· 

「1000人絶叫、Aqours1stLive、スクフェス感謝祭2017、そしてAqours2ndLive、及びその先へと向かって自分なりに感じること(その4)。」

 ここまで、

 

 (その1)(『第2回1000人絶叫』への参加、及び、μ’sへの『永遠の愛』の再認識。)

 (その2)(自分自身がいま感じている、『μ’s』のメンバー、それぞれへの解釈。)

 (その3)(『Aqours1stLive』において感じた、『Aqours』の可能性。)

 

 について、言及させて頂きました。

 

 

 で、いよいよ、ラストの(その4)です。テーマとしては、

 

 「『Aqours2ndLive』、及び、その先へと向かって自分なりに感じること。」

 

 これについて、綴らせて頂きたく思います。

 

 

 (その3)のラストにおいて、下記のことを、綴らせて頂きました。

 

 「一人一人それぞれが『エース』である。最終的に引っ張るのは、あんちゃんだけど、あんちゃん(あるいは、りきゃこ)が先頭にいて、でも他のメンバーが、あんちゃん(りきゃこ)を支える、いわば『支え合い』の『win-win』の関係が、そこには成立している。」

 

 このことの象徴が、りきゃこの「想いよひとつになれ」(2日目)です。

 あるいは勿論、全体を通しても。一人一人のパフォーマンス自体が、掛け値なしに素晴らしかった。

 

 で、自分自身、根っこの価値観として、

 

 「μ’s≧Aqours」

 

 これは正直、申し訳ないけど、恐らく変わらないと思うのです。

 

 ですが、自分の中で、「Aqours」への評価が大きく変わった要因。

 それは、1stライブでの、「Aqours」のパフォーマンス(完成度の高さ)も然りですが、それと共に、

 

 「『Aqours』一人一人それぞれの、『μ’s』へのリスペクト。」

 

 これが伝わってきたのです。特に、あいにゃ、すわわ。

 

 例えば、すわわ。YouTubeとかで、御存知の人間もいるかもですけど、すわわは、ガチの「海未ちゃん推し」といわれています。

 【ラブライブ!】そのものへの愛。それは、言葉のみならず、背中からも、ひしひしと伝わってきました。

 

 それ以上に、ダイレクトな感じで「愛」が伝わるのが、あいにゃです。

 特に、2日目のラストのMC。具体的な言葉までは思い出せないのですけど、趣旨として、

 

 「ずっと夢だった、『ラブライブ!』の一員になれたことがとても嬉しい。」

 

 この言葉に、偽りはない。「真実の愛」、自信を持ってそう言える。

 このMCを待たずして、心は既に傾いてはいたのです。ですが、ラストのMC。

 

 そうなんだよ、そうなんだよ!「μ’s」の「夢の続き」!

 自分は「Aqours」を通して、それが見たい訳だよ!

 あいにゃ、最高だよ!それでいて、「μ’s」を単純になぞるのではなくて、「Aqours』だからこその切り口を提示しようと奮闘する姿、それが伝わるから、なおさら大好きなんだよ!

 

 そう、このように、強く抱くのです。

 

 

 誰が「一推し」なのか。それは今後も、ある種流動的な感じなのかもしれません。

 ですが、「Aqoursの18人」、特に、担当声優という意味で、とりわけ、「推し」の感情を強く抱ける感じなのは、

 

 「あいにゃ(鈴木愛奈)」

 「すわわ(諏訪ななか)」

 「りきゃこ(逢田梨香子)」

 「あんちゃん(伊波杏樹)」

 

 この4人。今後、変化は出てくる感じかなとは思いますし、あとの5人も、何かしらの魅力は、強く抱く感覚ではあるのです。

 ですけど、やっぱり、4人という人数は、それ以上は追い掛けきれないニュアンスをも、含まれている感じなんですけどね。

 

 

 それは、全体を通して(1stライブ、テレビアニメ1期、ツイッター、各種インタビュー)もありますし、「プロ意識」「歌唱力」「ラブライブそのものへの愛」とかもありますし、それらを総合しての感じではあるのです。

 ですが、やはり、2日目の「想いよひとつになれ」。あれは自分の中で、いろいろと大きな意味を持つ感じなのかな、と思うのです。

 

 いま挙げた4人は、いつの日か「ソロ歌手」として(勿論、本人が歌手活動を望むならばですが、少なくとも、あいにゃはまず確定でしょう)、「横浜アリーナ」のステージに、絶対に立たせたい!

