「2012年初夏、東北発未来塾落選に悲嘆しながら感じること。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第20回のブログエントリーの論題は、「2012年初夏、東北発未来塾落選に悲嘆しながら感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の19回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの10回目になります。  

 

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 とりわけ、今回のブログエントリーは、「感じることをありのままに綴る」、いわば、ある種情緒的な感じの文章になるかもしれません。過激、あるいは感傷的な表現が少なからずあることを、何卒御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 で、現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 今回のブログエントリーをアップするにあたり、正直、論題をどうするか、迷いました。

 しっくりくる論題が、なかなか思い浮かばなかった、というのが、率直なところです。

 

 で、今回、何故、このような論題にしたのか。

 現時点での自分の心境を率直に示す感じであるからです。

 ある種、刺激的な論題になってしまったかもしれませんが。

 

 では、「東北発未来塾」とは、果たして何か。

 まず、HPのリンクを、貼っておきましょう。

 

 

 「東北発未来塾」の公式HP。

 http://www.nhk.or.jp/ashita/miraijuku/

 

 

 簡潔に述べれば、「復興に携わりたい若い世代を応援するテレビ番組」です。

 Eテレ(かつての教育テレビ)で放送されている番組です。

 NHKの「明日へプロジェクト」(復興支援プロジェクト)の一環ですが、テイストとしては、サンデル先生等で知られる、「白熱教室シリーズ」のような感じかな、と自分は思っております(議論する学び、を基本スタイルとする意味で)。

 

 

 自分自身、微力ながらですが、昨秋以後、本格的に復興支援活動に参加させて頂くようになり、東北にも、3回足を運びました(石巻に2回[ボランティア]、福島に1回[イベント参加])。

 そして、再び社会人になるときは、何らかの形で、復興支援に携わることができれば、と思うようになっている(そしてできれば、東北で働きたい、とも考えている。現時点ではNPOに心が傾斜しつつありますが)。

 

 ですから、未来塾は、番組開始当初から、勿論観ています(基本、週に2回は少なくとも観ている。学んだことをより深く理解できるようにするためでもあるが)。

 自分自身、復興支援活動を通して、素敵な出会いに恵まれ、出会いを通して、刺激を頂いている感じである訳ですが、未来塾に登場する学生は、さすが、「選ばれし存在」なだけのことはあるなあ、と。その意識の高さは、自分自身、いつも見習いたい、という感じである訳です。

 

 で、GW明けでの、石巻の現地参加を終えて、5月下旬、未来塾のHPを見たら、なんと、参加者募集、とあるではないか、と。

 テーマは、「つながるチカラ」。担当の先生は、津田大介さん(ジャーナリスト)。8月分放送の予定とのこと。しかも、生放送出演のチャンスまである。

 

 ずっと、自分自身、未来塾への参加は、強く熱望してきました。理由はいくつかあります。

 第一に、復興に携わりたいという熱意を持った若い世代と共に学べるから。

 第二に、テレビに出られる(生きた証を残せる)。そして、それを通して、たくさんの「生きた学び」ができる。

 第三に、将来の目標として、社会貢献、復興支援の道に携わりたい、と考える自分にとって、そのノウハウをより具体的に学ぶことができるのではないか。

 このような思いが、正直強くある訳です。

 

 

 で、応募しよう、とは心に決めていた。しかし、肝心の志望動機をどのように表現するか、なかなかうまくまとめられず、時間ばかりが経過していく。

 そして、6月に突入。それから昨日までの1週間は、未来塾に参加する云々に、ひたすら明け暮れた、正直、それに近い感覚でした。

 

 ようやく、志望動機がまとまり、応募に踏み切ったのが、6月5日(締め切りの前日)。

 大枠としてのテーマは、「東北の子どものための支援」。それ自体は心に決めているし、自分の復興支援の基本的なテーマとしていることでもある。

 しかし、いわば、「御題目」はあるけれども、具体的な「内容」を深く掘り下げることができないでいる。今回の志望動機も、我ながら、この域を出ない、というのが、正直な感じです。

