「『3・11』から間もなく1年を迎えるにあたって思うこと(己の無力さと向き合う思い)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第9回のブログエントリーの論題は、「『3・11』から間もなく1年を迎えるにあたって思うこと(己の無力さと向き合う思い)。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の8回目になります。 そして、復興ブログエントリーの4回目になります。

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 「3・11」があったからこそ、素敵で濃密な出会いに巡り合えた、と思っている。

 不謹慎な表現かもしれない。でも、この思いが、偽らざる感覚であるからである。

 「人間として大切なこと」。ずっと自分の中で考え続け、そして追い求め続けてきた。

 しかし、「3・11」からの復興支援に参加させて頂く過程での出会いを通して、自分は、下記のことを学ばせて頂くことができた。

 

 「人間が生きることにおいて大切なことは、『人間性、内面を育み続けること』、つまり『自己研鑽』である。」

 「人間関係をより深めることにおいて、『違いを認め合える』『本音をぶつけ合える』ことが大切である。」

 

 とりわけ、『違いを認め合える』『本音をぶつけ合える』。

 このことは、本当は、自分が深く追い求め続けてきたことであるはず。

 しかし、自分自身、これまで、恐らくそれができずにいたのでしょう。

 

 復興支援活動を通して出会った仲間に、ある種の素敵さを感じるのは、恐らく、その人間が、自分にはない持ち味を持っている、そして、「自分」を大切にしているからであるように、自分は思うのです。

 そして、だからこそ、自分自身、復興支援活動への参加を通して実感するのが、下記のことである訳です。

 

 「自分の人間としての引き出しの乏しさ」。

 

 今回の論題にて、「己の無力さと向き合う思い」と記しました。

 これは、自分自身、「人間としての引き出し」があまりにも乏しい、と強く感じるからです。

 そして、だからこそ、この2012年を、「人間としての引き出し」を拡げ深める年、と位置付けている訳です。

 

 で、「人間としての引き出し」の乏しさ。このことを、何としてでも克服したい、と思う次第ですが、最近読んだ文章の中に、深く考えさせる文章がありました。

 

 「彼はあまりにもナイーブ過ぎるのだ。」

 

 ここでいう「彼」とは、「ヨアン・グルクフ(リヨン、フランス代表)」のことです。

 出典は、『ワールドサッカーダイジェスト(WSD)』2011年3月3日号、84頁~85頁。

 巻末コラム「世界を斬る!」のフランス版、筆者は、「フランソワ・ヴェルドネ」さんです。

 自分自身、WSDを愛読して、実に7年半になりますが、とりわけ、「世界を斬る!」がとてもお気に入りです。

 

 で、ヴェルドネさんは、自分の記憶が正しければですが、WSDにおいて、この1年間で、少なくとも3回くらい、「グルクフはナイーブ過ぎる」と苦言を呈しています。

 グルクフをどういう選手かわからない人間のために、少しだけ述べておくと、「フランス代表のファンタジスタ(10番タイプ)」と述べておきましょう。

 

 で、自分の心にじーんと響いた文章を、下記に示します。

 

 

 「彼はいささかナイーブすぎるのだ。逆境を跳ね返すだけの精神的な逞しさを、彼は持ち合わせていないのである。

 (中略)

 なによりも自分自身のために、彼は変わるべきだ。その内向的すぎる性格が、成功を阻んでいるのは間違いないのだから。

 才能に疑いの余地はない。このまま埋もれさせてしまうのは、あまりにも惜しい才能である。天から授かった特別な才能を、グルクフは開花させる義務を負っているのだ。」

 

 (『ワールドサッカーダイジェスト』2011年3月3日号、84頁~85頁。フランソワ・ヴェルドネ「世界を斬る!」[フランス])

 

 

 この文章を、改めて読み返して、ある種自分にも当てはまるのではないか、と感じる訳です。

 少なくとも、自分自身、「あまりにも繊細で不器用すぎる」ことは、グルクフの「ナイーブすぎる」と、相通ずるように感じますし、改善せねばならないこととしてある、と強く感じます。

 あるいは、「逆境を跳ね返すだけの精神的な逞しさを持ち合わせていない」ことも、残念ながら自分にもいえることと認識せざるを得ません。

 

 というか、「精神的な逞しさ」がもしも自分にあれば、自分の「引き出しの乏しさ」に、悶え苦しむ思いが、深まってしまうことは、ないように感じる訳です。

 思えば、自分自身、現在27歳。年齢的な不安が(若い世代ではあるのですが)、全くないといえば、正直嘘になります。

 20歳代を、良くも悪くも、「自分探し」に費やした、それは正直否めないでしょう。

 

 勿論、純粋に「子どもを救いたい」「子どもを笑顔にしたい」、この思いが、自分なりの復興支援の原点の大きな一つとしてあることは、はっきりと強く自負しております。「1・17」の経験が「心の原点」であることも、強くいえることです。

