表現が少なからずあることを、何卒御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 で、現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 自分は、「サッカーファン」であることと共に、熱狂的な「高校野球ファン」でもあります。

 いやむしろ、あらゆるスポーツの中でも、「高校野球」は、自分にとって、「最も大好きなスポーツ」と言い切っても過言ではないでしょう。

 

 理由は正直、いくつも挙げ得るでしょう。ですが、とりわけ、自分が高校野球をこよなく愛してならない理由は、下記のことであるように思うのです。

 

 

 「高校球児、応援する高校生、そして監督やマネージャーをも含めた、『一途さ』『ひたむきさ』『一生懸命さ』『全力姿勢』に強く感動できるから。」

 

 

 この思いを、正直強く抱く訳です。

 勿論、時として、唖然としてしまいそうなプレーがあったりもしますし、つまらない試合が、全くない訳ではありません。

 ですが、たとえ内容的に惨敗であるチームでも、応援したい、また是非観たい、そして素敵な人生の実現のための有意義な経験であって欲しい、と、どのような高校球児であれ、素直に応援したい、と強く抱く訳です。

 

 自分は、例えば、近年だけでも、08年、10年、11年の、選手権大会の決勝戦を生観戦していますが、生観戦は、言葉ではうまくいえないくらいの独特の感動を味わえるのです。そしてそれが自分自身のエネルギーにもなり得る、という感じがするんですよね。

 

 

 で、今夏も、選手権大会の決勝戦を、生観戦しました。

 今夏の決勝戦は、史上初めての、「春夏同一カードの決勝戦」でした。対戦カードは、「大阪桐蔭対光星学院」です。

 そう、それはつまり、「世紀の頂上決戦」を意味する。そしてまた、(実際、この1年の高校野球を見てきて感じることでもあるのですが)大阪桐蔭、光星学院、この2校の「野球の質」は、他校を圧倒していた感じがあります。

 

 しかも、今回の頂上決戦、何が特に心に響くのかといえば、藤浪晋太郎(大阪桐蔭)、田村龍弘(光星学院)、北條史也(光星学院)、この3人は、小学校時代からのライバルであった、というのです(大阪のボーイズリーグに所属していた)。

 藤浪が「チームA」の絶対的なエースとして君臨し、そのライバルの「チームB」の中心打者が、田村、北條であった。

 そして、藤浪は、高校球界の盟主的存在である(05年~07年、中田翔[現日本ハム]を擁して、高校球界の中心を張り続け、08年、浅村栄斗[現埼玉西武]を擁して、選手権大会優勝を叶えた)、大阪桐蔭に進学。

 その一方で、田村、北條は、「藤浪を倒して甲子園で優勝すること」を心に誓い、大阪からはるばる青森(八戸)の光星学院に進学。

 そして、藤浪と田村、北條は、最高学年である、高校3年生になり、春夏続けて、甲子園の決勝(ファイナル)という、これ以上ない舞台で、壮絶なる激闘を繰り広げるまでになった。

 

 はっきり述べましょう。「真実は小説よりも奇なり」である。

 「タッチ」(野球アニメ)、「パワプロ」(野球ゲーム)もびっくりの領域である。

 藤浪晋太郎、田村龍弘、北條史也、この3人が奏でる「物語」は、何と美しい物語であろうか。

 この思いを、正直強く抱くのです。

 

 

 この、藤浪、田村、北條の3人の「物語」がどれほど美しいものであるのか。

 このことについて、河北新報(仙台を拠点とする地方新聞)の記事、田村と北條を中心とするエピソードを、リンクを貼らせて頂きます。

 

 http://www.kahoku.co.jp/news/2012/08/20120824t23022.htm

 

 もうひとつ、光星学院が「みちのくの悲願」に手が届かなかった悔しさの思いを描いた記事(これも河北新報)も、リンクを貼らせて頂きます。

 

 http://www.kahoku.co.jp/news/2012/08/20120825t24026.htm

 

 そう。結論的な表現になり、とても申し訳なく思いますが、自分は、下記の想いを、心に強く抱くのです。

 

 「藤浪晋太郎。田村龍弘。北條史也。この3人の『巨星』が、同じ学年に生まれた『奇跡』を、一人の人間、一人の高校野球ファンとして、喜ばしく思う。

 そしてこの3人は、高校球界史に燦然と輝き続ける『伝説』であり続けることであろうことは勿論、今後、日本球界において、『200勝』『2000安打』の領域に到達し得る、スペシャルなタレントであると強く思うし、『藤浪世代』は、他の選手にも好タレントを多く擁している感じであるので、いつの日か、『94年会』を旗揚げして、『松坂世代』に匹敵し得る、タレントの質は勿論、鉄の結束を誇り得る存在にまで昇華して欲しいと強く願う。

 そして勿論、藤浪と田村、北條の3人が、今後、NPBの世界でも、いくつもの伝説を奏で続けることを、強く希求せずにはいられない。」

 

 この思いを、正直強く抱くのです。

 

 では、まず、藤浪、田村、北條の3人の、自分なりの寸評を、ここに記したいと思います。

 

 

 (1)藤浪晋太郎(大阪桐蔭)。

 

 評価(競合1位。NPBでも即先発ローテ。200勝に到達し得るスペシャルなタレント。)

 タイプ(松坂大輔[現レッドソックス]のようなスケール。ただ、プレースタイル的には、むしろ田中将大[現東北楽天]に近いかもしれない。)

 

 具体的寸評。

 (もはや異次元。ストレートをはじめ、全体的な球質に「重さ」が増し、リリースポイントやフォームにしなやかさを身に付けたことが大きい。現時点で既に完成度が高いが、ハイレベルな変化球がもう1球種あれば、なお望ましいか。

 球速は勿論だが、制球力の向上が特筆。「ここに投げて欲しい」というところに投げられるようになったことが大きな成長であり、「怪物」であるゆえん。フォームに無理がないことも、プラス要素の一つ。

 あえて課題を挙げれば、いわゆる「テンパリ癖」か。一瞬集中力が途切れて、集中打を浴びてしまうことがたまにあるので、そこを改善できれば、さらなる高みへと到達し得るであろう。

 入団先がどこであろうとも(菅野の巨人、東浜のソフトバンク以外の10球団は1位指名の可能性があると思うので)、1年目から即先発ローテであろうが、個人的には、高校球界で「永遠の伝説」の領域にある、清原和博(PL学園)、松坂大輔(横浜)がドラフト時に入団した、「埼玉西武」への入団が、最も絵になる感じ。いずれにせよ、何球団が競合になるのか、そしてNPBで200勝の領域にいつ到達し得るか、いまから既に楽しみでならない。)

 

 

 (2)田村龍弘(光星学院)。

 

 評価(1位。他選手との兼ね合い次第だが、自分が編成担当者ならば1位に推したい。いずれ2000安打に到達し得るタレントと思うが、捕手として勝負して欲しいので、入団する球団次第かも。)

 タイプ(阿部慎之助[現巨人]を右打者にしたイメージか。捕手としても高いレベルにあるとは思うが、むしろ打撃技術の方が際立つ意味や、捕手としてはまだ課題要素が少しある意味をも含めて。あるいは、少し時代が遡るが、古田敦也[元ヤクルト]のようなオーラを持感じる。)

 

 具体的寸評。

 (3年春の時点でも、既に素晴らしい打者と感じたが、持ち味のバットコントロールは、この夏で、さらなる高みへと昇華した感じ。

 その打撃技術は、もともとのハイレベルぶりは勿論であるのだが、むしろ、「捕手脳」に裏打ちされた感じを覚える。いわば、それぞれの投手の持ち球や特性、そして配球を彼なりに分析して、そして巧みに「自分のゾーン」に持ち込み、「自分のゾーン」にはいった、と思えば、一振りで確実にしとめる。これは、安打は勿論、惜しくもアウトに終わったが、芯でとらえていた場面にも表れている。現に、今夏の田村は、19打数9安打2本塁打であったが、アウトのうち5本が実に外野へのライナーである。

 それと共に、どの局面でどのような打撃をすべきかの「状況判断能力」も兼備しており、「修正能力」の高さをも伺える。本塁打の2発は、いずれも、直前の打者が犠打を失敗しており、本塁打が欲しい局面で、「狙って本塁打を放てる」、これがまさしくすごい。

 しかも、ただパワーだけで押しこんでいるのではなくて、巧みに手首やひじを使って、バットを回転させて軌道に乗せている。これが田村の非凡さといってよいし、これほどハイレベルなバットコントロールの持ち主は、いままでで最高の選手である、とはっきりと強く感じる。

 捕手としては、特筆なのは、配球における緩急の使い分け。ホームベースを最大限に大きく使うリード、という感じか。そしてそれ以上に、「巧みな配球によるゲームコントロール」ですね。

 そう。捕手として、試合の展開を読み、苦しい局面で、このような配球をすれば失点をゼロ、あるいは最小限に抑え得る、その術に優れているように思う訳です。

 ゲームコントロールに優れる、という意味では、さりげないアピールプレーも特筆でしょう。ワンバウンドの変化球を受け止めて、タッチしてから、相手のハーフスイングを「振ってるやろ!」とアピールする。となれば、審判は、スイングアウトをとるしかない、そのような雰囲気に持ち込む。実に大したものです。

 盗塁刺殺力の高さも、特筆でしょう。リード技術の高さをも含めて、捕手としても、NPBでも充分にやっていけるハイレベルな選手と思います。

 課題としては、第一に、「ワンバウンドの変化球を時折後逸する傾向」でしょうか。たまにですが、ワンバウンドの変化球を獲れず、後ろにぽろぽろとこぼすポカがあるので、そこはプロ入り後の改善テーマでしょう。

 そしてそれ以上に、第二に、「間の取り方」。NPBで長く正捕手を張り続けるためには、実はこれがとても大切な要素です。これがまだ田村は不得手なのかな、と。

 というのも、今夏の決勝の大阪桐蔭戦。相手の捕手の森(2年生)は、間を取ったのが3回。それに対して、田村は1回。これがもったいなかったかな、と。実際、決勝は、自分も生観戦しましたが、間を置くことをためらった場面が、3回ありましたから。それが課題である感じです。

 しかし、全体としては既にNPBでも1年目から即1軍を張り得るレベルにある。そして、2000安打に到達し得る捕手に上り詰めて欲しいと強く願うのです。

 ただし、捕手として勝負して欲しいからには、重要なのは、入団先でしょう。巨人[阿部]、埼玉西武[炭谷]、東北楽天「嶋]のような、「絶対的正捕手」がいる球団に指名されたら、茨の道が待っている。個人的には、例えば阪神のような、捕手が喫緊の補強ポイントである球団にはいって欲しいと強く願います。)

 

 

 (3)北條史也(光星学院)

 

 評価(1位。他選手との兼ね合い次第だが、自分が編成担当者ならば1位に推したい。いずれ2000安打に到達し得るタレントと思うが、入団する球団次第かも。)

 タイプ(本人は、坂本勇人[現巨人]への憧れを公言するが、むしろ、中島裕之[現埼玉西武]のようなイメージか。いずれにせよ、「トリプルスリー」を是非とも叶えて欲しいスペシャルなタレントである。)

 

 具体的寸評。

 (走攻守に非凡な能力を発揮するが、この夏は、パワーを向上させた打撃も勿論であるが、むしろ、ひと夏で飛躍的に向上したのが守備。

 遊撃手としては、今春までは、溝脇隼人[九州学院]に見劣りするかな、と感じていたが、今夏のパフォーマンスは、溝脇に肩を並べるまでに到達した、と強く感じる。NPBでも、充分遊撃手として通用するレベルに到達したように思う。

 一方で、もう少し走塁技術を見せられる場面があれば、なおよかった感じがあるが、今夏はそのような場面がなかった、という感じか。走塁力も高いレベルにあるだけに、「トリプルスリー」を叶え得る素質は充分にあるといえるだろう。

 気にかかるのは入団先であるが、基本的には、NPBでも1年目から即1軍を張り得るレベルにある。そして、2000安打に到達し得る捕手に上り詰めて欲しいと強く願うのです。

 あえて述べれば、広島あたりに入団できれば面白いかな、と。広島は、三塁手の堂林の守備レベルがザルなので、左翼手に回したい。で、二塁手の東出が故障気味になりつつあり、遊撃手の梵の守備の負担をも減らしたい。そう考えると、北條が入団できれば、遊撃手北條、三塁手梵、二塁手東出と、内野守備のレベルが挙がるので、北條にとっては、広島がベストの入団先かな、という感じです。)

 

 

 いずれにせよ、藤浪、田村、北條の3人は、今後の日本球界を背負って立つべき超逸材であると思いますし、この3人が同じ学年に生まれた「物語」、その「夢の続き」を、NPBの世界で、いくつもの「伝説」を奏で続けて欲しい。この思いを、強く抱く思いです。

 

 特に、田村、北條の2人は、甲子園で3季連続準優勝は、正直悔しいことであろうかなと思いますが、むしろ堂々と誇らしく思ってよいことだよ、と思うのです。

 どれほど素晴らしい選手でも、甲子園の舞台に辿りつけない選手が、現実として多く存在します。それが、甲子園に4回出場、それだけでも凄いのに、そのうち3回が、甲子園での決勝進出。とてつもない大偉業です。

 特に田村。甲子園での通算成績、17試合、67打数27安打3本塁打(打率.403)。

 この成績は、甲子園での「レジェンド」と言い切っていい成績でしょう。

 

 藤浪、田村、北條、いくつもの感動と希望を、どうも有難う。そして、NPBの世界で、さらなる「物語」を、気付きあげて欲しい、そして、いつの日か、「200勝」「2000安打」の領域を、絶対に叶えて欲しいと強く願います。

 

 

 さて、ここからは、少し、印象に残った選手やチーム(ごめんなさい、3年生に絞らせて下さい)を、自分なりに挙げたいと思います。

 

 印象に残った選手でいえば、まず、篠原優太(作新学院)です。

 左利きの強打者ですが、2年夏、3年春と、度重なる故障で、甲子園の舞台に立てなかった。

 だからこそ、今夏にかける思いは、人一倍のものがあったでしょう。

 結果、チームは8強でした。ですが、個人としては、18打数13安打2本塁打(打率.722)。特にバットコントロールは圧巻といってよいと思います。

 やや守備に不安があり、そして、故障癖がマイナス要素ではあるのですが、打撃技術は、NPBでも既に通用し得るレベルにあると思います。おそらく、中位での指名になるかな、と思いますが、「栃木に篠原あり」を、まざまざと示したように思いますし、左の大砲として大成して欲しいと強く願います。

 

 西隆聖(倉敷商)も、印象深い選手の一人です。スライダー、シンカーの切れ味は、まさしく自分好みの技巧派であり、いわば、「けれんみがない」。8強で明徳義塾に敗れましたが、将来性を充分に感じさせます(細身の身体を懸念する考えもあろうが、自分はそのような投手がいても、技術とハートがあるのだから、きっと成長できると信じている」。

 大学野球を経て、4年後のドラフトの目玉へ(和田[元ソフトバンク]を右腕にしたイメージと自分は思っているので)、と期待しますが、むしろ、指導者を志したら素敵だなあ、とも正直強く感じます。

 

 そしてもう一人、神原友(東海大甲府)も挙げます。最初は、体格のしっかりしている興党首、という印象でしたが、体格のみならず、投球技術も高いレベルにある。試合を重ねるごとに成長を遂げた、と強く感じます。

 ハイテンポで、そして精密機械の如き制球力と、球質の重さに、上原浩治(元巨人)を垣間見る感じがしますが、NPBでも、早いうちに、そして息長く、先発の2~3番手としてコンスタントに勝ち星を重ね得る、それを想像し得る楽しみな存在、と感じます。決め球になり得る変化球を1つ身に付ければなお望ましい、ということを強く感じます。

 

 

 印象に残ったチーム、という意味では、宇部鴻城(山口)を挙げたいと思います。

 笹永、西野のバッテリーを中心に、基本的に地元の選手であり、鉄の結束を誇る。勝負どころでの集中打も実に魅力的。マネージャーの野室千尋さんの奮闘ぶりが彩りを添える。応援団のひたむきさも実に魅力的。

 派手さはないかもしれないけど、全力姿勢ならばどこにも負けない。「だから、高校野球は素晴らしいんだ!」を体現し得るチームで、結果こそ16強でしたが、自分的には強く印象に残るチームでした。

 ああ、やっぱり、高校野球は、人間が奏でるドラマがいくつもあるから、素敵なんだなあ、としみじみと感じる次第です。

 

 個人的に、この宇部鴻城のマネージャー、野室千尋さん、とても印象に残ったので、記事、リンクを貼らせて頂きます。

 http://www.yomiuri.co.jp/sports/hsb/2012/news/20120820-OYT1T00328.htm

 http://www.daily.co.jp/hsbaseball/2012/08/20/0005314460.shtml

 http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/special/2012082000013.html

 http://www.hb-nippon.com/report/938-hb-nippon-game2012/9749-20121001001

 

 

 そして、朝日新聞の高校野球のサイト、リンクを貼っておきます。

 http://www2.asahi.com/koshien/

 

 そしてまた、「ドラフトホームページ」というファンサイトも、リンクを貼らせて頂きます。

 http://draft-kaigi.jp/

 

 

 いずれにせよ、とても感動的な、今夏の高校野球選抜大会でした。

 そして、今秋のNPBドラフト会議も、楽しみにしたいと強く思います。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

8月

06日

「2012年夏、自分にとっての『岐路の夏』への、現時点での想い。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第24回のブログエントリーの論題は、「2012年夏、自分にとっての『岐路の夏』への、現時点での想い。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の23回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの11回目になります。

 

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 とりわけ、今回のブログエントリーは、「感じることをありのままに綴る」、いわば、ある種情緒的な感じの文章になるかもしれません。過激、あるいは感傷的な表現が少なからずあることを、何卒御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 で、現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 8月12日で、自分は、28歳の誕生日を迎えます。

 誕生日がくるのは、勿論嬉しいことですが、いよいよ、「アラサー」に突入の感じです。

 

 で、体調が安定しない(特にこの1年、倦怠感にやたら苦しめられている)。この傾向が否めない。

 「若い世代」の一員であることの自負は、勿論強くあります。ですが、正直、精神的には「若々しくありたい」と思っていても、身体的に、「若さ」が徐々に奪われつつあることも、正直強く感じます。

 

 自分自身、20歳代は、結果論とはいえ、「自分探し」にほとんどを充てることになってしまいました。

 「時間」や「お金」の使い方も、泣きたくなるくらいに下手です。

 旅行に行きたい場所は、国内だけでも、正直わんさかあります。

 

 今日は、8月6日。そう、「広島原爆の日」です。

 広島、長崎は、正直ずっと行きたいと希求し続けている場所ですが、未だに叶っていません。

 (尤も、長崎は、中学3年生のときに、修学旅行で訪れていますが。)

 

 あるいは、南紀白浜のアドベンチャーワールド。そして、東京ディズニーリゾート。

 この2つも、いつか行きたい場所ですが、未だに叶っていない。

 

 今夏、4回目の東北は、どうしても叶えたい目標としてあります。

 ですが、東北に骨を埋めたい思いは、勿論のこととしてあるけど、他の場所の魅力も、自分の全身で感じたい、この想いを、正直強く抱くのです。

 

 例えば、一つの理想として、広島を訪れた上で、4回目の東北をも叶える。

 「平和」について学び感じ考えることは、一人の人間として、とても大切にし続けたい、考えを深めてしかるべきことである、と強く考えるからです。

 ですが、恐らく、これは正直厳しそう。「資金が厳しい」のは事実ですが、このこと一つをとっても、心にゆとりを持てていないことを、顕著に示しているといわざるを得ないように思うのです。

 

 「時間の使い方」の下手ぶりも然り。

 この8月でも、できることならば、ロンドン五輪、高校野球選手権大会、今夏のサッカー移籍市場、この3つのブログエントリーを執筆できれば、どれほど素敵だろう、と正直感じています。

 ですが、現実論としては、このうち、いずれか1つを執筆できれば恩の字だろうなあ、という感じです。あるいは、3つのいずれも執筆できない可能性も、ゼロではないでしょう。

 

 

 で、今夏で28歳の誕生日、ということを、先述させて頂きましたが、自分自身、来年が、再び社会人になるための年、ということになる(現在通っている通信制大学を卒業する予定は、現時点では、2014年春というイメージです)。

 そう考えると、今夏は、「岐路の夏」になる。何故ならば、今秋(目安として10月末)が、進路の方向性を決心するときの、恐らくデッドラインになるであろう、と強く考えるからです。

 

 「子どもが大好きである。」「笑顔に満ちる社会を生み出す一助になりたい。」

 「子どもの内面に親身に寄り添いたい。」「一人でも多くの人間、子どもが、「志」『希望』に向かって生きられることの一助になりたい。」

 

 この想いを、正直強く抱くのです。

 で、いま、激しく揺れ動いているのが、「教職」か「NPO」か、ということです。

 どちらもとても魅力的ではある。やりたいことのイメージは、漠然とだけど強くある。

 しかし、自分自身の持ち味が生かせる道とは何か?このことの方向性を見出したい、これが、今夏の大きなキーフレーズであるように、自分としては感じる訳です。

 

 

 で、今夏、是が非でも、何としてでも、最優先事項として強く叶えたいのが、「4回目の東北」です。

 現時点において、下記の選択肢が挙げられる感じです。

 

 

 (図解1)現時点における、今夏の「4回目の東北」の選択肢。

 

 (1)福島(喜多方)へのスタディツアー(JASP)。

 (2)陸前高田への夏祭り参加(YF3関西)。

 (3)ワークショップ(話があればですが)。

 

 

 現状としては、上記の3つの選択肢の可能性、という感じでしょうか。

 最も、自分としては、「東北発未来塾」への参加が叶えば、という感じではあるのですが、今夏は正直厳しいかな、と感じますので、上記の3つのいずれかかな、と思う訳です。

 

 現状としては、(1)か(2)かな、という感じですが、「子どもへの想い」を優先するならば、(2)のイメージではあるのです。陸前高田は、一度は是非とも訪れたい場所としてありますから。

 ですが、最有力なのは、(1)かな、と思うのです。ボランティアとは異なる目線で、東北と向き合ってみたい。この想いが、現時点での想いとして、正直強く抱いているからです。

 

 

 それにしても、自分としては、いま、イメージとして抱くこととして、秋口に進路の方向性を決めて、来年のうちには、進路を勝ち取って、2014年春に、再び社会人になる。

 そして、再び社会人になったら、それから3~4年して、もう一度学びたい、という思いを強く抱いたならば、大学院(修士)でじっくり学ぶことができれば(勿論、仕事先に籍を置いた状態で、という感じですが)、と強く思っているのです。

 

 というのも、現状として、「生きた学び」に飢えている感じを、強く抱いているのですが、学業において、いま、「学んでいる」というより、「こなしている」と感じることが、少なからずあったりすること(勿論、それはそれで有意義ではあるのですが)。

 そしてまた、1回目の学部時代から抱く思いとして、「何か一つのことを深く学び研究することに打ち込む」、これによって、自分自身に深みを持たせたい、この想いを、激しいほどに強く抱く感じがするのです。まあ、いつか是非とも叶えたい、というイメージとしてある感じですが。

 

 

 いずれにせよ、今夏、「4回目の東北」を、絶対に叶えたい。これができるか否かが、「岐路の夏」を我がものにできるかの、一つの大きな要素として強くある、と感じる訳です。勿論、他のことも充実させたいと強く感じますし、自己研鑽に尽きるかな、という感じですが。

 

 

 今後も、折に触れて、復興、社会貢献ブログエントリーを、自分なりに考察したい、と強く考えております。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

7月

28日

「『いじめ』について現時点で自分なりに感じること(「排除の論理」との連関を主体とする一考察)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第23回のブログエントリーの論題は、「『いじめ』について現時点で自分なりに感じること(「排除の論理」との連関を主体とする一考察)。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の22回目になります。そして、子どもブログエントリーの6回目になります。

 

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 とりわけ、今回のブログエントリーは、「感じることをありのままに綴る」、いわば、ある種情緒的な感じの文章になるかもしれません。過激、あるいは感傷的な表現が少なからずあることを、何卒御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 で、現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 自分自身、実は、子ども時代、小中高を通して、少なからず「いじめ」に苦しみ続けてきました。

 「いじめ」に苦しんだことは、1度や2度ではありません。

 どのような「いじめ」を受けたかは、まあ、いろいろとあります。

 悪口、無視、暴力等、いろいろとありますが、例えば、何人かに全身を蹴られたり腰を踏まれたり、プロレス技を掛けられて気絶させられたり、駅のごみ箱に体操服入れを放り投げられていたり、等々。

 

 最もえげつない「いじめ」の経験の一つが、大学受験のときです。つまり、高校3年生のとき。

 簡潔に述べれば、文字通り、「昨日の友は今日の敵」をやられた、という経験です。

 そう。つい昨日まで仲良く会話していた仲間に、ある日突然、無視や悪口をされるようになり、いわば、「仲間外れ」の状況に陥った訳です。

 当時、自分は高校3年生。この「仲間外れ」の状態は、当時通っていた予備校でやられたことです。

 当時、自分は、私立のある中高一貫校の男子校に通っていました。自分が当時所属していたクラスは、雰囲気そのものも、人間関係も、もはや最悪に等しい状態。「学年一の落ちこぼれクラス」と周囲には揶揄されていたクラスに所属していました(理由は、自分の場合、数学、理科の成績が散々であったから。数学では、何回か「赤点」をやらかしていました)。

 学級の中には、自分の居場所は事実上ほぼなし。活路は、予備校に求めざるを得ない状況。

 ですから、突如として起こった「仲間外れ」は、とても辛いものがありました。

 

 

 結果、大学受験では、自分は、第1志望校(「関関同立」の一翼です)は到底叶わず、薄氷の思いで、第3志望校(「産近甲龍」の一翼です)への現役合格が、やっとでした。

 年明けの元日に、インフルエンザで40度の高熱に陥り、心身のコンディションを崩したのが主たる要因であったような感じですが、いまにして思えば、「心と体のバランス」の管理ができていなかったからであるように思います。

 

 で、失意の大学受験から、1年半後くらいの、大学2回生の夏。

 自分を「仲間外れ」にした人間のうち3人(女性でしたが)と、偶然、駅でばったり再会したのです(しかも、向こうから声を掛けられた)。

 これは不思議な経験でした。相手は、第1志望校を叶えている。自分は、正直、結果という意味では、とても悔いが残っていた。だから、いろいろな感情が交錯する感じでした。

 

 そしたら、その女子グループの1人が、こう述べたのです。

 

 

 「りゅうちゃん(自分の素顔の愛称です)、あのときはごめんね。ずっと申し訳ないと思っていたの。でも、あなたを踏み台にしないと、私が目標を叶えられないのがどうしても怖かったから。

 誰かを排除しないで、みんなが目標を叶えられれば最も素敵だとは思う。でも、合格者には枠があるから、誰かがおちざるを得ない。そうなると、誰かを排除しないと、私が落ちてしまう。それで、(予備校の)クラスで存在感があって、かつガラスのような感じがするあなたをターゲットとせざるを得なかった、っていうこと。

 ずーっと心に重しがあった感じで、いつか会う機会があれば、謝らなきゃ、と思ったけど、今日、偶然にもこうして会えて、正直ほっとした。」

 

 

 ある種の憎しみがないといえば、正直嘘になる。でも、根っこが悪い人間ではなかったとも思う。

 申し訳なかった、という気持ちが伝わってきましたし、自分も、心のしこりをあまり引きずりたくないと思っていましたから、その場で、「赦す」気持ちになれました。

 尤も、だからといって、「いじめ」をされたこと自体の、辛い記憶は、永遠に消えません。

 彼女たちそのものを責めようとは思わない。ただ、その「行為」自体は、許せない思いは、正直強く抱く感じではあるのです。

 

 ですが、このエピソード一つをとっても、強く感じることとして、下記のことがあります。

 

 

 「『いじめ』の背景、要因は、あらゆることが考えられるが、とりわけ、『排除の論理』によるところが大きいのではなかろうか。」

 

 

 この思いを、正直強く抱くのです。

 

 そう。物事には、どうしても限りがある。それ故に、誰かを蹴落とさないと、限られた枠を我がものにできない。だから、目の前にあると思われる、敵なる存在を見出し、それを徹底的に排除しにかからざるを得ない、だから「いじめ」が起こる。

 自分の経験則的なことによるところが、正直大きいのですが、「いじめ」は、「排除の論理」によるところが、正直大きいように、自分は強く考える訳です。

 

 

 自分としては、「いじめのない学校」、「いじめのない社会」が実現して欲しいと強く願う。

 そのための努力も、最大限惜しまないようにする心づもりではある。

 しかし、どのようにすれば、「いじめ根絶」を実現することができるのか。

 恐らく、ずっと問い続けることになるのかもしれません。

 

 

 この1年弱で、「3・11」の復興支援活動に参加する過程で、いろいろな素敵な仲間に出会う機会に恵まれました。

 そこで強く感じることが、下記の2つのことの大切さです。

 

 「違いを認め合う」「本音で向き合う」。

 

 そう。とりわけ、「違いを認め合う」ことの大切さです。

 いわば、下記のようなことが、とても大切なことであるように思うのです。

 

 「あなたはあなただからこそ素晴らしいんだよ。」

 

 というのも、自分自身、この1年弱で、いろいろな仲間と交流させて頂く機会に恵まれております。

 正直、「3・11」がなければ、自分の人間関係という意味での「転機」は、恐らくなかったであろう、と感じるくらいです。

 

 その過程で、強く感じることの一つに、意見の対立があります。

 勿論、意見の対立がないことに越したことはないかもしれません。

 ですが、自分自身、正直強く感じることとして、たとえ考えが異なろうとも、対極になろうとも、自分の考えを無理をして封印することは、決してプラスにはならない。

 むしろ、本音をぶつけ合ってこそ、物事の本質、真理を見出すことができて、価値観や心の引き出しを増やし深めることになるように、自分は思うのです。

 

 

 ですから、「いじめ」ということにおいて、「排除の論理」ということは勿論、「同質化志向」という歪んだ心理も、一つの大きな要因であるように、自分は考える訳です。

 意見の対立を厭うべきではない。対極の考えでも、大いに結構ではないか、と自分は思うのです。

 だから、「あなたはあなただからこそ素晴らしいんだよ。」と、自分は強く考える訳です。

 

 

 だからこそ、自分は、「子どもの内面に親身に寄り添える人間でありたい」。

 この思いを、正直強く抱きます。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分でとても申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

7月

09日

「2012年夏、Jリーグ勢がACLトロフィーを実現するために必要なことの一考察(その4)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第22回のブログエントリーの論題は、「2012年夏、Jリーグ勢がACLトロフィーを実現するために必要なことの一考察。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の21回目になります。そして、サッカーブログエントリーの5回目になります。

 

 今回は、掲示版とのコラボエントリーの4回目、という位置付けです。今回は、「議論するエントリー」と「感じることを伝えながら読者と意見交換をもしたいエントリー」の中間型という位置付けになるかなと思います。

 今回は、とても長い文章になるので、(その1)(その2)(その3)に分割して執筆させて頂きます。

 

 ブログ本体については、コメント欄は設けません。その一方で、読者との議論、意見交換的な意味付けとして、掲示板にてコメント欄を設けさせて頂く感じです。

 私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 今回は、「2012年夏、Jリーグ勢がACLトロフィーを実現するために必要なことの一考察。」とあります。

 人間の数だけ個性があるように、サッカーファンの数だけ価値観があるかなと思いますし、今回、ここに示すのは、あくまでも自分(愛球人)の価値観に過ぎません。

 「プロフィール」欄に、自分なりの「サッカー観」を示しておりますので、それを閲読した上で、今回のエントリーの文章を御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、(その3)の続きから、考察を始めます。

 

 

 (その3)において、Jリーグ勢がACLトロフィーを叶えるためには、戦術面において、「フィロソフィーの構築及び具現化の必要性」「一途さと狡猾さを兼備し得るようになること」「選手起用面でACLにピーキングを持って行けるようにする工夫」、この3つを主として強調させて頂きました。

 

 で、Jリーグ勢がACLトロフィーを叶えるために大切なこと。

 戦術面の改善の必要性は勿論であるのですが、それと共に(いやもしかしたらそれ以上に)、大切なこととして、システム面(構造面、運営面)での改善が必要ではないか、と強く考える訳です。

 

 どういうことか。とりわけ、(その2)において、カタールや中国のリーグに、有力外国人選手が、次々と入団してきている現実について、言及してきました。

 で、カタール、中国と共に、近年、力を付けてきている、ある外国のリーグがあります。それはどこか。

 

 「MLS(米国メジャーリーグサッカー)」。

 

 そう。米国のサッカーリーグです。

 近年、MLSに上陸する有力外国人選手が、散見されるようになっている感じですが、下記に、MLSでプレーする有力外国人選手を、示してみたいと思います。

 

 

 (図解9)現時点にて、MLSにてプレーする主要外国人選手。

 (ただし、今夏からMLSにてプレーする予定の選手をも含みます。)

 

 (1)デイビッド・ベッカム(ロサンゼルス・ギャラクシー。MF。元イングランド代表。元レアルマドリード[スペイン]。いわずとしれた正確な右足キックと甘いマスクを誇るイングランドの「レジェンド」)。

 (2)ティエリー・アンリ(ニューヨーク・レッドブルズ。FW。元フランス代表。元バルセロナ[スペイン]。フランス代表で長年エースをはり、W杯に4回出場)。

 (3)ラファエル・マルケス(ニューヨーク・レッドブルズ。DF。メキシコ代表。元バルセロナ[スペイン]。バルセロナにて7年間プレーした、メキシコの国民的英雄)。

 (4)ロビー・キーン(ロサンゼルス・ギャラクシー。FW。アイルランド代表。元トットナム[英]。長年アイルランド代表でエースとして活躍)。

 (5)ファン・パブロ・アンヘル(ロサンゼルス・ギャラクシー。FW。元コロンビア代表。元アストンビラ[英]。プレミアリーグで6年間に及び活躍した点取り屋)。

 (6)ダビド・フェレイラ(FCダラス。MF。元コロンビア代表。長年コロンビア代表で司令塔として活躍した創造性豊かなファンタジスタ)。

 (7)トルステン・フリンクス(トロントFC。MF。元ドイツ代表。元ブレーメン[独]。2回のW杯に出場した攻守のバランサー的なCH)。

 (8)ベルナルド・コッラーディ(モントリオール・インパクト。FW。元イタリア代表。元ラツィオ[伊]。速さと高さを兼備するFWで、2004年欧州選手権にも出場)。

 (9)マルコ・ディ・バイオ(モントリオール・インパクト[今夏から]。FW。元イタリア代表。元ユベントス[伊]。裏への飛び出しと得点感覚に優れる点取り屋で、35歳になってもセリエA[ボローニャ]で10得点到達)。

 (10)アレッサンドロ・ネスタ(モントリオール・インパクト[今夏から]。DF。元イタリア代表。元ACミラン[伊]。イタリア代表の守備の要として、W杯に3回出場)。

 

 

 実に豪華な面々。これは勿論、米国という、無類の華やかさ好きであることや、独特のステータス(世界最大の経済大国であることをも含めて)も、勿論影響しているでしょう。

 ですが、ここで注目したいのは、MLSの独特のシステムです。

 

 ここで、下記に、「MLSとは何か」ということと、MLSのオリジナルシステムである、「特別指定選手制度」についての、それぞれのウィキペディアのリンクを、貼っておきたいと思います。

 

 

 (図解10)MLSに関係するウィキペディアのリンク。

 

 (1)MLSについての基本的事項の説明。

 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC

 (2)MLSのオリジナルルール、「特別指定選手制度」。

 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%8C%87%E5%AE%9A%E9%81%B8%E6%89%8B%E5%88%B6%E5%BA%A6_(%E3%83%A1%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC

 

 

 「特別指定選手制度」とありますが、わかりやすくいえば、「スター選手特別枠」ということです。上記の(図解9)に示されている選手のうちの多くが、この「スター選手特別枠」に該当する選手です。

 

 というのも、MLSは、戦力均衡、そして資金力にあまり差が付き過ぎないようにする配慮から(ある意味では、野球的発想が生きているともいえますが)、「サラリーキャップ制度」が採用されています。

 この「サラリーキャップ」は、資金力に乏しいJリーグのチーム的には、理にかなった方法になり得るのでは、と思うのです。それでいて、MLSの「スター選手特別枠制度」は、サラリーキャップとは別枠で、外国人選手のビッグネームを獲得できる(基本的に、最大2枠まで可能)。

 

 尤も、このMLSの「スター選手特別枠」。自国選手にも適用可能です。

 現に、例えば、ランドン・ドノバン(ロサンゼルス・ギャラクシー。FW。米国代表)、ジュリアン・デ・グスマン(トロントFC。MF。カナダ代表)といった、いわゆる自国選手にも、この制度が適用されています。

 

 

 その意味で、Jリーグ勢が、ACLトロフィーを実現し得るためには、運営面において、MLSの「サラリーキャップ&スター選手特別枠」精度に倣い、それを日本流にアレンジする、このことの実現が必要ではないか、と強く考える訳です。

 

 つまり、Jリーグ勢が、ACLトロフィーを叶えるためには、一人のサッカーファンとしての私見として、下記のことが必要ではないか、と強く考える訳です。

 

 

 (図解11)Jリーグ勢がACLトロフィーを叶えるために必要なことの私見。

 

 (1)戦術面での工夫。個々のチームにおける、「フィロソフィー」の構築及び具現化、及び、対戦相手の特徴を見極めて、相手の持ち味を消すことと、自分たちの持ち味を活かすことの両立を可能にする戦術の構築、そして、選手起用面での、ACLに照準を合わせるピーキングとしての積極的なターンオーバー。

 (2)運営面での工夫。資金力に不安があるならば、「サラリーキャップ」を導入する、そして、有力外国人選手を獲得しやすくできるように、あるいは、自国の有力選手がJで伸び伸びとプレーしやすくできるように、「スター選手特別枠」の制度を導入する。

 

 

 あくまでも、一人のサッカーファンとしての私見に過ぎませんが、自分としては、Jリーグ勢が、ACLトロフィーを奪還することの実現を、どうしても希求せずにはいられない。この一心から、現時点で感じることを、率直に綴らせて頂いた感じです。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分でとても申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

7月

09日

「2012年夏、Jリーグ勢がACLトロフィーを実現するために必要なことの一考察(その3)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第22回のブログエントリーの論題は、「2012年夏、Jリーグ勢がACLトロフィーを実現するために必要なことの一考察。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の21回目になります。そして、サッカーブログエントリーの5回目になります。

 

 今回は、掲示版とのコラボエントリーの4回目、という位置付けです。今回は、「議論するエントリー」と「感じることを伝えながら読者と意見交換をもしたいエントリー」の中間型という位置付けになるかなと思います。

 今回は、とても長い文章になるので、(その1)(その2)(その3)に分割して執筆させて頂きます。

 

 ブログ本体については、コメント欄は設けません。その一方で、読者との議論、意見交換的な意味付けとして、掲示板にてコメント欄を設けさせて頂く感じです。

 私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 今回は、「2012年夏、Jリーグ勢がACLトロフィーを実現するために必要なことの一考察。」とあります。

 人間の数だけ個性があるように、サッカーファンの数だけ価値観があるかなと思いますし、今回、ここに示すのは、あくまでも自分(愛球人)の価値観に過ぎません。

 「プロフィール」欄に、自分なりの「サッカー観」を示しておりますので、それを閲読した上で、今回のエントリーの文章を御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、(その2)の続きから、考察を始めます。

 

 

 Jリーグ勢がACLトロフィーを叶えるために大切なこととは何か。

 いくつかあるだろうとは思うのですが、ここで、Jリーグを取り巻く状況を整理することから、踏まえることが必要でしょう。

 

 

 (図解6)現状整理として、Jリーグを取り巻く状況が現時点でどうか。

 

 (1)日本人選手の相次ぐ国外移籍。

 (2)代表とJリーグの人気に広がる格差(代表はコンスタントに満員近くいくが、Jリーグは観客動員が頭打ち。ドル箱である浦和戦でさえ、集客に陰りが否めない。

 (3)Jリーグの個々のチームの、「自分たちのサッカースタイル」、あるいは、「フィロソフィー(不変の理念)」の構築及び具現化がなかなかできずにいること。

 (4)過密日程で代表活動にも支障が散見されること。ロンドン五輪代表は、予選からことあるごとにJリーグ側との水面下での折衝に労力を大きく割かれたともいわれる。

 (5)資金力の不足感。国外からの有力外国人がなかなかこれなくなり(今オフもカルリーニョス[大宮]、ケンぺス[C大阪]等、数えるほど)、そして有力外国人がことごとく中東に持っていかれつつあること。

 (6)地上波やBSでの放送試合数が極端に少ない。ダービーマッチや、有力チーム同士の対戦が、BSでさえ拝めない事態が少なからず散見。

 

 

 申し訳ないけど、現在のJリーグには、ネガティブな状況が少なからず散見されることが否めない。

 本来は、「Jリーグあっての日本代表、日本サッカー界」であるはずなのです。

 しかし、現実は、「日本代表あってのJリーグ」という、いびつな事象がまかり通っている感じが否めない。このままでよいのだろうか、と。

 

 

 とりわけ、気に掛かることとして、「個々のチームの不変のフィロソフィーの構築及び具現化」が、想像以上に苦慮している現実があります。

 

 第一に、鹿島。フィロソフィーの具現化にいち早く取り組み、確立してきたチームであるはずなのですが、ある種の金科玉条としてきた「ソリッドな4-4-2」が、Jの内部でさえ封じられつつある傾向が散見される。

 一つの背景として、大黒柱の小笠原の衰えが挙げられますが、問題の本質はそれだけではないだろう、と思うのです。「小笠原→柴崎」の「王位継承」が叶うところで、それで問題解決となる訳ではないだろう、と。

 そう。より根深い問題の本質は、対戦相手に「中央を閉じる」ことをされたときに、サイドをいかにして使うかや、中央をいかにしてこじ開けるかを、その引き出しを充分に構築できなくなっているのではないか、と思う訳です。

 

 「不変の理念」の必要性。これは、一人のサッカーファンとして、常々声高に自分が主張し続けていることですが、それは、「ACLトロフィー」を叶え得るためであることが前提ではないか、と。

 そのように考えると、鹿島の場合、「中央ありき」ではなくて、「中央でもサイドでも高次元での崩しを具現化し得る攻撃システムの再構築」が必要であるように思うのです。

 近年、ACLで同じような失敗を繰り返していることに照らしても、「4-4-2」絶対主義を見直して、「3トップシステム」との併用をも意識しながら、フィロソフィーの再構築を志向した方がよいように、自分は考える訳です。

 

 

 第二に、G大阪。G大阪の場合、10年間に及ぶ西野朗政権により、「ガンバスタイル」を確立してきたように思うのです。しかし、西野朗政権の終焉と、「黄金のMFカルテット」(遠藤、橋本英、二川、明神)の解体が、同時のタイミングで起こってしまったことで、「自らボールを積極的に支配するアクションサッカー」というフィロソフィーを、一瞬で崩壊させてしまったのではないか、と。

 

 現在のG大阪の崩壊劇は、複合的な要員があろうかとは思いますが(外国人FWの個人能力の低下、今野が未だにフィットしきれないこと、GKの質の問題、左SB藤春の裏のスペースの狙いうちの傾向、等々)、結局のところは、「カルテットの衰え(橋本英は退団したが)」、及び、「若手育成を充分にできなかったことのつけ」、それに帰結するのかな、と思うのです。

 ただ、これについても、鹿島と同様、現有戦力に、ドリブラータイプがあまりプライオリティーが置かれていないのではないか、その影響があるのではないか、と自分には映るのです。

 いずれそう遠くないうちに、遠藤にも引退のときはくるでしょう。そして、外国人FWの個人能力に依存しない攻撃システムの構築が、結局できなかった(つまり、日本人FWの育成に失敗したことと事実上同義である)。つまるところ、これに帰結するのかな、と感じる訳です。

 

 

 第三に、名古屋。志向しているサッカースタイルは、「中央からもサイドからも多様な崩しの引き出しを持てるサッカースタイル」ということで、それ自体は共感できるのです。

 ですが、現実にそれができているかといえば、正直限定的。これもここ数シーズン、ずっと繰り返しています。

 確かに、名古屋の場合、「ケネディ」「闘莉王」という、良くも悪くも、攻守それぞれに絶対的な「軸」が存在しているため、その「軸」が不調だと、一気にチームパフォーマンスが低下しやすい構造的欠陥は、否めないでしょう。現に今季前半戦は、ケネディが絶不調で、それがチーム成績にも直結しましたから。

 

 しかし、名古屋の場合、近年指摘されつつある傾向として、「レギュラーの11人だけを取れば、J最強であるが、ひとたび故障者が出ると、なし崩し的に続出して、一気にチームパフォーマンスが低下してしまう」ことが挙げられます。

 例えば、昨季も、主力がそろった後半戦は、一気に追い上げましたが、故障者続出にあえいだ前半戦のビハインドを跳ね返せず、勝点差「1」の2位に終わりました。

 

 何が問題なのかといえば、これも(ある意味、G大阪や鹿島以上に深刻と思うが)、「若手育成を充分にできていないことのつけ」に帰結する訳です。しかも、名古屋の若手は、総じて素質の高い選手を多く擁している、といわれています。

 若手の出場機会が多くないのは、その若手の平素の練習姿勢が不充分だとかの理由とかも、もしかしたらあり得るのかもしれませんが、現実論として、試合経験を積まなければ、素質を伸ばせないように思う訳です。格下相手の試合とかを巧みに使って、何故もっと積極的に「ターンオーバー」をしないのか、名古屋の試合をみると、いつも歯がゆく感じるのは、自分だけでしょうか?

 

 

 ここまで、鹿島、G大阪、名古屋を例にとって、考察をさせて頂きましたが(あくまでも、自分の私見に過ぎませんが、こういう考え方もあるんだ、と解釈して頂けると有難いです)、何が言いたいのかといえば、「フィロソフィー」の構築及び具現化がいかに大切か、そして、その実現がいかに長い時間と労力を要するか、ということです。

 

 勿論、「フィロソフィー」の構築及び具現化が絶対不可欠、と強く考える訳ですが、Jリーグ勢が、ACLトロフィーを叶えるために、戦術面で大切なことは、それだけではないとも思うのです。

 

 そう。「フィロソフィー」の構築及び具現化は、戦術面の第一の要素としてある。

 第二の要素は、「ACLに向けたピーキング」です。

 

 それは、まず、選手起用の面で、ACLでベストメンバーが最高のコンディションで試合に臨めるように逆算して選手起用の工夫をする。というのも、今やACLは、GLでも、格下と呼べる相手は、もはやほとんど皆無になりつつあるからです(現に今季も、柏はブリーラム[タイ]に圧倒的な力の差を誇示できたわけではなかった。むしろ東南アジア勢が地道に力を付けてきているともいえる)。

 ましてやACLは、たとえGLでも、「一線必勝」のトーナメントの心意気が求められます。その国のリーグを自分たちが代表している、その「誇り」「プライド」を掛けた勝負であるからです。

 

 それはつまり、選手起用の工夫は言わずもがなです。そのためには、地道な若手育成の重要性は勿論のことですし(特に名古屋はこれが大きな課題かと)、若手が起用されてもチームの機能性の質をできるだけ堅持し得るためには、それこそ、「フィロソフィー」の深化の度合いこそが、求められてくる訳です。

 しかし、工夫すべき要素は、選手起用だけではないとも思うのです。いかにして自分たちの持ち味を発揮し得るかは勿論、いかにして相手の持ち味を消すかの工夫も、同時並行的に求められてきます。

 

 ここで、今季の広州恒大の基本布陣を参考にしながら、どのような方策が考え得るのかを、自分なりに考察したいと思います。

 

 

 (図解7)2012年夏、広州恒大の予想される基本布陣。

 システム(4-2-3-1)

 監督(マルチェロ・リッピ)

 

 

                     バリオス

 

 左WG                 コンカ                  ムリキ

 

           CH                   CH

 

 左SB       金英権                  CB        右SB

 

                     GK

 

 

 (注意すべき要素)

 (1)バリオスのオフザボールの動き、及び裏への飛び出し。

 (2)コンカの創造性、ボールコントロール。

 (3)ムリキの爆発的なスピード(ドリブルからシュートまで一気に持って行ける)。

 

 

 恐らく、今後、広州恒大をはじめとする中国勢を撃破しない限り、ACLトロフィーはより一層厳しくなってくる。そう考えると、例えば、広州恒大を、いかにして攻略するかです。

 この場合、打てる手の代表格として、例えば、下記の方法があるでしょう。

 

 「コンカとムリキにそれぞれダブルチーム(1対2)を仕掛ける。」

 

 これは確かに一つの方法ではあると思います。しかし、それだと、4人がダブルチームの守備要員に充てられる。これは攻撃面を考慮すれば、非効率的といわざるを得ません。

 現実的な方策の一つとしては、コンカとムリキに、それぞれマンマークを付けて、そしてさらにもう1人、どちらかへのダブルチーム要因になり得る選手を充てる、これならば3人なので、可能かもしれませんが。

 

 あるいは、下記の方策も、考えられるでしょう。

 

 「トリボーテ(3CH)を採用して、守備陣形をよりコンパクトにする。球際に強く、かつ攻守の切り替えに優れる選手をトリボーテに配する。」

 「SHあるいはWGに、守備意識の高い選手を、そしてSBには突破力を兼備し得る選手をそれぞれ配して、サイドで相手WGへの『はさみうち』を可能にし得る人形を採用しつつ、できるだけSBを高い位置に張らせて、相手WGを守備に忙殺させて孤立へと追い込む戦術をも駆使する。」

 

 この場合ならば、特に、広州の右WGのムリキのスピードが脅威です。勿論、OHの今夏の創造性も、留意せねばなりません。

 そこで考え得ることとしては、広州の右が脅威ということは、留意すべきサイドは、自チームの左ということになる。

 ということは、例えば、左SBを高い位置に張らせて、ムリキを守備に忙殺させることに追い込む、その一方で、コンカ対策に、アンカーを配して、ボール奪取と運動量に優れる選手をアンカーに置く。自分ならばこうします。

 

 では、自分が例えば名古屋の指揮官として、広州恒大を相手に試合をする場合、どのような布陣や戦術を志向するのか、自分なりの私案を、下記に示してみたいと思います。

 

 

 (図解8)自分が名古屋の指揮官ならばとしての、広州恒大戦での理想布陣。

 システム(4-3-3)

 監督(愛球人)

 

 

                     ケネディ

 

 永井謙                                      金崎

 

             小川               藤本淳

 

                     ダニルソン

 

 阿部翔         闘莉王              ダニエル        田中隼

 

                     楢崎

 

 

 (志向する戦術。)

 (1)両SBをあえて高い位置に張らせる。それにより、相手の両WGを孤立へと追い込み、守備に忙殺させる。

 (2)トリボーテの一角の小川は、必要に応じて下がり目をも担う。コンカ、ムリキへの守備時のダブルチームの一角の動きをも意識させる。

 (3)ダニルソンは、この場合はコンカ対策を主たるタスクとする。勿論、局面に応じて組み立て役の一翼をも担う。

 (4)広州の素早い切り替え。ひとたび攻撃の局面になれば、雪崩式にできるだけ多くの人数を敵陣サードへと突進させる。両WG、両OHは、状況に応じて積極的なポジションチェンジを遂行。

 

 

 これはあくまでも、自分の私案にすぎませんが、いずれにせよ、Jリーグ勢がACLトロフィーを叶えるためには、「フィロソフィー」の構築及び具現化、及び、対戦相手の特徴を見極めて、相手の持ち味を消すことと、自分たちの持ち味を活かすことの両立を可能にする戦術の構築、それが求められるように思うのです。

 結局のところ、戦術の「引き出し」を増やすこと、それはつまり、「チーム力」の向上なくして、ACLトロフィーは厳しい、ということであるように思うのです。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その4)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2012年

7月

09日

「2012年夏、Jリーグ勢がACLトロフィーを実現するために必要なことの一考察(その2)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第22回のブログエントリーの論題は、「2012年夏、Jリーグ勢がACLトロフィーを実現するために必要なことの一考察。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の21回目になります。そして、サッカーブログエントリーの5回目になります。

 

 今回は、掲示版とのコラボエントリーの4回目、という位置付けです。今回は、「議論するエントリー」と「感じることを伝えながら読者と意見交換をもしたいエントリー」の中間型という位置付けになるかなと思います。

 今回は、とても長い文章になるので、(その1)(その2)(その3)に分割して執筆させて頂きます。

 

 ブログ本体については、コメント欄は設けません。その一方で、読者との議論、意見交換的な意味付けとして、掲示板にてコメント欄を設けさせて頂く感じです。

 私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 今回は、「2012年夏、Jリーグ勢がACLトロフィーを実現するために必要なことの一考察。」とあります。

 人間の数だけ個性があるように、サッカーファンの数だけ価値観があるかなと思いますし、今回、ここに示すのは、あくまでも自分(愛球人)の価値観に過ぎません。

 「プロフィール」欄に、自分なりの「サッカー観」を示しておりますので、それを閲読した上で、今回のエントリーの文章を御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、(その1)の続きから、考察を始めます。

 

 

 今季のJリーグを見ても、自分自身は、Jリーグのレベルが、さほど下がっているようには思わない訳です。

 例えば、先日の、浦和対仙台。結果こそスコアレスドローでしたが、攻守の切り替えの素早さや球際の激しさ、ボールやスペースをめぐる駆け引き等、セリエAを彷彿とさせる、戦術的な見応えに満ちる試合で(確かにスペクタクル性には乏しかったかもしれませんが)、セリエAの中堅クラブレベルの試合はできていたかな、と感じます。

 あるいは、清水は、トライアングルやスペースを積極的に駆使して、ピッチを大きく使うサッカーで(ただし、決定力不足が玉にきずではあるが)、なかなか質の高いサッカーを志向しているなあ、と感じます。

 

 あるいは、選手個人でも、日本人選手を取っても、有能な選手は、それこそわんさかいます。

 例えば、柏木陽介(浦和)、藤本淳吾(名古屋)は、創造性豊かなプレーで、代表の「23人枠」のレベルに値する、安定したハイパフォーマンスです(勿論「消える」試合もありますが)。

 あるいは、佐藤寿人(広島)は、2部次代を含めてですが、「9年連続10得点到達」を達成しています。恐らく、オランダやフランスリーグでも、やり方次第では通用し得るレベルを、現在でも堅持しているといえるでしょう。

 また、前田良一(磐田)も、故障癖を割り引けば、コンスタントに得点を量産できるストライカーですし、田中マルクス闘莉王(名古屋)も、代表からこそ遠ざかっているものの、統率力と低い位置からの組み立ては、未だにアジア最高レベルを堅持している感じです。

 

 

 ですので、Jリーグの個々の選手、あるいは戦術のレベルが、「落ちている」とは思わない。

 しかし、「上がっていない」とも、正直感じたりする訳です。

 

 誤解のないように述べますが、内容やサッカーの質が「つまらなくなった」と思う訳ではないのです。むしろ、先述のように、見ごたえのある試合やチームも、いくつか存在しますから。

