「『3・11』からの復興の具現化のために大切であると強く考えること(総論。その3)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第3回のブログエントリーの論題は、「『3・11』からの復興の具現化のために大切であると強く考えること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の2回目になります。今回は、「伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 今回は、とても長い文章になるので、(その1)(その2)(その3)に分割して執筆します。

 そして今回は、自分なりの「『伝える』ことを通しての自分なりの中長期的な復興支援」というテーマでの、「総論」的な内容と位置付けてのエントリーであることに、御留意頂けると有難く思います。その上で、何卒最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、(その2)の続きから、考察を始めます。

 

 

 (その2)の末文において、自分は、下記のことを記しました。

 

 「『利権談合共産主義』を徐々にでも解体的再編することこそが、日本社会をよりよくし得ることに寄与し得ると考える訳であり、それこそが、『3・11』の真の復興の具現化になり得るのではないか。

 しかし、『1・17』が、復興に想像以上の時間を要した(少なくとも、経済的復興には10年を要したと自分は解釈している)ことをも考慮すると、そして、『3・11』の複雑性をも考慮すると、復興には、想像以上の時間及び労力を覚悟せねばならないし、だからこそ、中長期的スパンでの息長い支援が絶対不可欠と考える訳である。

 だからこそ、強く感じることとして、『何らかの形で、学生、若い世代が力を合わせて、復興支援へのムーブメントを生み出すことはできないか?』、あるいは、『復興にスピード感と深みが生み出され得るためには、若い世代の間で、息長い支援の輪を拡げ深め得ることのアイデア、工夫が必要ではないか?』、と自分は強く考える訳である。」

 

 

 上記のことを、自分としては、強く抱く訳です。

 

 「何らかの形で、学生、若い世代が力を合わせて、復興支援へのムーブメントを生み出すことはできないか?」

 

 これを自分としては、現時点で抱くこととして、一人の人間、一人の復興支援に携わる若い世代として、強く抱いているんですよね。

 これをどうやって具現化していくのか。知恵を絞る必要があると思いますし、これを中長期的な復興支援、そして、経済的な意味での復興のみならず、精神的な意味での復興にも寄与し得る、結び付き得るようにするためには、やはり、情熱やエネルギーに満ちる、若い世代の力こそが必要ではないか、と思う訳です。

 

 

 具体的にどのようにイメージしているのかは、後述に回しますが、現時点で、自分が「3・11」に対して抱く問題意識を、示してみたいと思います。

 

 年始の朝日新聞のインタビュー(2012年1月6日付朝刊)において、作家の半藤一利さんが、「3・11」を、「第2の敗戦」と表現しました。

 あるいは、ハーバード大学教授のマイケル・サンデル先生は、アンドリュー・ゴードン先生との共同で開催したシンポジウムにおいて、「3・11」を、「ポストモダンの開幕」と表現しました。

 

 そう。「3・11」は、自分は、「人類史上最悪の自然災害」と解釈しています。

 尤も、「1・17」も、当時は「人類史上最悪の自然災害」と形容されていましたし、自分自身、そう感じております。特に、経済の損失規模においては、そのように形容し得るでしょう。

 

 ですが、「3・11」の場合、原発事故も併発しました。

 被害も、「岩手・宮城・福島」の3件ばかりが強調されがちですが、「青森・茨城・千葉」も被災地なんですよね。

 そして、その翌日に発生した「長野・新潟県境地震」における、栄村(長野県)、津南町(新潟県)という、「もうひとつの被災地」の存在も、認識して欲しいと思う訳です。

 というのも、青森ならば、八戸は町の一部が津波の被害に有った。茨城は、サッカーJリーグの鹿島アントラーズの本拠地のスタジアムが損壊した。千葉は、浦安・旭・銚子等で、液状化等の被害が出ました。そういったことをも含めて、「3・11」であると思う訳です。

 

 

 で、「3・11」についていえば、思うことはわんさかあります。

 正直、挙げ出せば、恐らくきりがないでしょう。

 

 で、自分の場合、「1・17」の被災経験が、「3・11」における復興支援の出発点としてあります。このことをも踏まえて、自分なりに述べさせて頂きたく思います。

 