 ですから、ちょうど今日は、国公立大学の2次試験本番の日であり、現地(被災地)の子どもも、今日は「運命の日」である子どもが、恐らく少なくない。

 どうか夢への大きな一歩を叶えて欲しい。この思いを、強く抱かずにはいられない思いです。

 

 生まれ変われれば研究者になりたい。この思いを、自分は強く抱いております。

 何故ならば、下記の思いを、強く抱くからです。

 

 「何か一つの大好きなことを深く探究することはとても素敵であると思うし、学び続けることを通して成長し続け得る生き方であると思うし、それを通して社会貢献できることは、最高に素敵なことであると強く考えるから。」

 

 どのような子どもにも、大きな「志」を抱き、その実現に向かってひたむきに生きて欲しい。

 この思いを、強く抱きますし、「子どもの『志』を叶える一助になりたい。」思いが、自分自身の復興支援のバックボーンになっていることは、はっきりと感じます。

 

 

 とはいえ、現実論として、自分の「心の重し」としてあることとして、「自分なりの復興支援」が、総じて後手後手になっていることがあります。

 

 後手後手というのは、そもそも、現地参加に初めて踏み出せたのが、昨年の9月上旬(2週間。石巻、南三陸)。

 それ以来、現地参加に踏み出せていない。関西からできる復興支援も、現地で開催されるイベントに、何回か参加する程度。

 勿論、平素の日常を大切にする姿勢も、れっきとした復興支援の一環であるとは思うのです。節電なり、食べ物を大切にすることも、動植物を愛護する姿勢も、復興支援の一環でしょう。

 ですが、どうしても強く抱くことは、「なのに自分は…」という思いなのです。

 自分は、「復興支援」という「思い」は人一倍と自負している。しかし、「行動」という意味で、あまりにも後手になっているのではないか、と。

 

 その意味で、先日、自分が懇意にさせて頂いている仲間の一人の、下記のツイートに、自分は深く考えさせられずにはいられませんでした。

 

 

 「自戒として言うけど、東北にほとんど行かないで復興支援活動をするのは、重大事件を会議室だけで解決しようとするようなもの。そんな人に正確な現状判断はできないし、まともな仮説を立てることもできない。」

 

 

 確かにそうだよね。ずっと、2回目の現地参加を一刻も早く叶えたい、と抱き続きてきた。

 自分が復興支援への思いを強くしたのも、石巻や南三陸(特に後者)の光景を目の当たりにしたことが大きい。

 しかし、2回目の現地参加は遅々として叶わず、また、どこかの学生団体に所属することも、模索しているけど、なかなか踏み出せない。

 子ども時代から、良くも悪くも、「一匹狼」タイプの自分でしたし、それに照らして考えると、恐らく、「個人としての復興支援」というスタンスに落ち着くのかなあ、と感じております。

 尤も、一参加者として、特に御世話になっております、「Youth for 3.11」との交流は、今後も大切にし続けたい、と強く思っておりますけれども。

 

 で、今夏、3~4週間スパンで、現地参加を叶えること(できることならば子どもの学習支援、遊び支援に全力で打ち込みたいと思っている)が、自分の大きな目標としてありますが、その意味でも、一刻も早く2回目の現地参加を叶えないと、話にならない。

 現時点として、教職、NPO・NGO、そして、最近では警察官という道も浮上していますが(ただし体力的なネックがあるが)、根っこの思いとしてあるのは、「何らかの形で、現地の人間の心の側にいられる、できるだけダイレクトな復興支援を通しての社会貢献ができれば。」という思いがあるのです。

 

 もともとは、今夏を就職の勝負のとき、と位置付けていました。ですが、復興支援活動の過程で、自分の「人間としての引き出しの乏しさ」に気付かされて、それで、今年を「人間としての引き出しを拡げ深める年」と位置付けて、来夏を勝負のとき、と描き直している次第です。

 ですが、そう考えると、恐らく今秋には、目指す進路の方向性を規定せねばならない。どうしても、試験勉強というのが、恐らく必要になってきますから(教職ならば教員採用試験、NPOならばインターン、警察官ならばスポーツジム。いずれもそれ相応の準備期間が必要になるので)。

 ですが、年齢的な不安が、どうしてもある。来夏となると、自分の誕生日は8月ですから、そのときは29歳になる。一つの目安になる30歳、ということを踏まえれば、この機会を逃すわけにはいかない、となる。

 

 焦りがないといえば、正直嘘になる。思えば、もともとは、教職大学院の道を、強く志向していた。それに滑って、通信制大学に切り替えた経緯がある。

 それはそれで、自分のペースで学べるし、よかったと思う。仲間と語り合える、という意味では、ある種、教職大学院への道が叶ったとき以上に、自分の内面を深めさせてくれているようにも映る。