 あるいは、若い選手でも、「魅せるプレー」ができる選手だって、何人も存在する。

 例えば、柿谷曜一朗(C大阪)、原口元気(浦和)、大前元紀(清水)、等々。

 

 

 ですが、ここで問題に感じるのは、「外国人選手」の質であるように映る訳です。

 恐らく、Jリーグ勢がACLで通用しなくなってきている理由の一つに、このことがあるのではないか、と。

 

 尤も、Jリーグの現在の外国人選手でも、質の高い有力選手は、何人か存在します。

 例えば、ケネディ(名古屋)、アレックス(清水)は、豪州代表のレギュラークラスです。

 曹永哲(大宮)、金甫昊(C大阪)も、韓国代表にコンスタントに招集されています。

 マルシオ(浦和)、カルリーニョス(大宮)は、ブラジル人であるが故に、代表には縁がないですが、少なくとも、準ワールドクラスのハイレベルの技術の持ち主です。

 ヨンアピン(清水)も、時折カードを頂戴しますが、北京五輪のオランダU23代表メンバーに名を連ねた経歴に違わず、卓越する技術の持ち主で、こういう質の高い選手をJで拝める有難みを実感させてくれる選手です。

 あるいは、梁勇基(仙台)も、北朝鮮代表のレギュラークラスです。卓越する創造性のみならず、攻守にいつだって全力プレーであることも、大きな魅力でしょう。

 

 このように、Jリーグにも、素晴らしい外国人選手は、何人も存在します。

 ですが、アジアの他国のリーグを比較すると、やや見劣り感を抱く感じを、正直抱いてしまう訳です。

 

 個人的には、「純国産チーム」で、ACLトロフィーを叶えることができれば、どれほど素敵なことだろう、と強く思います。

 だからこそ、「自分たちのサッカースタイルの構築及び具現化の必要性」が、なおさら絶対不可欠である、と強く思う訳ですが、正直、質の高い外国人選手の必要性を無視できなくなってきていることも、否めないように思うのです。

 

 で、外国人選手、といえば、アジアのサッカーリーグ、という意味では、質の高い外国人選手は、中東、そして近年ならば、中国のリーグにプライオリティーが置かれているように、自分には映る訳です。

 

 思えば、現在は、サッカーの夏の移籍市場の期間中ですが、近年は、ほぼ毎年、夏場になると、「外国人選手の中東流出」が、どうしても話題になってしまう傾向が否めません。

 という訳で、Jリーグの外国人選手の中東流出事件を、2007年以後に絞って、考察してみたいと思います。

 

 

 (図解3)Jリーグの外国人選手の中東流出(2007年以後)。

 

 (1)マグノ・アウべス(2007年。G大阪→アルイテハド[サウジアラビア])。

 (2)バレー(2008年。G大阪→アルアハリ[UAE])。

 (3)ダヴィ(2009年。名古屋→ウム・サラル[カタール])。

 (4)レアンドロ(2009年。G大阪→アル・サード[カタール])。

 (5)カボレ(2009年。FC東京→アル・アラビ[カタール])。

 (6)アドリアーノ(2011年。G大阪→アル・ジェイシ[カタール])。

 (7)エジミウソン(2011年。浦和→アル・ガラファ[カタール])。

 

 

 実に7人です。このうち4人がG大阪。

 いつしか、中東では、「安心(信頼、安定)のガンバ大阪ブランド」という異名がいわれているのだとか。

 それはともかく、まあ、費用対効果的な経営戦略的な意味で、中東(あるいは中国、MLS[米国])への売却を巧みに活用することは、一つの方法としてあってよいとは思います。ですが、恐らく、上記の7つのうち、少なくともガンバの4例及びカボレは、明らかなる「流出」的なテイストと考えざるを得ません(ダヴィの場合も、後に獲得したケネディの方が機能性に優れるとはいえ、基本的には「流出」と解釈した方がしっくりいくのかな、と)。

 

 で、例えば、G大阪一つを取ってみても、アドリアーノの後継者として獲得したラフィーニャ。

 1年目となる昨季後半は、11得点を挙げる大活躍でしたが、2年目の今季は完全に沈黙。次第に出場機会を減らし、ついに先日、蔚山現代(韓国)に放出になりました。

 浦和の場合の、エジミウソンの後継者のデスポトビッチも然り。

 1年目となる昨季後半は、失意の無得点。2年目となる今季も、CFの定位置は、ポポ、あるいは原口の後塵を拝してしまっています。

 

 思えば、上記の7選手のうち、カボレを除く6選手は、もともとは、Jリーグの他チームからの移籍組でした。つまり、下記の構図が、ある種成立し得るわけです。

 

 「J中堅チーム→J有力チーム→中東チーム」。

 

 こうすれば、経営的には、それなりの資金を得られます。それを元手に、大型補強を観光し得る余地が生まれる。

 ですが、現実的には、なかなかそうはいかない。結果として、手持ちの選手の質が徐々に落ちていく傾向が否めず、日本人選手にしても、なかなか世代交代が進まない(下部組織の強化もできない)、まさしく悪循環状態です。

 

 思えば、例えば、カタールリーグ1つを取っても、質の高い外国人選手が、次々と加入してきています。

 では、カタールリーグでプレーする主要外国人選手を、下記に示してみましょう。

 

 

 (図解4)現時点にて、カタールリーグにてプレーする主要外国人選手。

 

 (1)エジミウソン(アル・ガラファ。FW。ブラジル。元浦和。Jで7年半活躍したストライカー)。

 (2)アルナ・ダンダン(アル・ガラファ。FW。コートジボワール代表。元ランス[仏]。コートジボワール代表で、長年ドログバ[元チェルシー]の相棒を務めた)。

 (3)李正秀(アル・サード。DF。韓国代表。元鹿島。韓国代表の守備の要)。

 (4)ナディア・ベルハジ(アル・サード。DF。アルジェリア代表。元リヨン[仏]。左サイドならばどこでも対応可能なサイドアタッカー)。

 (5)ママドゥ・ニアング(アル・サード。FW。セネガル代表。元マルセイユ[仏]。マルセイユで5年間レギュラークラスを担い、09-10シーズンではフランスリーグ得点王)。

 (6)カデル・ケイタ(アル・サード。FW。コートジボワール代表。元リヨン[仏]。左右のWGに高次元で対応する快足ドリブラー)。

 (7)アフォンソ・アウべス(アル・ラーヤン。FW。元ブラジル代表。元へーレンフェーン[蘭]。06-07シーズンではオランダリーグ得点王)。

 (8)カボレ(ウム・サラル。FW。ブラジル。元FC東京。突進力に優れる点取り屋)。

 (9)バカリ・コネ(レクウィヤ。FW。コートジボワール代表。元マルセイユ[仏]。163cmと小柄だが、それを巧みに活かした小回りのきくプレーが特徴的)。

 (10)アドリアーノ(アル・ジェイシ。FW。ブラジル。元G大阪。爆発力ある突破力が持ち味)。

 

 

 上記の10選手以外にも、今夏からは、ラウル・ゴンザレス(元スペイン代表。FW。レアルマドリードのレジェンド)が、アル・サードにてプレーすることになっているのだとか。

 いずれにせよ、Jで実績充分のエジミウソンをはじめ(一部報道では、今夏のFC東京入団説が浮上しているようですが)、かつて欧州で得点王経験者のニアング、A・アウべス、代表で実績充分のダンダン、ケイタ、B・コネ、韓国代表の中心選手の李正秀、等々、確かに、凄まじい選手の質を誇る感じがします。

 

 で、このカタール、いわずと知れた「オイルマネー」。そう、資金力で、Jリーグ勢は太刀打ちできなくなりつつある感じが否めません。

 その意味で、ケネディ、アレックス、ヨンアピン、梁勇基、等といった選手をJで拝めることが、どれほど素晴らしいことか、と改めてしみじみと実感する感じです。

 

 

 そして、カタールと共に、近年、急激に力を付けているのが、中国のリーグです。

 まあ。世界第2位の経済大国ですから、それを踏まえれば、ついに来たか、という感覚を、正直抱く訳ですが。

 

 では、中国リーグでプレーする主要外国人選手を、下記に示してみましょう。

 

 

 (図解5)現時点にて、中国リーグにてプレーする主要外国人選手。

 (ただし、今夏から中国リーグにてプレーする予定の選手をも含みます。)

 

 (1)フレデリック・カヌーテ(北京国安[今夏から]。FW。元マリ代表。元セビリア[西]。7年間に及びスペインリーグにて活躍)。

 (2)ニコラ・アネルカ(上海申花。FW。元フランス代表。元チェルシー[英]。奔放なゴールハンターである)。

 (3)ディディエ・ドログバ(上海申花[今夏から]。FW。コートジボワール代表。元チェルシー[英]。8年間プレミアリーグで活躍、2回のプレミア得点王の点取り屋)。

 (4)ジョバンニ・モレノ(上海申花[今夏から]。MF。コロンビア代表。元ラシン・クラブ[アルゼンチン]。創造性に優れるファンタジスタ)。

 (5)ローダ・アンタル(山東魚能。MF。レバノン代表。攻撃的なポジションならばどこでも対応可能。かつてフライブルク[独]にてフィンケ監督に師事した)。

 (6)ヤクブ・アイエべグニ(広州富力[今夏から]。FW。ナイジェリア代表。元ブラックバーン[英]。2010年W杯に出場した万能型FW)。

 (7)ルーカス・バリオス(広州恒大[今夏から]。FW。パラグアイ代表。元ドルトムント[独]。ブンデスで2年連続10得点到達)。

 (8)ダリオ・コンカ(広州恒大。MF。アルゼンチン。元フルミネンセ[ブラジル]。創造性に優れるファンタジスタ)。

 (9)ムリキ(広州恒大。FW。ブラジル。卓越する足技とスピードを兼備するドリブラー)。

 (10)金英権(広州恒大[今夏から]。DF。韓国代表。元大宮。低い位置からの組み立てに優れる左利きのCB)。

 

 

 このように考えると、とりわけ、広州恒大や上海申花の外国人選手の質を考えれば、Jリーグ勢は、よほどの「戦術的工夫」を施さない限り、とても太刀打ちできないだろうな、と正直感じます。

 中国のサッカー界が本気を出すと、これほどの選手を集められるのか、とも、正直感じる次第です。

 

 では、Jリーグ勢が、ACLトロフィーに手が届くようになるためには、どのようなことが大切であるのか。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その3)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2012年

7月

09日

「2012年夏、Jリーグ勢がACLトロフィーを実現するために必要なことの一考察(その1)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第22回のブログエントリーの論題は、「2012年夏、Jリーグ勢がACLトロフィーを実現するために必要なことの一考察。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の21回目になります。そして、サッカーブログエントリーの5回目になります。

 

 今回は、掲示版とのコラボエントリーの4回目、という位置付けです。今回は、「議論するエントリー」と「感じることを伝えながら読者と意見交換をもしたいエントリー」の中間型という位置付けになるかなと思います。

 今回は、とても長い文章になるので、(その1)(その2)(その3)に分割して執筆させて頂きます。

 

 ブログ本体については、コメント欄は設けません。その一方で、読者との議論、意見交換的な意味付けとして、掲示板にてコメント欄を設けさせて頂く感じです。

 私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 今回は、「2012年夏、Jリーグ勢がACLトロフィーを実現するために必要なことの一考察。」とあります。

 人間の数だけ個性があるように、サッカーファンの数だけ価値観があるかなと思いますし、今回、ここに示すのは、あくまでも自分(愛球人)の価値観に過ぎません。

 「プロフィール」欄に、自分なりの「サッカー観」を示しておりますので、それを閲読した上で、今回のエントリーの文章を御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 2007年11月14日。浦和レッズ、ACL初優勝。

 この出来事は、日本サッカー界にとって、一つのステージへの到達を証明したことであると思いますし、現在でも、嫌自分にとっては、永遠の誇りであるように、強く感じます。

 

 で、その後、2008年、ガンバ大阪がACL優勝。

 これが、Jリーグ勢、2年連続2回目のACLトロフィーとなりました。

 

 しかし、その後はどうか。

 

 

 (図解1)ACLでのJリーグ勢成績(2007年以後)。

 

 2007年(浦和[優勝]、川崎[8強])。

 2008年(G大阪[優勝]、浦和[4強]、鹿島[8強])。

 2009年(名古屋[4強]、川崎[8強]、G大阪[16強]、鹿島[16強])。

 2010年(G大阪[16強]、鹿島[16強]、川崎[GL]、広島[GL])。

 2011年(C大阪[8強]、名古屋[16強]、G大阪[16強]、鹿島[16強])。

 2012年(名古屋[16強]、柏[16強]、FC東京[16強]、G大阪[GL])。

 

 

 ここで留意すべきことは、2009年以後、現行のような、「ラウンド16」方式が導入された、ということです。そしてその形式になってから、Jリーグ勢は、ほとんど全く勝てなくなってしまっている。

 これだけをみると、Jリーグの超過密日程(はっきりいえば、チーム数が多すぎる。16チームが限界ではないか)が、諸悪の根源であるように映りますし、確かにそれも一理あるのですが、それだけなのだろうか、いやむしろ、それ以上に問題の本質があるのではないか、と自分は感じる訳です。

 

 ここで、2009年以後の決勝トーナメントでのJリーグ勢の戦績を、示してみたいと思います。

 

 

 (図解2)ACLでのJリーグ勢の決勝トーナメントでの戦績(2009年以後)。

 

 (1)2009年。

 (16強)名古屋(勝利、水原三星[韓国])、鹿島(敗北、FCソウル[韓国])、川崎(勝利、G大阪)。

 (8強)名古屋(勝利、川崎)。

 (4強)名古屋(敗北、アルイテハド[サウジアラビア])。

 

 (2)2010年。

 (16強)G大阪(敗北、城南一和[韓国])、鹿島(敗北、浦項[韓国])。

 

 (3)2011年。

 (16強)C大阪(勝利、G大阪)、名古屋(敗北、水原三星[韓国])、鹿島(敗北、FCソウル[韓国])。

 (8強)C大阪(敗北、水原三星[韓国])。

 

 (4)2012年。

 (16強)名古屋(敗北、アデレード[豪州])、柏(敗北、蔚山現代(韓国])、FC東京(敗北、広州恒大[中国])。

 

 

 上記のことから、つまり、Jリーグ勢は、2009年以後、日本勢の直接対決を除いての、外国勢との対決という意味では、1勝10敗。そう、2009年に、名古屋が水原三星に勝利したのが最後、ということになります。

 これほどまでに勝てないとは。正直、とても悲しくなります。

 

 勝てない原因、理由は、恐らくいろいろとあるでしょう。

 このことの一端を、2012年のACLのラウンド16を例に、考えてみたいと思います。

 

 第一に、名古屋対アデレード。選手の個人能力は、名古屋の方が上であったと思うのです。試合内容自体も、名古屋の方がむしろ押し込んでいたように映る。故障者続出、そして、ケネディの絶不調を考慮する必要はあるかもしれません。

 しかし、それを割り引いても、「ゴールに向かう気持ち」で、名古屋はアデレードに劣って映った。そして、長年指摘されていた、若手育成を充分にできなかったことのつけを支払わされた感じも覚えました。

 

 第二に、FC東京対広州恒大。スコアこそ0対1でしたが、内容は、それこそ、例えば、インテルミラノ(CL常連チーム)とチェゼーナ(プロビンチャ)とのサカ、それ以上のレベルの差を感じました。申し訳ないけど、個人能力があまりにも違いすぎる(特に攻撃陣)。

 コンカの創造性、ムリキの爆発的スピードに、ほとんど全く対応できていませんでした(クレオの高さには、辛うじて対応できていましたが。それと、ムリキが故障気味だったから、、1失点で済んだ、それが正直な感じかな、と)。

 

 試合を見ていて、特にFC東京対広州恒大は、申し訳ないけど、勝てる感じがしない、それが正直な感じだった。これは、2007年に浦和がACLに優勝したときは、このような感じは抱きませんでした。

 

 

 もはや衝撃といわざるを得ない。しかし、Jリーグ勢がACLで勝てなくなったことには、何か根深い要因があるのではないか、自分は、どうしてもこのことを、強く抱いてならない訳です。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その2)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2012年

6月

24日

「2012年NBAファイナルを回想しながら、現時点で日本バスケ界に思うことの一考察。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第21回のブログエントリーの論題は、「2012年NBAファイナルを回想しながら、現時点で日本バスケ界に思うことの一考察。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の20回目になります。そして、バスケットボールブログエントリーの1回目になります。

 

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 とりわけ、今回のブログエントリーは、「感じることをありのままに綴る」、いわば、ある種情緒的な感じの文章になるかもしれません。過激、あるいは感傷的な表現が少なからずあることを、何卒御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 で、現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 6月。自分にとっては、欧州サッカーの移籍市場が開幕するときであることと共に、NBAが佳境を迎えるときでもあります。

 で、先日(6月13日~6月22日)、NBAファイナルが開催されました。

 

 今季の対戦カードは、「マイアミ・ヒート対オクラホマシティ・サンダー」。

 結果は、4勝1敗で、ヒートが優勝。

 いわゆる「スリーキングス」(レブロン、ウェイド、ボッシュ)が結成されてからでは、悲願の初優勝になりました。

 

 かつて、自分は、1月11日のブログエントリー「、「『3・11』からの復興の具現化のために大切であると強く考えること(総論。その2)。」の文章にて、下記のことを、記したことがあります。

 

 

 レブロン・ジェームズ(良くも悪くも圧倒的な個人能力で勝負を決めてしまう)

 ドウェイン・ウェイド(いざという勝負どころで決定的な仕事ができる)

 クリス・ボッシュ(縁の下の力持ち的役割をこなしつつ、勝負どころでの爆発力を併せ持つ)

 

 

 基本的には、上記のイメージのような感じでした。

 とりわけ、今回のファイナルでのレブロンの活躍は、もはや異次元であり、優勝を決めた第5戦では、「26得点、13アシスト、11リバウンド」という、いわゆる「トリプルダブル」の圧巻ぶりでした。

 

 個人的に強く感じるのは、ヒートの第5戦のバスケ(121対106で勝利。第3Q終了時点で95対71と、24点差をつけており、この時点で勝負を決めた)は、まさしく、「理想的なバスケ」を具現化させた、ある種の「伝説的試合」に昇華たらしめた、ということです。

 これはどういうことか、自分なりに、下記に記したいと思います。

 

 

 (図解1)マイアミヒートのNBAファイナル第5戦のバスケの素晴らしさ。

 

 (1)コート全体を大きく使う。そして選手全員がリングに向かう姿勢。

 (2)攻守の切り替えの素早さ。球際の強さ。

 (3)状況に応じたプレー選択の適格性。オフザボールでの動きの質の高さ。

 (特にインサイドのボッシュがドフリーになる場面を幾つか創出していた。)

 (4)3P精度の高さ。(特にM・ミラーが、8本のうち7本を成功。)

 (5)パスを巧みに回せたこと。(実はこのことこそ大きな意味がある。)

 

 

 敗北したサンダーが拙い闘いぶりであったかといえば、決してそうではないと思います。

 確かに、良くも悪くも、デュラント、ウエストブルックに依存し過ぎたことは否めないかなと思いますが、決して分厚いとは言えない選手層で、大健闘であるというのが、正直な思いです。

 

 そして、NBAファイナルが終わり、いよいよ、NBAも、移籍市場に突入する訳ですし、思うことは正直いくつもある訳ですが、今回のメインテーマは、NBAの移籍市場云々ではありません。

 むしろ、今回のメインテーマは、このNBAファイナルを踏まえて、日本のバスケ界について、自分が現時点で感じることを、率直に綴りたい、というのが、率直な趣旨です。

 

 

 歯がゆく感じるのは、日本のバスケットボール界は、中学校、高校の部活レベルでは、恐らく、最も盛んなスポーツの一つであるように思うのです。

 しかし、プロスポーツのレベルになると(というか、日本のバスケ界の場合、完全プロ化が未だに実現していないこと自体が、諸悪の根源であるのだが)、世界と全くたちうちできていないのが現状です。

 

 勿論、個人能力の問題、もともとの身体能力の問題(そもそも高さで対抗すること自体不可能なことを受け入れることが大前提にならざるを得ないかと)、これによるところは、正直少なからずあることは、否めないかもしれません。

 ですが、やりようによっては、日本のバスケ界も(特に女子は)、世界に対して、ある程度の水準レベルまでならば、対抗し得る余地はあるかもしれない、と思う訳です。

 

 勿論、ここで強調したいのは、「完全プロ化」なくしてはあり得ないだろう、ということです。

 そして、「完全プロ化」実現のためには、とりわけ、運営面における荒療治やむなしであろう、とも、正直強く感じる訳です。

 

 ですが、ここでは、むしろ、主として「戦術的観点」から、自分なりに考察したい、と強く感じる訳です。

 

 

 勿論、「スリーキングス」のような個人能力を、日本人選手が身に付けることは、正直困難であろうと思います。特にレブロンのように、PGからPFまで何でもできてしまう選手は、NBAの歴史上でさえ、そうはいない存在です(あえて言えば、マジック・ジョンソン[元レイカーズ]くらいか)。

 ですが、「考え方」としては、ヒートのスタイルを参考にすることは、可能であるように思う訳です。とりわけ、「コートを大きく使う」「パスを積極的に回していく」(3Pを積極的に活用する)、この3点は。

 

 日本人選手の傾向として感じることとして、下記のことがあります。

 

 

 (図解2)一人のスポーツファンとして、バスケの日本人選手の全体的傾向として感じること。

 

 (1)インサイドでの体格勝負はまず見込めない。

 (2)スピード、バスケIQは他国に対抗し得る。

 (3)シュートレンジが広い(例えば男子で得点王争いの常連の川村卓也[リンク栃木]は、全体のうち3Pシュートの試投率が40%を超える)。

 (4)ガードタイプの選手が多い(例えば男子ならば、PGにやたら好選手が集中している。田臥勇太[リンク栃木]、柏木真介[アイシン]、五十嵐圭[三菱電機]、西村文男[日立]、等々)。

 

 

 例えば、インサイドの場合、女子で体格面で世界と対抗し得るのは、渡嘉敷来夢(JX)くらいでしょう。高田真希(デンソー)も有能な選手ですが、シュートレンジが広くなく、体格にもあまり恵まれていないので(183cm)、世界の舞台だとどうしても苦戦の傾向にあります。

 男子も然りで、竹内兄弟に多くを依存してしまっており、頼みのセンターの伊藤俊亮(リンク栃木も、今季で33歳(しかもここ数年は故障癖に苦しんでいる)、下降線の感じが否めません。

 

 女子の方が有望と述べましたが、現実には、世界の舞台では(いずれは渡嘉敷を主体にすることが望ましいが、渡嘉敷は慢性的に故障癖を抱えている。故にインサイドは高田氏んへの依存度が高まり、世界の餌食になってしまっている)、大神雄子(JX)が、それこそレブロン的な活躍が求められているのが実情です(確かにPGもSGも高次元でできるが、良くも悪くも、大神をSGで固定できないと世界と対抗できないのが現状)。

 

 

 勿論、つまるところは、運営面の抜本的改善(男子、女子のいずれも、8チーム程度での1リーグ制、そして全国にまんべんなくチームを配置、勿論完全プロ化)が不可欠であると思います。

 そして、代表活動に充分な時間を割けるようにする(個人能力で勝てない分、戦術面の強化が必要)、及び、スタジアム(バスケの場合、アリーナと表現する傾向が強い)が、熱狂的な雰囲気を創出できるようにする工夫が必要であるように思います。

 

 NBAのアリーナには、いつかぜひ行きたい、生観戦を叶えたいと強く思うのです。

 しかし、日本のバスケの場合、その雰囲気があまり生み出せていない。

 社会人野球の延長線上なの?と思ってしまうことが、少なからずあります。

 

 何というか、ある種、「うおー」と盛り上がれるような、そういうアリーナをいかにして創出するのか。そのためには、結局、「完全プロ化」「選手の質の向上」なくしては厳しいように思う訳です。そして、「完全プロ化」と「縮小再編」を、ある種のパッケージで進める、これが不可避であるように、自分は感じている訳です。

 

 

 で、戦術面に話を戻せば、下記のことが、大切になってくるのかな、と思うのです。

 

 

 (図解3)現時点における、中長期的観点での、日本バスケ界が理想として欲しい戦術(スタイル)。

 

 (1)インサイドでは勝てないので、ガードを軸とする「バスケIQ」で勝負する。

 (2)頭脳で勝負するならば、PGの役割こそ重要になる。故に、PGを軸とするバスケが望ましい。

 (3)いかにして3Pを高確率で決めるかがポイント。そのため、ボールを積極的に回すことが求められる。

 (4)攻守の素早い切り替え。球際の強さの向上(守備意識の向上なくしては勝負できない)。いかにして速攻を創出するかの戦術練習の徹底。

 (5)できれば、インサイドでも3Pを放てるPFを育成して欲しい(NBAでも、ボッシュ、ストウダマイヤー[ニックス]、ノビツキー[マーべリックス]等が、3Pを放てるPFとして成功している)。

 (6)必要に応じて「3ガード戦術」を駆使する。特に、シュートを高確率で決め得る「エース級SG」の確立が重要になってくるかと。

 

 

 いずれにせよ、日本バスケ界の将来像の構築のことは、自分も、折に触れて、ブログエントリーで考察して行ければ、と強く考えております。

 今回の考察は、あくまでも、現時点での試験と解釈して頂けると、とても有難く思う感じです。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

6月

09日

「2012年初夏、東北発未来塾落選に悲嘆しながら感じること。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第20回のブログエントリーの論題は、「2012年初夏、東北発未来塾落選に悲嘆しながら感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の19回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの10回目になります。  

 

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 とりわけ、今回のブログエントリーは、「感じることをありのままに綴る」、いわば、ある種情緒的な感じの文章になるかもしれません。過激、あるいは感傷的な表現が少なからずあることを、何卒御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 で、現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 今回のブログエントリーをアップするにあたり、正直、論題をどうするか、迷いました。

 しっくりくる論題が、なかなか思い浮かばなかった、というのが、率直なところです。

 

 で、今回、何故、このような論題にしたのか。

 現時点での自分の心境を率直に示す感じであるからです。

 ある種、刺激的な論題になってしまったかもしれませんが。

 

 では、「東北発未来塾」とは、果たして何か。

 まず、HPのリンクを、貼っておきましょう。

 

 

 「東北発未来塾」の公式HP。

 http://www.nhk.or.jp/ashita/miraijuku/

 

 

 簡潔に述べれば、「復興に携わりたい若い世代を応援するテレビ番組」です。

 Eテレ(かつての教育テレビ)で放送されている番組です。

 NHKの「明日へプロジェクト」(復興支援プロジェクト)の一環ですが、テイストとしては、サンデル先生等で知られる、「白熱教室シリーズ」のような感じかな、と自分は思っております(議論する学び、を基本スタイルとする意味で)。

 

 

 自分自身、微力ながらですが、昨秋以後、本格的に復興支援活動に参加させて頂くようになり、東北にも、3回足を運びました(石巻に2回[ボランティア]、福島に1回[イベント参加])。

 そして、再び社会人になるときは、何らかの形で、復興支援に携わることができれば、と思うようになっている(そしてできれば、東北で働きたい、とも考えている。現時点ではNPOに心が傾斜しつつありますが)。

 

 ですから、未来塾は、番組開始当初から、勿論観ています(基本、週に2回は少なくとも観ている。学んだことをより深く理解できるようにするためでもあるが)。

 自分自身、復興支援活動を通して、素敵な出会いに恵まれ、出会いを通して、刺激を頂いている感じである訳ですが、未来塾に登場する学生は、さすが、「選ばれし存在」なだけのことはあるなあ、と。その意識の高さは、自分自身、いつも見習いたい、という感じである訳です。

 

 で、GW明けでの、石巻の現地参加を終えて、5月下旬、未来塾のHPを見たら、なんと、参加者募集、とあるではないか、と。

 テーマは、「つながるチカラ」。担当の先生は、津田大介さん(ジャーナリスト)。8月分放送の予定とのこと。しかも、生放送出演のチャンスまである。

 

 ずっと、自分自身、未来塾への参加は、強く熱望してきました。理由はいくつかあります。

 第一に、復興に携わりたいという熱意を持った若い世代と共に学べるから。

 第二に、テレビに出られる(生きた証を残せる)。そして、それを通して、たくさんの「生きた学び」ができる。

 第三に、将来の目標として、社会貢献、復興支援の道に携わりたい、と考える自分にとって、そのノウハウをより具体的に学ぶことができるのではないか。

 このような思いが、正直強くある訳です。

 

 

 で、応募しよう、とは心に決めていた。しかし、肝心の志望動機をどのように表現するか、なかなかうまくまとめられず、時間ばかりが経過していく。

 そして、6月に突入。それから昨日までの1週間は、未来塾に参加する云々に、ひたすら明け暮れた、正直、それに近い感覚でした。

 

 ようやく、志望動機がまとまり、応募に踏み切ったのが、6月5日(締め切りの前日)。

 大枠としてのテーマは、「東北の子どものための支援」。それ自体は心に決めているし、自分の復興支援の基本的なテーマとしていることでもある。

 しかし、いわば、「御題目」はあるけれども、具体的な「内容」を深く掘り下げることができないでいる。今回の志望動機も、我ながら、この域を出ない、というのが、正直な感じです。

 

 支えるのは、強烈な熱意。現実的には、ある種だめもとかもしれない。

 しかし、自分としては、どうしても参加したい。あとはもはや、祈る思い。

 締め切りが6月6日。そして、選考に掛けられる。結果発表は、6月8日。

 

 

 そう。この時期は、「AKB第4回選抜総選挙」。

 自分はAKBのファンではない(ただ、一人の関西人として、姉妹グループであるNMBのことは、気に掛かっていない訳ではないのですが)。ですが、内心、総選挙のことは、強い興味を抱いていたりはする。

 

 で、AKBの選抜総選挙の開票番組は、ニュース7を見終えた後、見ていましたし、開票翌日の日刊スポーツも、しっかりと購入。

 しかし、AKBの総選挙のことは、正直心のどこかで上の空状態。そう、自分の頭の中は、もうひとつの「選抜総選挙」、つまり、自分自身の、未来塾の選考のことで、染まっていた訳です。

 おかげで勉強も、まともに手につかない有様、まあ、もともと不器用な人間であるからかもしれませんが。

 そして、選考に掛けられてから、結果発表まで、ツイッターの更新も封印。とにかく、未来塾参加を叶えたい。ひたすらこの一心であった訳です。

 

 

 で、6月8日、18時過ぎ、結果が出た。

 結局、「落選」でした。

 陸上の日本選手権、サッカーのヨルダン戦は、やっとの思いで見た。

 しかし、その後、未来塾の放送が始まるまでは、布団の中で、泣き崩れていました。

 

 確かに、HPで発表された、参加当選者のテーマを見れば、自分の敗北は、ある種仕方ないのかもしれません。自分は、当選者に比べれば、確かに具体性に乏しかったことは否めないかもしれない。

 しかし、自分としては、どうしても参加を叶えたかった。

 このような機会は、そうある訳ではない。そう、もしも参加が叶えば、自分にとって、「人生最大のチャレンジ」だったのだから。

 だから、こみあげる悔しさを、ぶつけずにはいられなかった。この思いが、正直な思いとしてある訳です。

 

 だからこそ、参加当選者には、自分のような落選者の悔しさの分まで、一つでも多くのことを学んで欲しいと願う訳です。

 うまくいえないのですが、「生きた学び」ができる。ボランティアとは、また違う感じでの。

 それは、今後何らかの形で復興に息長く携わる意味で、有形無形の価値があるように、考えられる訳です。

 

 

 そう。GW明けでの石巻の現地参加を終えて、勿論はじめは、次なる現地参加を、できれば夏場には叶えたい、と強く考えてきました。

 で、できるだけ早いうちに、改めて東北に行きたい、という気持ちは、強く抱いているのです。

 ただ、次なる機会での東北行きは、ボランティアとは違う形でのチャレンジもあってよいのではないか、いやむしろ、それはそれで、ある種違った視野を得られるのかもしれない、と考えるようになっている訳です。

 いろいろな方法があるでしょうが、例えば、イベント参加なり、ワークショップなり。

 なんだか、ボランティアをしているとき、やることに精一杯になってしまっている自分がいる。勿論、それはそれで、学ぶことはたくさんあるし、だからこそ、とりわけ、「東北の子どものために」という思いを、より一層膨らませていくことができるとは思うのです。ボランティアなくして、「息長い復興支援の一助になる」という思いを、現在のようにこれほどまでには抱けなかっただろう、と思いますし。

 

 ただ、自分としては、より「生きた学び」に比重を置くことはできないか、という思いが、強烈なほどに強くなってきている。ボランティアを通して感じることがいろいろとあることは勿論ですし、現実論として、資金や日程等の要素から、なかなかボランティアにいける機会が思うようにいかない現状へのもどかしさも、正直影響しています。

 

 

 で、いま、未来塾のテーマは、「支援するチカラ」です。それこそ、自分自身にとって、現在、そしてこれからも、問い続け、学び続け、考え続けて生きたいテーマであり、ある種、今後「ライフワーク」として意識するテーマといってよいでしょう。

 自分の場合、再び社会に出るときに、息長い復興支援に、よりできるだけダイレクトに、この思いを、強く抱くようになってきている。だからこそ、「支援するチカラ」は、より一層、見ることに力が入ります(むしろ正直、このテーマでこそ自分が参加したかったと思ったりもします)。

 

 「東北の子どものために」。このテーマは、自分の中では、強く抱いている。

 問題は、それを、より具体的に、どのようにして息長く携わっていく、自分の中で、そのような覚悟を持ち続けることができるのか。いま、自分自身にとって、このことが、とりわけ強く問われているように、強く考える訳です。

 

 

 いろいろと思うことは、正直あったりします。

 そう、例えば最近ならば、まさしく、未来塾に落選が決まったその日ですが、昼に書店で、『文藝春秋』の最新号を読みました。

 特集のテーマが、実に刺激的。「平成政治24年 亡国の戦犯」。

 で、文章(というか、識者による討論形式)を拝読しましたが、自分がかつて政治学を学んだ身であることも影響しているでしょうが、実に考えさせられる。

 

 そう。自分にとって、「復興支援」とは、「社会をよりよくすること」であると思っています。

 勿論、東北を「3・11」以前よりも素敵なまちにする、そして、東北の子どもが、一人でも多く、「志」に向かって生きられるようにすることの一助になりたいことは、言わずもがなです。

 ですが、復興支援活動に参加するようになり、自分の中で、日を追うごとに湧き上がる思いが、「復興とは、社会をよりよくすることであるのではないか。そして、復興の具現化のためには、自分たち若い世代が積極的に参画していくことに掛かっているのではないか。」と、強く抱くようになっている訳です。

 

 「タテ社会」「甘え」「閉塞」。日本の政治文化を形容する言葉として、このようなことが、指摘されてきた訳ですが、とりわけ、「閉塞」は、復興支援活動に参加するようになり、強く抱く思いです。これは勿論、自分がかつて「阪神淡路大震災」に被災した経験が、影響しているのかもしれません。

 現地(東北)を、そして、現地の人間を、自分はどれほど向いているのだろうか。

 正直、社会そのものが、あまり現地を向いているようには感じることができない。しかし、いやだからこそ、自分自身は、現地に真正面から向き合うことが、求められているように、強く考える訳です。

 よく、スポーツの世界で、「同じ方向を向く」ことの重要性がいわれますが、自分が問われていることの一つとして、このことがあるように思うのです。

 

 

 なんだか、ある種散文的な感じになり(脈絡のない感じ)、とても申し訳ないのですが、やはり、現時点での心境としては、悔しい思いを率直に抱かずにはいられない感じである訳です。

 尤も、自分としては、次なるチャンスがあると、信じてなりません。そう、自分としては、いつか、東北発未来塾に参加する機会が叶えば、と強く考える訳です。

 今回は叶わなかった。正直、とても悔しいです。ですが、いやだからこそ、いつか未来塾に参加したい、参加を熱望する思いは、恐らく今後も変わらず抱き続けるであろうと、正直強く感じます。

 生きた学びがしたい。一つでも多くのことを学びたい。復興について、息長い支援について、自分なりにじっくりと考えたいし、仲間と思う存分語りあいたい。この思いを、正直強く抱く訳です。

 

 すみません、でも、自分としては、復興の一助になることに、それこそ自分自身を捧げることができればと、真顔で思っている。だから、率直な思いを、綴らせて頂いた感じです。

 そして、今後も、このHPでのブログエントリー、折に触れて、自分なりに復興について、社会貢献について思うことを、綴ることができれば、と強く考えております。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

6月

01日

「一人の人間として、2回目の東北現地参加を振り返って感じること。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第19回のブログエントリーの論題は、「一人の人間として、2回目の東北現地参加を振り返って感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の18回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの9回目になります。

 そしてまた、今回については、復興、社会貢献ブログエントリーの9回目であることと共に、子ども関係のブログエントリーの5回目、という位置付けにもなろうかと思います。

 

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 とりわけ、今回のブログエントリーは、「感じることをありのままに綴る」、いわば、ある種情緒的な感じの文章になるかもしれません。過激、あるいは感傷的な表現が少なからずあることを、何卒御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 で、現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 GW明けに、自分にとって悲願であった、2回目である東北現地参加を叶えました。

 

 参加したのは、「Youth for 3.11」の「プロジェクト結42期」。

 「結42期」とありますが、この機が、YF3にとっては、記念すべき1期生にあたる。

 内容は、「子ども支援」。活動期間は、5月7日~5月11日(5日間)。

 ですが、事前研修、リフレクション等の関係から、5月5日夜(大阪出発)~5月14日朝(大阪帰宅)という感じでした。

 ちなみに、その後、5月26日、YF3の交流会イベント、「Trip for 3.11」にも参加しました。

 

 で、今回の更新。気付けば、石巻から大阪に帰ってから、3週間近くになっています。

 更新まで時間が掛かったのは、正直、いろいろと理由はあります。

 

 第一に、活動を通して感じたこと、学んだことがあまりにもわんさかとあって、整理がなかなかできなかったこと(そして、実は未だにほとんど整理ができていないままである)。

 第二に、大阪に帰ってから体調を崩し(倦怠感、喉の痛み。実は体調はまだあまり良くなっていない状況。だから、「Trip for 3.11」も、事実上の強行出場であった)、更新する気力さえなかなかわかなかったこと(勿論、そういう時間があまりとれなかったこともありますが)。

 

 主として、上記の2つの感じでしょうか。

 

 

 ざっくりと、感じたことを述べれば、下記のような感じでしょうか。

 

 (図解1)「結42期」での活動を通して、自分(愛球人)が学んだこと、感じたこと。

 

 (1)息長く中長期的スパンで、『東北の子どものための復興支援』に取り組み続けたい、そして、『笑顔に満ちる社会を生み出すための社会貢献』を、何らかの形でそういうことに携わりたい、この思いをより一層強く抱いた。

 (2)自分が子どもが大好きである理由を肌で感じたこと(笑顔の純粋さ、飾り気がないこと、感受性の鋭さ、等々)。

 (3)自分自身の未熟さ(特に一本調子な傾向)を改めて実感したこと。

 (4)現地の子どもの前向きな姿勢、きめ細かい支援(特に精神的支援)の必要性。

 (5)復興のスパン(時間面でも精神面でも)の想像以上の長さを実感。とりわけ、「自分たち若い世代こそが復興支援の重要なアクターとして全力で息長く取り組み続けることの必要性」を強く実感すること。

 

 

 とりわけ、(1)と(5)です。自分が強く実感するのは。

 では、活動の内容は、どのような感じであったのか。

 

 

 (図解2)自分(愛球人)の、「結42期」における活動内容。

 

 (1)仮設住宅の集会場での「子どもの遊び支援)」。

 (2)小学校における「子どもの放課後学び支援(主として算数)」。

 (3)小学校での草刈り(運動会の準備のため)。

 (4)小中学校での支援物資の仕分け及び回収。

 (5)小学校の朝のスクールバスの見送り。

 (他にも、自分は参加しなかったが、小学校での図書整理とかもあった。)

 

 

 学んだことは、実にたくさんある。しかし、強く実感するのです。

 

 総じて、自分が出会った子どもは、屈託のない笑顔。

 つくられた笑顔ではないことが、なおさら自分を勇気付けてくれる。

 

 しかし、いやだからこそ、強く感じるのです。

 自分たち若い世代こそが、復興のためにできることを、全力で息長く取り組むことの大切さを。

 

 この思いは、いろいろな意味が籠められています。その思いを語り出すと、とてもここだけでは説明しきれません。整理が充分にできていないというのは、正直、これによるところが大きいです。

 

 自分には、笑顔で接してくれた。思ったことを、ストレートにぶつけてくれた。

 それは正直有難い。しかし、心のどこかで、悲しみを抱いているのではないか。

 いわゆる「震災孤児」だって、恐らく少なくない。家族、住まい、勉強道具、財産、何もかもを失った子ども。

 そのような子どもに、どうやって向き合っていけばよいのか。このことが、問われているように思う訳です。そして今後の自分は、こういうことにこそ、力を入れていくことが求められるのではないか、と。

 

 

 で、「Trip for 3.11」では、気仙沼の高校生の話を聴く機会に恵まれました。

 いろいろと考えさせられる。その前向きな姿勢に感動したからでもありますが。

 (とりわけ、ライブハウスをつくりたい云々のくだりが、心にじーんときました。そして、太鼓を披露する祭りを蘇らせたい、ということも然りです。)

 

 

 では、今後の自分にできることは何か。

 一つ言えることは、自分としては、再び社会に出るときに(2014年春が現時点での目標)、何らかの形で、復興支援、社会貢献の道に携わりたい、ということです。

 ですので、現時点では、NPO・NGOに携わりたい思いが、まだ漠然とではあるのですが、より一層強くなっている感じではあるのです。

 

 そして、夏場を目途に、何らかの形で、「東北の子どものために」というスタンスでの現地参加を叶えたい、この思いを、正直強く抱くのです。

 これをどのような形で叶えたいのかは、いくつかの選択肢、可能性があるので、まだ思案中、という感じですが。

 

 

 自分なりに、現時点で抱く思いは、このような感じです。

 今後も、折に触れて、復興、社会貢献ブログエントリーを、自分なりに考察したい、と強く考えております。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

5月

01日

「悲願である2回目の東北現地参加、そう遠くないうちに絶対に叶えたい思い。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第18回のブログエントリーの論題は、「悲願である2回目の東北現地参加、そう遠くないうちに絶対に叶えたい思い。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の17回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの8回目になります。

 そしてまた、今回については、復興、社会貢献ブログエントリーの8回目であることと共に、子ども関係のブログエントリーの4回目、という位置付けにもなろうかと思います。

 

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 とりわけ、今回のブログエントリーは、「感じることをありのままに綴る」、いわば、ある種情緒的な感じの文章になるかもしれません。過激、あるいは感傷的な表現が少なからずあることを、何卒御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 で、現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 実は、そう遠くないうちに(できればGW明け)、2回目の東北現地参加を、叶えたい、と強く考えております。

 

 実は、99%まで参加確定に近い感じできているのですが、まだ、クリアにできていない要素がある、しかし、自分の日程的なことを考えると、恐らく、完全にクリアになり、100%の参加確定にできるときを待ってから、HPでのブログエントリーを執筆する時間が、どうやら取れそうにない(GWを控えてのもどかしさ、ということでしょうか)。

 ですが、自分のHPを、いつも御拝読して頂いている読者が、少なからずいると思う。そしてそれが、自分の心の支えの一つの要素になっているように感じる。とても有難う、と強く思う。

 ですので、ざっくりとした感じになりますが、現時点での、自分自身の率直に感じることを、自分なりに綴ることができれば、と考えております。

 

 昨年9月に、「Youth for 3.11」の、「め組2期」として、石巻、南三陸にて、2週間、初めての現地参加をさせて頂きました(がれき撤去、仮設支援、花の種植え等)。

 そう。自分にとって、「Youth for 3.11」との出会いが、大きな転機になっている、といってよい。このことを、強く抱くのです。

 

 で、「め組2期」の際は、「1日が1か月に感じる」くらい、いままで生きてきた中で、かつてない感じの、「濃密な時間と経験」をさせて頂きました。尤も、肝心の活動自体は、「不完全燃焼」であり、正直、悔いばかりが残った感じでもありましたが。

 とはいえ、そこからのおよそ8か月間は、「YF3との出会い以前」とは全く異なるといってよいような感覚の日々であった感じがするのです。

 

 で、今年に入っては、「JASP」との出会いがあり、3月には、福島に行くことも叶いました(ただし、実際にボランティアとして参加した訳ではないので、ここでは現地参加という意味ではカウントしていない。とはいえ、貴重な経験であるので、その意味では、今回は3回目の東北とは強くいえるかなと思います)。

 そう。この8か月間では、実にあらゆる出会いがあった。一つ一つの出会いに、この場を借りて、改めて、深く感謝させて頂く思いです。

 

 「め組2期」で見た光景。あまりにも強烈な場面が少なからずありましたが、とりわけ、南三陸での光景は、恐らく、永遠に忘れないでしょう(心に焼き付けねばならない、というのが、率直な感覚)。

 眼前に飛び込む、壊れた防災庁舎。あるいは、トンネルを抜けたら、線路が見えない気仙沼線。

 (自分が電車好きでもあるから、なおさら印象深いのかもしれませんが…。)

 

 今回のブログエントリーは、正直、ばたばたしながらの感じの合間に綴る感じであり、ざっくりとした感じで、とても申し訳なく思いますが、では、今回現地参加する予定は、どのような感じなのか。

 

 GW開けに、1週間、主として石巻にて、子どもの学び、遊び支援、という感じです。

 「子ども支援」は、自分にとって、悲願といえるチャレンジですから、今回の現地参加は(晴れて叶えばですが)、ひときわ強い思いがある訳です。

 「子どもの笑顔」が、自分自身の「最高の喜び」と、強く自負しておりますので、なおさらの思いです。

 

 先日(3月31日)のブログエントリーにて、自分は、下記のことを記しました。

 

 

 「で、自分自身が、現時点で強く感じていること。

 何を以て、「復興」といえるのであろうか。

 

 勿論、「経済的復興(都市の復興)」「精神的復興(心の復興)」の重要性は言わずもがなです。

 とりわけ、自分自身、「精神的復興」は、自分自身、息長く取り組みたいテーマです。

 

 ですが、それ以上に、「本当の復興」というのは、「社会的復興」ではないかと、自分なりに復興支援と向き合う過程で、特にここ最近感じるようになっているのです。

 この場合、「3・11」以前よりも、より一層「希望」に満ちる社会、というイメージでしょうか。「笑顔に満ち溢れる社会」の実現、それが、自分が現時点で考える「社会的復興」であるように考える訳です。

 尤も、まだ仮説的な考え、感覚に過ぎませんけれども、自分の中では、この思いが、強く湧き上がってくる感じなんですよね。

 

 ただ、マイケル・サンデルさんが「ポストモダンの開幕」、半藤一利さんが「第2の敗戦」と形容した、「3・11」の意味、これを自分なりに解釈し、そして深く考え向き合うことが、自分としては求められているように、自分は感じる訳です。

 

 

 自分自身、将来的には、東北で骨を埋めたい、という思いが、日々強くなっています。

 どのような方向に進むか等にもよるかなと思いますが、できることならば、震災という逆境を乗り越えて、あの逆境以前よりも素敵な社会を生み出す、その一助に、自分は絶対になりたい、と強く考える次第です。

 とりわけ、「子どもの笑顔」のために自分は生きたい。このことを、強く抱く次第です。

 そして、息長い中長期的な復興支援、そして社会貢献を、改めて強く心に誓う思いです。」

 

 

 「笑顔に満ちる社会を生み出す人間になりたい。」

 「人間の心の悲しみに親身に寄り添える人間になりたい。」

 自分としては、この思いを、強く抱いています。

 だからこそ、現地の子どもの心の声に、耳をすませたい。

 子どもに、「生きる希望」「生きる勇気」を付与し得る一助になりたい。

 この思いを、正直強く抱きます。

 

 そして、晴れて、2回目の現地参加が叶い、できれば、5月の中旬あるいは下旬に、「おかげさまで、2回目の現地参加、叶いました。」ということのブログエントリーを執筆できれば、と強く考えております。

 

 

 今後も、折に触れて、復興、社会貢献ブログエントリーを、自分なりに考察したい、と強く考えております。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

4月

19日

「ナウシカ、エリン、石橋美里さんに感じること(人間と自然が共生し得る社会)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第17回のブログエントリーの論題は、「ナウシカ、エリン、石橋美里さんに感じること(人間と自然が共生し得る社会)。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の16回目になります。そして、子どもブログエントリーの3回目になります。

 そしてまた、今回については、子どもブログエントリーの3回目であることと共に、芸術、メディア関係のブログエントリーの2回目、という位置づけにもなろうかと思います。

 

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 とりわけ、今回のブログエントリーは、「感じることをありのままに綴る」、いわば、ある種情緒的な感じの文章になるかもしれません。過激、あるいは感傷的な表現が少なからずあることを、何卒御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 で、現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 今回の文章を執筆するきっかけ。

 NHK総合「おはよう日本」(2012年4月18日。7時台の特集)。

 テーマは、「佐賀県庁前のカラス撃退に挑む鷹匠の女子高校生」。

 佐賀県武雄市に在住する、石橋美里さん(17歳、高校3年生。武雄高校)です。

 

 

 第一印象としては、まず、美里さんのことは、以前(どのくらい前だったかは覚えていない。1年以上前だったかなと思うが)にもテレビで見たことがあるので、「おお、美里さん、すくすくと成長している。」という感じです。

 

 というのも、以前にテレビで見たときは、記憶が正しければですが、美里さんが、まだ高校に入るか入らないかくらいでした。

 鷹を操る、すごい少女が日本にいるだなんて、と強い衝撃を覚えた記憶があります。

 ですから、今回の「おはよう日本」で、久々に美里さんを視聴したときは、成長する姿を見られたことに、ある種の喜びを感じる、それが正直な思いです。

 やっぱり、人間の成長を辿ることは、素敵なものだなあと、正直感じます。

 

 

 で、石橋美里さんについて。

 幼少時代から、超がいくつも付くほどの動物好き。

 で、小学2年生のとき、ペットショップで観た鷹に一目ぼれしたのがきっかけだとか。

 で、小学5年生のとき、「ワールドファルコナーズクラブ」という鷹匠の団体に登録、プロの鷹匠に。

 自分が、恐らく初めてテレビで見たのは、高校に入るか入らないかくらいのとき。

 だから、恐らく2年くらい前でしょうか。

 

 通っているのは、武雄高校。佐賀県内でも有数の進学校と伺う。

 飼っているのは、少なくとも、鷹が4羽、隼(はやぶさ)が2羽。

 美里さんの場合、鷹匠として、カラスを撃退する、という感じ。

 佐賀県内は勿論、九州、あるいは四国とかに乗り込むこともあるとか。

 極め付けは、鷹と共に堂々と登下校すること。学校や級友の理解に、頭が下がります。

 

 美里さんの「志」は、獣医師。人間と動物が共生できる社会を生み出す一助になりたい、とのこと。

 素敵な「志」であるなあ、と強く感じますし、陰ながら是非とも応援したい、と強く感じる訳です。

 

 

 映像を通して、美里さんに対して、強く感じること。

 動物(この場合、鷹や隼)を、誰よりも人一倍こよなく愛している。

 いや、動物と共に生きている。というか、動物自体、美里さんの心身の一部であるように感じる。

 とても自分にはできないだろうなあ、と。人間的器量の大きさを感じます。

 

 というのも、人間を愛すること以上に、動物を愛することの方が、難しいように、自分は思うのです。

 勿論、人間も、感情を持った存在ですし、えてして、前後の見境が付かなくなることもあるでしょう。

 ですが、動物の方が、前後の見境が付かなくなるリスクはどうしても大きくなる。

 とはいえ、人間も、動物(そして植物)も、「命」を、「心」を授かっている存在である訳です。

 

 その意味で、動物をこよなく愛することができる人間は、人間を愛する、あるいは、愛おしく(いとおしく)感じることができるように、強く考える訳です。

 だから、美里さんは、素直に素敵だなあ、と思いますし、ある種の畏敬の念をも、強く感じる訳です。

 

 

 で、石橋美里さんを見て、自分が強く感じること。それは何か。

 「真実は小説よりも奇なり」。そう、自分には、ある2つの映像作品が、強烈なまでに頭をよぎった訳です。

 

 「風の谷のナウシカ」(映画版。東宝、徳間書店。1984年公開)。

 「獣の奏者エリン」(アニメ版。NHK教育。2009年放送)。

 

 この2つの映像作品は、もともと自分が好きな作品の一つです。

 まあ、アニメは基本、幼少時代からあまり見ないのですが、そのような自分が見る作品ということは、ある種の「メッセージ性」を、おぼろげながらにでも感じたから、ということなのでしょう。

 

 

 この2つの映像作品に共通すること。

 主人公が超がいくつも付くほどの動物好き。

 主人公の動物を愛する思いが純粋であること。

 しかし、主人公の動物を愛する思いを利用しようとする大人たちの陰謀により、主人公が過酷な運命を辿ることを余儀なくされて、それに懸命に立ち向かおうとすること。

 

 とりわけ、ナウシカは、映画版の公開は、1984年。自分が生まれた年です。

 で、美里さんが生まれたのは、恐らく、1994年(早生まれの場合、1995年)。

 そう、およそ10年のタイムラグ。美里さんは、ナウシカの生まれ変わりなのか。

 あるいは、美里さんは、ナウシカの魂を受け継いだ存在なのか。

 

 そう考えると、「ナウシカが、現実世界の日本にいるだなんて!」と、御世辞抜きにして、真顔で感じてしまうのです。考え過ぎ、あるいは、うがった考えかもしれませんが。

 だから、「真実は小説よりも奇なり」である訳です。

 

 

 で、ここで何が述べたいのか。

 ナウシカ、エリンが実現させようとしたこと。そして、美里さんが叶えたいこと。

 「人間と自然が共生し得る社会」。

 このことを、どうすれば、実現できるのだろうか、ということです。

 

 

 正直、このことについて、自分はあまりよくわかりません。

 ただ、一つ言えることは、自然と共生しようとする心を、どのくらいの人間が、持ち続けることができていただろうか、ということです。

 勿論、経済成長は、とても重要なことです。このことを、必ずしも否定するつもりはありません。

 ですが、経済成長以上に、大切なことがあるはず。

 そう、いわば、「物質的な豊かさ」ではなくて、「精神的な豊かさ」こそ、とても大切なことであるのではないか。そのように、自分は強く思うのです。

 

 「持続可能な社会」。「循環型社会」。

 自分自身、ずっと問い続けているテーマの一つです。

 どうすれば実現できるのか、難しい問題である訳ですが、手掛かり的なこととして、自分は、下記のようなことを、強く抱く訳です。

 

 

 「御互いを理解しようとする姿勢」。

 つまり、人間が動物を理解しようとする姿勢、ありのままの姿を受容しようとする姿勢。

 このことこそが、「人間と自然が共生し得る社会」を生み出すことになるのではないか、ということです。

 

 あなたはあなただからこそ素晴らしいんだよ。

 ありきたりな考えかもしれませんが、自分はそう考えています。

 で、「共生」とは、「共に生きる」ということである。

 奥深いことであり、今後も考え続けねばならないことであるのでしょう。

 

