「5回目、6回目の東北現地参加を踏まえて、自分なりに学び感じること(その2。白熱教室、東北大学)。」

 こんにちは。愛球人と申します。

 

 「愛球人ホームページ。」、第37回のブログエントリーの論題は、「5回目、6回目の東北現地参加を迎えるにあたり、現時点で感じる思い。」です。

 

 実質的には、ブログエントリーの本論の36回目になります。そして、復興、社会貢献ブログエントリーの18回目になります。

 

 では、(その1)の続きから、考察を始めます。

 

 

 今回、5回目、6回目の東北現地参加を、させて頂きました。

 

 

 (図解1)5回目、6回目の東北現地参加の概要。

 (1)5回目(2月11日~2月12日)。

 [1日目]仙台駅到着→(仙台市バス)→荒浜(現状を肌で知るため)→(仙台市バス)→仙台駅→(仙台市バス)→東北大学(公開復興サポート。震災や復興についての各種展示、東北発未来塾公開収録観覧参加)→ホテルチェックイン(いったん荷物を置く)→懇親会(東北発未来塾公開収録参加者有志で、復興について語り合う)→ホテル宿泊。

 [2日目]ホテル出発→仙台駅→(仙石線)→中野栄駅→仙台港(現状を肌で知るため。三井アウトレットパーク仙台港を含む)→中野栄駅→(仙石線)→宮城野原駅→クリネックススタジアム宮城(いわゆるKスタ宮城。もとの宮城球場。NPBの東北楽天の本拠地)→仙台駅→(地下鉄)→勾当台公園駅→官庁街、NHK仙台(宮城県警、宮城県庁、仙台市役所)→せんだいメディアテーク→商店街(国分町、クリスロード)→仙台駅→仙台駅出発。

 

 

 (2)6回目(2月22日~2月23日)。

 [1日目]仙台駅到着→市内散策→マクドナルド仙台中央通り店→ホテルチェックイン(いったん荷物を置く)→仙台駅→(仙台市バス)→東北大学(白熱教室公開収録参加)→ホテル宿泊。

 [2日目]ホテル出発→仙台駅→(東北本線、石巻線)→石巻駅→市内散策(石巻復興マルシェ、日和山公園等)→いしのまきカフェ「」(石巻市役所1階にある)→石巻駅→(東北本線、石巻線)→仙台駅→東京エレクトロンホール宮城(みちのく仕掛け人市に参加)→仙台駅→仙台駅出発。

 

 

 (図解2)今回の東北現地参加に関係する、テレビ放送予定。

 (1)「東北発未来塾」(3月22日金曜日、23時30分~23時50分)

 (2)「Rの法則」(3月7日木曜日、18時55分~19時25分)

 (3)「白熱教室」(3月2日土曜日、21時15分~22時13分)

 

 

 今回のメインは、ずばり、2回とも、「NHKの公開収録」がメインでした。

 まあ、テレビデビューが叶うかな、といえば、可能性は恐らく低いでしょうけど、「復興を問い直す」意味では、これ以上ない感じの東北現地参加になった感じです。

 

 では、「6回目の東北」、つまり、「白熱教室」における、考察をスタートしたいと思います。

 

 

 2月22日。8時30分過ぎ、仙台駅到着(高速バスで大阪からの直行でした)。

 前回ほどではないですが、やはり、「寒い」。今回も、「完全防備」にもかかわらずです。

 

 で、仙台駅。まず、市内散策です。

 仙台駅西口の名物は、「ペデストリアンデッキ」という、独特の高架橋です。

 いま、「東北発未来塾」(Eテレ)において、「防災のチカラ」をしていますが、この仙台という年は、ペデストリアンデッキの存在、地下街の極端な少なさ、生命線の色合いが強いアーケード(クリスロード等)、高架橋を降りるためのエスカレーター(あと、バリアフリー性にやや乏しい感あり。特にJRの駅は、バリアフリー対応駅が極端に少ない印象)、等々、防災について、とても考えさせられる街でもあるので、それも強く意識して、市内散策をしてみました。

 市内散策では、読売新聞東北総局、七十七銀行本店等をも、通ってみました。

 

 で、昼食は、マクドナルド仙台中央通り店。ブルーベリーシェイクを飲みながら、学んだことの復習の追い込みをかける。

 その後、いったんホテル(宿泊先は前回と同様、五橋のアパヴィラホテル)にチェックインして、荷物を置いた後に、仙台駅から、バスで東北大学へ。早めについて、「戦闘態勢」を整える感じです。

 

 

 そして、18時。東北大学川内萩ホール。

 「人生最大の挑戦の舞台」にするべく、「白熱教室」に臨む。

 テーマは勿論、「震災復興」。これ以上ない舞台だ、と思いながら。

 

