「『3・11』から1年を迎えて思うこと(福島に赴いてこそ感じる思い)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第12回のブログエントリーの論題は、「『3・11』から1年を迎えて思うこと(福島に赴いてこそ感じる思い)。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の11回目になります。 そして、復興ブログエントリーの6回目になります。

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 

 現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 「3・11」がなければ、恐らく、現在の自分はないだろう。

 不謹慎な表現になるかもしれない。しかし、それが、率直な思いである訳です。

 

 理由はいくつかありますが、簡潔に述べれば、「人間としてのかけがえのない貴重な経験を多くできるから」、(素敵な出会いを経験できるから)、という感じでしょうか。

 

 というのも、自分自身の生き方の「心の原点」として、「1・17」があります。

 他にもいくつかあるのかもしれませんが(スポーツ観戦、読書、いじめに苦しんだ経験等)、やはり、自分自身の出発点って何だろう、と考えると、「1・17」であるように考える訳です。

 

 で、今回の「3・11」。自分は、大学→社会人→大学、という感じで、再出発をしようと思いつつあった矢先に起こりました(尤も、当初は大学院[教職大学院]への進学を考え、失敗して通信制大学にターゲット変更を考えていた最中であった訳ですが)。

 再出発の決心を後押しした、それが自分にとっての「3・11」だったのかもしれません。

 

 尤も、自分は、「3・11」からしばらくは、なけなしの募金、及び救援物資くらいしかできませんでした。あとは、節電、ものを買い占めないこと、等といったことでしょうか。

 その後、体調を崩し、しばらくは布団でのたうちまわる日々でした。

 で、夏に、体調が戻り、自分なりの復興支援を本格的にスタートできたのは、昨年の9月になってからでした。

 

 しかし、現地参加が叶ったのは、9月の石巻、南三陸への2週間、その1回だけです。

 2回目をできるだけ早く叶えたい。しかし、諸々の理由で、2回目が叶わぬまま、時間ばかりが過ぎる日々でもありました。

 関西からできる復興支援、ということでも、先述のこと以外では、昨秋になり、ようやく、現地の食料品を買う、ということができるようになった感じでしょうか。

 

 この半年で、素敵な出会いに多く恵まれ、ただひたすら、感謝の思いである訳です。

 おかげで、「人間としての引き出しの多さ」に気付かされ、自分の理想とする目標も、より深く考えるようになりました。

 もともとは、小学校教員を目標にしていました。尤も、現在は、NPO・NGO職員、警察官(事務職員をも含む)をも、選択肢として浮上しており、今年は、じっくりと目指す道を見極めて、秋の終わりくらいには、方向性を見定めようと思っていますが。

 

 とりわけ、「Youth for 3.11」との出会いは、自分自身、いろいろな意味で、大きな影響を与えている感じです。

 価値観、ものの考え方、心の引き出し、物事への姿勢、等々。

 自分の未熟さを思い知らされるわけですが、いま気付いてよかったのかなとも、正直感じる訳です。

 

 

 という訳で、今回、「JASP in FUKUSHIMA」に、参加させて頂きました。

 理由はいくつかありますが、ここでは、主だったものを記します。

 

 第一に、純粋に福島の現状をこの目で観たい、感じたいと思ったから。これについては、現地参加を1回しか叶えられていない、という精神的な焦りも影響しています。

 第二に、1年が経つからこそ感じる「何か」があるのでは、という思い。関西で迎えるのも、それはそれであってよいと思うのですが、どうしても現地でこそ感じることがあるはず、という思いを抑えきれなかったからです。

 第三に、やはり、自分の「心の原点」は、「1・17」ですし、「1・17」と「3・11」を自分なりに連関させる、そして、「1・17」を経験しているからこそ、あのとき支えてもらった感謝の思いを、「3・11」の復興支援に活かしたい(再び社会に出るにあたっても)、そのための新たなるステージとしての思い、ということが、正直強くある訳です。

 第四に、現地の学生、全国の学生の率直な思いを聞きたい、交流を持ちたい、と強く考えるからです。

 

 

 というのも、これまで、関西は勿論、関東とかの復興支援仲間に何人も出会えて、復興支援云々にとらわれず、一人の人間として、自分を成長させてくれる、御互いを高め合える仲間に出会えて、本当に感謝している。