 

 それにしても、4月21日土曜日。Jリーグ1部の第7節。

 石橋美里さんが、鳥栖対新潟の試合前のイベントに登場します。

 で、それとほぼ同じときに、別会場にて、あるアイドルが登場する。

 このことが、ツイッターを中心に、物議を醸しております。

 

 「さいたまダービー」(大宮対浦和)に登場するのが、「乃木坂46」。

 「AKBグループ」の一翼であり、しかも、今回登場するのは、事実上の「2軍メンバー」と伺う。

 サッカーファンは、どうも強い違和感を抱く人間が少なからずいる感じですし(ブーイングや怒号を飛ばす云々で賛否両論状態)、自分も正直そうです。

 

 鷹匠の少女(石橋美里さん)。昇り調子のアイドル(乃木坂46)。

 ほぼ同じ日程で登場するのは、何かの示唆的な感じであるのか。

 そしてそれは、日本社会が、何かを問い掛けられているように感じる訳です。

 ある種、とても奥深い何かを。異なる価値観、世界観をじょ擁し得る精神を、投げ掛けられているのだろうか、みたいな。

 

 

 いずれにせよ、美里さんには、「人間と自然が共生し得る社会」を生み出す一助になり得る人間に、絶対になって欲しいと強く希求する、そして全力で陰ながら応援したいと強く思います。

 そしてまた、これから、あらゆる逆境を少なからず経験することになるかもしれませんし、大人の陰謀とかに巻き込まれることも起こり得るかもしれません。ですが、生きとし生けるものをこよなく愛する、純粋無垢な心を、ずっと持ち続けて欲しい。

 そうすれば、きっと、美里さんの「志」が叶うときがきっとくるはず、と強く思いますし、自分も、このことについては、一人の人間として、ずっと考え続けていきたい、と強く思います。

 

 

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

 

 

 末文になりますが、今回のエントリーに関係するリンクを貼っておきます。

 (今回は、ちょっと多めになっておりますことを、御了承下さい。)

 

 

 (1)石橋美里さんの画像をまとめたサイト「NAVERまとめ」。

 (http://matome.naver.jp/odai/2129134520887938001

 

 (2)石橋美里さんを取り上げている新聞記事、画像。

 (http://www.pref.saga.lg.jp/web/kensei/_1368/kou-kouhou/kouhousi/dayori/_8339/dayori1007/_47324.html

 (http://mytown.asahi.com/saga/news.php?k_id=42000001204050003

 (http://hismi.exblog.jp/17543971/

 (http://blogs.yahoo.co.jp/dyhmx639/11686820.html

http://www.nikkei.com/life/living/article/g=96958A88889DE3EBE3EBE1E5EBE2E2E3E3E0E0E2E3E2E2E2E2E2E2E6;p=9694E2E6E3E2E0E2E3E2EBE6E3E4

 (http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.2079836.article.html

 

 (3)石橋美里さんを取り上げている動画。

 (http://www.youtube.com/watch?v=UZMc2W848PI

 (http://www.youtube.com/watch?v=HZK2CY863XU

 (http://www.youtube.com/watch?v=24S_6pDd7JE

 (http://www.youtube.com/watch?v=u0hlux3EBgs

 (http://www.youtube.com/watch?v=zOhos64rlLc

 (http://www.youtube.com/watch?v=QKcsaENBwKg

 

 (4)Jリーグ1部、サガン鳥栖の公式HP(4月21日土曜日の新潟戦にて、石橋美里さんが登場するとのこと)。

 (http://www.sagantosu.jp/news_release/2012/04/007250.html

 

 (5)Jリーグ1部、大宮アルディージャの公式HP(4月21日土曜日のさいたまダービーにて、乃木坂46が登場するとのこと)。

 (http://www.ardija.co.jp/news/detail/2174.html

 

 (6)「風の谷のナウシカ」についてのウィキペディアの記事。

 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E3%81%AE%E8%B0%B7%E3%81%AE%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%82%AB

 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E3%81%AE%E8%B0%B7%E3%81%AE%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%82%AB_(%E6%98%A0%E7%94%BB))

 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E3%81%AE%E8%B0%B7%E3%81%AE%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%82%AB%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9

 

 (7)「獣の奏者エリン」についてのウィキペディアの記事。

 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8D%A3%E3%81%AE%E5%A5%8F%E8%80%85

 

 (8)「風の谷のナウシカ」、主人公の画像、「NAVERまとめ」。

 (http://matome.naver.jp/odai/2124633434279202462

 (http://matome.naver.jp/odai/2124633434279202462?page=2

 

 (9)「獣の奏者エリン」、主人公の画像、「NAVERまとめ」。

 (http://matome.naver.jp/odai/2126818324678606701

 (http://matome.naver.jp/odai/2126818324678606701?page=2

 

 (10)「獣の奏者エリン」についての感想が記されているブログサイト。

 (http://glossyleaf.blog8.fc2.com/blog-category-25.html

2012年

4月

13日

「一人のスポーツファンとして、競泳日本選手権について感じること。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第16回のブログエントリーの論題は、「一人のスポーツファンとして、競泳日本選手権について感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の15回目になります。 そして、その他スポーツのブログエントリーの1回目になります。

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 とりわけ、今回のブログエントリーは、「感じることをありのままに綴る」、いわば、ある種情緒的な感じの文章になるかもしれません。過激、あるいは感傷的な表現が少なからずあることを、何卒御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 2012年。4で割り切れる数字の年。そう、夏季五輪イヤーである。

 その意味で、陸上、競泳については、いつも以上に、観ることに熱が入る年である感じです。

 

 で、今回のメインテーマである、競泳の日本選手権。

 4月2日から4月8日までの7日間開催されました。

 

 競泳といえば、ここ数年間は、ANN(テレビ朝日系列)の事実上の独壇場状態。

 しかし今回の日本選手権で、第一印象的に強く感じること。

 

 「放映権がNHKであり、しかも最終日(8日)を除き、連日ゴールデンタイム(20時または19時30分スタート)での生中継であること。」

 

 というのも、今回の競泳の日本選手権。

 ロンドン五輪代表選考の、「一発勝負」の舞台である。

 泣いても笑っても、「歓喜」か「悲嘆」の二者択一に、否応でもなる。

 

 ああ、恐らく巨額の放映権料を支払ったんだな、と。穿った考えかもしれませんが。

 尤も、日本のメディアが、各種スポーツ中継に支払う放映権料は、他国のメディアに比して、ダブルスコアとも、それ以上ともいわれていますが(少なくとも、日本のメディアの放映権料で、IOCやFIFAの財政に大きく貢献していることは伺いますが)。

 

 

 かくいう自分も、大会期間中は、連日のように、テレビの前で一喜一憂。

 「やったー。」「おめでとう。」「うわー、くやしい。」等々。

 

 今回の競泳の日本選手権の場合、ある種とても厳しい基準が示されていました。

 

 「『派遣標準記録』(日本水連が独自に設定した、五輪本大会決勝進出ライン)を突破して、かつ、『全体2位以内』をクリアすること。」

 

 これはつまり、過去の実績がどれほど素晴らしかろうと、本番で0.01秒でも結果を出せなければ有無を言わさずアウト。逆に、過去の実績に乏しくとも、本番で0.01秒でもクリアできれば栄光の切符をつかめる。

 

 で、この「派遣標準記録」。日本水連が独自に設定した、「五輪本大会決勝進出ライン」であり、これは、「国際A標準記録」よりも、基本的に「1秒~1.5秒」程度速い記録として設定されています。

 よく、例えば陸上で、「国際A標準記録」を突破できれば出場、といわれますが、いわば、今回の日本水連の要求設定は、「国際S標準記録」を突破することが至上命題になる。

 冷静に考えれば、ある種えげつないハードルです。まあ、メダル量産のためには、それを突破してなんぼなのでしょうけれども。

 

 

 そこにあるのは何だろうか。

 幼いときからの「悲願成就」「自己実現」のための舞台。

 観ている人間に、「生きる希望」を与えるため。

 これだけ多額の放映権料を支払ってもらっているのだからという、「国家や社会の威信」。

 そして、スポーツに生きる人間としての、自分の全力を尽くすことを通しての、「復興のための一助」。

 考え得ることとしては、このような感じでしょうか。

 

 だから、自分自身、とても一喜一憂できるのかな、と思いますし、そして、多様な要素を、深く学び考えさせられる機会でもあるように、一人の人間、一人のスポーツファンとして、強く感じる訳です。

 

 そして、とりわけ、男子の競泳陣は、「打倒世界ビッグスリー」を叶えることが、事実上義務付けられている。「世界ビッグスリー」とは、誰のことか。

 

 

 マイケル・フェルプス(個人メドレー、バタフライ。27歳)

 ライアン・ロクテ(個人メドレー、背泳ぎ。28歳)

 アーロン・ピアソル(背泳ぎ。29歳)

 

 

 恐らく、読者の中で、競泳に詳しくなくとも、この3人(特にフェルプス)の名前は、聞いたことがあるのではないでしょうか。勿論、3人とも、世界記録保持者とか、あるいは世界記録経験者という、いわば、超がいくつも付くほどの「カンピオーネ」でしょう。

 

 その意味で、とりわけ、北島康介(平泳ぎ)への期待がひときわ強いのは、勿論、金メダルに最も近い存在であるからでもありますが、先述の「世界ビッグスリー」が、いずれも平泳ぎを当該種目としていないから(つまり、直接対決とならないから)、という要素が強いように思う訳です。

 

 勿論、個人的には、日本競泳陣のメダル量産のみならず、できることならば、「世界ビッグスリー」に勝っての金メダルを見てみたい。

 その意味で、入江陵介(背泳ぎ)は、ロクテ、ピアソルのいずれをも撃破することが求められる訳ですが、入江ならばできる、と自分は信じている訳です。

 

 

 で、今回の競泳の日本選手権で、とりわけ印象に残ったこと。

 

 

 (図解1)自分(愛球人)が考える、今回の競泳の日本選手権にて、特に印象に残ったこと。

 

 (1)第一人者の健在ぶり。

 北島康介(男子平泳ぎ)、入江陵介(男子背泳ぎ)、松田丈志(男子バタフライ)。

 

 (2)若手の飛躍。

 萩野公介(男子個人メドレー)、渡部香生子(女子平泳ぎ)、大塚美優(女子個人メドレー)。

 

 (3)実績に乏しかったが五輪切符を叶えた。

 松島美菜(女子平泳ぎ)、金田和也(男子バタフライ)。

 

 (4)あと一歩で五輪切符を逃した。

 酒井志穂(女子背泳ぎ)、古賀淳也(男子背泳ぎ)、金籐理絵(女子平泳ぎ)、瀬戸大也(男子個人メドレー)。

 

 

 それぞれにドラマがありますが、自分にとっては、(2)や(3)に該当する選手は、とりわけ「おめでとう!」という言葉が素直に出ましたし、(4)に該当する選手は、「うわー、くやしい。」というのが率直な思いです。

 とりわけ、男子個人メドレーは、「神童」の称号をほしいままにしてきた、萩野公介が、400mで日本新を叩き出し、200mをも含めて、2種目で優勝&五輪切符に歓喜の一方で、萩野の好敵手である瀬戸大也が、400mでも200mでも、「派遣標準記録」を突破しながら「全体3位」であったため五輪切符を逃したことは、ある種の不条理性を感じずにはいられませんでした。

 あるいは、女子平泳ぎの渡部香生子。若くして注目されて(まだ15歳、高校1年生)、重圧に押しつぶされそうになったかもしれませんが、だからこそ、女子200mで全体2位での五輪切符に、インタビューで思いが溢れ出て大粒の嬉し涙。自分も思わず涙がこぼれましたし、萩野をも含めて、五輪本番では、積極的に飛ばして欲しい、持てる全力を出し切って欲しい、と素直に強く応援したいと思う訳です。

 

 

 かくいう自分は、今年6月(8日~10日)に、大阪(長居)で開催される、陸上の日本選手権を、いずれか1日、生観戦したいと強く考えております。

 やはり、スポーツ観戦は、自分にとって、学ぶことが多いですし、ある種の精神的な栄養素的な感じがありますから。

 

 いずれにせよ、とても学び考えさせられることが多かった、今回の競泳の日本選手権でした。

 選手には、五輪本番で、持てる全力を出し切って欲しい、積極的なレースをして欲しい、と強く願っています。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

4月

04日

「2012年春、高校野球選抜大会総括における一考察。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第15回のブログエントリーの論題は、「2012年春、高校野球選抜大会総括における一考察。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の14回目になります。 そして、高校野球ブログエントリーの1回目になります。

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 とりわけ、今回のブログエントリーは、「感じることをありのままに綴る」、いわば、ある種情緒的な感じの文章になるかもしれません。過激、あるいは感傷的な表現が少なからずあることを、何卒御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 自分は、「サッカーファン」であることと共に、熱狂的な「高校野球ファン」でもあります。

 いやむしろ、あらゆるスポーツの中でも、「高校野球」は、自分にとって、「最も大好きなスポーツ」と言い切っても過言ではないでしょう。

 

 理由は正直、いくつも挙げ得るでしょう。ですが、とりわけ、自分が高校野球をこよなく愛してならない理由は、下記のことであるように思うのです。

 

 

 「高校球児、応援する高校生、そして監督やマネージャーをも含めた、『一途さ』『ひたむきさ』『一生懸命さ』『全力姿勢』に強く感動できるから。」 

 

 

 この思いを、正直強く抱く訳です。

 勿論、時として、唖然としてしまいそうなプレーがあったりもしますし、つまらない試合が、全くない訳ではありません。

 ですが、たとえ内容的に惨敗であるチームでも、応援したい、また是非観たい、そして素敵な人生の実現のための有意義な経験であって欲しい、と、どのような高校球児であれ、素直に応援したい、と強く抱く訳です。

 

 自分は、例えば、近年だけでも、08年、10年、11年の、選手権大会の決勝戦を生観戦していますが、生観戦は、言葉ではうまくいえないくらいの独特の感動を味わえるのです。そしてそれが自分自身のエネルギーにもなり得る、という感じがするんですよね。

 

 という訳で、今回は、2012年春、高校野球の選抜大会を、自分なりに総括する意味での考察をしてみたいと思います。

 

 

 (1)総論的考察。

 

 いわゆる「統一球」が導入されて2年目。確かに、総じて「ディフェンシブ(守備的)」な試合が多い印象を覚えましたが(31試合中、10得点以上で勝利した試合はわずか2試合、4得点以下で勝利した試合が11試合)、本塁打数が19本ということをも考えると、統一球を打つ技術を持っている人間は持っているのかな、という感じも正直抱きます。

 ただ、総じて印象的なのが、「守備力の向上」です。

 8強に進出した鳴門をはじめ、石巻工、早鞆、女満別、宮崎西、等々、いわゆる「進学校(文武両道の学校)」「公立高校」「地方の学校」でも、守備力では、名門校、強豪校と対等、いやそれ以上のレベルになれるんだ、ということです。

 

 この守備力の向上は、名門校にもいえることです。

 優勝の大阪桐蔭、準優勝の光星学院は勿論、4強の関東一、8強の横浜、そして特に印象的であったのが、組合せの不運もあって、16強で敗退した九州学院です。

 結果こそ16強でしたが、遊撃手の溝脇を軸とする、内外野の守備は、まさしく「鉄壁」でした。

 (女満別戦では4本、大阪桐蔭戦では7本もの、安打性の打球をアウトにした。故に女満別の完封負けは、とても可哀想としか言いようがない[波の守備力が相手ならば、女満別は3点は取れていたでしょう。])

 

 あるいは機動力。特に健大高崎の4強進出は、絶対的な「個」がいなくとも、卓越する持ち味を身に付ければ、甲子園の大舞台でも高いレベルで通用することを証明したといえますし、全国の高校球児を勇気づけたといえるでしょう。「一つでも先の塁を貪欲に狙う姿勢」は、観ていてとても清々しかったですし、サッカーでいう「ゴールに向かうプレー」、バスケットボールでいう「リングに向かうプレー」に相通ずる感じがして、自分も学ぶことがありました。

 

 「個」の力がなくとも、甲子園の大舞台で高いレベルで通用し得る意味では、8強入りした鳴門も然りです。

 2試合連続の延長サヨナラ勝ちがクローズアップされますが、「最後の最後まで諦めない姿勢」が、一球への執念としてあらゆるプレーに凝縮されていたことは勿論(打撃のみならず守備でも)、応援団の一体的な感じも、とても好感を覚えます。

 

 「個」の存在が、あまり多かったわけではないですが、特に「守備からリズムをつくる」野球の醍醐味を学ばせてくれる、それが、今春の選抜大会の総括としての特筆すべき要素である、と自分は考えます。

 

 

 (2)大阪桐蔭の優勝。

 

 大阪桐蔭の優勝は、自分自身、関西で生まれ育っていることもあり、なおさら嬉しい感じを抱きます。

 優勝の要因は、勿論、「エースである藤浪の卓越する個人能力と度胸の凄味」であることは大きいと思いますが、「打線の結束力」、そして「指揮官のモチベーターぶり」も、特筆に値するでしょう。

 西谷監督は、必ずしも「戦術家」という訳ではないと思います。ただ、選手のやる気を引き出す術は、絶妙のものがあるなあ、と。

 伝令のタイミング然り、選手を信じる姿勢然り。

 特に、決勝で活躍した小池。絶対的大砲である田端の負傷で、2回戦(九州学院戦)から4番に座りました。

 なかなか結果が出なかった。でも、辛抱強く4番で使い続けた。

 そしてその結晶が、決勝での大活躍(先制2ラン等)。これは、正直、なかなかまねできないでしょう。素直に頭が下がります。

 

 「打線の結束力」も特筆です。「フルスイング」なんだけど、決して「大振り」ではない。

 そして、「つなぐ姿勢」が伝わってくるんですよね。それも勝因かな、と。

 「仲間を信じる姿勢」。この大切さを、強く感じます。

 

 そして、大阪桐蔭のチアリーダー(ピンクの服)、特に新高3は、今回の選抜大会で、チアリーダーを引退します。理由は、大学受験の受験勉強に専念するためです。

 (大阪桐蔭は、近年、学びの意味でも、急速に偏差値や進学実績を向上させている。「国公立」や「関関同立」に多くの合格者を輩出している。)

 本当はもっとチアリーダーをやりたかったでしょう。ですが、いやだからこそ、選抜大会優勝という最高の結果で、そして最高の大舞台を経験できて、とても嬉しく思います。

 

 「おめでとう。そして、この有意義な経験を生かして、大きな志や目標に向かって生きて欲しい。」

 この思いを、強く抱きます。

 

 嬉しいですから、大阪桐蔭のチアリーダーの画像を、リンクを張らせて頂きます(朝日新聞のHPより)。

 

 大阪桐蔭のチアリーダーの画像。

 http://www2.asahi.com/koshien/localnews/OSK201204030043.html

 http://www2.asahi.com/koshien/gallery_e/view_photo_feat.html?localnews-pg/OSK201204030045.jpg

 

 

 (3)光星学院の今夏への課題。

 

 結論的に述べれば、「今夏こそ、東北勢が『深紅の大優勝旗』を絶対に叶えて欲しい!」という思いです。

 

 このことを叶え得る最有力候補が、昨夏から、光星学院(青森)であると思いますし、昨夏、今春と、2期連続準優勝ですが、昨夏よりも今春の方が、内容的には実り多い感じがするのです。

 勿論、「強打」が持ち味ではあるのですが、「守備力」も水準以上ですし、走塁意識も高いレベルにある。

 

 良くも悪くも、3番捕手の田村、4番遊撃手の北條の2人の中心打者の個人能力ありきでもあるかもしれませんが、田村、北條の2人、御世辞抜きにして、「野球IQ」の塊でしょう。

 状況、局面に応じて、「いま自分は何をすべきか」がよくわかっている。

 「つなぐ」べきか、「決める」べきかは勿論、守備での勝負どころでの集中力。北條については、3盗塁の機動力の高さも、特筆に値するでしょう。

 

 ただ、だからこそ、「田村、北條を最大限に活かす打順編成」、それが、今夏の悲願の「深紅の大優勝旗」を叶える絶対条件になるように、強く考える訳です。

 勿論、「選手層の底上げ」「投手陣の個人能力の向上」は言わずもがなですが。

 

 

 (図解1)光星学院において「田村、北條を最大限に生かし得る打順編成」とは。

 

 [1]「田村4番、北條5番」の場合。

 

 (1右・天久、2左・村瀬、3一・武田、4捕・田村、5遊・北條、6三・大杉、7二・城間、8中・木村拓、9投・金澤)

 

 個人的には、田村はチームの絶対的主砲ですから、4番にすれば「絵になる」と思いますが、その場合、「田村の前に走者を出す」「北條の後に有能な打者を置く」、この2つの両立が求められることになります。

 となると、田村の前に走者を置くには、中軸クラスの打者を置きたい。となれば、田村・北條の「2枚看板」に遜色ない打者が求められることになる。

 だから、「3番武田、6番大杉」。大杉は勝負強さを買ってのことです。

 ただ、そうなると、2番打者の底上げが求められるかな、と。ここでは村瀬を置きましたが、正直、ややハイリスク気味な感じも、正直抱きます。

 

 

 [2]「田村3番、北條4番」の場合。

 

 (1右・天久、2三・大杉、3捕・田村、4遊・北條、5一・武田、6二・城間、7左・村瀬、8中・木村拓、9投・金澤)

 

 個人的には、「深紅の大優勝旗」に拘るならば、少なくとも「現有戦力」に照らせば、上記の[2]の打順編成の方が望ましい、と自分は考えます。

 テイストとしては、「打者の有能性としての個人能力の順に並べる」という感じに近いですね。「上位打線偏重型」というリスクもありますけど。

 快足の天久を1番に、勝負強い大杉を2番にする。で、田村、北條の直後に、長打力がある武田を置く。

 そうすれば、「田村の前に走者を出す」「北條が敬遠されても得点力を落とさずに済む」ことを可能にし得る、と考える訳です。

 勿論、「田村・北條」の順序にするのは、チームで最も飛距離があるのが田村ですから、田村が敬遠されても、それとほぼ同等の打撃力の持ち主を直後に置いた方がよい、だから、「田村・北條」である訳です。

 北條は、飛距離こそ田村に若干劣りますが、勝負強さは、世代最高レベルを誇りますから。勿論、「野球IQ」を高く評価するからこそでもあります。

 

 

 (4)印象に残った高校。

 

 印象に残った高校は、正直いくつもありますが、2つの観点から、取り上げたいと思います。

 

 [1]卓越する能力、戦術面、あるいはひたむきさ等で印象的なチーム。

 

 健大高崎(4強進出、準々決勝までの3試合で16盗塁の圧倒的な機動力。絶対的な「個」、あるいは長打力がなくとも、卓越する能力がチームとして1つでもあれば、全国の大舞台でも高いレベルで通用することを証明した。)

 関東一(守備力の高さ。特に外野は守備範囲が広い。打撃でも粘り強いつなぎの姿勢がにじみ出ていた。)

 鳴門(2試合連続延長サヨナラ勝ちに象徴される、「絶対に最後の最後まで諦めない姿勢」。捕手の日下を軸とする守備の堅さも特筆。8強進出、是非とも今夏も甲子園に出場して欲しい。)

 九州学院(16強敗退に終わったが、遊撃手の溝脇を軸とする「鉄壁の守備」はまさしくプロ顔負け。「頭脳的野球」の可能性を強く感じる印象深いチーム。もともと強打が持ち味のチームだが、そう攻守にバランスが取れるチームへと成長した感じ。今夏が楽しみ。)

 

 

 [2]応援面で印象的なチーム。

 

 宮崎西(県内最高峰の進学校。「文武両道」を地で行く学校であり、野球部も少なからず活動に制約があると伺うが、特に守備力の高さは特筆に値する。3安打完封負けの打撃面は課題ではあるが、「宮西」の鮮やかな人文字、そして一糸乱れぬ声出しは、名門校顔負けの「気持ちの強さ」「結束力」を感じる。あらゆるところで「頭脳性」「知性」を感じる。絶対に今夏甲子園に帰ってきて欲しい!と最も強く感じる学校。)

 智弁学園(応援の質では、さすが他の追随を許さないだけある。特に、勝負どころになると応援のボルテージを一気に上げるところは、智弁の応援団は、まさしく「10人目の選手」さながらであり、1回戦の早鞆戦の4番小野の逆転3ランは、まさに「応援の力」が導いたように映る。今夏は、智弁和歌山との「姉妹校同時出場」を是非とも叶えて欲しい。あと、余談だが、ツインテールの女子生徒が少なからずいたのが、彩りを添えていた感じ。)

 石巻工(結束力ある応援は、観る者の心に強く響いたであろう。個人能力の拙さ歯課題だが、守備力は高いレベルにあるので、機動力を磨いて、是非とも今夏甲子園に帰ってきて欲しい。)

 大阪桐蔭(これまでの大阪桐蔭は、応援時の選曲の拙さに、正直もったいなさを覚えていたのだが、選曲が格段に向上して[全体的に弾む感じになった]、そしてチアリーダーの活力が彩りを添え、士気を高めるのに大きく寄与した感じ[そして余談だが確かにかわいい]。チアリーダー、新高3、今春の選抜大会で引退とのことだが、感動的な経験ができて、素直に「おめでとう」と思うし、今後の人生において、大きな「志」「目標」に向かって生きて欲しい、と強く思います。)

 

 

 (5)印象に残った選手。

 

 今回は、新高3のみを対象に記します。ドラフト的観点全開であることを、御理解頂けると有難く思います。

 

 [1]藤浪晋太郎(大阪桐蔭)

 評価(競合1位)

 具体的寸評(球威抜群。2010年に春夏連覇を叶えた島袋[興南→中大]よりも凄い。体格の割に制球力も水準以上。NPBでも即戦力。200勝投手を目指して欲しいと本気で抱く選手。)

 

 [2]田村龍弘(光星学院)

 評価(1位)

 具体的寸評(打撃は技術も破壊力も高次元で兼備。「打てる捕手」として、城島の後継者になり得る。捕手としても、インコースを積極的に突く等、まさに非凡。肩も水準以上。あとは投手への声掛けを磨いて欲しい。)

 

 [3]北條史也(光星学院)

 評価(外れ1位~2位)

 具体的寸評(走攻守に高水準を兼備し得る遊撃手。特にシュアな打撃が持ち味。守備も高いレベルにあるし、3盗塁で走塁が非凡であることを証明。勝負強さも特筆。)

 

 [4]萩原英之(九州学院)

 評価(2位)

 具体的寸評(藤浪との「力と力の対決」は見応え充分であった。フルスイングにしてコンパクト。守備力も向上しており、将来性の高さを感じる。)

 

 [5]溝脇隼人(九州学院)

 評価(2位)

 具体的寸評(バットコントロール、走塁技術も非凡だが、卓越するのは守備。特にポジショニングはまさに「牙城」そのもの。守備だけならば既にNPBでもハイレベル、即戦力。打撃力を上げればNPBでも息長く主力を張り得る。)

 

 (6)濱田龍郎(愛工大名電)

 評価(1位)

 具体的寸評(球威は力感がある。球質が重い感じ。変化球を磨けば、早いうちの1群も充分あり得るかも。)

 

 

 いずれにせよ、とても感動的な、今春の高校野球選抜大会でした。

 そして、今夏の高校野球選手権大会も、楽しみにしたいと強く思います。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

3月

31日

「2012年春、復興支援と向き合う過程で、現時点で率直に感じること。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第14回のブログエントリーの論題は、「2012年春、復興支援と向き合う過程で、現時点で率直に感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の13回目になります。 そして、復興、社会貢献ブログエントリーの7回目になります。

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 とりわけ、今回のブログエントリーは、「感じることをありのままに綴る」、いわば、ある種情緒的な感じの文章になるかもしれません。過激、あるいは感傷的な表現が少なからずあることを、何卒御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 「『笑顔』『思いやり』『向上心』に満ち溢れる社会を生み出す人間に、自分は絶対になりたい。」

 

 この思いが、自分が、微力ながらでも復興支援活動に参加する過程で、いろいろと熟考しながら、現時点で強く抱く思いです。

 具体的な方法論、アプローチは、現在模索中ですが、自分としては、「笑顔」「思いやり」「向上心」こそ、心の底から追い求めていることではないのか、と思うようになりまして。

 現時点では、教員、NPO・NGO、あるいは、警察官(事務職員を含む)のいずれかを視野に、できれば今年の秋口くらいには方向性を見定めたい、と思っていますが。

 

 「笑顔」は、笑顔ほど素敵なことはない、笑顔を大切にできれば、人間も社会もいくらでも成長できると思うし、本当の「幸せ」とは、「笑顔」なくしては考えられない、と思うからです。

 「思いやり」は、優しい心を大切にできれば、辛い思いをしている人間がいつか前を向くことができるのではないか、つまり、涙を笑顔に変える力が、優しい心にはある、と思うからです。

 「向上心」は、人間は学び成長し続ける存在であると思うので、絶えず学び続ける姿勢を大切にできれば、そして、もっと成長したい、という思いを持ち続けられれば、人間はそれだけ成長できるから、そしてそれが社会に活力をもたらす原動力になる、と思うからです。

 

 だから、自分は、「笑顔」「思いやり」「向上心」、この実現のために、自分の持てる力を捧げたい、と強く考える。

 とりわけ、「笑顔のために生きたい」と強く考える訳です。いやむしろ、「笑顔のために生きたい」という思いが、激しい心の叫びとして湧き上がってならない訳です。

 

 

 尤も、自分としては、昨年9月から本格的に復興支援活動に参加するようになってからの、この半年間、いままでにない経験や出会いの連続でした。

 特に石巻、南三陸での2週間は、「1日が1か月に感じる」くらいの充実ぶりでしたが(尤も、石巻での現地活動自体は不完全燃焼感が拭えませんが…)、いずれにせよ、その後も含めて、強い濃密感を、ひしひしと実感する訳です。

 

 ですが、自分としては、今年の「3・11」にて、「JASP in FUKUSHIMA」に参加させて頂いて、その後大阪に帰って、自分なりに、復興支援活動への参加を通して学んだことを、整理し直してみようと考えていたのですが、3月末には「点と点を線にする」ことを目標にしていたのに、遅々として進まず、ほとんどできていません。

 ですから、恥ずかしながら、まだまだ仮説的な感じから抜け出せずにいる感じです。

 

 

 現地(自分の場合、主として福島)、関東、関西、そして地方(徳島、広島、宮崎等)、それぞれ立場や考え方は異なるけど、復興支援、そして社会貢献に強い情熱を抱く仲間にたくさん出会えて、有形無形の刺激を得て、どれほど感謝してもしきれない思いである訳です。

 自分の「人間としての引き出し」の乏しさ、とりわけ、考えの一面性とか、利他的な精神とはどういうことかとか、仲間との出会いで実感し、そして学ばせて頂いている感じである訳です。

 

 だからこそ、課題も少なからず挙がっている感じでもあります。

 自分にはない考えや持ち味を持っている素敵な仲間と、もっといろいろなことを語り合い交流したいと強く思う。

 あるいは、本来軸に置くべき学業。1回目の大学時代に比して考えると、現在の自分は、科目やテキストを「こなしている」感じが少なからずあるのではないか。深く突きつめたいという自分の本来の志向が、どれほどできているのだろうか、と考えさせられるのです。

 

 そして、仲間との出会いを通して、強く実感すること。

 「違いを認め合う」。「本音で向き合う(ぶつけ合う)」。

 このことを、自分は本当は強く希求し続けてきたんだ、と気付かされるのです。

 

 そして、「違いを認め合う」「本音で向き合う」、このことを、肝心の自分自身が、今までそれから無意識的に逃げてきたのではないか。

 そしてまた、この素敵な出会いを、もっと深めていきたい。だからこそ、逃げずに真正面から仲間と向き合って生きたい、と強く欲する訳です。

 そのためには、結局のところ、「学び成長し続ける姿勢」、つまり「自己研鑽」こそが重要になるのかな、と強く感じる訳です。

 

 

 で、自分自身が、現時点で強く感じていること。

 何を以て、「復興」といえるのであろうか。

 

 勿論、「経済的復興(都市の復興)」「精神的復興(心の復興)」の重要性は言わずもがなです。

 とりわけ、自分自身、「精神的復興」は、自分自身、息長く取り組みたいテーマです。

 

 ですが、それ以上に、「本当の復興」というのは、「社会的復興」ではないかと、自分なりに復興支援と向き合う過程で、特にここ最近感じるようになっているのです。

 この場合、「3・11」以前よりも、より一層「希望」に満ちる社会、というイメージでしょうか。「笑顔に満ち溢れる社会」の実現、それが、自分が現時点で考える「社会的復興」であるように考える訳です。

 尤も、まだ仮説的な考え、感覚に過ぎませんけれども、自分の中では、この思いが、強く湧き上がってくる感じなんですよね。

 

 ただ、マイケル・サンデルさんが「ポストモダンの開幕」、半藤一利さんが「第2の敗戦」と形容した、「3・11」の意味、これを自分なりに解釈し、そして深く考え向き合うことが、自分としては求められているように、自分は感じる訳です。

 

 

 自分自身、将来的には、東北で骨を埋めたい、という思いが、日々強くなっています。

 どのような方向に進むか等にもよるかなと思いますが、できることならば、震災という逆境を乗り越えて、あの逆境以前よりも素敵な社会を生み出す、その一助に、自分は絶対になりたい、と強く考える次第です。

 とりわけ、「子どもの笑顔」のために自分は生きたい。このことを、強く抱く次第です。

 そして、息長い躊躇気的な復興支援、そして社会貢献を、改めて強く心に誓う思いです。

 

 

 今後も、折に触れて、復興、社会貢献ブログエントリーを、自分なりに考察したい、と強く考えております。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

3月

28日

「2012年J1序盤戦、ガンバ大阪の崩壊及び再建における一考察(その4)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第13回のブログエントリーの論題は、「2012年J1序盤戦、ガンバ大阪の崩壊及び再建における一考察。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の12回目になります。そして、サッカーブログエントリーの4回目になります。

 今回は、掲示版とのコラボエントリーの3回目、という位置付けです。今回は、「議論するエントリー」と「感じることを伝えながら読者と意見交換をもしたいエントリー」の中間型という位置付けになるかなと思います。

 今回は、とても長い文章になるので、(その1)(その2)(その3)(その4)に分割して執筆させて頂きます。

 

 ブログ本体については、コメント欄は設けません。その一方で、読者との議論、意見交換的な意味付けとして、掲示板にてコメント欄を設けさせて頂く感じです。

 私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、(その3)の続きから、考察を始めます。

 恐らく、主観全開になるであろうことを御理解頂けますと、とても有難く思います。

 

 

 (その4)では、自分なりの「4つの処方箋の選択肢」を、示してみたいと思います。

 できれば、(その3)の(図解11)にて示した、「現有戦力の望ましい起用法」を併せて参照して頂けると、とても有難く思います。

 

 

 (図解12)2012年G大阪理想布陣(その1)。

 (「西野スタイル」の「深化的継承」を追い求めるならば。)

 システム(4-4-1-1)

 監督(松波正信)

 

                              ラフィーニャ

                             (川西、佐藤晃)

             李昇烈

            (星原、阿部浩)

      阿部浩                                 倉田

     (二川、倉田)                         (寺田紳、武井)

             遠藤               内田達

            (内田達、倉田)         (武井、丹羽)

 藤春          今野               丹羽          加地

(沼田、横谷)     (内田達、中澤聡)        (金正也)    (横谷、武井)

                     木村敦

                    (藤ヶ谷)

 

 

 (図解12)のイメージは、浦和がフィンケ政権時代にしばしば用いられた、「4-4-1-1」です。

 この布陣の特徴は、2列目のMFを左右非対称型にすることにより、中央でもサイドでも多様な崩しの引き出しを具現化し得る、そしてトライアングルを駆使する流動的な攻撃を可能にする特性があります。

 実際、浦和は、例えば10年天皇杯準々決勝でのG大阪戦でこの布陣を採用しました(結果はG大阪が勝ったが)。

 

 「西野スタイルの深化的継承」は、「4-4-1-1」がベストである、と自分は考える訳ですが、この鍵は、上記の布陣の特性である、各ポジションの明確なタスクであるように思うのです。

 

 

 (図解13)図解12における各ポジションの主たるタスク。

 

 「(1)CF(裏への飛び出し、足下でのポストプレー、前へ向ける屈強さ、前線からの守備意識、攻守両面での献身性と思い切り。故に最適任はラフィーニャ。裏への動きを得意とする川西も面白い。)

 (2)SS(最大限の戦術的自由、攻撃における流動的な動き。創造性、仕掛け、シュート意識の兼備が求められる。イメージ的には「デルピエロ的スタイル」。浦和では達也がこの役割を担っていた。最適任は李昇烈。李昇烈をCFに回して、2トップの一角として星原、阿部浩を起用するのも一案かもしれない。)

 (3)左MF(OHとSHの資質を50対50で兼備するイメージ。左に張るのではなく、むしろ中央寄りに構える。創造性、仕掛けの兼備が求められる。いわば「トレクアルティスタ的資質」。そして、ピッチ狭しと流動的に動くことも求められる。若手起用に照らして阿部浩を推すが、二川、倉田も対応可能であろう。)

 (4)右MF(右サイドに構えるが、純粋なサイドアタッカーというよりは、トップ下的な資質をも兼備していることが望ましい。つまり、ドリブラー的な資質に最大限の重要性を置きつつも、状況に応じて中央や左へのポジションチェンジを精力的にできる、そして攻守両面での献身性と思い切りの兼備が求められる。最適任は倉田、あるいは寺田紳。献身性重視ならば武井、横谷。スピードスター的な起用として星原、あるいは創造性重視で阿部浩の起用も一案かも。)

 (5)左CH(レジスタ的役割。ブラジルでいう「第2ボランチ」。勿論、最適任は遠藤であるが、遠藤の不在時は、内田達、あるいは倉田の今日も一案かも。)

 (6)右CH(ブラジルでいう「第1ボランチ」。つまり守備重視、あるいは「アンカー的役割」。ボール奪取、運動量、スピード、読みの兼備が望ましい。イメージ的には、デロッシやファン・ボンメル。組み立てや将来性重視で内田達を推すが、運動量やボール奪取ならば武井も適任である。)

 (7)左SB(攻撃型を充てるのが望ましい。左MFが中央寄りに構えるので、左サイドを斬り裂き積極的に仕掛けるプレーが求められる。藤春と沼田を競わせたい。横谷をここで試すのも一案かもしれない。)

 (8)右SB(左SBが攻撃型、右MFがサイド寄りに構えるので、右SBにはバランス型を充てたい。ただし局面に応じて積極的に仕掛けることをも求められるかと。加地が最適任ではあるのだが、世代交代に照らして、武井、横谷をも積極的に起用して欲しい。加地の後継者育成こそ、現在のG大阪の最重要命題と強く考える。)

 (9)左CB(「ラインコントロール」及び「低い位置からの組み立て」を担う「守備の軸」。主たるタスクは「読みを活かすカバーリング」になる。再適任は今野だが、今野不在時は内田達がベスト。組み立てを考慮すれば金正也も一案かも。)

 (10)右CB(左CBは「読み」重視なので、右CBには主として「高さ」「強さ」が求められるかと。その上で、「スピード」「パスカット」を兼備し得ることが望ましい。その意味で、再適任は丹羽と考えるが、金正也も積極的に起用して欲しい。勿論、経験豊富な中澤聡も一案ではある。)」

 

 

 上記はあくまでも私見ですが、よく、GK(藤ヶ谷)の不安的感が指摘されますが。個人的には、ためしに木村敦を積極的に起用して欲しい、とは正直感じます。これまで出場機会に恵まれていませんが、「サッカーに向き合う姿勢」はチームでも人一倍と伺いますし、木村敦を正GKにすれば、チーム全体が「いつもひたむきな彼のためにも」と一丸になり得ると思うので、一つの有益な方法ではないか、と自分は思うのです。

 

 

 で、ここで、何故「4-4-1-1」を、処方箋の再適任布陣と考えるのかといえば、2つの理由があります。

 第一に、現有戦力において最適の布陣と考えるから。

 第二に、「西野スタイルの深化的継承」を最も具現化し得る布陣であるから。

 このことを、強く考える訳です。

 

 尤も、「西野スタイル」を愚直に継承するならば、右MFに武井(昨季に橋本英的な役割を担い結果を出した)、第1CHに内田達が望ましいでしょう。そのように考えると、(図解12)で示した布陣は、「西野スタイル」よりもさらに攻撃的に振る舞う方向性、それが主たる意図である訳です。

 トレクアルティスタ型(二川、阿部浩)、ドリブラー型(倉田、寺田紳)をバランスよく擁しているので、その意味でも、「4-4-1-1」こそ、現有戦力(特に2列目のタレント、そして遠藤)を活かし得て、そして「西野スタイルの深化的継承」を具現化し得る、と強く考える訳です。

 

 というのも、「西野スタイル」では、2列目のMFが、2人とも中央に寄る傾向が少なからずありました。これだと、コンパクトネスを強調することはできますが、ピッチ上に描くデザインはどうしても小さくなる。

 ですが、(図解12)のスタイルならば、2列目のMFのうち1人がサイドに寄ること、2トップの一角が1・5列目に構えて最大限の戦術的自由が付与されること、そして、2トップ及び2列目の選手、つまり4人の攻撃陣が、ピッチ狭しと流動的にポジションチェンジを繰り出すことで、攻守両面における遠藤の負担軽減を具現化し得ることにより、中央からもサイドからも崩しを機能させ得る、「多様な崩しの引き出し」を具現化させることができるように、強く考える訳です。

 

 個人的には、FWの一角には、2トップであれ3トップであれ、日本人FWを起用すべきである、と強く思っています。その意味で、現有戦力で最適任なのは(川西が故障で夏場まで起用できないこともあるが)、星原であるように考える訳です。

 良くも悪くも「スピードスター」であり、本能でプレーする傾向が強いように思いますが、つぼにはまったときの切れ味は目を見張るものがある。ベストの起用法は、3トップの両WGであるように思いますが、2トップの一角でも、例えば、永井謙(名古屋)、大久保(神戸)的な感じでの起用は、充分可能でしょう。

 これまでは、度重なる故障もあり、長く不遇のときを余儀なくされてきましたが、前線からの守備意識も旺盛で、裏への意識もある。今季のプレシーズンでは好調であったこともあり(だから自分は、星原が開幕ベンチ外であったことに、正直少なからず驚きを感じていた)、少なくとも今季は、中長期的ビジョンに照らしても、星原にできるだけプレータイムを付与して然るべきであるように、自分は強く考える訳です。

 

 

 (図解14)2012年G大阪理想布陣(その2)。

 (「3トップ」を基礎とする超攻撃型を志向する場合。)

 システム(4-3-3)

 監督(松波正信)

 

                     ラフィーニャ

                    (川西、佐藤晃)

 李昇烈                                     阿部浩

(星原、寺田紳)                              (倉田、星原)

             遠藤               二川

            (阿部浩、倉田)         (倉田、寺田紳)

                     内田達

                    (武井、丹羽)

 藤春          今野               丹羽          加地

(沼田、横谷)     (内田達、中澤聡)        (金正也)    (武井、横谷)

                     木村敦

                    (藤ヶ谷)

 

 

 (図解14)にて示した、「第2の処方箋」は、「3トップ」を強く志向することを基礎とする、「超攻撃型」を前面に押し出すことをテイストとしております。

 また、遠藤と二川(阿部浩)を2OHとして共存させることを通して、支配力やポゼッションを高めることも、強く志向している要素の一つです。

 あるいは、(図解12)だと、トレクアルティスタ型である二川と阿部浩の同時起用には、相応の工夫が必要になりますが、上記の(図解14)だと、阿部浩はアタッカー的要素を兼備しているので、二川と阿部浩の同時起用を考慮する場合には、有益な方法であるように考えられます。

 

 ここでの最大のポイントは、3トップの人選です。純粋な3トップを志向する場合、CFはラフィーニャ、そして李昇烈は左WGの方が望ましいように思うのです(ドリブルが得意な感じなので、PAにカットインしやすい意味では左に置いた方が活きるかと)。

 つまり、ある種の鍵を握るのは、右WGになる。(図解14)では、阿部浩を置きましたが、誰をここに配するかで、志向する戦術に変化を付け得る意味でも、重要ポジションであるように考える訳です。

 

 第一に、純粋なFWを起用する場合。この場合、星原になります。スピード型、あるいは点取り屋型の要素を強く備えているので、「超攻撃型」を前面に押し出す意味では、うってつけの人選でしょう。

 第二に、ファンタジスタを起用する場合。この場合、阿部浩になります。阿部浩は、本質的にはトレクアルティスタ型であると繰り返し述べてきましたが、SS、あるいはWGの要素をも兼備している。二川のように、純粋に「つくる」に特化しているというよりは、むしろアタッカー色が強いので、上記の(図解14)における右WGは、うってつけのポジションといえるでしょう。

 それに、阿部浩の起用ならば、左の李昇烈がSS型、右の阿部浩がOH型なので、崩しに変化を付け得ることができる。その意味でも、面白い起用になり得ると考える訳です。

 第三に、ドリブラーを起用する場合。この場合、倉田、寺田紳になります。共に、移籍を経験する過程で、攻守両面での献身性と思い切りを兼備し得る選手に成長していますので、ドリブラー型を起用するならば、右の倉田(寺田紳)はぺぺ、左の李昇烈はヴチニッチ的な役割になり、これも攻撃に変化を付ける有益な方法であると考えます。

 

 その意味で、「4-4-1-1」と共に、「4-3-3」も、「G大阪再建の処方箋」の有意義な選択肢になり得ると強く考える訳です。

 

 

 (図解15)2012年G大阪理想布陣(その3)。

 (手持ちの日本人MFを最大限に共存させることを強く志向する場合。)

 システム(4-2-1-3)

 監督(松波正信)

 

 

                     李昇烈

                    (ラフィーニャ、川西)

 阿部浩                                      倉田

(星原、寺田紳)                            (寺田紳、阿部浩)

                     二川

                    (阿部浩、倉田)

             遠藤               内田達

            (内田達、倉田)         (武井、丹羽)

 藤春          今野               丹羽          加地

(沼田、横谷)     (内田達、中澤聡)        (金正也)    (武井、横谷)

                     木村敦

                    (藤ヶ谷)

 

 

 (図解15)にて示した、「第3の処方箋」は、「日本人MFを最大限に共存させる」ことありきの布陣です。

 これは、勿論、現有戦力の持ち味の一つが、MF陣のタレントの豊富さであること、そして、「西野スタイル」の骨格は、「黄金のMF」(遠藤、橋本英、二川、明神)であったことが、大きく影響しています。

 つまり、「西野スタイルの深化的継承」を、「中盤の支配力向上」に求める意味では、(図解15)は、有益な方法であるように、強く考える訳です。

 

 (図解15)では、「4-2-1-3」を示しましたが、これについては、「4-3-3」でもよいと考えております。主たるテイストは、MFのタレント、とりわけ2列目の選手の個性を最大限に生かしそして融合させることを通して、「ガンバスタイルの深化」を具現化させることですから。

 2CHの場合、自分は、レジスタ役に遠藤、アンカー役に内田達が望ましい、と繰り返し述べてきました。この場合、2列目は、二川、阿部浩、倉田、寺田紳の4人の中から3人、ということになる。

 (図解15)では、OHに二川、右に倉田、左に阿部浩としました。2列目の中央は、「つくる」ことに特化する意味では、二川が最適任と考えるからです。

 ただ、世代交代、若手積極起用を最重要視する観点に照らせば、OHに阿部浩、左に倉田、右に寺田紳が望ましいのかな、とも考える訳です。「トレクアルティスタ1枚+ドリブラー2枚」という形になりますから。

 「4-3-3」の場合、2OHを遠藤、二川、アンカーに内田達を想定する訳ですが、この場合、両WGは、左に阿部浩、右に倉田(寺田紳)のイメージです。阿部浩を2OHの一角に入れる場合は、左に倉田、右に寺田紳、でしょうか。

 

 個人的には、WGの一角に星原を入れる方法も、面白いと思うのです。例えば左に入れるならば、OHに阿部浩(二川)、右WGに倉田(寺田紳)とすれば、「スピードスター」「トレクアルティスタ」「ドリブラー」という異なる個性が2列目に並ぶので、それだけ攻撃に変化を付け得るのではないか、と。

 というのも、星原のナチュラルポジションを考えれば、左WGかなと思いますから、それも一案ではないかな、と。ただ、先程から星原について言及するのは、「日本人FW育成なくしてG大阪再建なし」、この観点から推している感じなんですよね。なので、星原をWGで起用する場合は、FW的なタスクを理解させることが肝要かなと考える訳です。

 

 いずれにせよ、G大阪のチームカラーとして、「中盤の支配力」、これは素敵な伝統の一つと思う訳です。ですから、「日本人MFの最大限の共存、融合型」を重視する方向性も、一つの有益な処方箋ではないか、と考える訳です。

 

 

 (図解16)2012年G大阪理想布陣(その4)。

 (遠藤不在時の対処法としての布陣。)

 システム(4-1-3-2)

 監督(松波正信)

 

             李昇烈              星原

            (ラフィーニャ)         (川西、佐藤晃)

 倉田                  阿部浩                 寺田紳

(阿部浩、寺田紳)           (二川、倉田)           (倉田、武井) 

                     内田達

                    (武井、丹羽)

 藤春          今野               丹羽          加地

(沼田、横谷)     (内田達、中澤聡)        (金正也)    (武井、横谷)

                     木村敦

                    (藤ヶ谷)

 

 

 (図解16)にて示した、「第4の処方箋」は、「遠藤不在時の対処法」としての布陣です。

 

 個人的には、遠藤不在時の場合、いずれはレジスタとして、現有戦力ならば内田達にそのような存在に育てることはできないか、ということを、先述しました。

 これは、C大阪が、扇原がレジスタとして成功していることから、着想を得ています。

 というのも、扇原は、もともとはCB、あるいは左SBの選手でした。組み立て能力ならば、ユース自体から特段優れている訳ではなかった。むしろ、人への強さに優れている選手でした。それが今や、レジスタとして高く評価されている。

 で、内田達は、統率力や読みの鋭さが持ち味ですが、低い位置からの組み立ても、水準以上の質の持ち主です。ですから、資質能力的には、内田達はレジスタ的な潜在能力があるように考える訳です。

 

 尤も、できることならば、内田達は、いずれは守備の軸を張り得る存在になれれば、という思いも、正直強くあります。ですが、現実論として、G大阪の守備の軸は、よほどのことがない限り、少なくとも3年スパンで考慮すれば、今野になる(というか、そうできなければ大問題。勿論、今野がそれ相応の「パーソナリティー」の持ち主であることの証明が求められるし、そうであって欲しいと強く願うのだが)。

 アンカー、つまり、「ファン・ボンメル的役割」に内田達を強く推すのは、CBとして培った「読みの鋭さ」「ボール奪取」、そして「低い位置からの組み立て」を兼備し得る、その意味でアンカーに最適任、と考える訳です。そして、遠藤、今野、内田達と、「組み立て役」を3人同時起用できれば、それだけおのずと支配力を向上できる、つまり、G大阪の生命線である「ポゼッション」、つまり「根っこのフィロソフィー」の深化を具現化し得る、という考えからです。

 アンカー役ならば武井も勿論有能ですが、組み立てを重要視する観点から、内田達を推してきた訳です。

 

 で、現有戦力で「遠藤の後継者」になり得るとすれば、実質的に唯一の適任者は、内田達になる、と述べてきました。倉田も可能かもしれませんが、むしろドリブラー的資質として開花した感じですから、レジスタ再転向はむしろ、せっかく開花した持ち味を減退させかねないのではないか、と(そしてチームスタイルをゆがめることになりかねないという意味でも)。

 とはいえ、内田達をレジスタ起用するとなると、どうしてもテイストが、やや守備寄りにシフトする感じが否めない。尤もこれは、攻守のバランスの向上という意味でもあると思う訳ですが。

 「第4の処方箋」として「4-1-3-2」を示したのは、「2CH」あるいは「レジスタ」を置くことに固執すべきではないのではないか、遠藤の代役を探すよりも、手持ちの選手を活かす、そして志向するチームスタイルを貫くことこそが大切ではないか、という考えが強くあります。

 

 

 「布陣は手持ちの選手に応じて決められるべきである。」

 この言葉は、エメ・ジャケ(元フランス代表監督。98年W杯にて、フランス代表を優勝に導く)が、05年の年末に、WSDのインタビューの一節にて述べた言葉です。

 

 自分は、この考えは、一つの真理であると強く思いますし、強く共感できるのです。

 というのも、自分は、「Jの有力クラブ(ACLトロフィーをコンスタントに叶え得るクラブ)たるもの、『自分たちの確固たる揺るぎないサッカースタイルの構築及び具現化』が絶対不可欠である。」という持論を強く抱いております。今回のG大阪の崩壊及び再建における考察のエントリーでも、この考えに基づいて考察を進めてきました。

 

 そしてまた、「選手、布陣、スタイル(戦術)の3つの要素が、それ相応の整合性gとれていることが求められる。」ということも、自分の持論の一つとしてあります。

 ですから、「自分たちの志向するサッカースタイル」と「手持ちの選手の資質能力」が、相応の合致がとれていることが望ましい。

 そして、G大阪の場合、その合致性が、西野朗政権時代はとれていたけど、セホーン政権(というか、今冬の移籍市場による補強戦略の稚拙性によるところが大きいと自分は考えているが)でとれなくなってしまい、故に崩壊した、このように自分は考える訳です。

 ですので、「4つの処方箋」として示した方法論は、いずれの方法論でもよいのですが、「志向するサッカースタイル」と「手持ちの選手」の整合性に照らして可能な処方箋(故に貢献度の高い選手を意識的に何人か構想から外したのはそのためでもある)ということで、自分なりに示した感じです。

 

 

 で、(図解16)ですが、「遠藤不在時の処方箋」としては、「レジスタ役」を置かずに、むしろ「2列目のタレントを最大限に共存させる」ことに比重を置くべきではないか、その方が「アクションスタイル」「支配力向上」「高速ポゼッション」「攻撃の流動性」を具現化し得る、と強く考える訳です。

 そこで考える2列目の組み合わせが、右から3人の配置として、「倉田、二川、阿部浩」または「寺田紳、阿部浩、倉田」という訳です。ここでの主たるキーマンは、2列目の中央、つまり「トレクアルティスタ(OH。10番)」の役割を担う選手、ということです。中長期的ビジョンに照らせば、OHに阿部浩を置き、右の寺田紳、左の倉田と共に、積極的にポジションチェンジしながら、中央からもサイドからも崩していく、というイメージです。

 2トップの一角に星原を置いたのは、FWの一角には絶対に日本人FWを起用すべきである、という考えに根差しております。

 

 ですが、遠藤を起用する場合でも、(図解16)のような「4-1-3-2」は可能である、と考える訳です。いやむしろ、遠藤を最大限に輝かせるからこそ、「4-1-3-2」は有益な方法になり得る、と考える訳です。

