「『1・17』から18年にあたって、現時点で自分なりに感じる、『1・17』と『3・11』。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第33回のブログエントリーの論題は、「2012年衆院選、一人の若い世代として感じること。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の32回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの15回目になります。

 

 では、今回のエントリーにおける考察を始めます。

 

 

 「1・17」。「阪神淡路大震災」。1995年1月17日、5時46分。

 自分自身、「1・17」は、恐らく永遠に「心の原点」であり続けることでしょう。

 

 この、「1・17」から、今年で、18年になります。

 当時は小学4年生、西宮(兵庫県)に住んでいました。

 

 自分の、このHPにおける、「阪神淡路大震災」に関係するブログエントリーは、下記のブログエントリーをも、併せて参照して頂けますと、とても有難く思います。

 

 

 (1)2012年1月11日

 「『3・11』からの復興の具現化のために大切であると強く考えること(総論。その1)。」

 

 (2)2012年1月18日

 「『1・17』から17年。『1・17』と『3・11』、自分なりの意味付けが問われる思い。」

 

 

 本当ならば、じっくりと「1・17」についての考察をしたいのですが、今回は、自分のブログエントリーの更新自体、2013年では初めて(2012年12月17日以来、1カ月ぶり)という感じですし、今回の場合、あまり時間がとれていない中で、それでも、「1・17」について、自分なりに書きたいと思い、更新させて頂く感じとしてあるのです。

 

 今年の「1・17」。その内容は、昨年と、ある種あまり変わらない感じかもしれません。

 しかし、テイストとしては、昨年の「1・17」とは、異なる感じであった感じなんですよね。

 

 昨年の「1・17」は、「自分を見つめ直す」が強い感じでした。

 しかし、今年の「1・17」は、「自分の原点を思い起こす」感じなのは勿論であるのですが、それと共に(あるいはそれ以上に)、出会った仲間に、自分にとっての「1・17」を知って欲しい、「1・17」と「3・11」を、ある種関係づけるというか、いずれのことも、後世に語り継いでいける一助になれれば、そのような思いで、今回は行った感じです。

 

 

 今回の場合、訪れた場所を、ざっくりと述べれば、下記のような感じです。

 

 (1)「人と防災未来センター」(HAT神戸)(9時30分~12時40分)

 (併せて、「1・17 ひょうご安全の日のつどい」にも参加。「人と防災未来センター」は、神戸を訪れるならば、絶対に1度は訪れて欲しいと強く願うので。)

 (2)かつての自宅前(震災時に被災した当時の自宅。阪急苦楽園口駅から徒歩20分くらい、というか、西宮だが、芦屋との市の境界線ぎりぎりにある)(13時50分前後)。

 (3)「西宮震災記念日公園」(14時46分に黙とう)。

 (「1・17」で逝った級友を追悼するため。自分にとって、彼女の「魂」は、永遠に心の中で生き続けていると思っているけど、「霊」は、この記念碑に眠っていると、少なくとも現時点では思っているから。)

 (4)西宮北口(15時05分から15時53分)。

 (「1・17」の復興の象徴的な場所でもあり、自分にとっては、いろいろな思い出が詰まった場所でもあるから。)

 (5)ポートアイランド(神戸学院大学の奥の、「ポーアイしおさい公園」)(16時45分ごろ)。

 (「3・11」は、津波による被害が甚大であったため、海とどうしても向き合わずにはいられないし、だからこそ伝えられることがあると感じるから。)

 (6)東遊園地(17時46分、18時15分に黙とう。けんか、あるいは希望の祈りでの黙とうも併せて行う。)

 (やはり、「1・17」にかつて被災した一人の人間としては、「特別な場所」であるから。勿論、「伝えたい」と強く思うからには、どうしても欠かせない場所であると思っているので。)

 

 

 ですので、昨年と異なるのは、「かつての自宅前」「西宮北口」を加えた感じですね。

 正直、「3・11」の復興支援活動で出会った仲間が、昨年の今頃とは、全く比べ物にならない(昨年の「1・17」の時点では、10人ちょっとしかいなかったが、今年の「1・17」では、80人を超える仲間、特にコアな仲間だけでも、20人を超える感じであるので)。このことが、正直強く影響している感じであるんですよね。

 

 

 今年の「1・17」でも、自分は、東遊園地において、メッセージを記させて頂きました。

 その内容は、下記のような感じです。

 

 「子どもには、絶対に『志』を叶えて欲しい。」

 「『3・11』の復興支援活動を通してこそ、『1・17』の被災経験を、改めて前向きにとらえ直すことができる。」

 「『1・17』と『3・11』の2つを、後世に伝え続ける使命があると強く感じている。」

 「『社会貢献』できる道、できる人間に、絶対になりたいと強く思っている。」

 「西宮を離れたけど、自分にとっては、ずっと故郷であると思っているから。」

 

 

 上記のことが、自分が強く抱く思いとしてあるのです。

 

 いま、「3・11」の復興支援活動に、2011年9月から参加させて頂いており、東北には、これまで4回行きました(宮城に2回、福島に2回)。

 「1・17」と「3・11」。その内実は、少なからず相違点があるように思います。

 「3・11」の方が、より広範囲に及びますし、都市機能ごと壊滅しているとか、鉄道自体が通らないとか、正直、未だにイメージすることを受け入れられていない自分がいたりもします。

 

 かつて、「1・17」に被災した人間だからこそできることがある。この思いを、強く抱いてならない訳ですが、現在の自分を支えているのは、この「1・17」の被災経験のみならず、「3・11」の復興支援活動を通して出会った仲間との出会い、あるいは濃密な経験が、モチベーションになっている感じとしてあるんですよね。

 問題は、それをどのようにして、今後の自分自身、あるいは進路へと結び付けていくのか、という感じであったりするのですが。

 

 

 それにしても、「3・11」の復興支援活動において、とりわけ、昨年の夏場以後、強く刺激になっているのが、復興支援活動に尽力する、高校生の存在です。

 今日のテレビでも、NHKのEテレにおいて、「シンサイミライ学校」という番組があり、自分自身、とても心にじーんと響いた感じでしたが(「復興や防災において、高校生にできること」が、主たるテーマ。舞子高校[兵庫県]及び大泉桜高校[東京都]の高校生が、東松島及び石巻にて、3日間学ぶ、という内容)、自分自身、これから、どのようにして、「1・17」及び「3・11」に向き合っていこうか、を改めて強く考えさせられる感じです。

 

 なんだか、今回は、ざっくりとした感じになってしまい、申し訳なく思いますが。

 

 

  いずれにせよ、現時点で感じること、伝えたいことは、下記のことです。

 

 「一人一人それぞれが、自分にできる『復興支援』『社会貢献』を強く考えて欲しい。そしてまた、『1・17』『3・11』を語り継ぐことにおいて、若い世代だからこそできることがきっとあるはず、と自分は強く抱いている。」

 

 自分としては、一人の人間、一人の若い世代として、上記のことを、現時点では、正直強く抱いております。

 

 今後、徐々にではありますが、「復興」「防災」「社会貢献」ということについて、今回の文章を一つのたたき台にして、今後の各論編とかをも含めて、自分なりに向き合っていきたいと強く思います。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。