 ですが、息長い復興支援(できることならば、再び社会に出るときは、東北で就職できれば、と強く思っているので)、ということを、強く志向する意味で、そして、一人の人間としての成長という意味で、東北の学生と交流できていないことには、自分自身、強い違和感を抱いていました。

 

 というのも、自分自身も、かつては被災者の立場でしたし、現地に生きるからこそ感じる思いがあるのではないか、と。

 そしてまた、日本広しといいますが、たとえ現地(この場合、主として東北)と離れていても、現地のために何とかしたい、と思っている人間、学生は恐らく多くいるのではないか、とも感じる訳です。

 

 今回のイベントの参加を後押ししたのは、2月26日(今回のイベントの2週間前)、「JASP京都」のイベントにて、福島の学生とお会いしたことによるところが大きいです。もしも、そのときに会っていなくても、参加したかな、という感じではありますが(そのときには既に参加の方向で検討していたので)、直接あった上で参加に踏み切れたことで、いろいろと感じること、学ぶことがあってよかった、と感じる訳です。

 

 

 で、イベント自体は、10日からスタートしていました。

 ですが、自分は(はっきりいって、予算的な理由です。我ながら情けないです…)、11日のみの参加にさせて頂きました。

 

 6時40分、福島に到着。マクド(他地域では「マック」かな)で席をとって(朝食のため)、7時過ぎに会場の下見。

 第一印象で感じたのは、「寒い!」。

 ですが、放射能云々は、正直、実感が湧きませんでした(勿論辛い思いであることは理解していますが…)。

 

 で、朝刊を購入。自分は鉄道好きでもあるので、8時40分頃に、福島駅の新幹線ホームへ。

 なんと、14番線(基本的には山形、仙台方面行き。ただ、一部に東京方面行きも)の出発の音楽、「栄冠は君に輝く」。高校野球ファン的には、超が付くほどにたまらない。

 何故なのかというと、作者の古関祐爾さん、福島出身だから、とのこと。

 

 で、9時過ぎに、福島駅の東口への連絡通路にて、メッセージボードがあったので、自分なりのメッセージを書いて、周辺を散策。9時45分に、会場入り。

 まずは、福島学院大学。「Talk Discussion」に参加するためです。

 

 「エネルギー」「農業」「観光」「仮設住宅」「発信」「教育」。

 いずれも重要なテーマですし、特に、後者の3つに、自分は強い関心を抱いている。

 どれにしようかな。迷いましたが、ある女子学生が「よかったら、こっちにおいでよ。」と。

 「内に秘める情熱」に惹かれて、その女子学生がいる「発信」のテーブルへ(ちなみに、彼女も福島大学。京都で出会った3人の学生とはまた別ですが、出会ってよかった、今後もずっと交流を続けたいと思う存在です)。

 

 うちのテーブルは、1回目と2回目で、大きくプレゼンの構成を変えることとなりました。

 まあ、うちが少なからず議論を混乱させる要因になった感じですが…(汗。つもりではなくても、結果的にそうなったと感じるので)。

 最終的には、納得できるプレゼンになりました。まあ、プレゼンをした彼女(先述の福島の女子学生のことです)の持っている人徳(人間性)のなせる技、とも感じますが(もしも自分がプレゼンをしていたら、そうはならなかったかも)。

 

 

 「発信」の議論において、自分がどうしても主張したのが(これだけは譲れない)、下記のことです。

 

 「全体を巻き込む」。

 (この場合、「学生をはじめとする『若い世代(子どもをも含む)』」が、「想いを一つ」にして「全体(大人社会、あるいはメディア)を巻き込む」ということを意図しています。)

 

 何故、自分がこのことに、どうしてもこだわったのか。

 第一に、現地の学生とそうでない学生(全国の学生)が、できるだけ連携(交流、意見交換)を密にすることが大切ではないか、と考えるから(現地の学生だから、そうでない学生だから、感じることがそれぞれあると思うし、恐らくそれぞれによさがある。そして意見交換を積み重ねて思いの結晶を社会に投げ掛けることができれば、という思い)。

 第二に、大人社会を「振り向かせる」ためには、ある種の相当な「精神的な活力」が必要と感じるから。

 第三に、どのような困難に屈しない前向きな心を育むには、「若さ」こそ活かされる、と強く考えるから。

 