 この場合、1CH(アンカー)が、影のキーポジになるように考えられる訳ですが、内田達であれ武井であれ、運動量とスピードを兼備し得る資質の持ち主である。「日本版ヨンアピン」になり得るのではないか、と自分は強く考える訳です(尤も、ヨンアピンは今季は清水でCBを担っていますが)。

 

 

 (図解17)2012年G大阪理想布陣(その5)。

 (図解16を基礎として、遠藤をOHに起用する場合。)

 システム(4-1-3-2)

 監督(松波正信)

 

             李昇烈              星原

            (ラフィーニャ)         (川西、佐藤晃)

 阿部浩                 遠藤                   二川

(二川、倉田)                              (倉田、寺田紳)

                     内田達

                    (武井、丹羽)

 藤春          今野               丹羽          加地

(沼田、横谷)     (内田達、中澤聡)        (金正也)    (武井、横谷)

                     木村敦

                    (藤ヶ谷)

 

 

 つまり、遠藤をOHにすることで、守備負担を最大限に軽減させることができれば、昨年の夏場以来散見される、体力的な衰えを、持ち味の技術と豊富な経験で充分にカバーし切れるはずである、と強く考える訳です。

 で、両WGを、阿部浩、二川という、創造性に優れる選手で固める。その上で、2列目の3人、そして2トップを含める5人が、積極的にポジションチェンジを繰り出して、「流動性&トライアングル」をピッチの要所で繰り出す、それにより「高速ポゼッション」を実現する、というイメージです。

 ハイリスク感は否めませんが、「超攻撃型」を前面に押し出す意味では、とても面白い方法ではないか、と考え、「第5の処方箋」を示してみました。

 

 

 このように、結局、「5つの処方箋の選択肢」を示した訳ですが、自分は、新潟戦では、下記の選手配置が望ましいように、強く考える訳です。

 

 

 (図解18)自分(愛球人)が考える、2012年G大阪、J1第4節新潟戦理想布陣。

 システム(4-4-1-1)

 監督(松波正信)

 

                              ラフィーニャ

 

             李昇烈

 

      阿部浩                                 倉田

 

             遠藤               武井

 

 藤春          今野               丹羽          横谷

 

                     木村敦

 

 (控え[起用時の主たるタスク])

 星原(決定力、スピードの向上。裏への飛び出し、前線からの守備。)

 二川(創造性、ゲームメイク力向上。チームの士気を高める。)

 寺田紳(創造性、仕掛けの向上。攻撃に変化を付ける意図。)

 内田達(攻守のバランスの向上。低い位置からの組み立て。)

 加地(攻守両面におけるサイドの質の向上。チームの士気を高める。)

 金正也(クローザー要員。高さ及び組み立ての強化。)

 藤ヶ谷(第2GK。)

 

 (交代策[一例として])

 (1)「倉田→星原」(「4-3-3」にして、遠藤と阿部浩の2OH。星原は右WGに投入。)

 (2)「阿部浩→二川」(布陣は「4-3-3」のまま。創造性及びチームの士気の向上が意図。)

 (3)「ラフィーニャ→加地」(クローザー要員として。布陣を「4-4-2」にして、横谷を右SHに上げて、加地が右SBに入る。)

 

 

 (図解18)のベースは、(図解12)にあります。

 これまでにも述べたように、貢献度の高い選手を複数人、意識的に外しています。

 「西野スタイルの深化的継承」と「抜本的世代交代」の両立こそ、現在のG大阪の最大の至上命題である、と強く考えるからです。

 

 ですから、二川、加地を外したのは、「育成及び内容に比重を置く」、そして「中長期的視野、特に3年スパンを念頭に置くチーム再建」の明確なメッセージをチーム内外に示すためです。

 特に右SBは、加地の後継者確立は、現在のG大阪における最大の懸案事項であるので、真っ先に手をつけねばなりません。加地には、特に大一番ではまだまだ輝きを放ち続けて欲しいですが、今回は、チームとして右SBにメスを入れることのメッセージが絶対不可欠ではないか、という思いを籠めて、横谷を入れました。

 

 右CHに武井を入れたのは、内田達が故障気味であると伺うから、ということがあります。「チーム再建」の方向性を明確に示す意味では、右CHに内田達、右SBに武井(横谷)を起用できれば、なお望ましかったかなと思いますが。

 右CBの丹羽は、スピード重視の観点からです。

 左SBは、ここでは藤春を起用しましたが、攻撃型SBという意味では、沼田を起用することも、大いにあってよいでしょう。

 

 

 このように、「5つの処方箋の選択肢」を自分なりに示しましたが、根っこの考えは、下記のことです。

 「『抜本的世代交代』及び『西野スタイルの深化的継承』なくして、『G大阪の再建なし』。」

 このことを、自分は強く伝えたかった訳です。

 

 

 このように、辛辣な表現になり、とても申し訳なく思いますが、自分としては、一人の人間、一人の日本サッカーファンとして、G大阪が、いつまでもファンに「強く愛される」存在であり続けて欲しい、と強く願う訳です。今回の考察は、このような思いが、根底として正直強くあります。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分でとても申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

3月

28日

「2012年J1序盤戦、ガンバ大阪の崩壊及び再建における一考察(その3)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第13回のブログエントリーの論題は、「2012年J1序盤戦、ガンバ大阪の崩壊及び再建における一考察。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の12回目になります。そして、サッカーブログエントリーの4回目になります。

 今回は、掲示版とのコラボエントリーの3回目、という位置付けです。今回は、「議論するエントリー」と「感じることを伝えながら読者と意見交換をもしたいエントリー」の中間型という位置付けになるかなと思います。

 今回は、とても長い文章になるので、(その1)(その2)(その3)(その4)に分割して執筆させて頂きます。

 

 ブログ本体については、コメント欄は設けません。その一方で、読者との議論、意見交換的な意味付けとして、掲示板にてコメント欄を設けさせて頂く感じです。

 私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、(その2)の続きから、考察を始めます。

 恐らく、主観全開になるであろうことを御理解頂けますと、とても有難く思います。

 

 

  ここでは、「G大阪の再建の処方箋」を自分なりに考察することを、主体にしたいと思います。

 

 

 (図解6)2012年G大阪布陣(現状編。その1)。

 (大阪ダービーで採用された布陣。)

 システム(4-4-2)。

 監督(セホーン)。

 

 

             李昇烈              ラフィーニャ

 

 パウリーニョ                                   二川

 

             遠藤               明神

 

 藤春          今野               中澤聡         加地

 

                     藤ヶ谷

 

 

 結論的に述べれば、(図解6)は、「選手、戦術、布陣がほとんど全く整合性がない」と考えざるを得ません。

 では、セホーン政権が志向していたであろうスタイルを具現化し得る布陣を、(図解7)として示します。

 

 

 (図解7)2012年G大阪布陣(現状編。その2)。

 (セホーン政権が志向していたであろうスタイルを具現化し得る布陣。)

 システム(4-4-1-1)。

 監督(セホーン)。

 

 

                              ラフィーニャ

                              (パウリーニョ)

             李昇烈

 

 寺田紳                                      倉田

 (星原)                                     (星原)

             遠藤               内田達

                              (武井)

 藤春          今野               丹羽          加地

 (沼田)                         (金正也、中澤聡)

                     藤ヶ谷

                    (木村敦)

 

 

 上記の布陣図からわかるかと思いますが、自分は、セホーン政権が志向していたであろうスタイルは、「デルネーリスタイル」である、と考えております。つまり、セリエA(イタリア)の、「09-10サンプドリア型」です。

 この「デルネーリスタイル」。簡潔に述べれば、下記のような感じになります。

 

 

 (図解8)セホーン政権が志向したであろう「デルネーリスタイル」とは。

 

 「(1)CF(点取り屋型が望ましい。できれば裏への飛び出しと守備意識の兼備が求められる。)

 (2)SS(ファンタジスタの事実上の唯一の居場所。創造性に卓越するタイプの選手といっても、『つくる』だけではなくて、『決める』資質も兼備することが求められる。)

 (3)両SH(攻守両面で卓越する運動量、スピードが求められる。そして基本的にサイド張り付きで仕掛けと献身性(守備意識)の兼備が必要。故にトレクアルティスタ(OH。10番)タイプの選手は活きない。)

 (4)2CH(一方がレジスタ型、もう一方がバランス型が望ましい。)

 (5)両SB(強い攻撃志向が求められる。運動量、スピードが必要。)

 (6)2CB(CBの一角には、卓越するラインコントロール及び組み立て能力が求められる。そして、2CBのいずれをも、卓越するスピードがあることが望ましい。) 」

 

 

 このように考えると、まず、(図解7)のスタイルだと、トレクアルティスタのテイストが強く、「つくる」に特化する10番タイプの二川の居場所はありません。つまり、二川をこのスタイルにあてはめること自体、無理がある訳です(この時点で「西野スタイル」を否定していることと同義である訳だが)。

 阿部浩もしかり。二川よりはアタッカー色が強く、SSやWGにも対応可能な選手ですが、あくまでも、流動的な動いてこそ活きる選手です。ですから、両SHではまず活きない。SSにしても、李昇烈を軸に置かざるを得ないので、これも厳しい。

 そして、(図解7)のスタイルだと、スタイルの主体は、2トップであり、そして両SHです。レジスタの遠藤は、守備負担がどうしても大きくなります。これは、(その2)で示した、(図解3)と比較すると、お分かり頂けるかな、と思います。

 ですから、正直、遠藤自身の「衰え」は否めないのですが、それ以上に、遠藤が「セホーンスタイル」と符合し得なかったことが否めない、この時点で崩壊は遅かれ早かれ不可避であった、と自分は強く思うのです。

 

 

 ですので、「西野スタイル」と「セホーンスタイル」には、あまりにもその「方向性」が異なり過ぎていたように映ってならない。

 現に、自分の眼には、選手、指揮官、フロントのそれぞれが、「同じ方向を向いている」とは、「とても思えない」感じであった訳です。

 確かに、スタイルにメスを入れることには、少なからず「痛み」が伴います。

 例えば、07年の鹿島(オリヴェイラ政権)、09年の浦和(フィンケ政権)、11年の清水(ゴトビ政権)、等々。

 いま、この3つの事例を挙げました。そして、この3つは、いずれも「うまくいかない」時期を経験しました。

 しかし、この3つについて述べれば、少なくとも、選手間、そして選手と指揮官の間では、「同じ方向を向く」ことの意思統一がなされていた。

 それが、今回のG大阪のセホーン政権ではなかった。これが、今回の最大の問題であったように、自分は考える訳です。ですから、崩壊は遅かれ早かれ「自明の理」であった。

 

 

 ですが、選手の個人能力の問題も、否めなかったように思うのです。とりわけ、ベテランの個人能力の衰えは、もはや看過できないな、と。

 特に衰えが目に付くのが、明神、中澤聡、加地の3人です。「抜かれる」場面があまりにも散見される。単純にスピードの衰えと考えざるを得ないでしょう「スピードの。

 とりわけ、明神、加地は、ここぞの大一番のインテンシティー(集中力)は、特筆のものがあった。しかし、大阪ダービーやACLのパフォは、もはや限界感が否めませんでした(特に明神)。

 

 遠藤や今野も然りです。

 とりわけ今野は、確かに要所での読みの鋭さは感じますが、勝負どころで「抜かれる」場面が散見される(ドリブルで抜かれるよりは、巧みにマークを外される感じか)。組み立て能力もあまり感じることができない(闘莉王どころか、永田充[浦和]よりも見劣りしてしまう)。

 申し訳ないですが、現状では、今野は、「パーソナリティー」の不足感を露呈しているといわざるを得ないでしょう。少なくとも、精神面において(技術面では到達していると思うのだが)、G大阪(ACLレベル)の器量が乏しいのではないか、と。

 

 (ここでいう「パーソナリティー」とは、「責任や逆境から逃げない精神的な強靭さ」の意味である。)

 

 この時点で、今野の獲得は「失敗」である、と考えざるを得ないこと自体、悲しいことなのですが(是非とも巻き返して欲しいと強く願うが)、遠藤についても、スタイルの犠牲者的な側面が少なからずあるとはいえ、一つ一つのプレーの「精度」の衰えが見られる。受け手に優しいパスが持ち味であったはずなのに、それがあまりできなくなっているように映る訳です。

 (少なくとも、遠藤と今野は、現在のパフォを大きく改善できない限り、6月の最終予選序盤3連戦の「23人枠」に入れるべきではない、と強く考えます。)

 

 

 要するに、「セホーンスタイル」は、「西野スタイル」を否定するスタイルであったことが否めない。その上、ベテラン選手の個人能力の衰えも深刻といわざるを得ず、補強の目玉選手のパーソナリティーの不足感も露呈。

 これでは「崩壊」は「必然」である訳ですが、セホーン政権の器量の限界感のみならず、フロントの編成能力の稚拙性によるところも大きいのではないかと、正直強く考える訳です。

 

 

 (図解9)2012年G大阪布陣(現状編。その3)。

 (3人の外国人FWの共存を最大限に志向する場合。)

 システム(4-3-1-2)

 監督(セホーン)

 

 

         パウリーニョ                 ラフィーニャ

 

                     李昇烈

 

         遠藤                     倉田

                               (寺田紳)

                     内田達

                    (武井)  

 藤春         今野               丹羽           加地

(沼田)                        (金正也、中澤聡)

                     藤ヶ谷

 

 

  で、(図解9)では、「外国人FW3人の共存」に最大限の比重を置いた布陣編成を、自分なりに示してみました。

 モデルは、「11-12ローマ型」です。

 下記に、攻撃的ポジションそれぞれのタスクを、示してみましょう。

 

 

 (図解10)図解9の布陣における攻撃的ポジションのそれぞれのタスク。

 

 「SS(李昇烈。「下がり目のCF」ともいえる。ピッチ狭しと流動的に動き回る。守備負担は最大限に免除。つまり、最大限の「戦術的自由」を付与する、ということ。ただし、「つくる」と「きめる」の兼備が求められる。)

 左FW(パウリーニョ。左に流れるプレーを最大限に許容。ただし、前線からの守備意識は遂行すること。左WGとSSのテイストを50対50で兼備という感じ。)

 右FW(ラフィーニャ。裏への飛び出し、足下でのポストプレー、前線からの守備意識が主たるタスク。右に流れるプレイが少なからず求められるが、できるだけゴールに近い位置でのプレーが望ましい。)

 左MF(遠藤。レジスタ的なプレーが主たるタスクだが、それなりの守備意識をも求められる。局面に応じて2CHの一角としてもプレー。遠藤不在時は、倉田[あるいは武井]を起用。)

 右MF(倉田あるいは寺田紳。ラフィーニャをできるだけゴール前でプレーさせるべく、サイドアタッカーの如く振る舞いつつ、攻守両面での突破力及び献身性、守備意識を兼備することが求められる。運動量、スピードの兼備が必要かと。)

 CH(内田達あるいは武井。「フォアリベロ」の如く振る舞う、「デロッシ的役割」。スピード、読み、低い位置からの組み立ての兼備が求められる。つまり攻撃面では遠藤の補完的役割をも担い得ることが求められることになる。)」

 

 

 この場合でも、トレクアルティスタ的なテイストが強い、二川及び阿部浩の居場所がありません。

 SSでは、「きめる」と「つくる」の兼備が求められ、しかも李昇烈が鎮座するため厳しい。

 左MFでは、レジスタ的資質の兼備が求められるため、これも厳しいかと。

 故に、このスタイルでも、「西野スタイル」との乖離を認識せざるを得ない訳です。

 

 

 で、セホーン政権終焉、松波正信政権誕生、となった訳ですが、自分は、下記のことを、強く抱く訳なんですよね。

 

 「誰が指揮官に就任しようとも。勿論、『西野スタイルの深化的継承』が求められることは言わずもがななのだが、むしろ最重要命題は、『抜本的世代交代』である。『抜本的世代交代』及び『選手の起用法の大胆な転換』なくして、G大阪の再建はあり得ないと覚悟して欲しい。

 故に、今季はタイトル獲得という結果面は度外視して(さすがに残留はできるであろうと思うし、地力を考慮すれば勝点50は突破できるであろうが。ACLはGL突破は叶えて欲しいと思うが)、『中長期的ビジョン』に照らしての『育成面』、そして『内容面』にあくまでも最大の比重を置くべきである。

 育成や内容をなおざりにして結果重視にひた走れば、08年や11年の浦和のような惨状になりかねないと強く危惧する。」

 

 この思いを、正直強く抱く訳です。

 では、(図解11)にて、現有戦力の個々の選手の望ましい起用法についての私見を示します。

 主観全開になってしまうことを、何卒御理解頂けると有難く思います。

 

 

 (図解11)2012年G大阪、現有戦力の望ましい起用法における愛球人私案。

 

 (1)李昇烈(FWの軸。流動性を最大限に活かす起用法が望ましい。ただし、創造性、仕掛け、シュート意識を最大限に引き出すことが、チーム力向上に結び付き得るのではないか。)

 (2)ラフィーニャ(李昇烈と共にFWの一翼を担う。裏への飛び出し、足下でのポストプレー、前線からの守備意識が主たるタスクになる。基本は先発起用だが、状況に応じて日本人FWに先発を譲ることも考慮すべきかと。)

 (3)パウリーニョ(現状では第3の外国人FW。起用時はFWのターンオーバー要員あるいはスーパーサブ的感じ。構想から外すのも一案かもしれない。今夏の移籍市場にて、中東、中国、MLSのいずれかに売却が望ましい。そして売却資金は、来冬の移籍市場での補強資金に充てることが望ましいかと。)

 

 (4)佐藤晃(FWのパワープレー要員。現状では伸びしろ的にもACLレベルとしては時間限定的な起用にならざるを得ないかと。)

 (5)川西(故障が癒えればFWの一翼として期待大。ただしまずは故障を完治させることに全力を注いで欲しい。裏への飛び出しを活かして、李昇烈との「スモール2トップ」ができれば理想的。あるいは3トップの一翼としても機能し得るかと。)

 (6)星原(快足が持ち味で、前線からの守備意識をも兼備。「スピードスター」として開花して欲しい存在。2トップの一角、あるいは3トップの両WG、「4-4-2」の両SHとしての起用も一案。FWの一翼として先発の座を勝ち取れれば理想的だが、まずはターンオーバー要員からのスタートか。)

 

 (7)阿部浩(流動性を最大限に活かす起用が望ましい。SS、両WG、OHに対応可能だが、辛抱強くできるだけ先発起用して潜在能力を引き出すことが、中長期的観点でチーム力向上になり得るかと。トレクアルティスタ的起用がベストだが、あるいは、2トップや3トップの一角での起用も一案かもしれない。二川との同時起用も充分可能。ただしサイド張り付きは厳禁。)

 (8)二川(トレクアルティスタ的起用がベストだが、世代交代促進の観点から、阿部浩と先発の機会、プレータイムをシェアしつつ、勝負どころの大一番では豊富な経験を生かしての先発起用も大いにあってよい。勿論、器量的にはまだまだレギュラークラスであるし、阿部浩、遠藤との同時起用も充分可能である。)

 (9)遠藤(唯一無二のゲームメイカーとしてまだまだ君臨して欲しいが、起用法には工夫が必要。勿論、軸となる存在なので原則先発だが、体力やスピードの衰えが否めないので、時間限定での起用とか、格下相手を主体に、休養させることも肝要かと考える。)

 (10)明神(これまでの大功労者ぶりは称賛されてしかるべきであるが、体力及びスピードの衰えが看過できないことも否めない。故に、レギュラーとしてはもう限界感を認識せざるを得ないかと。つまり、「精神的支柱」兼「クローザー要員」としての起用。)

 (11)佐々木(これまでの功労者ぶりは認めるが、世代交代の一環として、「トレード要員」やむなしかと。今夏の移籍市場にて、例えば、小林亮[山形。両SB]とのトレードは一考に値するのでは。)

 

 (12)倉田(基本的に2列目での起用が望ましい。中央、サイドのいずれでも輝きを放ち得る。ベストの起用法は、OHとSHのテイストを50対50で兼備し得るポジションでの起用か。勿論、二川[阿部浩]、遠藤との同時起用も充分可能。状況に応じて、遠藤のポジション、つまりレジスタ的な起用も大いに試行して然るべきと考える。)

 (13)寺田紳(基本的に2列目での起用が望ましい。中央、サイドのいずれでも輝きを放ち得る。ベストの起用法は、OHとSHのテイストを50対50で兼備し得るポジションでの起用か。勿論、二川[阿部浩]、倉田との同時起用も充分可能。倉田よりは攻撃に比重を置く起用法が望ましいと考える。)

 (14)武井(CH、両SH、両SBのいずれにも対応可能。ベストはアンカー的な起用法と考えるが、選手構成的に考えれば、攻守両面をオーガナイズする「橋本英的な起用法」、あるいは、手薄感の否めない右SB要員としての起用も大いに考慮されて然るべきと考える。)

 (15)内田達(CBとしては、現状では今野が君臨するために厳しいが、読みの鋭さと組み立て能力を兼備し得る意味で、現有戦力では、恐らく「遠藤の後継者」の資質を有する唯一の存在と考える。その意味で、いずれレジスタで勝負させるべく、先発起用し続けて辛抱強く育てたい[イメージ的には、「G大阪版扇原」である]。そのため、まずはアンカー役、つまり「ファン・ボンメル的役割」として辛抱強く起用して欲しい。それこそが、中長期的にチーム力向上になり得るし、遠藤、今野との同時起用で、攻守両面での支配力向上に結び付き得ると考える。勿論、遠藤不在時はレジスタ的役割としての起用、そして今野不在時は、CBとしての起用も大いにあってよいとも考える。)

 

 (16)加地(右SBの軸。ただし、世代交代促進の観点に照らして、ときとして若手に先発の機会を譲ることが求められるかと。つまり、プレータイム減少を受容しつつ、勝負どころの試合で真価を発揮し得る、そのような起用法が望ましい。)

 (17)藤春(左SBの軸。攻撃型。左利き。故に、積極的に仕掛けて欲しいと強く願う。ただし、状況や調子に応じて、沼田と併用されて然るべきとも考えるし、左サイドの高い位置[左WG、左SH]での起用も考慮されて然るべきと考える。)

 (18)沼田(左SBとして、藤春と併用が望ましい。基本的に、左利きの攻撃型かと。定位置をダッシュできれば、それ自体がチーム力の向上及び活性化になり得ると考える。)

 (19)横谷(CHとしては正直厳しい。愛媛時代にサイドでまばゆい輝きを放っていたことをも考慮すると、「サイドのマルチロール」に抜本的なコンバートを決行して、とりわけ右SBで「加地の後継者」として育成することが望ましいかと。バランス型でありながら仕掛けもそれなりにできる意味でも、加地の後継者になり得る。故に、主として右SBとして積極的に起用することが望ましい。勿論、加地との同時起用も可能。ただし、特に右SBとして機能し得ないと判断された場合は、来冬の移籍市場における「トレード要員」化やむなしの覚悟で臨んで欲しい。)

 

 (20)今野(CBの軸。ただし特に格下相手の場合は休養があって然るべきとも思うし、調子がよくない場合は、たとえ本来の器量が代表レベルといっても、容赦なくベンチ降格を厭うべきではないとも考える。勿論、「若手の手本」という意味でも、G大阪にふさわしい「パーソナリティー」の持ち主であることを証明して欲しいと強く願うが。)

 (21)丹羽(CBとしての今野の相棒の第1候補として起用して欲しい。スピードを考慮すれば、今野の相棒の最適任かと。ただし、金正也との併用で見極めるのが望ましいとも思う。組み立ては水準レベルかと考えるが磨けば伸びるかと。ラインコントロールはなかなかのものがある。守備重視のCHとしての起用も一案かもしれない。)

 (22)金正也(CBとしての今野の相棒候補として、丹羽と併用で起用して欲しい。組み立て能力を考慮すれば、今野の相棒の最適任かと。ただし、金正也との併用で見極めるのが望ましいとも思う。今野不在時は丹羽との同時起用が大いにあって然るべきとも考える。)

 (23)中澤聡(本来はCBのレギュラークラスであって欲しいが、スピードの衰えが否めないことや、組み立て能力がいま一つであることをも考慮しても、現状では、CBの4番手と考えざるを得ない。「クローザー要員」がベストの起用法だが。さらなる奮起をして欲しい。)

 

 

 上記のことが、あくまでも自分が指揮官ならばですが、それぞれの選手の望ましい起用法として、自分自身、強く考えております。

 いずれにせよ、「抜本的世代交代」及び「西野スタイルの深化的継承」なくして、「G大阪の再建なし」、このことを、強く考える訳です。

 

 ここで強調したいのは、確かに、結果面だけを重視するならば、ベテラン重視にするとか、外国人FWをできるだけ共存させる(例えば、特に最も結果を出しているパウリーニョを軸にするとか)、という方法もあるでしょうが、それでは、中長期的に照らして「ACLトロフィー奪還」が厳しくなってしまうのでは、と危惧するのです。

 つまり、「ガンバスタイル」の「根っこのフィロソフィー」の原点回帰、そしてよりパススピードを速くするとか、崩しの引き出しを増やす等の「深化的継承」、そして、とりわけ下部組織上がりを主体とする生え抜きの若手を(勿論リスク覚悟で)積極的かつ辛抱強く起用し続けること、それが大切であるように考える訳です。

 いずれにせよ、従来的な選手起用の固執では、本質的な問題解決にも、抜本的なチーム再建にもならないと考える訳です。どれほどの功労者でも、チームスタイルにそぐわなくなれば、容赦なく外すことを厭うべきではない。自分たちは、「再建モード」に突入したのだ、という認識をどれほど持てるかでしょう。

 だから、特に有望な若手を主体に、「大胆なコンバート策」「複数ポジション制」を厭うべきではない(上記ならば、内田達、星原、武井、横谷、倉田等がこれにあたる)。このことが、大切であるように考える訳です。

 そして、少なくとも今季は、「ACL出場権獲得」等の目先の結果にとらわれないこと。もっといえば、「3年スパン」で「ACLトロフィー奪還」を叶え得るチーム再建をして欲しい、と強く願う訳です。

 

 (その4)では、自分なりの「4つの処方箋の選択肢」を、示してみたいと思います。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その4)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2012年

3月

28日

「2012年J1序盤戦、ガンバ大阪の崩壊及び再建における一考察(その2)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第13回のブログエントリーの論題は、「2012年J1序盤戦、ガンバ大阪の崩壊及び再建における一考察。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の12回目になります。そして、サッカーブログエントリーの4回目になります。

 今回は、掲示版とのコラボエントリーの3回目、という位置付けです。今回は、「議論するエントリー」と「感じることを伝えながら読者と意見交換をもしたいエントリー」の中間型という位置付けになるかなと思います。

 今回は、とても長い文章になるので、(その1)(その2)(その3)(その4)に分割して執筆させて頂きます。

 

 ブログ本体については、コメント欄は設けません。その一方で、読者との議論、意見交換的な意味付けとして、掲示板にてコメント欄を設けさせて頂く感じです。

 私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、(その1)の続きから、考察を始めます。

 恐らく、主観全開になるであろうことを御理解頂けますと、とても有難く思います。

 

 

 (図解2)2012年、G大阪崩壊の諸要因(概要的私見)。

 

 [1]西野朗政権終焉以前からの問題。

 (1)「黄金の6人」の高齢化及びそれによる衰え(遠藤、橋本英、二川、明神、加地、山口智)。

 (2)世代交代の遅れ。特に下部組織上がりの若手、中堅が思うように成長できていない(平井、下平、大塚、内田達、等が挙げられるが、総じて定位置を手中にできていない)。

 (3)外国人FWへの依存度の増大感(外国人FWの夏場での中東電撃移籍が常態化しつつあったが、後釜の外国人FWをすぐさま獲得して、日本人FWの育成を事実上なおざりにした感が否めず。戦術面でも、良くも悪くも「遠藤→外国人FW」のホットラインに少なからず依拠してきた)。

 (4)守備の拙さ(藤ヶ谷の不安定感、山口智の衰え[特にスピード面]の散見を、試合展開を読む「サッカーIQ」と「インテンシティー(集中力)」の高さで補完してきたが、守備面のポカが散見されてきたことも否めない。尤も、失点を気にせずあくなき「超攻撃性」こそ、G大阪の持ち味であり続けた訳だが)。

 

 [2]西野朗政権の終焉の過程、そして大功労者への処遇等の稚拙性。

 (5)西野朗監督を、事実上「追放」同然に退任させたこと。ACLトロフィー、CWCでのマンUとの激闘を具現した指揮官なのだから、退任の際は、それ相応の手順を踏むべきではなかったのか。

 (6)西野朗の後継指揮官に求められる資質は、「ガンバ主義」、つまり、「超攻撃性」というフィロソフィー(クラブ哲学)を継承し得る指揮官であってしかるべきであったはず。故に、OB(しかもバンディエラ)の松波正信か、仮に外部からでも、できれば超攻撃志向の強い日本人指揮官を招聘すべきではなかったのか。何故呂比須に固執したのか、未だに理解できない。

 (7)橋本英という「大功労者」(しかもバンディエラ候補)に(戦力外通告)という意味不明で比例極まりない仕打ち。「ガンバ主義」の構築及び具現化、ACLトロフィー、CWCでのマンUとの激闘は、橋本英なくしてはあり得なかった(さらに述べれば、05年のJ1優勝も然り)。プレータイム減少を説明した上で、引退までG大阪でプレーさせてあげることはできなかったのか。

 (8)二川、山口智に対する大幅減俸(山口智をこれで退団へと追い込んだ。二川については、残留したこと自体感謝の思いである)。減俸(及びプレータイム減少)自体はやむなしにせよ、どうも契約更改の席上での説明不足がいわれている。「黄金の6人」の一翼を担う存在なのだから、それ相応の誠意ある説明責任を果たすべきではなかったのか。

 

 [3]補強戦略の稚拙性。

 (9)下部組織上がりの有望な若手である平井、下平を、さほど慰留する訳でもなく放出(しかも下平に至っては完全移籍)。これだけでも、下部組織上がりの若手、中堅への軽視ぶりを物語っている(確かに倉田、寺田紳、丹羽の帰還は評価したいけど)。

 (10)守備力の強化は確かにG大阪の重要命題であることは認める。しかし、(確かに有能な選手とは思うが)今野獲得に固執し過ぎた。そして右SB(加地の代役あるいは後継者)という懸案事項は事実上放置。

 (11)李根稿退団は、日本人FWの育成の絶好の契機であったはずなのに、平井を放出、そしてパウリーニョ、李昇烈を相次いで獲得。結局、FWに3人もの外国人を要するといういびつな戦力構成になる。

 (12)良くも悪くも特徴のあるラフィーニャ、パウリーニョ、李昇烈という「3人の外国人FW」の共存型という命題が事実上示された訳だが、3人の共存にはそれ相応の工夫が必要であった、と考えざるを得ない。これはとりわけフロントのリサーチ不足ではないか。

 

 [4]セホーンの指揮官としての限界性。

 (13)G大阪の命題として、「西野スタイルの継続的深化」が強く求められたはず。つまり、確かに課題要素である「守備意識向上」に取り組むことを遂行しつつも、「強い攻撃志向」を堅持する、そして崩しの引き出しを増やす(パススピード向上)、そして何よりも、「抜本的世代交代」こそ全力で取り組むべきであったのに、結論的に述べれば、それを事実上怠った。

 (14)簡潔に述べれば、「劣化デルネーリ戦術」。ハイプレッシングに取り組む姿勢が曖昧で(特に外国人3トップの守備意識に疑問符)、攻撃的MFは事実上サイド張り付きで(特に二川、阿部浩の持ち味を消した)、SBは積極的に上がるのか曖昧で(特に藤春は昨季の浦和の宇賀神状態に陥る)、CBは裏を突かれがちな傾向に陥る。

 (15)交代策が機械的。つまり無機質的。例えば、2列目に献身性の強い選手を投入して守備を強化するとか、DFラインを1枚削って攻撃的な選手を入れるとか、外国人3トップの一角を下げてクローザー要員を入れるとかの「戦術的メッセージ性の強い交代策」がほとんど皆無に近い感じであった。

 (16)「ターンオーバー」をほとんど遂行できていない。象徴的なのが、DFラインの顔触れがワンパターン。「黄金の6人」(橋本英、山口智は退団したが)の衰えが隠しきれなくなっているのに、若い選手を先発に抜擢する姿勢を怠る等、中長期的ビジョンが見えなかった。

 

 

 上記のことに照らして考えると、自分は、下記のことを、正直強く抱く訳です。

 

 「指揮官、フロント、選手、いずれにも大きな問題がある。『西野スタイル』の『深化的継承』に励みつつも、『抜本的世代交代』をせずして、G大阪の『ACLトロフィー奪還』はあり得ない。」

 

 自分は、このことを、正直強く抱く訳です。

 

 

 で、このブログエントリーを執筆している間に、「セホーン解任、松波正信政権誕生』というニュースが飛び込んできました。

 松波正信政権誕生、素直に嬉しく思いますが、自分に言わせれば、「西野朗の後継者は松波正信に他ならないのだから、時間がかかろうとも、最初からそうすればよかったんだよ。」と自分は強く考える訳です。

 

 

 正直、思うこと、感じることはいくつかあるのですが、ここでは、まず、昨季終了時に立ち返って、考察を進めることにします。

 

 

 (図解3)2011年G大阪最終型布陣。

 システム(4-4-2)

 監督(西野朗)

 

             ラフィーニャ           李根稿

            (川西)             (平井)

 二川                                      武井

(佐々木)                                   (橋本英)

             遠藤               明神

            (横谷)             (内田達)

 藤春          山口智              中澤聡        加地

(下平)        (高木和)            (金正也)       (金承龍)

                     藤ヶ谷

                    (木村敦)

 

 

 昨季は、Jでは3位(勝点70、ACL出場権獲得)、ACLは16強(大阪ダービーで敗北)でした。で、西野朗政権は終焉となりました。

 「黄金の6人」、とりわけ、「黄金のMF」は、橋本英が故障で事実上ほぼ全休、そして武井の成長により、事実上解体。で、「黄金の6人」自体、全員が「オーバー30」に突入。

 否が応でも、選手構成的に、何らかの変化が求められるのではないか、と感じた訳です。

 

 で、自分としては、西野朗政権が終焉するにせよしないにせよ、昨年11月上旬くらいの時点で、来季は下記のような理想布陣を編成して欲しい、と自分は願っていました。

 (ちなみに自分は、西野朗政権は、せめて2013年シーズンまでは続いて欲しいと思っていましたが。)

 

 

 (図解4)愛球人が希求していた、2012年G大阪理想布陣(当初版。昨年11月上旬時点)。

 システム(4-4-2)。

 監督(西野朗)。

 

             ラフィーニャ           平井

            (川西、星原)          (大塚)

[曹永哲]                                   [倉田]

(二川、阿部浩)                                (寺田紳)

             遠藤               武井

            (橋本英)            (明神、丹羽)

 藤春         [金英権]             内田達       [渡邉大]

(下平)        (山口智)            (中澤聡、金正也)  (加地)

                     藤ヶ谷

                    (木村敦)

 

 

 (図解4B)当初版の布陣の意図。

 (1)「黄金の6人」は大功労者であるので、残留させるが、総じてプレータイム減少を受け入れて頂く。

 (2)「超攻撃的ポゼッションスタイル」の方向性は堅持しつつ、「抜本的世代交代」による「育てながら勝つ」を志向。

 (3)李根稿、金承龍は放出やむなし。特に李根稿は、昨季(2011年)の貢献度の高さは認めるが、FWの一角を日本人にする方向性の方が中長期的ビジョンに照らして望ましいかと。

 (4)補強ポイントは、攻撃手MF、CBに新外国人を、そして右SBは加地の後継者獲得の観点から日本人をそれぞれ獲得する。攻撃的MFは曹永哲(新潟)、CBは金英権(大宮)を第1候補に、右SBは、サイドのマルチロール性を買って渡邉大(大宮)の補強に動く。

 (5)高木和、佐々木、横谷を、金英権、渡邉大の獲得のためのトレード要員とする(差額が生じる場合は金銭)。また、下部組織上がりの生え抜き重視の方向性を鮮明にするべく、倉田、寺田紳、丹羽を帰還させる。

 (6)FWの一角は日本人にする。中長期的に「強く愛される」チームであるためには、それが望ましいと考えるから。ラフィーニャの相棒の座を、平井と大塚で競わせる方向性にする。

 

 

 結論的に述べれば、これは、叶わぬことになってしまいました。

 勿論、「諸悪の根源」は、西野朗政権の「終焉の過程」に会ったように思う訳ですが、それと同じくらい、いやそれ以上に、G大阪は、「絶対にやってはいけないこと」をしてしまった、それが自ら崩壊を招くことになったように、自分は感じる訳です。それは何か。

 

 

 「生え抜きのバンディエラ候補で大功労者である橋本英を戦力外通告という方法で放出したこと。」

 

 

 自分は、橋本英の放出については、「絶対に許し難いことである。」と強く感じてなりません。

 確かに昨季は、故障によりほぼ全休を余儀なくされました。

 G大阪のレギュラーとしては、限界に近いといわざるを得ないでしょう(勝負どころの試合では先発して欲しい感じではあるが、ACLレベルという意味でフルシーズンはきついかと。ただ、力量的にはまだ2年くらいはACLレベルでできるはず)。

 とはいえ、力量的にはまだまだできるはずですし、少なくとも、「精神的支柱」として唯一無二的な重要性があるのではないか、と。

 

 橋本英の持ち味として、「サッカーIQ」「サッカーに向き合う姿勢」があります。

 確かに、技術レベルだけならば、ACLレベルなのか疑問符という見解も、起こりえなくもないでしょう。ですが、それを補って余りある、「試合展開を読む力」に優れている。

 そして、練習熱心、向上心旺盛。「若手の手本」としては、これ以上ない存在でしょう。

 

 よく、G大阪は、「遠藤のチーム」といわれますし、勿論、遠藤は、個人として素晴らしい「生ける伝説」であると強く思いますが、遠藤が極上の輝きを放てるのは、橋本英が「攻守両面をオーガナイズする」能力に優れているからに他ならない、と強く考える訳です。

 簡潔に述べれば、「そこにいて欲しい」と気にいてくれる、それが橋本英なんですよね。

 スペースを生み出す。スペースに飛び込む。ワンツーの相棒になる。決定機創出のためのつぶれ役(バスケでいうスクリーナー)になれる。高い位置での守備(奪ってからの速攻を生み出せる)。勝負どころでの仕掛けや飛び出し。

 そして何よりも、試合展開や局面に応じて、攻撃的にも守備的にも振る舞える。これができる存在としては、日本サッカー界においても、有数の存在であると強く思うのです。勿論、「勝利のメンタリティー」「素敵な人間性」も、特筆すべきでしょう。

 

 繰り返しになりますが、確かに、技術レベルだけならば、橋本英よりも有能なMFは、日本人だけでも、少なからずいるのかもしれません。しかし、橋本英は、技術レベルを補って余りある「サッカーIQ」の持ち主であった。

 そう。05年のJ1優勝。08年のACLトロフィー。08年のCWCでのマンUとの激闘。

 そこにはいつも、橋本英の姿があった。橋本英の存在なくして、「ガンバスタイル」の具現化はあり得なかったように思うのです。

 (とりわけ、08年のCWCでのマンU戦は、「日本サッカー史上最高のベストゲーム」であったと、自分は強く考えております。)

 

 では、何が言いたいのか。何故、橋本英の放出が、「絶対にやってはいけないこと」であったのか。

 

 

 「橋本英の放出は、ガンバスタイルの『魂』そのものを自ら否定するに等しい暴挙であった。確かに衰えは否めないかもしれないが、プレータイムの減少で折り合いを付けることはできなかったのか。『若手の手本』としてこれ以上ない存在であるのに、『抜本的世代交代』のために必要な存在を手放すことは意味不明極まりない。」

 

 

 感情論という批判は免れ得ないかもしれません。

 ですが、自分は信じていた。橋本英が、G大阪で選手人生を全うすることを。

 そして、引退するときに、背番号「27」が「永久欠番」になることを。

 (たとえ永久欠番ではなくとも、「準永久欠番」、つまり、「プレー、人間性の両面でG大阪のバンディエラにふさわしい生え抜きの選手」のみがつける「特別な番号」としてである。)

 

 このように考えると、西野朗政権の終焉の仕方以外で、G大阪は、今冬の移籍市場だけでも、少なくとも、「3つの失敗」を犯したように思うのです。

 第一に、先述のように、「橋本英の放出」。

 第二に、「今野の獲得への固執(及び右SBの放置)」。

 第三に、「外国人FW補強のミスキャスト」。

 

 

 では、第二の失敗、「今野の獲得への固執」について言及しましょう。

 

 G大阪の長年の懸案事項として、「守備陣の強化」がありました。

 確かに、自分自身、「つまらなく勝つよりも美しく負ける方がよほど有意義である」という「サッカー観」の持ち主です。

 ですが、「全員攻撃全員守備」という概念があるように、攻撃のみならず、守備も勿論重要な要素としてある訳です。

 ましてや、G大阪は、「日本サッカー界を代表するビッグクラブ」であり続けることが使命といってよい。「ACLトロフィー」をコンスタントに獲得し得るクラブであることが求められている(少なくとも自分は、そう考えています)。

 そしてACLでいえば、近年、中東は勿論、中国勢も、有力外国人選手を次々と獲得しており、自ずと守備面でどうしても「個の力」の向上が求められてきます。

 

 ですから、「守備の軸」の確保は、もはや至上命題といってもよかった(山口智が衰えを隠しきれなくなっていたので。結局退団した訳ですが)。

 その意味で、確かに今野の獲得は、理に叶っているのかもしれません。少なくとも、日本人CBに拘るという意味に照らして考えれば。

 

 というのも、今冬の移籍市場で出回るといわれていたCBでは、他にも栗原(横浜FM)、岩下(清水)等の名前も挙がっていました。

 ですが、栗原は、確かに現所属のフロントと折り合いがよくないといわれていましたが、出るぞ出るぞはあくまでもパフォーマンスで、現実的に出ていくことはまず考えられない(現にやっぱり残留した。というか、退団自体想像できないけど)。

 岩下も然り。退団説が燻っていましたが、そもそも自分は、岩下の退団は、まず考えられない、と思っていましたから。トライアングル、ピッチを最大限に大きく使う、流動性の強いスタイルを志向する「ゴトビスタイル」から去ることの利点が想像しづらかったので(ましてやヨンアピンという「手本」の存在がなおさら大きいかと。勿論、小野等の存在も然り)。

 

 そう考えると、今野の獲得は、確かに納得できなくはない。特に「読みの鋭さ」「低い位置からの組み立て」は、日本人CBでは最高レベルでしょう。

 ですが、自分は、今野の獲得は、「?」という思いを、当初からずっと抱いていました。いやむしろ、「獲るべき選手が違うだろう。」とさえ思っていたのです。

 

 

 というのも、自分は、G大阪における「山口智の後継者」は、内田達に他ならない、と強く抱いていました。もともと、ユース時代から、「読みの鋭さ」「ラインコントロール」「低い位置からの組み立て」には定評がありました。なかなかハートの強い選手だなあ、と(実際、昨季のACLとかでも年上の選手に臆することなく声出しを積極的にしていた)。

 そして、空中戦への対応がいま一つであることも、今野と相通ずる。その意味で、CB補強に重要なのは、「内田達と組ませ得るCB」ということになるのではないか。

 

 となると、望ましいのは、「高さ」「スピード」「読み」「組み立て」をできるだけ兼備し得る「万能型CB」となる。「高さ」があることがベストですが、ACLを考慮すれば、「スピード」「読み」がなおさら求められてくるのではないかな、と。そして支配力向上を考慮して「組み立て」があればなおよしかな、と。

 ですので、自分が、(図解4)にて、金英権(大宮)を推したのは、 上記の要素を兼備するCBであり、しかも将来性豊か(今季で22歳。ロンドン世代。しかも韓国代表でもレギュラークラス)。これ以上ないうってつけの存在だろう、と(だから、自分が今季大宮を高く評価するのは、金英権やラファエルの残留に成功し、しかも曹永哲、カルリーニョスという有力外国人の獲得に成功したからに他ならない。志向するサッカーの方向性に共感できるからでもある)。

 

 仮に、金英権の獲得に失敗したとしても、スピラノビッチ(浦和)も有力な選択肢かな、と。

 高さ、強さは勿論ACLレベルですし、豪州代表でも定位置を張る。組み立てはぼちぼちレベルですが、それでも内田達との相互補完性は理に叶っています。

 で、昨季終盤戦、浦和で出場機会を減らしており、その意味でも、獲得に動く価値はあったのではないか、と(結局残留。ただ、ミシャ政権では微妙な立場になっていますが)。

 

 

 では、今野獲得に、自分が何故、疑問符的なスタンスをずっと抱き続けてきたのか。

 理由は、橋本英が退団時にこぼした言葉から垣間見ることができるように思うのです。

 

 「僕は幸い、ずっと西野さんに起用してもらっていたけど、評価面でも、起用法でも、特に下部組織上がりの有望な選手がないがしろにされている感じであることに、ずっと違和感を抱いてきた。」

 

 そう。今野獲得の場合、下部組織上がりの生え抜きの有望な若手である内田達と、もろにタイプが重なってしまう。少なくとも、内田達は、CBとしての居場所は否定されたも同然になる。

 (ただし、やり方次第で、今野と内田達を同時起用すること自体はできなくはない。これについては後述しますが。)

 

 とすれば、内田達の立場から考えれば、「俺は信用されていないのか。」となってしまう。

 これは、「ある事例」とデジャブに映ってならないんですよ。

 

 

 そう。08年の浦和。07年、浦和はACLトロフィーを叶えましたが、その最大の功労者の一人が、生え抜きのFW、永井雄でした。

 07年の浦和は、ワシントン、永井雄の2トップであった。で、08年新春の移籍市場で、ワシントン放出、エジミウソン獲得は決まっていた。しかしその上…。

 

 そう、高原の獲得です。これで、08年の浦和は、2トップが、「エジミウソン、高原」という方向性に、否が応でもなった。

 で、永井雄が抱いた思い。「俺は信用されていないのか」。

 08年の浦和は、最終的に残酷な崩壊劇を迎えることになります。それも、G大阪がACL準決勝第2戦、遠藤、橋本英、ルーカスの3人でバイタル、PAを流麗なパスワークで蹂躙して遠藤が一閃することによって。

 この崩壊劇は、自分は、高原の獲得で、永井雄をはじめとする生え抜きの選手のプライドを少なからず傷付けることになった(高原獲得自体があまりにも電撃的であったので)、それに端を発しているように考える訳です。

 

 

 この浦和の高原獲得と、今回のG大阪の今野獲得。

 自分には、どうしてもデジャブに映るんですよ。

 生え抜きの選手が、「俺は信用されていないのか。」と思ってしまうのではないか、ということが重なる意味において。

 

 というのも、補強は勿論重要なのですが、それは、「育成」が基礎にあってこその「ピンポイント」であって然るべき筈なのです。つまり、「育成あってこその補強」ではないのか、と。

 ましてや、G大阪の下部組織は、Jでも最高レベルの質を誇ります。で、内田達は、下部組織上がりの生え抜きの有望な若手。昨季のACLとかでも、非凡な将来性をみせていた。

 ならば、中長期的ビジョンに照らして、内田達の可能性にかけてみよう、となってもよいのではないか、と自分は思うのです。まして、ファン感情にすれば、生え抜き選手の成長や活躍は、とても喜ばしいように映るものではないか、と思いますから。

 

 ですから、CB補強を否定しているのではない。むしろCB補強は必要であったとは思う。

 ですが、「補強すべきタイプのCBを補強しなかった」。それが、問題の本質であるように思う訳です。

 

 

 右SB補強についても然りです。加地の代役あるいは後継者の問題は、数年来の懸案事項でした。

 (図解4)では、渡邉大を推しました。「サイドのマルチロール」であり(左右を問わずサイドならばどのポジションでも質の高いプレーができる)、運動量とスピードに優れ、年齢的にも加地の後継者としてうってつけである(今季で28歳。加地よりも4歳年下になる)。

 出血を覚悟してでも(つまり、複数人の選手を差し出してでも)、獲得に動いて欲しかった、と思う訳です。

 この右SB問題に手を付けられなかったことも、大きな痛手といえるでしょう。

 

 

 そして、第三の失敗。「外国人FWのミスキャスト」。これはどういうことか。

 これについては、結論的なことから述べたいと思います。

 

 「外国人FWのミスキャストとは、まず、外国人FWを3人獲得する(ラフィーニャは11年夏から)こと自体がまず問題外。中長期的ビジョンに照らせば、2トップであれ3トップであれ、FWの一角は生え抜きの日本人選手に充てるべきではなかったか。

 それに、ラフィーニャを軸にすると考えた上での外国人補強、と考えると、パウリーニョの補強自体、ピント外れである。この時点で、選手編成に相応の工夫が求められることになってしまった。李昇烈を第3の外国人FWとして獲得したことで、なおさら編成をややこしくしてしまった感が否めない。

 もしも、李昇烈のみを獲得するならば、ラフィーニャとの相互補完性はそれなりにとれているので、それはそれでよかったかもしれない。しかし、パウリーニョの補強はミスキャストであった。

 というか、外国人補強という意味では、むしろFWの補強はあえてせず(生え抜きの日本人FWの育成に重点を置く意味で)、攻撃的MF(曹永哲)、あるいは、トレクアルティスタ(カルリーニョス、ジェパロフ[ウズベキスタン代表、アル・ジャバブ〈サウジ〉]、ルイス・エンリケ[全北現代])の補強の方がよかったのではないか。

 いずれにせよ、外国人FWに3人を擁する編成をすること自体、生え抜きの日本人FWのプライドをひどく傷付けかねないし、ACLを考慮すれば、どうしても外国人FWの3人の共存型のベストの布陣を模索せざるをえなくなる。

 故に、勿論セホーン政権自体の指導力の稚拙性は看過できないことであるのだが、たとえ誰が指揮官であろうとも、そもそも選手編成自体に少なからず問題があったことが否めないのではないか。」

 

 このような思いを、自分は強く抱く訳です。

 

 

 自分は、(図解4)にて、曹永哲(大宮)の補強を強く推しました。

 曹永哲は、左からPAへカットインする動きを最も得意としますが、2トップの一角や、OH(トップ下)、あるいは右でも質の高いプレーができます。それでいて、守備意識も高いので、G大阪の攻守の質を高めるうえでうってつけではないか、というのが理由です(今季で23歳という将来性の豊かさも勿論大きな理由としてあります)。

 

 それはともかく、時系列的に考えれば、今回の場合、「ラフィーニャ(現有戦力)→パウリーニョ→李昇烈」の順に獲得しました。これ自体、ややこしい補強になったなあ、という感じです。

 では、3人の外国人FW、それぞれの特性を、概要的に述べてみましょう。

 

 

 (図解5)2012年G大阪、3人の外国人FWのそれぞれの特性。

 

 「ラフィーニャ(左利き。裏への飛び出し、スピードに優れるが、前線からの守備意識も旺盛。上背がないが、足下でのポストプレーも向上中。献身性と思い切りを兼備する感じ。)

 パウリーニョ(左利き。いわゆるスピード型FW。左に流れてプレーしたがる傾向が強い。キック力に優れ、FKもできる。上背がなく、ポスト、空中戦はまず望めない。守備意識はぼちぼちレベル。)

 李昇烈(SS[セカンドストライカー]がナチュラルポジションだが、攻撃的ポジションならばどこでも対応可能。ただ、流動的にプレーしたがる傾向があり、ある程度の自由を付与する必要あり。創造性、仕掛けに優れ、守備意識もそれなりに高い。ただしサイド張り付きは持ち味を減退する感じか。ポストも不得手な感じ。)」

 

 

 このようなことから、ナチュラルポジションとしては、ラフィーニャ(2トップの一角)、パウリーニョ(3トップの左WG)、李昇烈(2トップの一角)、という感じでしょう。ただ、パウリーニョが左に流れたがり、李昇烈もポジションレスに動きたがる傾向を考慮すれば、特に右よりはラフィーニャへの負担が増大してしまう。この時点でアンバランスです。

 

 では、まず、パウリーニョ獲得時は、どういう工夫が必要であったのかを、考察したいと思います。

 ラフィーニャは、草津時代から2トップの一角でのプレーを得意としてきましたが、1トップでも対応可能なところを見せてもいます。ですので、ラフィーニャをCF、パウリーニョを左WG(「4-2-1-3」の左)で起用する。

 で、第3の外国人として、トレクアルティスタ(カルリーニョス)の補強に動く。これで支配力を一気に高め、相手守備陣に圧力を掛ける感じです。

 で、右WGは、いわゆる「サイドアタッカー」タイプを起用する。ただし、攻守両面での質の高さ(仕掛けと守備意識の兼備)を求める感じです。この場合、倉田(寺田紳)を起用する感じです。あるいは、「スピードスター」を求めるならば、星原も一案でしょう。

 しかし、トレクアルティスタ(OH)の補強に動いた訳ではない(李昇烈はトレクアルティスタにも対応可能だが、本質的にはSSの選手である)。二川や阿部浩を充てて補強しないのも一案だったでしょうが、パウリーニョは守備意識があまり高くないので(気さくな人間性は魅力ではあるのだが)、トレクアルティスタには、ゲームメイクと守備意識の兼備がどうしても求められる。

 だから、ラフィーニャとパウリーニョの共存ありきならば、カルリーニョスのようなタイプの選手こそ、併せて獲得すべきであったように思うのです。

 

 これが、ラフィーニャと李昇烈の2人だけならば、まだ何とか共存はうまくできたかもしれません。というのも、李昇烈は流動性に優れるFWですが、裏を返せば、衛星的に動くことに優れているともいえる。

 で、ラフィーニャは、献身性に優れるFWですから、李昇烈の持ち味を理解して、足下でのポスト、裏への飛び出し、前線からの守備を主体とすることに徹せば、相互補完性に優れるように考える訳です。

 

 

 ですから、「外国人FWのミスキャスト」というのは、はっきり述べれば、「パウリーニョの補強」である訳です。申し訳ないけど、ある種の異分子と化してしまっている。

 そして、外国人FWを3人も擁する選手編成により、生え抜きの日本人FWの居場所を(少なくとも、先発としては)、事実上奪ったも同然にしてしまった。これでは、生え抜きの日本人FWの立場に照らせば、「俺は信用されていないのか。」となってしまいかねないでしょう。

 繰り返しになりますが、「育成あってこその補強」なのです。

 「補強」が、あまりにも「自己目的化」し過ぎてしまい、「育成」がなおざりになっていやしなかったか、と。自分は、このことを、強く抱いてしまうのです。

 

 ですので、勿論、セホーンの指揮官としての限界は否めないのですが、そもそも「選手編成自体に大きな問題を抱えていた」、これが「崩壊の本質」であるように、自分は強く考える訳です。

 

 (その3)(その4)では、G大阪の再建の自分なりの処方箋の考察を主体に記します。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その3)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2012年

3月

28日

「2012年J1序盤戦、ガンバ大阪の崩壊及び再建における一考察(その1)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第13回のブログエントリーの論題は、「2012年J1序盤戦、ガンバ大阪の崩壊及び再建における一考察。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の12回目になります。そして、サッカーブログエントリーの4回目になります。

 今回は、掲示版とのコラボエントリーの3回目、という位置付けです。今回は、「議論するエントリー」と「感じることを伝えながら読者と意見交換をもしたいエントリー」の中間型という位置付けになるかなと思います。