 「見たい景色」の一つが、はっきりと描けた感覚としてあるのです。

 

 

 それと、自分の場合、「μ’s」の場合でだと、

 

 「ジョルくすこそ我が命!」

 「我らが大天使うっちー!」

 

 でした。これが「Aqours」の場合、少なくとも現時点で、一つあります。

 具体的な言葉は、まだはっきり定まりませんけど、

 

 「『ななあいにゃ』こそ、最高の誇りだよ!」

 

 少なくとも、これは強く感じます。ある種、「ジョルくす」に重ね合わさる感覚でも、あるのですけど。

 そう、確かにこの2人、物語上も、「かなまり」ではあるんですよ。

 でも、公私両面を総合して考えると(ある程度は想像的な要素も絡むのですが)、「ななあいにゃ」は、最高のカップリング(コンビ)と感じるのです。

 実際、Twitter上でも、(特に、すわわが)「ななあいにゃ」を強調している感じとしてありますし。

 

 そのような感じですけど、特に、すわわ。

 「スキンシップ」を、積極的にしています。

 あいにゃに対してが最も多いですが、他のメンバーのときも少なからずある印象です。

 

 声優(アニメ)の世界では、「百合」という概念があります。

 同性のカップリング。ざっくりいえば、その意味合いですかね。

 そのような感じですけど、先述の、すわわ。いわれなき批判を、少なからず耳にします。

 「百合営業」だの、「売名行為」だの。

 

 正直、すわわに対しては、下記のような感覚を抱くことは、あります。

 

 「共和党政権になることがあり得なくて、よかったね。日本という場所に、生を受けて。」

 

 いわんとすることが伝われば、の感じではあるのです。

 ですが、その「スキンシップ」には、打算はない、そう強く抱くのです。

 打算があったら、嫌な顔をされたり、確執説を囁かれたりが、あるかもですけど、繰り返しになりますけど、

 

 「Aqoursの持ち味の一つとして、『仲の良さ』『チームワーク』がある。」

 

 「ななあいにゃ」であれ、3年生組であれ、AZALEAのときであれ。

 そう。「御互いが御互いを認め合っている関係」。それを既に築けている。

 まあ、「ハグしよ」という、果南の代名詞的な台詞の影響も、あるのかもしれませんが。

 

 

 およそ、そのような感じですけど、自分自身、あいにゃにせよ、すわわにせよ、「推し続けていたいなあ」と、心の底から思えるのは、「ありのまま」、これが大きな要素の一つとしてあるのです。

 

 

 で、Aqours。一人一人それぞれ、あるいは、グループそのものとしても、自分は正直、

 

 「演者の『質』という意味では、正直全く心配していない。

 『想いよひとつになれ』のピアノ演奏だって、りきゃこは陰できっと、あの悔しさを絶対に忘れまいと、人一倍の努力を惜しんでいないと信じているし、努力は必ず報われるはず!」

 

 そのように思っているのです。ですがその一方で、不安感はむしろ、ある意味では、1stライブのときよりも強くなっている感じでもあります。

 

 不安要素は、特に、下記の2つです。

 

 

 (図解6)Aqoursが、2ndLive、及び今後に向けてという意味での、2つの不安要素。

 

 (1)今後(恐らく今年の年末以後)、テレビ各局の、各種音楽祭に参加する可能性は高いと思われるが(理由は後述)、1曲フルに歌わせてもらえるか、あるいは、9人の顔と名前を、どれほど覚えてもらえそうか、ということ。

 (2)「観る側」(ファン)の「質」としての不安(繰り返すが、演者の「質」に関しては、全く心配していない。むしろ過小評価されないか、の心配はあるけど)。

 はっきり述べれば、コールとか、姿勢的な問題。特に、スクフェス感謝祭2017(6月10日~11日、東京・池袋)に参加した際、自分自身、楽しかった一方で、「強い危機感」を覚えました。

 

 

 ではまず、後者のこと、つまり、(2)のことから言及します。

 

 2017年6月10日~11日、東京・池袋サンシャインシティ。

 「スクフェス感謝祭」、念願の初参戦でした。

 

 自分は、10日の終盤からの参加でした。

 特に、「でかスクフェス」「9人アケフェス」、自分的には、これが目当てでした。

 

