「『3・11』から1年半を迎えて感じること(4回目の東北現地参加を振り返り、現時点で感じる思い)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第26回のブログエントリーの論題は、「『3・11』から1年半を迎えて感じること(4回目の東北現地参加を振り返り、現時点で感じる思い)。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の25回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの12回目になります。

 

 今回の位置付けは、「感じること、伝えたいことを読み物的に書き綴るエントリー」ですので、コメント欄はないことを、御理解頂けると、とても有難く思います。

 また、私のHPにおけるブログは、過激な内容がどうしても多くなることかと思いますが、今回は、とりわけ過激になってしまうかな、と正直感じております。読者の中には、私の考えに共感できない、と考える人間も少なからずいるかなと思いますが、こういう考えもあるんだ、と解釈して御拝読して頂けると、とても有難く思います。

 とりわけ、今回のブログエントリーは、「感じることをありのままに綴る」、いわば、ある種情緒的な感じの文章になるかもしれません。過激、あるいは感傷的な表現が少なからずあることを、何卒御理解頂けると、とても有難く思います。

 

 で、現在の仕様では、ブログの閲読が見づらいと思う読者も、いらっしゃるかもしれません。

 ですので、HPの「トップページ」の下部に、「サイトマップ」がございますので、そこをクリックしますと、「サイトマップ」の半ば部分から下のところに、「ブログ」、つまり、「ブログエントリー一覧」がございます。

 で、それぞれのエントリーの論題の部分をクリックしますと、それぞれのブログエントリーが閲読しやすい感じになるかな、と思います。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 今日で、「3・11」から、1年半を迎えます。

 この1年半を振り返って、どうであったか。自分自身については、「人生の転機といえる1年半であったように思う。」という感じですが、現地の人間のことを想うと、このことをはっきりといってよいものかと、正直心が痛みます。

 

 自分の場合、「1・17」、つまり、「阪神淡路大震災」の被災経験が、根底としてあります。

 あのときの自分は、1年半という歳月は、「長くもあり短くもあった」、ある種不思議な感覚でした。

 実は自分の場合、「1・17」で、かつての級友を1人亡くしています。あのとき逝った彼女は、誰よりも人一倍思いやりに満ちる人間であった。

 ですが、自分が、その級友の死の重みを実感するようになっていくのは、実は、時間(とき)が経っていってからです。そして、その級友へのせめてもの自分なりの供養を、それが、自分が「3・11」の復興支援に取り組む、あるいは、将来の進路に向き合う、一つの大きな要素としてあるように思うのです。

 

 

 いきなり感傷的な書き出しになりましたが、かくいう自分は、今夏を、「岐路の夏」と位置付けていました。

 その理由の一つとして、今秋(遅くとも10月末までに)が、進路の方向性を決心するときの、恐らくデッドラインになるであろう、と強く考えるから、ということがあります。

 

 「子どもが大好きである。」「笑顔に満ちる社会を生み出す一助になりたい。」

 「子どもの内面に親身に寄り添いたい。」「一人でも多くの人間、子どもが、「志」『希望』に向かって生きられることの一助になりたい。」

 

 この思いを、強く抱いてならない。そう、つまり、およその漠然としたイメージはある。

 ですが、この漠然としたイメージを、どのようにして具体化させたいのか。その突破口を見出したい。

 

 で、これまで、自分は、3回、東北に現地参加しました。そして、先日、4回目の東北現地参加を、させて頂きました。

 

 

 (図解1)自分(愛球人)の、4回の東北現地参加。

 

 (1)南三陸、石巻、牡鹿(2011年9月。2週間。YF3。がれき撤去、花の種植え、仮設支援等)。

 (2)福島(2012年3月。1日間[「3・11」から1年]。JASP。「JASP in FUKUSHIMA」というイベントへの参加)。

 (3)石巻、牡鹿(2012年5月。1週間。YF3。子ども支援)。

 (4)喜多方(2012年9月。2日間。JASP。スタディツアー)。

 

 

 そう。先日の喜多方のスタディツアーのことは、後に詳述させて頂きますが、思えば、「3・11」から半年は石巻、1年は福島、という感じで、節目(このような表現は、あまり好きではないのですが)では、自分の場合、現地(東北)で迎えた感じです。

 それが、今回(1年半)は、関西(大阪)で迎えました。やはり、関西で迎えると、東北との、ある種の「距離感」を、どうしても感じてしまいます。地理的な意味では勿論、心理的な意味でも。

 

 関西といっても、神戸では、「1・17」の経験からか、まだ、「3・11」に対する思いは、其れなりに強い感じはするのです。例えば、舞子高校(日本で唯一の「環境防災科」という学科がある)、神戸学院大学(防災に特化することを学ぶコースがある)といった、震災や復興について重点的に学ぶ拠点的存在があるから、ということが、影響しているのかもしれません。

 