 今回は、とても長い文章になるので、(その1)(その2)(その3)(その4)に分割して執筆させて頂きます。

 

 ブログ本体については、コメント欄は設けません。その一方で、読者との議論、意見交換的な意味付けとして、掲示板にてコメント欄を設けさせて頂く感じです。

 私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 現在、自分は、一人の人間、一人の若い世代として、今後の進路を考える上でも(どのような人間になりたい、ということの大枠は描けるようになっているが)、復興支援活動への参加を通して(ただしこの復興支援も、勿論社会人に再びなるときでも、継続的に中長期的に息長く携わる使命が自分にはある、と強く思っている。というか、何らかの形で、復興支援及び社会貢献に深く携わる道に進みたいと強く希求している)、自分なりにこの半年間で学んだことをじっくりと整理し直す時間にできるだけ充てたい。

 そして、今年の「3・11」は福島に伺い、福島で感じたことを、先日(3月13日)、ブログエントリーとして執筆しましたが、次のブログエントリーは、少しでも前を向く話題を書きたいなあ、と思っていたのです。

 

 率直に述べれば、今回、このタイミングで、ガンバ大阪の崩壊云々という、重苦しい内容のブログエントリーを、正直書きたくはありませんでした。

 ですが、一人の人間、というか、一人のサッカーファンとして、今回のガンバ大阪の惨状(論題にもあるが、はっきりいって「崩壊」であると思っている)は、「どうしても我慢できない」。

 

 そう。「我慢」。

 これは、例えば、浦和のフィンケ政権時代に、しばしばクローズアップされた言葉です。

 鹿島のオリヴェイラ政権時代の初期もそうですし、浦和のミシャ政権(つまり、現在)にもいえることでしょう。あるいは、清水のゴトビ政権も然りであると思います。

 

 何故G大阪は崩壊したのか。どこでG大阪は道を踏み外したのか。どうすればG大阪は再建できるのか、いや、G大阪の再建のために何が必要なのか。

 そういうことを考察することが、今回のブログエントリーの目的としてありますが、正直、今回のG大阪の崩壊劇は、「かなりやばい」状況にある、と自分は思っているのです。

 

 

 では、まず、冒頭に、3月5日のブログエントリー「2012年Jリーグ1部、自分なりの開幕直前考察(その2)。」にて、G大阪について展望した部分があるので、それを引用することから、今回の考察を始めたいと思います。

 

 

 『(図解1)愛球人が考える、2012年G大阪理想布陣。

 システム(4-3-3)

 監督(セホーン)

 

                     ラフィーニャ

                    (佐藤晃)

 パウリーニョ                                  李昇烈

(大塚、星原)                             (佐々木、阿部浩)

             二川               遠藤

            (寺田紳)            (倉田、横谷)

                     武井

                    (明神)

 藤春          今野               丹羽          加地

(沼田)        (金正也、内田達)        (中澤聡)   (エドゥワルド)

                     藤ヶ谷

                    (木村敦)

 

 

 では、G大阪の考察です。

 

 

 (図解1B)愛球人が考える、2012年G大阪の持ち味と不安要素。

 

 [持ち味]

 (1)ACLの常連。「勝利のメンタリティー」。それを支える経験豊富な選手の存在(遠藤、二川、加地、明神等)。

 (2)10シーズンに及ぶ西野朗政権で培った「自分たちのスタイル」。

 (3)個人能力の高い外国人3トップ。そして絶対的司令塔、遠藤の存在。守備の軸としての今野の存在もプラス。

 (4)有望な若手、中堅を多く擁すること。はまれば戦力値向上に直結し得る。

 

[不安要素]

 (1)西野朗政権時代の10年間(特に、「黄金のMF」主体のスタイルの06年からの6年間)で培ったスタイルの修正方法次第での崩壊の危険性。特に、西野朗監督や、橋本英、山口智という「功労者」との別れ方にしこりがあるだけに、尾を引きやしないか。

 (2)有望な若手を多く擁する一方で(そして、J有数の育成組織を擁する一方で)、西野朗政権時代では、それをあまり活かせずにいた。特に、外国人がFWに集中していることが、不協和音の引き金にならないかという不安。

 (3)右SBの控えが事実上不在(エドゥワルド、沼田は左利き。特にエドゥワルドは調整遅れが漏れ伝わっているが)。また、MF陣でも、特に明神は年齢的な不安があるだけに(それを補って余りある強靭な精神力の持ち主でもあるが)、あまり酷使し過ぎると、という不安がある。

 (4)上記のことと関係するが、若手、中堅の底上げ(特に、例えばMFならば倉田、寺田紳)。そして、ターンオーバーの機能性向上、そして複数の布陣の使い分けがどれほどできるか(特にCB陣は5人共にそれなりの能力があるだけに、例えば3バックとの併用も面白いと思うのだが)。

 

 

 個人的に、G大阪は、関西在住でもあることから、ずっと注目し続けております。

 特に、06年からの「黄金のMF」(遠藤、二川、橋本英、明神)を前面に押し出すポゼッションスタイルは、自分も高く評価してきました(チームマネジメントはともかく、志向する方向性には強い共感を抱いた)。

 

 純粋な戦力値だけならば、「ACLトロフィー」を叶えても、何ら不思議ではない、と思っています。

 ですが、今季の自分のG大阪に対する見解。

 

 

 「築き上げた『自分たちのサッカースタイル』の『深化的継承』が求められる一方で、守備面を中心に、確かにある程度の修正は必要かもしれない。しかし、最大の強みである『強い攻撃志向』『アクションスタイル』の放棄は絶対にあってはならない。そして、若手、中堅の積極的起用なくして、チーム力の向上は難しい。

 外国人にFWが集中していること、戦力構成の偏り(特に右SB)、世代交代の方法論、等々、リスク要因を少なからず内包しているだけに、ACLトロフィーも、あるいは昨季の浦和のような崩壊も、両極端起こり得る。」

 

 

 例えば、今野の獲得。確かに、今野は、日本有数のCBであることに異論は恐らくほとんどないでしょうし、自分もそう感じます。「サッカーIQ」の高さも、特筆に値するでしょう。

 ですから、「守備の軸」としての今野の獲得は、中長期的スパンでは、なるほどと思う。

 ただ、このポジション、もともと下部組織上がりの有望株、内田達がいます。統率力や組み立て能力には、強い可能性を感じてきた。ですが、今野の入団で、少なくともCBとしては、3バック採用時等でない限り、厳しいと考えざるを得ないでしょう。

 (ちなみに自分がGMならば、確かにCB獲得は納得だが、自分ならば金英権[大宮]を狙う。組み立て、統率力、強さ、読みを兼備するからである。そして右SBも、「サイドのマルチロール」、渡邉大[大宮]を狙う。あくまでも自分ならば、であるが。)

 

 あるいは、外国人FWが3人もいること。今冬、平井が(レンタルとはいえ)退団しましたし、大塚、星原という有望株がいるにもかかわらず(そして故障で長欠確定とはいえ、川西も有望な存在)、ターンオーバーでない限り、少なくともFWの一角での起用は厳しい感じです(尤も、星原については、「4-4-2」のサイドハーフのオプションという方法もあってよいと思うが)。

 

 「ポジションは自分でつかむべきものである。」

 確かにこれは一つの真理であると思いますし、「与えられる」意識ではなくて、「絶対につかんでみせるんだ」という、主体的な意識があってこそできる、と強く思います。

 ですが、どうして、下部組織上がりの有望な選手のいるポジションばかり、実績充分の選手を獲得するのか、という感じもするのです。

 

 杞憂に終わるに越したことはない。戦力値だけならば、名古屋に匹敵しますし、選手層ならば、むしろ上回るかもと思っています。

 ですが、自分は、どうも今季のG大阪は、「08年の浦和」と同じような「におい」を感じるんですよ。

 

 

 気に掛かっているのは、橋本英が、退団時にこぼした言葉です。

 

 「僕は幸い、ずっと西野さんに起用してもらっていたけど、評価面でも、起用法でも、特に下部組織上がりの有望な選手がないがしろにされている感じであることに、ずっと違和感を抱いてきた。」

 

 評価面のことは、正直わかりません。ですが、少なくとも、起用法という意味で、例えば家長、寺田紳、倉田をはじめ、もっと出場機会を充分に与えることができないか、という思いは、強く抱いていました(だから、寺田紳、倉田には、今季、少なくとも25試合クラスの出場機会をつかんで欲しい、そして定位置へ、と強く願っています)。

 

 08年の浦和。前年にACL優勝。しかし、当時のオジェック監督と一部選手(ワシントン、小野、闘莉王等)の確執がいわれており、しかも、ACL優勝に大きく貢献した永井のポジションに、エジミウソン、高原の2人を獲得しました。これが崩壊の引き金になった、と自分は思っています(少なくとも、高原獲得で永井のプライドを少なからず傷つけたことは否めないと思っています)。

 そしてあのときの浦和。若手にまともに出場機会が与えられなかった(いまではアウクスブルク[独]で定位置の細貝も、当時は08年半ばにようやく定位置を手中にした感じだった。07年はターンオーバー要員になっているかさえ微妙だった)。

 

 似たようなにおいを感じる、というのは、例えば、呂比須HCが『影の指揮官』として振る舞うのではないかということが公然といわれていること。

 そして、何よりも、西野朗監督、橋本英、山口智という「大功労者」を、追放同然で放出したことにあります(確かにいつかは別れが来るが、「別れ方」というものがあるはず。感情論になるが、納得できなかった)。

 例えば、西野朗監督ならば、「勇退」という感じに持って行けなかったのか。「黄金のMF」をはじめ、慕う選手は多かったはずです。

 そして、橋本英。現在のG大阪があるのも、現在の遠藤がいるのも、橋本英の卓越する「サッカーIQ」があってこそです。ましてや下部組織上がりの「バンディエラ」であるはず。

 そのような「大功労者」に対して、戦力外通告。激しい憤慨と失望を禁じ得ませんでした。

 

 確かに世代交代は待ったなしでしょう。だからといって、「バンディエラ」になり得る選手(黄金のMF、加地、山口智)は、よほどのことがない限り、「G大阪で引退させる」配慮があってしかるべきではなかったか。放出する必要性はなかったのではないか、と強く感じるのは、自分だけでしょうか?

 

 ですから、今季のG大阪については、自分は、下記のことを、強く抱く訳です。

 

 「ACLトロフィーを叶え得る陣容ではあると思うが、その一方で、崩壊リスクを少なからずはらんでいるとも感じる。その一方で、若手、中堅の底上げに成功できれば、さらなる飛躍も見込み得るが。

 ACLは、8強以上は絶対に叶えて欲しい。Jの優勝争いも充分に可能ではあるだろう。しかし、ACLの16強敗退、あるいは、Jでの勝ち点50台前半での失速も、充分に起こり得る。」』

 

 

 今回の考察は、これがたたき台になります。

 どうしても、考察がとても長くなるかな、と感じますので、(その2)(その3)(その4)にて、続きを執筆させて頂きたい、と強く考えております。

 

 (その2)では、G大阪の崩壊の過程についての考察を主体に記します。

 (その3)(その4)では、G大阪の再建の自分なりの処方箋の考察を主体に記します。

 

 いずれにせよ、今回のブログエントリーは、いつも以上に、主観全開の考察になるであろうことを、何卒御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その2)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2012年

3月

13日

「『3・11』から1年を迎えて思うこと(福島に赴いてこそ感じる思い)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第12回のブログエントリーの論題は、「『3・11』から1年を迎えて思うこと(福島に赴いてこそ感じる思い)。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の11回目になります。 そして、復興ブログエントリーの6回目になります。

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 「3・11」がなければ、恐らく、現在の自分はないだろう。

 不謹慎な表現になるかもしれない。しかし、それが、率直な思いである訳です。

 

 理由はいくつかありますが、簡潔に述べれば、「人間としてのかけがえのない貴重な経験を多くできるから」、(素敵な出会いを経験できるから)、という感じでしょうか。

 

 というのも、自分自身の生き方の「心の原点」として、「1・17」があります。

 他にもいくつかあるのかもしれませんが(スポーツ観戦、読書、いじめに苦しんだ経験等)、やはり、自分自身の出発点って何だろう、と考えると、「1・17」であるように考える訳です。

 

 で、今回の「3・11」。自分は、大学→社会人→大学、という感じで、再出発をしようと思いつつあった矢先に起こりました(尤も、当初は大学院[教職大学院]への進学を考え、失敗して通信制大学にターゲット変更を考えていた最中であった訳ですが)。

 再出発の決心を後押しした、それが自分にとっての「3・11」だったのかもしれません。

 

 尤も、自分は、「3・11」からしばらくは、なけなしの募金、及び救援物資くらいしかできませんでした。あとは、節電、ものを買い占めないこと、等といったことでしょうか。

 その後、体調を崩し、しばらくは布団でのたうちまわる日々でした。

 で、夏に、体調が戻り、自分なりの復興支援を本格的にスタートできたのは、昨年の9月になってからでした。

 

 しかし、現地参加が叶ったのは、9月の石巻、南三陸への2週間、その1回だけです。

 2回目をできるだけ早く叶えたい。しかし、諸々の理由で、2回目が叶わぬまま、時間ばかりが過ぎる日々でもありました。

 関西からできる復興支援、ということでも、先述のこと以外では、昨秋になり、ようやく、現地の食料品を買う、ということができるようになった感じでしょうか。

 

 この半年で、素敵な出会いに多く恵まれ、ただひたすら、感謝の思いである訳です。

 おかげで、「人間としての引き出しの多さ」に気付かされ、自分の理想とする目標も、より深く考えるようになりました。

 もともとは、小学校教員を目標にしていました。尤も、現在は、NPO・NGO職員、警察官(事務職員をも含む)をも、選択肢として浮上しており、今年は、じっくりと目指す道を見極めて、秋の終わりくらいには、方向性を見定めようと思っていますが。

 

 とりわけ、「Youth for 3.11」との出会いは、自分自身、いろいろな意味で、大きな影響を与えている感じです。

 価値観、ものの考え方、心の引き出し、物事への姿勢、等々。

 自分の未熟さを思い知らされるわけですが、いま気付いてよかったのかなとも、正直感じる訳です。

 

 

 という訳で、今回、「JASP in FUKUSHIMA」に、参加させて頂きました。

 理由はいくつかありますが、ここでは、主だったものを記します。

 

 第一に、純粋に福島の現状をこの目で観たい、感じたいと思ったから。これについては、現地参加を1回しか叶えられていない、という精神的な焦りも影響しています。

 第二に、1年が経つからこそ感じる「何か」があるのでは、という思い。関西で迎えるのも、それはそれであってよいと思うのですが、どうしても現地でこそ感じることがあるはず、という思いを抑えきれなかったからです。

 第三に、やはり、自分の「心の原点」は、「1・17」ですし、「1・17」と「3・11」を自分なりに連関させる、そして、「1・17」を経験しているからこそ、あのとき支えてもらった感謝の思いを、「3・11」の復興支援に活かしたい(再び社会に出るにあたっても)、そのための新たなるステージとしての思い、ということが、正直強くある訳です。

 第四に、現地の学生、全国の学生の率直な思いを聞きたい、交流を持ちたい、と強く考えるからです。

 

 

 というのも、これまで、関西は勿論、関東とかの復興支援仲間に何人も出会えて、復興支援云々にとらわれず、一人の人間として、自分を成長させてくれる、御互いを高め合える仲間に出会えて、本当に感謝している。

 ですが、息長い復興支援(できることならば、再び社会に出るときは、東北で就職できれば、と強く思っているので)、ということを、強く志向する意味で、そして、一人の人間としての成長という意味で、東北の学生と交流できていないことには、自分自身、強い違和感を抱いていました。

 

 というのも、自分自身も、かつては被災者の立場でしたし、現地に生きるからこそ感じる思いがあるのではないか、と。

 そしてまた、日本広しといいますが、たとえ現地(この場合、主として東北)と離れていても、現地のために何とかしたい、と思っている人間、学生は恐らく多くいるのではないか、とも感じる訳です。

 

 今回のイベントの参加を後押ししたのは、2月26日(今回のイベントの2週間前)、「JASP京都」のイベントにて、福島の学生とお会いしたことによるところが大きいです。もしも、そのときに会っていなくても、参加したかな、という感じではありますが(そのときには既に参加の方向で検討していたので)、直接あった上で参加に踏み切れたことで、いろいろと感じること、学ぶことがあってよかった、と感じる訳です。

 

 

 で、イベント自体は、10日からスタートしていました。

 ですが、自分は(はっきりいって、予算的な理由です。我ながら情けないです…)、11日のみの参加にさせて頂きました。

 

 6時40分、福島に到着。マクド(他地域では「マック」かな)で席をとって(朝食のため)、7時過ぎに会場の下見。

 第一印象で感じたのは、「寒い!」。

 ですが、放射能云々は、正直、実感が湧きませんでした(勿論辛い思いであることは理解していますが…)。

 

 で、朝刊を購入。自分は鉄道好きでもあるので、8時40分頃に、福島駅の新幹線ホームへ。

 なんと、14番線(基本的には山形、仙台方面行き。ただ、一部に東京方面行きも)の出発の音楽、「栄冠は君に輝く」。高校野球ファン的には、超が付くほどにたまらない。

 何故なのかというと、作者の古関祐爾さん、福島出身だから、とのこと。

 

 で、9時過ぎに、福島駅の東口への連絡通路にて、メッセージボードがあったので、自分なりのメッセージを書いて、周辺を散策。9時45分に、会場入り。

 まずは、福島学院大学。「Talk Discussion」に参加するためです。

 

 「エネルギー」「農業」「観光」「仮設住宅」「発信」「教育」。

 いずれも重要なテーマですし、特に、後者の3つに、自分は強い関心を抱いている。

 どれにしようかな。迷いましたが、ある女子学生が「よかったら、こっちにおいでよ。」と。

 「内に秘める情熱」に惹かれて、その女子学生がいる「発信」のテーブルへ(ちなみに、彼女も福島大学。京都で出会った3人の学生とはまた別ですが、出会ってよかった、今後もずっと交流を続けたいと思う存在です)。

 

 うちのテーブルは、1回目と2回目で、大きくプレゼンの構成を変えることとなりました。

 まあ、うちが少なからず議論を混乱させる要因になった感じですが…(汗。つもりではなくても、結果的にそうなったと感じるので)。

 最終的には、納得できるプレゼンになりました。まあ、プレゼンをした彼女(先述の福島の女子学生のことです)の持っている人徳(人間性)のなせる技、とも感じますが(もしも自分がプレゼンをしていたら、そうはならなかったかも)。

 

 

 「発信」の議論において、自分がどうしても主張したのが(これだけは譲れない)、下記のことです。

 

 「全体を巻き込む」。

 (この場合、「学生をはじめとする『若い世代(子どもをも含む)』」が、「想いを一つ」にして「全体(大人社会、あるいはメディア)を巻き込む」ということを意図しています。)

 

 何故、自分がこのことに、どうしてもこだわったのか。

 第一に、現地の学生とそうでない学生(全国の学生)が、できるだけ連携(交流、意見交換)を密にすることが大切ではないか、と考えるから(現地の学生だから、そうでない学生だから、感じることがそれぞれあると思うし、恐らくそれぞれによさがある。そして意見交換を積み重ねて思いの結晶を社会に投げ掛けることができれば、という思い)。

 第二に、大人社会を「振り向かせる」ためには、ある種の相当な「精神的な活力」が必要と感じるから。

 第三に、どのような困難に屈しない前向きな心を育むには、「若さ」こそ活かされる、と強く考えるから。

 

 恐らく、復興は、長い時間と労力を覚悟せざるを得ないでしょう。

 だからこそ、粘り強い息長い精神的エネルギーが、どうしても不可欠。

 風化させてはならない。どれほど苦しくとも、心に希望の灯を。

 そのためには、ある種硬直的な大人社会を振り向かせねばならない。故に必要なのは、「ムーブメント」になる。

 

 では、「ムーブメント」を起こし得るのはどのような存在か、となれば、子ども、学生を主体とする「若い世代」であろうと思うのです。

 「若さ」が生み出す柔軟で清新な「発想力」。それが活かされれば、素敵な結晶が生み出され、現地に笑顔を呼び起こせるのではないか、と考える訳です。

 そのためには、現地の学生を主体に、全国の学生が結束することが大切ではないか。

 置かれた立場が異なろうとも、かたちが異なろうとも、根っこの「想い」は、相通ずるはずである。

 だから、現地の学生と全国の学生が、思い思いに意見を出し合って、交流を深めて、それを地道に積み重ねて(個人ベースでは勿論、できれば団体ベースでも)、そうすれば、おのずと「想い」の「結晶」が見出されるはず。

 その過程で、見解が対極になっても、大いによいと思う。いやむしろ、異なる見解を思い思いにぶつけ合うことが大切ではないか、と思う訳です。

 いわば、「違いを認め合う」「本音をぶつけ合う」。これを積み重ねていこうよ、と。

 ですが、「結晶」が見出されれば、若い世代だからこその思いを、社会に訴え掛ければよい。

 そうすれば、大人社会(政界、財界、メディアを含めて)を揺さぶる、振り向かせることができるのではないか、という思いが、正直強くある訳です。

 

 

 このような思いを、何故強く抱くのか。

 いろいろ理由、背景はあるのですが、自分が住む関西圏では、「関西から日本を変える」ということが、ある種うねりになりつつあることを感じます(ただし、その過程での、ある種の強権的な手法が望ましいとは正直思っていないことも付言しますが)。

 で、例えば、大阪では、原発の是非を巡る市民投票の請求がなされている。個人的には、市民投票で堂々と決着を付ければすっきりするじゃないか、と感じています。がれきも然り(というか、がれきこそなおさら市民投票で決着を付けるべきかと。個人的には、「助け合いの精神」で受け入れるべきだと思いますが)。

 しかし、市民参加で決着を付ければ、より納得できる方向性へと進めるだろうにと思うのに、まあ、違和感が拭えない強権的な手法で(誰とは述べません。まあ、賢明なる読者ならば御想像できるかなと思いますが。そして、WSDのヘスス・スアレス[スペイン]さんの言い回しをもじってしまい申し訳ないですが)、市民の声を握りつぶすのはいかがなものか、と(勿論、信念の重要性は言わずもがなですが、それと共に、多様な見解に耳を傾ける姿勢も大切と考えます)。

 これはあくまでも一例にすぎませんが、やはり、硬直的な大人社会を振り向かせないと、復興が道半ばで挫折しかねない(現に、阪神淡路では10年以上の歳月を要した。このときは、当時の兵庫県知事の貝原俊民さんの手腕に多くを依拠したことが否めないと自分は思っています)。

 ならば、若い世代こそ声を上げようよ、と。それが、根底の思いとしてある訳です。

 

 

 で、話題を元に戻すと、うちのテーブル(発信)は、12時45分過ぎまで(つまり、ぎりぎりまで)意見集約に時間を掛けました(テーブルの仲間、ごめんなさい!)。

 で、福島駅東口の「街なか広場」に移動。「たすきリレー」のゴールには間に合わず。既に壇上でスピーチになっていました。

 その後、「Guest Talk Session」(これが2回目のプレゼン。何とうちのチームがトリでした)。

 ここでは、高橋歩さん(オンザロード代表)が登場。ようやく初めてお会いできました(ただ、直接話すことはできませんでしたが…)。

 で、14時20分過ぎから、いよいよ、絶対に忘れてはならない、運命の時間へ。

 追悼モードを添えるべく、有志による鎮魂の演奏へ。その有志の中心で、フルートを奏でた女性は、徳島からきたとのこと。

 

 で、14時46分。黙祷。思わず、涙がぽろりとこぼれおちました。

 黙祷の直前(5分前くらい)から雨がぽつぽつ。で、黙祷を終えると、程なくして雨が止んだ。

 これはどういうことなのか。逝った人間の涙雨なのか。何かを暗示するような感覚でした。

 

 その後、17時から、福島県庁にて、キャンドルナイトに参加。

 このとき、初めて、JASPの代表(佐藤宗さん)に挨拶。

 最初は、畏れ多い感じかなと思いきや、想像していたよりも親しみやすい感じでした。

 で、自分も、キャンドルの着火にチャレンジ。およそ4本くらい着火したでしょうか。

 静かに燃える灯。想いよ、届け。あなたは一人ではないから。

 心の中で、そう言い聞かせながら、キャンドルを灯した次第です。

 

 キャンドルナイトのときから、雨が降り、19時前に、仲間と別れました。

 で、19時頃から、幻想的な雪が降り出しました。

 そして、21時、福島駅西口を出発、という感じです。

 

 

 少なくとも、一つ悔いがあります。それは、懇親会に参加できなかったことです。

 既にバスチケットを取ってしまっていたので。仲間の「想い」をじっくりと聴ける貴重な機会を逃した感じでした。

 そう。今回の反省点を挙げれば、「もっと予算を掛けないと」ということ。

 高速バス代然り。宿泊費捻出然り(宿泊費に掛ける予算捻出までできず、懇親会参加を断念することになりましたから…)。

 

 今夏、3~4週間スパンで、腰を据えた現地参加を叶えたい、と思っています(できることならば、子どものために、に重点を置いた活動をしたい、と思っています)。

 それ相応の活動資金を考えることになる(個人で活動することを、どうしても視野に入れることになるだろうから)。

 そして、福島のためにできること。心に笑顔をもたらせる支援の在り方。

 まだまだ漠然とではありますが、とても深く考えさせられます。

 

 

 ですが、正直、強く感じること。

 「JASP福島」に、参加してとてもよかった、ということです。

 いろいろと深く考えさせられる。学んだこともいろいろとある。これから整理していく感じになるのかな、と思います。

 ただ、今回学んだことの一つに、下記のことがあります。

 

 「自分の物事の考え方の一面性」。

 

 自分ではそういうつもりは、あまりありませんでした。ですが、今回、特に「Talk Discussion」の議論の過程で、「一方的な発信の危うさ」を話し合って、自分の考え方の一面性に気付かされる訳です。

 「違いを認め合える」「本音をぶつけ合える」。

 この半年(特に、昨年の年末以後)、強く考えさせられているのですが、改めて、深く考えさせられます。

 

 そのように前向きに思えるのは、今回の「JASP福島」を通して、素敵な人間性を持っている仲間に出会えたからです。

 とても深く感謝したいと思いますし、今回の出会いを、より実り多いものへと膨らませていきたい、と強く思う訳です。

 

 これまで、特に御世話になってきた「Youth for 3.11」。

 今回、参加させて頂いた「JASP」。

 それぞれに片足を突っ込ませて頂くことになったなあ、としみじみと感じます。

 (尤も、どちらも運営に参加していませんけど。涙。でも、どちらも自分にとっては、恐らく永遠にかけがえのない存在であると強く感じます。)

 

 そして、今回(つまり、「3・11」から1年という歳月、そして、JASP福島のイベント)は、決して区切りではない(というよりも、自分は、「区切り」という考えに強い違和感を抱いています)。新たなるステージへの始まりである、と自分は強く感じる次第です。

 長い時間と労力を、恐らく覚悟せざるを得ないでしょう。しかし、決して諦めることなく、「想いを一つ」にすることができれば、素敵な結晶になるはず、と強く信じる訳です。

 

 自分も、今回の「JASP福島」の経験、学んだことを生かして、自分なりの復興支援は勿論、一人の人間としての自己研鑽に絶対に生かしたい、と強く誓う次第です。

 そして、今回であった素敵な仲間に、及び、これまで出会った仲間に、この場を借りて、感謝の思いを申し伝えたいと強く思います。

 

 

 今後も、折に触れて、復興エントリーを、自分なりに考察したい、と強く考えております。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

3月

08日

「『3・11』から間もなく1年を迎えるにあたって思うこと(心に光を灯し続ける思い)。」

 

こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第11回のブログエントリーの論題は、「『3・11』から間もなく1年を迎えるにあたって思うこと(己の無力さと向き合う思い)。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の10回目になります。 そして、復興ブログエントリーの5回目になります。

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 (図解1)自分(愛球人)が、最近読んだ、あるスポーツ雑誌を通して、「心に響く言葉」。

 

 (1)「自分の言動に自覚と責任を持ちなさい。」

 (根岸夢。東京成徳大附属→早大。PG。PFクラスのサイズながら視野の広さとシュートレンジを兼備。)

 

 (2)「環境に感謝する心を常に持て。」

 (野原利江。岐阜女子→立命館大。SF。主将としてチームを鼓舞。指導者志望とのこと。)

 

 (3)「誰にでもできることを誰にでもできる選手になれ。」

 (池谷悠希。富士学苑[山梨]→三菱電機。PF。リバウンド、3Pを兼備するオールラウンダー。)

 

 (4)「夢を持ち続ける限り、努力し続ける限り、夢は遠くない。」

 (大沼美琴。山形商→JX。SF。世代屈指の点取り屋。今春のウィンターカップ準優勝の原動力。)

 

 (『月刊バスケットボール』2012年4月号、100頁~101頁。)

 [いずれも、2011年年末の女子バスケのウィンターカップに出場した現高3になる。]

 

 

 今回、冒頭において、バスケットボールの全国大会に出た、女子高生の言葉を取り上げました。

 これは、何か一つのことに打ち込む人間の言葉には、それ相応の説得力があると考えること、そして、純粋に心にじーんと響く言葉だから、ということがあります。

 

 ここに挙げたのは、女子バスケに打ち込む高校生。その上には、WJBLがあります。

 野球でいうNPB、サッカーでいうJリーグ(なでしこリーグ)のような感じですね。

 尤も、日本の女子バスケ(WJBL)は、良くも悪くも、JXの1強になりつつありますし、代表レベルでいえば、体格差の問題がどうしてもあるとはいえ、どうしても現状では特定個人への依存度(特に、大神、渡嘉敷。高田真でさえ代表の試合ではまだ頭打ちの現状)が強いことが否めず、五輪出場さえアップアップの現状ですが…。

 

 ですから、最初に、女子バスケに打ち込む高校生の言葉を取り上げた理由の一つには、やはり、特に中高の部活レベルで最も盛んなスポーツとしてバスケットボールがある、だからこそなおさら、現在の若い世代には、日本のバスケのレベルをより向上させる大きな原動力になって欲しい、という願いが籠められているのです。

 

 

 いきなり話題を脱線させた感じがありますが、ここで、上記の4つの言葉を取り上げたのは、純粋に自分の心のじーんと響くから、ということがあります。

 

 例えば、(3)で示した、「誰にでもできることを誰にでもできる選手になれ。」

 換言すれば、「当たり前のことを当たり前にできる人間になれ。」ということでしょう。

 頭では理解できる。ですが、いざ行動に移そうにも、なかなかできない。

 「言うは易し行うは難し」とはこのことか、みたいな。

 

 基礎を一つずつ積み上げていくこと。学ぶことを主として、「人間として大切なこと」の大きな一つの要素として、このことが、とても大切なことであるように考える訳です。

 それができる人間が、ある種「自己実現」を叶え得るのかな、と思いますし、いかにして、ある種の「やり方」「コツ」「方法論」を見出していくのか。

 

 自分は、サッカー大好き人間でもあるのですが、サッカーチームの考察において、事あるごとに、「自分たちのサッカースタイルの構築及び具現化の必要性」を主張しています。

 これは、基礎を積み上げることの重要性、と強く感じてならないから、ということが、大きな要素としてあります。

 

 

 あるいは、(1)で示した、「自分の言動に自覚と責任を持ちなさい。」

 これも、人間として、とても大切なことであると思うんですよね。

 ここで示した根岸も、高3時代、主将でした(高1のときからレギュラーを張っていた)。

 潜在能力は高いのに、大一番でそれを持て余している感じが否めませんでしたが。

 

 だからこそ、なおさら説得力を抱くのかもしれません。

 自分も、中学校、高校時代に、副級長、学級委員を、1回目の大学時代に、ゼミ長を経験しました。

 いわば、他者を引っ張る立場と支える立場を、両方経験してきましたが、頭でイメージしたことがなかなかできずにもがき苦しんできた。

 だからこそ、強く感じるのです。「自分の言動に自覚と責任を持てる人間」は、とても素敵な人間である、ということを。これは、果たして、どういうことでしょうか。

 

 ここで言及したいこととして、下記のことがあります。

 

 

 (図解2)「パーソナリティー」とは。

 (『ワールドサッカーダイジェスト(WSD)』2012年3月15日号、45頁。)

 

 「『パーソナリティー』とは、『責任から逃げない強靭な精神力』のことである。」

 

 

 自分は、普段は「自己主張が強い」人間であるはずなのに、肝心なところで、「自己主張ができない」、この思いに、ずっと苦しみ続けてきました。

 より一層深く述べれば、「自分らしさ」を肝心なところで表現できない、と抱き続けてきた訳です。

 

 ですから、WSDの最新号を閲読して、「自分に『自分らしさ』が乏しい理由」が、手を取るように伝わってきた感じなんですよね。

 「責任(逆境、使命)から逃げない強靭な精神力」。

 確かに、自分には、これが泣きたいくらいに乏しいな、と。

 

 この半年、復興支援活動に参加させて頂く過程で、素敵な仲間に何人も出会えております。

 「違いを認め合える」。「本音をぶつけ合える」。

 ずっと求め続けてきたこのことを、やっと認識できるようになったのは、仲間との出会いによるところが大きい、と強く感じる訳です。

 

 いま、仲間に出会えて成長できてきているかな、と思えるのは、恐らく、現在交流させて頂いている仲間は、「自分」を持っている、と思う訳ですね。

 「芯の強さ」「責任感」「思いやり」。

 恐らく、そういったことを内包しての意味での、「パーソナリティー」の持ち主である、と思う訳です。

 

 

 いま一度、先日(2月25日。復興エントリー第4回)のブログエントリーにて言及した一節を、再掲してみましょう。

 

 

 (図解3)『ワールドサッカーダイジェスト』2011年3月3日号、84頁~85頁。フランソワ・ヴェルドネ「世界を斬る!」[フランス]

 

 「彼はいささかナイーブすぎるのだ。逆境を跳ね返すだけの精神的な逞しさを、彼は持ち合わせていないのである。

 (中略)

 なによりも自分自身のために、彼は変わるべきだ。その内向的すぎる性格が、成功を阻んでいるのは間違いないのだから。

 才能に疑いの余地はない。このまま埋もれさせてしまうのは、あまりにも惜しい才能である。天から授かった特別な才能を、グルクフは開花させる義務を負っているのだ。」

 

 

 この文章を改めて読み返すと、自分が、復興支援活動に参加させて頂くのは、勿論、「自己実現」のため、純粋に助けたい一心であるため(自己実現と述べたが、何らかの形で社会貢献の道に携わりたいと強く抱いているから。教職にせよ、NPO・NGOにせよ、警察官にせよ、いずれにもいえることとして)、であると思うのですが、恐らく、「自分の『パーソナリティー』を身に付けるため」であるように思う訳です。

 自分はこれまで、「パーソナリティー」が、全くないわけではなくとも、弱かったことが否めない。だから、これまで回り道を余儀なくされてきたように思う。

 恐らく、「パーソナリティー」を身につけない限り、「自己実現」には手が届かない。

 純粋な思いは勿論ですが、自分を高めるために、復興支援への思いを、日を追うごとに強めているのかもしれません。

 

 

 いずれにせよ、息長い復興支援(そして、社会人になっても。というか、自分としては、何らかの形で、できるだけダイレクトに、復興支援に携わることができれば、と強く思っております)に携わりたい、と強く心に誓っている。

 この思いを心に秘めて、3月10日夜、大阪から福島へと出発します。

 「0泊3日」の超強行日程ですが、「JASP in FUKUSHIMA」に参加させて頂く次第です。

 

 いま一度、改めて、JASPのリンクを、貼らせて頂きたく思います。

 

 「JASP」の公式HP。

 http://watalucky.com/jasp/

 

 

 「3・11」から1年、ということは、福島から帰阪してから、というときも、ブログエントリーを執筆できれば、と考えております。

 いずれにせよ、「自分なりの復興支援」をより深める契機にする、それが、「3・11」から1年、2回目の現地参加としての、福島での学びにしたいものです。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

3月

05日

「2012年Jリーグ1部、自分なりの開幕直前考察(その3)。」

  こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第10回のブログエントリーの論題は、「2012年Jリーグ1部、自分なりの開幕直前考察。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の9回目になります。そして、サッカーブログエントリーの3回目になります。

 今回は、掲示版とのコラボエントリーの2回目、という位置付けです。今回は、「議論するエントリー」と「感じることを伝えながら読者と意見交換をもしたいエントリー」の中間型という位置付けになるかなと思います。

 今回は、とても長い文章になるので、(その1)(その2)(その3)に分割して執筆させて頂きます。

 

 ブログ本体については、コメント欄は設けません。その一方で、読者との議論、意見交換的な意味付けとして、掲示板にてコメント欄を設けさせて頂く感じです。

 私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、(その2)の続きから、考察を始めます。

  恐らく、主観全開になるであろうことを御理解頂けますと、とても有難く思います。

 

 

 (その2)では、ACL出場チームを主体として考察しました。

 (その3)では、その他のチームの中でも、自分が注目しているチームを主体として、考察したいと思います。

 

 

 (図解5)愛球人が考える、2012年浦和理想布陣。

 システム(3-4-2-1)

 監督(M・ペトロビッチ)

 

                     達也

                 (デスポトビッチ、ポポ)

             元気               直輝

            (エスクデロ)          (マルシオ)

 梅崎                                       高橋峻

(宇賀神、野田)                                 (平川)

             柏木               小島

            (岡本)             (鈴木啓)

         槙野          阿部勇          スピラノビッチ

        (坪井)      (永田充、山田暢)       (濱田)

                     加藤順

                    (山岸範)

 

 

  

 (図解5B)愛球人が考える、2012年浦和の持ち味と不安要素。

 

 [持ち味]

 (1)戦術家であるミシャ(ミハイロ・ペトロビッチ)の指揮官就任。そしてそれに伴う「浦和としてのサッカースタイル」の構築及び具現化への強い期待感。

 (2)個人能力の高さ。レギュラー陣の潜在能力ならば、ACLレベルに到達しても何ら不思議ではない。

 (3)有望な若手、中堅を多く擁すること。特に、「直輝と柏木の共存」に成功できれば、それだけでも大きな戦力アップになる。

 (4)指揮官の志向するスタイルを熟知する、柏木、槙野の存在。また、イングランドでもまれた阿部勇の豊富な経験も、強みといえるだろう。

 (5)熱狂的なサポーターの存在。特にホームでは精神的なアドバンテージになり得る。

 

[不安要素]

 (1)良くも悪くも頑固な指揮官であるので、「3-4-2-1」が機能しないときのオプション的布陣を用意できるか否か。また、ミシャのスタイルは難解なメカニズムといわれるので、それに対応できる選手が限られる危険性も起こり得ること。

 (2)ここ2年間の懸案といってよい「直輝と柏木の共存」を具現化させ得るか。失敗すればそれだけでも不協和音リスクを内包することになる。

 (3)選手構成のアンバランス性。特に2列目に有能な選手を多く擁する一方で、特にCFに若干の手薄感がある。思い切ったコンバート策も有益ではと思うのだが。

 (4)世代交代も、ここ3年間の懸案事項である。勿論、経験豊富なベテランの存在の重要性は言わずもがなだが、費用対効果に見合わぬパフォーマンスと判断されたときに、プレータイムを落とす勇気をどれほど持てるのか。

 (5)有望な若手を多く擁することは大きな強みであるが、直輝、元気、高橋峻、濱田には、ロンドン五輪出場の可能性がある。少なくとも複数選手が五輪期間中不在になることが想像されるだけに、その際のチームマネジメントをどうするのか。

 (6)結果が出なかったとき、一部のサポーターがしびれを切らして解任論を叫び出すリスク。かつてフィンケ政権はわずか2年間で、志半ばで挫折に事実上追い込まれたが…。

 

 

 今季、ACL出場チーム以外での、最大の注目チームを挙げよ、といわれれば、その一つに浦和を挙げます。

 理由は、戦術家であるミシャの指揮官就任によるところが大きいです。

 ただ、結論的に述べましょう。

 

 

 「『石の上にも3年』『ホップ、ステップ、ジャンプ』という言葉があるが、今季はミシャ政権のあくまでも1年目に過ぎない。志向するサッカースタイルには強い可能性を感じるだけに、今季及び来季は、あくまでも『内容重視』に徹することが大切かと。

 勿論、例えばJ2降格が現実性を帯びれば、話は別かもしれないが、よほどのことがない限り、今季及び来季は、安直な指揮官解任論は叫ぶべきではないと強く考える。勝負の年は、3年目、つまり、2014年シーズンと位置付けるべきであろう。

 尤も、ミシャ政権におけるチームの、選手の成長を温かく見守るスタンスの重要性を主張するといえども、『建設的批判』は大いにあってしかるべきである。それを経てこそ成長できると考えるからである。

 一つの目安として、今季は『勝ち点50』に到達できれば及第点かと。ただ、結果を焦らず、地道に土台作りに専念して欲しいと強く願う。」

 

 

 良くも悪くも、浦和は、「熱狂的なサポーター」あってこそのチームです。

 そして、「数は力」をエネルギーの源泉にしてきた感がありますし、現に、浦和のいないJ1は、特に集客面でのダメージがあまりにも甚大でしょう。

 そして、「ファンあってのスポーツ」です。やはり、浦和が、ACLトロフィーを、そしてJでの優勝争いを、コンスタントに担い得るチーム力を取り戻すことが、J1にとって望ましいことの一つであるように、自分は考える訳です。

 そのためにも、「浦和としての自分たちのサッカースタイル」の構築及び具現化は、もはや待ったなしです。ですから、ミシャ政権は、「最大にして後のない壮大なチャレンジ」と自分は考えております。

 

 とはいえ、ただでさえ、ミシャスタイルは難解といわれます。正直、自分も、「ミシャスタイル」のメカニズムの理解は、今季の大きなテーマです。

 ただ、手持ちの選手の個人能力は高いだけに、そうなると、いかにして選手を組み合わせるか、ということが、求められるように映る訳です。

 

 現状として、CFの手薄さが指摘されており、CFはデスポ、ポポ、マルシオ、エスクデロ、達也、5人の選択肢がいわれております。

 いずれの方法もあってよいと思いますし、個人的には、特に達也の完全復活を強く希求しておりますが、自分は、下記の方法もテストしてもよいのではないか、と思うのです。

 

 「CF元気、2シャドーに直輝と柏木」。

 自分は、このことを、強く期待しているのです。

 

 この場合、元気は「裏への飛び出し」「前線からの守備」の2つが主たるタスクになりますが、それと共に、「足元でのポストプレー」も求められると思うのです。現に寿人は、これにより「9.5番的なプレースタイル」、つまり、「前線での創造性」を発揮できるFWへと進化を遂げました。

 そう。もしも、「元気、直輝、柏木」の前線トリオが誕生できれば、直輝と柏木の共存問題も解決できますし(その場合、守備陣の構成の問題が生じ得るし、クロスの工夫をどうするの、という問題も起こり得るが)、元気の創造性の向上にもなり、それがチーム力の向上になるのでは、と思う訳です。

 

 また、ベテランの処遇も重要な要素になるかと思いますが、特に阿部勇には、強い注目感を抱きます。1年半のイングランドでの経験をチームに還元してくれると思いますし、卓越するサッカーIQは、それだけでも「違い」になり得るといえるでしょう。

 守備のマルチロールでもあるので、プラスの意味で起用法に頭を悩ませるかもしれませんが、状況に応じて、リベロなりCHなりでの起用の使い分けが可能かなと思いますし、何よりも、チームを鼓舞し得る「精神的支柱」として強く期待できる感じがある訳です。

 阿部勇、達也が、「若手の手本」として君臨できれば、それだけでも大きなプラスの要素になり得るはず、と自分は強く考える訳です。

 

 

 

(図解6)愛球人が考える、2012年大宮理想布陣。

 システム(4-2-3-1)

 監督(鈴木淳)

 

                     ラファエル

                    (長谷川)

 曹永哲                 カルリーニョス              東

(鈴木規、橋本早)           (金久保)                (市川)

             上田               青木拓

            (金澤)             (片岡)

 下平          金英権              菊地光         渡邉大

(村上)        (坪内)             (深谷)        (渡部)

                     北野

                    (江角)

 

 

 (図解6B)愛球人が考える、2012年大宮の持ち味と不安要素。

 

 [持ち味]

 (1)ラファエル、曹永哲、カルリーニョスという、個人能力の高い3人の外国人選手の存在。起用法によるが、うまくかみ合えば、存在自体で相手守備陣を混乱させ得る可能性を感じる。また、曹永哲が新潟時代に指揮官の戦術を経験していることも、強みといえるだろう。

 (2)選手層がそれなりに揃っていること。また、指揮官の志向するスタイルの構築に着手して、今季で3年目になるので、それなりに熟成されつつあること。

 (3)上田、東、下平等、潜在能力の高い有望な若手、中堅の存在。

 

[不安要素]

 (1)カルリーニョスが額面倒れになった場合。あるいは、攻撃陣として有能な外国人を3人も擁することで、攻撃面で個人能力への依存度を増大させるリスク。

 (2)メンタル面の弱さ。ここ数年、移籍市場での補強は的確なはずなのに、特にシーズン中盤以後、徐々に調子を落としていき、終盤になり帳尻を合わせて残留、というパターンになっている。

 (3)金英権、曹永哲、東、青木拓と、最大で4人にロンドン五輪出場の可能性がある。その際、どのような代替策を用意できるのか。

 (4)指揮官のスタイル構築から今季で3年目になり、「勝負の年」。結果が出ない場合、焦りから負のスパイラルになりやするまいかという危険性。

 

 

 実は、今冬の移籍市場で、自分が最も高く評価しているチームの一つが、大宮なんですよ。

 ラファエルのパートナー的存在に曹永哲。ゲームメイカーとしてカルリーニョス。左サイド強化に下平。守備力向上として菊地光。

 やや右サイドが弱いのではないか、という声も散見されますが、補強自体は、ピンポイントの補強で、理にかなっているように映る訳です。

 

 特に、指揮官戦術を熟知する曹永哲は勿論、カルリーニョスの獲得は、今冬の移籍市場の中でも、大きな話題でしょう。

 ブラジルの名門、サンパウロで、直近の2シーズン、第2ボランチのレギュラー。

 欧州や中東等との争奪戦の末、Jにきてくれたこと。

 これだけでも、大きな期待感を覚えます。

 

 CH、OH、左サイドに対応可能と伺い、長短のパスセンスが持ち味とのこと。

 個人能力の高さが評判通りならば、できるだけ高い位置で起用した方が、「違い」を活かせる感じがすると思うんですよね。上記の布陣図でOHに置いたのは、できるだけ攻撃に専念させる意図は勿論、上田との共存で、ボール支配力を向上させる意図もあります。

 あるいは、左の下平は、攻守のバランスに優れますから、右に超攻撃的な「サイドのマルチロール」、渡邉大を置けば、崩しの引き出しが向上し得るのでは、と考える訳です。

 そして、勝負どころになればなるほど真価を発揮するラファエルの存在も、大きな強みでしょう。

 

 これは自分の想像になるのですが、今冬の大宮は、昨季の柏にヒントを得たのではないか、と思う訳です。

 というのも、昨季の柏は、「分厚い選手層」「家庭的な結束力」をもっていた。選手層や家庭的結束力は、大宮の持ち味でもあります。

 それに加えて、恐らくですが、「攻撃面における外国人の個人能力」という意味で、柏からヒントを得たように思うのです。現に、柏の躍進は、良くも悪くも、レアンドロ、J・ワグネルの個人能力(そして2人の共存の成功)に少なからず依拠していますから。

 

 その意味で、カルリーニョスの存在は、はまれば大きな強みになる一方で、その個人能力への依拠増大のリスクは勿論、もしも額面倒れになれば、そのダメージの甚大性をも考慮すると、期待感と危うさの両面を内包するように思うんですよね。

 それに、例えば昨季の渡邉大がそうだったのですが、どうも大宮には、「遠慮しがち」な傾向が散見される。失敗を恐れずもっとガンガン行けばよいのに、みたいな。それが、これまで「移籍市場では的確に振る舞えても、ピッチ上では消化不良に終わる」ことを繰り返してきたように思う訳です。

 

 ただ、逆にいえば、メンタル面を向上させられれば、チーム力を向上させ得ることになると思いますし、個人的には、鈴木監督の、「ピッチを大きく使いながらつなぐサッカー」という方向性は、決して間違っていないと思うんですよ。

 

 その意味で、今季の大宮は、下記のことを、強く抱く訳です。

 

 「補強自体は的確であるし、志向するサッカースタイルの方向性も間違っていない。一つの目安として、『勝ち点55』は、現実的な目標といってよい。

 ただ、だからこそ、『自分たちを信じる』心をどれほど持てるのか、そして、手持ちの選手の組み合わせの機能性をどれほど高め得るかが鍵を握る。

 特にカルリーニョスの存在は、諸刃の剣といえる。個人的には、上田と共存できる起用法をして欲しいと強く願うのだが。」

 

 

 (図解7)愛球人が考える、2012年清水理想布陣。

 システム(4-3-3)

 監督(ゴトビ)

 

                     新外国人?