 上京のときは、宿泊は池袋が多いのです。

 プリンスホテル、アパホテル、デニーズ、ラウンドワン、ネットカフェ。

 宿泊先はその時々の状況によるのですが、池袋は大好きな場所です。

 

 特に、サンシャイン展望台。あの独特の体感型。

 全身で、五感を用いて感じること。学ぶことがいろいろとあります。

 

 それに、サンシャインシティプリンスホテル。

 いわば、自分的には「勝負ホテル」。

 スタッフの細やかな対応。部屋の心地よさ。高層階からの眺め(特に夜景)。

 そして、食事がとてもおいしいこと。

 今回は、開場がサンシャインシティ。ですので、プリンスホテルを宿泊先として確保でした。

 まあ、資金はその分かさむのですけど、休憩所的な機能にもなりますので。

 

 

 そのような感じですけど、結論的に述べれば、

 「楽しかった。でもその一方で、悲しみをも、少なからず覚えた。」

 それが、正直な感覚だったのです。

 

 

 まず、「楽しかったこと」から述べましょう。

 

 「9人アケフェス」。今回の「最大の楽しみ」でした。

 実は2回挑戦して、しかも2回共にリーダー役。

 もともと、中高生のとき、副級長(学級のno.2)、学級委員(学級のno.3)が多かったので、責任ある役割を任せてもらえるのは嬉しいし、魂が燃える感覚になれるのです。

 

 ですがその一方で、アケフェスの腕前は、まあ、「御察し」。

 そもそも、スクフェスは「やっていない」わけですので。

 

 アケフェスは、首を長くして待ち望んでいた。

 でも現実としては、まったりペース。ましてや、手先が不器用ですし。

 

 引き当てた楽曲は、1回目が「SUNNY DAY SONG」、2回目が「タカラモノズ」。

 申し訳ないですけど、自分が狙っていた、あるいは得意な楽曲ではありませんでした。

 はあ、自分ってやっぱり、くじ運がないなあ、と再認識。

 (実は生まれて30年以上、いわゆる「あたりくじ」の経験がゼロです。)

 

 で、自分の腕前は、基本的に「HARD」が精一杯。

 一部、自信のある楽曲を除けば、フルコンボなど夢のまた夢。

 

 だけど、不思議と頑張れた。一つは、「一人じゃない」と思えること。

 そして二つ。ハーフアップの、若い女性スタッフがいたのですけど、その一生懸命さ、及び、ちょっとした細やかさが伝わる対応。

 

 この人のためにも、持てる全力を出し尽くそう。

 そう、「ありがとうの気持ち」。あなたが改めて、再認識させてくれた。

 

 結果は、必ずしも納得できる感じではなかったかもしれない。

 でも、自分の中では、最高に素敵な経験の一つになりました。

 そして、「μ’sの18人」への「永遠の愛」を再認識できたことをも含めて。

 

 

 もう一つ。「でかスクフェス」。これも楽しみにしていました。

 

 「Step Zero to One!」「君のこころは輝いてるかい?」

 

 2回挑戦させて頂きましたが、いずれもAqours楽曲。

 

 やってみると、なかなか難しい。頭でのイメージに、身体が追い付いてくれない。

 で、コールが飛び交うのですけど、かくいう自分は、無意識的に「コール遮断状態」。

 無視しているのではないのです。ですけど、正直、それどころではない。

 目の前の大画面を、ただひたすらに凝視。そして、自分の出来栄えに、一喜一憂。

 失敗すると、「あーっ」!でも、それをも含めて、正直、最高に楽しめた感じでした。

 

 

 そう。自分的には、とても「楽しかった」のです。

 やっぱり「ラブライブ!」って最高に素晴らしい、と再認識。

 

 ですがその一方で、「悲しみ」も、少なからず覚えました。

 いや正直、大阪に帰ったときは、「悲しみ」の方が上回っていたかもしれません。

 

 

 (図解7)「スクフェス感謝祭2017」、自分的に悲しかったこと。

 