 恐らく、復興は、長い時間と労力を覚悟せざるを得ないでしょう。

 だからこそ、粘り強い息長い精神的エネルギーが、どうしても不可欠。

 風化させてはならない。どれほど苦しくとも、心に希望の灯を。

 そのためには、ある種硬直的な大人社会を振り向かせねばならない。故に必要なのは、「ムーブメント」になる。

 

 では、「ムーブメント」を起こし得るのはどのような存在か、となれば、子ども、学生を主体とする「若い世代」であろうと思うのです。

 「若さ」が生み出す柔軟で清新な「発想力」。それが活かされれば、素敵な結晶が生み出され、現地に笑顔を呼び起こせるのではないか、と考える訳です。

 そのためには、現地の学生を主体に、全国の学生が結束することが大切ではないか。

 置かれた立場が異なろうとも、かたちが異なろうとも、根っこの「想い」は、相通ずるはずである。

 だから、現地の学生と全国の学生が、思い思いに意見を出し合って、交流を深めて、それを地道に積み重ねて(個人ベースでは勿論、できれば団体ベースでも)、そうすれば、おのずと「想い」の「結晶」が見出されるはず。

 その過程で、見解が対極になっても、大いによいと思う。いやむしろ、異なる見解を思い思いにぶつけ合うことが大切ではないか、と思う訳です。

 いわば、「違いを認め合う」「本音をぶつけ合う」。これを積み重ねていこうよ、と。

 ですが、「結晶」が見出されれば、若い世代だからこその思いを、社会に訴え掛ければよい。

 そうすれば、大人社会(政界、財界、メディアを含めて)を揺さぶる、振り向かせることができるのではないか、という思いが、正直強くある訳です。

 

 

 このような思いを、何故強く抱くのか。

 いろいろ理由、背景はあるのですが、自分が住む関西圏では、「関西から日本を変える」ということが、ある種うねりになりつつあることを感じます(ただし、その過程での、ある種の強権的な手法が望ましいとは正直思っていないことも付言しますが)。

 で、例えば、大阪では、原発の是非を巡る市民投票の請求がなされている。個人的には、市民投票で堂々と決着を付ければすっきりするじゃないか、と感じています。がれきも然り(というか、がれきこそなおさら市民投票で決着を付けるべきかと。個人的には、「助け合いの精神」で受け入れるべきだと思いますが)。

 しかし、市民参加で決着を付ければ、より納得できる方向性へと進めるだろうにと思うのに、まあ、違和感が拭えない強権的な手法で(誰とは述べません。まあ、賢明なる読者ならば御想像できるかなと思いますが。そして、WSDのヘスス・スアレス[スペイン]さんの言い回しをもじってしまい申し訳ないですが)、市民の声を握りつぶすのはいかがなものか、と(勿論、信念の重要性は言わずもがなですが、それと共に、多様な見解に耳を傾ける姿勢も大切と考えます)。

 これはあくまでも一例にすぎませんが、やはり、硬直的な大人社会を振り向かせないと、復興が道半ばで挫折しかねない(現に、阪神淡路では10年以上の歳月を要した。このときは、当時の兵庫県知事の貝原俊民さんの手腕に多くを依拠したことが否めないと自分は思っています)。

 ならば、若い世代こそ声を上げようよ、と。それが、根底の思いとしてある訳です。

 

 

 で、話題を元に戻すと、うちのテーブル(発信)は、12時45分過ぎまで(つまり、ぎりぎりまで)意見集約に時間を掛けました(テーブルの仲間、ごめんなさい!)。

 で、福島駅東口の「街なか広場」に移動。「たすきリレー」のゴールには間に合わず。既に壇上でスピーチになっていました。

 その後、「Guest Talk Session」(これが2回目のプレゼン。何とうちのチームがトリでした)。

 ここでは、高橋歩さん(オンザロード代表)が登場。ようやく初めてお会いできました(ただ、直接話すことはできませんでしたが…)。

 で、14時20分過ぎから、いよいよ、絶対に忘れてはならない、運命の時間へ。

 追悼モードを添えるべく、有志による鎮魂の演奏へ。その有志の中心で、フルートを奏でた女性は、徳島からきたとのこと。

 