 

 「3・11」において、取り上げられている子どもは、たくさんいることかと思いますが、その中でも、特に心に留まる子どもを、3人挙げたいと思います。

 

 1人目。佐々木瑠璃さん。陸前高田(岩手県)の、「トランペットの少女」。母をはじめ、多くの肉親を失いました。医師志望(本人曰く、救急救命医を目指しているとのこと)と伺います。

 2人目。狐鼻若菜さん。釜石(岩手県)から、直方(福岡県)への疎開を余儀なくされました。高校では理数科に進学したとのことですし、本人曰く、いつか大人になれば絶対に釜石に帰りたい、と伺います。

 3人目。久保田芽生さん。南三陸(宮城県)の中学2年生。「そろばん少女」、かなりの腕前だそうです。しかし、「3・11」のときは、もうそろばんができないんじゃないかと不安であったとのこと。そろばんを再開できたときの嬉しさはひとしおであったと伺います(元日の朝日新聞別すり特集第4部より)。

 

 というのも、例えば、岩手県では、少なくとも2万人もの子どもが「心の傷」を抱えていると伺う。恐らく、現実論としては、数字に示されている以上に、多くの子どもが「心の傷」を抱えているのではないかと思いますし、そのような子どもに対する手厚い「精神的支援」が絶対不可欠であるように、強く考える訳です。

 

 3人それぞれ、どのような「志」を抱いているのだろうか。大きな「志」を抱き、その実現に向かって成長し続けて欲しい。

 そして、できることならば、会いたいなあ、と正直感じます。「志」を叶えるための一助になりたい、と強く抱く訳です。

 

 

 いま、3人の子どもを、取り上げてみましたが、3人の子どもだけでも、「3・11」の悲惨さと問題解決の複雑性が垣間見えるように映る訳です。

 

 第一に、勿論原発事故の被災者への手厚い支援の必要性は言わずもがなですが、原発事故だけが「3・11」ではない、と強く思う訳です。津波被害で辛い思いをしている被災者だって多くいる訳で(というか、恐らくそちらの方が多いように思いますが)、そういう人間への支援をより手厚くすることの重要性は勿論、特にメディアの報道姿勢、ということにおいて、津波被災者に対しても、原発事故被災者に対しても、中長期的な持続的な報道をして欲しい、と強く思う訳です。

 

 第二に、その一方で、自分が心を痛めていることとして、岩手、宮城、福島、それぞれに、支援の在り方に対するある種の岐路を感じる訳です。

 まず、岩手県。陸前高田や釜石、宮古等、被害の大きい地域がいくつもあります。ですが、「地理的な遠さ」をどう克服するのか、このことに対する知恵を絞ることが、問われているように感じる訳です。

 次に、宮城県。ここも、気仙沼、石巻、南三陸、東松島、仙台、名取、塩釜、等々、被害の大きい地域がいくつもあります。ですが、ここの場合、いくつかの課題を、現時点でですが、正直感じる訳です。

 具体的には、県北部(気仙沼、石巻等)には、それなりの支援参加があると思うけれども(とはいえ、いくら支援の人数が多くても多すぎることはないと自分は思っていますが)、県南部(名取、塩釜等)には、どれほど支援が活き届いているのだろう、という思いを、正直抱いております。

 そして、福島県。報道では福島が、岩手や宮城以上に取り上げられているように映るだけに、だからこそ、なおさら、福島にはどれほど復興支援での現地参加ができているのだろうか。このことは、自分が心をとりわけ痛めていることとしてある感じなんですよね。

 

 

 第三に、これは第二の要素にも関係することですが。今回の「3・11」の場合、交通で復旧の見込みが立たない鉄道が多く存在することが挙げられます。

 というのも、「1・17」においては、鉄道においては、基本的には、震災発生からおよそ半年で、ほとんどすべてが復旧できました。しかし、「3・11」においては、復旧の見込みが経ちようがない鉄道がいくつも存在しているのが現状です。

 

