「『1・17』から17年。『1・17』と『3・11』、自分なりの意味付けが問われる思い。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第4回のブログエントリーの論題は、「『1・17』から17年。『1・17』と『3・11』、自分なりの意味付けが問われる思い。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の3回目になります。今回は、「伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 今回も、長い文章になり申し訳なく思いますが、1月11日のエントリー、「『3・11』からの復興の具現化のために大切であると強く考えること。」と同様に、自分なりの「『伝える』ことを通しての自分なりの中長期的な復興支援」というテーマでの、「総論」的な内容と位置付けてのエントリーであることに、御留意頂けると有難く思います。その上で、何卒最後まで御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 「1・17」。「阪神淡路大震災」。1995年1月17日、5時46分。

 自分自身、「1・17」は、恐らく永遠に「心の原点」であり続けることでしょう。

 

 自分の「1・17」における「被災体験」については、先日(1月11日)のブログエントリーの(その1)にて言及しておりますので、下記にリンクを貼っておきます。

 

 

 (自分の「1・17」における「被災体験」に言及しているブログエントリー。)

 「『3・11』からの復興の具現化のために大切であると強く考えること(総論。その1)。」

 

 

 「1・17」から17年。昨年(2011年)は、「3・11」、つまり、「東日本大震災」が起こりました。自分も、微力ながら、現在、「3・11」の復興支援活動に参加している若い世代のはしくれです。自分自身、本当はもっと尽力しなければ、と思いつつ、なかなかできていない現状に、ある種の強いもどかしさを感じていますが。

 

 正直、「1・17」から17年、ということで、しかも、昨日(1月17日)は、神戸及び西宮を訪問して、ということですので、できるだけ深く掘り下げて考察したいところではあります。

 ですが、少なくとも、現時点では、我ながら申し訳ないのですが、頭の中で整理しきれていない感じがする。ですので、今回のブログエントリーでは、昨日の神戸及び西宮の訪問を通して、ある種雑記的な感じになりますが、率直に感じたことを主として書き記したいと思います。

 

 昨日は、「人と防災未来センター」を中心として、「1・17」の教訓云々の着想も学びましたが、そういったことは、今後のブログエントリーにおいて、徐々にであれ、言及、考察して行ければ、と強く考える次第です。

 

 では、昨日の自分自身の神戸及び西宮の訪問を通して、自分なりに率直に感じたことを、下記記したいと思います。脈絡ない感じになるかもしれず申し訳ないですが、このことをも御留意頂いた上で、御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 

 10時過ぎ。第1の目的地、「人と防災未来センター」到着。

 「HAT神戸」にあります。自分の場合、今回は、阪神岩屋駅から降りました。

 

 「HAT神戸」とは、いわゆる「復興再開発地区」の一つです。いやむしろ、「1・17」の復興の象徴的場所といえるでしょう。

 その象徴の一つが、「渚中学校」です。「HAT神戸」に行く際、渚中学校の前を通る訳ですが、校門の前にあった言葉。

 

 「絆で結ぶ渚の輪」。

 生徒会有志、とあったので、子ども自身で考えて決めたキャッチフレーズでしょう。

 そう。辛いとき、苦しいときに、仲間と共に心を合わせること。自分は、このことこそ、とても素敵なことと思うのです。

 何気ないことかもしれませんが、この言葉に、不思議と心が響く感じで、「人と防災未来センター」到着です。

 

 

 ここで、「人と防災未来センター」のリンクを、下記に貼っておきましょう。

 http://www.dri.ne.jp/

 

 

 で、「人と防災未来センター」。ここを訪問したのは、2005年、2010年に続き、今回が3回目です。訪問するたびに、いろいろと学ぶことの多い施設ですが、今回、特に考えさせられたことを、いくつか記してみましょう。

 

 (1)西館3階。「1・17からの教訓 復興マトリックス」。「書道」「復旧」「復興」「総括」の4つに分けて、わかりやすく整理されている。また、「1・17」のときに学生ボランティアとして参加した人間の声も心にじーんときた。

 (2)西館2階。現在、企画展として、「東日本大震災復興支援企画展『3・11の声、1・17からの手紙』」が開催されている(3月末まで開催)。「1・17」及び「3・11」の2つの震災にゆかりのある19人の人間のメッセージのパネルが展示されており、19人のメッセージが収録されている動画も視聴できる。

 (3)東館3階。「あしたへ向かって」コーナーの中にある、「東日本大震災 復興コンセプト7つの提言」。必ずしもこれが正解とは限らないかもしれないが、少なくとも自分は、いくつか気付かなかったことがあり、とても納得できた。

 

 結論的に述べれば、「人と防災未来センター」は、特に、「若い世代」(小中高生は勿論であるが、特に大学生、大学院生にも)に観て欲しい施設です。学ぶことがいろいろとあると思いますから。

 主として「1・17」を学ぶ、語り継ぐ施設ですが、教訓、防災、復興のヒントがいろいろと得られることかと思います。なかには、少なからずある種のカルチャーショックを覚えることも起こり得るかもしれませんけど。

 

 ちなみに、現在開催されている企画展「3・11の声、1・17からの手紙」。

 学び考えさせられることは、正直たくさんありますが、とりわけ、心にじーんときたのが、下記の2人の言葉です。

 