                    (高原、伊藤翔)

 高木俊                                      大前

(樋口)                                  (河井、白崎)

             アレックス            小野

            (小林大)            (枝村、八反田)

                     ヨンアピン

                     (杉山)

 李記帝         岩下               平岡          吉田豊

(犬飼)        (姜成浩)            (村松)        (辻尾)

                     山本海

                    (林彰)

 

 

 (図解7B)愛球人が考える、2012年清水の持ち味と不安要素。

 

 [持ち味]

 (1)志向するサッカースタイルに可能性を感じること(特に強い攻撃性、仕掛けやトライアングルの意識)。流動性も昨季後半以後、徐々にだが向上してきた。

 (2)小野、高原、小林大等、経験豊富な選手の存在。「勝利のメンタリティー」において有益な存在である。

 (3)有望な若手を多く擁すること。特に攻撃陣は、大前、高木俊、伊藤翔、樋口、河井、枝村、八反田、白崎等、タレントぞろいである。

 (4)アンカーのヨンアピンの存在。運動量、ボール奪取力、読みの鋭さ、組み立て能力等、攻守両面で「違い」になり得る。

 (5)特に攻撃陣の分厚い選手層。戦況や手持ちの選手の調子に応じて、起用法に幅を持たせ得ることができる。

 

[不安要素]

 (1)選手構成のアンバランス性。攻撃陣の選手層はJでも有数の水準にあるが、守備陣の選手層は若干の不安感が否めない。アンカーのヨンアピンへの依存度をいかにして軽減し得るか。

 (2)小野、ヨンアピン等、軸となる特定選手の不在時のリスクマネジメント。守備陣の選手層の薄さを考慮すると、例えば、「3-3-1-3」や「4-2-1-3」等との併用があってしかるべきではないか。

 (3)結果が出ないときに、どれほど「自分たちのサッカー」を信じることができるか。特に小野が「精神的支柱」としてどれほどチームを鼓舞できるか(それ自体はできると信じているが、小野の故障リスクへの対応策が課題として残る)。

 (4)有望な若手を多く擁するが、大前、高木俊、吉田豊等、複数選手に五輪出場の可能性がある。その際の代替策をどうするのか(特に吉田豊不在時の守備陣の編成をどうするのか)。

 

 

 個人的に、昨季以後、清水のサッカーには、強い期待感を抱いています。

 「こういうサッカーを観たいんだ」と強く感じさせてくれるチームだと思うんですよね。

 とりわけ、自分は、「フィンケ政権時代の浦和」に、強い期待感を抱き(そして、方向性としては強く共感していただけに)、そして志半ばで挫折しただけに、なおさら、「ゴトビスタイル」の完成形をJで観たい、と強く願っているのです。

 

 確かにユングベリの退団は、ある程度のダメージは否めませんが、攻撃陣はタレントぞろいですし、大卒新人の河井、八反田、高卒2年目の樋口も、レギュラー陣に割って入り得る可能性を秘めると伺います(特に河井は定位置を手中にしても決して不思議ではないと思っている)。

 やろうとしているサッカーには、強い可能性を覚える。まだ好不調の波が拭えませんが、今季はまだ、ゴトビ政権の2年目ですので、「内容重視」に徹して然るべきと思うんですよね。

 あえて不安を挙げれば守備陣でしょう。やや層の薄さを感じますので。

 で、攻撃陣の層が分厚いことをも考慮すれば、例えば、「3-3-1-3」として、(3バック:右から、吉田豊、岩下、平岡[村松]、アンカー:ヨンアピン、SH:枝村[小林大]、アレックス[河井]、OH:小野、WG:大前[伊藤翔]、高木俊[樋口]、CF:新外国人?[高原])という方法もあってよいと思うんですよね。「できるだけ攻撃に人数を掛ける」ことをより徹底する意味でも。

 

 いずれにせよ、今季の清水は、下記のことを、強く抱く訳です。

 

 「『石の上にも3年』『ホップ、ステップ、ジャンプ』という言葉があるが、今季はゴトビ政権のあくまでも2年目に過ぎない。志向するサッカースタイルには強い可能性を感じるだけに、今季は、あくまでも『内容重視』に徹することが大切かと。

 勿論、例えばJ2降格が現実性を帯びれば、話は別かもしれないが、よほどのことがない限り、今季及び来季は、安直な指揮官解任論は叫ぶべきではないと強く考える。勝負の年は、3年目、つまり、2013年シーズンと位置付けるべきであろう。

 手持ちの選手、特に攻撃陣はタレントぞろいで層が分厚い。それを考慮すれば、例えば『3-3-1-3』へのチャレンジが大いにあってしかるべきではないか。

 幸い、大前、高木俊をはじめ、有望な若手、中堅を多く擁しているので、それを通して底上げができれば、中長期的に楽しみなチームを生み出せる可能性を感じるので、大きな期待感を抱くのだが。

 一つの目安として、今季は『勝ち点55』に到達できれば及第点かと。ただ、結果を焦らず、地道に土台を積み上げることに専念して欲しいと強く願う。」

 

 

 (図解8)愛球人が考える、2012年神戸理想布陣。

 システム(4-4-2)

 監督(和田昌浩)

 

             大久保              田代

            (吉田孝、茂木)         (都倉)

 小川                                      野沢

(森岡)                                    (奥井)

             橋本英              伊野波

            (三原)             (田中英)

 相馬          高木和              北本         朴康造

(林圭)        (河本)             (羽田)       (近藤岳)

                     徳重

                    (植草)

 

 

 (図解8B)愛球人が考える、2012年神戸の持ち味と不安要素。

 

 [持ち味]

 (1)経験豊富な選手を多く獲得したことで(特に、野沢、橋本英)、「勝利のメンタリティー」を浸透させる可能性を秘める。それがチーム力向上に直結し得るかと。

 (2)事実上の純国産(朴康造も日本で生まれ育っていると伺うので)。その意味でも、家庭的な結束力を高め得ると思うし、特定選手への依存度を増大させにくいサッカースタイルを具現化し得るので、中長期的にプラスかと。

 (3)選手層がそれなりに揃っていること。また、大久保、野沢、伊野波、北本と、各ポジションに「軸」を擁していることも、強みといってよい。

 

[不安要素]

 (1)全体的にベテラン選手への依存度が大きい。特に運動量勝負に持ち込まれたとき、どれほど対応できるのか。シーズン終盤でのガス欠感への不安リスクもある。

 (2)軸となる選手に故障リスクが否めないこと(大久保、橋本英、野沢等)。選手層がそれなりに厚いとはいえ、不在時のリスクマネジメントをどうするのか。その意味でも、若い選手の底上げが大切になってくる。

 (3)(1)(2)にも関係するが、例えば、左MFを競うであろう小川、盛岡、左SBの林圭、CHの三原がどれほど成長し得るかに掛かってくるかと。それができれば、チーム力向上に直結し得ると思うが。

 

 

 今冬の移籍市場で、高く評価されているのが、神戸です。

 自分も、神戸の今季にかける「本気度」を強く感じますし、一人の関西人としても、強く期待しております。

 

 恐らく、期待感の最大の要素は、「勝利のメンタリティー」でしょう。

 実質的な純国産であることも、期待感を強める一つの要素になっているかな、と思います。

 

 では、今季の神戸は、下記のことを、強く抱く訳です。

 

 「選手の質も量も、全体的に大きく向上させた感じがあり、『勝ち点55』クラスは充分見込み得る陣容である。ただ、良くも悪くも、ベテラン重視の陣容に映ることが、リスク誘因にもなり得る。

 『勝利のメンタリティー』を浸透させる強い意志が伝わってくることは好感であるが、今季は、『支配力を高める』ことに最大の重きを置いた方がよいのではないか。」

 

 

 (図解9)愛球人が考える、2012年C大阪理想布陣。

 システム(4-2-3-1)

 監督(セルジオ・ソアレス)

 

                     ケンぺス

                    (杉本、播戸)

 柿谷                  ブランキーニョ              清武

(永井龍)               (吉野)                (村田和)

             金甫昊              扇原

            (山口蛍)            (船津、黒木聖)

 丸橋          藤本康              茂庭          酒本

(児玉)        (山下達)            (横山)       (高橋大)

                     金鎮鉉

                    (松井謙)

 

 

  (図解9B)愛球人が考える、2012年神戸の持ち味と不安要素。

 

 [持ち味]

 (1)クルピ政権時代での「強い攻撃性」という土台があり、その上でさらなる強い攻撃性を志向することを掲げていることへの期待感。選手層もそれなりに揃っている。

 (2)有望な若手を多く擁すること。清武、柿谷、扇原、丸橋、等々、さらなる伸びしろを感じさせる。若手の成長とチーム力向上が直結しやすいことは大きなプラス。

 (3)指揮官戦術を知るブランキーニョの存在。また、GKの金鎮鉉の存在も、強みといえるだろう。

 

[不安要素]

 (1)若い選手主体であるが故の好不調の波の激しさ。また、ロンドン五輪に恐らく複数選手が選出される可能性が大きく(金甫昊、清武、柿谷、扇原、丸橋、等々)、そのときの代替策をどうするのか。

 (2)結果が出ないときに、どれほど「自分たちのサッカー」を信じることができるか。

 

 

 やはり、一人の関西在住のサッカーファン、ということにおいては、C大阪も、注目感を抱きます。

 特に、新指揮官のS・ソアレスは、かつて京都でもプレーしており(短期間ではあったが)、Jのサッカーも認識している。強い攻撃志向を、ブラジル時代でもピッチ上で表現していると伺うし、クルピ政権で培った土台も、強みといえるでしょう。

 

 清武、金甫昊が、今夏に国外移籍するのではないか云々がいわれますが、自分はそれ自体については、さほど悲観していません。確かにある程度のダメージは否めませんが、柿谷の徳島時代での成長ぶりを考慮すれば、という思いがあるのです。

 むしろ不安要素は五輪開催期間中でしょう。複数の選手が五輪で抜ける可能性が高い。そのときをどう乗り切るかの方が重要になってくるのではないか、と思うのです。

 

 実は、これはどうしてもある種の感情論になってしまうのですが、自分にとって、柿谷は、ジュニアユース時代から期待、注目し続けてきた、超がいくつも付くほどの、「特別な思い入れ」の強い選手なんですよね。だから、どうしても期待感は他の選手以上のものになってしまう。

 徳島で、持ち味の創造性や仕掛けのみならず、献身性や運動量、守備意識を大きく向上させ、課題のメンタル面も、芯の強い選手になってきたかな、と感じる訳です。ややフィニッシュに課題を残しますが、それでも大きな成長を遂げていると強く感じる。贔屓目抜きにしても、ロンドン五輪に到達しても何ら不思議ではない、と思っている訳です。

 

 特に攻撃陣に有能なタレントを多く擁しているので、手持ちの選手(特にMF陣)をどのように組み合わせるのか(特に、金甫昊をCHか2列目かいずれで起用するのか)、それが一つの鍵になると思っている訳です。

 仮に、清武、金甫昊が今夏に退団する場合は、3つの方法があると思う訳です。

 

 (1)「4-4-2」(2トップ:ケンぺス、杉本。2列目:ブランキーニョ、柿谷。2CH:扇原、山口蛍)。

 (2)「4-2-3-1」(FW:ケンぺス。2列目(右から):永井龍、ブランキーニョ、柿谷。2CH:扇原、山口蛍)。

 (3)「4-1-3-2」(2トップ:ケンぺス、杉本。2列目(右から):永井龍、ブランキーニョ、柿谷。CH:扇原)。

 

 むしろ問題は、五輪開催期間中と思っているのです。攻撃陣だけでも、清武、金甫昊、柿谷、扇原の五輪出場の可能性、と考慮しての代替策を、下記に示してみたいと思います。

 

 「4-1-3-2」(2トップ:ケンぺス、杉本。2列目(右から):吉野[村田和]、ブランキーニョ、永井龍。CH:山口蛍)。

 

 いずれにせよ、今季のC大阪は、下記のことを、強く抱く訳です。

 

 「強い攻撃志向、そして、有望な若手を多く擁することをも考慮すると、強い期待感を抱く。しかし、五輪期間中をはじめ、軸となる選手を書くときの代替策をどうするのか。

 『石の上にも3年』『ホップ、ステップ、ジャンプ』という言葉があるが、今季はソアレス政権のあくまでも1年目に過ぎない。志向するサッカースタイルには強い可能性を感じるだけに、今季及び来季は、あくまでも『内容重視』に徹することが大切かと。

 勿論、例えばJ2降格が現実性を帯びれば、話は別かもしれないが、よほどのことがない限り、今季及び来季は、安直な指揮官解任論は叫ぶべきではないと強く考える。勝負の年は、3年目、つまり、2014年シーズンと位置付けるべきであろう。

 一つの目安として、今季は『勝ち点50』に到達できれば及第点かと。ただ、結果を焦らず、地道に土台を積み上げることに専念して欲しいと強く願う。」

 

 

 他にも、いくつかのチームについて、少しだけ言及したいと思います。

 布陣図を用いないことを、そして、いくつか言及しないチームがあることを、何卒御理解頂けると有難く思います。

 

 まず、鹿島ですが、伝統の「4-4-2」が、良くも悪くも「金科玉条」の感じになり過ぎていたように、自分は映る訳です。

 新指揮官のジョルジーニョは、「4-3-1-2」の導入に着手か、と伺いますが、むしろ現有戦力に照らせば、「4-3-3」の方が的確ではないか、と思う訳です。

 そうすると、3MFは、「柴崎、増田、小笠原」で対応できますし、3トップは、CF大迫、左に興梠(ジュニーニョ)、右に遠藤康(アレックス、佐々木)という感じで、しっくりいくように思う訳です。

 いずれにせよ、今季の鹿島は、「再建モード」感が強いので、結果ではなくて、スタイルをいかにして「深化」と「修正」を両立させるのか、それに徹することが大切であるように思います。

 

 次に、横浜FM。俊輔、中澤佑という「攻守の軸」の存在、そして、伝統の「堅守」という強みを感じます。

 ですが、その一方で、守→攻への切り替え、そして世代交代が、長年の課題になりつつあるとも思う訳です。

 地力ならば、ACLに手が届き得るとは思います。ただ、特に俊輔不在時の攻撃をどうするのか。

 個人的には、例えば、小野裕、斎藤学の「スモール2トップ」にして、縦への速さをより前面に押し出す、そして俊輔の位置に、よりスピードに優れる森谷、松本玲あたりを起用して、ピッチを大きく使う意識を押し出すことに活路を求めてもよいのでは、と思います。狩野の完全復調も、大きな鍵を握る要素になるでしょう。

 

 そして、仙台。昨季は「気持ちで勝った」感じが伝わってきて、「全員攻撃全員守備」の浸透が伝わってきた感じですが、特に守備陣にやや層の薄さを感じます。

 「4-4-2」を主体にしてきましたが、新外国人のウィルソン、サッコー二の特性をも考慮すると、「4-3-3」を導入して、3MFを「角田、サッコーニ、梁勇基」、3トップを、CFウィルソン、左に赤嶺、右に関口(松下、太田吉)にする方が、しっくりいくと思いますし、攻撃意識の向上になり得るのでは、と考える訳です。

 「勝ち点55」クラスが一つの目安になるように思いますが、背負うものが大きくてプレッシャーが強いかもしれませんが、「鉄の如き結束力」で、ACL出場権を叶えて欲しい、と自分は強く希求する次第です。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

3月

05日

「2012年Jリーグ1部、自分なりの開幕直前考察(その2)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第10回のブログエントリーの論題は、「2012年Jリーグ1部、自分なりの開幕直前考察。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の9回目になります。そして、サッカーブログエントリーの3回目になります。

 今回は、掲示版とのコラボエントリーの2回目、という位置付けです。今回は、「議論するエントリー」と「感じることを伝えながら読者と意見交換をもしたいエントリー」の中間型という位置付けになるかなと思います。

 今回は、とても長い文章になるので、(その1)(その2)(その3)に分割して執筆させて頂きます。

 

 ブログ本体については、コメント欄は設けません。その一方で、読者との議論、意見交換的な意味付けとして、掲示板にてコメント欄を設けさせて頂く感じです。

 私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、(その1)の続きから、考察を始めます。

 恐らく、主観全開になるであろうことを御理解頂けますと、とても有難く思います。

 

 

  (図解2)愛球人が考える、2012年名古屋理想布陣。

 システム(4-3-3)

 監督(ストイコビッチ)

 

                     ケネディ

                    (永井謙)

 玉田                                       金崎

(田中輝)                                    (田鍋)

             藤本淳              小川

            (中村直)            (磯村)

                     ダニルソン

                     (吉村)

 阿部翔         ダニエル             闘莉王         田中隼

(佐藤和)        (増川)            (新井)        (石櫃)

                     楢崎

                    (高木義)

 

 

 まずは、名古屋の考察から。

 これは、一人のサッカーファンとしての持論なのですが、自分は、下記の思いを、強く抱いているのです。

 

 「Jの有力クラブたるもの、『自分たちのサッカースタイル』の構築及び具現化は勿論であるが、このことと共に、『ACLトロフィー』を最大目標として然るべきである。」

 

 このことに照らせば、今季のJクラブにおいて、「ACLトロフィー」ということに照らせば、名古屋が最有力ではないか、と思う訳です。理由を下記に記しましょう。

 

 

 (図解2B)愛球人が考える、2012年名古屋の持ち味と不安要素。

 

 [持ち味]

 (1)ケネディ、闘莉王という絶対的な「軸」の存在。

 (2)「自分たちのスタイル」の熟成(08年から数えて、5年目に突入している)。

 (3)個人能力の高さ(少なくともレギュラー候補だけを見ればJ最強であると映る)。

 (4)経験豊富な選手の多さ(楢崎、中村直、玉田等。チームを鼓舞できる存在になり得る)。

 

  [不安要素]

 (1)モチベーターとしては有能だが、ターンオーバーをもっと機能させるべき(勝負どころの試合に照準を合わせる選手起用の工夫が必要かと)。

 (2)故障リスクの高い選手が多い(ケネディ、闘莉王、玉田、ダニルソン等。軸となり得る選手に集中している)。そして特定選手が欠けると一気にパフォーマンスが落ちる傾向(ある程度は仕方ないが、例えば昨季のJでのアウェー清水戦のように、闘莉王がいないだけで攻守両面であたふたしてしまう。これが結局、尾を引いた感じが)。

 (3)(1)にも関係するが、特に若い選手の底上げが絶対不可欠(特に、田中輝、田鍋、佐藤和をどれほど成長させられるか)。それができれば、ターンオーバーの機能性向上、そして複数の布陣の使い分けが可能になると思うが。

 

 

 名古屋を自分が強く推すのは、「やろうとしているサッカーの方向性に共感できるから。」という要素が強くあります。ただ、えてして「個人能力への依拠の大きさ」が散見される傾向も否めません。

 昨季、ACLでの16強敗退、Jでの「勝ち点1差」での2位、という結果は、「特定選手への依存度の高さ」の付けを支払わされた帰結ではないか、と自分は思っているのです。

 尤も、ケネディ、闘莉王の2人は、卓越する個人能力の持ち主です。ですから、いなくなった時のダメージがどうしても出ることはやむなしでしょう(どうしても、「存在自体が戦術」になることをも含めて)。

 で、ケネディ不在時は、例えば、玉田、永井謙の「快足2トップ」による「スモールラインナップ」で打開を図っていましたし、それ自体は評価できます。ただ、守備面での闘莉王不在時のダメージ(低い位置からの組み立て、ラインコントロール、守→攻への切り替え)は、あまりにも甚大すぎる。これは何とかならないか、とずっと抱いてきました。

 また、SB陣が勝負どころであたふたする傾向も、ずっと気に掛かっていました。運動量は特筆できますが、勝負どころでの突破力の減退傾向が。その意味で、ピクシー政権での長年の懸案であった、「右SBの2番手」としての石櫃の獲得は、特に田中隼にとって大きな刺激になり、自分は高く評価しています。

 

 ですが、もしも名古屋が、本気でACLトロフィーを叶えたいと思うならば(個人的には、今夏に、バスケでいう「支配的PG」的な「10番」になり得る、新外国人のゲームメイカーの獲得を強く願っていますが、それはともかくとして)、下記のことが、とても大切になるように思う訳です。

 

 「若手の底上げの必要不可欠性。格下との試合主体に、積極的に若手を起用すべきではないか。」

 

 特に、田中輝、田鍋、佐藤和の3人を示しましたが、勿論、潜在能力の高さを買ってではあるのですが(特に田中輝は、創造性と仕掛けを兼備し得る選手であるし、金崎クラスに成長し得る可能性を秘めるのだが。平素の練習姿勢がわからないので何とも言えないが、花井のようにプレッシャーに押しつぶされるようになって欲しくない)、戦力構成的なこともあります。

 例えば佐藤和。スピードと運動量を兼備すると伺う左利きのSBと伺いますが、格下との試合主体でも、佐藤和を「ターンオーバー要員」として起用できる感じにできれば、阿部翔の負担を軽減できて、ACLのステージで、阿部翔が攻守両面で持てる力をより一層発揮し得ることになるのでは、と思う訳です。

 

 そして、「金崎の完全復活」。自分は、名古屋がACLトロフィーを叶え得るための最大の要素の一つとして、このことを挙げたいと思うのです。

 正直、昨季の金崎は、度重なる故障にあえいだことも含めて、失意のシーズンだったでしょう。

 ですが、ドリブルのレパートリーは、少なくともJの日本人選手では有数のレベルであると思いますし、サイドでも中央でも「違い」を生み出せる。攻撃的なポジションならば、ほとんどのポジで対応可能であることも、大きな強みでしょう。

 個人的に願うのは、金崎には、ロンドン五輪の「18人枠」に到達し得るパフォーマンスを取り戻して欲しいし、金崎ならばできるはずである、と強く思うのです。もともとはCHで、守備意識や運動量も水準以上ですし、「サッカーIQ」に優れる選手である、と強く思っているのです。

 その意味で、田中輝、田鍋の底上げの重要性を述べるのは、金崎への刺激の意味合いもありますし、金崎が五輪出場を叶えたときに備える意味でもあります。

 

 そして、闘莉王不在時にどうするか。というのも、闘莉王は「故障リスク」の大きい選手でもありますし、ロンドン五輪でオーバーエイジでの出場の可能性もあります。

 その意味でも、個人的には、ダニエルの重要性を感じるんですよね。特に、低い位置からの組み立てという意味で、闘莉王不在時のダメージをある程度軽減し得るのでは、そしてまた、CHにも対応できると伺うので、ダニルソン不在時の代役にもなり得るかな、と思う訳です。

 あるいは、新井。昨季のラウンド16では、正直、特にメンタルの脆さが散見されたように伺いますが、今冬のスペイン留学(レアル・ソシエダへの練習参加)で、殻を破ることができれば、それだけでも、守備陣の底上げという意味で、大きなプラスになると思うんですよね。

 

 

 いずれにせよ、今季の名古屋については、自分は、下記のことを、強く抱く訳です。

 

 「ACLトロフィーを叶え得る陣容は揃えたと思う。ただ、Jとの2冠を狙うよりも、まずはACLトロフィーに全力を注ぐ方が賢明かと。ただ、Jでも、ACL出場権獲得は充分可能と考える。

 ただし、ACLトロフィーを叶え得るためには、ターンオーバーの機能性を高めること、より深く述べれば、若手の底上げなくしてACLトロフィーなし(無冠もあり得る)、と考える。」

 

 

 ここで述べておくと、今季のJの覇権争いは、「どうなるかわからない。」ということです。

 極論めいた表現になりますが、混戦になるだろう、と。そして、ラスト5試合くらいにならないと見えてこないのではないか、と思う訳です。

 

 その一方で、ACLトロフィー、という尺度では、名古屋に最も期待していますが、G大阪、柏、FC東京にも、少なくとも、「8強には到達して欲しい」、と強く願う訳です。

 

 

 とりわけ、関西在住の一サッカーファンとしては、G大阪に注目せずにはいられません。

 

 

 (図解3)愛球人が考える、2012年G大阪理想布陣。

 システム(4-3-3)

 監督(セホーン)

 

                     ラフィーニャ

                    (佐藤晃)

 パウリーニョ                                  李昇烈

(大塚、星原)                             (佐々木、阿部浩)

             二川               遠藤

            (寺田紳)            (倉田、横谷)

                     武井

                    (明神)

 藤春          今野               丹羽          加地

(沼田)        (金正也、内田達)        (中澤聡)   (エドゥワルド)

                     藤ヶ谷

                    (木村敦)

 

 

 では、G大阪の考察です。

 

 

 (図解3B)愛球人が考える、2012年G大阪の持ち味と不安要素。

 

 [持ち味]

 (1)ACLの常連。「勝利のメンタリティー」。それを支える経験豊富な選手の存在(遠藤、二川、加地、明神等)。

 (2)10シーズンに及ぶ西野朗政権で培った「自分たちのスタイル」。

 (3)個人能力の高い外国人3トップ。そして絶対的司令塔、遠藤の存在。守備の軸としての今野の存在もプラス。

 (4)有望な若手、中堅を多く擁すること。はまれば戦力値向上に直結し得る。

 

[不安要素]

 (1)西野朗政権時代の10年間(特に、「黄金のMF」主体のスタイルの06年からの6年間)で培ったスタイルの修正方法次第での崩壊の危険性。特に、西野朗監督や、橋本英、山口智という「功労者」との別れ方にしこりがあるだけに、尾を引きやしないか。

 (2)有望な若手を多く擁する一方で(そして、J有数の育成組織を擁する一方で)、西野朗政権時代では、それをあまり活かせずにいた。特に、外国人がFWに集中していることが、不協和音の引き金にならないかという不安。

 (3)右SBの控えが事実上不在(エドゥワルド、沼田は左利き。特にエドゥワルドは調整遅れが漏れ伝わっているが)。また、MF陣でも、特に明神は年齢的な不安があるだけに(それを補って余りある強靭な精神力の持ち主でもあるが)、あまり酷使し過ぎると、という不安がある。

 (4)上記のことと関係するが、若手、中堅の底上げ(特に、例えばMFならば倉田、寺田紳)。そして、ターンオーバーの機能性向上、そして複数の布陣の使い分けがどれほどできるか(特にCB陣は5人共にそれなりの能力があるだけに、例えば3バックとの併用も面白いと思うのだが)。

 

 

 個人的に、G大阪は、関西在住でもあることから、ずっと注目し続けております。

 特に、06年からの「黄金のMF」(遠藤、二川、橋本英、明神)を前面に押し出すポゼッションスタイルは、自分も高く評価してきました(チームマネジメントはともかく、志向する方向性には強い共感を抱いた)。

 

 純粋な戦力値だけならば、「ACLトロフィー」を叶えても、何ら不思議ではない、と思っています。

 ですが、今季の自分のG大阪に対する見解。

 

 

 「築き上げた『自分たちのサッカースタイル』の『深化的継承』が求められる一方で、守備面を中心に、確かにある程度の修正は必要かもしれない。しかし、最大の強みである『強い攻撃志向』『アクションスタイル』の放棄は絶対にあってはならない。そして、若手、中堅の積極的起用なくして、チーム力の向上は難しい。

 外国人にFWが集中していること、戦力構成の偏り(特に右SB)、世代交代の方法論、等々、リスク要因を少なからず内包しているだけに、ACLトロフィーも、あるいは昨季の浦和のような崩壊も、両極端起こり得る。」

 

 

 例えば、今野の獲得。確かに、今野は、日本有数のCBであることに異論は恐らくほとんどないでしょうし、自分もそう感じます。「サッカーIQ」の高さも、特筆に値するでしょう。

 ですから、「守備の軸」としての今野の獲得は、中長期的スパンでは、なるほどと思う。

 ただ、このポジション、もともと下部組織上がりの有望株、内田達がいます。統率力や組み立て能力には、強い可能性を感じてきた。ですが、今野の入団で、少なくともCBとしては、3バック採用時等でない限り、厳しいと考えざるを得ないでしょう。

 (ちなみに自分がGMならば、確かにCB獲得は納得だが、自分ならば金英権[大宮]を狙う。組み立て、統率力、強さ、読みを兼備するからである。そして右SBも、「サイドのマルチロール」、渡邉大[大宮]を狙う。あくまでも自分ならば、であるが。)

 

 あるいは、外国人FWが3人もいること。今冬、平井が(レンタルとはいえ)退団しましたし、大塚、星原という有望株がいるにもかかわらず(そして故障で長欠確定とはいえ、川西も有望な存在)、ターンオーバーでない限り、少なくともFWの一角での起用は厳しい感じです(尤も、星原については、「4-4-2」のサイドハーフのオプションという方法もあってよいと思うが)。

 

 「ポジションは自分でつかむべきものである。」

 確かにこれは一つの真理であると思いますし、「与えられる」意識ではなくて、「絶対につかんでみせるんだ」という、主体的な意識があってこそできる、と強く思います。

 ですが、どうして、下部組織上がりの有望な選手のいるポジションばかり、実績充分の選手を獲得するのか、という感じもするのです。

 

 杞憂に終わるに越したことはない。戦力値だけならば、名古屋に匹敵しますし、選手層ならば、むしろ上回るかもと思っています。

 ですが、自分は、どうも今季のG大阪は、「08年の浦和」と同じような「におい」を感じるんですよ。

 

 

 気に掛かっているのは、橋本英が、退団時にこぼした言葉です。

 

 「僕は幸い、ずっと西野さんに起用してもらっていたけど、評価面でも、起用法でも、特に下部組織上がりの有望な選手がないがしろにされている感じであることに、ずっと違和感を抱いてきた。」

 

 評価面のことは、正直わかりません。ですが、少なくとも、起用法という意味で、例えば家長、寺田紳、倉田をはじめ、もっと出場機会を充分に与えることができないか、という思いは、強く抱いていました(だから、寺田紳、倉田には、今季、少なくとも25試合クラスの出場機会をつかんで欲しい、そして定位置へ、と強く願っています)。

 

 08年の浦和。前年にACL優勝。しかし、当時のオジェック監督と一部選手(ワシントン、小野、闘莉王等)の確執がいわれており、しかも、ACL優勝に大きく貢献した永井のポジションに、エジミウソン、高原の2人を獲得しました。これが崩壊の引き金になった、と自分は思っています(少なくとも、高原獲得で永井のプライドを少なからず傷つけたことは否めないと思っています)。

 そしてあのときの浦和。若手にまともに出場機会が与えられなかった(いまではアウクスブルク[独]で定位置の細貝も、当時は08年半ばにようやく定位置を手中にした感じだった。07年はターンオーバー要員になっているかさえ微妙だった)。

 

 似たようなにおいを感じる、というのは、例えば、呂比須HCが『影の指揮官』として振る舞うのではないかということが公然といわれていること。

 そして、何よりも、西野朗監督、橋本英、山口智という「大功労者」を、追放同然で放出したことにあります(確かにいつかは別れが来るが、「別れ方」というものがあるはず。感情論になるが、納得できなかった)。

 例えば、西野朗監督ならば、「勇退」という感じに持って行けなかったのか。「黄金のMF」をはじめ、慕う選手は多かったはずです。

 そして、橋本英。現在のG大阪があるのも、現在の遠藤がいるのも、橋本英の卓越する「サッカーIQ」があってこそです。ましてや下部組織上がりの「バンディエラ」であるはず。

 そのような「大功労者」に対して、戦力外通告。激しい憤慨と失望を禁じ得ませんでした。

 

 確かに世代交代は待ったなしでしょう。だからといって、「バンディエラ」になり得る選手(黄金のMF、加地、山口智)は、よほどのことがない限り、「G大阪で引退させる」配慮があってしかるべきではなかったか。放出する必要性はなかったのではないか、と強く感じるのは、自分だけでしょうか?

 

 ですから、今季のG大阪については、自分は、下記のことを、強く抱く訳です。

 

 「ACLトロフィーを叶え得る陣容ではあると思うが、その一方で、崩壊リスクを少なからずはらんでいるとも感じる。その一方で、若手、中堅の底上げに成功できれば、さらなる飛躍も見込み得るが。

 ACLは、8強以上は絶対に叶えて欲しい。Jの優勝争いも充分に可能ではあるだろう。しかし、ACLの16強敗退、あるいは、Jでの勝ち点50台前半での失速も、充分に起こり得る。」

 

 

 では、柏の考察です。

 

 

 (図解4)愛球人が考える、2012年柏理想布陣。

 システム(4-4-2)

 監督(ネルシーニョ)

 

             リカルド・ロボ          工藤

            (北島、林)           (田中順)

 J・ワグネル                                 レアンドロ

(澤)                                      (水野)

             茨田               大谷

            (栗澤)             (安英学)

 橋本和         近藤               増嶋         酒井宏

(中島)        (渡部博)            (那須)       (藤田優)

                     菅野

                    (桐畑)

 

 

 (図解4B)愛球人が考える、2012年柏の持ち味と不安要素。

 

 [持ち味]

 (1)世代バランス、ポジションバランスが総じて整っている。ターンオーバーの機能性もそれなりに見込み得る。

 (2)昨季のJ優勝での「自信」。クラブW杯をも経験して「勝利のメンタリティー」を身に付けつつあること。

 (3)「絶対的10番」である、レアンドロの存在。

 (4)指揮官のチームマネジメントの巧みさ。そして、伝統的に勢いに乗りやすいチームであること(石崎政権時代からの傾向として)。

 

[不安要素]

 (1)ACLという未知なるステージ。独特の空気への免疫をどれほど身に付けられるか(過密日程への対応能力をも含めて)。

 (2)レアンドロ、J・ワグネルへの依存度の大きさ(特に前者)。現に昨季も、特にレアンドロ不在時は、勝点ペースを極端に落とした訳ではないとはいえ、内容的な減退傾向が否めなかった。というか、そもそも試合の主導権を必ずしも掌握できている訳ではない。

 (3)複数の布陣を巧みに使い分ける覚悟ができているか。例えばCBには有能な選手を4人擁する(安英学もCBに対応可能)。あるいは攻撃陣の個人能力もそれなりに高い。その意味で、例えば、3バックや3トップとの併用も大いにあってよいと思うのだが。

 (4)恐らく五輪で酒井宏が抜ける可能性が大きい(あるいは茨田、工藤も可能性があるが)。その際、右SBをどのように編成するのか。布陣変更で対応するのも一案かもしれないが。

 

 

 個人的に、今季の柏については、下記のことを抱いております。

 

 「ACLトロフィーを狙い得る可能性は起こり得る。ただ、未知なるステージであることや、特定選手への依存度の大きさをも考慮すると、ACL8強が一つの目安になるか。また、特に序盤戦の過密日程や五輪開催時の対応等を考慮すると、JではACL出場権は充分あり得ると思うが、勝ち点50台半ばくらいもあり得る。」

 

 

 昨季の柏のJ1優勝は、素直に称賛に値すると思います。

 はじめは、07年、08年と同じ道を歩むだろう、と正直思っていました。

 ですが、昨季の柏は、あのときに比べて、「選手層の向上」「駆け引きの向上」「交代策の選択肢の向上(指揮官のある種のマジック)」という向上点を感じました(ある種家庭的な鉄の結束は、石崎政権時代にも感じていたが、より一層強まっている感じ。特に、北島、大谷、近藤の存在は大きな強みといえる。GK菅野も、もっと高く評価されてよいかと)。

 

 ただ、下記のことも、正直感じているんですよ。

 「良くも悪くも、レアンドロ、J・ワグネルへの依存度が大きい。」

 

 確かに、個人能力で「違い」を生み出せる存在を2人擁することは、大きな強みであると思います。2人それぞれに「ダブルチーム(1対2)」を仕掛けようとすると、それだけで守備に4人を割くことになる(現実的には厳しい。故にそれだけで相手の守備組織を崩し得る要素になり得る)。

 ただ、こうも感じる訳です。

 

 「サッカーはシュートゲームである。点を獲らなければ勝てない。その意味で、FWの重要性こそ、もっと認識されてしかるべきではないか。」

 

 だからこそ、リカルド・ロボを獲得したと思うのですが、正直、ロボには、ある種の疑問を持っています。

 確かに有能な選手とは思うのですが、「ACLレベル」かといわれると、自分の中では、「?」なんですよ。

 得点への「嗅覚」は卓越していると感じる。前線からの守備意識、周りを活かす姿勢も特筆でしょう。ただ、良くも悪くも、大黒(横浜FM)のような、「2トップタイプ」という、ある種不器用な感じを覚えるのです。

 

 自分が柏のGMならば。ラファエル(大宮)の獲得に動きます。

 ラファエルは、得点数は、もっといける選手だろう、と思いますが、数字に示される以上に、いくつもの特筆できる能力の持ち主である、と考えるからです。

 

 (1)いわゆるFWならば、どのような役割でも、どのような前線の枚数でも対応できるから。

 (2)前線からの守備意識、足下での創造性、空中戦での強さ。

 (3)大一番になるほど能力を発揮する。メンタルの強さを感じる。

 

 まあ、尤も、個人的には、ラファエルが自ら大宮を去るとは(少なくとも現時点では)想像できないですし、水面下で打診して断られたのかもしれませんが、もしもラファエル獲得に成功できていれば、「存在自体で違いを生み出せる」選手を3人も擁し得ることで、相手の守備陣を精神的に圧倒できてしまう、その意味で、ACLトロフィーも、Jでの優勝争いの軸としても、強く推せたのに、という感じではあるのです。

 

 とはいえ、ロボもそれなりに有能な選手ではありますし、特にいわゆる万能型、あるいは裏へのとびだしに優れる選手(特に工藤、田中順)と組ませると、より持っている能力が引き出されるように思う訳です。

 そして、工藤、茨田という「伸びしろの大きい選手」の存在も、大きな強みと思う訳です。特に茨田は、「日本版X・アロンソ」になり得るパスセンスやプレービジョンの持ち主と、高く期待しています。

 

 CB陣の分厚さも、強みと思います。那須がクローズアップされがちですが、個人的には渡部も、レギュラークラスに充分なり得ると思っているんですよ。昨季、栃木でDFの軸としてプレーしたことで、試合ごとにメンタルの強さを身に付けたと感じますから。

 右SBで、酒井宏が不在時にどうするかが不安要素ではあるのですが、例えば、3バックにして、右から増嶋、近藤、那須(あるいは渡部)にして、右WBに水野、左WBにJ・ワグネルにする方法で、充分対応可能だろう、と思っています。

 

 しかし、ACLは、柏にとって、未知なるステージです。独特の空気へのプレッシャーに対する強い精神力を持ち続けられるのか。

 そして、試合運びにおいて、「アクションスタイル」への志向をより強めることも、求められるでしょう。気がかりなこととして、やや受身的な傾向を感じるものですから(逆にいえば、能動的な試合運び、つまり、ボールを大切にするサッカーを具現化できれば、たとえレアンドロが不在になっても、それなりにダメージを軽減できるはずと信じています)。

 

 選手層が分厚いので、大崩れの心配は、さほどないかなとは思います。

 ですが、ACLでも、J1でも、尻上がり的に調子を上げていき、それでどこまでいけるか、という感じであるのでは、と自分は考える訳です。

 尤も、自分は、ACLでは、8強あたりに落ち着くのでは、と思っていますが、それをプラスの意味で裏切って欲しい、と強く思う次第です。

 

 

 ACL出場組、ということで、FC東京についても、少しだけ言及します。

 (ただし、布陣図は示しませんので、申し訳なく思いますが。)

 

 個人的には、FC東京は、面白い存在とは思いますが、特に守備陣の層が薄い感じがある(ポジションバランスがあまり良くないとも)。

 正直、ACLでは、8強に到達して欲しいが、16強敗退も充分あり得るかな、と。

 Jでは、勝点50台の前半から半ばかな、と思っております。

 

 その意味でも、くすぶっている若手、中堅の底上げなくして、飛躍は厳しいと思うんですよね、

 だからこそ願うのが、「米本の復調」と「千真が特に精神面で一皮むけること」です。

 特に千真は、得点の引き出しならば、日本人FWでは最高レベル、と自分は高く評価しているんですよね。だからこそ千真は、「自信を取り戻すこと」。ひとえにこれであると思うのです。

 盟友である平山の存在は、大きな強みであると思いますし、ルーカス(平山)との2トップの一角として、輝きを放って欲しい、と強く希求する次第です。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その3)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2012年

3月

05日

「2012年Jリーグ1部、自分なりの開幕直前考察(その1)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第10回のブログエントリーの論題は、「2012年Jリーグ1部、自分なりの開幕直前考察。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の9回目になります。そして、サッカーブログエントリーの3回目になります。

 今回は、掲示版とのコラボエントリーの2回目、という位置付けです。今回は、「議論するエントリー」と「感じることを伝えながら読者と意見交換をもしたいエントリー」の中間型という位置付けになるかなと思います。

 今回は、とても長い文章になるので、(その1)(その2)(その3)に分割して執筆させて頂きます。

 

 ブログ本体については、コメント欄は設けません。その一方で、読者との議論、意見交換的な意味付けとして、掲示板にてコメント欄を設けさせて頂く感じです。

 私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 今回は、「2012年Jリーグ1部、自分なりの開幕直前考察。」とあります。

 人間の数だけ個性があるように、サッカーファンの数だけ価値観があるかなと思いますし、今回、ここに示すのは、あくまでも自分(愛球人)の価値観に過ぎません。

 ですので、本論を示すにあたり、まず、自分なりの「サッカー観」を、ざっくりとですが示したうえで、自分なりの考察をしたい、と考えております。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 考察を始めるにあたり、まず、私のHPにおける「プロフィール」欄にも記しておりますが、自分(愛球人)の「サッカー観」の基本的なことを、記させて頂きたく思います。

 

 

 (図解1)「愛球人の基本的な『サッカー観』。」

 

 (1)「美しく魅せて勝つ」「スペクタクル」「できるだけ攻撃に人数を掛ける」「全員攻撃全員守備」「ファンタジスタを最大限に活かす」「トライアングルを最大限に駆使する」「創造性、仕掛け、スペースを重要視する攻撃」「長短のパスおよびドリブルを最大限に活用する攻撃」。上記の8つの要素が、自分の理想とするサッカースタイルです。

 (2)基本的に、選手、サッカースタイルを楽しむ、というのが、自分のサッカー観戦における基本スタイルです。ですので、特定のサッカースタイルに傾倒する傾向が強い一方で、特定の応援チームはございません。ただ、好きな選手はたくさんおり(恐らく少なくとも日本人選手だけでも30人は超えるかと)、とりわけ、直輝、元気、柏木等が大好きな選手であることから、現在のツイッターのアイコンは、浦和レッズのエンブレムを採用しております。

 (3)「自分たちのサッカースタイルの構築及び具現化」に対する強いこだわりを抱いており、ブログエントリーでも、このことを前面に押し出す傾向が強いことを御理解頂けると有難く思います。また、「移籍市場大好き人間」でもありますので、このことをも御理解頂けると有難く思います。

 

 

 上記のことから、恐らく御理解頂けるかなと思いますが、自分は、「超攻撃的スペクタクルサッカー絶対主義信奉者」という感じのサッカーファンです。

 極論すれば、「つまらなく勝つ」よりも「美しく負ける」方がよっぽどましである(勿論、状況には夜かなとは思いますが、基本的には)、そういうサッカー観の持ち主です。ですから、「結果」よりも「内容」にこだわるタイプのサッカーファンですね。

 ですから、海外のサッカーでいえば、スペインリーグ、オランダリーグのスタイルは、とても大好きです。クラブでいえば、特にアヤックス(オランダ)のサッカーが大好き、という感じですね。

 

 とはいえ、では、「守備的サッカー」を全否定するのか、といえば、そうではありません。

 というのも、最も観る海外サッカーのリーグは、実は「セリエA(イタリアリーグ)」です。

 それは何故か。「いかにして試合をコントロールするか」「いかにして失点しないか」「いかにして相手の守備組織を崩すか」といったように、「駆け引き」が要所で展開されるからです。

 

 そう。自分が、「サッカーが大好き」な理由の一つに、「サッカーは頭脳的なスポーツであるから。」ということがあります。勿論、技術の素晴らしさは、ある種の天才性も求められるかもしれません。特にスペインの2強(バルサ、レアル)のサッカーは、そういう要素が少なからずあるので、少なくともバルサのサッカーを日本サッカー界が具現化するのは、正直とても厳しいだろう、と自分は考えております。

 しかし、サッカーの魅力の一つに、「どのようなプレーをすれば、決定機を生み出せるか」「数的不利の中でどうすればピンチを乗り越えられるか」といったことがあると思う訳です。

 

 セリエAのサッカーは、スペインリーグと同じか、むしろそれ以上に好きかも、という趣旨のことを先述しましたが、「球際の駆け引き」は勿論、スペースや対人をめぐる駆け引きも、要所で伝わってくる。単純な肉弾戦でも、美しい技術にものを言わせるだけでもないところに、実はある種の強い魅力を抱く訳です。

 

 

 ですので、基本的には、「美しく魅せて勝つ超攻撃的スペクタクルサッカー」信奉者である。

 しかし、「まずは守備ありき」のサッカーも、あってよいかなとも思う。

 より一層深く述べれば、「美しく勝つ」を強く志向するけど、「全員攻撃全員守備」こそ、自分の理想とするサッカーの一つとしてある、という感じです。

 

 このことを踏まえて、自分なりの「2012年Jリーグ1部、自分なりの開幕直前考察。」を、綴らせて頂きたい、と考えます。恐らく、主観全開になるであろうことを御理解頂けますと、とても有難く思います。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その2)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2012年

2月

25日

「『3・11』から間もなく1年を迎えるにあたって思うこと(己の無力さと向き合う思い)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第9回のブログエントリーの論題は、「『3・11』から間もなく1年を迎えるにあたって思うこと(己の無力さと向き合う思い)。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の8回目になります。 そして、復興ブログエントリーの4回目になります。

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 「3・11」があったからこそ、素敵で濃密な出会いに巡り合えた、と思っている。

 不謹慎な表現かもしれない。でも、この思いが、偽らざる感覚であるからである。

 「人間として大切なこと」。ずっと自分の中で考え続け、そして追い求め続けてきた。

 しかし、「3・11」からの復興支援に参加させて頂く過程での出会いを通して、自分は、下記のことを学ばせて頂くことができた。

 

 「人間が生きることにおいて大切なことは、『人間性、内面を育み続けること』、つまり『自己研鑽』である。」

 「人間関係をより深めることにおいて、『違いを認め合える』『本音をぶつけ合える』ことが大切である。」

 

 とりわけ、『違いを認め合える』『本音をぶつけ合える』。

 このことは、本当は、自分が深く追い求め続けてきたことであるはず。

 しかし、自分自身、これまで、恐らくそれができずにいたのでしょう。

 

 復興支援活動を通して出会った仲間に、ある種の素敵さを感じるのは、恐らく、その人間が、自分にはない持ち味を持っている、そして、「自分」を大切にしているからであるように、自分は思うのです。

 そして、だからこそ、自分自身、復興支援活動への参加を通して実感するのが、下記のことである訳です。

 

 「自分の人間としての引き出しの乏しさ」。

 

 今回の論題にて、「己の無力さと向き合う思い」と記しました。

 これは、自分自身、「人間としての引き出し」があまりにも乏しい、と強く感じるからです。

 そして、だからこそ、この2012年を、「人間としての引き出し」を拡げ深める年、と位置付けている訳です。

 

 で、「人間としての引き出し」の乏しさ。このことを、何としてでも克服したい、と思う次第ですが、最近読んだ文章の中に、深く考えさせる文章がありました。

 

 「彼はあまりにもナイーブ過ぎるのだ。」

 

 ここでいう「彼」とは、「ヨアン・グルクフ(リヨン、フランス代表)」のことです。

 出典は、『ワールドサッカーダイジェスト(WSD)』2011年3月3日号、84頁~85頁。

 巻末コラム「世界を斬る!」のフランス版、筆者は、「フランソワ・ヴェルドネ」さんです。

 自分自身、WSDを愛読して、実に7年半になりますが、とりわけ、「世界を斬る!」がとてもお気に入りです。

 

 で、ヴェルドネさんは、自分の記憶が正しければですが、WSDにおいて、この1年間で、少なくとも3回くらい、「グルクフはナイーブ過ぎる」と苦言を呈しています。

 グルクフをどういう選手かわからない人間のために、少しだけ述べておくと、「フランス代表のファンタジスタ(10番タイプ)」と述べておきましょう。

 

 で、自分の心にじーんと響いた文章を、下記に示します。

 

 

 「彼はいささかナイーブすぎるのだ。逆境を跳ね返すだけの精神的な逞しさを、彼は持ち合わせていないのである。

 (中略)

 なによりも自分自身のために、彼は変わるべきだ。その内向的すぎる性格が、成功を阻んでいるのは間違いないのだから。

 才能に疑いの余地はない。このまま埋もれさせてしまうのは、あまりにも惜しい才能である。天から授かった特別な才能を、グルクフは開花させる義務を負っているのだ。」

 

 (『ワールドサッカーダイジェスト』2011年3月3日号、84頁~85頁。フランソワ・ヴェルドネ「世界を斬る!」[フランス])

 

 

 この文章を、改めて読み返して、ある種自分にも当てはまるのではないか、と感じる訳です。

 少なくとも、自分自身、「あまりにも繊細で不器用すぎる」ことは、グルクフの「ナイーブすぎる」と、相通ずるように感じますし、改善せねばならないこととしてある、と強く感じます。

 あるいは、「逆境を跳ね返すだけの精神的な逞しさを持ち合わせていない」ことも、残念ながら自分にもいえることと認識せざるを得ません。

 

 というか、「精神的な逞しさ」がもしも自分にあれば、自分の「引き出しの乏しさ」に、悶え苦しむ思いが、深まってしまうことは、ないように感じる訳です。

 思えば、自分自身、現在27歳。年齢的な不安が(若い世代ではあるのですが)、全くないといえば、正直嘘になります。

 20歳代を、良くも悪くも、「自分探し」に費やした、それは正直否めないでしょう。

 

 勿論、純粋に「子どもを救いたい」「子どもを笑顔にしたい」、この思いが、自分なりの復興支援の原点の大きな一つとしてあることは、はっきりと強く自負しております。「1・17」の経験が「心の原点」であることも、強くいえることです。

 ですから、ちょうど今日は、国公立大学の2次試験本番の日であり、現地(被災地)の子どもも、今日は「運命の日」である子どもが、恐らく少なくない。

 どうか夢への大きな一歩を叶えて欲しい。この思いを、強く抱かずにはいられない思いです。

 

 生まれ変われれば研究者になりたい。この思いを、自分は強く抱いております。

 何故ならば、下記の思いを、強く抱くからです。

 

 「何か一つの大好きなことを深く探究することはとても素敵であると思うし、学び続けることを通して成長し続け得る生き方であると思うし、それを通して社会貢献できることは、最高に素敵なことであると強く考えるから。」

 

 どのような子どもにも、大きな「志」を抱き、その実現に向かってひたむきに生きて欲しい。

 この思いを、強く抱きますし、「子どもの『志』を叶える一助になりたい。」思いが、自分自身の復興支援のバックボーンになっていることは、はっきりと感じます。

 

 

 とはいえ、現実論として、自分の「心の重し」としてあることとして、「自分なりの復興支援」が、総じて後手後手になっていることがあります。

 

 後手後手というのは、そもそも、現地参加に初めて踏み出せたのが、昨年の9月上旬(2週間。石巻、南三陸)。

 それ以来、現地参加に踏み出せていない。関西からできる復興支援も、現地で開催されるイベントに、何回か参加する程度。

 勿論、平素の日常を大切にする姿勢も、れっきとした復興支援の一環であるとは思うのです。節電なり、食べ物を大切にすることも、動植物を愛護する姿勢も、復興支援の一環でしょう。

 ですが、どうしても強く抱くことは、「なのに自分は…」という思いなのです。

 自分は、「復興支援」という「思い」は人一倍と自負している。しかし、「行動」という意味で、あまりにも後手になっているのではないか、と。

 

 その意味で、先日、自分が懇意にさせて頂いている仲間の一人の、下記のツイートに、自分は深く考えさせられずにはいられませんでした。

 

 

 「自戒として言うけど、東北にほとんど行かないで復興支援活動をするのは、重大事件を会議室だけで解決しようとするようなもの。そんな人に正確な現状判断はできないし、まともな仮説を立てることもできない。」

 

 

 確かにそうだよね。ずっと、2回目の現地参加を一刻も早く叶えたい、と抱き続きてきた。

 自分が復興支援への思いを強くしたのも、石巻や南三陸(特に後者)の光景を目の当たりにしたことが大きい。

 しかし、2回目の現地参加は遅々として叶わず、また、どこかの学生団体に所属することも、模索しているけど、なかなか踏み出せない。

 子ども時代から、良くも悪くも、「一匹狼」タイプの自分でしたし、それに照らして考えると、恐らく、「個人としての復興支援」というスタンスに落ち着くのかなあ、と感じております。

 尤も、一参加者として、特に御世話になっております、「Youth for 3.11」との交流は、今後も大切にし続けたい、と強く思っておりますけれども。

 

 で、今夏、3~4週間スパンで、現地参加を叶えること(できることならば子どもの学習支援、遊び支援に全力で打ち込みたいと思っている)が、自分の大きな目標としてありますが、その意味でも、一刻も早く2回目の現地参加を叶えないと、話にならない。

 現時点として、教職、NPO・NGO、そして、最近では警察官という道も浮上していますが(ただし体力的なネックがあるが)、根っこの思いとしてあるのは、「何らかの形で、現地の人間の心の側にいられる、できるだけダイレクトな復興支援を通しての社会貢献ができれば。」という思いがあるのです。

 

 もともとは、今夏を就職の勝負のとき、と位置付けていました。ですが、復興支援活動の過程で、自分の「人間としての引き出しの乏しさ」に気付かされて、それで、今年を「人間としての引き出しを拡げ深める年」と位置付けて、来夏を勝負のとき、と描き直している次第です。

 ですが、そう考えると、恐らく今秋には、目指す進路の方向性を規定せねばならない。どうしても、試験勉強というのが、恐らく必要になってきますから(教職ならば教員採用試験、NPOならばインターン、警察官ならばスポーツジム。いずれもそれ相応の準備期間が必要になるので)。

 ですが、年齢的な不安が、どうしてもある。来夏となると、自分の誕生日は8月ですから、そのときは29歳になる。一つの目安になる30歳、ということを踏まえれば、この機会を逃すわけにはいかない、となる。

 

 焦りがないといえば、正直嘘になる。思えば、もともとは、教職大学院の道を、強く志向していた。それに滑って、通信制大学に切り替えた経緯がある。

 それはそれで、自分のペースで学べるし、よかったと思う。仲間と語り合える、という意味では、ある種、教職大学院への道が叶ったとき以上に、自分の内面を深めさせてくれているようにも映る。

 しかし、いやだからこそ、素敵な内面の持ち主である仲間と交流させて頂く過程で、自分の未熟さばかりが浮き彫りになる。

 

 このままではいけない。とにかく、一刻も早く、2回目の現地参加を叶えねばならない。

 自分なりの復興支援を前に進めるためにも、そして自分の将来の道を光りあるものにするためにも。

 

 ですが、では、2回目の現地参加を、どうやって具現化するのか。

 タイミングを考慮すると、「3・11」からちょうど1年になる。

 現地の人間が、いま感じていることを、全身で直接感じたいから。

 だけど、プログラムはことごとく「SOLD OUT」。

 個人参加で宿を調べても、「△」とか「×」とか。

 手持ちの資金にも限りがある。学費とか、今夏の現地参加資金に、それ相応に充てねばならない。

 

 熟考しました。だけど、少なくとも、自宅で、名古屋ウィメンズマラソン観戦に明け暮れることだけは、何としてでも避けねばならない(確かに、野口みずき、尾崎好美、渋井陽子、赤羽有紀子、伊藤舞、等々、オールスター級の錚々たる面々で、興味がないといえば正直嘘になりますが)。

 この機会を逃したら、「自分なりの復興支援」は、口だけに終わってしまい、将来への道も、「閉じられつつある扉」になってしまいかねない。

 

 

 心が張り裂けそうになる思いを、ぐっとこらえながら、自分なりに編み出した結論。それは何か。

 

 「 JASP in FUKUSHIMA」

 

 このイベントがどのようなイベントかは、下記にリンクを貼らせて頂こうと思います。

 

 「JASP」の公式HP。

 (http://watalucky.com/jasp/about.html

 

 正式には、「Japan All Students Project」。

 簡潔に述べれば、福島を拠点に活動している学生団体です。

 

 自分がJASPの存在を知ったのは、確か、昨年の11月下旬であったでしょうか。

 志向する理念に共感できるので、すぐに団体のツイッターアカウントをフォローさせて頂きました。

 

 他にも選択肢はあったかもしれません。

 例えば、自宅で名古屋マラソン(確かに、スポーツファン的には、ただでさえロンドン五輪を掛けた、超がいくつも付くほどの大一番であり、しかも野口みずき対尾崎好美の直接対決という夢のたいかいであり、胸熱極まりないのですが)をテレビ観戦する。

 あるいは、関西なり関東なりで、何らかの学生団体の交流会に参加させて頂く。

 いずれも、「3・11」から1年、というタイミングでなければ、恐らく参加したかもしれません。

 

 ですが、自分の復興支援のバックボーンとして、「1・17」の被災経験がある。

 「1・17」と「3・11」を、自分の中で連関させること。現在、自分自身に求められていることであるように思う訳です。

 

 「0泊3日」の超強行日程。

 既に、大阪~福島間の往復バスチケットは、入手しました。

 

 

 では、何故、今回、「3・11」から1年というタイミングで、福島への参加を決心したのか。

 自分なりに、理由を下記に示したいと思います。

 

 第一に、福島は、津波と原発のダブルパンチであり、最も辛い思いをしているにもかかわらず、支援の手があまりにも手薄であり、それに心を痛めているから。

 第二に、脱原発、エネルギー政策の在り方について、自分なりに考えを深める契機にしたいと考えるから。

 第三に、福島の子どもに対して何ができるのかを自分なりに考えを深めたいから。

 第四に、恐らく、福島への支援の思いを強く抱く学生や若い世代が多く集結するかなと思うので、同じ思いを抱く仲間との出会いは勿論、現地の人間、そして子どもに、できるだけ話を聞いて、現地の実状をつかみたいと強く考えるから。

 

 上記のことを、強く抱く訳です。

 

 ちょうど今日は、国公立大学の2次試験の日になります。

 「志」を叶えるための、大きな勝負、運命の日という子どもが、恐らく少なくないでしょう。

 

 で、福島の場合、原発による避難で、友人との関係が引き裂かれて孤独感を抱く子どもが、恐らく少なくないように思うのです。少なくとも、精神的支援を必要とする子どもが、かなり存在するであろうと考えられます。

 子どもの心に光を灯し、「志」を抱き、それに向かって生きられるように。

 思いやりの心を大切にして、自分なりの復興支援への大きなステップにする、そういう「3・11」から1年、というときにできれば、と強く考えます。

 

 「3・11」から1年、ということは、福島へ出発する直前、そして、福島から帰阪してから、というときも、ブログエントリーを執筆できれば、と考えております。

 いずれにせよ、「自分なりの復興支援」をより深める契機にする、それが、「3・11」から1年、2回目の現地参加としての、福島での学びにしたいものです。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

2月

16日

「神童、天才と称される子どもについて考えること。ー芸能界を中心に考えるー」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第8回のブログエントリーの論題は、「神童、天才と称される子どもについて考えること。ー芸能界を中心に考えるー」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の7回目になります。 そして、子どもブログエントリーの2回目になります。

 そしてまた、今回については、子どもブログエントリーの2回目であることと共に、芸術、メディア関係のブログエントリーの1回目、という位置づけにもなろうかと思います。

 今回の位置付けは、「伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 今回の文章を執筆するきっかけ。

 『朝日新聞』2012年2月15日付朝刊、オピニオン面(耕論。大阪版では15面)。

 テーマは「神童は幸せ?」。女優の安達祐実さん等、3人のインタビューが掲載されております。

 

 ここで、まず、この機会に、自分が好きな芸能人を、示してみたいと思います。

 

 かつて、自分は、安倍なつみ(モーニング娘。)、島袋寛子(SPEED)に、熱狂しました。

 いまは、かつてのような「熱狂的なファン」という訳ではありません。しかし、ずっと応援し続けたい、という思いを抱き続けている意味では、「ファン」ということは、現在でもいえるのかな、と感じます。

 正直、この2人は、自分にとっては、ある種「青春の象徴」なんですよね。

 

 特に島袋寛子は、自分と同学年になりますし(あくまでも年齢的には、ということですが)、もう、あの独特の高音がとてもたまらなく魅力。しかも20歳代半ばになる現在でも、独特の高音は健在。

 高音のみならず、声量も特筆でしょう。だからこそ、溢れ出るボリューム感を強く抱く。だからこそ、思うことも、いろいろとあったりするのですが。

 

 では、安倍なつみ(ここでは、愛称の「なっち」も、併せて用いてみたいと思います)はどうか。

 なっちは、いつだって全力でひたむきなんですよね。良くも悪くも、「うぶ」「純粋」な感じがするのです。より一層深く述べれば、「いるだけで絵になる」。これは贔屓目というバイアスもあるかもしれませんが、ある種「太陽」のような存在に映るのです。そこが魅力に感じるのでしょう。

 で、なっちも、島袋と同様に、独特の高音。これも魅力の一つであるように映ります。

 