 自分の場合、2011年9月に、2週間、1回目の現地参加として、石巻及び南三陸に伺いました。

 1日だけオフがとれたので、現地を肌で学ぶ絶好の機会と思い、まず、石巻駅にて、駅員さんに伺ってみたら(自分の場合、ささやかな鉄道ファンでもありますので)、仙石線の一部不通区間とか、気仙沼線とか、線路ごとなくなっていたりして、恐らく年内いっぱいとか、1年とかでは復旧は厳しいでしょう、と仰られました。

 

 そしたら、その後、南三陸で、気仙沼線の歌津駅。駅舎ごとぶっ壊れていたり、トンネルを抜けると線路がなくなっていたりする。

 あるいは、大阪に帰ってから、報道ベースで知ったことですが、仙石線の不通区間については、再開発的なまちづくりとの関係で、復旧にはかなりの時間を要すると伺う。

 

 事情は理解できますし、復興に向けてのまちづくりは、中長期的ビジョンや、それぞれのまちづくりのテーマの明確化は勿論、現地の地域住民のニーズや御要望をも意識した上でしていくことが対セtづと強く抱く訳です。

 ですが、交通の復旧の遅れの長期化が、復興支援をより一層原則化させ屋するまいか、という危惧の念を抱く訳なんですよね。

 

 

 他にも、危機感を抱くこととかが、正直たくさんあります。列挙的な感じになり申し訳ないですが。

 

 先述の若菜さんのこと。県外疎開は、福島だけではないんですよね。宮城、岩手も、それ相応の圏外疎開の人間、子どもがいる。

 福島のみならず、宮城、岩手、あるいは青森や茨城をも含めて、県外疎開の子どもをどのように支援、サポートしていくかは、大きく問われる要素であるように思います。

 友人と離れ離れになること。転校前とは異なるカリキュラム(教育課程)になり、学べない分野が出てしまうかもしれないことへの不安。

 いやそれどころか、恐らく、訳の分からないまま、気付いたときには県外疎開していた、そういう感じの子どもが、少なくないように思う訳です。「1・17」のときの自分もそうでしたから。

 

 あるいは医療のこと。特に、「3・11」の被災地は、例えば宮古市の旧田老町では、常勤の医師がゼロになるとか伺う。あるいは、「3・11」以前から、小児医療が慢性的に不足傾向とも伺います。

 そういったことをも含めて、復興のビジョンをどうしていくかが、問われるように思う訳です。

 

 

 先述の瑠璃さんは、現在、高校3年生と伺いますので、となると、大学受験ということになります。

 「3・11」では、家族を、自宅を、友人を、勉強道具を、あるいは、何もかもを失った、そのような子どもが多く存在するかと思います。

 「3・11」のせいで、「志」を断たれる(主として経済的な理由で)、そういう子どもを絶対に引き起こしてはならない。このことを、声を大にして強調したい訳です。

 個人的には、一刻も早く、「給付型奨学金」を絶対に創設すべきであると思うんですよね。自分は、瑠璃さんが医師になる「志」を叶えるための大きな一歩を歩めるかどうか、正直とても気に掛かっていますが、日本の教育システムの現状として、大学受験、そして大学進学以後の必要な教育資金が、とにかくあまりにも掛かりますから(そういうシステムの抜本的改善が絶対不可欠と思うのだが)。

 

 そして、学術研究、教育、医療を充実させる街づくりが生み出されて欲しい、と個人的には思うんですよね。「夢を与える」「命を救う」「命を輝かせる」。そういうまちづくりを具現化して欲しい、と自分は強く願うのです。

 

 

 で、先述のことです。

 「若い世代が力を合わせて、復興支援へのムーブメントを生み出すことはできないか?」

 このことの必要性を強く感じる。結局、復興の具現化の中長期的ビジョンとして、ある種、「トップダウン的システム」には、「1・17」の経験をも踏まえると、過度の期待は困難かも、と感じる訳です。勿論、それができるだけ具現化し得るに越したことはないと思うのですが。

 先述のように、確かに、強力なリーダーシップの持ち主が生み出されて欲しいと強く願いますが、例えば、「全体主義」とか「ポピュリズム」なるものの傾向が強まった場合ならば、それが望ましい在り方なのか、と思う訳ですね。そういうことに対しても、強い危機感を抱いてならない訳です。