 しかし、いやだからこそ、素敵な内面の持ち主である仲間と交流させて頂く過程で、自分の未熟さばかりが浮き彫りになる。

 

 このままではいけない。とにかく、一刻も早く、2回目の現地参加を叶えねばならない。

 自分なりの復興支援を前に進めるためにも、そして自分の将来の道を光りあるものにするためにも。

 

 ですが、では、2回目の現地参加を、どうやって具現化するのか。

 タイミングを考慮すると、「3・11」からちょうど1年になる。

 現地の人間が、いま感じていることを、全身で直接感じたいから。

 だけど、プログラムはことごとく「SOLD OUT」。

 個人参加で宿を調べても、「△」とか「×」とか。

 手持ちの資金にも限りがある。学費とか、今夏の現地参加資金に、それ相応に充てねばならない。

 

 熟考しました。だけど、少なくとも、自宅で、名古屋ウィメンズマラソン観戦に明け暮れることだけは、何としてでも避けねばならない(確かに、野口みずき、尾崎好美、渋井陽子、赤羽有紀子、伊藤舞、等々、オールスター級の錚々たる面々で、興味がないといえば正直嘘になりますが)。

 この機会を逃したら、「自分なりの復興支援」は、口だけに終わってしまい、将来への道も、「閉じられつつある扉」になってしまいかねない。

 

 

 心が張り裂けそうになる思いを、ぐっとこらえながら、自分なりに編み出した結論。それは何か。

 

 「 JASP in FUKUSHIMA」

 

 このイベントがどのようなイベントかは、下記にリンクを貼らせて頂こうと思います。

 

 「JASP」の公式HP。

 (http://watalucky.com/jasp/about.html

 

 正式には、「Japan All Students Project」。

 簡潔に述べれば、福島を拠点に活動している学生団体です。

 

 自分がJASPの存在を知ったのは、確か、昨年の11月下旬であったでしょうか。

 志向する理念に共感できるので、すぐに団体のツイッターアカウントをフォローさせて頂きました。

 

 他にも選択肢はあったかもしれません。

 例えば、自宅で名古屋マラソン(確かに、スポーツファン的には、ただでさえロンドン五輪を掛けた、超がいくつも付くほどの大一番であり、しかも野口みずき対尾崎好美の直接対決という夢のたいかいであり、胸熱極まりないのですが)をテレビ観戦する。

 あるいは、関西なり関東なりで、何らかの学生団体の交流会に参加させて頂く。

 いずれも、「3・11」から1年、というタイミングでなければ、恐らく参加したかもしれません。

 

 ですが、自分の復興支援のバックボーンとして、「1・17」の被災経験がある。

 「1・17」と「3・11」を、自分の中で連関させること。現在、自分自身に求められていることであるように思う訳です。

 

 「0泊3日」の超強行日程。

 既に、大阪~福島間の往復バスチケットは、入手しました。

 

 

 では、何故、今回、「3・11」から1年というタイミングで、福島への参加を決心したのか。

 自分なりに、理由を下記に示したいと思います。

 

 第一に、福島は、津波と原発のダブルパンチであり、最も辛い思いをしているにもかかわらず、支援の手があまりにも手薄であり、それに心を痛めているから。

 第二に、脱原発、エネルギー政策の在り方について、自分なりに考えを深める契機にしたいと考えるから。

 第三に、福島の子どもに対して何ができるのかを自分なりに考えを深めたいから。

 第四に、恐らく、福島への支援の思いを強く抱く学生や若い世代が多く集結するかなと思うので、同じ思いを抱く仲間との出会いは勿論、現地の人間、そして子どもに、できるだけ話を聞いて、現地の実状をつかみたいと強く考えるから。

 

 上記のことを、強く抱く訳です。

 

 ちょうど今日は、国公立大学の2次試験の日になります。

 「志」を叶えるための、大きな勝負、運命の日という子どもが、恐らく少なくないでしょう。

 

 で、福島の場合、原発による避難で、友人との関係が引き裂かれて孤独感を抱く子どもが、恐らく少なくないように思うのです。少なくとも、精神的支援を必要とする子どもが、かなり存在するであろうと考えられます。

 子どもの心に光を灯し、「志」を抱き、それに向かって生きられるように。

 思いやりの心を大切にして、自分なりの復興支援への大きなステップにする、そういう「3・11」から1年、というときにできれば、と強く考えます。

 

 「3・11」から1年、ということは、福島へ出発する直前、そして、福島から帰阪してから、というときも、ブログエントリーを執筆できれば、と考えております。

 いずれにせよ、「自分なりの復興支援」をより深める契機にする、それが、「3・11」から1年、2回目の現地参加としての、福島での学びにしたいものです。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。