 しかし、現実は、実に厳しいものでした。

 冒頭から、各論的話題。精一杯挙手はするけど、当てられない。

 そもそも、センターポジション(壇上からの最前列の真ん中)は、学内生(東北大学の学生)の座席になっており、この時点で、爆死であったのかもしれませんが。

 

 公開収録の時間は、150分間。結論的に述べれば、時間とすれば、予定通り終わってしまいました(過去の、東京大学、東京国際フォーラムのときは、予定時間を60分以上オーバーしたといわれているので、まさか時間通り終わるとは思いませんでした)。

 全体的に、各論的な話題(取り上げられたテーマは主として4つであったが、そのうち3つまでが完全な各論的内容)が多くて、総論的な話題は、ほとんどできなかった(というか、冒頭は絶対に総論的な話題であろう、と確信していたので、不意を突かれた感じ)ことも、率直に強く感じることです。

 

 参加者は、学内組が500人、一般組(自分もそうですが)が564人、合計1064人。

 ただし、学内組は、「事前講義」とやらを受けていたとのこと。どんな内容かは、勿論知る由がないのですが、現に、学内組のペースで議論は進んでいた感じでした(そもそも議論になっていたのかは、疑問符でもあるのですが…。ちなみに学内組は、英語を駆使する人間も少なからずいました)。

 

 

 で、自分は、発言はといえば、残り20分くらいのあたり(というか、ラストへと向かいつつある部分)で、発言できました。ただし、正直、割り込むような感じになってしまいましたが…(汗)。

 

 発言のテーマは、そのときの主たる議論では、「復興は、コンセンサスをもとに進めるべきか、とにかく早く進めることを志向すべきか?」という感じでした。

 で、自分は、趣旨として、下記のような発言を、させて頂きました。

 

 

 「確かにコンセンサスも、スピード感ある復興も、どちらも大切だけど、それ以上に大切なことがあるのではないか?はっきり述べれば、『息長く、粘り強く、絶対に諦めない姿勢』なくして、復興はあり得ないと覚悟せねばならないのでは?阪神淡路の被災経験をも踏まえて考えれば、風化というのは、一瞬できてしまう。諦めたら、そこで試合終了なんですよ。心情的には早く進めて欲しい。しかし、『どのようにして』復興を目指すのかという『方向性』を示せなければ、復興は厳しいと思いますし、『同じ方向を向く』『心を一つにする』ことが、まず何よりも大切になってくるのではないですか?」

 

 

 記憶が正しければ、ですが、趣旨としては、上記のような感じです。

 ですが、正直、「伝えたいこと」を「100」とすれば、「10」も伝えられなかった、というのが、正直な思いです。

 結果として、議論を混乱させる感じになってしまったこと。どうしても「伝えたいこと」の核心を議論できなかった(発言できなかった)こと。自分自身が納得できる発言内容ができなかったこと。

 はっきりいって、「ひどい、無様なパフォーマンス」になってしまいました。

 あらゆる意味で、「悔いが残る」。もう、この思いにつきます。

 

 

 では、真意として、どのようなことを、自分は伝えたかったのか。

 

 自分は、「復興」は、「3つのかたち」がある、と考えています。

 第一に、「経済的復興(都市の復興)」。まちづくり的な復興とかで、一般的にイメージされる復興は、このことだろうと思います。

 第二に、「精神的復興(心の復興)」。いわゆる「メンタルケア」とかを含めた、心を前に進める意味での復興、という感じです。「1・17」では、この「精神的復興」において、大きな課題を残した、と自分は感じています。

 そして第三に、「社会的復興(社会の復興)」。実は、今回の「3・11」の復興は、この「社会的復興」がかなえられてこそ実現し得る、と自分は考えるようになっているのです。

 

 この、「社会的復興」ということですが、つまり、「どのような社会(あるいは地域社会)の実現を目指すのか」が問われているのではないか、と自分は思うのです。あるいは、「『3・11』以前よりも素敵な、魅力的な東北にすることを実現すること」が、「復興」の一つの目標ラインではないか、と考える訳です。

 で、「目指すべき社会像」「志向すべき社会像」のグランドデザインを明確にできなければ、「目指す方向性」が見出せないことを意味しますから、およその目途のライン、つまり、「先が見えない」状況に陥るように思うのです。

 

 そりゃあ、心情的には、早く復興を叶えて欲しいです。でも、早く早くと焦るだけでは、いわば、「結果重視のサッカー」と同質に過ぎない、と思うんですよね。

 近年、サッカー、野球、バスケットボールで、「フィロソフィー」(目指すべきチーム理念)の重要性が叫ばれつつありますが、「結果重視」というのは、「フィロソフィー軽視」の裏返しでもあると思うんですよね。