 (1)閉会式の「大炎上」ぶり。自分はこのとき、「9人アケフェス」にいたので、あとでTL越しに知り、そして大阪に帰ってから、YouTubeで全容を把握しましたが。

 りきゃこの瞳は、明らかに輝きが奪われているのが伝わったし、ありしゃからは「しーっ!」とされる始末。

 あのねえ、演者(担当声優)が話しているときは、静かにしようよ、ということですよ。

 「担当声優こそ絶対」なはずでしょ?「主体」は「担当声優」であって然るべきで、「自分たち(ファン)」は、あくまでも「客体」、つまり、「担当声優を最大限に輝かせること」が「使命」であるはず。

 それができない人間は、もはやファンではない。自分は正直、これがとても悲しいです。

 

 (2)いわゆる「NGコール」(害悪コール)。「でかスクフェス」「9人アケフェス」のいずれでも。

 実際、自分もいくつかの楽曲で、目の当たりにしました。

 

 [1]「恋になりたいAquarium」(→「I miss you」の直後に「イエッタイガー」)。

 全体の30%くらいの人間が叫んでいたときがありました。自分は3階(最上階)にいましたが、思わず「やってよいコールかどうか、考えようか、おまえら。」と、叫んでしまいました。

 

 [2]「Angelic Angel」(→「KKEコール」に加えて、ラストで謎の「1,2,3,4,5,6,7,8」)。

 特に、「1.2.3.4.5.6.7.8」。「ありがとうPJ」のときはなかったはず。

 楽曲の世界観、楽曲から想像し得る情景。これをイメージできているのか?と。

 「KKEコール」も、ざっと全体の60~70%くらいが叫んでいた印象。

 うーん、なんだかなあ。自分は正直、そう感じてしまいました。

 

 [3]「ユメノトビラ」(→「三森すずこさーん」)。

 この、「三森すずこさーん」。元ネタは、彼女のソロ楽曲、「ユニバーページ」とのこと。

 しかも本人は、このコール、大嫌いだと伺っています。

 いざ実際に耳にして、ああ、これ、みもりんへの「冒涜行為」だな、と感じたんですよね。

 そもそも、みもりんだけのための楽曲ではない(しかもみもりんは、自分のこと以上に、周りのこと、全体のことを考えて行動できる人間!それが持ち味にも関わらず!)。

 応援のつもりなのかもですけど、結局これ、「冒涜行為」である訳で、つまり「本末転倒」なんですよね。

 これもまた、「主体」は誰であるのか?ということ。自分たちが主体ではないこと。主体は担当声優であること、そして担当声優こそ「絶対的存在」(いやむしろ、「神聖なる存在」)であること。

 それができない人間に、ラブライバーを名乗って欲しくない。正直、自分はそう感じます。

 

 

 かくいう自分自身、いわゆる「一人コール」、少なからずあります。

 

 「夏色えがおで1,2,Jump!」(→「願いを言って」)

 「Snow halation」(→「あずけてplease」)

 「Wonderful rush」(→[「ワンダフル」の直後にすかさず]「ぱいちゃーん」)

 「wonder zone」(→「輝けないね」)

 

 ラブライバーの中には、上記のコールも、「NGコール」とみなす人間もいるかもしれません。

 ですが自分の中では、それなりの根拠(いずれの場面も、クライマックスへと盛り上がっていく場所。テンションを挙げていく意味合いがあります)をもって、そして「μ’sへの愛情表現」として、用いているのです。

 

 

 ですが、上記の「NGコール」として実際に発動されたコールは、どのようないと、根拠を持って、コールを発動させているのか。

 あなたなりに「論理的に」説明して欲しい、それができなければしないでよ。

 自分は正直、そのように強く感じるのです。

 

 

 なんというか、自分は、「Aqours」が抱えている最大の不安要素は、「ファンの質」であると思っていて、Aqoursの「演者のパフォーマンスの質」「プロ意識の高さ」「音楽性の良質さ」、これは日本の音楽界全体においても、自信を持って高いレベルで勝負し得る、そう強く抱いているのです。

 

 今年に入って、「乃木坂46」。何かしらの雑誌の表紙で、観ない週がありません。

 明らかに、「飛ぶ鳥を落とす勢い」を感じますし、「女性no.1アーティスト」(少なくとも、人気面では)、これは素直に認めざるを得ないでしょう。

 

 だけど自分は、この「音楽性」。乃木坂46と比較すれば、(好みの問題は勿論あるかもですけど、)全体としてとらえたときに、「Aqours」の方が質的に高いはずだ、そう強く抱くのです。

 