 島袋、なっち。共に、高音が魅力の一つと述べました。これは、素顔の自分の特徴として、「声が高くて大きい」、これも大きく影響しているかもしれません。

 そして、若くしてスターダムになった。良くも悪くも純粋な心の持ち主。これも、自分が、ずっと応援し続けたい、と思う一つの大きな要素といえるでしょう。

 

 

 では、現在好きな芸能人といわれれば、誰を挙げるか。

 3人いますが、特定の1人には絞れません。では、その3人とは誰か。

 

 「前田亜季」「南沢奈央」「志田未来」。

 

 でも、3人のうち1人には、絞り切れません。何故ならば、3人それぞれの魅力があり、1人に絞ることに、ある種のもったいなさを感じるからでしょう。

 それに自分の場合、好きな芸能人だからといって、無条件にその人物が出演するドラマや映画を観る訳でもないし、CDを無条件に買う訳でもない(というか、CDよりは読みたい書籍を優先する人間ですので)。むしろ、「作品の内容」に拘る傾向の強いタイプかな、という感じです。

 

 このうち、南沢奈央は、高校生になってから表舞台に登場しましたし、現在では、高校生の年代から表舞台に登場してスターダムへと駆け上がるのは、結構いる傾向にあるので、今回取り上げたい「天才」「神童」の系譜からは、やや外れるかもしれません。ただ、才能豊かな存在と感じさせる意味では、南沢奈央も該当し得る存在の一人と、自分は強く感じる訳ですが。

 

 それでも、どうしても、3人の中から1人に絞れ、といわれれば、「志田未来」でしょうか。

 何故ならば、「天才」にして、「芯の強さ」「まっすぐさ」の持ち主と感じるからです。

 あるいは、「ストイックさ」と「うぶな感じ」が同居することに対する魅力からかもしれません。

 

 かつての好みの2人で、どちらか1人に絞れ、となれば、「安倍なつみ」ですが、なっちも、志田未来と似たような雰囲気の持ち主だから、ということがいえるかもしれません。

 

 

 実は、自分自身、何らかの形で(現時点では、教職かNPOかで思案中ですが)、子どもに携わる道に行きたい、と強く志向している訳ですが、自分自身が追い求めたいテーマの一つに、下記のことがあります。

 

 「『才能伸長教育』を、どのようにすれば具現化し得るのか。」

 

 現在、日本では、いわゆる「科学五輪」(数学、物理学、化学、生物学等)、あるいは、「日本学生科学賞」「JSECチャレンジ」といった、「特定分野に卓越する才能を授かる子どもに光を当てる」意味での賞が、いくつか存在しています。

 ですが、そういう賞がクローズアップされるようになってきた、認識されるようになってきたのは、恐らく、ここ数年のことでしょう。いやそれどころか、もっと認識されて欲しい、と強く抱くのが、正直な思いです。

 

 学術的な意味での「才能伸長教育」は、いずれ、自分なりに考察したいと強く考えております。かねてから、強い興味を抱き続けている分野ですから。ただ、今回は、このことについては、深入りしません。申し訳ない思いですが。

 

 

 で、話を戻しますが、今回の主たるテーマ。

 「芸能界における神童、天才少女」。

 これについて思うこと。いろいろな解釈があるかな、とも感じる訳ですが。

 

 恐らく、天才少女の系譜、という感じでいえば、下記のような感じになるように映る訳です。

 

 「安達祐実→前田亜季→志田未来」。

 

 いわゆる「前田亜季」の世代は、「チャイドル」と称される世代です。

 前田亜季自身の姉、前田愛、あるいは野村佑香が、それに該当するでしょう。

 

 「志田未来」の世代ならば、福田麻由子、大後寿々花が、それに該当するかな、と思います。

 志田未来をここでは主としてクローズアップしていますが、福田麻由子、大後寿々花も、演技の幅、表情の豊かさ、という意味では、志田未来に決して引けを取らない感じがするんですよね。

 

 で、2月15日。なんと、この3人が、同じ日に「競演」することとなった訳です。

 

 安達祐実(朝日新聞[オピニオン面]でのインタビュー)

 志田未来(NNN音楽番組「一番ソングSHOW」でのゲスト)

 前田亜季(TXNドラマ「捜査検事近松茂道11」に準主役で出演)

 

 それぞれ異なる番組(あるいは紙面)とはいえ、同日に競演するとは。

 しかも、このうち2人は、自分のお気に入りの人物。

 この機会に、かねてから抱いていたある種の疑問を、自分なりに綴ってみよう、と思うようになった次第です。

 

 

 志田未来については、「これから」の女優、人間であると考えるので、ここで自分なりの深い評価云々は、あえてすべきではないかな、とは思います。

 ただ、今回、ここで取り上げた理由の一つとして抱くのは、下記の思いからなのです。

 

 「『天才』『神童』から、『世代を代表する女優』へと飛翔して欲しい。」

 

 「女王の教室」(NNN、2005年)。「14歳の母」(NNN、2006年)。

 特に、この2作品は、当時話題になりました。

 「女王の教室」から、もう6年余りの歳月になります。歳月が経つのは、実に早いものだと考えさせられます。

 

 

 そう。安達祐実。前田亜季。あるいは、安倍なつみ。島袋寛子。

 上記に挙げた4人に対して、率直に自分が抱くこと。それは何か。

 

 「やりようによっては、というか、ある種の貪欲さがもっとあれば、もっと高いレベルへと到達できたはずである。」

 

 この思いを、正直強く抱くのです。

 

 尤も、人間にとっての「幸せ」「幸福」とは、答えは一つではないと強く思います。

 いやむしろ、人間の数だけ「個性」があるように、人間の数だけ「幸福」があるのではないか、と強く考える訳です。

 

 周囲、あるいはファンは、いろいろなことをいうでしょう。でも、結局のところは、本人にしか分からない、本人だからこそわかる、感じることができることが、恐らくきっとあるのではないか、と強く考える訳です。

 

 ここで、前田亜季。好きな女優の一人である、と述べてきました。

 それこそ、「バトルロワイヤル」のときからです。学年的には、自分の1学年年下になりますかね。

 姉の前田愛と共に、「チャイドル」と称されてきた。どのように成長するのだろう、と楽しみにしていました。

 

 その後、前田亜季は、法政大学へと進学します。ここが一つのキーポイントと自分は解釈しているのです。どういうことか。

 

 

 「学業と女優の両立」。かつて、広末涼子(早稲田大学。結局中退した)により、問い掛けられたテーマです。このテーマは、「女優に比重を置き過ぎて中退になった」広末涼子、そして、「学業に比重を置いた結果、世代を代表する女優になれなかった」前田亜季によって、問われるテーマになり、その後の女優に少なからず影響を与えているのかな、と自分は解釈しているのです。

 

 というのも、「学業と女優の両立」は、その後、井上真央(明治大学)、本仮屋ユイカ(日本大学)、北川景子(明治大学)等へと継承され、そして現在、南沢奈央(立教大学)へと受け継がれているように感じる訳です。

 

 で、前田亜季。「バトルロワイヤル」から「最終兵器彼女」まで、2年半くらいのブランクがある。

 その間も、ちょくちょく出演はしている。ただ、表舞台から遠ざかった、と自分は解釈しています。

 そして、表舞台から遠ざかった2年半。この間に、同世代に何人もの女優が台頭してきます。

 

 長沢まさみ。宮崎あおい。綾瀬はるか。上戸彩。石原さとみ。上野樹里。市川由衣。栄倉奈々。井上真央。本仮屋ユイカ。北川景子。等々。

 それこそ、「黄金世代」と称しても過言ではないでしょう(やや誇張的な感じもしますが)。特に、宮崎あおいは、この中でも、ある種の別格感を感じますが。

 それは、ある種のめぐりあわせなのかもしれません。ただ、もしも、前田亜季が、「学業に比重を置く」のではなく、「学業と女優のバランス」を、もっとうまくやれていたならば。正直、そう思わなくもないのです。

 

 個人的に抱くのは、前田亜季は、良くも悪くも、「拘りが強い」感じがあるのです(それが彼女の魅力の一つでもあると思うのだが。表情、言葉の端々の表現が豊かとも思うし)。

 昨日(2月15日)の2時間ドラマに象徴されるように、「社会派」への拘りが強いように感じますし。少なくとも、「トレンディー系」とは、明らかに一線を画しているといえるでしょう。

 

 尤も、「拘りが強い」ことを、必ずしも悪いとは思いません(むしろ魅力とさえ思う。これは、自分の性格的に、こだわりが強い傾向があるからかもしれませんが)。

 「学業と女優の両立」にせよ、個人的には、学業に比重を置くことで、「人間としての引き出し」を増やし深めることには、大きなプラスになると感じますし。

 ただ、このようなことは、それこそ「ケースバイケース」であると思いますし、「世代を代表する女優」として活躍、君臨することばかりが、本人にとっての「至福」であるとも、必ずしも限らないのかな、とも思うのです。

 

 結局のところ、何が本人にとってのベストかというのは、本人自身でしかわからないのかもしれません。「やらずに後悔するよりも、やって後悔する方がよい。」という言葉がありますが、周囲にとってマイナスに映っても、本人にとってプラスのことが、ままあったりする訳ですから(逆もまた然りですが、少なくとも、「正解は一つではない」ことだけは、いえることかなと正直強く感じます)。

 

 とはいえ、個人的には、前田亜季が、「世代を代表する女優」へと飛翔し得る潜在能力がありながらも、その領域に到達できなかった(あるいは、本人が望まなかったという解釈もあり得るかもしれないと自分は思っていますが)、ということは、ある種もったいないと感じますし、示唆的であるようにも映る訳です。

 これは、ケースは異なりますが、「家なき子」「ガラスの仮面」のイメージばかりがこびりつき、それ以上の上積みへと到達できなかった、安達祐実にも、いえることかもしれません。

 

 

 その意味で、「学業と女優の両立」に、現在とても腐心しているなあ、と強く感じるのが、南沢奈央です。

 2009年に立教大学に進学。この春で4年生になります。大学進学以前は、「ビクター甲子園ポスター」(2007年)、映画「赤い糸」(2008年)等で名を上げました。

 

 「赤い糸」は、映画、ドラマ、書籍の「メディアミックス」という大胆な試みもあり、話題になりました。で、その直後に大学進学。

 「学業と女優の両立」ということにおいて、「学業に比重を置きつつ、できるだけ女優としての存在感を落とさない」ことを、いかにして具現化するか、それが南沢奈央に問われる命題であるように映る訳です。

 

 そこで、南沢奈央が(勿論、本人の意向と共に、周囲の支えも大きいように思いますが)とっている道は、「単発ドラマ、CMを主体としつつ、バラエティー、ドキュメンタリーにも幅を拡げ、女優としても人間としても引き出しを増やす。」ということであるように思う訳です。

 尤も、映画やドラマという意味で、「赤い糸」からの上積みが、現時点ではあまりないようにも映る訳ですが、落語や舞台に挑戦したりとかで、引き出しを増やそうと努力していることには、とても好感を抱きます。

 それに、南沢奈央の場合、スポーツや読書への造詣ということも、強みといえるでしょう。そういう強みが、現在の南沢奈央の支えになっているのかな、とも映る訳です。

 

 というのも、自分が、南沢奈央を「好きな女優」の一人に挙げる理由の一つに、「清純さ(まっすぐさ)」、そして、ある種の「理知性」を強く感じるから、ということがあるのです。頭の回転が速いことは、人間として、とても大切なことであると思いますし、自分も見習いたいなあ、と強く抱きます。

 そして、南沢奈央が、「学業と女優の両立」が、人間としても女優としてもどれほどプラスになったのか。これは、結局のところ、本人がどう考えるかによると思うのですが、大学卒業後(2013年春になる)に、それが問われることになるのでしょう。

 ですが、南沢奈央が、「学業と女優の両立」により、人間としても女優としても引き出しを増やし深めることができて、その上で、女優としての存在感を落とさないことができれば、今後の若い世代の女優にとって、プラスの意味でのモデルケースになり得る感じがするんですよね。

 

 その意味で、志田未来はどのような道を志向するのか(あるいは、同世代の福田麻由子、大後寿々花にもいえることですが)、ということも、とても興味深いと感じます。いまは、ある種のあどけなさが大きな魅力と感じる訳ですが、今後は、プラスの意味での落ち着きも問われてくると感じます。それができれば、「世代を代表する女優」への飛翔は勿論、より高いステータスへと到達し得ると思う訳です。

 

 

 そして、現在、「天才」「神童」の称号を欲しいままにしている存在。

 芦田愛菜。本田望結(「みゆ」と読みます)。この2人が、主として該当し得るでしょう。

 

 ですが、強く抱くことは、芦田愛菜も、本田望結も、まだ7歳(小学1年生)ということなんですよね。

 あまり持ち上げ過ぎないで欲しい。むしろ、学校生活を楽しくすることを最優先事項に置きながら、一人の人間として、多様な経験を積ませてあげること。そして、周囲の人間が、中長期的な意味で、一人の人間として、充実した人生を歩めるように最大限の配慮をすることが大切であるように、自分は考える訳です。

 

 何よりも大切なことは、「その人らしさ」、つまり、その人間の個性を、最大限に活かし伸ばしてあげること、それに尽きるように思う訳です。

 その意味で、本田望結は、「滑って踊れる女優さん」になりたい、と強く志向しているとのことですが、天真爛漫さを活かし伸ばして欲しい、その上で、徐々にでよいから、一つでも多くのことを貪欲に学ぶ姿勢が、とても大切であるように考える訳です。

 

 

 長い文章になり、申し訳なく思いますが、自分が強く抱くことは、下記のことです。

 「『才能』を光り輝かせ得るには、あらゆる要素が複合的に関係するように考えられるが、子ども自身が『志』『理想』を大切にし続けること、一つでも多くのことを学び吸収する姿勢は勿論、周囲の人間が、その子どもの『思い』『個性』を最大限に尊重した上で伸長させていく手助けをすることが、大切であるように考えられるのではないか。」

 

 個人的に強く抱くことは、確かに、あまり「放任」し過ぎるのもよくないかな、とは思いますが、それ以上に、「過干渉」することの方が、逆効果であるように考える訳です。

 尤も、日本の教育システムは、とりわけ、「才能伸長教育」の観点に照らせば、抜本的な改善が必要であると、自分は強く考える訳ですが、たとえ教育システムが変わらなくとも、親御さんをはじめとする周囲の意識を、「子ども主体」にするだけでも、子どもの才能を最大限に光り輝かせることは、充分にできるのではなかろうか、と強く考える訳です。

 

 学術的観点、教育的観点からの考察は、おいおいしていきたいと思いますが、自分としては、今回取り上げた女優や歌手については、「その人らしさ」「個性」を最大限に活かし伸ばして欲しい。何故ならば、せっかく授かった生命なのだから。この思いを、強く抱く訳です。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

 

 

 末文になりますが、今回のエントリーに関係するリンクを貼っておきます。

 

 (1)「日本学生科学賞」のHP。

 (http://contest.jst.go.jp/gakusei/index.html

 (http://event.yomiuri.co.jp/jssa/

 

 (2)「JSECチャレンジ」のHP。

 (http://contest.jst.go.jp/jsec/index.html

 (http://www.asahi.com/shimbun/jsec/

 (http://www.asahi.com/national/update/1203/TKY201112030371.html

 

 (3)南沢奈央さんのインタビュー記事(上が「朝日新聞学割キャンペーン」、下が「日本新聞協会」)。

 (http://www.asahi33.com/gakuwari/interview_g.html

 (http://www.readme-press.com/now/2011/04/post-3.html

 

 (4)バレエの国際コンクールで優勝した菅井円加さんの記事。

 (http://mainichi.jp/select/opinion/hito/news/20120207k0000m070123000c.html

 (http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1202060006/

 (http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120207-00000016-kana-l14

 

 (5)将棋の女流棋士として、プロデビューから4か月でタイトルに王手を掛けた長谷川優貴さんの記事。

 (http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20120202-OHT1T00252.htm

 (http://www.kobe-np.co.jp/news/touban/0004794683.shtml

 

 (6)「女王の教室」のHP、ウィキペディア、及びその考察についてのブログ記事。

 (http://www.ntv.co.jp/jyoou/

 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E6%95%99%E5%AE%A4

 (http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2005/09/post_f45c.html

 

 (7)「14歳の母」のHP、ウィキペディア。

 (http://www.ntv.co.jp/14/

 (http://ja.wikipedia.org/wiki/14%E6%89%8D%E3%81%AE%E6%AF%8D

2012年

2月

01日

「2012年新春移籍市場、本田圭佑セリエA上陸挫折における一考察。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第7回のブログエントリーの論題は、「2012年新春移籍市場、本田圭佑セリエA上陸挫折における一考察。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の6回目になります。そして、サッカーブログエントリーの2回目になります。

 今回のエントリーは、自分自身、待望しておりました、コメント欄を設けるエントリーの1回目にもなります。今回は、「議論するエントリー」と「感じることを伝えながら読者と意見交換をもしたいエントリー」の中間型という位置付けになるかなと思います。

 

 私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、過激といいますか、良くも悪くも感性に多くを委ねる感じの文章になるかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 そしてまた、長文、駄文になることかと思いますが、何卒最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 コメント欄を設けるにあたり、何卒、「プロフィール」欄、とりわけ、その末文にございます、「読者に対する遵守事項」を、熟読した上で、遵守事項の趣旨を御理解頂いた上で、コメント欄にて御意見を寄せて頂けると、とても有難く思います。

 基本的に、コメント欄を設けるにあたっては、文章の末文において、「読者に対する質問事項」を示したいと思いますので、それをもとにしてコメントを寄せて頂けると、とても有難く思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 ACミラン。ユベントス。セビリア。マンチェスターU。リバプール。パリSG。マルセイユ。ガラタサライ。

 少なくとも、これまで、これだけのクラブが、本田圭を獲得リストに挙げていた、といわれています。恐らく、他にも挙げられるかもしれません(例えば、インテルミラノ、Aマドリード、マラガ、アーセナル等も、獲得リストに挙げていたであろうとは思います。さほど優先順位は高くなかったでしょうけど)。

 

 例えば、マンチェスターU。今季、10月下旬、「マンチェスターダービー」にて、マンCに対して、1対6の歴史的惨敗(退場者を出してプッツン来てしまった感じも少なからずあったように映るが)を喫した直後、現地発の報道曰く、本田圭は、下記の選手に次いでの獲得リスト上位クラスに名前を連ねる、ということが伝えられたと伺います。

 

 「ウェズレイ・スナイデル(インテルミラノ。オランダ代表)」

 「ルカ・モドリッチ(トットナム。クロアチア代表)」

 「香川真司(ドルトムント。日本代表)」

 

 まあ、香川とは実質的に同列であると伺いますが、スナイデル、モドリッチに次ぐ位置付けとはいえ、マンUがそれなりに関心を抱いていたことは、恐らく確かなのでしょう。

 尤も、スナイデル、モドリッチよりも推定市場価格は恐らく低いであろうとはいえ、現に、具体的な話までは伺えないことも、偽らざる現状であるようにも感じる訳ですが。

 

 あるいは、ACミラン。ここも、2010年W杯直後をはじめ、2011年アジアカップ終了後、2011年夏と、少なくとも3回にわたり、本田圭に強い興味、ということがいわれてきました。

 また、パリSGは、2011年夏、そして今冬と、獲得に動く云々のことがいわれてきた。特に今冬は、ラツィオと共に、獲得に動くクラブとして名前が挙がったクラブであり、1月中旬の時点で、レオナルドSDが、「マルダ(チェルシー。フランス代表)と共に、獲得リストの上位にある。」と発言したといわれています。そして、(本当かはわからないが、恐らく水面下で接触はあったのだろうと思いますが)レオナルドとザッケローニが接触した、とも伺います。

 

 マンUについては、希望論的なバイアスが少なからず掛かっていると思いますが(獲得リストに名前はあるが、優先順位的にはさほど高くないかと)、ACミラン、パリSGについては、ザッケローニと何らかのつながりが少なからずあることもあり、現実性はそれなりにあるかも、とは感じる訳です。

 というのも、ACミランは、ザッケローニが、98年~01年のおよそ3年間、指揮官を務め、98-99シーズンではセリエA優勝に導く等、ザッケローニにとって、ある種「心のクラブ」であると思うんですよね。退任時は、半ば喧嘩別れのような感じになりましたが、それでも、ザッケローニが(日本代表に就任する以前という意味では)最も輝いていたときのクラブであったと思いますから。

 

 

 で、パリSG。実は、ラツィオとパリSG、今冬の移籍市場でこの2クラブが名乗りを挙げた(1月24日以後、ラツィオが一気に攻勢をかけて、PSGは外国人枠の問題等もあり、今冬についてはフェードアウトのような感じになっていったが)、という感じである訳ですが、PSGは、現実性が充分にあるのでは、と思っていました。

 まず、レオナルドは、現役時代、ACミランで師弟関係であった(絶対的レギュラーではなかったと記憶するが、それなりに良い関係は築けていたように感じる)。鹿島で2年間プレーしており、日本への造詣が深い。

 で、現指揮官のアンチェロッティとは、アンチェロッティがACミラン監督時代に、ザッケローニがインテルミラノで、切磋琢磨していた(尤も、ザックはインテルでは1年足らずで退任に追い込まれているが)。それなりに御互いを知っているという意味で、これもプラスの要素でしょう。

 

 これに加えて、PSGのクラブとしての位置付けも、自分は、今冬(結局今回は残留になった訳だが、今夏[2012年夏]の移籍市場で本田圭が入団する可能性は充分あると思っている)、本田圭の入団が充分あり得るかも、と思うことの、大きな理由としてあったんですよね。

 というのも、PSGは、昨夏にオイルマネー傘下のクラブになった。もともとフランス国内では名門クラブとされてきましたが、ロナウジーニョ、オコチャ、パウレタ等をかつて擁しながらも、過激なサポーター等の「お家騒動」に少なからず悩まされたこともあり、「有力クラブ」から脱皮しきれずにきた。で、資金力と立地(パリは都市としてはステータスが高いので)を活かして、「ビッグクラブ」、いわば、「フランス版バイエルン」を強く志向している感じがある。

 で、世界戦略の一環として、アジア人選手が欲しいであろうこと、攻撃陣の頭数がそもそも不足していること(ガメイロ、パストーレ、メネーズ、ネネに続く存在が事実上不在)、といったことで、本田圭が欲しかったのでしょう。

 ですが、あらゆる理由、要因が考えられるかとは思うのですが、一つの理由として、アンチェロッティが、ACミラン時代の代名詞でもあった、「4-3-1-2」(または「4-3-2-1」)を採用したいことや、まずは守備面からチームをつくりたい志向からか、優先順位が後回しになった、ということで、今冬の入団が実現しなかった、ということかな、と自分は解釈しています。

 

 

 という訳で、24日以後、ラツィオが攻勢を掛けて、日本、イタリア、双方での報道もかつてないほどに過熱の一途で、自分も、「セリエA上陸が実現して欲しい。」という思いを、(実はそれまでにも強く抱いてはいたのですが)より一層強く抱くようになっていきました。

 結論的には、読者の皆様も御存知のように、「破談」でした。実は、自分は、昨夜は、「破談」を知って、就寝時、布団の中で一人泣き崩れてしまい、実はまともに寝ることができませんでしたが。

 

 自分が、本田圭のセリエA上陸実現を希望してきた理由を、下記に記します。

 

 

 (図解1)「自分(愛球人)が、本田圭のセリエA上陸実現を強く希望してきた理由。」

 

 (1)本田圭の最終目標が、スペインリーグでのプレーであることは勿論存じているが、セリエA好きの自分としては、単純に本田圭のセリエAでのプレーを観たいから。

 (2)本田圭の、選手としての特徴として、「世界最高レベルのFK」「攻撃的なポジションならばどこでも対応可能」であることが挙げられるが、「FK」「マルチロール性」以外の、持ち味としての引き出しを増やして欲しい。その意味で、「駆け引き重視」の特徴を有するセリエAは、本田圭にぴったりではないか、と思うから。

 (3)本田圭の課題点の一つに、「守備意識」が挙げられる(向上傾向にはあるが、例えば香川と比較するとやや見劣り感が否めない)。で、本田圭が今後ビッグクラブでのプレーを本気で目指すならば、「守備意識」の向上なくしては厳しいと考えられる(「創造性」も高いレベルにあるとは思うが、例えば、スナイデル[インテルミラノ]やエジル[Rマドリード]と比較すると、まだ「支配的な存在」とまではいえない)。

 で、セリエAは、守備意識の強いリーグではあるのだが、プレミアとは異なり、単純な肉弾戦ではなくて、駆け引きを基礎とする守備意識の強さ、あるいは攻守の素早い切り替えなのである。いずれ本気でスペインリーグ上陸を希求するならば、セリエAの持ち味である、「サッカーIQ」「攻守の素早い切り替え」「守備意識の向上」は、本田圭の選手及び人間としての成長にうってつけの環境であると考えるから。

 (4)セリエAは、伝統的に、本田圭のような「10番タイプ」が重宝されやすい傾向にある。このように考えると、「守備意識」は勿論、むしろそれ以上に「創造性」に磨きがかかりやすい環境をつかめると思うから。

 (5)現実論として、スペインリーグの有力クラブの攻撃陣は、高いレベルの創造性及び仕掛けを兼備している、もしくはいずれかがとても高いレベルにあることが求められる。

 その意味で、スペインリーグ上陸は勿論叶って欲しいのだが、ビッグクラブでのプレーでいえば、「

ACミラン、インテル、ユベントス」というビッグクラブを3つも擁するイタリアでのプレーは、中長期的に、イタリアのビッグクラブでのプレーを可能にし得て、それが本田圭の成長においえてプラスになるのでは、と考えるから。

 

 

 上記の5つのことが、自分が、本田圭のセリエA上陸実現を強く希求してきた理由としてある訳です。

 このことに加えて、下記に示しますが、ラツィオの選手構成も、本田圭のセリエA上陸実現への期待感を膨らませた、大きな理由です。

 

 

 (図解2)今季のラツィオの選手構成。

 (1)今季前半戦。

 (システム[4-3-1-2])

 (監督[レーヤ])

 

              クローゼ         シセ

                          (ロッキ)

                     エルナネス

 

          ルリッチ                 A・ゴンザレス

         (マツザレム)               (ブロッキ)

                     レデスマ

 

 ラドゥ          A・ジアス        ビアーバ           コンコ

(ザウリ)       (スタンケビシウス)    (ディアキテ)      (スカローニ)

                     マルケッティ

 

 

 (2)もしも本田圭入団が叶っていたら(その1。クラシッチとのダブル獲得実現時)。

 システム(4-2-3-1)

 監督(レーヤ)

 

                     クローゼ

                    (ロッキ)

 本田圭                 エルナネス              クラシッチ

(ルリッチ)              (マウリ)            (A・ゴンザレス)

              マウリ           レデスマ

             (ブロッキ)        (マツザレム)

 ラドゥ          A・ジアス        ビアーバ           コンコ

(ザウリ)       (スタンケビシウス)    (ディアキテ)      (スカローニ)

                     マルケッティ

 

 

 (3)もしも本田圭入団が叶っていたら(その2。本田圭とエルナネスの2OH採用時)。

 システム(4-3-2-1)

 監督(レーヤ)

                     クローゼ

                    (ロッキ)

              エルナネス        本田圭

             (マウリ)        (マツザレム)

          ルリッチ                  A・ゴンザレス

         (マウリ)                  (ブロッキ)

                     レデスマ

                    (マツザレム)

 ラドゥ          A・ジアス        ビアーバ           コンコ

(ザウリ)       (スタンケビシウス)    (ディアキテ)      (スカローニ)

                     マルケッティ

 

 

 恐らく、ラツィオとすれば、(2)が実現すればベスト(クラシッチとのダブル獲得が叶わなくとも、2列目を左からルリッチ、エルナネス、本田圭、2CHをマウリ、レデスマでも可能であったかと思う)だが、(3)をも考慮に入れながら、本田圭獲得を実現させたかった、という感じでしょう。

 というのも、ラツィオの選手構成的なことを述べれば、下記のような事情があるように思うのです。

 

 

 (図解3)ラツィオが選手構成的に本田圭獲得を叶えたかった理由。

 

 (1)CFクローゼ(ベテランだが、ドイツ代表のエース)、OHエルナネス(ブラジル代表。10番タイプだが、レジスタにも対応可能)、CHレデスマ(イタリア代表。アルゼンチン出身、典型的なレジスタ)が攻撃の軸。

 (2)今季は欧州CL出場権を狙い得る感じだが、全体的に選手層があまり分厚くなく、2トップの一角として期待したシセ(元フランス代表)が機能せず、また、エルナネスが封じられると攻撃が手詰まりになる傾向がある(左サイドのルリッチ[ボスニア代表]の突破力こそあるが)。

 (3)故に、エルナネスと共に、あるいはエルナネス不在時において、崩しの切り札、あるいは創造性を発揮できる選手として、本田圭に白羽の矢が経った(勿論、経済的側面も少なからずあると思うが)。

 

 

 ですので、結局、破談が決まったときは、もう、落胆と憤慨が錯綜する感じであり、そして、気が付けば溢れ出てくる涙。布団の中で号泣してしまいました。

 感覚的には、合格発表で不合格を宣告されたような感じです。

 

 セリエAで躍動する本田を観たかった。一刻も早くロシアから有力クラブへの栄転を叶えて欲しかった。このままでは、香川との差がより一層離れていきやするまいかという危機感。

 あらゆる思いが複雑に交錯して、あふれ出る涙を誘発したように感じる訳です。

 

 「未来志向」的な考察については、掲示板に委ねることにします。

 つまり、今回のエントリーは、「現在志向」的な考察、という感じでしょうか。

 

 という訳で、「読者への質問事項」を記します。

 

 

 『今冬の移籍市場における、本田圭の移籍狂想曲について、どのように考えているか、御見解を寄せて頂けると有難く思います。』

 

 

 つまり、「破談の理由、要因」「破談についてどう考えるか」「今冬の移籍実現が叶って欲しかったか」「今夏に有力クラブ栄転を叶えるために本田圭に対して願うこと」といったことが、今回の質問の趣旨としてあります。

 

 

 コメントを寄せて頂くにあたり、何卒、「プロフィール」欄、とりわけ、その末文にございます、「読者に対する遵守事項」を、熟読した上で、遵守事項の趣旨を御理解頂いた上で、コメント欄にて御意見を寄せて頂けると、とても有難く思います。

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

1月

31日

「2012年新春、一人の人間として、受験に向き合う子どもに伝えたいこと。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第6回のブログエントリーの論題は、「2012年新春、一人の人間として、受験に向き合う子どもに伝えたいこと。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の5回目になります。そして、子どもブログエントリーの1回目になります。

 今回の位置付けは、「伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、歌劇といいますか、良くも悪くも感性に多くを委ねる感じの文章になるかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 という訳で、今回は、書簡スタイルの文章を、試みたいと思う次第でございます。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 「受験と向き合う子どもへ。

 

 自分が生まれ育つ、関西圏では、例えば、中学受験は佳境に入っており、高校受験はそろそろ本番が近付き、大学受験は、国公立組はセンターを終えて2次に向けての追い込み、私立組はいよいよ明日から「関関同立」の本番が開幕であろうかと思います。

 

 正直、自分は、受験に対して、苦い思い出が主体になってしまっている感じです。特に大学受験について述べれば、正直、悔しさばかりが残っている感じです。かろうじて現役で第3志望校への進学をつかむのが精一杯でしたから。

 

 自分自身、「子ども大好き人間」であると強く自負しております。

 かけがえのない個性。ありったけの可能性。飾り気のない素敵な笑顔。

 うまく言葉でいえないのですが、「子どもの笑顔」が自分自身の「最高の喜び」であると強く自負しております。ある種不思議な感覚を抱くのですが、「子どもの笑顔」からは、「生きる希望」「生きる勇気」をもらう感じを抱くことが少なからずあります。

 

 それは、恐らく、「子どもの笑顔」は、「飾り気がない」と感じるからでしょう。

 つまり、「純粋無垢」。「ありのまま」、ということかもしれません。

 

 そう。自分が今回、最も「伝えたいこと」は何か。

 

 

 「『志』を高く持て」。「夢は心の栄養素」。「『なりたい自分』を思い描き、どれほど苦しくとも、叶えたい道に向かって貪欲に突き進んで欲しい」。

 

 

 「こういう人間になりたい」。「こういう道に携わりたい」。

 そういう、「なりたい自分」、換言すれば、「志」あるいは「目的意識」を強く抱いて欲しい、と思う訳です。

 

 かくいう自分自身、何らかの形で「子ども」「教育」に携わりたい、という思いは、高校3年生の時から、ずっと抱き続けてきました。

 ただ、これは自分自身の内面が、どこか少なからず弱いからなのか、もう、20歳代も半ばになっても、未だに「生き方模索」にもがいてしまっている有様です。

 

 「子ども」「教育」「復興」。携わりたい道のキーワードは、明確化しつつある感じではあります。

 ですが、自分の場合、それを、現時点においては、「教職」「NPO、NGO」、いずれの道で具現化したいのか、今年は、それを自分の中で見定めることが求められる年であるように、正直感じている次第です。

 

 

 「優しい心」「芯の強さ」「他者を引っ張る経験を積む」「感じることを言葉にする」「なりたい自分のイメージを描く」「自分自身と向き合う」。

 「人間として大切なこと」ということとして、自分が、一人の人間として、子どもに伝えたいことは、正直、たくさんあります。

 そして、「子どもと共に学び遊び成長できる人間になること。」、このことが、ある種、自分が強く抱く理想像として抱いている訳です。

 

 ですが、今回、「受験に向き合う」子どもに伝えたいこと。それは何か。

 

 

 「挫折を恐れないで。挫折は人間を成長させる大切な要素だから。そして、『自分自身のために』受験において完全燃焼して欲しい。」

 

 

 「挫折を恐れないで」、とここに記しました。そして、「挫折は人間を成長させる」とも。

 おい、失敗しろ、といっているのか、と映るかもしれません。「成功を願っているよ」と言ってよ、みたいな。

 勿論、受験において、最高の結果を叶えて欲しいと強く希求するのは言わずもがなです。

 しかし、どれほど努力しても、受験本番においては、あらゆる要素が複合的に重なり、それがプラスにもマイナスにも作用し得る、それが受験本番であると思うのです。

 

 自分の経験を述べれば、例えば、第1志望校の本番(「関関同立」に該当する学校です)では、突如英語で試験問題の傾向が変わり、それに対応し切れなかった(英語は実は苦手科目だった。そして現在でも苦手である)。

 第2志望校の本番では、A日程とB日程があり、B日程に出願しておけば、恐らく受かったであろうと思うのですが、結局、A日程のみを出願しました(当時はA日程が最大2日、B日程が最大3日あった)。そこで既にプランニングミス。心のどこかにある種の緩みがあったのかもしれません。

 そして、模試でも、少なくとも、高校3年生においては、日本氏は絶対的な得意科目で、いつもハイパフォーマンスである自負があったのに、第2志望校のA日程の本番で、「あえて挙げれば不安分野」と抱いていた、原始時代、社会経済史の集中砲撃に対応し切れず、かつてない恥辱的惨敗。この恥辱感は、9年経った現在でも、強烈に心にこびりついております。

 

 いまにして思えば、極度の緊張感からか(現に、実は現在でもそうなのだが、「あがり性」である。しかし、受験本番当時の自分は、緊張感さえ分からなくなっているくらい、恐らく極度の緊張感であったように考えられる)、日本史でかつてないくらいに失速した。

 受験本番において、絶対的な得意科目の日本史で大量貯金をして(はっきりいうが、少なくとも90%は獲れる自信があった)、国語は高3でかなり自信を付けたので70%台半ば(特に現代文は高3で最も自信を付けた分野だった)、苦手の英語は基礎を確実に得点する、そういうスタイルでした。

 少なくとも、関西圏の有力私大(主として「関関同立」)の受験本番においては、英語、国語、日本史の順の配点比重なんですよね。英語の苦手な自分には、ある種不利である訳です。

 

 結局、第3志望校で現役合格できたのは、特殊な「傾斜配点方式」に救われたからです(第2志望校もそうですが、いわゆる「産近甲龍」の一翼の学校である、とだけ述べておきます)。

 日本史200点、国語150点、英語100点。合計450点。70%を合格ラインと見込んで、結局、日本史と国語(特に現代文)にものを言わせて逃げ切った、そういう感じでした。

 尤も、「関関同立」では、事実上、自分のようなスタイルの傾斜配点すがる方法では、現在でも通用しない感じである訳ですが。

 

 ただ、自分が大学受験本番で挫折した大きな要因の一つとして、下記のことがあるように思うのです。

 「はたして、『自分自身のために』受験に臨むことが、どれほどできていただろうか。どこか異なる方向を向いている部分があったのではないか。」

 そう。自分の場合、大学受験には、正直「悔いが残っている」部分があります。

 尤も、第3志望校に進学したからこそ、よかったこともたくさんあるので(特に他大学との単位互換や、憩いの場所を少なからず見つけられたこと、あるいは、遠距離通学だからこその時間の使い方や勉強の仕方のコツ等)、それはそれでよかったのかな、とも思っていますが。

 

 

 で、「自分自身のために」。これはどういうことか。

 勿論、御世話になっている人間を大切にする姿勢は、言わずもがなです。家族、先生等。

 ですが、せっかくの授かった生命なんですよね。それを大切にして欲しい、と強く願うんですよ。

 で、特に日本の場合、大学受験の結果が、その後を少なからず左右する傾向にあることは否めない。あのときこうすればよかった、が、その後に暗い影を落とす要素が少なからずあると思うんですよね。

 

 何が言いたいのかといえば、下記のことが大切ではないか、と自分は思うのです。

 

 「『なりたい自分』に絶対になりたい、そのために、強い『目的意識』を持って欲しい。」

 

 これが大切であると思うんですよね。

 「こういう人間になりたい、あるいは、こういう道に携わりたい。その実現のために、大学でこういう分野を学びたい。だから、受験勉強に全力で打ち込む。」

 そのような強い意識をどれほど持てるか。目的意識を強く抱くことができれば、万一、結果的に不完全燃焼の結果になってしまったとしても、「やれるだけのことはやった。」と思えるはずではないか、と思うのです。

 

 で、「挫折は人間を成長させる。」と自分は述べましたが、遅かれ早かれ、挫折を経験することは、恐らくあると思うんですよ。

 ですが、挫折を経験する際、何か自分に「足りないところ」があることに、気付かされるのではないかな、と思う訳です。すぐには気付かないかもしれませんが。

 「足りないところ」に気付いたとき、それを克服しようと努力する。そして、試行錯誤の末に、克服できたとき、人間は大きな成長を遂げることができる、と自分は信じている訳です。

 

 そう。挫折の経験は、短期的には、とても辛く悲しく悔しいことでしょう。

 ですが、中長期的な視点で考えれば、足りないところを克服しようと努力できるし、挫折から学ぶことは、たくさんあると思うんですよね。

 

 

 いずれにせよ、「人間は、学び続けることを通してこそ成長できる」。

 自分は、そう強く信じている訳です。

 「持てる全力を出し切って欲しい。積み重ねた努力の決勝を、答案に思いを籠めてぶつけて欲しい。そうすれば、絶対に素敵な結果が待っているはずだから。」

 このことを、子どもに伝えたい、と強く思います。

 

 「志」に向かって生きる子どもを、全力で応援しているよ。

 

 愛球人。」

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

1月

28日

「2012年新春、愛球人の考える、日本サッカー界の論点。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第5回のブログエントリーの論題は、「2012年新春、愛球人の考える、日本サッカー界の論点。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の4回目になります。そして、自分自身が待望していた、サッカーブログエントリーの1回目になります。

 今回の位置付けは、「伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 今回は、「2012年新春、愛球人の考える、日本サッカー界の論点。」とあります。ですが、特にJリーグの移籍市場や、本田圭佑の移籍問題については、別途何らかの形で個別に考察したいと考えておりますので、今回は、文字通り「総論的」な考察になるかなと思います。

 人間の数だけ個性があるように、サッカーファンの数だけ価値観があるかなと思いますし、今回、ここに示すのは、あくまでも自分(愛球人)の価値観に過ぎません。

 ですので、本論を示すにあたり、まず、自分なりの「サッカー観」を、ざっくりとですが示したうえで、自分なりの考察をしたい、と考えております。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 考察を始めるにあたり、まず、私のHPにおける「プロフィール」欄にも記しておりますが、自分(愛球人)の「サッカー観」の基本的なことを、記させて頂きたく思います。

 

 

 (図解1)「愛球人の基本的な『サッカー観』。」

 

 (1)「美しく魅せて勝つ」「スペクタクル」「できるだけ攻撃に人数を掛ける」「全員攻撃全員守備」「ファンタジスタを最大限に活かす」「トライアングルを最大限に駆使する」「創造性、仕掛け、スペースを重要視する攻撃」「長短のパスおよびドリブルを最大限に活用する攻撃」。上記の8つの要素が、自分の理想とするサッカースタイルです。

 (2)基本的に、選手、サッカースタイルを楽しむ、というのが、自分のサッカー観戦における基本スタイルです。ですので、特定のサッカースタイルに傾倒する傾向が強い一方で、特定の応援チームはございません。ただ、好きな選手はたくさんおり(恐らく少なくとも日本人選手だけでも30人は超えるかと)、とりわけ、直輝、元気、柏木等が大好きな選手であることから、現在のツイッターのアイコンは、浦和レッズのエンブレムを採用しております。

 (3)「自分たちのサッカースタイルの構築及び具現化」に対する強いこだわりを抱いており、ブログエントリーでも、このことを前面に押し出す傾向が強いことを御理解頂けると有難く思います。また、「移籍市場大好き人間」でもありますので、このことをも御理解頂けると有難く思います。

 

 

 上記のことから、恐らく御理解頂けるかなと思いますが、自分は、「超攻撃的スペクタクルサッカー絶対主義信奉者」という感じのサッカーファンです。

 極論すれば、「つまらなく勝つ」よりも「美しく負ける」方がよっぽどましである(勿論、状況には夜かなとは思いますが、基本的には)、そういうサッカー観の持ち主です。ですから、「結果」よりも「内容」にこだわるタイプのサッカーファンですね。

 ですから、海外のサッカーでいえば、スペインリーグ、オランダリーグのスタイルは、とても大好きです。クラブでいえば、特にアヤックス(オランダ)のサッカーが大好き、という感じですね。

 

 とはいえ、では、「守備的サッカー」を全否定するのか、といえば、そうではありません。

 というのも、最も観る海外サッカーのリーグは、実は「セリエA(イタリアリーグ)」です。

 それは何故か。「いかにして試合をコントロールするか」「いかにして失点しないか」「いかにして相手の守備組織を崩すか」といったように、「駆け引き」が要所で展開されるからです。

 

 そう。自分が、「サッカーが大好き」な理由の一つに、「サッカーは頭脳的なスポーツであるから。」ということがあります。勿論、技術の素晴らしさは、ある種の天才性も求められるかもしれません。特にスペインの2強(バルサ、レアル)のサッカーは、そういう要素が少なからずあるので、少なくともバルサのサッカーを日本サッカー界が具現化するのは、正直とても厳しいだろう、と自分は考えております。

 しかし、サッカーの魅力の一つに、「どのようなプレーをすれば、決定機を生み出せるか」「数的不利の中でどうすればピンチを乗り越えられるか」といったことがあると思う訳です。

 

 先程、セリエAのサッカーは、スペインリーグと同じか、むしろそれ以上に好きかも、という趣旨のことを記しましたが、「球際の駆け引き」は勿論、スペースや対人をめぐる駆け引きも、要所で伝わってくる。単純な肉弾戦でも、美しい技術にものを言わせるだけでもないところに、実はある種の強い魅力を抱く訳です。

 

 

 その意味で、日本代表(男子)の指揮官にザッケローニを招聘できたことは、とても有難いことであると、正直強く思いますし、自分としては、イタリアのサッカーは、日本サッカーの手本の一つになり得るように思うんですよね。その一方で、オランダ(特にアヤックス)のサッカーのテイストも、大いに取り入れて欲しいなあ、と思ったりしますが。

 より一層深く述べれば、自分の現時点での考えとしては、「日本サッカー界として志向して欲しいサッカースタイル」という意味では、スペインやオランダの「テクニック重視のスタイル」に加えて、イタリア仕込みの「駆け引きを駆使するスタイル」を、大いに融合させればよいのでは、と感じる訳です。

 

 というのも、欧州の主要リーグ(ここでは、スペイン、イングランド、イタリア、ドイツ、フランス、オランダ、ポルトガルを主として考える)のサッカーを見ると、それぞれのリーグの「持ち味」がにじみ出ているように映る訳です。それぞれの代表のサッカーも、およそ似たような感じでしょう(代表の場合、イタリアやフランスが方向性を再構築中であったり、ドイツのようにより攻撃志向を強めているチームもあったりするが、いずれにせよ、根っこのテイストはいずれも基本的には、プラスの意味で不変なのかな、と自分は感じる訳です)。

 

 つまり、欧州の主要なリーグ、あるいは代表は、「自分たちのサッカースタイル」が伝わってくる訳ですね。そういう「自分たちのサッカースタイル」が、「日本サッカー」として、果たしてどれほど具現化されているのか。自分は、正直、このことに強い危機感を抱いています。

 

 

 「日本サッカーとしての『サッカースタイル』の構築及び具現化。」

 

 

 このことこそ、2012年の日本サッカー界の最大の論点といってよく、そして、「中長期的ビジョン」をいかにして描けるか、ということをも含めて、自分自身、強く拘っていきたいこととしてあるんですよね。

 できることならば、協会として、A代表、女子代表(なでしこ)、五輪代表、育成年代が、「同じ方向を向く、根っことなる理念を共有できる」、そういう「思い」なり「システム」なりを共有できるようにして欲しい、と願う訳なんですよね。勿論、一朝一夕にできることではないとは思いますが。

 

 で、代表以上に、自分が危惧していることとして、「Jリーグの各クラブチーム」という意味で、「自分たちのサッカースタイル」を具現化できているといえるチームが、どれほどあるだろうか、ということです。

 現状として、「自分たちのサッカースタイル」を構築できている、といえるのは、自分は、下記のように考える訳です。

 

 

 「恐らく、『鹿島だけ』といわざるを得ないかもしれないし、その鹿島も、『小笠原→柴崎』の王位継承(攻守の軸、あるいは攻撃のタクトを振るう存在)がスムーズにいくかどうかによって、骨格が揺さぶられる可能性も全否定はできない(大崩れすることはないだろうとは思うが)。

 名古屋は、ピクシー政権を熟成させて、『ピッチを最大限に大きく使う』スタイルの熟成、という方向性は、個人的には間違っていないとは思う。ただ、クラブとして、いずれピクシー政権が終焉しても、この方向性を堅持させることができるかに注目である。

 G大阪は、西野朗政権の『引き際』があまりよろしくなかったように映り、それ以上に、どのような意図を以て、セホーン政権を誕生させたのかがよくわからない。西野朗政権が、とりわけ06年以後の6シーズンを掛けて熟成した、『ポゼッションスタイル』の根っこを堅持できるか(勿論各論的あるいは個別具体的な修正点には着手して然るべきではあろうが)に注目である。

 他には、個人的には、浦和の『ミシャスタイル』、清水の『ゴトビスタイル』は、『石の上にも3年』という言葉があるように、個人的には方向性には共感できるので、中長期的スパンで具現化して欲しいと強く願う(少なくとも、志半ばで挫折を余儀なくされた『フィンケスタイル』のようにはなって欲しくない。勿論、サポがそれ相応の辛抱強いサポートをできるかどうかも重要であろうと考えるが)。」

 

 

 何も、Jのいずれをものクラブが、異口同音に「攻撃志向」でなければならないとまでは思いません。例えば、横浜FMのように、堅守を基礎とするスタイルを伝統的に志向してきたならば、その伝統は大いに活用して然るべきとは思うんですよね、個人的に感じるのは。

 つまり、オランダリーグのように、布陣も志向するサッカーもいずれのクラブもほとんど同じである、そこまですることはないだろう、とは思う訳です。

 

 ですが、「日本サッカー界として」、個別具体的な方法論はそれぞれ大いにあってよいと思うけど、根っこの大枠的なスタイルとして、例えば、「創造性、仕掛け、スペースを最大限に活かす」とか、「全員攻撃全員守備」とか、「攻守の素早い切り替え」、「崩しの引き出しを複数以上機能できるようにする」とか、そういったことが大切ではないか、と思う訳です。

 

 

 ここに、興味深いコラムがあるので、リンクを貼らせて頂きます。

 (スポーツナビ「日本に創造性豊かな選手が育つ土壌はあるか」)

 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/other/text/201201250007-spnavi.html

 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/other/text/201201250007-spnavi_2.html

 

 

 そう。「ファンあってのスポーツ」であると思いますし、その意味では、「観ていて楽しい、面白いサッカー」を、やっぱりファンは観たいと思うんですよ。

 昨年は、女子W杯で、なでしこジャパン(女子日本代表)が世界一に輝き、称賛されましたが、それは、「美しさ」「強い攻撃性」を志向するサッカーという内容面の評価は、大きいのではないかと思います。なでしこのスタイルは、「日本サッカー界としてのフィロソフィー(サッカー哲学)」の、一つのたたき台にはなるのではないか、と自分は感じます。

 

 それと、育成システムの充実ですね。クラブレベルならば、毎年1人以上はコンスタントにトップチームに昇格できる、高いレベルでのユース(下部組織)システムの構築。あるいは、協会レベルでならば、現在、「JFAアカデミー」が創設されていますが、できることならば、育成年代からA代表、女子代表まで、根っこでの一貫性のある育成システム、サッカースタイルの構築及び具現化が絶対に必要である、と強く思う訳です。

 

 「JFAアカデミー」のHP。

 (http://www.jfa-academy.jp/

 

 

 つまり、下記のことこそ、とても大切である、と強く主張したい訳です。

 

 「2012年を、『日本サッカー界(あるいはJクラブ)としての、『自分たちのサッカースタイル』を具現化するための種を蒔く年にして欲しい。」

 

 この思いを、強く抱く訳です。

 

 

 他にも、強く希求することは、正直わんさかありますが、言い出すとあまりにも長くなりそうな感じですので、いずれおいおい考察できれば、と考える次第です。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

1月

18日

「『1・17』から17年。『1・17』と『3・11』、自分なりの意味付けが問われる思い。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第4回のブログエントリーの論題は、「『1・17』から17年。『1・17』と『3・11』、自分なりの意味付けが問われる思い。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の3回目になります。今回は、「伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 今回も、長い文章になり申し訳なく思いますが、1月11日のエントリー、「『3・11』からの復興の具現化のために大切であると強く考えること。」と同様に、自分なりの「『伝える』ことを通しての自分なりの中長期的な復興支援」というテーマでの、「総論」的な内容と位置付けてのエントリーであることに、御留意頂けると有難く思います。その上で、何卒最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 「1・17」。「阪神淡路大震災」。1995年1月17日、5時46分。

 自分自身、「1・17」は、恐らく永遠に「心の原点」であり続けることでしょう。

 

 自分の「1・17」における「被災体験」については、先日(1月11日)のブログエントリーの(その1)にて言及しておりますので、下記にリンクを貼っておきます。

 

 

 (自分の「1・17」における「被災体験」に言及しているブログエントリー。)

 「『3・11』からの復興の具現化のために大切であると強く考えること(総論。その1)。」

 

 

 「1・17」から17年。昨年(2011年)は、「3・11」、つまり、「東日本大震災」が起こりました。自分も、微力ながら、現在、「3・11」の復興支援活動に参加している若い世代のはしくれです。自分自身、本当はもっと尽力しなければ、と思いつつ、なかなかできていない現状に、ある種の強いもどかしさを感じていますが。

 

 正直、「1・17」から17年、ということで、しかも、昨日(1月17日)は、神戸及び西宮を訪問して、ということですので、できるだけ深く掘り下げて考察したいところではあります。

 ですが、少なくとも、現時点では、我ながら申し訳ないのですが、頭の中で整理しきれていない感じがする。ですので、今回のブログエントリーでは、昨日の神戸及び西宮の訪問を通して、ある種雑記的な感じになりますが、率直に感じたことを主として書き記したいと思います。

 

 昨日は、「人と防災未来センター」を中心として、「1・17」の教訓云々の着想も学びましたが、そういったことは、今後のブログエントリーにおいて、徐々にであれ、言及、考察して行ければ、と強く考える次第です。

 

 では、昨日の自分自身の神戸及び西宮の訪問を通して、自分なりに率直に感じたことを、下記記したいと思います。脈絡ない感じになるかもしれず申し訳ないですが、このことをも御留意頂いた上で、御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 

 10時過ぎ。第1の目的地、「人と防災未来センター」到着。

 「HAT神戸」にあります。自分の場合、今回は、阪神岩屋駅から降りました。

 

 「HAT神戸」とは、いわゆる「復興再開発地区」の一つです。いやむしろ、「1・17」の復興の象徴的場所といえるでしょう。

 その象徴の一つが、「渚中学校」です。「HAT神戸」に行く際、渚中学校の前を通る訳ですが、校門の前にあった言葉。

 

 「絆で結ぶ渚の輪」。

 生徒会有志、とあったので、子ども自身で考えて決めたキャッチフレーズでしょう。

 そう。辛いとき、苦しいときに、仲間と共に心を合わせること。自分は、このことこそ、とても素敵なことと思うのです。

 何気ないことかもしれませんが、この言葉に、不思議と心が響く感じで、「人と防災未来センター」到着です。

 

 

 ここで、「人と防災未来センター」のリンクを、下記に貼っておきましょう。

 http://www.dri.ne.jp/

 

 

 で、「人と防災未来センター」。ここを訪問したのは、2005年、2010年に続き、今回が3回目です。訪問するたびに、いろいろと学ぶことの多い施設ですが、今回、特に考えさせられたことを、いくつか記してみましょう。

 

 (1)西館3階。「1・17からの教訓 復興マトリックス」。「書道」「復旧」「復興」「総括」の4つに分けて、わかりやすく整理されている。また、「1・17」のときに学生ボランティアとして参加した人間の声も心にじーんときた。

 (2)西館2階。現在、企画展として、「東日本大震災復興支援企画展『3・11の声、1・17からの手紙』」が開催されている(3月末まで開催)。「1・17」及び「3・11」の2つの震災にゆかりのある19人の人間のメッセージのパネルが展示されており、19人のメッセージが収録されている動画も視聴できる。

 (3)東館3階。「あしたへ向かって」コーナーの中にある、「東日本大震災 復興コンセプト7つの提言」。必ずしもこれが正解とは限らないかもしれないが、少なくとも自分は、いくつか気付かなかったことがあり、とても納得できた。

 

 結論的に述べれば、「人と防災未来センター」は、特に、「若い世代」(小中高生は勿論であるが、特に大学生、大学院生にも)に観て欲しい施設です。学ぶことがいろいろとあると思いますから。

 主として「1・17」を学ぶ、語り継ぐ施設ですが、教訓、防災、復興のヒントがいろいろと得られることかと思います。なかには、少なからずある種のカルチャーショックを覚えることも起こり得るかもしれませんけど。

 