 それに比して、大阪や京都では、「3・11」への意識が、徐々に、しかし確実に、風化して行っているのではないかということを、感覚としてどうしても抱くのです。勿論、強い意識を抱いている人間も少なからずいますが、限定的という見方も、また一理あることも否めない。

 少なくとも、関西メディアでは、「3・11」は、1年を境にして、「当事者意識」というのは、確実にしぼんでいっている感覚を覚えます。そして、それに対してどうしても違和感を抱いてならない、ということも。

 

 

 それはともかく、この夏を、自分としては、「岐路の夏」と位置付けてきました。

 どうしても、自分としては、今夏、4回目の東北を、叶えたいと思っていた。

 

 ただ、参加するならば、ボランティアとは異なる方法で、と思っていたのです。

 ボランティアの重要性は、勿論認識しているつもりであるし、「息の長い支援」の一助であり続けたいとも、強く思っている。

 しかし、いやだからこそ、現状の自分に、ある種のもどかしさや、限界感のようなものを、感じるようになっていき、自分としては、「何か違うのではないか?」という思いを、抱くようになっていたのです。

 

 次に東北に行く場合は、ボランティアとは異なるスタイル(例えば、ワークショップ、スタディツアー等)で行くことが、現在の自分には望ましいのではないか、ということが一つ。

 そしてまた、自分が強く抱いていた思いとして、下記の思いが、強くあった訳です。

 

 「福島のために、自分にできることが全く分からずに悶えている現状がある。そのためには、福島に自分なりにじっくりと向き合う、感じる機会が、現在の自分にはどうしても必要ではないか。」

 

 そのような思いを抱くようになっていた矢先に、舞い込んできた話が、今回、自分が4回目の東北として現地参加した、「JASP」さんの、喜多方へのスタディツアーです。

 

 

 (図解2)今回、自分が参加した、JASPの「喜多方スタディツアー」とは。

 

 (1)「スタふく」公式HP。

 http://watalucky.com/jasp/tour/

 

 (2)「スタふく」公式ブログ。

 http://jasp-sutafuku.jugem.jp/

 

 

 今回、自分が参加したのは、「観光」がテーマのコースです。

 このお話を伺い、ある種直感的に、「これだ!」と思い、4回目の東北現地参加の舞台として、決心させて頂いた次第です。

 

 結論的に述べれば、「参加して、とても有意義であった。」と強く思いますし、「最高に濃密な経験」「永遠に特別な時間」をさせて頂いた、と強く感じております。

 

 ざっくりとですが、自分が感じたことを、下記に記そうかな、と思います。

 

 

 (図解3)「JASP喜多方スタディツアー」を通して、自分(愛球人)が学んだこと、感じたこと。

 

 (1)「自分がいかに未熟で無知な人間であるのかを、思い知らされた。」
 (2)「自分が福島と真正面から向き合うことそのものから逃げていたのではないか。」

 (3)「自分が福島のためにできることは、『福島を知る、学ぶ』、これを地道に積み重ねることではないか。」

 (4)「『息の長い支援』に粘り強く携わり続ける、参加し続けることの重要性を改めて実感したこと。」

 (5)「復興のスパン(時間面でも精神面でも)の想像以上の長さを改めて実感。とりわけ、『自分たち若い世代こそが復興支援の重要なアクターとして全力で息長く取り組み続けることの必要性』を強く実感すること。」

 (6)「将来の進路において、何らかの形で、少なくとも、できるだけダイレクトに、社会貢献の道に携わりたい思いを、強く実感すること。そしてできれば、復興支援にも、できるだけ結び付いていきたい思いを、実感するということ。」

 

 

 他にも、感じることは、いろいろとありますが、現時点で、自分が感じることは、上記のような感じです。

 

 思えば、今日は、「9・11」でもあります。

 「平和」について考える日でもある。勿論、「いのち」について考える日、ということでもある。

 

 「岐路の夏」ということにおいて、実り多い感じには慣れた、と強く思うのです。

 ですが、「3・11」から1年半を迎えて、自分が強く感じるのは、長い道のりが、茨の道が待ち受けているように思うし、だからこそ、強く感じることとして、自分たち若い世代が、復興のために、社会をよりよくするために、粘り強く息長く取り組み続けていこうよ、と。

 そして、自分もその「息の長い支援」の一助でありたい、と強く思う。「復興」とは、「社会をよりよくすること」に直結し得ることであると、強く考えてならないからです。

 

 そう、現時点で、強く抱くことは、自分としては、再び社会に出るときに(2014年春が現時点での目標)、何らかの形で、復興支援、社会貢献の道に携わりたい、ということです。

 そのために、漠然としているおよそのイメージを、どのようにして具体化させていくのか、自分としては、このことが、強く問われているように感じます。

 

 

 自分なりに、現時点で抱く思いは、このような感じです。

 今後も、折に触れて、復興、社会貢献ブログエントリーを、自分なりに考察したい、と強く考えております。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。