 「結果」も勿論大切ですが、それは、「内容」があった上でなされるべきこと、と自分は思うのです。「内容」を積み上げられれば、いずれ「結果」がついてくるはず。ですので、まずは、「目指す方向性」を明確にする、「ビジョンを描く」ことが求められるように思うんですよね。

 

 その意味で、「復興」の実現、「目指すべき社会像」のデザイン、フィロソフィーの構築のためには、自分たち若い世代が、それこそ先頭に立つくらいの気概で、積極的に率先して行動すること、そして、自由闊達な議論を展開していくことが、求められるのではないか。

 つまり、「若い世代が立ちあがることなくして、『3・11』の復興も、日本社会をよりよくすることもあり得ない!」、換言すれば、「自分たち若い世代が立ちあがっていこうよ!声を上げて行動していこうよ!結束して心を合わせていこうよ!」、これを本当は伝えたかったんですよね。

 

 会場には、ちらほらとですが、制服を着ていた、高校生(あるいは中学生もいたかも?)と思しき姿の子どもも、何人かいました。正直、展開が許せば、高校生や中学生をも巻き込みたかった、というのが、正直な感じであるのです。

 

 

 いずれにせよ、自分にとっての、今回の白熱教室は、「恥辱」「悔い」ばかりが残った。

 ホテルに帰った瞬間、自分は、気が付けば、布団の中で、号泣していました。

 

 かつて、浦和レッズの原口元気が、「何なんだよこれ。」という言葉を発したことがありましたが、まさにそれです。

 自分がしたかったのは、「何を以て復興というのか。」とか、「復興のために大切なことは何か。」とか、「東北に生きる子どものために、自分たちに出来ることは何か。」とか、そういう、「根本的」な「総論的」なことを、徹底的に議論したかったのです。

 

 というか、はっきり述べます。今回の「白熱教室」が、本当の「議論」であったといえるのだろうか、と。

 はっきりいって、「違和感」「もやもや感」ばかりが残った。これが自分が求めていた内容ではない!と。「木を見て森を見ず」ではないか、と。

 勿論、「実り多い」感じではあった、とは思う。参加したことそれ自体は、間違いなくプラスではある。学ぶことが多かったことも、実に収穫ではあります。

 

 ですが、自分は、それこそ、バスケットボールでいう、1点を巡る攻防、「ブザービーター」になるかどうかの局面の如き、壮絶なる「激闘」「死闘」といえる「本物の議論」がやりたかったのです。

 それこそ、ヒートアップする、トラッシュトーク上等の如き、議論が対立しようとも、時間を忘れられるくらいの、激論がやりたかったんですよね。それこそ、「朝まで生テレビ」「たかじんのそこまで言って委員会」の如く、みたいな。

 

 恐らく、放送では、かなり編集がなされます。放送では、議論がなされた感じに仕上がるのでしょう。

 ただ、正直述べます。年明けのBS1における、中学生が「理想の学校」「いじめ」について熱く語るときの議論とか、書籍化されている、「大震災特別講義」(2011年4月16日放送)のような感じとは、「似て非なるもの」であった、そのような感じであったんですよね。

 

 布陣をどうすべきか、「4-4-2」か「4-3-3」か。あるいは、「誰と誰を共存すべきか」(例えば、浦和レッズでいう、柏木と直輝、とか)、そういう議論がやりたかったのではない(勿論それも大切だし、その種の議論も自分は好きですが)。

 本当にやりたかった議論は、「どのようなサッカーを目指すべきか、チーム理念、目指すサッカー像とすべきか」、いわば、「どのようなサッカーを、ピッチ上でのデザインとして描きたいのか」、そういう議論がやりたかったのです。

 

 こんなはずではなかった。自分自身にとても悔しい。もう、「恥辱」「悔い」、そればかりが残った、一生で絶対に忘れない、忘れてはならない夜になりました。

 まあ、テレビデビューは、まずお預けでしょう。それか、テレビデビューが叶った場合は、自分の無様さをさらすだけ、みたいな。その意味では、「どうなるか、見てみよう。」という感じになるのかもしれませんが。

 

 

 で、2日目。2月23日。

 朝食を食べて、ホテルをチェックアウトして、仙台駅へ。

 前日の夜が雪でしたので、実に滑る。足下に留意しながら歩いて、荷物をコインロッカーに入れて、東北本線ホームへ(1番線)。

 7時46分、小牛田行きに乗る(6両編成)。

 小牛田を経て、そこから石巻線。石巻線は、ディーゼルの2両編成。高校生も、ちらほら乗っていました。

 

