「悲願である2回目の東北現地参加、そう遠くないうちに絶対に叶えたい思い。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第18回のブログエントリーの論題は、「悲願である2回目の東北現地参加、そう遠くないうちに絶対に叶えたい思い。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の17回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの8回目になります。

 そしてまた、今回については、復興、社会貢献ブログエントリーの8回目であることと共に、子ども関係のブログエントリーの4回目、という位置付けにもなろうかと思います。

 

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 とりわけ、今回のブログエントリーは、「感じることをありのままに綴る」、いわば、ある種情緒的な感じの文章になるかもしれません。過激、あるいは感傷的な表現が少なからずあることを、何卒御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 で、現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 実は、そう遠くないうちに(できればGW明け)、2回目の東北現地参加を、叶えたい、と強く考えております。

 

 実は、99%まで参加確定に近い感じできているのですが、まだ、クリアにできていない要素がある、しかし、自分の日程的なことを考えると、恐らく、完全にクリアになり、100%の参加確定にできるときを待ってから、HPでのブログエントリーを執筆する時間が、どうやら取れそうにない(GWを控えてのもどかしさ、ということでしょうか)。

 ですが、自分のHPを、いつも御拝読して頂いている読者が、少なからずいると思う。そしてそれが、自分の心の支えの一つの要素になっているように感じる。とても有難う、と強く思う。

 ですので、ざっくりとした感じになりますが、現時点での、自分自身の率直に感じることを、自分なりに綴ることができれば、と考えております。

 

 昨年9月に、「Youth for 3.11」の、「め組2期」として、石巻、南三陸にて、2週間、初めての現地参加をさせて頂きました(がれき撤去、仮設支援、花の種植え等)。

 そう。自分にとって、「Youth for 3.11」との出会いが、大きな転機になっている、といってよい。このことを、強く抱くのです。

 

 で、「め組2期」の際は、「1日が1か月に感じる」くらい、いままで生きてきた中で、かつてない感じの、「濃密な時間と経験」をさせて頂きました。尤も、肝心の活動自体は、「不完全燃焼」であり、正直、悔いばかりが残った感じでもありましたが。

 とはいえ、そこからのおよそ8か月間は、「YF3との出会い以前」とは全く異なるといってよいような感覚の日々であった感じがするのです。

 

 で、今年に入っては、「JASP」との出会いがあり、3月には、福島に行くことも叶いました(ただし、実際にボランティアとして参加した訳ではないので、ここでは現地参加という意味ではカウントしていない。とはいえ、貴重な経験であるので、その意味では、今回は3回目の東北とは強くいえるかなと思います)。

 そう。この8か月間では、実にあらゆる出会いがあった。一つ一つの出会いに、この場を借りて、改めて、深く感謝させて頂く思いです。

 

 「め組2期」で見た光景。あまりにも強烈な場面が少なからずありましたが、とりわけ、南三陸での光景は、恐らく、永遠に忘れないでしょう(心に焼き付けねばならない、というのが、率直な感覚)。

 眼前に飛び込む、壊れた防災庁舎。あるいは、トンネルを抜けたら、線路が見えない気仙沼線。

 (自分が電車好きでもあるから、なおさら印象深いのかもしれませんが…。)

 

 今回のブログエントリーは、正直、ばたばたしながらの感じの合間に綴る感じであり、ざっくりとした感じで、とても申し訳なく思いますが、では、今回現地参加する予定は、どのような感じなのか。

 

 GW開けに、1週間、主として石巻にて、子どもの学び、遊び支援、という感じです。

 「子ども支援」は、自分にとって、悲願といえるチャレンジですから、今回の現地参加は(晴れて叶えばですが)、ひときわ強い思いがある訳です。

 「子どもの笑顔」が、自分自身の「最高の喜び」と、強く自負しておりますので、なおさらの思いです。

 

 先日(3月31日)のブログエントリーにて、自分は、下記のことを記しました。

 

 

 「で、自分自身が、現時点で強く感じていること。

 何を以て、「復興」といえるのであろうか。

 

 勿論、「経済的復興(都市の復興)」「精神的復興(心の復興)」の重要性は言わずもがなです。

 とりわけ、自分自身、「精神的復興」は、自分自身、息長く取り組みたいテーマです。

 

 ですが、それ以上に、「本当の復興」というのは、「社会的復興」ではないかと、自分なりに復興支援と向き合う過程で、特にここ最近感じるようになっているのです。

 この場合、「3・11」以前よりも、より一層「希望」に満ちる社会、というイメージでしょうか。「笑顔に満ち溢れる社会」の実現、それが、自分が現時点で考える「社会的復興」であるように考える訳です。

 尤も、まだ仮説的な考え、感覚に過ぎませんけれども、自分の中では、この思いが、強く湧き上がってくる感じなんですよね。

 

 ただ、マイケル・サンデルさんが「ポストモダンの開幕」、半藤一利さんが「第2の敗戦」と形容した、「3・11」の意味、これを自分なりに解釈し、そして深く考え向き合うことが、自分としては求められているように、自分は感じる訳です。

 

 

 自分自身、将来的には、東北で骨を埋めたい、という思いが、日々強くなっています。

 どのような方向に進むか等にもよるかなと思いますが、できることならば、震災という逆境を乗り越えて、あの逆境以前よりも素敵な社会を生み出す、その一助に、自分は絶対になりたい、と強く考える次第です。

 とりわけ、「子どもの笑顔」のために自分は生きたい。このことを、強く抱く次第です。

 そして、息長い中長期的な復興支援、そして社会貢献を、改めて強く心に誓う思いです。」

 

 

 「笑顔に満ちる社会を生み出す人間になりたい。」

 「人間の心の悲しみに親身に寄り添える人間になりたい。」

 自分としては、この思いを、強く抱いています。

 だからこそ、現地の子どもの心の声に、耳をすませたい。

 子どもに、「生きる希望」「生きる勇気」を付与し得る一助になりたい。

 この思いを、正直強く抱きます。

 

 そして、晴れて、2回目の現地参加が叶い、できれば、5月の中旬あるいは下旬に、「おかげさまで、2回目の現地参加、叶いました。」ということのブログエントリーを執筆できれば、と強く考えております。

 

 

 今後も、折に触れて、復興、社会貢献ブログエントリーを、自分なりに考察したい、と強く考えております。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。