 

 支えるのは、強烈な熱意。現実的には、ある種だめもとかもしれない。

 しかし、自分としては、どうしても参加したい。あとはもはや、祈る思い。

 締め切りが6月6日。そして、選考に掛けられる。結果発表は、6月8日。

 

 

 そう。この時期は、「AKB第4回選抜総選挙」。

 自分はAKBのファンではない(ただ、一人の関西人として、姉妹グループであるNMBのことは、気に掛かっていない訳ではないのですが)。ですが、内心、総選挙のことは、強い興味を抱いていたりはする。

 

 で、AKBの選抜総選挙の開票番組は、ニュース7を見終えた後、見ていましたし、開票翌日の日刊スポーツも、しっかりと購入。

 しかし、AKBの総選挙のことは、正直心のどこかで上の空状態。そう、自分の頭の中は、もうひとつの「選抜総選挙」、つまり、自分自身の、未来塾の選考のことで、染まっていた訳です。

 おかげで勉強も、まともに手につかない有様、まあ、もともと不器用な人間であるからかもしれませんが。

 そして、選考に掛けられてから、結果発表まで、ツイッターの更新も封印。とにかく、未来塾参加を叶えたい。ひたすらこの一心であった訳です。

 

 

 で、6月8日、18時過ぎ、結果が出た。

 結局、「落選」でした。

 陸上の日本選手権、サッカーのヨルダン戦は、やっとの思いで見た。

 しかし、その後、未来塾の放送が始まるまでは、布団の中で、泣き崩れていました。

 

 確かに、HPで発表された、参加当選者のテーマを見れば、自分の敗北は、ある種仕方ないのかもしれません。自分は、当選者に比べれば、確かに具体性に乏しかったことは否めないかもしれない。

 しかし、自分としては、どうしても参加を叶えたかった。

 このような機会は、そうある訳ではない。そう、もしも参加が叶えば、自分にとって、「人生最大のチャレンジ」だったのだから。

 だから、こみあげる悔しさを、ぶつけずにはいられなかった。この思いが、正直な思いとしてある訳です。

 

 だからこそ、参加当選者には、自分のような落選者の悔しさの分まで、一つでも多くのことを学んで欲しいと願う訳です。

 うまくいえないのですが、「生きた学び」ができる。ボランティアとは、また違う感じでの。

 それは、今後何らかの形で復興に息長く携わる意味で、有形無形の価値があるように、考えられる訳です。

 

 

 そう。GW明けでの石巻の現地参加を終えて、勿論はじめは、次なる現地参加を、できれば夏場には叶えたい、と強く考えてきました。

 で、できるだけ早いうちに、改めて東北に行きたい、という気持ちは、強く抱いているのです。

 ただ、次なる機会での東北行きは、ボランティアとは違う形でのチャレンジもあってよいのではないか、いやむしろ、それはそれで、ある種違った視野を得られるのかもしれない、と考えるようになっている訳です。

 いろいろな方法があるでしょうが、例えば、イベント参加なり、ワークショップなり。

 なんだか、ボランティアをしているとき、やることに精一杯になってしまっている自分がいる。勿論、それはそれで、学ぶことはたくさんあるし、だからこそ、とりわけ、「東北の子どものために」という思いを、より一層膨らませていくことができるとは思うのです。ボランティアなくして、「息長い復興支援の一助になる」という思いを、現在のようにこれほどまでには抱けなかっただろう、と思いますし。

 

 ただ、自分としては、より「生きた学び」に比重を置くことはできないか、という思いが、強烈なほどに強くなってきている。ボランティアを通して感じることがいろいろとあることは勿論ですし、現実論として、資金や日程等の要素から、なかなかボランティアにいける機会が思うようにいかない現状へのもどかしさも、正直影響しています。