 9時20分、石巻駅到着。石巻も、雪の跡がくっきり。勿論、寒い。

 今回で、石巻は3回目。市街地から、日和山公園へと向かって歩く(およそ40分近く歩きます)。

 途中、石巻復興マルシェを通ります。やや小さい復興商店街ですが、徐々に前に向かっている感じが伝わってくる。その一方で、マルシェの近くの橋は、「橋を直しています」の生々しい看板。傷跡の大きさを改めて実感、の感じです。

 

 で、日和山公園。高台にあり、ここから、石巻市内、特に、南側の門脇地区がよく見えます。

 石巻市民病院がぽつんと残る以外は、実に何もない。未だに石巻の復興は、険しい道のりなのかな、と実感させられる感じです。

 

 で、石巻の市街地に戻る。

 石巻市役所の1階。ここに、高校生によって運営をしている、「いしのまきカフェ『』(かぎかっこ)」があります。ここで、昼食。

 実に、手作り感が伝わってくる。なんというか、「真心」が伝わってくるんですよね。

 ワッフルスイーツ、いちごみるく、おいしかった。まあ、肝心の高校生と、ほとんど話せなかったのが、心残りでしたが(汗)。

 

 という訳で、「いしのまきカフェ『』(かぎかっこ)」、リンクを貼ります。

 (HP)http://doorwaytosmiles.jp/

 (ブログ)http://doorwaytosmiles.jp/blog/

 

 

 高校生の真心に勇気付けられて、石巻を後にします。

 石巻からは、石巻線、東北本線経由で、仙台へ。

 仙石線は、「3・11」の影響で、分断されてしまっているので、石巻線経由のルートに、事実上絞られる感じなのです。ディーゼル電車に慣れるのも、一つの有意義な経験でしょうか。

 

 で、東北本線。小牛田からの仙台行きは、一番後ろの車両に乗ることになりました。

 そしたら、おのずと車掌さんが見えることになる訳で。で、今回の車掌さん。若い女性であったのですが、そのひたむきな姿勢に、正直、「仕事に対する誇り」を強く考えさせられた感じです。

 

 仙台駅を降りると、そこから、「みちのく仕掛け人市」(東北の復興支援団体が集う、ある種の就職イベント、という感じでしょうか)に参加するため、「東京エレクトロンホール宮城」まで、およそ30分、ひたすら歩きます。

 到着は14時50分過ぎだったでしょうか。仙台駅で、一息ついた影響もあった感じかもしれません。

 

 あまり時間がないので、「みちのく仕掛け人市」については、多くは触れられませんが、とにかく、参加してよかった、実に実り多い感じであった、という感じです。

 「東北で、NPOに就職する」という強い覚悟。警察官も併願することになるのかも、ですが、いずれにせよ、「息長く復興に携わる覚悟」を、強く育ませて頂く、それが、今回の東北であるように思うのです。

 

 

 で、イベントは、19時10分くらいに終了したのかな、という感じですが、自分は、バスの時間があるので、19時ちょうどに、泣く泣く途中退席。

 そこから猛ダッシュ。ただし、地下鉄だと、だましだまし時間が掛かるのでは(地下鉄仙台駅からJR仙台駅が遠く感じると判断)、と思い、ひたすら走ることを選択。

 商店街(国分町、クリスロード等)をひたすら走り、途中からは、青葉通りへ。

 19時20分過ぎ、どうにか仙台駅到着。走る選択は、結果的には成功でした。

 

 で、仙台駅のおみやげ店街へ。

 自分が購入したのは、「ずんだプリン」及び「ずんだシェイク」。5回目(前回)の東北でも、購入した飲食物です(いわゆる「ずんだスイーツ」)。

 実においしかった。というか、どうしても、「ずんだスイーツ」を呼ばれる時間が欲しかったので、やむなく途中退席、という感じだったんですよね。

 

 で、19時50分、仙台駅東口のバスターミナル。

 20時、仙台駅出発。こうして、6回目の東北が、終了しました。

 

 「悔しさ」と「充実感」を併せ持つ、それが、「6回目の東北」、という感じでした。

 「東北で生きる覚悟」。「復興のために大切なこと」。「仕事に対する誇り」。

 人間として生きるために大切ないくつものことを、深く考えさせられる、それが、今回の東北であった感じです。

 

 

 次なる東北現地参加は、いつになるのかは、わかりません。

 いつか、「東北発未来塾」に、塾生として是非とも参加したい、と強く抱いていますが。

 

 少なくとも、夏場には、就職試験のため、東北に行くことになるのでしょう。

 自分なりの生き方のビジョンをも問われる、それが、5回目、6回目の東北で学んだことであったのかな、といえるかもしれません。

 

 いずれにせよ、今回の、5回目、6回目の東北で学んだことを、今後の自分自身に是非とも活かしたい、と強く抱きます。

 

 

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。