 ちなみに、現在開催されている企画展「3・11の声、1・17からの手紙」。

 学び考えさせられることは、正直たくさんありますが、とりわけ、心にじーんときたのが、下記の2人の言葉です。

 

 河田のどかさん(NPO法人さくらネット職員。小学1年生のときに「1・17」に被災。それがきっかけで、舞子高校の環境防災科→神戸学院大学を経て、復興支援に携わるNPOにて、現在は「3・11」の復興支援に尽力。)

 山本翔子さん(関西学院大学総合政策学部4回生。幼稚園のときに「1・17」に被災。「3・11」では、宮城県七ヶ浜町を中心に、述べ10回もの現地参加。)

 

 自分と同じ「若い世代」がこんなに深く考え行動している。とても勇気付けられますし、自分ももっと自己研鑽しよう、と強く思うのです。

 とりわけ、河田のどかさんの、下記の言葉。

 「日常を大切にする、ということは、防災・現在を考える上で、もっとも大切で必要なことだと思います。」

 このことは、自分の現在の課題点の一つですし、正直深く考えさせられます。

 

 

 で、11時50分。第2の目的地、「人と防災未来センター」近くの公園にて、「1・17 ひょうご安全の日のつどい」に参加。事実上の追悼式典です。今回は、政府の復興大臣(平野達男さん)も参加しました。

 渚中学校の子どもも全員参加。渚小学校の子どもが、「しあわせ運べるように」を合唱。

 ヴィッセル神戸のマスコットも、参加していました。勿論自分も献花。

 

 

 で、14時46分。第3の目的地、「西宮震災記念碑公園」。

 「1・17」で亡くした級友を追悼する思いは勿論、「3・11」への中長期的な息長い復興支援に、自分自身、全身全霊で励む思いを改めて誓う思いもあります。

 慰霊碑にある、級友の名前。上から4段目、右から13番目に、書き記されている。

 彼女の生前の持ち味。「思いやり」が人一倍旺盛であった。

 自分も、「思いやりに満ちる人間に、絶対になるからね。」ということは勿論、現在強く抱いている、「教職あるいはNPOに携わることを叶えて、それを通して、子どもの心に光を灯せる、悲しみを笑顔に昇華させ得る、それができる人間に絶対になる。」と、慰霊碑に近いながら黙祷して手を合わせました。

 

 

 で、その後、第4の目的地、ポートアイランド。

 現在では、海沿い(島の西側。ポートライナーの「みなとじま駅」)に、神戸学院大学をはじめとして、いくつかの大学のキャンパスがありますが、その奥に、「ポーアイしおさい公園」があるので、そこに行って、海を眺めてみました。

 スキー帽(ニット帽。自分は実はかなりの寒がりであるので)を被っているのに、大きな上着を着ているのに(しかもフード付き)、海を眺めながら、寒気を感じる。

 そして、海を眺めると、海は本当は素敵なはずなのに、「3・11」で津波で逝った人間、特に、津波により、逝ってしまった子どもや、家族や友人等をなくした子どものことを想うと、気が付けば、ぼろぼろと涙が溢れ出てきました。勿論、ここでも、いろいろと考えさせられた感じです。

 

 

 そして、17時30分。第5の目的地、東遊園地。

 希望の灯り、献花のための池、そして竹筒。17時46分、「1・17」と刻まれる竹筒の前で、黙祷。

 その後、「1・17」「3・11」それぞれへのメッセージを記す。そして改めて竹筒の前で黙祷。

 で、その後、三宮で夕食を呼ばれて、20時過ぎ、三宮を出発、帰宅しました。

 

 

 「1・17」「3・11」それぞれへのメッセージで、自分が籠めた思い。それは何か。下記に示してみましょう。

 

 「子どもには、絶対に『志』を叶えて欲しい。」

 「泣きたいときは思い切り泣いていいよ。涙の数だけ人間は成長できると信じているから。」

 「いまはとても辛いときだろうと思うけど、だからこそ貴方には、思いやりを大切にできる人間に絶対になって欲しい。」

 

 そう。「1・17」では、「あしなが育英会」が、震災遺児のために、「神戸レインボーハウス」を建設しました。

 また、「1・17」をきっかけに、防災に携わる人間を育成するために、2002年、舞子高校にて、「環境防災科」が創設されました。

 「3・11」でも、上記の2つの取り組みは、何らかの形で、絶対に必要であると自分は思います。

 復興、防災、教訓を語り継ぐのは、子どもであると自分は強く考えますから。

 

 

 いずれにせよ、子どもには、「志」を絶対に叶えて欲しい。「夢は心の栄養素」と自分は強く信じていますから。

 そして自分も、「子どもの内面に親身に寄り添える」「子どもの心の悲しみを理解して尊重できる」、そのような人間に絶対になりたい、と強く心に誓う訳です。この思いは、自分にはそういう「使命」がある、という感じであるように、心に抱く訳です。

 

 

 いずれにせよ、現時点で感じること、伝えたいことは、下記のことです。

 

 「一人一人それぞれが、自分にできる『復興支援』を強く考えて欲しい。ささやかな支援でも、それが徐々にでも寄り集まれば、実となり花となることができて、希望の灯(ともしび、あかり)を生み出すことができるはずであるように考えられるからである。」

 

 自分としては、一人の人間、一人の若い世代として、上記のことを、現時点では、正直強く抱いております。

 

 今後、徐々にではありますが、「復興」「防災」といったことについて、今回の総論編を一つのたたき台にして、各論編とかをも含めて、自分なりに向き合っていきたいと強く思います。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

1月

11日

「『3・11』からの復興の具現化のために大切であると強く考えること(総論。その3)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第3回のブログエントリーの論題は、「『3・11』からの復興の具現化のために大切であると強く考えること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の2回目になります。今回は、「伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 今回は、とても長い文章になるので、(その1)(その2)(その3)に分割して執筆します。

 そして今回は、自分なりの「『伝える』ことを通しての自分なりの中長期的な復興支援」というテーマでの、「総論」的な内容と位置付けてのエントリーであることに、御留意頂けると有難く思います。その上で、何卒最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、(その2)の続きから、考察を始めます。

 

 

 (その2)の末文において、自分は、下記のことを記しました。

 

 「『利権談合共産主義』を徐々にでも解体的再編することこそが、日本社会をよりよくし得ることに寄与し得ると考える訳であり、それこそが、『3・11』の真の復興の具現化になり得るのではないか。

 しかし、『1・17』が、復興に想像以上の時間を要した(少なくとも、経済的復興には10年を要したと自分は解釈している)ことをも考慮すると、そして、『3・11』の複雑性をも考慮すると、復興には、想像以上の時間及び労力を覚悟せねばならないし、だからこそ、中長期的スパンでの息長い支援が絶対不可欠と考える訳である。

 だからこそ、強く感じることとして、『何らかの形で、学生、若い世代が力を合わせて、復興支援へのムーブメントを生み出すことはできないか?』、あるいは、『復興にスピード感と深みが生み出され得るためには、若い世代の間で、息長い支援の輪を拡げ深め得ることのアイデア、工夫が必要ではないか?』、と自分は強く考える訳である。」

 

 

 上記のことを、自分としては、強く抱く訳です。

 

 「何らかの形で、学生、若い世代が力を合わせて、復興支援へのムーブメントを生み出すことはできないか?」

 

 これを自分としては、現時点で抱くこととして、一人の人間、一人の復興支援に携わる若い世代として、強く抱いているんですよね。

 これをどうやって具現化していくのか。知恵を絞る必要があると思いますし、これを中長期的な復興支援、そして、経済的な意味での復興のみならず、精神的な意味での復興にも寄与し得る、結び付き得るようにするためには、やはり、情熱やエネルギーに満ちる、若い世代の力こそが必要ではないか、と思う訳です。

 

 

 具体的にどのようにイメージしているのかは、後述に回しますが、現時点で、自分が「3・11」に対して抱く問題意識を、示してみたいと思います。

 

 年始の朝日新聞のインタビュー(2012年1月6日付朝刊)において、作家の半藤一利さんが、「3・11」を、「第2の敗戦」と表現しました。

 あるいは、ハーバード大学教授のマイケル・サンデル先生は、アンドリュー・ゴードン先生との共同で開催したシンポジウムにおいて、「3・11」を、「ポストモダンの開幕」と表現しました。

 

 そう。「3・11」は、自分は、「人類史上最悪の自然災害」と解釈しています。

 尤も、「1・17」も、当時は「人類史上最悪の自然災害」と形容されていましたし、自分自身、そう感じております。特に、経済の損失規模においては、そのように形容し得るでしょう。

 

 ですが、「3・11」の場合、原発事故も併発しました。

 被害も、「岩手・宮城・福島」の3件ばかりが強調されがちですが、「青森・茨城・千葉」も被災地なんですよね。

 そして、その翌日に発生した「長野・新潟県境地震」における、栄村(長野県)、津南町(新潟県)という、「もうひとつの被災地」の存在も、認識して欲しいと思う訳です。

 というのも、青森ならば、八戸は町の一部が津波の被害に有った。茨城は、サッカーJリーグの鹿島アントラーズの本拠地のスタジアムが損壊した。千葉は、浦安・旭・銚子等で、液状化等の被害が出ました。そういったことをも含めて、「3・11」であると思う訳です。

 

 

 で、「3・11」についていえば、思うことはわんさかあります。

 正直、挙げ出せば、恐らくきりがないでしょう。

 

 で、自分の場合、「1・17」の被災経験が、「3・11」における復興支援の出発点としてあります。このことをも踏まえて、自分なりに述べさせて頂きたく思います。

 

 

 「3・11」において、取り上げられている子どもは、たくさんいることかと思いますが、その中でも、特に心に留まる子どもを、3人挙げたいと思います。

 

 1人目。佐々木瑠璃さん。陸前高田(岩手県)の、「トランペットの少女」。母をはじめ、多くの肉親を失いました。医師志望(本人曰く、救急救命医を目指しているとのこと)と伺います。

 2人目。狐鼻若菜さん。釜石(岩手県)から、直方(福岡県)への疎開を余儀なくされました。高校では理数科に進学したとのことですし、本人曰く、いつか大人になれば絶対に釜石に帰りたい、と伺います。

 3人目。久保田芽生さん。南三陸(宮城県)の中学2年生。「そろばん少女」、かなりの腕前だそうです。しかし、「3・11」のときは、もうそろばんができないんじゃないかと不安であったとのこと。そろばんを再開できたときの嬉しさはひとしおであったと伺います(元日の朝日新聞別すり特集第4部より)。

 

 というのも、例えば、岩手県では、少なくとも2万人もの子どもが「心の傷」を抱えていると伺う。恐らく、現実論としては、数字に示されている以上に、多くの子どもが「心の傷」を抱えているのではないかと思いますし、そのような子どもに対する手厚い「精神的支援」が絶対不可欠であるように、強く考える訳です。

 

 3人それぞれ、どのような「志」を抱いているのだろうか。大きな「志」を抱き、その実現に向かって成長し続けて欲しい。

 そして、できることならば、会いたいなあ、と正直感じます。「志」を叶えるための一助になりたい、と強く抱く訳です。

 

 

 いま、3人の子どもを、取り上げてみましたが、3人の子どもだけでも、「3・11」の悲惨さと問題解決の複雑性が垣間見えるように映る訳です。

 

 第一に、勿論原発事故の被災者への手厚い支援の必要性は言わずもがなですが、原発事故だけが「3・11」ではない、と強く思う訳です。津波被害で辛い思いをしている被災者だって多くいる訳で(というか、恐らくそちらの方が多いように思いますが)、そういう人間への支援をより手厚くすることの重要性は勿論、特にメディアの報道姿勢、ということにおいて、津波被災者に対しても、原発事故被災者に対しても、中長期的な持続的な報道をして欲しい、と強く思う訳です。

 

 第二に、その一方で、自分が心を痛めていることとして、岩手、宮城、福島、それぞれに、支援の在り方に対するある種の岐路を感じる訳です。

 まず、岩手県。陸前高田や釜石、宮古等、被害の大きい地域がいくつもあります。ですが、「地理的な遠さ」をどう克服するのか、このことに対する知恵を絞ることが、問われているように感じる訳です。

 次に、宮城県。ここも、気仙沼、石巻、南三陸、東松島、仙台、名取、塩釜、等々、被害の大きい地域がいくつもあります。ですが、ここの場合、いくつかの課題を、現時点でですが、正直感じる訳です。

 具体的には、県北部(気仙沼、石巻等)には、それなりの支援参加があると思うけれども(とはいえ、いくら支援の人数が多くても多すぎることはないと自分は思っていますが)、県南部(名取、塩釜等)には、どれほど支援が活き届いているのだろう、という思いを、正直抱いております。

 そして、福島県。報道では福島が、岩手や宮城以上に取り上げられているように映るだけに、だからこそ、なおさら、福島にはどれほど復興支援での現地参加ができているのだろうか。このことは、自分が心をとりわけ痛めていることとしてある感じなんですよね。

 

 

 第三に、これは第二の要素にも関係することですが。今回の「3・11」の場合、交通で復旧の見込みが立たない鉄道が多く存在することが挙げられます。

 というのも、「1・17」においては、鉄道においては、基本的には、震災発生からおよそ半年で、ほとんどすべてが復旧できました。しかし、「3・11」においては、復旧の見込みが経ちようがない鉄道がいくつも存在しているのが現状です。

 

 自分の場合、2011年9月に、2週間、1回目の現地参加として、石巻及び南三陸に伺いました。

 1日だけオフがとれたので、現地を肌で学ぶ絶好の機会と思い、まず、石巻駅にて、駅員さんに伺ってみたら(自分の場合、ささやかな鉄道ファンでもありますので)、仙石線の一部不通区間とか、気仙沼線とか、線路ごとなくなっていたりして、恐らく年内いっぱいとか、1年とかでは復旧は厳しいでしょう、と仰られました。

 

 そしたら、その後、南三陸で、気仙沼線の歌津駅。駅舎ごとぶっ壊れていたり、トンネルを抜けると線路がなくなっていたりする。

 あるいは、大阪に帰ってから、報道ベースで知ったことですが、仙石線の不通区間については、再開発的なまちづくりとの関係で、復旧にはかなりの時間を要すると伺う。

 

 事情は理解できますし、復興に向けてのまちづくりは、中長期的ビジョンや、それぞれのまちづくりのテーマの明確化は勿論、現地の地域住民のニーズや御要望をも意識した上でしていくことが対セtづと強く抱く訳です。

 ですが、交通の復旧の遅れの長期化が、復興支援をより一層原則化させ屋するまいか、という危惧の念を抱く訳なんですよね。

 

 

 他にも、危機感を抱くこととかが、正直たくさんあります。列挙的な感じになり申し訳ないですが。

 

 先述の若菜さんのこと。県外疎開は、福島だけではないんですよね。宮城、岩手も、それ相応の圏外疎開の人間、子どもがいる。

 福島のみならず、宮城、岩手、あるいは青森や茨城をも含めて、県外疎開の子どもをどのように支援、サポートしていくかは、大きく問われる要素であるように思います。

 友人と離れ離れになること。転校前とは異なるカリキュラム(教育課程)になり、学べない分野が出てしまうかもしれないことへの不安。

 いやそれどころか、恐らく、訳の分からないまま、気付いたときには県外疎開していた、そういう感じの子どもが、少なくないように思う訳です。「1・17」のときの自分もそうでしたから。

 

 あるいは医療のこと。特に、「3・11」の被災地は、例えば宮古市の旧田老町では、常勤の医師がゼロになるとか伺う。あるいは、「3・11」以前から、小児医療が慢性的に不足傾向とも伺います。

 そういったことをも含めて、復興のビジョンをどうしていくかが、問われるように思う訳です。

 

 

 先述の瑠璃さんは、現在、高校3年生と伺いますので、となると、大学受験ということになります。

 「3・11」では、家族を、自宅を、友人を、勉強道具を、あるいは、何もかもを失った、そのような子どもが多く存在するかと思います。

 「3・11」のせいで、「志」を断たれる(主として経済的な理由で)、そういう子どもを絶対に引き起こしてはならない。このことを、声を大にして強調したい訳です。

 個人的には、一刻も早く、「給付型奨学金」を絶対に創設すべきであると思うんですよね。自分は、瑠璃さんが医師になる「志」を叶えるための大きな一歩を歩めるかどうか、正直とても気に掛かっていますが、日本の教育システムの現状として、大学受験、そして大学進学以後の必要な教育資金が、とにかくあまりにも掛かりますから(そういうシステムの抜本的改善が絶対不可欠と思うのだが)。

 

 そして、学術研究、教育、医療を充実させる街づくりが生み出されて欲しい、と個人的には思うんですよね。「夢を与える」「命を救う」「命を輝かせる」。そういうまちづくりを具現化して欲しい、と自分は強く願うのです。

 

 

 で、先述のことです。

 「若い世代が力を合わせて、復興支援へのムーブメントを生み出すことはできないか?」

 このことの必要性を強く感じる。結局、復興の具現化の中長期的ビジョンとして、ある種、「トップダウン的システム」には、「1・17」の経験をも踏まえると、過度の期待は困難かも、と感じる訳です。勿論、それができるだけ具現化し得るに越したことはないと思うのですが。

 先述のように、確かに、強力なリーダーシップの持ち主が生み出されて欲しいと強く願いますが、例えば、「全体主義」とか「ポピュリズム」なるものの傾向が強まった場合ならば、それが望ましい在り方なのか、と思う訳ですね。そういうことに対しても、強い危機感を抱いてならない訳です。

 

 そう。ある種の「ボトムアップ的システム」こそが重要であるように思う訳ですね。その方が、現地の人間に近い目線でできるように考えられることに照らしても、そして、社会をよりよくし得る原動力は、これからの社会を牽引することが求められる若い世代の重要性を、強く感じるからです。

 それに、「復興支援」と一口に言っても、「身体的支援」も「精神的支援」も、中長期的スパンで息長い支援が求められる。特に「精神的支援」は、心の傷を抱える人間が想像以上に出てくるのではないかと思いますから、なおさらのことでしょう。

 

 問題はそれをどのようにして具現化していくかなんですよね。要するに、「復興具現化への強い思いの支援の輪を拡げ深める」にはどうすればよいのか、と。

 

 例えば、かつての安田講堂事件(1969年。思えば、あれから40年以上が経つ。2010年、マイケル・サンデル先生の安田講堂特別講義、めっちゃ参加したくて叶わなかった訳ですが、ある種隔世の感じがある訳です)、あるいは、デモのような方法では、そこから何が生まれるのだろう、とある種疑問符感を抱く訳です。

 

 それならば、どのようにして具現化していけばよいのか、ムーブメントを生み出せばよいのか。

 このように抱く一つの背景として、現地(主として東北)の学生でも、現地ではないけど、現地のために尽力したいと強く願う学生でも、それぞれに学生団体が精力的に創設、活動が展開されていることです。

 例えば東北だけでも、「復興ガールズ」さんや、「JASP」さん等、いくつもの学生団体が旗揚げされていると伺います。

 

 一人にできることには限界があるかもしれない。しかし、「三人寄れば文殊の知恵」という言葉があるように、「復興」に強い「思い」を抱く若い世代が、一人でも多く「心を合わせる」、ある種「同じ方向を向く」ことができれば、復興に「深み」「スピード感」「未来志向性」が生み出され得るのではないか、と自分は感じる訳です。

 

 何か一つ(あるいは複数)のプロジェクトを、現地(東北)と他地域(東北以外)の学生団体の有志が共同で企画、そしてそれを中長期的に展開していくこと。

 シンポジウムを開催して、インターネットや動画、ユーストリームやスカイプ、ツイッターや掲示板、電子メール等を活用して、全国の学生が双方向的なるある種の「復興熟議」を開催すること。

 復興支援に携わるあらゆる学生団体(東北の団体も、東北以外に拠点を置く団体も含めて)の共通のポータルサイトの創設。

 

 他にもいくつかの方法があるでしょうし、上記に示したのは、あくまでも思い浮かぶ方法に過ぎないといえばそうでしょう。

 ですが、根底に抱くのは、「復興のスピード感や深みの乏しさへの危機感。」なんですよね。

 「精神的復興」。このことができてこそ、真の復興といえるように思う。しかし、このままでは、「経済的復興」でさえ、どれほどのスパンでできるのか、強い不安を抱く訳なのです。

 

 大阪ダブル選挙や、津南町で起こったように、若い世代がささやかにでも行動を起こし、そしてそれがある種のうねり(つまり、ムーブメント)を生み出すことに、徐々にでも結び付くことができれば(例えば、「家政婦のミタ」も、じわじわと広がりを見せ、40.0%の視聴率の金字塔になったように、ある種のうねりを生み出すことは、どうしてもいずれ必要になってくるのではないかと思うと言いたい訳ですが)、真の復興にある種の道筋が生み出され得るのではないか、と自分は考える訳です。

 

 

 結局のところ、下記のことが、問われているように思うんですよね。「3・11」からの復興、ということにおいて。

 

 「どのような社会を実現したいのか。」「貫きたい信念を抱くことができているのであろうか。」

 

 そう。「復興の中長期的ビジョン」は、「どのような社会を志向するのか」ということが問われているように思う訳です。

 望ましい社会の在り方云々については、人間の数だけ理想があると思いますが、自分は、下記のようなことを、正直抱いております。

 

 「一人一人それぞれの人間、子どもが授かっている、『その人らしさ』が最大限に尊重及び伸長され得る社会。」

 「笑顔、思いやりに満ち溢れる社会。」

 「『いのち』に最大の軸足が置かれ得る社会。それ故に、教育、医療、学術研究、スポーツといった分野にできるだけ比重が置かれ、そういった未来志向のことに一人でも多くの人間が携われる社会。」

 

 あくまでも現時点でですが、自分は、このようなことを、強く抱いております。

 

 

 いずれにせよ、現時点で感じること、伝えたいことは、下記のことです。

 

 「一人一人それぞれが、自分にできる『復興支援』を強く考えて欲しい。ささやかな支援でも、それが徐々にでも寄り集まれば、実となり花となることができて、希望の灯(ともしび、あかり)を生み出すことができるはずであるように考えられるからである。」

 

 自分としては、一人の人間、一人の若い世代として、上記のことを、現時点では、正直強く抱いております。

 

 今後、徐々にではありますが、「復興」「防災」といったことについて、今回の総論編を一つのたたき台にして、各論編とかをも含めて、自分なりに向き合っていきたいと強く思います。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

 

 

 末文になりますが、今回のエントリーに関係するリンクを貼っておきます。

 

 (1)「Youth for 3.11」の公式HP。自分が参加させて頂いております学生復興支援団体です。

 (http://youthfor311.jimdo.com/

 

 (2) 「Youth for 3.11」の公式ブログ。

 (http://d.hatena.ne.jp/youthfor311/

 

 (3) 桑原悠さんのブログ。一人の若い世代として、地方政界に飛び込んだ彼女の奮闘ぶりを、このブログを拝読して、いつも学ばせて頂いております。

 (http://tsunanchogi-hkuwahara.blogspot.com/

 

 (4) 津南新聞のサイト。特に、「今週の津南新聞」及び「過去の津南新聞トピックス」において、2011年3月以後を順次閲読すれば、津南町が「もうひとつの被災地」といわれる所以とか、町議になる以前から悠さんが復興のために奮闘していることが垣間見えるかと思います。

 (http://www.t-shinbun.com/

 

 (5) 「人と防災未来センター」のHP。「HAT神戸」(阪神岩屋駅、JR灘駅から徒歩)にある。自分も過去に2回訪問させて頂いたが、特に、若い世代、関西圏に在住する人間には、「復興」「防災」を学ぶにあたり、これ以上ない施設といってよいので、是非とも訪問して欲しい施設です。

 (http://www.dri.ne.jp/

 

 (6) 「政官財の鉄の三角形」の名付け親、森田実さんについて。

 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E5%AE%9F

 

 (7) 「利権談合共産主義」の名付け親、勝谷誠彦さんについて。

 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E8%B0%B7%E8%AA%A0%E5%BD%A6

 

 (8) 「たかじんのそこまで言って委員会」について。

 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%9D%E3%81%93%E3%81%BE%E3%81%A7%E8%A8%80%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A

 

 (9) 「岩手県における心の傷を抱えている子どもが少なくとも2万人」のニュース。

 (http://blog.canpan.info/dogenkasenaika/archive/6219

 

 (10) 「1・17希望の灯り」のニュース。

 (http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120110/t10015165231000.html

 

 (11) 狐鼻若菜さん。ここでは、福岡に県外疎開した後の朝日新聞の記事。

 (http://mytown.asahi.com/fukuoka/news.php?k_id=41001051104060003

 

 (12) (11)に関係して、狐鼻若菜さんがNHK「おはよう日本」にて特集された際のブログ記事。

 (http://urano.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-3c72.html

 

 (13) 佐々木瑠璃さん。5月15日の朝日新聞の記事。

 (http://www.asahi.com/national/update/0514/TKY201105140372.html

 (http://www.asahi.com/national/update/0514/TKY201105140372_01.html

 

 (14) 佐々木瑠璃さん。5月21日の朝日新聞の記事。

 (http://www.asahi.com/national/update/0520/TKY201105200556.html

 

 (15)(13)(14)に関係して、佐々木瑠璃さんがJNN「みのもんたの朝ズバッ」にて特集された際のブログ記事。

 (http://ill9265.syncl.jp/?p=diary&di=685094

2012年

1月

11日

「『3・11』からの復興の具現化のために大切であると強く考えること(総論。その2)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第3回のブログエントリーの論題は、「『3・11』からの復興の具現化のために大切であると強く考えること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の2回目になります。今回は、「伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 今回は、とても長い文章になるので、(その1)(その2)(その3)に分割して執筆します。

 そして今回は、自分なりの「『伝える』ことを通しての自分なりの中長期的な復興支援」というテーマでの、「総論」的な内容と位置付けてのエントリーであることに、御留意頂けると有難く思います。その上で、何卒最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、(その1)の続きから、考察を始めます。

 

 

  「1・17」。当時、自分は10歳、小学4年生でした。

 当時の自分が、子ども心に感じていたこと。それは何か。

 

 「政府や役所の人間は、自分たちの心の叫びを本気で聴いてくれているのだろうか。感覚的にだけど、そのような感じを覚えないのだけど。」

 

 これはあくまでも、子ども心に抱いていた感覚です。しかし、後に、自分は、このような思いを、ある種の確信として強めることになっていきました。

 

 そう。子ども心に抱いていた感覚。時計の針を少し戻しましょう。

 1993年6月18日。内閣不信任案可決。当時、自分は8歳、小学3年生でした。

 当時の首相は、宮澤喜一さん。ちなみに、7月18日、衆議院議員解散総選挙において、自由民主党は過半数割れ、つまり敗北、そして政権交代とあいなりました。

 このとき自分が抱いていた子ども心の感覚。それは何か。

 

 「うわー、漠然とだけど、何かすごいことが起ころうとしている。」

 

 そう。当時は、「55年体制」といわれており、自由民主党の「一党優位政党制」が、1955年から、およそ38年間にわたり、君臨し続けてきました。

 内閣不信任案可決。そして、その後の衆院選での自民党の敗北。

 社会って、変えることができるんだ。子ども心に、ある種の「わくわく感」を強烈に抱いてならなかった。あのとき、テレビの選挙速報に、食い入るように見つめていたことを、いまでも強烈に記憶として焼き付いております。

 

 後に、大学の卒業論文のテーマを、「55年体制の政治過程」として執筆しました。

 学部時代は、政治学を専攻していました。その後、クロスラーニングという方法で、修士で教育学を学びたかったのですが、あえなく失敗しましたが。

 いずれにせよ、自分にとって、卒業論文は、永遠の心の宝物です。

 枚数にして、実に56枚。注釈の数、実に70。参考文献、実に56冊(論文や新聞縮刷版を含めてですが)。

 少なくとも、ボリュームだけならば、修士論文に匹敵し得る「作品」に仕上がっている、と自負しております。

 

 この卒論のテーマの出発点も、「1・17」の被災経験でした。

 大学2回生になるときには、これを書きたい、と心の中でおよそのテーマは決めていましたから。

 

 そう。もう一度、先述の、子ども心の2つの記憶の文章を、記してみましょう。

 

 「うわー、漠然とだけど、何かすごいことが起ころうとしている。」(1993年7月18日。55年体制の事実上の崩壊。)

 「政府や役所の人間は、自分たちの心の叫びを本気で聴いてくれているのだろうか。感覚的にだけど、そのような感じを覚えないのだけど。」(1995年。震災に対する政府や役所の姿勢に対して自分が感じたこと。)

 

 この2つの子ども心の感覚は、ああ、そういうことだったのか、と、卒業論文研究に励む過程で、ある文献の中の言葉を目にして感じました。そしてそれは、今回の『3・11』に、自分なりに向き合う過程においても、強く感じることです。

 では、「1・17」のときの率直な感覚を示す言葉、そして、「3・11」のときの率直な感覚を示す言葉を、それぞれ記します。

 

 

 「政官財の鉄の三角形」。(「1・17」における、日本政治の震災対応の遅れの背景といわれる要素。森田実さん[政治評論家]の言葉)

 「利権談合共産主義」。(「3・11」における、日本政治の震災対応の遅れの背景といわれる要素。勝谷誠彦さん[コラムニスト]の言葉)

 

 

 それぞれの言葉を、聞いたことがない、という読者は、恐らく少なくないと思います。ずいぶん過激な言葉だなあ、と恐らく感じられるのではないでしょうか。

 それぞれの言葉についての、自分なりの解釈を、下記に示してみましょう。

 

 

 「政官財の鉄の三角形」(政[政府及び自民党]、官[官公庁]、財[財界及び圧力団体]の三者による金権主義的相互依存関係のことである。利益供与を求める圧力団体、セクショナリズムが横行する官公庁、そして、集金及び集票マシーンを求める政府及び自民党の三者の思惑が相互に一致したが故に成立し得る原理である。)

 「利権談合共産主義」(政[政府及び政権与党]、官[官公庁]、財[財界及び圧力団体]、メディアの四者による利権主義的相互依存関係のことである。ブランド力あるいは広告収入を堅持したいメディア、利益供与を求める圧力団体、セクショナリズムが横行する官公庁、そして、集金及び集票マシーンを求める政府及び政権与党、の四者の思惑が相互に一致したが故に成立し得る原理である。)

 

 

 そう。上記の2つの言葉こそ、日本の「政治文化」を象徴する言葉、概念、と表現し得るでしょう。かつて、「タテ社会」「甘え」「閉塞」といった言葉が、日本の「政治文化」として語られてきましたが、正直、そのような概念では説明しきれない、むしろ上記の2つの言葉(特に後者)こそ、現在の日本の「政治文化」を表現するのに最も適切な表現であるように、自分は映るのです。

 

 子どものときの、55年体制崩壊当時の衝撃の記憶、不思議と興奮したことの記憶からか、「政局」は、自分の中では、ある種興奮しがちな傾向に映ってしまいます。

 観ている分には、どのような展開になるのだろう、とある種面白がることも、正直少なからずありますし、政治のある種のどろどろ性に魅せられて、政治学を専攻するようになったことは正直あります。

 ですが、「政局」に明け暮れる傾向の強い、日本の政治、社会の傾向が、果たしてそれが正しい道といえるのか、疑問符感が否めないのは、自分だけでしょうか?

 

 「政局」至上主義的な傾向なことは勿論、政官財、そしてメディアをも含めて、果たして、国民、現地の人間(「3・11」に置ける被災者)、そして社会的弱者(子ども、高齢者、女性、低所得者、等々)の方向を向いているのだろうか、と正直強く感じる訳です。

 とりわけ、強く感じることとして、メディアが、ちゃんと国民の方向を向いているのですか?と感じる訳です。

 

 

 どういうことかといえば、日本のメディア(特に東京メディア。とりわけテレビ)には、「ジャーナリスト精神」が乏しい、と正直感じるんですよね。例えばアナウンサー(特に女性)には、「アナドル」的要素が、良くも悪くも強い感じであるのが、少なからず散見されるように、自分には映ります。

 もちろん正解は一つではないですし、アナウンサーにもそれぞれ持ち味があるとは思います。ですが、日本の場合、報道番組とかを見ると、ある種の「気骨」を感じる番組やアナウンサーが、数えるほどしか感じないと思うのは、うちだけでしょうか?

 

 勿論、東京メディアでも、このアナウンサーは気骨あるなあ、という人間は、少数ながらいる感じはしますし、メディア人の鑑といえるアナウンサーも、何人か思い浮かぶことも正直感じます。

 ですが、例えば、米国の「ABCナイトライン」を見ると、日本を代表する報道番組「NHKニュース7」でさえ、ある種の物足りなさを感じてしまうのです。

 要するに、米国の報道番組には、「ジャーナリスト精神」が伝わってくる。新聞における「ニューヨークタイムズ」に、ある種の権威性を感じるのも、「ジャーナリスト精神」が、紙面の端々に伝わってくるからでしょう。その一方で、日本の報道番組は、淡々と伝えるだけならばまだしも、それさえにもなっていない、ある種迎合的な感じにさえ映るものも、正直感じたりします。

 

 

 「東京は平壌である。」

 勝谷誠彦さんは、このようなことを評していますが、表現が誇張的であるように映りますけれども、主旨としては、「東京メディアでは本当のことがいえない。」ということを言いたくて、意識的にこのような誇張的表現を用いているのでしょう。

 

 「たかじんのそこまで言って委員会」という番組があります(読売テレビ。NNN系列の番組であるが、主宰のやしきたかじんさんの意向もあり、日本テレビでは恐らくまず放送されない)。

 とりわけ、関西人の読者ならば、観たことがある、よく観ています、という読者も、いらっしゃるかもしれません。確かに、あの番組ほど、少なくとも現時点において、(まあ、超が付くほどに過激であったりするのだが)本音を闘わせる番組は、そうはないなあ、と正直感じる訳です。

 

 尤も、東京メディアでも、例えば、NHKが不定期に放送している「NHKスペシャル シリーズに日本新生」とかのように、視聴者との双方向型討論番組を放送するようになってきていますし(ただ、個人的には、そのような双方向型討論番組をもっと充実させるべきであると思っていますが)、何よりも、昨年の10月から12月に掛けて放送された「家政婦のミタ」(NNN。水曜日22時枠にて放送された。最終回は視聴率40・0%という金字塔を打ち立てる等、もはや社会現象になった)は、東京メディアもやればできるやん、と、正直衝撃でした。

 

 

 「家政婦のミタ」が社会現象になったことには、いくつかの理由があるでしょう。

 勿論、それには、遊川和彦さん(脚本家)、松嶋菜々子さん(主演)、NNN(日本テレビ)それぞれが、勝負を掛ける位置づけ的な作品として、並々ならぬ意気込みであったこと、長女役の惣那汐里さんの感情表現豊かな非凡な演技、ということも、一つの要素ではあるでしょう。

 しかしそれ以上に、これほどまでの社会現象になったのは、下記のことを、「家政婦のミタ」が、訴え掛けたかったことが、視聴者の心に届いたことの表れなのかな、と正直感じる訳です。あくまでも自分の解釈ですが。

 

 「家族」「絆」「愛」「心の居場所」「人間の心の悲しみ」。

 

 より一層深く述べれば、ミタ、阿須田家、うらら、彼女たち一人一人の奏でる物語と、「3・11」で現地に生きる人間、そして復興支援に携わる人間が、「絶望から自分は必ず蘇る!」、それが重ね合わさって映り、それが共感を呼び、社会現象、そして心底湧き上がる涙へと結びついたように映る、そのように自分は解釈している訳です。

 

 「家政婦のミタ」の衝撃。これほど心を激しく揺さぶられたドラマは、自分の中では「女王の教室」「14歳の母」等、正直数えるほどです。

 しかし、それならば、現実の日本社会において、「社会をよりよくできる」、そう感じさせるリーダー的存在がどれほど思い浮かぶのか、となると、数えるほどしか思い浮かばない訳です。少なくとも、自分の中では。

 では、それに該当し得る存在は誰か。自分なりの解釈を、下記に示してみましょう。

 

 

 橋下徹さん(大阪市長。前大阪府知事。大阪維新の会代表)。

 河村たかしさん(名古屋市長。元衆議院議員。減税日本代表)。

 桑原悠さん(津南町議[新潟県]。昨秋、25歳の若さで現役大学院生として町議にトップ当選)。

 

 

 他にも、何人か「次世代リーダー候補」はいらっしゃるかもしれません。ですが、ある種の「カリスマ性」「芯の強さ」を強く感じさせるのは、自分は、上記の3人かな、と正直強く感じる訳です。

 このうち、桑原さんについては、少し補足すれば、現役大学院生というのは、東京大学の公共政策大学院のことです。自分と同じ「若い世代」だからこそ、その強い情熱に、応援したいと強く感じさせる感じがするのでしょう。

 

 思えば、昨秋の「大阪ダブル選挙」。

 自分は、現在、大阪市民ですが、大阪ダブル選挙は、恐らく壮絶な激戦になるであろう、と思っていました。

 しかし、ふたを開けてみれば、維新の完勝。特に若い世代は、維新に対して絶大なる支持であった感じでした。

 

 「ドットジェイピー」。厳密には純然たる学生団体ではないのですが、この団体からできた派生ユニット「SNK27」の存在は、若い世代が社会を動かせることの大きな原動力になったように映ります。

 (SNK27とは、「SeNKyo27」、つまり、「(11月)27日に選挙に行こう」という意味で結成された、学生有志による期間限定での派生ユニットです。)

 それより少し前に、つまり、10月23日、新潟県津南町議会選挙で、桑原悠さんが、1144票(有効投票数のうちおよそ20%を荒稼ぎしたとのこと。ちなみに定数は16。人口そのものがおよそ1万人余りである)で、圧倒的強さでトップ当選を果たして話題になりましたが、このことも、「若い世代が結束すれば社会をよりよくできる。」ことを立証し得る要素になったといえるでしょう。

 

 ちなみにこの津南町。「魚沼産コシヒカリ」の産地の一つですが、いわゆる「もうひとつの被災地」でもあります。

 そう。「3・11」といえば、東北のことは言わずもがななのですが、その翌日に、長野と新潟の県境付近での震度6強(M6.7)が起こり(長野県栄村。その隣の新潟県津南町が震度6弱)、「もうひとつの被災地」とは、このことであります。

 「もうひとつの被災地」があることを認識して欲しい。このようなある種の心の叫びが、若い世代の結束を生み出し、悠さんを地方政界に送り出す原動力になったように、自分は映るのです。

 

 このように考えると、たとえが不適切かもしれず申し訳ないのですが、自分は、先述の3人を、強烈なリーダーシップの持ち主の畏敬の念を籠めて、下記のように考える訳です。

 

 

 橋下徹さん(レブロン・ジェームズ)

 河村たかしさん(ドウェイン・ウェイド)

 桑原悠さん(クリス・ボッシュ)

 

 

 上記のような感じでしょうか。これは、NBA(米国バスケットボールリーグ)のマイアミヒートの「スリーキングス」になぞらえております。「スリーキングス」も、3人ともに強烈な存在感の持ち主ですから。

 あるいは、少し世代を上げてみれば、1990年代における、「第2次スリーピート(3連覇)」達成時代の、シカゴブルズにおける、それぞれ、「マイケル・ジョーダン」、「スコッティ・ピッペン」、「デニス・ロッドマン」のような感じかもしれません。

 イメージ的には、橋下さんは「良くも悪くも圧倒的な個人能力で勝負を決めてしまう」、河村さんは「いざという勝負どころで決定的な仕事ができる」、桑原さんは「縁の下の力持ち的役割をこなしつつ、勝負どころでの爆発力を併せ持つ」、という感じからです。まあ、率直に言って、自分の独断全開であることが否めないですけれども。

 

 

 いずれにせよ、何が言いたいのか。

 

 「『利権談合共産主義』を徐々にでも解体的再編することこそが、日本社会をよりよくし得ることに寄与し得ると考える訳であり、それこそが、『3・11』の真の復興の具現化になり得るのではないか。

 しかし、『1・17』が、復興に想像以上の時間を要した(少なくとも、経済的復興には10年を要したと自分は解釈している)ことをも考慮すると、そして、『3・11』の複雑性をも考慮すると、復興には、想像以上の時間及び労力を覚悟せねばならないし、だからこそ、中長期的スパンでの息長い支援が絶対不可欠と考える訳である。

 だからこそ、強く感じることとして、『何らかの形で、学生、若い世代が力を合わせて、復興支援へのムーブメントを生み出すことはできないか?』、あるいは、『復興にスピード感と深みが生み出され得るためには、若い世代の間で、息長い支援の輪を拡げ深め得ることのアイデア、工夫が必要ではないか?』、と自分は強く考える訳である。」

 

 あくまでも、現時点での自分なりの問題意識として、ということに過ぎませんが、自分としては、上記のことを、強く抱く訳です。

 

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その3)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2012年

1月

11日

「『3・11』からの復興の具現化のために大切であると強く考えること(総論。その1)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第3回のブログエントリーの論題は、「『3・11』からの復興の具現化のために大切であると強く考えること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の2回目になります。今回は、「伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 今回は、とても長い文章になるので、(その1)(その2)(その3)に分割して執筆します。

 そして今回は、自分なりの「『伝える』ことを通しての自分なりの中長期的な復興支援」というテーマでの、「総論」的な内容と位置付けてのエントリーであることに、御留意頂けると有難く思います。その上で、何卒最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 1995年1月17日。「阪神淡路大震災」。

  当時、自分は10歳、小学4年生、西宮(兵庫県)に住んでいました。

 

 「お母さん、おはよう。」ふわー、と目覚めて起きた。

 さあ、いつものように朝御飯。と思いきや…。

 かつてない激しい揺れ。もう、凄まじい、恐ろしい都市化、表現のしようがない感じでした。

 

 何が何だか、正直訳がわかりませんでしたが、少しして外に出ると、猛烈なくらいの快晴でした。

 しかし、その一方で、壊れた家が少なからずある感じ。停電、断水は言わずもがな。電話もまともに機能しない。

 何も食べる気がしない。確か、ポカリスエットを少し飲んだくらいしか覚えていません。

 

 当時の自分の自宅は、西宮といっても、芦屋との境目で、いわゆる苦楽園の麓(ふもと。駅でいえば、阪急甲陽線の苦楽園口駅から20分くらい歩く感じ)のあたりでした。確かに少し北に歩けば、いわゆる高級住宅街になるのですが、自分の地区は、そこから少し降りた感じの場所でしたが。

 ちなみに、高校野球の聖地である「阪神甲子園球場」も、西宮にありますが、電車で3回乗り換えて、という感じですので、西宮時代は、高校野球や阪神タイガースの試合の観戦後は、阪神西宮駅からタクシーが多かった感じですが。

 

 で、「1・17」の翌朝、血が少し混じったげろを吐きながら、とにかく逃げる一心で、のろのろの感じながら、自宅から阪急西宮北口駅まで、およそ5kmの道のりを、2時間以上かけて歩きました。

 母方の実家が八尾(大阪府)にあるので、そこまで疎開するためです。「1・17」の翌日、電車は、阪急神戸線については、西宮北口駅までは復旧していましたから。

 ちなみに疎開生活は、およそ2か月間。疎開先の小学校では、自分を温かく優しく接してくれたことは勿論、決して特別扱いせず、純粋に一人の人間として接してくれたことが、いまでも強烈な記憶として残っています。

 

 実は、震災直前に、西宮市内のとなりの小学校から転校したばかりでした。そう、転校してわずか8日で、「1・17」でした。その翌朝に疎開。で、2か月間の疎開生活。

 で、小学5年生になるときの始業式。当時の自分の学級には、3人の転校生がやってきましたが、その3人の自己紹介が終わるや否や、地鳴りの如き自分のコール。もはやそれに押され、完全に転校生扱いでのスタートでした。ですが、幸い、小5、小6のときのそれぞれの担任の先生には、一際優しく接し、励まして頂き、とても感謝の思いです。勿論、この2人の担任の先生は、いまでも年賀状のやりとりをさせて頂いております。

 

 そして、自分の場合、転校直前の小学校時代の級友の女子児童を1人亡くしました。泣き虫で傷付きやすく繊細な自分に対して、いつも優しく接してくれたのが、彼女でした。しかし、自分は、生前、彼女に対して、優しく接することができませんでした。それは、恐らく一生の後悔となることでしょう。

 彼女は、弟を抱きしめるようにして逝ったと伺います。そのような彼女から学んだことは、「思いやり」です。決して目立つ感じの人間ではなかった。でも、思いやりは人一倍旺盛であった。学級がもめているとき、そっといさめてくれる感じ、それが彼女の持ち味であったと記憶します。よく気が付く人間であったともいえるでしょう。

 

 だからこそ、自分自身、彼女の「魂」が、自分の内面に永遠に生き続けると強く信じていますし、彼女の魂に絶対に恥じない人間になることが、彼女への供養と信じる。

 自分にとって、「1・17」の被災経験は、永遠に自分の「心の原点」であり続けると強く思いますし、自分の生き方において、「1・17」の経験を絶対に活かさねばならない、と強く思う次第です。

 

 

 で、自分が現時点で強く抱くことは、下記のことです。

 「『阪神淡路』での自分の経験を基礎にして、『東北』の子どもを、中長期的に息長い支援を、とりわけ『精神的支援』、つまり、『生きる希望』の種を蒔いて、それを膨らませて、『志』を叶え得ることの一助になりたい、そういう支援に中長期的に携わりたい。」

 このことが、現時点での自分の「志」として、強く抱く訳です。

 

 もともと、自分自身、子ども大好き人間です。

 より一層深く述べれば、「子どもの笑顔」が自分自身の「最高の喜び」と強く自負してならない人間です。

 何故ならば、子どもには、一人一人それぞれが、かけがえのない「個性」「可能性」を授かっている。いくらでも成長できるし、「志」「希望」を膨らませることができる。素敵で純粋な「笑顔」の持ち主でもある。そのように考える訳です。

 

 だから、自分は、「子どもの『志』を叶え得ることの一助になり得る、子どもの内面に親身に寄り添える教育者」に絶対になりたい、と強く思う訳です。

 

 正直、紆余曲折はありましたが、ずっと、もちろん現在でも、「子ども」への思いは、強く抱き続けております。

 ですが、現在は、教育者への思いを強く抱きつつ、学校のみならず、NPO等の道にも、強い興味を抱いている、という感じである訳です。

 

 

 そのように考えるのは、「3・11」における復興支援に参加するようになったから、ということが、正直強くあります。

 

 現在、自分は、「Youth for 3.11」(以下、YF3あるいはYouthと略して表記します)という、学生ボランティア団体に参加させて頂いております(厳密には、まだ運営メンバーの一員ではありませんが)。

 自分にとって、YF3との出会いが、自分自身の成長の大きな契機になっている感じがあるからです。

 

 「1・17」、つまり、「阪神淡路」の経験が、自分にとっては、「心の原点」として強くある。

 「1・17」なくして、現在の自分はない。そう強く信じてならない訳です。

 

 そのような自分にとって、2011年3月11日、「東日本大震災」は、自分自身、「1・17」でして頂いた感謝の思いから、今度は自分が支えなきゃ、何かしたい、しなければ、という一心でした。

 そのような中で、YF3との出会いがあった訳です。

 

 一旦大学を卒業して、社会人(といっても、塾の非常勤講師が主体ですが)を経て、学生に復帰した自分にとって(尤も、通信制大学の仲間も、さまざまな世代の仲間と出会えて、とても刺激的ですが)、「学生(若い世代)だからこそできる復興支援」をうたうYF3との出会いは、自分自身にとって強い衝撃でした。

 YF3を通して、2011年9月、2週間、石巻及び南三陸に、ボランティアに参加させて頂きました。そこで学んだことはいろいろとありますし、生き方、価値観、世界観等を、根底から激しく揺さぶられる感覚でした。

 

 それ以上に、自分自身を激しく揺さぶった感じであったのが、YF3で出会った仲間の存在です。

 簡潔に述べれば、「違いを認め合える仲間に出会えた。」という感じですね。自分が求めていた出会いが、やっとできた、という感じでしょうか。

 

 だからこそ、自分の中で、ふつふつと抱くようになっていった思い。

 「1・17」という心の原点。「3・11」という心の転機。

 より一層深く述べれば、「1・17」の経験が自分の基礎として強くあり、「3・11」を通して、自分自身の生き方を問い直している感じを強く抱いてならない。

 

 「3・11」があったからこそ、自分は、見失いかけていた「生きる勇気」を強く抱くことができるようになり、素敵な出会いができるようになった。

 しかし、「3・11」では、復興に向けて悶え苦しんでいる人間、場所が少なからず存在する。

 

 誇張的な表現になるかもしれないけど、何もかもを失った子どもが少なからず存在するように思えてならない。誰かが動かねば、誰かが救いを差し伸べねば、絶望のどん底から救われない子どもを少なからず引き起こすことになりやするまいか、と強く危惧してならない。

 「阪神淡路」での自分の経験を基礎にして、「東北」の子どもを、中長期的に息長い支援を、とりわけ「精神的支援」、つまり、「生きる希望」の種を蒔いて、それを膨らませて、「志」を叶え得ることの一助になりたい、そういう支援に中長期的に携わりたい、という思いを、自分は強く抱くようになっております。

 それを具体的にどのように具現化していくのか、ということを模索しているのが、現時点での自分自身としてある訳です。

 

 

 そういう感じである、ということが、正直な思いですが、だからこそ、強く抱く思いが、正直ある訳です。

 

 という訳で、長い文章になりますので、続きを(その2)にて記します。

 何卒、最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 よろしく御願い申し上げます。

2012年

1月

05日

一人の若い世代として、「3・11」における復興について自分なりに考えること。

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第2回のブログエントリーの論題は、「一人の若い世代として、『3・11』における復興について自分なりに考えること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の1回目になります。今回は、「伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 で、何故、記念すべき1回目のエントリーに、「復興」をテーマにするのか。とりわけ、「愛球人サッカーブログ。」の読者や、ツイッターの読者にとっては、「え?サッカーじゃないの?」と思う読者も、少なからずいらっしゃるかもしれません。

 

 そう。今回、自分が、HPを開設するきっかけになったのが、「復興支援」に、微力ながら参加させて頂くことになったからです。そこで、自分の未熟さを実感させられることになり、未熟なりに自分がっできることは何だろう、と考えた結果、下記の考えに至った訳です。

 

 「『伝える』ことを通して、「3・11」の復興支援の一助になりたい。」

 

 自分は現在、関西在住です。9月に2週間、石巻及び南三陸に初めて参加しました。

 1月下旬には、1週間(実質的には3日間ですが)、2回目の現地参加として、気仙沼に行く予定でございます。

 

 できるだけ現地参加をしたいと思いますし、故郷(自分の場合関西)からできることも、できるだけしたいとも、強く思っております。

 しかし、一人だけでは、なかなか知恵が浮かばず、悶えている現状を、正直強く感じる。

 

 もともと、「3・11」が起こった直後から、「何かしたい、しなければ。」という思いを、自分としては、強く抱き続けてきました。ですが、なかなか一歩を踏み出せず、悶々とする日々が続くことを、余儀なくされてきた感じです。なけなしの募金や物資くらいしかできない状況でしたから。

 そのような中で、ある学生ボランティア団体との出会いが、自分の中で、大きな転機になった、という感じである訳です。

 

 そう。「Youth for 3.11」との出会い。

 尤も、団体自体は、4月下旬のNHK「おはよう日本」で、存じていました。

 ただ、諸事情で、一歩を踏み出す決心ができたのは、8月上旬までかかってしまいましたが。

 

 これから、徐々にですが、復興への思いは、自分なりに綴っていきたい、伝えたいと思っていますし、一人でも多くの読者が、自分なりの復興支援を、それぞれの思い思いの方法でよいから、たとえ微力でもよいから、中長期的スパンで持ち続けて欲しい、という思いが強くある訳です。

 

 今回は、自分が復興支援に強い思いを抱く原点としてある、「阪神淡路大震災」(1995年1月17日)の被災経験について、少し言及したいと思います。

 

 当時、自分は、10歳、小学4年生。現在は大阪に住んでいますが、当時は西宮(兵庫県。生まれ故郷であり、中学3年生まで住んでいた)に住んでいました。ですので、自分にとっては、西宮が、「心の故郷」という感じなんですよね。

 

 話すと少し長くなるので、詳述は今後、おいおい述べようかな、と思いますが、子ども心に強い恐怖でしたし、とりわけ、「1・17」の翌日、自宅から西宮北口駅まで、およそ5kmの道のりを、下痢を吐きながら(血も少し混じっていたと記憶します)、やっとの思いで、2時間以上を掛けて歩いたことは、恐らく絶対に心に焼き付き続けることでしょう。

 で、「1・17」の翌日から、およそ2か月間、自分は、八尾(大阪府。母方の実家)に疎開することになりました。でも、自分にとって、強烈な思いで、心の原点になっているのが、疎開先の学校の仲間や先生が、自分を、特別扱いせず、一人の人間として優しく接して頂いたことです。

 そう。「思いやり」。このことこそ、「1・17」が、自分の「心の原点」と強く思う、一つの大きな要因であるように思うのです。

 

 頭でイメージする言葉がなかなか思い浮かばず、今回のエントリーは、言葉足らずの感じが否めず、申し訳なく思います。今後、徐々にですが、「1・17」や[3・11]についての考察を、自分なりにしたいと思っておりますので。

 

 で、現時点で強く思うこと。そう。「1・17」でも、「3・11」でも、強く感じることとして、「スピード感の不足」を強く抱くんですよね。そこをなんとかせねばならない。

 で、自分にできることとして、「伝える」ことを通しての、中長期的復興支援を、模索していこうかな、と思う訳です。

 

 中長期的スパンとしては、自分としては、「子どもの心に親身に寄り添える『精神的支援』」に携わりたい、という思いを、強く抱いております。この思いは、日々強く抱くようになっていますし、それをどのようにして具現化するのか、ということが、目下自分自身に問われていることである、と強く思う次第です。

 ですが、そういう、心の傷に苦しむ人間にいかにして寄り添うか(勿論、がれき撤去等の「身体的支援」も必要であると思う訳ですが)、ということをも含めて、自分が強く感じること。それは何か。

 

 「若い世代だからこそできる『復興支援』。そして、復興にスピード感と深みが生み出され得るためには、『若い世代』の間で、息長い支援の輪を拡げ深め得ることのアイデア、工夫が必要ではないか。」

 

 今後のエントリーの糸口として、自分が現時点で率直に感じることを、記してみたく思う次第です。

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

2012年

1月

05日

はじめまして。愛球人と申します。

 はじめまして。こんにちは。愛球人(あいきゅうじん)と申します。

 昨日(2012年1月4日)、「愛球人ホームページ。」を、開設させて頂きました。

 

 という訳で、HP開設記念の、「第1回ブログエントリー」は、「御挨拶エントリー」です。

 ですので、コメント欄を設けないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 HPの基本的な概要、スタイル、考え方等については、「プロフィール」欄に詳述をさせて頂いております。長い文章ですが、何卒最後まで閲読して頂けると、とても有難く思います。

 

 基本的には、ブログが主体になりますし、ブログの内容は、主として、「復興」「子ども」「サッカー」「その他スポーツ」の4本柱、という感じでしょうか。とりわけ、スポーツの中では、サッカーが主体になる感じです。

 

 未熟な自分でとても申し訳ないですが、何卒よろしく御願い申し上げます。