 で、14時46分。黙祷。思わず、涙がぽろりとこぼれおちました。

 黙祷の直前(5分前くらい)から雨がぽつぽつ。で、黙祷を終えると、程なくして雨が止んだ。

 これはどういうことなのか。逝った人間の涙雨なのか。何かを暗示するような感覚でした。

 

 その後、17時から、福島県庁にて、キャンドルナイトに参加。

 このとき、初めて、JASPの代表(佐藤宗さん)に挨拶。

 最初は、畏れ多い感じかなと思いきや、想像していたよりも親しみやすい感じでした。

 で、自分も、キャンドルの着火にチャレンジ。およそ4本くらい着火したでしょうか。

 静かに燃える灯。想いよ、届け。あなたは一人ではないから。

 心の中で、そう言い聞かせながら、キャンドルを灯した次第です。

 

 キャンドルナイトのときから、雨が降り、19時前に、仲間と別れました。

 で、19時頃から、幻想的な雪が降り出しました。

 そして、21時、福島駅西口を出発、という感じです。

 

 

 少なくとも、一つ悔いがあります。それは、懇親会に参加できなかったことです。

 既にバスチケットを取ってしまっていたので。仲間の「想い」をじっくりと聴ける貴重な機会を逃した感じでした。

 そう。今回の反省点を挙げれば、「もっと予算を掛けないと」ということ。

 高速バス代然り。宿泊費捻出然り(宿泊費に掛ける予算捻出までできず、懇親会参加を断念することになりましたから…)。

 

 今夏、3~4週間スパンで、腰を据えた現地参加を叶えたい、と思っています(できることならば、子どものために、に重点を置いた活動をしたい、と思っています)。

 それ相応の活動資金を考えることになる(個人で活動することを、どうしても視野に入れることになるだろうから)。

 そして、福島のためにできること。心に笑顔をもたらせる支援の在り方。

 まだまだ漠然とではありますが、とても深く考えさせられます。

 

 

 ですが、正直、強く感じること。

 「JASP福島」に、参加してとてもよかった、ということです。

 いろいろと深く考えさせられる。学んだこともいろいろとある。これから整理していく感じになるのかな、と思います。

 ただ、今回学んだことの一つに、下記のことがあります。

 

 「自分の物事の考え方の一面性」。

 

 自分ではそういうつもりは、あまりありませんでした。ですが、今回、特に「Talk Discussion」の議論の過程で、「一方的な発信の危うさ」を話し合って、自分の考え方の一面性に気付かされる訳です。

 「違いを認め合える」「本音をぶつけ合える」。

 この半年(特に、昨年の年末以後)、強く考えさせられているのですが、改めて、深く考えさせられます。

 

 そのように前向きに思えるのは、今回の「JASP福島」を通して、素敵な人間性を持っている仲間に出会えたからです。

 とても深く感謝したいと思いますし、今回の出会いを、より実り多いものへと膨らませていきたい、と強く思う訳です。

 

 これまで、特に御世話になってきた「Youth for 3.11」。

 今回、参加させて頂いた「JASP」。

 それぞれに片足を突っ込ませて頂くことになったなあ、としみじみと感じます。

 (尤も、どちらも運営に参加していませんけど。涙。でも、どちらも自分にとっては、恐らく永遠にかけがえのない存在であると強く感じます。)

 

 そして、今回(つまり、「3・11」から1年という歳月、そして、JASP福島のイベント)は、決して区切りではない(というよりも、自分は、「区切り」という考えに強い違和感を抱いています)。新たなるステージへの始まりである、と自分は強く感じる次第です。

 長い時間と労力を、恐らく覚悟せざるを得ないでしょう。しかし、決して諦めることなく、「想いを一つ」にすることができれば、素敵な結晶になるはず、と強く信じる訳です。

 

 自分も、今回の「JASP福島」の経験、学んだことを生かして、自分なりの復興支援は勿論、一人の人間としての自己研鑽に絶対に生かしたい、と強く誓う次第です。

 そして、今回であった素敵な仲間に、及び、これまで出会った仲間に、この場を借りて、感謝の思いを申し伝えたいと強く思います。

 

 

 今後も、折に触れて、復興エントリーを、自分なりに考察したい、と強く考えております。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。