 「想いよひとつになれ」「青空Jumping Heart」「ユメ語るよりユメ歌おう」「未熟DREAMER」等々。

 部分カット、メドレー形式を取られると、どうなるかはわかりません(Aqoursの場合、間奏部分をひっくるめて出ないと、真意が伝わらない楽曲が少なくないと自分は解釈していますので)。

 

 テレビ局側の都合で、部分カットされたら、それはそれで仕方がない。

 まあ、それを含めての音楽ですよ、そう割り切るしかないときも、正直今後、出てくるでしょう。

 

 

 ですが、いま、「Aqours」は、「コール論争」だけでも、いくつもの楽曲で、抱えてしまっています。

 まあそもそも、「コール論争」という発想自体、「J-POP」では、恐らく起こり得ないことであるのですが。

 

 

 (図解8)「Aqours」楽曲で、現状抱えてしまっているコール論争の該当楽曲。

 

 (1)「想いよひとつになれ」

 (→もはや「生命線」といえる楽曲になった感がある。Aqoursの「代名詞」になる可能性をも、存分に秘めている。りきゃこの演奏に多くの負担を求めることになるけど[この重圧、りきゃこならば絶対に乗り越えられると信じてる!]、そもそも歌詞自体が最高に素敵!

 個人的には、「コールは一切不要」と思っています。「fufu!」を入れやすい個所は、確かにありますが。

 不要か必要か。そしてそれは何故なのか。今後、生命線になるだけに、方向性を見誤らないでほしい。自分はそう強く願っています。)

 

 (2)「HAPPY PARTY TRAIN」

 (→現状、Aqoursの最新曲であり、2ndLiveの中軸を担う楽曲になる。

 特にサビ、及び間奏部分以後が最高にたまらない。

 自分は「一人カラオケ」のとき、「涙腺崩壊を堪えながら」、このオンパレードです。

 「永遠の伝説」といえる、「僕たちはひとつの光」に匹敵するかもしれない、この破壊力ある楽曲に、自分は「そもそもコール不要」と思っています。ましてや、「鉄道ファン」ならば、恐らくなおさらでしょう[ちなみに、かくいう自分が「鉄道ファン」です]。

 ですが、「でかスクフェス」。コール入っていたんですよね。自分は正直、「強い困惑」を覚えました。

 何回繰り返し聴いても、「何故コールが入るのか」、と。自分は「みんなで歌う楽曲」であって欲しい、そう強く抱くのですけど。これは、ライブのどの部分で入れるのかにも、よるのかもですが。

 そう、自分はラストとかの勝負どころで入れるにふさわしいと思うのです。「μ’s」の「ファイナルライブ」でならば、「それは僕たちの奇跡」あるいは「SUNNY DAY SONG」のあたりとかで。

 ですが、いよいよ明日に迫った、「Aqours2ndLive」。最初に入れる説もあるんですよね。

 うーん、どうなるのかなあ、と思う感じでは、あるのですが。)

 

 (3)「ユメ語るよりユメ歌おう」

 (→テレビアニメ1期ED曲。貴重な「fwfw」楽曲と自分は皆していますが、まあ、真っ二つに解釈が分かれています。

 確かに、1stLive、本会場では歌詞のテロップがありました。

 担当声優は、トロッコに乗っての歌唱だった。ED曲であることを踏まえると、2ndLiveでも、そうなる可能性は充分にあるでしょう(アンコールのラストかも、と自分は思っていますが)。

 自分は、「『fwfw』も『みんなで歌う』も、両方やればよい。というかむしろ、そういう楽曲でしょ?」と解釈しています。

 そして、担当声優がトロッコで目の前に来たら、そのときは、思いっきり担当声優に「ありがとうの気持ち」を伝えればよい。そう、それぞれの形で。「fwfw」したければすればいいし、ただひたすらに歌いたいならば、そうすればいいじゃない、と。勿論、「あんちゃーん」「あいにゃー」も大歓迎のはずですし。

 ですが、頭ごなしに「fwfw」を否定しないでほしい、そもそもかつての「μ’s」の「KKEコール」論争だって、結局のところは、劇場版で応援上映が前提のはずなのに、文句なしの「fwfw楽曲」がなかったから起こったことでしょ?と自分は思っているのですが、果たして、の感じです。)

 