 河田のどかさん(NPO法人さくらネット職員。小学1年生のときに「1・17」に被災。それがきっかけで、舞子高校の環境防災科→神戸学院大学を経て、復興支援に携わるNPOにて、現在は「3・11」の復興支援に尽力。)

 山本翔子さん(関西学院大学総合政策学部4回生。幼稚園のときに「1・17」に被災。「3・11」では、宮城県七ヶ浜町を中心に、述べ10回もの現地参加。)

 

 自分と同じ「若い世代」がこんなに深く考え行動している。とても勇気付けられますし、自分ももっと自己研鑽しよう、と強く思うのです。

 とりわけ、河田のどかさんの、下記の言葉。

 「日常を大切にする、ということは、防災・現在を考える上で、もっとも大切で必要なことだと思います。」

 このことは、自分の現在の課題点の一つですし、正直深く考えさせられます。

 

 

 で、11時50分。第2の目的地、「人と防災未来センター」近くの公園にて、「1・17 ひょうご安全の日のつどい」に参加。事実上の追悼式典です。今回は、政府の復興大臣(平野達男さん)も参加しました。

 渚中学校の子どもも全員参加。渚小学校の子どもが、「しあわせ運べるように」を合唱。

 ヴィッセル神戸のマスコットも、参加していました。勿論自分も献花。

 

 

 で、14時46分。第3の目的地、「西宮震災記念碑公園」。

 「1・17」で亡くした級友を追悼する思いは勿論、「3・11」への中長期的な息長い復興支援に、自分自身、全身全霊で励む思いを改めて誓う思いもあります。

 慰霊碑にある、級友の名前。上から4段目、右から13番目に、書き記されている。

 彼女の生前の持ち味。「思いやり」が人一倍旺盛であった。

 自分も、「思いやりに満ちる人間に、絶対になるからね。」ということは勿論、現在強く抱いている、「教職あるいはNPOに携わることを叶えて、それを通して、子どもの心に光を灯せる、悲しみを笑顔に昇華させ得る、それができる人間に絶対になる。」と、慰霊碑に近いながら黙祷して手を合わせました。

 

 

 で、その後、第4の目的地、ポートアイランド。

 現在では、海沿い(島の西側。ポートライナーの「みなとじま駅」)に、神戸学院大学をはじめとして、いくつかの大学のキャンパスがありますが、その奥に、「ポーアイしおさい公園」があるので、そこに行って、海を眺めてみました。

 スキー帽(ニット帽。自分は実はかなりの寒がりであるので)を被っているのに、大きな上着を着ているのに(しかもフード付き)、海を眺めながら、寒気を感じる。

 そして、海を眺めると、海は本当は素敵なはずなのに、「3・11」で津波で逝った人間、特に、津波により、逝ってしまった子どもや、家族や友人等をなくした子どものことを想うと、気が付けば、ぼろぼろと涙が溢れ出てきました。勿論、ここでも、いろいろと考えさせられた感じです。

 

 

 そして、17時30分。第5の目的地、東遊園地。

 希望の灯り、献花のための池、そして竹筒。17時46分、「1・17」と刻まれる竹筒の前で、黙祷。

 その後、「1・17」「3・11」それぞれへのメッセージを記す。そして改めて竹筒の前で黙祷。

 で、その後、三宮で夕食を呼ばれて、20時過ぎ、三宮を出発、帰宅しました。

 

 

 「1・17」「3・11」それぞれへのメッセージで、自分が籠めた思い。それは何か。下記に示してみましょう。

 

 「子どもには、絶対に『志』を叶えて欲しい。」

 「泣きたいときは思い切り泣いていいよ。涙の数だけ人間は成長できると信じているから。」

 「いまはとても辛いときだろうと思うけど、だからこそ貴方には、思いやりを大切にできる人間に絶対になって欲しい。」

 

 そう。「1・17」では、「あしなが育英会」が、震災遺児のために、「神戸レインボーハウス」を建設しました。

 また、「1・17」をきっかけに、防災に携わる人間を育成するために、2002年、舞子高校にて、「環境防災科」が創設されました。

 「3・11」でも、上記の2つの取り組みは、何らかの形で、絶対に必要であると自分は思います。

 復興、防災、教訓を語り継ぐのは、子どもであると自分は強く考えますから。

 

 

 いずれにせよ、子どもには、「志」を絶対に叶えて欲しい。「夢は心の栄養素」と自分は強く信じていますから。

 そして自分も、「子どもの内面に親身に寄り添える」「子どもの心の悲しみを理解して尊重できる」、そのような人間に絶対になりたい、と強く心に誓う訳です。この思いは、自分にはそういう「使命」がある、という感じであるように、心に抱く訳です。

 

 

 いずれにせよ、現時点で感じること、伝えたいことは、下記のことです。

 

 「一人一人それぞれが、自分にできる『復興支援』を強く考えて欲しい。ささやかな支援でも、それが徐々にでも寄り集まれば、実となり花となることができて、希望の灯(ともしび、あかり)を生み出すことができるはずであるように考えられるからである。」

 

 自分としては、一人の人間、一人の若い世代として、上記のことを、現時点では、正直強く抱いております。

 

 今後、徐々にではありますが、「復興」「防災」といったことについて、今回の総論編を一つのたたき台にして、各論編とかをも含めて、自分なりに向き合っていきたいと強く思います。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。