 

 そう。ある種の「ボトムアップ的システム」こそが重要であるように思う訳ですね。その方が、現地の人間に近い目線でできるように考えられることに照らしても、そして、社会をよりよくし得る原動力は、これからの社会を牽引することが求められる若い世代の重要性を、強く感じるからです。

 それに、「復興支援」と一口に言っても、「身体的支援」も「精神的支援」も、中長期的スパンで息長い支援が求められる。特に「精神的支援」は、心の傷を抱える人間が想像以上に出てくるのではないかと思いますから、なおさらのことでしょう。

 

 問題はそれをどのようにして具現化していくかなんですよね。要するに、「復興具現化への強い思いの支援の輪を拡げ深める」にはどうすればよいのか、と。

 

 例えば、かつての安田講堂事件(1969年。思えば、あれから40年以上が経つ。2010年、マイケル・サンデル先生の安田講堂特別講義、めっちゃ参加したくて叶わなかった訳ですが、ある種隔世の感じがある訳です)、あるいは、デモのような方法では、そこから何が生まれるのだろう、とある種疑問符感を抱く訳です。

 

 それならば、どのようにして具現化していけばよいのか、ムーブメントを生み出せばよいのか。

 このように抱く一つの背景として、現地(主として東北)の学生でも、現地ではないけど、現地のために尽力したいと強く願う学生でも、それぞれに学生団体が精力的に創設、活動が展開されていることです。

 例えば東北だけでも、「復興ガールズ」さんや、「JASP」さん等、いくつもの学生団体が旗揚げされていると伺います。

 

 一人にできることには限界があるかもしれない。しかし、「三人寄れば文殊の知恵」という言葉があるように、「復興」に強い「思い」を抱く若い世代が、一人でも多く「心を合わせる」、ある種「同じ方向を向く」ことができれば、復興に「深み」「スピード感」「未来志向性」が生み出され得るのではないか、と自分は感じる訳です。

 

 何か一つ(あるいは複数)のプロジェクトを、現地(東北)と他地域(東北以外)の学生団体の有志が共同で企画、そしてそれを中長期的に展開していくこと。

 シンポジウムを開催して、インターネットや動画、ユーストリームやスカイプ、ツイッターや掲示板、電子メール等を活用して、全国の学生が双方向的なるある種の「復興熟議」を開催すること。

 復興支援に携わるあらゆる学生団体(東北の団体も、東北以外に拠点を置く団体も含めて)の共通のポータルサイトの創設。

 

 他にもいくつかの方法があるでしょうし、上記に示したのは、あくまでも思い浮かぶ方法に過ぎないといえばそうでしょう。

 ですが、根底に抱くのは、「復興のスピード感や深みの乏しさへの危機感。」なんですよね。

 「精神的復興」。このことができてこそ、真の復興といえるように思う。しかし、このままでは、「経済的復興」でさえ、どれほどのスパンでできるのか、強い不安を抱く訳なのです。

 

 大阪ダブル選挙や、津南町で起こったように、若い世代がささやかにでも行動を起こし、そしてそれがある種のうねり(つまり、ムーブメント)を生み出すことに、徐々にでも結び付くことができれば(例えば、「家政婦のミタ」も、じわじわと広がりを見せ、40.0%の視聴率の金字塔になったように、ある種のうねりを生み出すことは、どうしてもいずれ必要になってくるのではないかと思うと言いたい訳ですが)、真の復興にある種の道筋が生み出され得るのではないか、と自分は考える訳です。

 

 

 結局のところ、下記のことが、問われているように思うんですよね。「3・11」からの復興、ということにおいて。

 

 「どのような社会を実現したいのか。」「貫きたい信念を抱くことができているのであろうか。」

 

 そう。「復興の中長期的ビジョン」は、「どのような社会を志向するのか」ということが問われているように思う訳です。

 望ましい社会の在り方云々については、人間の数だけ理想があると思いますが、自分は、下記のようなことを、正直抱いております。

 