 (4)「サンシャインぴっかぴか音頭」

 (→「μ’s」でいうところの、「輝夜の城で騒ぎたい」に近いのか、それとも、「SUNNY DAY SONG」に近いのか。どちらとも解釈し得る、これが自分の現時点での解釈です。

 ですが一つ、はっきりといえることは、「あいにゃ(鈴木愛奈さん)の持ち味が最高に発揮されている楽曲」であること。つまり、「目の前にあいにゃがいる」ことを想像する姿勢が求められると自分は思っています。

 既にLantis公式から、「振り付け講座動画」がアップされています。基本的には、それにのっとる形になるのでしょう。

 基本的には、それをなぞればよいはず。故に、「コール不要」であるはず。

 ですが、「イエッタイガー」発動の動きが、Twitter上で散見されています。正直、看過できないことです。

 個人的には、いかなるコールでも、「楽曲の世界観にふさわしくない」と解釈していますが、特に「イエッタイガー」は、「あいにゃへの『冒涜行為』」と思っています。

 そもそも、あいにゃが、いや、「Aqoursの18人」が、どれほどに「血のにじむような努力」を積み重ねているのか、想像して欲しい。それを想像できない人間に、「Aqoursのファン」を、「ラブライバー」を名乗って欲しくない。自分は正直、そう思っています。)

 

 

 いま挙げた、4つの楽曲。いずれも今後、「Aqours」の生命線になるであろう楽曲です。

 

 しかも「Aqours」の現在おかれている立場は、もう既に、既存のアニメソングの領域では収まらない感じになっています(「μ’s」のときに比して、「J-POP」のトップレベルの層は薄くなっている。少なくとも、高い音楽性を誇った「いきものがかり」はもういないし、「絢香」も、絶頂は過ぎている感じとしてありますし)。

 そもそも、「μ’s」は、最終的に、「嵐」「AKB48」「EXILE」に次ぐ、「第4勢力」の地位を確立したのに、絶頂で「マイクを置いた」訳ですけど、「ポストμ’s」たり得る「第4勢力の候補」は、ついに現れることはなく、「Aqours」は、「キャラハイパーインフレ」でダッシュで来てしまった可能性があった訳です(まあ、1stLiveを鑑賞していたラブライバーであれば、「れっきとした実力、及び人一倍の努力」で、自ら「第4勢力」の座をつかんだ、と解釈できるとは思うのですけど)。

 

 ですが、正直、Aqoursのファンは、質的な不安も然りですし、これはμ’sのときから感じていたのですけど、自分たちが応援しているアーティストを、「過小評価」しているのでは?という感じを抱いていたんですよね。

 

 よく散見されたのが、いわゆる「アイマス」との比較論。

 確かに、アニメソングの世界でならば、ライバル的存在といえるかもです。

 でも彼女たち本人にとっては、「よきライバル」であると共に、「よき戦友」の感じではないのかな、と。

 「御互いに御互いを認め合う」。「アニサマ2015」でこれは証明済みでしょう。

 

 確かに、μ’sのメンバー(担当声優)。いま、それぞれが個人のソロ歌手として勝負しています。

 個人のソロ歌手としてだと、他の声優アーティスト全てが、ある種の現実的なライバルになるのです。

 

 内田真礼。竹達彩奈。沼倉愛美。特に沼倉さんは、アイマスのときから、高い歌唱力を見せ付けていましたので、「満を持して」の感じかなですが。

 あるいは、真礼さん。彼女のポテンシャルは、もっと行けるだろう、と。個人で日本武道館どころか、それを上回るステージをも不可能ではない感覚を、正直感じています(ある種、恐ろしささえ感じたりですが)。

 

 その意味で、いずれAqoursも、ソロ歌手として勝負するときがくるでしょう。

 その場合も、ソロ歌手としてのライバルは、他の声優アーティストに、必然的になってきます。

 

 水瀬いのり。小倉唯。田所あずさ。3人共に、既に声優アーティストとして一定の地位ですし、特にいのりん(水瀬さん)は、すさまじいポテンシャルの持ち主、そう強く感じています(個人的には、本人が望むならばですが、映像の世界でも高いレベルで勝負できるだろうに、ああ、もったいない、と感じるほどです)。

 

 

 ですが、「Aqours」というグループとしてだと、ターゲットラインは、既存のアーティストのそれではないのです。もう、その領域は、とっくに超越している、少なくとも自分は、そう思っています。