 

 

 で、いま、未来塾のテーマは、「支援するチカラ」です。それこそ、自分自身にとって、現在、そしてこれからも、問い続け、学び続け、考え続けて生きたいテーマであり、ある種、今後「ライフワーク」として意識するテーマといってよいでしょう。

 自分の場合、再び社会に出るときに、息長い復興支援に、よりできるだけダイレクトに、この思いを、強く抱くようになってきている。だからこそ、「支援するチカラ」は、より一層、見ることに力が入ります(むしろ正直、このテーマでこそ自分が参加したかったと思ったりもします)。

 

 「東北の子どものために」。このテーマは、自分の中では、強く抱いている。

 問題は、それを、より具体的に、どのようにして息長く携わっていく、自分の中で、そのような覚悟を持ち続けることができるのか。いま、自分自身にとって、このことが、とりわけ強く問われているように、強く考える訳です。

 

 

 いろいろと思うことは、正直あったりします。

 そう、例えば最近ならば、まさしく、未来塾に落選が決まったその日ですが、昼に書店で、『文藝春秋』の最新号を読みました。

 特集のテーマが、実に刺激的。「平成政治24年 亡国の戦犯」。

 で、文章(というか、識者による討論形式)を拝読しましたが、自分がかつて政治学を学んだ身であることも影響しているでしょうが、実に考えさせられる。

 

 そう。自分にとって、「復興支援」とは、「社会をよりよくすること」であると思っています。

 勿論、東北を「3・11」以前よりも素敵なまちにする、そして、東北の子どもが、一人でも多く、「志」に向かって生きられるようにすることの一助になりたいことは、言わずもがなです。

 ですが、復興支援活動に参加するようになり、自分の中で、日を追うごとに湧き上がる思いが、「復興とは、社会をよりよくすることであるのではないか。そして、復興の具現化のためには、自分たち若い世代が積極的に参画していくことに掛かっているのではないか。」と、強く抱くようになっている訳です。

 

 「タテ社会」「甘え」「閉塞」。日本の政治文化を形容する言葉として、このようなことが、指摘されてきた訳ですが、とりわけ、「閉塞」は、復興支援活動に参加するようになり、強く抱く思いです。これは勿論、自分がかつて「阪神淡路大震災」に被災した経験が、影響しているのかもしれません。

 現地(東北)を、そして、現地の人間を、自分はどれほど向いているのだろうか。

 正直、社会そのものが、あまり現地を向いているようには感じることができない。しかし、いやだからこそ、自分自身は、現地に真正面から向き合うことが、求められているように、強く考える訳です。

 よく、スポーツの世界で、「同じ方向を向く」ことの重要性がいわれますが、自分が問われていることの一つとして、このことがあるように思うのです。

 

 

 なんだか、ある種散文的な感じになり(脈絡のない感じ)、とても申し訳ないのですが、やはり、現時点での心境としては、悔しい思いを率直に抱かずにはいられない感じである訳です。

 尤も、自分としては、次なるチャンスがあると、信じてなりません。そう、自分としては、いつか、東北発未来塾に参加する機会が叶えば、と強く考える訳です。

 今回は叶わなかった。正直、とても悔しいです。ですが、いやだからこそ、いつか未来塾に参加したい、参加を熱望する思いは、恐らく今後も変わらず抱き続けるであろうと、正直強く感じます。

 生きた学びがしたい。一つでも多くのことを学びたい。復興について、息長い支援について、自分なりにじっくりと考えたいし、仲間と思う存分語りあいたい。この思いを、正直強く抱く訳です。

 

 すみません、でも、自分としては、復興の一助になることに、それこそ自分自身を捧げることができればと、真顔で思っている。だから、率直な思いを、綴らせて頂いた感じです。

 そして、今後も、このHPでのブログエントリー、折に触れて、自分なりに復興について、社会貢献について思うことを、綴ることができれば、と強く考えております。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。