 「一人一人それぞれの人間、子どもが授かっている、『その人らしさ』が最大限に尊重及び伸長され得る社会。」

 「笑顔、思いやりに満ち溢れる社会。」

 「『いのち』に最大の軸足が置かれ得る社会。それ故に、教育、医療、学術研究、スポーツといった分野にできるだけ比重が置かれ、そういった未来志向のことに一人でも多くの人間が携われる社会。」

 

 あくまでも現時点でですが、自分は、このようなことを、強く抱いております。

 

 

 いずれにせよ、現時点で感じること、伝えたいことは、下記のことです。

 

 「一人一人それぞれが、自分にできる『復興支援』を強く考えて欲しい。ささやかな支援でも、それが徐々にでも寄り集まれば、実となり花となることができて、希望の灯(ともしび、あかり)を生み出すことができるはずであるように考えられるからである。」

 

 自分としては、一人の人間、一人の若い世代として、上記のことを、現時点では、正直強く抱いております。

 

 今後、徐々にではありますが、「復興」「防災」といったことについて、今回の総論編を一つのたたき台にして、各論編とかをも含めて、自分なりに向き合っていきたいと強く思います。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。

 

 

 末文になりますが、今回のエントリーに関係するリンクを貼っておきます。

 

 (1)「Youth for 3.11」の公式HP。自分が参加させて頂いております学生復興支援団体です。

 (http://youthfor311.jimdo.com/

 

 (2) 「Youth for 3.11」の公式ブログ。

 (http://d.hatena.ne.jp/youthfor311/

 

 (3) 桑原悠さんのブログ。一人の若い世代として、地方政界に飛び込んだ彼女の奮闘ぶりを、このブログを拝読して、いつも学ばせて頂いております。

 (http://tsunanchogi-hkuwahara.blogspot.com/

 

 (4) 津南新聞のサイト。特に、「今週の津南新聞」及び「過去の津南新聞トピックス」において、2011年3月以後を順次閲読すれば、津南町が「もうひとつの被災地」といわれる所以とか、町議になる以前から悠さんが復興のために奮闘していることが垣間見えるかと思います。

 (http://www.t-shinbun.com/

 

 (5) 「人と防災未来センター」のHP。「HAT神戸」(阪神岩屋駅、JR灘駅から徒歩)にある。自分も過去に2回訪問させて頂いたが、特に、若い世代、関西圏に在住する人間には、「復興」「防災」を学ぶにあたり、これ以上ない施設といってよいので、是非とも訪問して欲しい施設です。

 (http://www.dri.ne.jp/

 

 (6) 「政官財の鉄の三角形」の名付け親、森田実さんについて。

 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E5%AE%9F

 

 (7) 「利権談合共産主義」の名付け親、勝谷誠彦さんについて。

 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E8%B0%B7%E8%AA%A0%E5%BD%A6

 

 (8) 「たかじんのそこまで言って委員会」について。

 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%9D%E3%81%93%E3%81%BE%E3%81%A7%E8%A8%80%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A

 

 (9) 「岩手県における心の傷を抱えている子どもが少なくとも2万人」のニュース。

 (http://blog.canpan.info/dogenkasenaika/archive/6219

 

 (10) 「1・17希望の灯り」のニュース。

 (http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120110/t10015165231000.html

 

 (11) 狐鼻若菜さん。ここでは、福岡に県外疎開した後の朝日新聞の記事。

 (http://mytown.asahi.com/fukuoka/news.php?k_id=41001051104060003

 

 (12) (11)に関係して、狐鼻若菜さんがNHK「おはよう日本」にて特集された際のブログ記事。

 (http://urano.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-3c72.html

 

 (13) 佐々木瑠璃さん。5月15日の朝日新聞の記事。

 (http://www.asahi.com/national/update/0514/TKY201105140372.html

 (http://www.asahi.com/national/update/0514/TKY201105140372_01.html

 

 (14) 佐々木瑠璃さん。5月21日の朝日新聞の記事。

 (http://www.asahi.com/national/update/0520/TKY201105200556.html

 

 (15)(13)(14)に関係して、佐々木瑠璃さんがJNN「みのもんたの朝ズバッ」にて特集された際のブログ記事。

 (http://ill9265.syncl.jp/?p=diary&di=685094