 先述でも触れたように、もう、「J-POP」の「第4勢力」に既にあるのです。

 そう、ターゲットラインは、一つの女性アーティストとしてならば、もはや明らか。

 

 「打倒、乃木坂46」。「Go for the TOKYO DOME」。

 そして、3年後となる、2020年夏。「あの最高のステージ」へと…。

 

 

 そう。自分が「最終的に『見たい景色』」。

 東京ドームも然りですが、自分が願う、ただ一つの景色。それは…。

 

 

 「2020年7月24日、新国立競技場。8万人の大観衆。

 そう、『東京五輪の開会式』。アニメソング歌手の代表として、そして、女性アーティストの代表として。

 『μ’s』も『Aqours』も、それぞれが1曲ずつ歌唱する。

 そして、時空を超えて、うさぎちゃん(セーラームーン。月野うさぎ)を召喚して、『ムーンライト伝説』お、併せて歌い上げる(実際、内田彩、南條愛乃、楠田亜衣奈など、『セーラームーン』にあこがれて目指したメンバーが複数いる訳ですし)。」

 

 

 そう。東京五輪のテーマを想像したときに、自分は、「絶望から希望へ」。

 これが最もしっくりいく感じではないか、と思っているんですよね。

 「東日本大震災」という、一瞬で叩き落とされた絶望。

 だけど、この困難を、一丸となって乗り越えよう。

 想像以上に分厚い困難。そこに一筋の光を照らす存在。それが、「μ’s」だった。

 「μ’s」の成功の要因は、恐らくいくつもあると思いますが(それを深く考察するだけで、一冊の本、少なくとも一つの論文ができるのでは?と正直思ったりです)、少なくとも、「時代にマッチした」「求められているニーズに、まさしくピンズド(ドストライク)だった」、そのように自分は思うのです。

 だから、「μ’s」、及びその魂を継承する「Aqours」こそ、東京五輪の大舞台にふさわしい。

 そう。「μ’sの18人」の、「これ以上ないステージ」。自分はそう、強く抱くのです。

 

 

 およそ、そのような感じなのです。そう、「見たい景色」、あるいは、「『夢の続き』の、その先へ」。

 それは、「2020年夏、東京五輪開会式」、それに他ならない。

 それに到達し得るポテンシャル、資質能力は、既に持っているはず。少なくとも、自分はそう信じている。

 だけど、たとえメンバー自体の質は高くとも、ファンが足を引っ張る(いや、足を引っ掛ける)感じだと…。

 

 

 はっきり述べます。

 いまの「ラブライバー」、「Aqoursのファン」において、

 

 「文言に明文化されていなければ、何をしてもよい(→法に書かれていないから規範意識[倫理意識]に抵触し得ないという考え)。」

 

 そのような、「歪んだ考え」を持つファンが恐らく確実に存在している。

 しかも申し訳ないけど、少なくない一定数の比率として。

 (一部といえば一部とは思うが、少なくとも看過できない領域にはあるかと。)

 

 

 実は自分自身、7月21日にて、ランティスに対して、ある「御要望メール」、させて頂きました。

 具体的なことについて、多くは述べません。ただその中で、

 

 「今後のAqoursのライブにおいて、コール等のレギュレーション(注意事項)について、一言一句をディテール(細かいこと)まで明確に記述しないと、今後おそらく間違いなく『もめる』ことになりかねない。

 『Aqoursの18人』こそか主人公なはずであって、『Aqoursの18人』を最大限に輝かせられる環境づくりこそが、何よりも大切なことであると思いますので。」

 

 「イエッタイガー、MIX、ミラチケダッシュ等の、楽曲(作品)の世界観に適合し得ないコールは強く御遠慮頂きたく思います(これを明文化して欲しい)」

 

 この趣旨のことを、御要望の一つとしてさせて頂いたんですよね。

 

 だけど結論としては(自分も御要望メールをするタイミングが遅れてしまった感じではあったのですけど)、「Aqours2ndLive」における注意事項に、この、コールのことは明文化はされていない。

 

 手荷物検査が入っていることは、一つの評価としてはできます。

 「転売対策」以上に、「テロ対策」こそ、懸念していることとしてありますので。

 (テロ対策は、生命に直結することですので。)

 

 

 そう。「μ’sの18人」「Aqoursの18人」。

 最高に輝かせるために、自分に何ができるか。

 模索し続けている感じではある。だけど、できることには、どうしても限界がある。

 限界がある中で、できるベストを尽くしたい。それって何があるだろうか。

 

 そこで、自分が、微力ながら取り組んでいるのが、

 

 「Wikipedia(ウィキペディア)での活動」

 

 です。実は、何人かのμ’s声優(南條愛乃、内田彩、楠田亜衣奈、飯田里穂)、及び、Aqours声優(一通り、全員に関わっている感じです。今後は絞られていく感じかなではありますが、少なくとも現時点では)の人物欄について、比重はともかく、ある程度、自分自身、編集にかかわらせて頂いております。

 

 書きかけの項目は、正直少なくないです。特にAqours声優については、節構成がぐだぐだの現状ですし、8月中を目途に、改良作業に着手したい感じではある。

 自分が手がけているμ’sの数人のメンバーについても、例えば、内田彩については、先日、大幅な加筆修正を施しましたが、南條愛乃についても、8月中を目途に、改良作業に着手したい感じであるのです。

 

 編集を手掛けるために、参考文献を収集する作業。

 これ、結構、労力がかかります。おのずと、相応の資金を投じることにもなります。

 一つ一つの文章を執筆することも、ディテールまで神経を使います。

 ただ単なるファンサイトではない。その中で、いかにして魅力を伝えるか。

 

 そう、一人でも多くの人間に、魅力を知って欲しい。

 この担当声優(メンバー)には、こんな素敵な魅力があるんですよ、って。

 それを、参考文献という根拠を示しながら綴る作業。

 ある種、自分自身が鍛えられる感じなのです。

 

 

 とはいえ、やはり、できる範囲というのはある訳で、例えば自分が手がけるのは、基本、「人物」に関係することに絞っています。楽曲リストや、ライブ履歴を手掛けることも、時折ありますけど。

 その一方で、「出演作品リスト」は、基本的にノータッチです。

 自分よりも詳しいであろう人間に委ねる方が、より伝わりやすいだろうと思いますので、と。

 

 とはいえ、そこには悩ましさも、少なからずどうしても起こってしまいます。

 ああ、どうしよう、困ったなあ、と思っているのが、みもりん(三森すずこさん)。

 自分よりも、みもりんのことが大好き、みもりんのことに詳しい、そういう人間にこそ、人物的な魅力を綴って欲しい、そう強く抱く。

 だけど、業績の割に、みもりんの人物の記述、手薄な感じを、正直抱いています。

 あるいは、ぱいちゃん(Pile)、シカちゃん(久保ユリカ)も然りです。

 シカちゃんは、以前に比してだと、記述量は増えている感じではありますが。

 

 

 できる範囲で、できることをしよう。

 正直、wikipediaでの活動も、「まったりペース」ではあるのです。

 実際、先日まで、およそ5か月間、活動休止状態でしたし。

 

 というか、自分がμ’s、Aqoursのwikipediaの活動にかかわらせて頂いていること、隠すのは大変でいた。

 いつかは公表せねばならないだろう、でも、適切なタイミングを、ずっと探していた感じであったのです。

 いま、このタイミングだったら、しっくりいくのかなと思い、公表に踏み切ることにしました。

 ある種のリスクも、背負う感じではあります。でも、考えた末に、できうこととして見出した方法。

 だって、「μ’s」「Aqours」、それぞれのメンバーの魅力を、知って欲しいから。

 

 

 およそ、そのような感じです。そしていよいよ、「Aqours2ndLive」。

 いろいろと綴らせて頂きましたけど、やっぱり、「わくわく感」の感じであるのです。

 最高に輝いて欲しい!さらなる高みへと辿り着くステップになる、自分はそう信じてる。

 勿論、テレビアニメ2期の成功に向かって、という意味でも。

 

 そして、「想いよひとつになれ」。

 あのしっぱいがあったから、自分は強くなれた。

 りきゃこ(逢田梨香子さん)が、心からそう思えるときを、さらに進化(深化)させた「魂の演奏」をみせつけることを、自分は信じている。

 全力で応援しているから、あなたは一人ではない、自分たちがついているから。

 そのように、正直強く抱く感じです。

 

 

 御拝読して頂いて、とても有難うございます。

 長文、駄文、とても申し訳ございません。

 未熟な自分で申し訳ないですが、今後とも何卒よろしく御願い申し上げます。